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1・北の村(19 草矢)

 祭りが終わると、冬は急激にその本領を発揮しはじめた。


 祭りの晩以来、里砂はほぼ前の明るい里砂にもどった。「ほぼ」というのは、ときどき何か考えるように黙り込むことがあったからだ。けれど、それは「沈んでいる」とか「悩んでいる」というのではなく、まさに「考えている」という様子だった。それは悪いことではないように、草矢は感じていた。

 そして、以前のように、あるいはそれ以上にカイと親しくなったような気が、草矢はする。それがいいことか悪いことかは、わからない。


 祭りの日までに仕上げようとして、結局あと少しでできあがらなかった首飾りを、草矢は作業台の引き出しにしまった。里砂にやろうと思っていたそれは、黒鉄の木を丸く磨いた小さな玉を連ね、先に光貝の星が下がっていた。

 できあがらなくてよかったのかもしれない。完成しても、里砂になんと言って渡せばいいかわからなかった。


 いとこたちが帰ったあと、里砂が草矢に言った。

「紗菜が、兄さんと結婚してもいいようなこと、言ってたわよ。兄さん、紗菜に何か言ったの?」


 紗菜と結婚?


 草矢は思わず笑ってしまった。

「それじゃ、紗菜の勝手な思い込みね。よかった。そんなら、兄さんに憧れてる女の子がたくさんいるって本当? そして、兄さんはその子たちにつれないんですって?」


 なんてまっすぐな物言いをするんだ。


 里砂のこういう言い方と、カイの言い方は似ている……。


「紗菜はね……」

 里砂が、ちょっとおびえたような、まじめな顔で草矢を見た。

「兄さんが、誰かとちょっと遊んだって不思議はないって言うの。そういうものだって」

 草矢が里砂を見返すと、里砂はわずかに目をそらした。

「兄さん、祭りの晩、どこにいたの?」

「祭りの晩?」

 草矢は聞き返し、それから微笑んだ。

「俺は、館の書庫にいたんだ」

「館の書庫?」

 里砂は、小さい子が意外なものを見たときのように、目を丸くした。


 館の書庫は学問所に中にあって、館の中で許可を求めずに入っていい場所のひとつだった。

 体を動かすのも踊るのも嫌いではないが、どちらかといえば大勢でいるよりひとりの方がいい。いとこたちにつきあったあと、草矢はひとりで雪を踏んで、中庭から書庫の扉を開けたのだ。そこで書物の香りに包まれ、興味を持った一冊を取り出して広げているときに、思いがけないことに則の司がやってきた。司も草矢を見て驚いた様子だった。


「祭りの晩に、学問かな?」

 草矢は、なんとなくバツの悪さを感じながら首をふった。

「学問というのではないです。ただ、たそがれ浜のことをもっと知りたいと思って」

「たそがれ浜?」

「近くで暮らしていながら、俺はあの浜のことを知らない。知らないことがたくさんあると気づいたんです。どうしてあそこの砂は動くのか……」

 そのことと、突然現れるよそ者と、何か関係があるのだろうか。


 司は、面白そうな目をした。

「あのよそ者の少年のことからかな、そう思ったのは」

「ええ」


 それと、里砂だ。俺にとって、里砂が最初の「よそ者」だった。


 司は近づいてきて、草矢の読んでいる書物をのぞきこんだ。

「おまえのそういう問いに対して、助けになるような書物はここにはないだろう。私自身も、あまり力になれそうもないな。浜については、たぶんおまえの方が私より知っているのではないかな」


 司は、里砂やカイと同じ黒い目で草矢を見つめた。

「おまえは、腕のいい細工師になるだろうが、賢い司にもなれるかもしれない。それを考えたことはあるかな?」

「いいえ」

 草矢は心底驚いて、きっぱり答えた。自分は父親と同じ細工師になるのだ。「司」という言葉が自分に関わるなど、考えたこともなかった。


「うむ」

 司は、しばらく草矢を見つめて、うなずいた。

「おまえが時々書庫に来るのは知っていた。おおかたの者は、ここへ通うのをやめたときに、学問も終えたつもりになるものだが」

 草矢は、丁寧に書物を閉じた。

「司様は、何かここに用がおありだったのですか。俺がいてもかまいませんか」

 司は微笑んだ。顔からいかめしさが消えて、若々しくなった。

「ここには誰が来てもよい。おまえも、私も、だ。私にも知らないことがたくさんある。そして、おまえと同様、それを知りたくてたまらなくなるときがあるのだ」


 あの晩は、司が兄かなにかのように身近な存在に思えた。ふたりで様々な書物をめくり、何かを尋ねたり、話し合ったりもしたが、黙って文字を追うだけの時間も長かった。けれど、それは少しも気詰まりではなく、むしろ心地よかった。


 あのときから、草矢は少しずつ自分のことを考えはじめている。

 司になりたいというのではない。けれど、細工師になることを当たり前と思い、それ以上考えないできた自分自身を見直す思いが芽生えている。


「司様と?」

 声の調子で、里砂が微笑んだのがわかった。


「兄さんは、ほかの人たちと同じじゃないのね。風生なら、そういうのを『兄さんらしい』って言うわ。いいことだって」

「ほかの者と同じ人間なんて、いやしない」

 草矢は言った。自分でも、それに気づいたのは最近のことだった。

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