1・北の村(10 フラムの第三衛星・2)
その後、否応なく情報が入ってきた。ポムから来ている学生対象の説明会も開かれた。
この病気は、初期の段階では宇宙熱に酷似していて、咳、発熱、関節痛……。やがて呼吸困難に襲われ、八割以上が一週間から十日で死に至る……。
数日して、またメッセージがあったとき、カイは胸の中にわきあがってくる不安を飲み込んだのだ。誰か沈痛な面持ちの白衣の人が、サヤの死を告げるのではないだろうか。
ほっとしたことに、疲れた表情ではあっても、微笑を浮かべた母親の顔がモニターにあらわれた。
「カイ」
「サヤ」
サヤは笑顔になった。
「元気そうね、と言いたいけど、ちょっと無理ね。お互い様でしょうけど」
「僕は元気だよ」
「わたしもよ。カイ、ワクチンができました」
「ほんと? すごいじゃない。もう安心だね」
サヤは、一瞬目を伏せた。
「そう、ひと安心というところ」
「僕、何か手伝えるといいんだけど」
サヤは、ちょっと咳払いして首をふった。
「一番の手伝いは、そこにいてわたしに心配かけないことよ」
それから、ふっと表情が柔らかくなった。
「こっちはみんなで頑張ってるけど、あなたはひとりで大変だったわね」
目の奥がちくちくしてきて、カイは口もとで微笑んだまま、うつむいた。
「もう切るわね。あわただしくてごめん。あちこちに向けた重要な通信が優先で、私用の通話は控えなくちゃならない状況なの。わかるわね」
電波のせいか、母親の声がかすれた。
「もうすぐ、会えるわよ」
もうすぐ会える。
メッセージを切って、カイはベッドにひっくりかえった。
よかった。もうすぐ会えるんだ。
二、三日の間、カイはこれを再生しては、母親の告げるワクチンの知らせを聞いた。
そして気づいた。
サヤの咳払い。短いメッセージ。かすれた声。
……初期には咳……。
頭の中が真っ白になった。
「その方面は、通信できません」
メッセージを申し込むと、オペレーターロボットが出てきてそう言った。
「一般メッセージはブロックされています。緊急コードのみ扱います。コード番号をどうぞ」
緊急? ブロック? コード番号? ワクチンができた今になって?
カイは、移送センターに急いだ。ポムに行くつもりだった。今の状況がわからないのは嫌だ。今ならワクチンがあるから、感染の危険は少ないだろう。
移送室の係員には、目的地に第二衛星の名前を告げた。メッセージすら送れないのなら、移送にも何か制限があるかもしれないと思ったのだ。
「操作はできるね?」
係員は、カイのIDカードをリーダーにかけながら言った。フラムの学生は、ほぼ全員自分で移送装置の操作ができる。
「もちろん」
「ナンバー5の移送室を使ってくれ」
IDカードを返してよこしながら、係員が頭をふってその部屋の方向を示した。
「ありがとう」
カイは、移送室に駆け込んだ。そのとき、IDデータを読んだらしい係員が声をあげた。
「おい、君はポムの出身か? まさか……たった今……」
ドアを閉めてロックしたので、あとは聞こえなかった。
ポムの座標をキイボードに打ち込む。ドアの窓越しに、何か叫んでいる係員の姿が見えた。
そしてーー
実体化したポムの転送室のドアの向こうにも、びっくりしたように大きく口を開けた人物が立っていた。カイも幼いころから知っている、整形外科のドクターだった。
「ドクター!」
「バカなことを! ポムへの移送は、すべて禁止の通達を出したところだ! ……待て! 出てくるな! そこにいろ!」
インターコムのスイッチが入りっぱなしになっているらしく、ドクターの大声が移送室に飛び込んできた。
「だって、なぜ禁止になったんです? ワクチンができたって、サヤから……」
そうだ。サヤは?
「ワクチンの必要量が思いの外多かったんだ。子どもたちと妊婦が優先された」
「足りなかったんですか?」
「十分な量を確保するため、みんな必死で働いている。しかし、今はそれどころじゃない……」
警備員の制服を着た男がひとり、ドクターの後ろに駆け寄ってきた。
「主任は、中央動力室へ向かったと思われます……」
言いかけて、カイを見とめて目をまん丸にした。
「こいつのことを説明している暇はない。まず、このバカ者を送り返すぞ」
警備員が何か言うより先に、ドクターが言った。
「待って! 主任がどうかしたんですか? 警備主任?」
警備主任も、カイはよく知っていた。高重力ジムで鍛えた主任の筋肉は、少年たちの賞賛のまとだったのだ。
ドクターが、カイを真正面から見た。
「主任も感染したんだ。高熱と、このところの予期せぬ事態で、彼は精神的にまいっている。彼はベッドを抜け出して、病棟内のどこかにいる」
「どこか……?」
「爆薬を仕掛けようとしているんだ。ポムを焼き尽くして炎で浄化することで、病菌を食い止めるつもりなんだ。彼を見つけて保護しなければならん。彼の思うままにさせたら、病菌も死ぬがポムも壊滅する」
カイは、言葉を失ってドクターを見つめた。
「わかったか。君にかかわっている暇なんぞないんだ。ポムを破壊されないまでも、もし動力をやられたら、病棟の機能はストップする。ワクチンも作れなくなる」
「……でも、何か手伝えるかも……」
言いながら、カイは自分の愚かさと無力を感じていた。
「頭を冷やせ、とんま!」
ドクターが叫んだ。
「わたしより若い者が死ぬのは、もう見たくないんだ」
足の下で、鈍い衝撃があった。
「爆薬だ!」
警備員が、制服の襟につけた通信機に向かって何か叫びながら廊下を走り去る。
「さあ」
ドクターが、今度は穏やかな声でカイに言った。カイは、エネルギーフィールドを作りだすボードの上に、のろのろと立った。自分をどうしようもない間抜けのように感じながら、ドクターがキイボードを操作するのを見ていた。
二度目の、さっきより強い衝撃があった。
「まずいな、動力が……」
ドクターの声が聞こえた。
「フィールドが不安定だ! だめだ! 戻って……」
戻れない!
体が小さなエネルギーの粒に引き裂かれる。星のように散りぢりになって、暗い深淵に投げ出される。 そして……。
カイは、言葉を切って深い息をついた。
細工師の家族は、目を見開いてカイの次の言葉を待っている。
あの無限の闇の中で、僕は誰かの声を聞かなかったか? どう言葉にしていいかわからない奇妙な感覚。それとも、あれはここで意識を取り戻してからのことだったんだろうか。
「そして、気がついたらここにいたんだ」
カイはそれだけ言って、両手で顔をおおった。