2・旅(6 護りの鐘)
白葉の郷から東南に下るにつれて、道は広く、歩きやすくなり、行き合う旅人の数も多くなった。街道にいる者は旅人なのが当たり前で、里砂たちも、毎日が旅の連続であることに慣れてきていた。
街道に沿って、ところどころに木を切り倒して草を刈った円形の空き地がある。そういう場所の真ん中には井戸と、細い塔があった。空き地の周囲には、松明を燃やす台がつくってある。
「人が多くなると、それだけ人間の種類も増える。つまり、中には良からぬことを考えるやつもいるってことだ。旅人や商人を襲って金品を奪うようなやつらだな。だから、大きな街道には、こういう野営地が作ってあるもんなんだ。旅人たちも、集まって夜を過ごすほうが安心だしな。それに、万一の場合に備えてあれがある」
風生は、井戸の横の細い塔をさした。
「あれは鐘楼なんだ。何かあったらあそこへとんでって、中の綱を引く。上には、小さいわりによく音の響く鐘があるんだ。そして、その音の聞こえるところにいた者は、何をさておいても駆けつけることになってる。これは、大きな街道を旅する者にとって、一番大事な掟だ」
「カザオは、鐘が鳴るのを聞いたことがあるの?」
カイが聞くと、風生はにやりと笑った。
「一度な。そのときは、旅慣れてない寝ぼけたおっさんが、なんでもない林の物音に怯えただけだった」
「風生は、何をさておいても駆けつけたの?」
里砂が尋ねる。
「俺だけじゃない。鐘の音を聞いた者はみんな来た。空耳だろうが、寝ぼけたおっさんだろうが、とにかくなんでも駆けつけるんだ。どうもなけりゃ、無事を喜んでめでたしめでたしってことさ」
風生は笑う。
「襲うほうにしてみりゃ、わざわざ鳴らす鐘のあるところへは来やしない。鐘の本当の意味はそれなんだ。急を知らせるってよりも、旅人を安心させてくれるってことなんだ。みんなは『護りの鐘』って呼んでる」
里砂は塔を見上げた。
風生はこともなげに言うけど、旅をするというのは、危険の隣を歩くということなのだ。
「東の都の夏至の祭りまであと十日だ。これは一番の稼ぎどきで、絶対逃すわけにいかん」
野営地の焚き火を囲んでいるとき、風生が三人を見まわした。
「待ちきれんだろ、カイ」
カイは、はっとしたように顔を上げた。
「なんだ、ぼんやりして。疲れたか?」
「ああ。……いや」
カイは、頭をふった。
頭の中の違和感を、久しぶりに感じたのだ。そんなもののことは忘れかけていたから、初めてのときのようにとまどってしまった。里砂の心配そうな視線に気づいて、カイは微笑んでみせた。
「なんでもない。……前に言ったろ。何かが僕の中にいるような感じ。……声が聞こえたような気がしたんだ」
「声が?」
「うん。『一ノ長』って」
「一の長?」
「なんだ、それ」
里砂と風生が顔を見合わせる。
「『長』というのは、『司』のようなことじゃないか」
草矢が言う。
「そんなら、『一の長』なら『則の司』みたいな意味かしら」
里紗が言う。
「何にせよ、おまえさんが知ってる事柄じゃないわけだ」
風生が、カイのほうを見た。
「不思議な力を持つ人たちのことは信じるが、俺には全然そういう力はないし、なにをどう感じてどうなるもんかさっぱりわからん。なにも役に立つことは言ってやれそうもないなあ」
「僕にだって、不思議な力があるわけじゃない……と思うよ。前にはこんなこと全然なかった。僕じゃなくて……たぶん、この世界に、なにかあるんじゃないかと思うんだ」
頭の中の声は、もう聞こえない。けれども、その存在感は残っている。
「この世界といったって、ここの誰もが見えないものを見たり、聞こえないものを聞いたりできるわけじゃない。俺みたいに、そういうこととは縁のない者のほうがずっと多いのさ」
風生が難しい顔をした。
カイは、話を切り替えるように笑顔をつくった。
考えてもわからないことなら、しばらくお預けにしておくよりほかない。
「とにかく、東の都だ。あと十日だって?」
「いや、それは祭りの話だ。実際は、その二日前には着いていたい」
もう単なる地名ではなく、「東の都」というのが、実際にたどり着ける場所として近づいて来たのだ。
この地面は、北の村にも東の都にもつながっている。この空も、カイが来たという星につながっているのだろうか。
里砂は思った。
それならば、箱車で街道を行くように、星々の間を旅する人もいるのだろうか。




