第9話 嵐の峠越えと雨宿りの洞窟
陽気な吟遊詩人レオと別れた翌朝、俺たちは宿場町を後にして、アブリルへの最後の道のりへと足を踏み出した。
レオの話によれば、この先にある険しい峠を越えれば、あとは港まで下るだけらしい。
「あと二日もあれば着くって言ってたっけな。よし、さっさと越えちまうか!」
「はい!」
俺はいつものようにサンテアを肩に乗せ、ギンを腕に抱えると、軽快に街道を走り出す。
宿場町を出てしばらくは、なだらかな丘陵地帯が続いていたが、徐々に道は険しくなり、深い森に覆われた山々が前方に迫ってきた。
ここがレオの言っていた峠なのだろう。
道幅は狭くなり、傾斜もきつくなる。
馬車などはかなり難儀しそうな道だが、俺の足には関係ない。
むしろ、変化に富んだ地形の方が走っていて楽しいくらいだ。
「うわぁ、高いですね……!」
肩の上でサンテアが感嘆の声を上げる。
見上げれば、切り立った崖が迫り、見下ろせば、深い谷底が広がっている。
豊かな緑と岩肌が織りなす雄大な景色だ。
ギンも興味深そうにキョロキョロと周囲を見回している。
『ふむ、この辺りはなかなか魔力が濃いのう。古い山には、時折、力の強い精霊や地霊が宿ることがあるからのう』
エルラードが珍しく周囲の自然についてコメントする。
神力回復の手がかりにでもなるかと思ったが、特にそれ以上何かを感じるわけではないらしい。
順調に峠道を登っていく。
昼過ぎには、かなり標高の高い場所まで到達した。
見晴らしの良い場所で少し休憩を取ろうかと足を止めた、その時だった。
さっきまで青く澄み渡っていた空が、にわかに掻き曇り始めたのだ。
みるみるうちに厚い灰色の雲が空を覆い、冷たい風が吹きつけてくる。
「ん? なんだか天気が怪しくなってきたな」
「本当ですね……急に暗く……きゃっ!」
サンテアが言い終わるか終わらないかのうちに、大粒の雨が叩きつけるように降り始めた。
それも、ただの雨ではない。
風も急速に強まり、横殴りの暴風雨となった。
ザアァァァァァァッ!!
バチバチと音を立てて降り注ぐ雨粒が、俺の体には大した影響を与えない。
風が強くても、足元がふらつくこともない。
さすが無敵。
だが、サンテアとギンはそうはいかない。
「うぅ……寒い……」
「きゅぅぅん……」
サンテアは降りかかる雨と風に体を縮こませ、がたがたと震え始めた。
ギンも俺の腕の中で不安そうに鳴き、雨に濡れた毛がぺったりと体に張り付いている。
『おい、アンリヴァルト! 何をしておる! さっさと雨宿りできる場所を探さんか! このままではサンテアの体が持たんぞ!』
エルラードが焦ったように叫ぶ。
普段はサンテアの体調などあまり気にしない彼女だが、さすがにこの状況はまずいと思ったらしい。
あるいは、単に自分が濡れて寒いのが嫌なだけかもしれないが。
「わーってるよ! ちょっと待ってろ!」
俺はサンテアとギンを自分の外套でできるだけ覆い隠し、周囲を見渡す。
こんな山道で、都合よく雨宿りできる場所など……。
「あった!」
視線を巡らせていると、少し先の崖の中腹あたりに、ぽっかりと口を開けた洞窟があるのを見つけた。
大きさも、俺たちが入るには十分そうだ。
「よし、あそこまで行くぞ! しっかり掴まってろ!」
「は、はい!」
俺は雨風でぬかるむ急斜面をものともせず、一気に洞窟へと駆け上がる。
普通の人間なら足を滑らせて谷底へ真っ逆さまだろうが、俺の足は地面に吸い付くように安定している。
洞窟の中に飛び込むと、嘘のように雨風の音が遠のいた。
中はひんやりとしているが、外の嵐に比べれば天国だ。
「ふぅ、助かった……。サンテア、ギン、大丈夫か?」
「は、はい……なんとか……。ありがとうございます、アンリ様」
「くぅん……」
サンテアとギンはまだ震えている。
俺はすぐにリュックから焚き火用の道具を取り出し、洞窟の入り口近くで手早く火を熾した。
パチパチと音を立てて燃え上がる炎が、冷えた洞窟の中に温かい光をもたらす。
「さあ、火のそばに来い。濡れた服も脱いで乾かさないと」
俺は自分の外套も脱いで、サンテアに被せてやる。
サンテアは少し躊躇いながらも、濡れた上着を脱ぎ、焚き火で乾かし始めた。
ギンも火のそばに寄り添い、濡れた毛をぶるぶると震わせて水を飛ばしている。
炎の暖かさと安心感からか、サンテアの表情も少し和らいできた。
『やれやれ、危ないところじゃった。まったく、山の天気はこれだから好かん』
エルラードが、まるで自分が嵐を乗り切ったかのように偉そうに言う。
「まあ、いい休憩になったじゃないか。どうせこの嵐じゃ、しばらく動けそうにないしな」
俺は洞窟の入り口から外を見る。
雨風はますます強まっているようだ。
雷鳴も轟き始めている。
「ここで一晩明かすことになるかもしれんな」
そう呟きながら、洞窟の奥へと視線を向けた、その時だった。
カサッ……。
洞窟のさらに奥、暗がりの中から、微かな物音が聞こえたのだ。
「ん?」
俺は咄嗟に身構える。
サンテアもギンも、音に気づいて緊張した面持ちで奥を見つめている。
『……何者かおるようじゃな。魔物か? いや、この気配は……人間か?』
エルラードが囁く。
どうやら、この洞窟には先客がいたらしい。
雨宿りをしている旅人か、あるいは……。
「ちょっと様子を見てくる。サンテアとギンはここにいろ」
「アンリ様、気をつけて……」
俺は焚き火のそばから燃えている手頃な枝を一本手に取り、松明代わりにすると、音を立てないように慎重に洞窟の奥へと進んだ。
洞窟は思ったよりも奥に続いているようだ。
壁は湿っており、時折水滴が滴り落ちる音が反響している。
松明の光が照らす先、洞窟が少し広くなった場所に、それはいた。
丸くなって蹲る、小さな人影。
フード付きのマントを深く被っており、顔は見えない。
だが、その傍らには粗末な杖が置かれており、服装もどこか見覚えがあるような……。
「……誰かいるのか?」
俺が声をかけると、人影はびくっと肩を震わせ、ゆっくりと顔を上げた。
フードの隙間から覗いたのは、怯えたような大きな瞳と、そばかすの散った若い少年の顔だった。
数日前、峠の手前の洞窟で出会った、あの気弱な魔法使い見習いの少年、アルフだ。
「あ……あなたは、あの時の……!」
アルフも俺に気づき、驚きと安堵が入り混じったような声を上げたのだった。
◆新連載◆
リストラされたおっさんの下克上ダンジョンものです。
早いテンポで物語が進むように心がけていますので、サクサク読めますので是非。
『リストラされたおっさんのスキルは【配置換え】。ダンジョンでモンスターや宝箱の位置を入れ替えたら、Sランクパーティーも攻略できない最難関フロアを一人で踏破してしまった』
https://ncode.syosetu.com/n2269kt/




