1・北の村(20 カイの決断)
カイが雪を払いながら入ってきたとき、里砂は炉の前で衣類のほころびをつくろっていた。
「リサひとり?」
カイはあたりを見まわして言った。仁矢と草矢が仕事場だということはわかっている。
「母さん、屋根裏よ。冬の間に一年分の布を織ってしまうの」
機織台をもう一台おく場所はなく、潮美はひとりでこの仕事にかかる。里砂はその分家の中の用事を任されている。
「風生のところの手伝いはもう終わったの?」
カイは、このごろ風生のところへ手伝いに行っている。まだら毛の世話や商品の目録作りなど、春に出かけるときのためにやることはたくさんあり、なにより風生と何かをするのが楽しそうだ。
「うん。その、カザオとのことで、ちょっと話があったんだ」
「なあに?」
里砂は、糸の先に玉結びをつくりながら言った。
カイは、黒い瞳を熱心に輝かせながら里砂を見た。
「いろんなところに行って、いろんなものを見ているカザオでも、移送装置のことは知らないんだ。でも、東の都のことは教えてもらった」
カイは、その先をどう続けようか迷うように、ちょっと言葉を切った。
「則の司様に会ったとき、僕は初めて東の都のことを聞いたんだ。あのとき、司様は頭の中に映った、と言ったけど……」
「司様の不思議な力のことは、時々聞くわ。司様が頭の中に見たことは本当になるって」
里砂は、自分の夢見のことを考えながら言った。
「……あのとき、僕自身も妙な感じがしたんだ。誰かが、僕を東の都へ行かせたがっているような、誰かの意思が僕の中に割り込んできたような感じ」
「あなたにも、不思議な力があるの?」
里砂が、無邪気に聞いた。カイは首をふる。
「違うんだ。ここに来る前……自分の世界にいたころは、そんなことはなかった。学校には超能力開発クラスがあったけど、僕はまったく能力がなかったんで、そのクラスに選抜もされなかった」
里砂は、話の内容はわからないまま、とにかく聞いた。
「考えてみると、ソウヤの部屋で気がついた、あの一番最初のときにも似たような感じがあったんだ」
カイは、ぎゅっと眉を寄せて、あのときのことを思い出す。
「ここだ、と思ったんだ。……いや、僕が思ったんじゃない。あのとき僕は、自分がどこにいてどうなってるかなんて、全然わからなかった。だけど、僕の中の何かが『ここだ』と思ってほっとしているみたいな……どう言ったらいいかわからないけど」
自分の中にあるらしいその意思を、いつも感じているわけではない。わからないけれど、ただその何かが「いる」と思う。
「言葉のこともある。全く違う世界に来たはずなのに、僕はここの言葉がわかった。……確かに、共通点はあるんだと思う。でも、最初聞いたときはわからなかった。それからすぐ、なにかのスイッチが入ったみたいに理解できるようになった」
里砂は、地域や世界によって言葉が変わるとは思ってもみなかった。
言葉なんて、いつのまにか誰でも同じようにしゃべっているものなんじゃないの? 「すいっち」ってなに?
