1・北の村(4 拾われた子)
里砂が家の中に駆け込むと、父親と兄が振り向いた。母親は、それまでかがみこんでいた床机の上から体を起こした。床机の上には、厚い毛織布にくるまれた人の形があった。
布から見えているのは、その人物の頭だけ。少年だ。黒い髪の。
「司様は? すぐ来てくれるってかい?」
母親の問いにうなずきながら、里砂は少年の横顔を見つめた。
このあたりに住む者は、ほとんどが砂色の髪と海の色の瞳を持っている。里砂のように、髪も瞳も黒い者はたまにしか生まれなかった。先祖の中に、どこかからやってきた黒髪の種族の血がまじり、その種族が絶えてしまった今でも時々彼らの姿を伝える者が生まれる、と言われていた。
村には、黒髪の少年は二人いた。けれど、横たわっているのはそのどちらでもない。
それでも、里砂は少年を知っていた。
里砂には「夢見の力」がある。これから先に出会う物ごとを、ぼんやりした絵のように夢の中で見るのだ。いつ起こることなのかわからないし、それが何かの役に立つということもない。けれど、この少年の顔も、確かにいつかの夢の中で見たと思う。
薬の司が、弟子をひとり連れてやってきた。
「手当ての必要な者がおるとかおらぬとか。里砂の話はまことに要を得ぬので……」
潮美が、まるで紹介でもするように、片手を横たわる少年の方に伸ばした。
「浜に行き倒れていたんです。光貝を探していた里砂が見つけて……。うちの人と草矢が連れて来ました」
弟子は、驚いたように床机の上の少年を見、それから細工師の家族を見た。司のほうは表情を変えず、静かに少年の上の掛け布をとった。
「怪我はない」
しばらく少年の体をあらためて、司が入った。
「何があったのか、ひどく体力が落ちているようだ。強壮剤を調合しよう。まだ若い。助かる見込みもあるだろう」
助かってほしい、と里砂は思った。わたしの夢の中に出てきたのはなぜか、わたしと何かかかわりがあるのか、この少年のことを知りたい。聞いてみたい。
「今は安静が何よりのこと。できれば動かさずにおいてやりたいが……」
司は、尋ねるように間をあけた。
潮美は仁矢の方を見る。仁矢は眉をしかめている。潮美は息をついた。
「やむを得ない事情です。ここで世話してやりますよ」
司がうなずく。
「薬は、あとで届けさせよう」
そのまま長衣をひるがえして扉に向かったので、弟子はあわてて角灯を取り上げて後を追った。
「草矢、おまえの部屋を貸してやっておくれね。ずっとこの入り口の床机に寝かせておくわけにもいくまいから」
潮美がいうと、何か考え事をしていたらしい草矢が、はっとしたようにうなずいた。
「そうするしかないな。俺はしばらく仕事場で寝よう」
家の裏に、細工の仕事をするための屋根の低い建物がある。草矢の背が父親を超えた年、父子で建てたのだ。
草矢は、自分がやっと父親のひじまでの背丈しかなかったころのことを考えていた。あのころは、父親のために光貝を探してたそがれ浜に行くのは草矢の役目だった。
そして、あれも今頃の季節だったのだ。浜辺で泣いている女の子を見つけたのは。あたりにほかの人影はなかった。草矢はその子をおぶって、この家まで連れて帰ったのだった。
一人歩きなどするはずもない幼女だった。村の者は誰もこの子を見たことがなかったし、子どもを連れて旅する者もいなかった。結局、どこから来たかわからないままに、幼女は細工師の家で暮らすことになったのだ。草矢の妹として。
草矢が里砂を見ると、里砂は床机の上の少年を見つめていた。
里砂は、自分がたそがれ浜で拾われた子だということを知っている。その彼女自身が、今度はその浜で少年を「拾った」。この不思議な偶然に興味をひかれるのは当然だ。
里砂も、少年も、よそ者。ふたりとも、いつどうやってたそがれ浜に来たのかわからない。