1.約束の場所に彼はいない
よろしくお願いいたします。
天気がよく暖かい。春の花も咲いて目を楽しませてくれる。
「今日は絶好の再会日和ね♪」
私は王都の大通りを意気揚々と歩いている。時々店の前に立ち止まっては窓ガラスに映る自分の姿を確認する。髪が乱れていないか、口紅はきちんと付いているか。
ガラスにはレモンイエローのワンピースを着て頬を上気させた女の子がいる。この日のために購入したワンピースはなかなか似合っていると自負している。浮かれすぎだと自覚しているが、誰にも迷惑をかけていないのでいいだろう。ガラスに映った姿に満足すると再び歩みを進める。目指すは大通りを抜けたところにある大きな公園の白木蓮の下。大切な思い出の場所。大好きな人との約束の場所。
そこで恋人と待ち合わせをしている。彼とはこまめに手紙のやり取りをしていたが三年ぶりの再会になる。この日が来るのを本当に待ち遠しく思っていた。再会を約束して別れたときは、三年という時間が永遠のように長く思えたのに、その日が来ればあっという間にも感じる。
公園に入ると白木蓮は白く柔らかい花弁をたくさん広げ楽しそうに花開いていた。軽い足取りで木の下まで来ると、幹に寄り添うように佇んで辺りを見渡す。意外と人は少ない。いるのは遠くにあるベンチに座っている女性たちや散歩をしている老夫婦くらいだろうか。
「ふふ。私の方が先に着いたようね」
彼はまだ来ていない。それは当然で思わず笑ってしまった。だってまだ約束の時間より一時間も早い。今朝は早く目を覚ましてしまい、時間を持て余したので早めに待ち合わせ場所に来たのだ。
春の日差しを浴びながら目を閉じる。静かな空間に鳥の囀りが心地いい。
私は待ち合わせの相手、ロジェの姿を思い浮かべた。
濃いレモン色の髪はさらさらで柔く、アクアマリンの瞳はいつも穏やかに弧を描いている。整った優しげな顔は女性に人気があったが、本人は「女顔で嫌だ。男らしい顔がよかった」と拗ねていた。
三年前にロジェはここで私に想いを打ち明けてくれた。そして言ったのだ。
「ジゼル。三年後にここに来てほしい。僕は君に正式に婚約を申し込む。もし、嫌ならこないで。それが返事だと思うから」
その言葉は心底嬉しかった。だから私はゆっくりと首を横に振る。
「嫌なはずない。でもどうして三年後なの? 婚約だけは先にしてもいいのに」
「今の僕には何もない。でも三年の間に研究を成功させ必ず博士号を手に入れる。だからそれまで待っていて欲しい」
強い決意を滲ませた眼差しは真剣で揺るがない。彼は隣国の研究室から招待を受けている。そこの研究に参加することが決まっていた。期間は三年。私は行く前に正式に婚約を結びたいと思っていたが彼は帰国後を望んでいる。彼の気持ちも理解できるので反論はしなかった。
「分かったわ。その代わり、手紙をちょうだいね。できるだけたくさん!」
「ああ、必ず書くよ」
「約束よ」
そうして私はロジェを見送った。寂しくないと言えば嘘になる。でも私が考える以上にロジェにとって身分の差は大きいものなのだろう。もしも今、私の意思で強引に婚約しても、結婚後にそのことで二人の関係がギクシャクしてしまうかもしれない。それは嫌。私はロジェと幸せになりたい。
ロジェは自分の出自が平民であることを気にしていた。私は一応貴族ではあるが男爵家の娘なので平民と大差ない。気にする必要はないと伝えたが彼は頑なだった。だからロジェの意思を優先すると決めた。
ロジェは約束通り手紙を頻繁に送ってくれた。でも内容は期待していた甘く愛を囁くようなものではなく、終始研究の進捗状況が書かれていた。でもそれが生真面目な彼らしく安心できた。
論文のような分厚い手紙に苦笑いを浮かべたが、頻繁に手紙をくれるのは彼が研究に没頭していても私を忘れずにいてくれている証拠だと嬉しかった。また研究の成功こそが私との結婚に繋がると必死になっていることも伝わってきて、ロジェに大切に思われていることを確信できた。
そして先月、とうとう待っていた内容の手紙が届いた。研究は成功して博士号を授与されたのだ!