カイは、里砂のそういうとまどいには気づかずに話を続けた。
「カザオにこのことを話したら、不思議な力を持つ人は時々いるって言ってた。そして、ここの司様の力は『けっこう本物だぜ』って」
里砂は、ちょっと笑った。司様に対して「けっこう本物だぜ」という評価は初めて聞いた。
「カザオは東の都のことはよく知ってるんだね。それこそ『けっこう詳しいんだぜ』ってくらいには。毎年、都の夏至の祭りに店を出すそうだから」
「聞いたことがあるわ、夏至の祭りの話」
話に聞くだけでも、にぎやかな祭りらしかった。
「僕も、東の都に行くつもりなんだ」
カイが、身を乗り出した。
「わからないことはたくさんあるけど、僕がここに来たことの鍵は、東の都にあるかもしれないと思うんだ。司様の言ったこともだけど……僕の中の、なにかの『意志』も、東の都に行くことを望んでいるんだ……」
里砂は、手をとめてカイを見つめた。
「春になってカザオが旅立つとき、僕もいっしょに行こうと思う」
春。
里砂の胸がぎゅっと痛んだ。確かに、司からは「カイを春までおいてやってくれ」と言われていた。けれども、すでに村である程度の時間を過ごし、祭りを介して彼がなんとなく受け入れられている今、カイがこのまま村にいるのがあたり前のように思いはじめていた。
「カザオは、僕が道連れになるのを喜んでくれてるよ。だいたい、彼の方から言い出してくれたんだ」
カイは、熱心に話している。
「もちろん、ここの『父さん』と『母さん』やソウヤ、それに司様にもきちんと話すつもりだけど……」
里砂は、ゆっくりと縫い物をわきに置いた。
好きならどこにも行かせなきゃいい。紗菜はそう言った。
わたしはカイを好きよね? でも……
行かせないなんてできない。カイは自由だ。もといた世界へ帰る術があるなら、彼はいつでも帰っていいのだ。
里砂は立ち上がる。
「お茶をいれるわ」
平静な声に聞こえたらいいけど、と思った。
夕食の後、カイは、春に風生と出発するつもりだということを話した。
食卓には、しばらく沈黙がおりた。
「まあ、そりゃ……」
潮美がゆっくりと口を開いた。
「風生と行くってのは、悪い考えじゃないよ。寂しくはなるけど……」
「どのみち、ずっと草矢の部屋にはいられまい」
仁矢の声には、少しばかりほっとしたような響きがある。春になったら、カイのことについて司に伺いをたてなくてはならないと思っていたのだ。カイ本人が自分の身のふり方を決めてくれるなら、そのほうがいい。
「だけど、東の都に行けばもとのところに戻れると決まったものでもないんだろう?」
潮美が尋ねると、カイはうなずいた。
「そんなら、ずっと都にいるつもりかい?」
「わからないんです。とにかく、行ってみないことには」
潮美は微笑んだ。
「あたしの言いたいのはね、都にしばらくいても見込みがなさそうなら、またここに戻ってくればいいってことなんだよ。風生は商売しながら旅するんだから、都で探し物をしてていっしょに出発できなくたって、それからでもきっと追いつけるよ」
カイは、とまどったような表情をうかべた。
「だから、だめなら風生といっしょにこの村に帰っておいで。みんな歓迎するよ。そして、そうしたければ、次の春にまた風生と出かけたらいいよ」
里砂は、カイの顔を見た。カイはちょっとうつむいて、微笑んだ。
「ありがとう。本当に。できればそうさせてもらいます。……でも、どうなるか見当もつかなくて」
「司様の夢や、その、なんだ、奇妙な「感じ」とやらでは、あんまり頼りになりそうもないな」
不思議な力のことをあまり評価していない仁矢が、無遠慮に言う。
「則の司様がいいかげんなことを言うもんですか」
潮美がそう言って、念を押すようにカイを見た。
「なんにしても、ここが自分の家みたいなつもりでいてくれていいんだからね」
里砂は、卓の上で組んだ自分の指を見ていた。
母さんがうらやましい。思ったことをそのとおりに口に出せる。察してほしがったり、言葉に裏をつけたりしない。いつでもみんなこんなふうなら、物事はもっと簡単に運ぶのかしら。
もしわたしが、カイに、行かないで、って言ったとしたら?
でも、わたしは言いっこない。カイにいてほしいのと同じくらい、カイには思い通りにしてほしいんだもの。わたしはカイの中に、自由を見つけたんだもの。わたしの思いを見つけたんだもの。
「春に出かけるってことになれば、いろいろ用意がいるね。風生はいい人だけどあんな男だから、細かい世話まで焼いちゃくれないよ」
潮美が、少し声を明るくして言った。




