朝方思い付き短編小説「双子」
※この作品には、登場人物の死亡描写があります。
残酷な描写タグはついていますが、スプラッタ系ではありません。
精神的に壊れていく様を描いている点から、サイコホラーに近いものがありますが、個人的には人間ドラマ的なつもりで書いています。なので、ホラーを求めてきた場合は、物足りないかもしれません。
以上の点を理解した上でお読みください。
兄が死んだ。
女の子が欲しかった親を含めた親族からは嫌われて、友達も少なくて、根暗で、情けない笑顔しか浮かべられない人だった。
けれどわたしにとって、兄は半身であり、理想の兄であり、大切な人だった。
わたしと兄は双子だった。外見は、わたしが女で、兄が男であるという性別の違いがあるとはいえ、身長も同じくらいで、兄は男性というには少々華奢であった事や、わたしに似た女顔であった事で、つまるところ美形だった。
頭が良く、運動は少し苦手だったけれど、優しく、気を配る事が出来て、他人を思いやり、誰かを傷つけることを恐れるけれど、同時に傷ついている人を放っておけない心の持ち主だった。
小学生のころ、わたしはイジメられた事があった。
相手は当時、クラスでも上位に存在する女子のグループだった。
わたしが、そのグループのリーダー的存在が好きな男の子から告白されたのが原因だったらしい。わたしは断ったのだが、それもまたそれで、生意気という事だった。
他人に悪意を向けられたのは、その時が初めてだった。泣きそうになりながら弁明するわたしの話は聞いてもらえず、水をかけられ、服を剥ぎ取られそうになった。
そんな時に、兄が駆けつけてきてくれた。
問答すらなかった。走ってきて、息を切らしたまま、見たことも無い顔をしながら、全力で女の子の顔面をぶん殴ったのを見た。
わたしも含めて、その場にいた子達は皆、混乱した。沈黙した。
子供というのは、無邪気に暴力を振るうことはあっても、暴力を振るわれる事に慣れていないのだ。
殴られた女の子も、泣くことすらせず、地面に倒れこんだまま、呆然と兄を見ていた。
「ぼくの妹に、何をするんだ!」
恰好良かった。
ヒーローだった。
当時のわたしは、親や親戚全員がわたしを褒めそやし、お姫様のように扱い、兄の事は忌避していた事から、わたし自身も兄を下に見ていた。
いつも誰かの表情を伺い、情けない愛想笑いを浮かべて、恰好悪いと思っていた。時には、家にあったおやつを勝手に食べて、言及してきた親に、兄の仕業だと嘘をついて陥れた事もあった。その日、兄は食事を抜きにされた。
兄は劣った存在なのだと、わたしの搾りかすのような存在で、誰からも愛されない可哀想な存在なのだと、ずっと思っていた。
でも、違った。兄は、恰好良かったのだ。
子供ながらに、きっと兄だってわたしに色々思うところはあった筈だ。わたしが悪戯の罪をかぶせたせいで、兄が食事を抜かれたり殴られたりする事だってあったのにも関わらず、兄は、わたしを助けてくれたのだ。
その後、家に帰ったわたしは親に何があったのかと問われ、兄は話も聞かずに殴られた。
この家では、何かあれば、それは兄が原因だと決めつけられていた。
だからわたしが何があったかを両親に説明し、兄は悪くないのだと告げると、兄はもう一度殴られた。
わたしは「怖い目にあったね、もう大丈夫だよ、お母さんとお父さんが守ってあげるからね」と抱きしめられた。
後日、兄に殴られた子が親と一緒に家へとやってきた。兄に殴られた事への抗議だ。
兄はその人達の目の前でまた殴られた。わたしに似ている筈の綺麗な顔は、真っ赤に腫れて、口からは血が出ていた。
女の子に手を出したことに対するお詫びとして振るわれた暴力に、相手の親と子供は、多分顔を青ざめさせていたと思う。
そして、その女の子がわたしに何をしたのかもうちの両親が目を吊り上げて言うと、相手の親と子は、青ざめたまま頭を下げた。
わたしに酷い目を合わせた子が顔を青くして謝る様は、多分、そんな事があうより前のわたしであれば、胸をそらして誇っていた事だろう。
