2・旅(7 鐘が鳴る)
街道を少し北にそれて、川沿いの細い道をたどる。木がまばらに生えた広い林を抜けると、水尾村だった。
水尾村は水路に囲まれた村で、村と外とは頑丈な木の橋だけでつながっている。村の中にもたくさんの堀が通り、あちこちにある小さな橋が通路がわりだから、箱車は乗り入れることができない。よそ者たちは、橋守に許可を求めて林の一角に箱車やまだら毛をとめ、徒歩で村に入ることになる。
「なんとか日暮れに間に合ったなあ」
風生が車から降りながら言った。
「ひとつ前の野営地で、泊まるか進むか迷ったんだが」
まだそれほど暗くはなかったが、橋守の詰所には、もう灯がともされている。
林のあちこちに箱車や荷車が停まって、それらを引いてきたらしいまだら毛がつながれていた。
「みんな、夏至の祭りのためにやってきた、商人や芸人たちだ」
風生は、ぐるりとまわりを見わたした。
「俺は、橋守にことわりを入れてくる。移動することになるかもしれん。草矢、手綱を持っててくれ」
細工師の家でまだら毛を飼ったことはなかったが、草矢は動物と相性がいいらしかった。まだら毛は、今では風生と同じくらい、草矢に世話されるのを喜んでいた。
やがて、風生が戻って来た。
「この場所を使っていいそうだ。どれ、楽にしてやってくれ」
草矢が二頭のまだら毛を箱車の轅からはずしてやる。風生はちょっと息をついて、話を続けた。
「ここまで来ることにして、本当によかったよ。橋守のとこで聞いたんだが、街道で人を襲うやつらがいるらしい。それも、最近になってからってことだ。そうでなけりゃ、これまでにどこかで聞いてたはずだからな。暖かくなると出てくるとは、羽虫みたいなやつらだ」
「襲うって」
カイが、驚いたように尋ねた。
「襲うって、どういうことなんだ」
風生は、箱車の屋根から寝具の包みをおろした。
「物盗りのようだ。やられたほうは、たいてい日が落ちてから街道にいたらしい。あと少しで東の都だと思って、無理して夜まで歩いたんだろう」
北の村の周囲とは大違いだ、と里砂は思った。
あそこでは、昼間でも街道で誰かに出会うことはほとんどなかった。
わたしは、街道を夜ひとりで歩いたんだ。何も知らなかったから。……もしかしたら、ずいぶん無鉄砲なことをしたのかしら。
それから、考え直した。
ほとんど人の通らない街道で物盗りをする人もいないんじゃないか。だから、風生も、あそこでは夜の街道を旅することにしたんだ。風生の言ったとおり、人が増えれば中にはそうい人もいるのか……。
「そんな、物盗りなんて、誰がするの」
里砂は、包みを受け取りながら聞いた。
「わからん。七人くらいの集団だとか言ってたが。まあ、こんなふうに人が集まっているところには、そういうやつらはやって来ないよ。心配はいらん」
風生は里砂に笑顔を見せた。
その夜遅く、里砂は何かに頭を揺さぶられたような気がして、目を覚ました。
なんだろう。
空気を震わせて、高い音が響いてくる。
誰かが跳ね起きた。
「護りの鐘だ!」
風生の声だった。
護りの鐘!
里砂が、巻きつけた掛け布から抜け出そうとしていると、草矢が風生を追ってまだら毛のほうへ向かうのが見えた。
「カイ! 護りの鐘よ!」
眠りの深いカイは、ゆすぶられてはっとしたように体を起こした。
あちこちから人が集まってくる。村から走って来る人々が、橋の板を踏みならす音が響いた。鐘の音は、相変わらず叫びのように続いている。
「西の野営地か?」
「賊か?」
「急げ!」
すでに、荷車で道に出た者がいる。風生はまだら毛の一頭に飛び乗った。ためらいも見せず、草矢はもう一頭にまたがった。
「僕も!」
カイが叫んだ。飛び出そうとしていた草矢が、一瞬止まって振り向いた。
「うしろに乗れ!」
「わたしは?!」
里砂は、目を見開いて叫んだ。
「箱車をみてろ!」
草矢は肩越しに叫び返した。
里砂は道に駆け出し、走り去る影を見送った。すぐ横をかすめて、男たちを大勢乗せた荷車が、がらがら通り過ぎて行く。村から出てきた女たちが、橋のたもとにかたまっていた。
鐘の音が間遠に、かすかになり、やがて消えた。
「大丈夫、大丈夫だよ」
里砂のとなりにいた太った女が、自分に言い聞かせるようにうなずく。
女は、里砂のほうを見てうなずき、ちょっと乱暴に肩をたたいた。
「西の野営地は近い。これまでだって、なにもなかった。大丈夫だよ」
里砂は、両手をぎゅっと握りしめて、次々と道に出て行く人々を見つめていた。
西の野営地。風生が泊まろうか迷ったというところ。
時間がのろのろと過ぎて行く。里砂は、箱車の周囲を歩きまわり、腰をおろしては立ち上がり、西のほうを仰ぎ見た。もう聞こえない鐘の音が、空気の中にこごっているような気がした。
最初のひづめの音が聞こえた。
道に走り出ると、同じ思いをしていたらしい女たちが、ばらばらと飛び出して来るところだった。
「どうだった?」
さっきの太った女が、ひづめの音の主に呼びかける。まだら毛に乗っていた男は、ぐったりした様子で地面に降りた。
「……ひどいことになった。野営地で鐘を鳴らした商人は殺された。……殺されたんだぜ。ちくしょう。人の命が……」
男は声を詰まらせた。
最初に起こったざわめきが、しんと止んだ。
「俺たちの中にも、怪我人が出た」
怪我人? 怪我人だって?
ざわめきが、また漣のように広がる。
「商人が殺された? 護りの鐘のある野営地で?」
太った女は、嘘であってくれというように、声をひそめて男に聞き返した。
「やった連中は、鐘の音で本当に人が集まって来るなんて、信じてなかったらしい。幸いこれまで鐘を役立てなきゃならんようなことはなかったし……あいつらは、きっとなにも信じたりしないんだ。だから、先に着いた者が、賊と出くわすことになったんだ。やつら、刃物を持ってて……」
先に着いた者?
里砂の胸の中に、ぞっとする冷たいしこりができた。林の中で野営していた者たちは、村の人々より先に出て行ったのだ。
「賊のひとりはつかまった。子どもみたいに若いやつだ。誰か、則の司様のところへ知らせてくれ。あとからそいつを連れて来る者がいるから」
人垣のうしろのほうで、何人かが駈け出す気配がした。
「若いやつだって?」
尋ねる声に、男はうなずいた。
「そうだ。街道で物盗りをしていた連中のひとりだ。あいつら、遊びのような気持で悪いことをするんだ。……悪いことにだって、やり方ってもんがあるだろうに!」
男は語気を強めた。
「……ちくしょう。こんなことになるとは……」
遠くから、荷車の音が聞こえた。
荷車には、怪我をした者が乗っていた。数は多くない。
それが、風生でもカイでも草矢でもないのを確かめて、里砂はほっとため息をついた。
三人とも無事なんだ。待っていれば帰って来るんだ。




