1・北の村(16・祭りの晩 2)
いとこたちは五人いる。一番年長の者は、季節のめぐりにして草矢よりふたまわり上で、唯一の娘である紗菜は、里砂とあまりかわらない。
北の村と同様の小さな村で育ってきた彼らは、最初はカイに対して、はにかみと警戒心を持って距離をおいていた。けれど、祭りの日の若者たちが、いつまでもよそよそしくしていられるはずもない。いっしょにまだら毛の世話をしたり、荷物を片付けたりしている間に、みんなはいつのまにか打ち解けていた。
祭りの本番は午後の半ばからで、短い冬の日が暮れはじめるころだ。それから夜中まで、若者たちは火を囲んで踊り、男たちは酒を飲み、女たちは気の合う仲間とのおしゃべりに興じる。その全てをやる者もいる。
村の広場に出る前に、みんな熱いお茶と軽い食べ物で腹ごしらえをした。
「カイって、感じいいじゃない」
里砂の横に座った紗菜がささやいた。
「村の男の子たちと比べたって、見劣りするどころか、むしろもっといいくらい」
「そうかもね」
里砂は、言葉少なく答える。
里砂が編んで長くたらしている髪を、紗菜は頭の上に結い上げて、飾り櫛をさしている。晴れ着の胴は胸までぴっちりとしまった形で、きれいなふくらみの形が強調され、里砂にはいとこがひどく大人びて見えた。
里砂は、自分の着ている祭りの晴れ着のことを思う。去年も来た同じ服だ。とても気に入っていて、これを着るのが楽しみだった。今年は少し裾を出して、胴着の飾り紐を新しくしたのだ。
だけど、服だけじゃなくて、わたし自身も去年と全然変わらない。ちっとも大人になっていない。
これまでは、里砂は大人の女らしくなりたいなんて思ったことはなかった。この村で大人の女になるということは、家を守る準備ができたということ、男や子どもたちの世話をして一生を送る覚悟ができたということだからだ。
それでも、何も考えないで、何も学ばないで、いつか「大人の女になれる」と思っていた。みんなそうしているんだから、わたしもそうするんだ、って。
かつて一緒に学問所で勉強した少女たちの中には、すでに嫁いだ者もあり、母を亡くして家のきりもりを全て担っている者もいた。子どもだったころとは、関係性も変わってしまった。
子どものままじゃ、いつまでたっても一人前に扱ってもらえない。けれど、大人ってなんなのか、わたしにはわからない。
カイのいたところでは、家の中のことは女の仕事だとは決まっていないらしい。学問をきわめて人を教える立場になった女性もいるという。司のようなものだろうか。でも、薬の司様ともちょっと違うような気がする。カイの世界で大人になるためには、どんな覚悟がいるんだろうか。
ふと顔を上げると、斜め前に座ったカイと目が合った。カイは、茶碗の湯気の向こうで微笑んだ。
紗菜が、里砂の脇腹をひじでつついた。
「彼、笑うとかわいいわね。あたしに笑いかけたわよ。あたし、本当は、もう少し年上が好みなんだけど……」
広場から、花火の音が聞こえてきた。
「さあ、若い子たちは出て行く時間だよ」
潮美が声をかける。いとこたちが立ち上がる。
「わたし、後片付け手伝うわ……」
里砂が言いかけると、潮美は笑って首をふった。
「とんでもない。祭りの宵だよ。行っておいで」
そして、里砂の肩を優しく押した。
広場の真ん中には低い台ができて、楽人たちがもうそこに上がっていた。周囲には飾り立てた天幕が並び、中では火が焚かれ、暖かい飲み物や食べ物、そして酒が供される。
楽の音が響いた。娘たちは中に、青年たちは外に、二重の輪がつくられ、踊りがはじまる。よそから来た者たちもまじえて、この日だけは若い男女の距離が近くなる。祭りは、若者たちにとって、出会いの場でもあったのだ。
里砂は、もともと体を動かすのが好きだ。踊っているうちに、少しずつ笑顔が浮かぶのが自分でもわかった。熱くなった頬に風があたるのが気持よい。
里砂は、ほつれた髪をはらいのけ、綿を入れた刺し子の上衣の前を開けた。
「今度の区切りでちょっと抜けない? あたし、暑くって……。それに、この服が苦しいのよ」
紗菜が、赤くほてった顔で里砂に行った。
楽人は、ひとつの楽器に三人ずつつき、交替しながら曲をとぎらせることなく夜中まで演奏を続ける。けれど、ひとつしか体を持たない踊り手の方は、ときどき休まないわけにはいかない。
「いいわ」
里砂は、ちょっと笑ってうなずいた。大人っぽく見える服を着こなすのも大変らしい。
ふたりは、輪をかいくぐって外に抜けた。天幕の陰で、里砂は紗菜の服をゆるめてやり、はずした飾り結びが見えないように、肩掛けをなおしてやった。
「ああ、楽になった。ありがとう。……ねえ、何か冷たいものほしくない? 黄玉酒があるの、どの天幕かしら」
黄玉というのは、秋に実を結ぶ固い黄色の果実で、そのままでも食べられないことはないが、実を砕いて発泡性の酒をつくることが多い。
里砂は、目をまるくした。
「お酒よ、それ!」
「決まってるじゃない。黄玉酒くらい、ふだんから時々飲んでるわ」
紗菜は少し得意そうに言って、結い上げた髪をちょっとゆすった。
「やあ、里砂。そっちの美人は誰だい?」
里砂がふりむくと、漁師の大河だった。もう、少し酒が入っているらしい。気のいい青年で、細工師の家では時々彼から魚を買った。
「こんばんは、大河」
里砂より早く、紗菜が答えた。毎年祭りで行き来があるし、大河は南の村まで魚を持っていくこともあるから、紗菜は大河のことも知っているのだ。
とまどった様子を見せたのは、大河の方だった。
「……ええと……」
里砂は、笑いたくなるのをこらえた。大河がきまりの悪い思いをしたら気の毒だ。
「いとこの紗菜よ。知ってたと思うけど」
大河は、目をみはった。
「紗菜? 見違えたなあ。休むとこかい? 黄玉酒か、蜜酒かなんか、どう?」
「蜜酒は強すぎるから嫌いなの。でも、黄玉酒なら飲みたいわ」
紗菜が、あっさりと言った。
「よし、行こう」
「待って。ね、里砂、行くでしょ?」
里砂は、ちょっとためらう。去年は、紗菜とふたりで串にさした焼き菓子をひとつずつ買い、踊りを見ながらかじったのだ。あのころ、酒の匂いのする天幕に入って行く勇気は、まだふたりともなかった。
「わたし、いいわ。少し休んで、また踊るから」
「だって、里砂……」
紗菜が、心配そうに里砂を見る。
「あとで、踊りの輪に来てね」
里砂が笑って手をふってみせると、紗菜はふりかえりながら、それでもうれしそうに行ってしまった。
広場の海側で花火が上がりはじめた。ひと休みする踊り手や、一杯機嫌の村人が連れ立って通る。
里砂は、急に寂しくなった。
館の裏の雑木林でしばらく頬を冷やそう。ひとりでいるほうが気が楽だ。