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3・たそがれ浜(8 光貝の星)

 その夜、里砂は久しぶりにすその長い服を着て、細工師の家の自分の部屋にいた。



 両親と里砂の間には、まだ少しわだかまりが残っていた。それは、これからもそこに残って、少しの距離をつくるのかもしれない。そして、その距離を心地よいと感じるようになるのかもしれない。


 けれど今は、潮美も仁矢も、里砂と草矢がここにいることで、欠けていた形が丸くなだらかになったような、理屈では説明できない喜びを感じていた。これを「喜び」と思えることが、ひとつの答えなのかもしれなかった。


 ふたりとも、突然たそがれ浜にやってきた異世界のことは理解できていなかった。けれど、ほとんどわからない話を聞いたあとでも、カイを受け入れたことがあったのだ。そして、それよりずっと前に、浜で迷子になっていたどこの子ともわからない幼子を、自分たちの娘にした。


 里砂と草矢はここにいる。

 


 里砂は、見慣れていたはずの部屋を初めての場所のようにながめた。

 この部屋が牢獄に思えたときもあった。


 でも、あのときだって、部屋が閉ざされていたんじゃなかった。わたしの心の中の「どうして」や「こうでなきゃ」みたいなものが、見えない檻をつくっていたんだ。わたしに一歩踏み出す気持さえあればよかったんだ。


 里砂は、痛む体を伸ばした。


 移送装置の爆発は、起きるべくして起きたのだ。あれを動かす動力が不安定だっただけじゃない。通常の移送手段では、ここからフラムへ行くことはできないはずだったらしい。


 カイのいたところへも、これからは安全に行けるようになるはずだって、あの人たちが言ってた。そしたら、わたしもいつか行ってみたい。わたしは自分の行きたいところへ行ける。そして、行きたい人といっしょに行ける。


 わたしは自由なんだ。


 里砂は、都の石積みを超えて空を飛ぼうとした青年の心が、ほんの少しわかったような気がした。



 草矢は寝台に腰をおろしていた。傷は手当してもらったが、髪は半分焦げて縮れてしまった。あの男に殴られた傷もあらためて診てもらったが、幸いどこも折れたりはしていなかった。肩が自由に動くようになれば、また細工もできるだろう。


 草矢は、星の首飾りを手の上にのせる。


 光貝。


 力場を生み出す塚山の広間は爆発してしまったのだから、たそがれ浜の砂はもう動くことはないだろう。砂の奥深くかくされた光貝のかけらは、そのまま埋もれて忘れられていく。


 草矢には、これは「光貝」としか思えない。


 たそがれ浜の光貝は、やがて見つからなくなるだろう。俺は、細工師のままでいるだろうか。


 草矢は、もう一度東の都へ行きたかった。

 風生はどうしているだろう。あの賊の男は……。


 あの男が、弟を取り戻したがっていたことを思った。悪人なのではなく、ただ不幸な男だったのかもしれない。


 南へ行ったという、大工の一家のことも気にかかっていた。


 手広く仕事をしていた裕福な大工だったなら、今どこで何をしているか知っている者がきっといるはずだ。いなくなった幼女のことを、今も悲しんでいるだろうか。


 けれど、これは里砂が決めることだ。里砂はどうしたいと思っているか……。


 部屋の扉が、わずかに動いた。草矢は顔を上げた。


「兄さん、起きてる?」

 里砂だ。

「起きてる。どうした」

 里砂が入ってきた。頰に擦り傷があり、片腕はひじまで包帯に包まれている。


「傷が痛むのか」

「そうじゃない。わたし……」

 里砂は、ちょっと口ごもった。そして、ただまっすぐに草矢を見た。

「わたし、兄さんに言わなくちゃならないことがある」

 草矢は、星を感じながら手を握りしめ、里砂の黒い瞳を見つめた。


 里砂は、目をそらさなかった。

「……言わなくちゃならないっていうより、わたしが言いたいことがある」

 里砂は、一瞬唇をぎゅっと引き結んだ。


「兄さんが、とても、とても、好きだということ」


 ほっ、と里砂の頰に血がのぼり、里砂は目をふせた。


 私は、夜、男の部屋にひとりでやってきて、こんなことを言っている。


「ごめんなさい。疲れてるのに。ただ、知っていてほしくて。……おやすみなさい」

 扉のほうを向いた里砂の、怪我していないほうの腕を草矢がつかんだ。

「里砂」

 里砂は振り返り、草矢はそっと手を放した。


 何を言っていいのかわからなかった。

 結局何も言わずに、草矢はさっきまで手の中にあった光貝の星を、里砂の首にかけた。


 里砂は、自分の胸元を見つめる。

「……きれい」

 この星は、夢で見たことがあった。


 草矢は、言葉を探した。里砂のように、「言うべきこと」ではなく、「言いたいこと」を探した。


「おまえのために俺がつくったのは、その星だけじゃない」

 草矢は、静かに言った。

「俺は、『里砂のいい兄さん』を自分でつくってた」

 里砂は、片手に光貝の星をのせて、草矢を見ていた。

「それは、里砂のためじゃなかった。俺は、自分のためにそうしていたんだ」

 草矢は小さく息を吸った。

「ずっと自分の気持から逃げていた」

 里砂の目を、じっと見た。

「好きだった。ずっと」


 どうしてこの言葉を自分に禁じていたのだろう。

 口に出してしまうと、それは美しいほど単純な言葉なのだった。



 うす紅色の夜明けだ。

 里砂と草矢は、たそがれ浜を歩いていた。北の崖に、三人の異世界人が乗ってきた乗り物が見える。花の季節によく見る、ひらひらと飛んできては羽を広げたまま休む、あの昆虫のようだ。カイとあの三人は、中でまだ眠っているのだろう。


 里砂は立ち止まって、小さな光貝のかけらを拾った。

「ここは、ほかと同じような、動かない砂の浜になるわね」

「たぶん」

「兄さんは、これからどうするの?」


 草矢はゆうべ、自分でも同じようなことを考えたのだった。あのときは、自分のこの先が見えないように思えた。


 光貝は見つからなくなる。けれど、きらめくものはいつだって胸のうちにある。


 なんでもできる、と草矢は思った。


 草矢は里砂の両肩に手をのせて、向き合った。

「兄さんじゃない。俺は草矢だ」


 里砂は、新しいものを見つけたように草矢を見つめて、微笑んだ。

 防風林の上から最初の朝日が射して、里砂の髪に、胸の星に、光を躍らせた。


 ここは、里砂と草矢が出会った場所。ふたりが新しい世界に触れた場所。


 物語が、ここからはじまる。

『はじまりの場所』はここで終わります。

読み直して、誤字脱字、文法の不備などをチェックし、次からは、この物語の前に起きた出来事である『天にとどく場所』を投稿します。


読んでくださった皆様、ありがとうございました。

お気づきの点があれば、教えていただければ幸いです。

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