2・旅(12 風生の回復)
草矢とカイは、風生の箱車を菘の家の前の空き地にもってきた。季節もよく、ふたりは旅の道中そうしていたように、そこで寝起きすることになった。里砂は、菘が使う裏の小部屋に簡単な寝床をつくってもらった。
風生が意識を取り戻したとき、かたわらにいたのは里砂だった。洗って干しておいた包帯を巻いていたのだ。
風生のまぶたが震えたような気がした。里砂は手を止めて彼の顔を見つめた。
風生……?
風生はゆっくり目を開ける。まぶしいものを見たときのように一瞬顔をしかめ、それからまぶたが重いとでもいうように、ゆっくりまばたきした。
「風生!」
里砂は声をあげた。
「菘様! 兄さん! カイ! 風生が……!」
四人が寝台のまわりにひしめくと、風生は笑おうとし、それから痛みに顔をゆがめた。風生の視線は、興味深そうにしばらく菘の上に留まり、次に三人の顔を順に見つめて、里砂の上で止まった。
「やっぱり……里砂だ。……あんなでかい声を出されちゃ……俺だって……いやでも目を覚ます……」
とぎれがちに言って、ゆっくりと笑顔になった。里砂は、涙ぐみながら微笑んだ。
「しゃべらなくていいのよ」
「カザオ、よかった」
カイが震える声で言った。あの護りの鐘の晩以来、本当に安堵したのだった。
「のどが……かわいた」
菘が首をふる。
「明日まで様子を見ます。水はそれから。でも、唇をぬらしてあげましょう」
風生は、はっとしたように目を見開いた。
「あんただ。その声は……俺の……夢に……」
菘は、そっと手を伸ばして風生の額に触れた。
「休息が必要です。眠って。眠って。眠ればかわきも忘れていられます。休めるようにお手伝いしますから。さあ、眠って」
そして、目をつむると、風生の額を揉むように、そっと手のひらを動かした。風生は、せっかく戻ってきた現実世界を名残惜しそうに見つめ、それからまた目を閉じた。
翌朝、里砂が吸い飲みにほんの少しの水を入れて風生のところへ行くと、彼はもう目を開けて待っていた。
「気分、どう?」
里砂が尋ねると、風生は唇を曲げた。笑ったつもりらしかった。
「罪人が死んでから落ちるところの、少し上にいるくらいの気分だ」
里砂は笑った。
「元気そうね」
昨日まであった熱が、今朝はいくぶん下がっている。
「それは水か。小鳥にやるなら十分だろうな」
「今はこれっきりですよ。薬草の煎じ汁が少し入ってるから、ただの水よりかわきが治まるはずだって、菘様が言ってたわ」
「……菘……様、か」
風生はゆっくり繰り返した。夢の中で聞いた声の主の名前を、初めて知った。
刃物で傷ついた内臓に負担をかけないよう、水は少しずつにしないといけないのだ。
里砂は、風生の口もとに吸い飲みを近づけてやる。すると不意に、去年、カイの水薬を用意したときのことを思い出した。
カイが全てのはじまりだったのだ。
里砂は、なんだか辛い気持になった。なぜ辛いのかわからなかった。
風生の唇が吸い飲みの先を押したので、里砂はそれが空になっていたのに気づいた。
「どうしたんだ、家出娘」
里砂は首をふる。
「なんでもない」
風生は、里砂の顔がよく見えるように、少し首を曲げた。
「なんでもないって?」
里砂はうなずく。風生はじっと里砂を見つめて、それから口を開いた。
「変なもんだなあ」
「何が?」
「おまえさんだよ、里砂。長い髪を編んで、裾の長い服を着ていたころより、今のほうが……。なんていったらいいのかわからんが……こんな浮浪児みたいな頭をして、男の子みたいななりをしてるのに、今のほうが『娘』って気がするな。……女っぽくなったっていうか……」
「わたし、女っぽくなんかなりたくない」
声に不満を含ませてそう言った里紗に、風生は首をふった。
「あんたは女なんだから、女っぽくたっていいだろ。『女』ってのは、愚かだってことでも、弱いってことでもないんだぞ。俺は褒めてるんだがなあ。誰かを好きになったおかげかな、え?」
里砂はうつむいた。風生はそれを恥じらいととった。
二、三日して、あの荷車の男が立ち寄った。男は風生の回復をおおいに喜んだ。内心、危ぶんでいたのだ。
風生は、まだ半身を少し起こせる程度だったが、熱もあれからは出ず、里砂たちはやっとひと安心したところだった。
「あのこわっぱのことだが」
男が言って草矢のほうを向いた。
「あんたがやつを捕らえてくれた礼をきちんと言ってなかったと、司様が気にしておられた」
里砂は、目を丸くして草矢を見た。賊のひとり、子どもみたいな若いやつが捕らえられたとは聞いていたが、今の今まで草矢が捕まえたとは知らなかったのだ。
賊の残りは、夏至の祭りの人混みにまぎれて逃げるつもりではないか、それまでどこかにひそんでいるのだろう、と男は言った。
「しかし、ひとりでも捕まったのはよかった。やつらもずいぶん気力をくじかれてるだろう。もっと早いうちに、志願者を募って連中を捕らえるように動くべきだったんだ。物盗りを避けて被害にあわなきゃそれでいい、みたいに考えてちゃだめだった。今じゃやつらも、下手なことはできんとわかったろうさ。あれからは、物盗りの被害は出てないんだ」
草矢は、なんだか居心地が悪かった。
草矢にかわって、カイがうなずいた。
「ソウヤは、小刀なんか目に入らないみたいに、あいつに向かっていったんだ。僕は……僕は、足がすくんで動けなかった」
そう口に出してしまうと、カイの心は少し軽くなった。
この程度の人間が僕なんだ。自分以上のふりなんかしたくないし、できない。
里砂は、恐れと安堵の入り混じったようなまなざしで草矢を見つめていた。ひとつ間違えば、草矢も小刀を体に受けて生死の境をさまよったかもしれない。
カイは、しばらく里砂を見、それからそっと目をそらした。