1・北の村(28 里砂がいない)
誰かが乱暴に扉をたたいている。
なんてやつだ、こんな時間に。まだ真夜中だ。
風生は寝台に半身を起こした。月見ばあさんが自分の部屋で起き出す気配がする。風生は手早く上着をひっかけ、廊下に出た。
「俺が出る。いったい誰だ。まったく何があったんだか……」
不安そうに扉を見ていた月見ばあさんは、ホッとした表情で風生に場所をゆずった。
「今開ける! 扉を壊すつもりかね! その前に名前くらい名乗ったらどうだ?」
風生が大声をあげると、表の人物は、やっと扉をたたくのをやめた。
「細工師の仁矢だ。里砂を探してる」
仁矢? いったいどうした? いつもの彼なら、こんなとんでもないふるまいはしない。頑固なまでに、ひとに迷惑をかけるのを嫌う男だ。里砂を探してると言ったか……。
風生は扉のかんぬきを開けた。老け込んだ様子の仁矢が目ばかり光らせて立っていた。半歩下がった暗がりにいるのは草矢だ。
「どうしたんだ。里砂になにかあったのか」
「いなくなった。中を見せてくれ」
仁矢はわきをすりぬけようとしたが、風生はぐい、とその肩をつかんだ。
「ちょっと待ってくれ。あんたらしくもないな。俺や月見ばあさんに知られずに、里砂がこの家に入れるはずはないだろう。俺たちが里砂をここに隠して、それを黙ってるっていうのか?」
仁矢は、しばらくの間黙っていた。
「いや、そうじゃない。すまなかった。しかし、探させてもらうわけにはいかんだろうか。そうすれば、わしの気がすむ」
風生は、月見ばあさんを振り返った。彼女は、厚い上掛けをぴったり体に巻きつけて、うなずいた。
「わかった。でも、早いとこやってくれ。俺も明日……もう今日か? とにかく、出発するんだし、まだひと眠りしておきたいんでね」
ひととおり家の中を見て、仁矢は風生に言った。
「あいつはどこだ?」
「カイか?」
風生は聞き返す。
「カイなら、納屋だ」
仁矢は顔を真っ赤にした。
「あいつが里砂を隠してるに違いないんだ!」
「なら結構じゃないか。納屋で里砂が見つかるってわけだ」
「納屋を開けてくれ」
風生は肩をすくめた。
納屋まで歩きながら、風生は草矢にささやいた。
「どうもよくわからん。なぜまた里砂がいないなんてことになったんだ。……ひょっとして、例のことか。南の村の……」
草矢は黙ってうなずいた。
「つまり、里砂は逃げ出したってわけだ」
風生の言葉に、草矢は唇をかんだ。
里砂は、昨日の午後、叔父に連れられて南の村へ行くはずだった。けれど、風生の出発が明日の朝だということがわかって、せめて一日延ばしてほしいと言った。
里砂にとって、カイを見送るというのは、それほど大事なことだったのだ。たとえ言葉がかわせなくても、姿を見せて、そしてできれば微笑んで、里砂なりの「大丈夫」を伝えたかったのだと草矢は思う。
仁矢は、カイと里砂を会わせるつもりはなく、叔父のほうも、北の村に長居をするわけにはいかない、と言った。足の悪い自分の母親に、妻と子どもの世話を頼んできたからだ。そして、その母親と妻はどうも折り合いがよくない。
だめだと言われたときの、里砂の思いつめたまなざし。
あのときに気づいてやればよかった。あんな目をしたまま、ひとりで部屋に行かせるのではなかった。
風生は、納屋の厚い木の扉をたたいた。
「おうい、カイ、起きてくれ!」
草矢たちを振り返って苦笑する。
「この納屋は、中からもかんぬきがかかるんだ。月見ばあさんが親戚を泊めることもあるんでね。カイみたいに、一度寝たら容易なことじゃ起きないやつがいるときはかえって不便だよ。まあ、若い頃って、よく寝るもんだ。おうい、カイ!」
眠そうな顔をして出てきたカイは、草矢と仁矢を見て目をみはった。
これが演技なら、たいしたものだ。
「どけ!」
仁矢が、カイを押しのけて中に入った。カイはびっくりした顔のまま、仁矢の背中と、草矢、風生を順に見た。
「里砂がいなくなったそうだ。おまえさん、まさか知らんだろうな」
風生が言うと、カイはつぶやくようにその言葉を繰り返した。
「リサがいなくなった?」
それから、何度か瞬いて、口を開いた。
「リサがいないって、どういうことなんだ?」
風生は、納屋の中を歩きまわっている仁矢のほうを見た。
「仁矢が、里砂を南の村に行かせることにしたんだ。……まあ、ただ行くだけじゃすまない事情もあるがな。とにかく、里砂は、黙っていいなりにはならないと決めたらしい」
カイは、しばらく仁矢を見つめた。
「それじゃ、リサはどこにいるんだ?」
風生は、カイの目をのぞきこんだ。
「おまえさん、本当に何も知らないんだな?」
「僕?……僕は、あの日からリサに会ってない……」
仁矢は、箱車を開けようとしていた。風生があわてて駆けよる。
「そりゃ商売道具だ。俺が開ける」
カイは、草矢と向き合った。
「リサはここにはいないよ。どこにいるか、僕には見当もつかない」
草矢はうなずいた。カイが嘘をついていないことは、すぐわかった。
「気がすんだかい」
風生が、箱車の扉を閉めた。仁矢は足もとに目を落として戸口のほうへ歩いてくる。
カイは、思わず一歩踏み出した。
「僕も探します」
仁矢は、カイの顔を挑むようににらんだ。風生は、カイの肩にそっと手を置いた。
「かまわんでくれ」
仁矢は、苦々しげに言った。
里砂がいなくなったのは、もとはといえばこいつのせいなんだ。
「里砂は、南の村へ嫁にやることに決めたんだ。それがあの子のためだからな」
カイがなにか言う前に、肩の上の風生の手に、少しばかり力が加わった。
仁矢は、風生のほうを向いた。
「今はいなくても、あとで来るかもしれん。わしは表で待つ」
風生は、やれやれというようにため息をついた。
「まだまだ寒いぜ。母屋に来い。茶でもいれよう。台所の窓からでも、納屋の扉は見える」
仁矢は、不意に気弱なそぶりを見せた。
「いや……。あんたに迷惑かけちゃ申し訳ない」
風生は笑った。
「まだかけてないつもりだったのかい。今さらなにを言う」
出て行く三人を見送りながら、カイは自分の上衣に手をのばしていた。誰がなんと言おうと、里砂を探しに行くつもりだった。