だけど、その時のわたしの心の中は、殴られて涙目になりながらも、泣くことなく頭を下げていた兄の心配しか無かった。
それから、わたしは自分の家の状況を改めて客観視することができるようになり、友達の家の両親や兄弟の話を訊いたりする内に、うちの家族が異常であるという事だけは理解した。
けれど、子供というのは親に歯向かうには勇気がいるのだ。しかも、異常である事がわかった後の親だ。日常的に自分の子供に暴力を振るうような親。いくら自分が対象ではないとはいえ、その時のわたしには、もう恐怖を感じるなというほうが無理だった。
それでも、兄への暴力を辞めさせたかった。
どうすれば辞めさせられるか。それを考えて、考えて、わたしは暴力を怖がる女の子を演じることにした。実際、怖いのだから間違ってはいないのだけれど。
お父さんが暴力をふるうところを見たくない。怪我をしている人を見るのは怖い、と訴えた。
その日以来、あっさりと、兄への暴力が振るわれることは無くなった。
代わりに、無視される頻度は上がったようだったけれど、兄からは困ったような笑顔で「ありがとう」と感謝された。
ありがとうと言うべきなのは、わたしのほうだった。
それから、わたしは友達と遊ぶ以上に、兄へと関心を持つようになった。
兄は頭が良く、勉強が出来るという事に気づいたのも、その時になってからだった。
休み時間は図書館から借りてきた本を読み、家では勉強するか、本を読むかしていないのだ。それは頭も良くなろうというものだ。
わたしの中で、ヒーローである兄の存在は大きくなっていった。
運動はできないし、友達も全然いない。
髪の毛は自分で切っているから乱雑な上に、前髪で目元を隠していて根暗な印象を与えるし、服は古着や、わたしが着ていた服のおさがりだから、ファッションセンスなんかも無い。
幸い、臭いのが嫌だと言ったわたしのお陰で、兄はお風呂に入る事は許されていたから、清潔ではあったのだけれど、当然ながらそんな人が女子から人気があるわけもなく、恋人の1人も出来たことが無く。
それでも優しくて、頭が良くてなんでも教えてくれる兄はわたしにとってヒーローであることに変わりはなかった。
ある日、コスプレに興味を抱いたわたしは、親にねだって買ってもらった衣装一式に含まれるウィッグを見て閃いた。兄を女装させよう、と。
元々、体型は殆ど同じだ。中学生に入ったばかりの頃は、女子であるわたしのほうが成長が早いこともあって、少し身長が高かった時期もあったけれど、わたしのおさがりを兄が着れる時点で、わたしと似たような顔なのに勿体ないなと思っていたのだ。
兄は恥ずかしがっていたけれど、覚えたてのお化粧の練習台になってほしい、としつこくねだったら、渋々頷いてくれた。兄はチョロかった。
それから、わたしは兄を女装させて一緒にプリクラを撮ったり、美味しい物を食べたり出かける事が何度かあった。
その姿の時の兄は、親に会ってもわたしの友達だと紹介したことで優しくしてもらえた。なにせ髪型が違うし、化粧のお陰で顔の印象も変わっていたし、そもそも兄を基本的に無視している親は、兄の顔など殆ど覚えてもいなかったかもしれないけれど。
そんなこんなで、わたし達は両親の目が無いところで、兄に勉強を教えてもらったり、わたしのスマホで一緒に動画を見て過ごしたり、時には女装しておでかけしたりなど、兄妹の交流は続いていた。
高校時代が始まった。兄は頭が良かったけれど、両親は大学に行くためのお金を出すつもりは無いようだったけれど、世間体を考えて、兄を高校卒業までは面倒を見ることに決めたらしい。
兄は、卒業後に独り立ちする時のため、アルバイトを始めた。「コミュ障の癖に」とわたしは笑っておきつつ、兄のバイト先の近所のファミレスでわたしもバイトを始めた。
その頃から、兄は少しずつ友達も出来ていたようで、所謂オタクといわれる友達に漫画を貸し出されたりしたり、同じ図書委員になった根暗そうな女子と話している姿を見る事もあったりと、兄の環境も少しずつ良くなってきているな、と安心していた。
