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1・北の村(17 祭りの晩・3)

「リサ!」

 歩き出したとき、呼び止められた。


 カイだ。


 立ち止まりはしなかったけれど、里砂は少し歩みを遅くした。足音が走ってきて、横に並んだ。

「リサ」

 見上げると、いつものカイの笑顔があった。

「どうかしたの?」

「どうもしないわ」

「そうか」

 ふたりは黙ったまま、しばらく並んで歩いた。少しして、カイがまた口を開いた。

「どこへ行くの?」

「どこって……。ちょっと暑くなったから、風にあたりたくて」

「ああ。僕も汗をかいたよ。踊るなんて久しぶりだったなあ」

 カイは、すぐに踊り方を覚えて、とても楽しそうに踊っていた。


 カイは左右を見る。

「サナは?」

 里砂は前を見たまま答える。

「天幕へ休みに行った。知り合いといっしょよ」


 雑木林の入り口には、秋に小さい木の実がなる常緑樹が何本も伸びている。里砂は、学問所の帰りに仲間たちとここに寄り道して、地面に散ったこの実を拾ったことがある。固いつやつやの茶色の殻を持った木の実は指先ほどの大きさで、食用にはならないが、子どもたちは穴を開け、糸を通してつないだり、ただ集めたりしたものだった。


 カイが、小さく息を吸い込んで、ちょっと早口で言った。

「里砂がひとりでよかった。渡すものがあるんだ」

 カイは、上衣の胸もとに手を入れて、薄い包みを差し出した。里砂は、黙ってそれを見つめた。


「開けてみて」

 カイが包みを押しつける。里砂は手の中にそれを受け入れてしまって、少しためらった。

「さあ」


 こわいものが飛び出すのを覚悟するような気持で、里砂は包みを開いた。とたんに、ぱっと鮮やかな色がこぼれ出た。紅色の布だ。花びらのような手ざわりの。


 里砂は布を見つめ、それから、カイの黒い瞳を見た。

「これ……」

「祭りの晩にはこうするって聞いたから……」

 カイは、いつもより子どもっぽい表情になって、照れたように口ごもった。

 里砂は、ゆっくり首をふった。

「わたし、もらえないわ。こんな……」

「どうして?」


 だって、もらう理由がない。わたしはカイのためになにもできないし、カイにとって大切な人間ってわけでもない。


「もらえないわ。……わたし、カイになにも返すことができないもの……」

 そう口に出して、自分がどんなにカイの役に立ちたいと思っていたか、カイに喜んでもらえるような人間になりたいと思っていたかに気づいた。泣きそうな気がしたけれど、顔じゅうに力を入れて、ただ、少しうつむいた。


「でも、君が僕を見つけてくれたんだよ」

 カイが言った。

「返すなんて。僕はもうたくさんもらってるんだよ。初めて気がついたときもリサがそばにいた。ここでの僕の命は、リサからはじまったんだ。僕にとっては全く未知の、どうしたらいいかわからないこの世界で、僕がどうにか暮らしているのはリサのおかげなんだ」

 カイは微笑んだ。

「君がいて、よかった」


 里砂は顔の力を入れなおして、首をふった。

「そんなの……そんなの当たり前のことだし、それに、わたしじゃない。司様や母さんや父さんや兄さんや……」

 カイはうなずいた。

「もちろん、君の家の人たちやツカササマのおかげもあるんだけど、みんなに贈り物をするには、いくら風生の手伝いをするからって約束しても、ちょっと無理だった」

 ふっ、と里砂は笑いたくなった。

「それに、僕はリサにあげたかったんだ」


 ああ、カイってこういう人なんだ。正直で、なんでもできるみたいなのに不器用で。


「……ありがとう」

 しなやかな紅色の布は、やさしく里砂の手に寄り添っていた。


 そのとき、どこかで小枝の折れる音がした。

 ふたりは顔を見合わせ、それからゆっくりとまわりを見た。


 雑木林の木の陰に、ぴったり寄り添っているふたつの人影が見える。林の奥の暗がりに向かう二人連れの姿もあった。


 カイは、里砂の肩を押して広場の方に向きを変えた。

「ここはまずいよ、リサ。僕らは誰かの邪魔をしちゃう。まあ、そういう人たちが気にするかどうかはわからないけど」


 リサは、状況を飲み込んで頬に血が上った。ひとりになりたくて林に向かった里砂だったけれど、ふたりきりになりたい者も同じことを考えたらしい。

 去年までの里砂は、ひとりになりたいとは思わなかったのだった。


 林の中の若者たちの邪魔をしないように、ふたりはそっと踊りの輪に戻ったのだ。

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