1・北の村(14 祭りの前)
月見ばあさんも、前は一人暮らしではなかった。息子がいたのだ。息子は南からの街道で、まだら毛に腹を蹴られて死んだ。
おとなしいまだら毛がなぜ暴れたのか、それは今もわからない。何かに驚いたのか、それとも固い針を持つ虫にでも刺されたのかもしれない。
街道に倒れている息子を見つけたのが、風生だった。そのときはまだ息があったという。
風生は、箱車の商品を放り出して息子を乗せ、北の村まで連れてきた。息子は結局助からなかったが、そのときから風生は月見ばあさんにとって特別な渡り人になった。
広い納屋のある月見婆さんの家が風生の冬の定宿になったのは、それからのことだ。
里砂とカイが尋ねていくと、納屋の奥の仕切りの向こうで風生のまだら毛が足踏みする音が聞こえた。風生は箱車の横腹を開いて、ふたりに中の商品を見せてくれた。
「まあ、きれい!」
里砂は、花びらのようにすべすべした薄い布に、そっと指をはわせた。まわりの空気まで染めてしまいそうな鮮やかな色。何がこんな色を生み出すのだろう。ふだん、草木で染めた手織の布ばかりを見慣れている目には、まぶしいほどだ。
風生は、そっとカイを手招きした。
「祭りの晩の習慣、知ってるか。贈り物のことだが」
カイはうなずく。仁矢と草矢が忙しくしているわけを、里砂から聞いていた。
風生は、里砂のほうにあごをしゃくってみせた。
「襟飾りにする紅色の布なんか、あの子によく似合うぜ」
カイは首をふった。
「だって、僕は何も持ってないし……。ものを買うつもりなら、いるでしょう、そういう……」
「ああ、金か。金を持ってないと。うん、そりゃ問題だ」
風生は腕組みして、布を見ている里砂にちらりと目を向けた。
「あの黒髪に、鮮やかな紅色はよく映える。だいたい、黒髪の子っていうのが、この辺じゃあんまりいないんだ。東の都には、髪も目も黒いっていうのはけっこういるが……。そういえば、おまえさんも黒髪だな」
東ノ都。
カイの中で、「東の都」にまたあの不思議な感覚が反応した。
……何か異質なものが、僕の中にいる?
「おい」
気がつくと、風生が真顔でカイを見つめていた。
「どうしたんだ? なんでも、しばらく具合が悪かったそうだが、まだ本調子じゃないんじゃないか?」
カイは、あわてて笑顔になった。
「いや、大丈夫」
言葉にして説明できるほどはっきりしてはいない違和感は、そのまま飲み込んだ。
「それより、東の都のことを話してください。この前、館の則の司に会ったんだけど……」
カイは、あのときのことを風生に話しはじめた。
里砂は、風生が来るのを毎年楽しみにしていた。村へ来る渡り人の商人はたくさんいるけれど、風生ほど遠くを旅して、いろんな品物を持ってくる者はいない。たいていは、鍋だの、針や糸だのという実用品ばかりだ。もちろん、そういうものが大切だということくらい、里砂にもわかっている。しかし、風生が持ってくるのは品物だけではない。彼は夢を運んでくるのだ。
里砂は、ふと風生の「夢」から覚めた。
カイと風生はどうしてるかしら。
納屋のすみで、カイは風生と何か熱心に話あっていた。風生は巻いた地図らしいものを持っている。
地図を見るなら、私にも声をかけてくれたらよかったのに。
そう思うと同時に、不意に自分が無用の存在なのではないか、という思いがきざした。
私は、一緒に地図を見たところで、きっとなにもわからない。この村しか知らない私は、遠く旅する風生や、星から来たカイの役に立てることはない。
カイも風生も、わたしの知識なんてたいしたものじゃないことを知っている。わたしではカイの力になれない。わたしの中に、何か誇れるものはあるんだろうか。兄さんみたいに「兄さんらしい細工物」をつくることだってできない。
カイが星の世界で知っていた女の子たちに比べたら、わたしって……。
「わかった。それじゃ、明日」
カイが言うのが聞こえた。里砂は、少しあわてて、ふたりから視線をそらした。