兄の死は唐突だった。
バイト帰りの日のことだ。
わたしは兄のシフトと極力かぶるようにシフトを入れていたので、バイトの帰り道では兄と待ち合わせをして帰る事がよくあった。
その日もそうだ。19時くらいだっただろうか。夏に入っていた事もあって、まだ明るさの残る空の下、兄とバイト先の話をお互いにしながら帰路についていて、最近ストーカーじみた客がいて困っているという話をしていたところだった。
後ろから走ってくる車のヘッドライトに気付き、道の端に二人で寄ったところで、車はわたし達の目の前で乱暴に停車して、ちょうど話していたストーカーじみた客が降りてきた。
「俺というものがありながら、男を作るなんて!!」
顔を真っ赤にしたそいつは、異様にギラついた目でこちらに向かって走り出す。手には光るもの――包丁を握っていた。
防犯ブザーを鳴らさないと、とか、大声を出さないと、とか、逃げないと、とか、その時は頭に浮かんだ気もする。気もするだけで、実行には移せなかった。
頭が完全にフリーズしていたのだ。
人間、わけがわからない状況に陥ると思考が停止するというが、この感覚は、昔兄がわたしをいじめてきた女の子の顔を殴った時と同じだ。
違うのは、向けられている悪意がわたしと兄に向けられていた事。
咄嗟に目の前に出たのは、兄だった。
何か鈍い音が聞こえた気がする。
ストーカー男が何かを喚いて、腕を何度も振り上げる。
耳には、自分の心臓の鼓動の音しか響いていなかった。体は完全に膠着し、兄を助けなくては、という思いすら抱くことなく、わたしはただ呆然とその姿を見ていた。
「逃げろ!!」
わたしが正気に戻ったのは、そうかすれた声で叫んだ兄がわたしの身体を後ろに押し出した事による衝撃だった。
襲われ始めて、もう何分経った? どれだけ呆然自失としていた?
わたしは唖然としながらも、兄の言葉に反射的に従って、身体を翻し、バイト先への道へと走りながら戻っていく。
警察に通報しなくては。救急車、そう、救急車もだ。
あのままでは、兄が殺されてしまう。
――その後の事は、あまり覚えていない。
無我夢中だった。後から聞いた話では、バイト先のファミレスに駆け込んだわたしは、同僚を捕まえて意味不明な事をわめきながも、警察と救急車、という最低限必要な事は伝えられていたらしい。
幸い、近所の交番の警察が近くをパトロールしていたらしく、すぐに派遣されてきたその人達を連れて、わたしは現場へと戻って、死にかけていた兄を見つけて、兄にすがりついたらしい。
犯人はその時にはもう逃げた後だったけれど、兄の返り血をべったり浴びていたので、その姿を見た人達から通報があった上、町の監視カメラにはバッチリ姿が写っていたのと、現場に残されていた包丁に残った指紋という証拠もあって、翌日、犯人は捕まった。
けれど、兄はそのまま死んだ。
病院に運ばれた時には、既に出血量が多すぎた上に、包丁で何度も大事な臓器を突き刺されていた事もあって、どう足掻いても助けられる状態ではなかったとの事だ。
輸血ならわたしの血を好きなだけ使って良いから、と泣き叫んだ事だけは覚えている。
それから数日間、わたしは抜け殻のようになっていた。
葬式があったのも覚えている。クラスメイト達が来て、退屈そうにしている人もいたけれど、中には泣いてくれている人達もいた。
漫画を貸してくれていたオタクくんや、根暗そうな図書委員の女の子だ。
もしかしたら、あの女の子は、兄の事が好きだったのかもしれない。
まぁ、前髪に隠された顔をよく見れば美形だし、少々華奢だがスタイルも良いし、気配りが出来て頭の良い兄だ。ちゃんと見てくれる女の子でいるのであれば、好かれても不思議ではあるまい。
どこかぼんやりした頭でそんなことを考えていた。
両親は、面倒くさそうな顔をしていたけれど、世間体もあるからか、表面上は悲しそうにしていたし、母に至っては涙まで流していた。演技の上手いことだ。
葬儀の後も、何をする気も起きなかったわたしは引き籠りになった。