『ジゼル。約束の場所で待っていてください』
いつもは丁寧なロジェの文字が躍っているように見えた。私はその手紙を抱きしめ飛び跳ねた。そして再会の日に着ていくワンピースを新調するために、すぐさま街に買い物に出かけた。
両親に話して王都に行く手配もした。タウンハウスには執事と使用人がいつでも滞在できるように屋敷を管理してくれているので安心だ。みんなが浮かれる私に呆れ顔をしていたが、よかったねと言ってくれた。
ロジェと約束を交わした時、私は学園に通うために王都に住んでいた。卒業と同時に領地に戻ってしまうのだが、彼はそのことを失念していたらしい。だから再会場所は私のいる領地にすると申し出てくれたが、せっかくなら約束を交わした場所で再会する方がロマンティックだからと、私の方がこだわった。両親は一生に一度のことだから好きにしなさいと、笑って許してくれた。
私は目を開けると再び周りを見渡した。もう、約束の時間は過ぎてしまった。ロジェは時間に遅れることはない。数日前には帰国していてホテルに滞在しているはずだけど、ホテルの名前は聞いていない。
何かあったのだろうか。事故とか急病とか…・・・。そのとき、突然横から声をかけられた。
「あなたがジゼルさん?」
振り向くとそこには女性がいた。考えに夢中で彼女が側にいることに気づかなかった。
その女性は華奢な体の美しい人だった。着ている黒色のワンピースは装飾が少なくてもスタイリッシュなデザインで彼女の白い肌を際立たせている。清楚な雰囲気を醸し出していた。
年齢は私と同じくらいだろうか。意志の強そうな瞳は私をまっすぐに見ている。なぜ私の名前を知っているのだろうと不思議に思いながら返事をする。
「はい。私がジゼルですが、あなたは?」
女性は一度ぐっと歯を食いしばった後、私の目を見て挑むように口を開いた。
「私はクラース伯爵家の娘エリーネと申します。ロジェからの言付けを預かってきました」
「ロジェから?」
クラース伯爵様のことは聞いている。研究室の後援者で隣国での生活のサポートもしてくれていると教えてもらった。言付けなら何かアクシデントでもあったのだろか?
「彼はここには来ません」
「えっ!? ロジェに……何かあったのですか?」
私は動揺しながらエリーネの腕を掴んで問うた。
「彼は私と結婚することになりました。あなたとの約束は果たせなくて申し訳ないと。合わせる顔がないと言うので私がここに来ました」
「は……?」
意味が分からない。エリーネが顎を上げツンと言い切る。
「どうかご理解くださいませ」
エリーネは慇懃に言うと掴んでいた私の腕を離し、踵を返そうとした。一方的な内容は到底納得できるものではない。「そうですか」と簡単には引き下がれない。
「待ってください。どういうことですか? 私は一か月前にロジェから手紙を受け取っています。そんなことは書いてなかったわ!」
エリーネは目を眇めると面倒くさそうに言った。
「ロジェの帰国直前に私の父が彼に申し出たのです。私の婿となりこれからも研究に邁進して欲しいと。彼はそれを受け入れてくれました」
あり得ない。ロジェの心変わりも不誠実な対応も信じがたかった。私は両手をぐっと握り声を振り絞った。
「あなたは……エリーネ様はそれを望んでいるのですか?」
「ええ。私は彼が研究室に来たときから惹かれていました。真面目で誠実な人柄で研究熱心で……実はこの話は私が父に頼んだのです。父はロジェの才能を買ってくれているので受け入れてくれましたわ。身分のことならなんとでもできますし。本当はこんなこと言いたくありませんけど、我が家は伯爵家で研究のための伝も多く、施設や資金も潤沢に用意できます。今回ロジェは博士号を授与されていますが、我が家の婿になればもっと上を目指せます。ジゼルさんは男爵家ですわよね? 彼の才能を伸ばせる後ろ盾になれますの?」
「それは……」
「ご理解いただけましたか?」
「そう……ですか。話は分かりました。ですがロジェに会って彼の気持ちを直接聞きたい。彼に会わせてください」
「ロジェは帰国していません。後ろめたいのでしょうし、あなたに会いたくないと言っています。だからもう、諦めてください。私たち来月結婚式を挙げます」
「そんな……」
「さようなら」
私は呆然と立ち竦む。エリーネは今度こそ踵を返し私に背を向け歩き出した。それを引き留めることもできずに見送った。だってこれ以上何を言えばいいのか分からない。体だって動かせない。頭がエリーネの言葉を受け入れることを激しく拒絶する。
公園の入り口に大きな馬車が止まっていた。エリーネが馬車の前に立つと従者が扉を開く。馬車はエリーネを乗せると公園を去って行った。