1・北の村(7 里砂、カイ、草矢)
少年をなんとか寝台に戻して、里砂はそっと息を吐いた。
「今、母さん呼んでくるから……」
少年の指は、里砂の袖をぎゅっとつかんでいた。
「待って」
とにかく、言葉はわかる。問題なのは声がうまく出ないことだ、と少年は思った。
「僕は……どうして……ここに?」
「あなたは浜に倒れてたのよ。体がとても弱ってるって、司様が言ってたわ」
ハマ? ツカササマ?
言葉がわかっても、意味がわかるとは限らない。
「僕……病気?」
里砂は首をふった。
「司様は、体力がつけば大丈夫だっておっしゃった。病気というわけではないと思う」
少年は、ほっとしたように指の力をゆるめて、里砂の袖を離した。そして彼の表情もゆるみ、口もとに微笑が浮かんだ。
「僕は……カイ。君は?」
「わたしは里砂。なにか欲しいものある?」
少年ーカイーは首をふった。
「欲しいのは……情報。ここは……どこ? 移送装置は……」
「え?」
里砂はとまどう。
「星系は……ここの、座標……」
「なにか失くしたの? 兄さんが浜を探したけど、なにもなかったって言ってた」
カイの微笑が消えた。
この子、リサは移送装置を知らないのか?
あのとき、移送室は爆発のあおりをくらって揺れていた。フィールドがひずんで、想定外の事態が起きたんだ。目的地をはずれた? それにしても、移送装置もない、なにもないところに放り出されるなんてことがあるだろうか。
「どうしたの?」
里砂は、少し不安になって尋ねた。
カイは、里砂の着ているものを見つめ、それから視線をめぐらして自分のいる部屋を見た。
縦糸と横糸の織り目がわかる、ざっくりした布。部屋の壁も天井も、プラスティールではなさそうだ。
ここはどこだ?
「リサ……移送装置を……知らない?」
里砂は、何を聞かれているっかもわからないまま、首をふった。それが何にせよ、自分が知らないということだけは確かだった。
「ここは……どこなんだ?」
カイは、厳しいまなざしで里砂を見た。答えを聞くまでは離さない、というように、里砂の手をつかんだ。
「ここって……ここは、ここだわ。北の村……」
「違う」
カイの口調が強くなった。
「そうじゃない。……ここの星系……この星の……」
「里砂」
草矢が立っていた。里砂はあわてたように、カイの指から自分の手をふりほどいた。
「兄さん……」
草矢は、カイを見ながら、少し固い声で言った。
「気がついたのか。よかった」
カイは、黙ったままうなずいた。
草矢は里砂を見た。
「司様を呼んだ方がいい。診てもらって話を聞くまで、無理をさせちゃいけない」
「でも、兄さん……」
「僕は……」
里砂とカイが同時に口を開いたが、草矢は里砂を促すように扉に向かった。
「体力を取り戻すのが一番だ」
「うん……」
里砂は口ごもった。カイの言いたいことが何なのか、もっと聞きたかった。けれど、草矢の言うのが正しいのだろう。話なら、回復してからでもできる。
里砂と、その兄だという灰色の髪の青年が行ってしまうと、カイはため息をついて、なんらかの自然素材でできているらしい天井を見つめた。
ここはどこだ? あのとき、移送装置になにが起こったんだ?
カイは唇を噛んだ。
そういえば、わからないのはこの星の座標だけじゃない。あの言葉のこと。頭の中に、妙な回路がひとつ増えたような気がする。この部屋で気がついたとき「ココダ」と思ったのはなぜだ。
目をつぶって頭をふる。
でも、僕は生きてる。まだちゃんと考えることもできる。
心配そうに自分を見つめていた、里砂のことを思い出す。
ここにいるのは、悪い人たちじゃない。
草矢は、ゆうべ母屋で使って忘れていた、ツヤ出し用の油をとりにきたのだった。
「あの子となにか話をしたのか」
里砂は、首をふるような、かしげるようなかっこうをした。
「よくわからない。なにか心配なことがあるようなんだけど、どういうことを言ってるのかわからないの」
「回復すれば、ちゃんと説明もできるだろう。それも、司様が長い話をしてもいいと言ってからのことだ。無理は禁物だ」
「そうね」
里砂はうなずく。
仕事場に向かいながら、草矢は自分が里砂に言ったことを思い出してみる。
あれは、筋が通っているように聞こえた。薬の司を持ち出すまでもなく、あの少年は安静にしていた方がいいに決まっている。
けれど、あのとき。
少年が里砂の手を握っているのを見たとき、何かがーそれは、この前の晩から残っていた小骨だったかもしれないがー草矢の胸の中の柔らかいところに刺さり、一瞬痛みをおぼえたのだ。
草矢は、ぎゅっと口もとに力を入れ、注意深く雪を踏んだ。
里砂は妹じゃないか。俺が浜からあの子を連れて帰ってから、季節はもう十三回めぐった。それほど長い間、妹として……。
草矢は、最後に父親にぶたれたときのことを思い出した。ずいぶん前のことになる。
里砂に、おまえはこの家で生まれた子ではない、と告げたときだ。仁矢は、それを隠しておきたかったに違いない。けれど、狭い村だから、いずれはどこかから里砂の耳に真実が伝わる。誰か、よその人間が家族の隠し事を里砂に伝える。そうなれば、里砂はもっとかわいそうだ、草矢はそう反論したのだ。あのときも、自分の言うことは筋が通っていると思った。
あのころからずっと、里砂が他人でなくてはならない何かが、自分の中にあったのではないか。
草矢は仕事場の扉に手をかける。もう一度、里砂のいる母屋をふりかえる。