友達からの連絡なども全て無視して、両親が早々に捨てようとしていた兄の数少ない遺品のいくつかをもらい受けて、それを抱きしめながらベッドに横たわっている時間ばかりが頭に残っている。
兄との思い出がいくつも思い出されていた。
思い出すたびに、泣いていた。
じょじょに、笑い方もわからなくなってきた。
何日ほど経ったか。
トイレと食事以外では部屋を出る事もなく、食事も、兄の死を迷惑そうにしていた両親の顔など見たくもなかったから、深夜に冷蔵庫のものやカップ麺を食べるだけの日々。
抱きしめていた兄の遺品たちから、兄の匂いが欠片も感じられなくなっていた頃、ふと思った。
何日、お風呂に入っていないかな、と。
入る気力なんて無かったけれど、女としての矜持でも残っていたのか、入らなくては、と深夜にぼんやりそう考えて、真っ暗な部屋から抜け出す。
脱衣所で、もうずっと着たままの服を脱いで、ふと洗面台にある鏡が目に入った。
兄がいた。
絶望したような顔で、目に光は無く、しばらく美容院にいってなかったせいで伸び放題になった前髪で隠された顔、華奢な身体、少し中性的な美形の顔は疲れ果てているせいか、少しみすぼらしかったけれど、あぁ、だからこそ逆に、そう思えたのかもしれない。
鏡の中には、兄がいたのだ。
わたしは思わず笑った。
鏡の中の兄もどこか困ったように笑った。不器用な笑顔だった。
泣きそうだった。いや、多分、泣いていたのかもしれない。
「お兄ちゃん…」
わたしはかすれた声でそう呟いて、鏡へと手を触れた。
鑑の中の兄が、その手に触れてくれた。
兄は、ここにいるじゃないか。
死んでなんかいない。情けない笑顔を浮かべているその姿は、兄そのものだ。
わたしだ。わたしの中に兄は生きているんだ。
わたしは兄で、兄はわたしなんだ。
何かが自分の中で崩れていく音が聞こえた気がしたけれど、そんなことはどうでも良かった。
死んだと思っていた、もう会えないと思っていた、わたしの兄が、目の前にいるのだ。触れあっているのだ。
なんだ、じゃあ、こんな落ち込む必要なんてなかったじゃないか。
「お兄ちゃん、これからはずっと一緒だね」
わたしは笑った。兄も笑った。
「そうだね。これからはずっと一緒だ」
「嬉しいよ、お兄ちゃん」
「ぼくも嬉しいよ」
わたし達は笑いあった。
「じゃあお兄ちゃん、わたしお風呂入るから」
「あぁ、そばで見てるよ」
「もう、お兄ちゃんのえっち。妹の裸見たいの?」
「見えちゃうんだから仕方ないじゃないか」
兄の言葉に、わたしは笑った。
目の前が開けて行った感覚がする。
世界が色を取り戻したように感じた。
そうだ。お風呂から上がったら、久々にお化粧をしよう。明日は美容院に行くのも良いな。髪の手入れもしないと。あとは服を買いに行くのもいいかもしれない。
わたしは兄で、兄はわたしなのだ。だったら、兄に自分の選んだ服を着てもらう事だって好きにできるし、兄を女装させて楽しむことだって、自由だ。
将来、わたしが結婚したら兄は泣くだろうか。いや、きっと泣くに違いない。でも大丈夫だ。兄は永遠にわたしと一緒なのだから、兄が泣いたら笑ってやろう。わたしにとっての一番の特別は、お兄ちゃんなんだよ、と。
※
「違う、違う違う、お兄ちゃんはこんなんじゃない…もっと違う…違う筈…」
お兄ちゃんは今、一緒にいる。勉強を教えてもらおうと思ったのに、兄がわたしのわからない問題を教えてくれない。
こんなのおかしい。お兄ちゃんはわたしよりも凄い頭が良くて、解けない問題なんかなくて、頼りになる兄なのに。
こんなのはお兄ちゃんじゃない。お兄ちゃん、お兄ちゃん、お兄ちゃん……。
いや……違う。お兄ちゃんはわたしだ。わたしはお兄ちゃんなんだ。
そう、わたしだ。わたしという不純物のせいだ。
そうだ、お兄ちゃんは読書が趣味だった。勉強も毎日ちゃんと何時間もしていた。わたしのせいで、お兄ちゃんからその知識が消えちゃったんだ。
なんてことだ。そうか、そういうことか。だから、わたしという不純物を少しでもそぎ落として、お兄ちゃんにならなきゃ。
お兄ちゃんになる……?
