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2・旅(3 白葉の郷・1)

 いくつかの集落を通り抜けて、北方で一番大きな街、白葉しろばさとに入ったときから、里砂は目を丸くしっぱなしだった。風生は、この街の春告はるつげ祭りを目当てにやって来たのだ。


 広い通り、大勢の人、並ぶ出店……

 何もかも、里砂には初めてだった。


 あちこちに、銀灰色の樹皮を持つすらりとした木が植わっていた。白い、小さな花が咲きはじめている。

「白葉の木だ」

 風生が言った。

「花が終わると、細い小舟の形をした葉が出はじめる。表は灰色がかった緑だが、裏は粉をふったように白い。風にあおられていっぱいに繁った葉がひらめくと、その白が光るようだ。みごとだぜ」


 箱車は、間口の広い三階建ての建物の前に止まった。

「春告げ祭りのときは、いつもここに泊まるんだ」

 風生の言葉を聞いて、里砂は目だけでなく口も丸く開けた。

 ここは宿屋だ。宿屋に泊まるんですって。


 北の村にも、南の村にも、宿屋は一軒もない。条件次第で旅人を泊める家はあるけれど、それが商売として成り立つほどの旅人が来ることもなかったのだ。

「どうした、里砂。宿屋だって、そのへんの家とたいして変わらんよ。ましてやここは、いわゆる商人宿だ。俺たちみたいな渡り人や、今度の祭りに店を出す露天商人なんかが泊まる安宿なのさ。祭りを見るためだけにやってくる、近くの大きな農園主なんかが泊まるお客様用の宿なんか見たら、おまえさんの目玉は見開きすぎて落っこちちまうな」

 風生がからかうように言った。

「祭りは明日の晩からだ。今夜は何日ぶりかでまともな屋根の下だぞ。よく眠っとけよ。明日から三日、忙しくなる」


 草矢が白葉の郷に入ったときは、祭りは二日目の夜で、木々にはあかりの灯った提灯が光の果実のように下がり、通りも広場も人であふれていた。草矢は、この郷の祭りの間に風生に追いつくつもりで、道中を急いできたのだ。

 草矢にとっても、大きな街は初めてだった。実際に目にする物事は、書物を読み、教えられて、頭の中にちゃんとあったはずの「知識」などかすむほどに鮮やかだった。


 あの、北の村の祭りの晩に思いがけず則の司と語り合うことになるまで、草矢は知識というものについてろくに考えてはいなかった。細工をするための技術や、暮らしていくのに必要なことは、いつの間にか身についている。それで十分なはずなのに、なぜ、なにかを不思議だと思い、その不思議のわけを知りたくなるのか。それは生活に必要ない、役に立たない「知識」なのではないか。


 それでも、祭りよりも前に、草矢は里砂に言ったことがあったのだ。

 役に立たないものだってあっていい。俺がつくる細工物だって生きていくのに必要なものじゃない。


「白葉の郷」という名前を知っていることと、葉の裏が白くなるという美しい木の姿を目の前で見、その樹皮に触れ、近づくとかすかにさわやかな香りのする小さい花に顔を寄せることは、まるきり別物だった。白葉の木は美しかった。それがなにかの役に立つというわけではないけれど。


 街道を歩いているうちに、草矢は、これは自分のための旅だ、と思うようになっていた。


 狭い北の村では、草矢はどこへ行っても「細工師の家の草矢」だった。今、この郷の人ごみの中に一粒の砂のように紛れていく感覚は、不安と同時に不思議な心地よさがあった。


 道に沿って小さな露店はたくさん出ていたが、箱車のような大きなものはなかった。疲れてはいても、あれを見落としはしなかったと思う。

 風生がいるなら、広いところだろう。人々の流れは、広場へ向かっている。


「兄さん」


 あえぐような声が聞こえたと思った。

 立ち止まった草矢に、うしろの男がぶつかって悪態をついた。


 里砂?


 草矢はまわりを見まわす。

 里砂のような黒髪の娘はどこにも見えない。空耳だったのか、それにしても……。


 たくさんの人が歩いていく。露店のあかりを人の影がさえぎり、通り過ぎればまたあかるみ、光と影と人々が、交差しては右に左にちらちらと動いた。


 おびえとも安堵ともつかない表情で目を見開いている少年に気づいたのは、そのときだった。

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