1・北の村(11 則の司)
その翌日、カイは則の司に会いに行った。司がよそ者に会いたがっている、と館から正式な使いが来たのだ。
カイは、薬の司のような老人を想像していたのだが、則の司は黒々とした髪の、壮年の男だった。黒い目が知的な光をたたえていた。
その則の司も、移送装置のことは知らなかった。
「そんなもののことは、聞いたためしがない。おまえはそれに乗ってここへ来たというのか」
「ええ。……乗ったというか……それを使って……でも、事故があって、行くはずだった場所には到着できなかった。わからないのは、ここには対応する移送装置はないらしいのに、どうしてここに来た……来られたのか、ということです」
「それは二ヶ所にあって、一方から一方へ、人が旅することができる、というものなのか」
カイは、ちょっと考えた。
「まあ、そうです。……僕も、移送装置を使ってはいたけど、その詳しい仕組みまではわからないです。……あの、あんまり当たり前になってしまっていて」
「そういうものは、ここ北の村にはない。それは断言できる。もしそのようなものが……」
不意に司は顔をしかめ、片手で額を押さえた。
「あの……?」
カイが、とまどいながら手を伸ばしかけると、司は顔を上げ、焦点を合わせるかのように、しばらくカイを見つめた。
「大丈夫ですか?」
「……大丈夫だ」
司は、つぶやくように答えた。
「……東の都」
「え?」
「東の都が見えた……」
わけがわからなくて、カイは瞬きをして司を見た。司は二本の指で眉間を揉んだ。
「わたしは、ときどき目の前にないものが見えるのだ。頭の中に映る、というのが正確かもしれない。……おまえの話を考えていたら、東の都が見えた」
目の前にないものが見える? 超能力?
カイは、目を丸くする。
「見るときも、見るものも、わたしには選べない。このようなことは、ないほうがありがたいとさえ思う。何かを見るたび、眉間がしめつけられるように痛むのだ」
司は、ちょっとくたびれたような笑顔を見せ、その表情がふっと親しみやすいものになった。
「しかし、こういうことが起きるのを防ぎようがないなら、利用したほうがいい」
司の目が真剣な光を帯びた。彼はカイの顔をまっすぐに見た。
「移送装置……というのは、東の都にあるのかもしれない」
東ノ都ヘ行ケ。
突然、カイの中の何かが「東の都」という言葉に反応した。
「東の……都?」
「おまえの話に関連して、東の都が見えたのだと思う。確かな証があるわけではないが」
カイは考える。この人の言うことは本当だろうか。東の都とやらに移送装置があるなら、どうして僕はここにいる? 誤差範囲なんだろうか。だけど……
東ノ都ヘ行ケ。
「東の都って、どこにあるんですか?」
「ここより遥か遠く、街道を東へ行ったところだ。天頂にあった星が海に消えるほどの日数がかかる。もっとも、わたしも行ったことはないのだが」
「でも、それじゃ、ご覧になったのが東の都だとわかったのは……」
「それでもわかる。わかるとしか言いようがない」
司は、遠くを見るように視線をさまよわせた。
「槍の穂先のような、白い塔が見えた。私は、その塔より高いところから都を見下ろしていた。鳥ならば、あんなふうに地上を見るのだろうな」
カイは、大きく息をついた。
「東の都が遠くて行くのに日にちがかかるなら、僕はすぐにもそこへ出かけなくちゃなりません」
司は首をふった。
「春になるまでは行こうとしても無駄なことだ。街道に雪がある間は、旅慣れた渡り人でも冬ごもりをする」
それから、司は面白がっているようなまなざしでカイを見た。
「さて、おまえは善い人間かな?」
善い人間?
突然の質問に、カイは返事に困って頬を赤くした。
「僕は……」
司は、声をあげて笑った。
「答えるにはおよばない。どのみち、おまえの言葉とかかわりなく、わたし自身が判断することになろうから」
司は言葉を続けた。
「今夜、司会議を開く。おまえはやむを得ずここに留まらねばならぬのだから、住まうところが必要だ。司たちが認めれば、おまえはこの館で弟子たちとひと冬暮らすことになる」
司たちが認めれば?
「司は、それぞれ自分の大事な技を弟子たちに伝えている。無関係なよそ者を館におきたがらないのは当然だ。気を悪くするなよ」
カイはうなずいた。
司たちが認めなかったら、どうなるんだろう。
「会議の結果は、明日知らせよう。おまえの話は突拍子もないが、わたしはおまえが信頼できると思う」
司は立ち上がって、カイを導くように扉に向かった。扉の前で、もう一度カイを振り返る。
「東の都に行くつもりなのだな」
東ノ都ヘ行ケ。
カイは、またうなずいた。
そして今朝、則の司の弟子がやってきて、細工師に、カイをこのまま家におくつもりがあるかどうか尋ねた。
「薬の司様は、館においてやってもよいと言われた」
弟子は言った。
「想の司様と風の司様はよい顔をされなかった。則の司様は、あの子は悪い人間ではないと言われたが」
弟子は、ここで疑わしげにちらりとカイのほうを見た。
「あの方は、ほかのお三方と比べると若い。それなのにまとめ役の司でいるのは、辛いこともおありなのだよ」
仁矢はうなずいた。
「そこで、ここでおいてやれるものならお願いしたい、と。それがかなわぬのなら、則の司様の責任において、則の館で引き受ける、と言っておられる」
「どうしたものかな」
仁矢が潮美のほうを見る。潮美は、ためらいがちに口を開いた。
「四人のうち、ふたりの司様が渋っていなさるなら、館はあんまり居心地のいいところにはなりますまいね」
「うーむ」
仁矢は腕組みをした。正直なところ、カイの居心地のことなど気にしてはいなかった。彼が気にしたのは、則の司が「お願いしたい」と言ったということだ。司と呼ばれる立場の者に「お願い」されるなど、めったにあることではない。
「……ここにおいてもいいが……」
カイが顔を上げる。
「そうしてくださるか」
弟子が言いかけたのを、カイがさえぎった。
「でも、あの、ちょっと待ってください」
弟子は、不審そうにカイに顔を向けた。
「何かな?」
彼は、カイがこのことに口を出す権利があるとは思っていないようだった。
「ここにいさせてもらえるのは、とてもありがたいんです。でも、僕は今ソウヤの部屋を使ってる。服も貸してもらってる。だから、ここにいるのなら、ソウヤがいいと言ってくれなくちゃだめなんです。そうでしょう?」
仁矢は、ちょっと怪訝な顔をした。
草矢がいいと言わなくちゃ、だって? 俺が決めればそれでいいじゃないか?
全員の視線を受けて、草矢は一瞬ためらった。
「長い間ではない。俺はかまわない」
草矢がそう言うと、弟子はうなずいた。
「則の司様は喜ばれるだろう。このことをお忘れにはなるまいよ」