違う、わたしは兄なんだ。元から兄なんだから、なるも何もない。そういうものなんだ。わたしが邪魔していただけだ。兄の日課を。
「ごめんね、お兄ちゃん」
「こっちこそごめんね、でも大丈夫だよ。少し勉強したらまたいっぱい教えてあげるからね」
わたしの隣にいるお兄ちゃんはそう言ってわたしの頭を撫でてくれた。
わたしにしか見えない、わたしだけのお兄ちゃん。わたしの中にいるお兄ちゃん。
あぁ、優しい。とろけてしまいそうになるくらい、兄は優しいのだ。
だから、兄の中から不純物を早く取り除かなくては。
※
「ぼくって…どっちだっけ?」
首を傾げた。
鏡に映るわたしは、わたしなのか、兄なのか、わからなくなってきていた。
いや、ぼく? ぼくが見ている鏡が妹を映しているのかな?
段々混乱してきた。鏡に映っているのは、可愛らしく、段々と少女から女性へと成熟していきはじめている、美しい女の子だ。
どっちだっただろうか。
「お兄ちゃん、今ってどっちだっけ?」
「さぁ……でも、まぁ、兄も妹も同じなんだから、あんまり変わりなくないかい?」
「うーん? 言われてみれば、それもそうなのかな?」
鏡の中の兄が困ったように笑えば、鏡の中の妹が不思議そうに首をかしげる。
「あ、そういえば今日はユキちゃんと買い物でかけるけど、お兄ちゃん、ユキちゃんのこと最近意識してない?」
「ユキちゃん? あぁ、確かにあの子可愛いよね。でも、そういう感情は無いよ?」
「本当かなぁ……じゃあ逆に、ユキちゃんがお兄ちゃんに告白してきたら?」
「あはは、無い無い」
「えぇー? わからないじゃん。お兄ちゃん、わたしに似て美形なんだから」
「そうかなぁ?」
「そうだよ! まー、ユキちゃんならお兄ちゃんと結婚しても? 許してあげなくもないかもね?」
「あ、ぼくがとられる側なんだ?」
「だってそうじゃん、お兄ちゃんはわたしのものなんだから!」
「あはは、そうだったね、ごめんごめん」
いつもの困り顔の笑みに、わたしは笑う。
幸せだな。ずっとこんな日々だったらいいのに。
「〇〇……? あなた、一人で何を言ってるの……?」
「え?」
背後から声がして振り返る。鏡に映る兄の陰にいた事で気付かなかったけれど、どうやら母が今のやりとりを見ていたらしい。
「あはは……ごめんね、お母さん。実はわたし、本当はお兄ちゃんと仲良かったんだ」
「なに……が……?」
「うん、でもお母さん、叱るならぼくにしてね。〇〇は悪くないんだ」
「もーお兄ちゃん、いいじゃん。わたし達、もうすぐ高校3年なんだよ? 今更お母さんに媚売る必要ないって」
「そんな事言っちゃダメだよ、〇〇。お母さんだって――」
「何を!! 一人で言ってるのって言ってるのよ〇〇!!!」
お母さんの悲鳴に、兄と妹は同時に首をかしげる。
そして、妹が気付いた。
「……あぁ! そっか、お母さん、お兄ちゃんの事嫌いだもんね。またいないもの扱いしてるのか……そういうとこ、昔から良くないと思ってたよ?」
わたしの指摘に、兄は悲しそうな顔をする。
「あぁ……そっか」
最近は、無視される事なんて無かったから忘れていた。
そうだった、兄は両親から基本的には無視されているのだ。
「お兄ちゃん……? バカな事言わないで! あの子は死んだ、死んだのよ!?」
何か恐ろしいものを見るような顔でそんなことを言う母に、妹は笑った。
「あはは、何言ってるのお母さん」
兄も困ったような笑顔で言う。
「嫌いなのは知ってるけど、ぼくはこうして目の前にいるじゃないか」
母は、兄達の言葉に、何か悲鳴をあげて部屋を出て行った。
「「おかしなお母さん」」
くすくすと、わたし達は笑いあった。