1・北の村(9 フラムの第三衛星・1)
フラムの第三衛星。
そこは、果実を意味する「ポム」という通称で知られていた。また、たったひとつの特殊な機能を持つ星としても知られていた。
ポムは、医療機関の星だったのだ。
固い岩盤をくりぬいて、たくさんの病棟があった。専門的な長期の治療を必要とする病人やけが人は、この星系に限らずどこからでもポムに運ばれてきた。重力を様々に変えて体の機能回復訓練をするリハビリテーションセンターや、過去のあらゆる症例のデータをおさめた研究センターがあった。
カイは、ポムの職員居住区で育ったのだ。父は病理研究医、母は精神科医だった。
ここで育つ子どもの多くは、基礎教育を終えると、母星フラムの上級学校へ行く。カイも、そうすることを当然と思って大きくなった。
上級学校は楽しかったし、カイはフラムでの暮らしを寂しいとは思わなかった。それに、帰りたいと思えば、帰ることはとても簡単だった。
移送装置があったからだ。
移送装置が作られたのは、もうずいぶん昔で、今ではそれのある生活が当たり前になっている。
物質をエネルギーに変換して目的地に送信し、そこで再構築する技術は以前からあったが、イサク・アシマという科学者が、そのエネルギーをワープさせる方法を発見した。それまでは、ある程度以上の遠距離に物質を送信するには、いくつかの中継点を経なくてはならず、星間移動はできなかった。それが、アシマ理論に基づいた技術で、母星と衛星程度の近距離ならば移動が可能になったのだ。何より大きかったのは、何かを輸送するとき宇宙船を星に着陸させなくても、目的の星の宙に船を浮かべて、そこから地表に移動させられるようになったことだった。積み込むときには逆をやればいい。
生体の移送については、ずっと並行して研究が進められていたが、いくつかの時を経て人間の移動手段としての移送装置が完成したのだった。
初期の移送装置は、力場を増幅させる物質でできた卵型のカプセルで、そこにひとりずつ入って作動させた。今では、装置そのものははるかに小型化され、移送室と呼ばれるスペースに組み込まれて、一度に大勢の人間を同じところに送り出すことができる。移送は、最も安全で速い、確実な移動手段だった。
とはいえ、安全にエネルギーをワープさせられる距離は近距離のみに制限され、別の星系へ移動するようなときには宇宙船が活躍し、航宙技術も発達していった。
いつもと変わらないフラムでの一日のことだった。今別れてきた女子学生のことなど考えながら、カイが学生居住区に戻ろうとしたとき、ポケットに入れたモバイル端末が点滅しているのに気づいた。メッセージの着信を見落としていたらしい。応答しなかったメッセージは、そのまま端末の中に保存される。
自分の部屋のドアを開けながら、カイは慣れた手順でメッセージを再生した。
「カイ」
母親だった。その声の調子に、カイは思わず端末の画面を見つめた。モニターの中の母親の顔は、青ざめて頼りなげに見えた。
「サヤ……」
再生画像に聞こえるはずもないのは承知で、カイはその映像に呼びかけた。
「あなたに、言わなくちゃならないことがあります」
母親は、わずかな間をおいて、唇をぎゅっとむすんだ。
「ケンが、亡くなりました」
ケンが?!
父親が死んだ?!
どうして? この間会ったときには……
「……研究室に……」
くそ、聞き逃した。
カイは、何度か間違ったあげく、メッセージを少し戻した。
「……未知の感染症だったんです。探査船の船員が入院してきて、その症状は咳や発熱といった、よくある疾患のようだったの。でも、手順通り、ケンの研究室に検体が送られてきて……」
母親は目を伏せた。
「まったく未知の病気だとわかったときは、もう遅かったの。まず職員の間に、あっという間に感染しました。医者、看護師、それから病理研究スタッフ、もちろん入院患者にも」
カイは、手にひらに爪が食いこむほどきつく、こぶしを握りしめた。
「ケンは、ゆうべ亡くなったの。すぐ知らせなくてごめんなさい。でも、感染の危険を考えたら、あなたは帰って来るわけにいかないし、こちらの移送室は、健康な患者を……」
母親は、自分の矛盾した表現に気づいて、暗い微笑を浮かべた。
「まだ感染していない患者をほかの施設へ送り出すために、フル稼働しているの。フラムでも、上層部にはこのことの報告がいっているはずだけど、なにしろ事態の重大さがわかったのがごく最近のことで……」
母親は、頭をふった。本当に言いたいことは別にあるのに、自分はなにをしているのだろう、ともどかしく思っているような仕草だった。
「カイ、あなたがフラムにいてよかった。そこにいれば安全なはずだから。このことだけでも、わたしはずいぶん救われてる。小さい子を抱えた人の不安を思うと……」
また、頭をふる。
「今のところ、ポムの人間は誰ひとり感染の危険を免れないの。患者や職員は、状態の観察のためにいくつかのグループに分かれて、それそれ病棟内の決まった区画で暮らすことになっています。居住区は原則として封鎖。そして、今後メッセージの送受信にも制限がかかると思う」
母親は、唇の両端を上げて笑顔をつくった。
「大丈夫。ワクチンを作るための研究も進んでいる。わたしだって、ちゃんと生きのびる。でも、とにかく忙しくなるに決まっているから、こちらからのメッセージが届かなくても心配しないでね。つらいわね。でも、元気でいて。あなたは元気でいてね」
灰色になったモニターを見ながら、カイは呆然とベッドに腰をおろした。
未知の感染症? ケンが死んだ? 居住区封鎖?
カイは、ふるえる指で、もう一度母親のメッセージを再生した。
「……ケンが亡くなりました」
カイは、たたきつけるように端末をログアウトして放り出し、両手で顔をおおった。こんな知らせをもう一度聞けるわけがない。




