表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
29/70

1・北の村(26 仁矢の思惑)

 家に帰ると、思いがけないことに南の村の叔父が来ていた。潮美の末の弟だ。

 叔父のたつきと仁矢は、卓について、来客のときしか出てこない蜜酒を飲んでいた。炉のへりにすわっていた里砂が、顔を上げて草矢を見た。


「草矢か。どこへ行ってた」

 仁矢は、樹の前でことさら父親風を吹かせるような言い方をした。

「草矢の年頃じゃ、どこへだって行くところはあるさ」

 樹が、とりなすように言った。


「いらっしゃい、叔父さん。でも、この時期に来るとは思ってなかった。何か変わったことでも?」

 叔父は、仁矢と視線を交わした。

「そうだな、変わったことというか、うちのに二人目ができたんだ」

 草矢は微笑んだ。

「ああ、そういうことならよかった」

「つわりがひどくてね。まあ、一人目のときもけっこう辛がって、家の中のことも何もできなかったから俺も大変だったんだが、そういうこともしばらくたてば忘れちまうものなんだなあ。二人目は嬉しいけど、またあのときみたいに苦労するのかって今さら思い出して」

「せっかくの授かりものに、そういうことを言っちゃいけない」

 叔父の言葉に、仁矢が軽くたしなめるような言い方をした。


 叔父が、ちょっと肩をすくめて苦笑した。

「そりゃそうだ。でも、今度は上の子がいるだろう。むつきもとれたばかりで、まだときどき失敗だってする。青い顔してふらふらしてる女房に、子どもの世話と家のことをやらせるなんて無理なんだ。それでな」

 ちょっと言葉を切る。

「里砂に手伝いに来てもらえないかと思ってなあ」


 里砂に?


 草矢の頭の中で、さっき風生から聞いた「うわさ」と、叔父の言葉が、かちりとはまりあった。


「里砂を南の村へ連れて行くってことか?」

「そうさ。しばらく家の切り盛りをしてもらえたら助かる」

 台所から、潮美がつまみ物をのせた皿を持って入ってきた。

「里砂で役に立つなら、こっちもうれしいよ」


 草矢は里砂を見た。里砂は、黙って針を運んでいる。


「細工師の息子のことは?」

 草矢は、里砂を見つめたまま言った。里砂の針が止まった。

 その場に一瞬沈黙が落ちた。


「なんのことだ」

 ようやく仁矢が言った。

 なんの準備も考えもないまま、こんなふうに言葉を放り出すことになってしまって、草矢はあとへは引けない気持で仁矢に向き直った。

「今夜、うわさを聞いたんだ。父さんが、南の村の細工師の息子と里砂の縁組のことで使いを出したって」


 里砂が息をのむ気配がした。


「父さん、里砂を南の村へやるのはそのためか」

 潮美は目を伏せた。仁矢は草矢をにらみつけたが、それしかできなかった。こんな不意の問いかけに嘘がつけるほど器用ではなかった。


 叔父は、ちょっとあわてたように言った。

「でも、うちのやつのことは本当なんだ。里砂に手伝いを頼みたいってことも。……それで、しばらくうちにいる間に、あっちの細工師の息子と出会うこともあるさ。俺たちとは親しくしてるんだから」

 誰も何も言わなかった。叔父も、気まずそうに口をつぐんだ。


「わしらは、里砂のためを思っているんだ」

 しばらくして、仁矢が低い声で言った。

 草矢は、里砂のほうを見た。里砂は、つややかな黒髪をふって、きっぱりと言った。

「なにがわたしのためになるか、わたしは自分で考える……」

「生意気を言うな!」

 仁矢がどなった。

「年長の者の言葉を敬うことも知らんで、おまえは『自分』ばかり言いおる! ひとりで大きくなったつもりでいるのか! おまえのことを一番心配しているのはわしらだということが、なぜわからん!」


 里砂は、今度はゆっくりと首をふった。潮美がそっと里砂に近づいたが、里砂は立ち上がると、身をひるがえして部屋に駆け込んでしまった。


 仁矢は、今度は草矢に向かった。

「おまえもおまえだ! なぜ黙っていられなかった! あとで、わしらだけになったときに言うこともできただろうに」


 言うしかなかったんだ、と草矢は思った。

 里砂のことを、里砂を抜きにして話すことなど……。


 そう思ってから、これは冬のはじめにカイがしたことに似ている、と思った。カイがこの村に留まることを、まるでカイ自身はそこにいないかのように、司の弟子と仁矢が話していたとき。

「ソウヤに聞かなきゃだめなんです」とカイは言った。


 カイの存在によって、里砂だけでなく自分の中にも目覚めたものがある、と草矢は思った。


「里砂は、父さんたちがどうお膳立てしたって、心を変えやしないだろう。父さんにはどうしてわからない……」

「そういうおまえになにがわかる!」

 仁矢は乱暴にさえぎった。草矢はしばらく言葉を探す。

「里砂を不幸にしたくない」

「好き勝手をさせたって幸福にはならん。わしだって、里砂を不幸にしたくないから考えたんだ!」

 それは、父親なりの真実だったろう。


 それでも、なにかが間違っていると思う。誰もが幸福を願っているのに、今はみんな不幸な思いを抱えている。





評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