1・北の村(18 祭りの晩・4)
「ねえ、里砂」
寝るためにほどいた髪を梳きながら、紗菜が言った。
「カイは、あんたの想い人なの?」
想い人?
里砂の頬が熱くなった。カイのことをそういう言葉で考えたことはなかった。
「ふたりで林のほうから戻って来るんだもの、そうでしょ?」
紗菜は、からかうように里砂の顔をのぞきこんで、訳知り顔にうなずいた。
「大丈夫よ。あたし、誰にも言いやしないわよ。そうか、カイがあんたのものなら……」
あんたのもの?!
「あたしは草矢でいいわ。草矢だって、なかなかいい顔してるし、背丈もあるし、手に職もあるもんね。天幕でもいくつか噂を聞いたわ。草矢って案外つれないんだって。憧れてる女の子はけっこういるらしいのにねえ」
草矢「で」いい?
紗菜は、髪を梳く手をちょっと止めて、宙を見つめた。
「無愛想なのがちょっとね。でも、男だからね。そのくらいのほうがいいかもしれない」
里砂は、ちょっと息を吸い込んだ。
「紗菜は、うちの兄さんが好きなの?」
つとめて平静な声を出した。
「あらあ、そりゃ……。だって、いとこですもんね。でも、草矢にもいい人がいるのかもしれないわね。ああいう人だから黙ってるだけで。だって、まだ帰ってないでしょ? 踊りの輪にもいなかったでしょ? 誰かといっしょなのよ、きっと。それで当たり前だわ。遊ぶことだって知らなきゃね。男だもん。草矢だって、そこまで朴念仁じゃないでしょ」
遊ぶ? 誰かいい人と? 兄さんが?
里砂は、速度の速い紗菜の言葉を、目のまわるような思いで聞いた。
「だからね、カイだって、あれこれ目移りしないうちに約束くらいしとくのよ」
里砂は、首をふった。
「そんなこと、考えてもいないわ」
「あら、それじゃあ誰かにとられちゃうわよ」
その「誰か」は自分かもしれない、というような目つきで紗菜は言った。
「カイは、ここの人じゃない。どこか、本当に遠くから来たのよ。来たときと同じように、突然いなくなっちゃうかもしれない……」
言い訳するように話しはじめたのだったが、言葉にしてみると、実際そういうこともあり得るのだという冷たい思いが、冬の海のように里砂の胸を浸した。
紗菜は、声を上げて笑った。
「人ひとり、そんなに簡単に消えてなくなりゃしないわよ。もし里砂がカイを好きなら、どこへも行かせなきゃいいじゃない。彼だって、里砂に気をもたせといて、そんな身勝手なことできないでしょ」
紗菜の考えは、直截的で単純だ。
でも、里砂にはカイの気持がわかる。自分の心の大半を元の世界に残していること。そして、どれほど帰りたいと思っているかということ。
やむを得ないとはいえ、この村にいるのは、カイにとっては閉じ込められているのも同然だろう。
里砂自身も、時々この灰色の村がやりきれなくてたまらないと思う。どこか遠くに、あの薄布のような鮮やかな色をした世界があるかもしれない、と思う。
里砂は、紗菜より先に寝台にもぐりこみ、布団を頭の上までかぶった。外は暗いけれど、時刻はもう明け方に近い。
眠りの中で、里砂は、揺れながら夜の道を行く箱車の夢を見た。




