1・北の村(12 遠いところ)
カイは、細工師の家の屋根の上で、傷んだ屋根板を修理していた。自分が厄介者らしいということは十分承知していたから、何か役に立つことができれば少し気持が軽くなる。
この家は村の北のはずれにあり、屋根に立つと、防風林の黒っぽい木々の梢が波のように連なっているのが見えた。その向こうが「浜」だ。浜で行き倒れた人間を運び込むには便利なところだ。
カイは、海のほうを向いて、屋根に腰を下ろした。
この前、里砂と草矢に頼んで、たそがれ浜へ連れて行ってもらった。何もない砂浜だった。移送装置の影もない。機械の一部も、ネジ一本さえもなかった。
そして、広かった。ドームや地下の居住区に慣れたカイは、なんだか恐いような気がした。こんな広い空間の、こんなだだっ広い砂の上に、どうして自分はやってきたのだろう。
浜にはなんの手がかりもなかった。帰る途中、並んで歩いていた里砂が、おずおずとカイに言った。
「あなたは星から来たって言ったと思うんだけど。星っていうのは、夜空に光るあれのことよね? 星から来たのなら、星にいた、っていうこと? わたしは思い違いしてる?」
ひとつひとつの星は、ひとつひとつの世界で、きらめく小さな点どころではなく、実際はとても大きいのだ、とカイは説明した。光る星の周囲には、さらに別の星々がめぐり、人類が植民して暮らす星も多い。
「ここだって、昔、開拓者が植民した星かもしれないよ。辺境の星の中には、通信手段がとだえてそれきりの……」
言いながら、カイは自分の言葉に驚いた。
辺境の星? そんな遠いところまで、移送装置が物質エネルギーを送れるはずはない。
カイの言葉がとだえたことには気づかず、里砂が言った。
「わたしもたそがれ浜で拾われたのよ。兄さんが見つけてくれた」
「君が?」
カイはびっくりして声をあげた。前を歩いていた草矢が、ちらりとふりむいた。
「わたしは小さかったから、そのときのことは何も覚えていないの。……もしかして……同じように浜に現れたあなたは、わたしとなにかつながりがあるかも……もし、そうなら……」
里砂は、ためらうように一旦言葉を切った。
「……よその世界から、たそがれ浜に、ときどき誰か落っこちてくるみたいなことがあるんなら、わたしたち、同じところから来たんだとしても不思議はないと思ってた。でも、世界はそんなにたくさんあるのね。ここと、そこだけじゃなくて。わたしが知らなかっただけで、それこそ星の数ほどあるのよね」
あのとき、里砂は、ため息をついて空を見上げた。
あの子、里砂は、本当に小さいころ故郷をはなれて、それ以来この村しか知らないんだ。知識としての宇宙だって、里砂にとっては初めてだったんだ。
それがどんなことか、カイには想像するのも難しかった。自分という、あきらかに異世界から来たよそ者は、北の村の暮らしでは考えられないほどの「よそ者」であるために、むしろ丸ごと受け入れるしか方法がなかったのかもしれない、と思った。
カイが屋根板をなおしているとき、母屋の扉をたたく者があった。
「風生!」
扉を開けた里砂が叫んだ。毎年この村で冬を過ごす渡り人の商人、風生だ。
風生が何歳なのか誰も知らない。彼は若者のようにすばやく、老人のように冷静だ。肌は、長年の日焼けがしみついて浅黒く、逆に、髪は陽にさらされて白っぽくなっている。
潮美が、台所から手を拭きながら出てきた。風生はどこへ行っても人気者だ。
「やっと来たね。今、お茶をいれるからね」
彼は、二頭のまだら毛のひく箱車で、南からの街道を上って来たのだ。まだら毛は、力の強いずんぐりした動物で、太い四本の脚は、もう長い冬毛におおわれている。
潮美が、湯気の立つ茶碗を風生の前に置いた。
「屋根に誰か上ってたな。草矢じゃないようだったが」
風生は、遠慮なく茶碗に手を伸ばしながら言う。
潮美は、彼女なりにカイの話を理解している。住んでいた場所で恐ろしい事故があったこと。父親を病気で亡くしたこと。
「あれは、かわいそうな子でね」
潮美が、優しいまなざしを天井に向けた。
「それっ」
そのとき、明るい叫び声が聞こえて、窓に貼った雲貝の殻の薄膜を通して、屋根からおろしたやわらかな雪積みの真ん中に「かわいそうな子」が飛び降りるのが見えた。風生はおもしろそうな顔をして、横目で里砂を見た。里砂は吹き出してしまった。
「まあ、まったく」
潮美も、苦笑しながら窓のほうを見た。
母さんは、カイを気に入っているみたい。
里砂は頬杖をついた。
カイは、家の用事をいろいろ手伝ってくれる。慣れないことばかりのはずなのに、覚えはいいし、見かけよりは力も強い。
潮美が、風生にカイの身の上話をしている。
何やら機械が破裂して、大変なことになったらしいよ……。
里砂にしても、カイの話はわからないことだらけだ。移送装置のことなど、想像もできない。
一瞬で遠くへ行けるなんて。
遠く。
里砂は、ため息をつく。
わたしも遠くへ行きたい。世界がたくさんあるのなら、なおさらこの灰色の村しか知らずに暮らすのはたまらない。




