第8話 陽気な吟遊詩人と港町の噂
昨夜の襲撃騒ぎなどまるで嘘のように、朝の森は穏やかな陽光と鳥のさえずりに満ちていた。
俺たちは簡単な朝食を済ませ、燃え残った焚き火を丁寧に消すと、早々に野営地を後にした。
街道脇に転がしておいたならず者たちの姿は、いつの間にか消えていた。
誰かが衛兵に突き出したのか、あるいは自力で逃げたのか。
まあ、どっちでもいい。
「アンリ様、昨日の人たち、もういませんでしたね……」
肩の上でサンテアが少し心配そうに呟く。
昨夜の出来事は、彼女にとってかなり怖い経験だったようだ。
腕の中のギンも、まだ少し警戒しているのか、時折周囲に鋭い視線を送っている。
「ああ、もう大丈夫だろ。あんな奴ら、二度と俺たちの前に顔は見せられないって」
「だと良いのですが……」
『油断大敵じゃぞ、アンリヴァルト。あのボルボンという商人のような執念深い輩は、一度や二度の失敗では諦めぬものじゃ』
エルラードが釘を刺すように言う。
まあ、女神の言うことにも一理あるかもしれない。
用心するに越したことはないか。
そんなことを考えながら街道を進んでいると、前方から軽快な音楽が聞こえてきた。
リュートか何か、弦楽器の陽気な音色だ。
それに合わせて、楽しげな歌声も聞こえる。
音のする方へ目を向けると、道の向こうから一人の男が歩いてくるのが見えた。
年は二十代後半くらいだろうか。
鮮やかな緑色の上着に、ぴったりとした黄色のズボン、頭には羽飾りのついた帽子という、かなり派手な出で立ちだ。
背中にはリュートを背負い、手には小さなタンバリンのような楽器を持って、ステップを踏みながら陽気に歌っている。
いかにも旅芸人か吟遊詩人といった風体だ。
『なんじゃ、騒々しい奴じゃな』
「面白そうな奴じゃん」
男は俺たち一行に気づくと、歌と演奏をぴたりと止め、パッと人懐っこい笑顔を向けた。
そして、軽やかな足取りでこちらに近づいてくる。
「やあ、旅のお仲間さん! ご機嫌いかがかな? こんな素敵な朝に、可愛いお嬢さんと、おっと、これはまた珍しいお連れさんと一緒とは、羨ましい限りですな!」
男は芝居がかった口調で、流れるようにそう言った。
その笑顔は屈託がなく、胡散臭かったボルボンとは対照的だ。
「あんた、吟遊詩人か何かか?」
「いかにも! 私は愛と自由、そしてちょっぴりの真実を歌い紡ぐ吟遊詩人、レオと申します! 以後お見知りおきを! あなた方は?」
「俺はアンリヴァルト。こっちはサンテアと、ギンだ」
「アンリヴァルト殿に、サンテア嬢、そしてギン殿ですな! どうぞよろしく! ところで、アンリヴァルト殿たちも、この先の港町アブリルへ?」
「ああ、そのつもりだが」
「おお、それは奇遇ですな! 実は私もアブリルを目指しているところなのですよ。いやはや、これも何かのご縁! よろしければ、次の宿場町までご一緒しませんかな? 道中、退屈しのぎに歌でも聞かせますぞ!」
レオはウィンクしながらそう提案してきた。
おしゃべりで陽気な男だが、悪い奴ではなさそうだ。
それに、道連れがいれば、サンテアやギンの気分転換にもなるかもしれない。
「まあ、構わないけど。ただし、俺の足は速いぞ?」
「ほほう? それは楽しみですな! 私の健脚も、なかなかのものですぞ!」
こうして、俺たちの奇妙な一行に、陽気な吟遊詩人レオが加わることになった。
レオは言葉通り、リュートを奏でながら様々な歌を歌ってくれた。
英雄譚、恋物語、滑稽な失敗談など、そのレパートリーは豊富で、サンテアとギンはすぐに彼の歌の虜になった。
『ふん、俗っぽい歌ばかりじゃな。もっとこう、神々の偉業を讃える荘厳な叙事詩とかは歌えんのか?』
エルラードだけは相変わらずだが、それでも普段よりは口数が少ない。
もしかしたら、彼女もレオの歌を少しは楽しんでいるのかもしれない。
レオは歌の合間に、様々な町の情報や噂話も聞かせてくれた。
彼は仕事柄、各地の情報に精通しているらしい。
「アブリルですか……あそこは活気があって良い港町ですが、最近は少し物騒な噂も多いですな」
「物騒な噂?」
「ええ。なんでも、霧の深い夜になると、沖合にボロボロの『幽霊船』が現れるとか……。それを見た船は必ず不幸に見舞われる、なんて船乗りたちは恐れているようですな」
幽霊船、か。
ボルボンを追っ払った夜も、霧が出ていたような気がする。
「それから、町の高台にある海の神殿。あそこも色々曰く付きでしてな。今の神官長は金に汚いと評判ですが、神殿の奥深くには、古代の海の神が残したという秘宝が眠っている……なんて伝説もあるんですよ」
『秘宝じゃと!?』
エルラードがすかさず反応する。
サンテアの口調が僅かに変わったことに、レオは一瞬気づいたような素振りを見せたが、すぐに笑顔に戻って続けた。
「ええ。まあ、ただの伝説でしょうけどね。誰も見た者はいませんから。ああ、それと、アブリルといえば魚市場ギルドですな。あそこのギルド長は強欲で有名で、漁師たちを泣かせているとか……。まあ、どこの町にも悪い噂の一つや二つはありますからな、はっはっは!」
レオは明るく笑うが、その内容は、アブリルが決して平和なだけの町ではないことを示唆していた。
レオは俺の肩の上のサンテアや、腕の中のギンにも気さくに話しかける。
特にギンには興味津々のようで、「いやはや、本当に珍しい。銀色の毛並みもさることながら、この賢そうな瞳! もしかして、どこかの貴族様が逃がした特別な魔獣では?」などと言っていた。
俺は適当にはぐらかしたが、レオは俺の尋常でない雰囲気や、ギンの特殊性にも薄々気づいているのかもしれない。
だが、彼はそれ以上深く詮索することはなく、あくまで陽気に、旅の仲間として接してくれた。
その日の夕方、俺たちは街道沿いの比較的人通りの多い宿場町に到着した。
アブリルまでは、あと二日ほどの距離だ。
「さて、私はここで一晩歌って、少しばかりおひねりを稼がねばなりませんので。アンリヴァルト殿たちとはここでお別れですな」
「そうか。まあ、道中楽しかったな。達者でな」
「ええ、アンリヴァルト殿たちも! サンテア嬢、ギン殿、またどこかで! きっと、アブリルで再会するような気がしますぞ!」
レオはそう言うと、再びウィンクし、リュートを抱えて町の広場の方へと消えていった。
「行っちゃいましたね……なんだか、あっという間でした」
サンテアが少し寂しそうに言う。
「ああいう奴は、またひょっこり現れるかもしれないな」
俺はレオが消えた方を見ながら呟く。
陽気で掴みどころのない男だったが、悪い奴ではなかった。
アブリルで再会するかどうかはわからないが、もしそうなったら、また面白い話が聞けるかもしれない。
『ふん、騒々しいのがいなくなって清々したわ。それよりアンリヴァルト、あの神殿の秘宝の話、気になるのう……』
エルラードは早速、神力回復のことしか頭にないようだ。
「はいはい、わーってるよ。アブリルに着いたら、まずは美味い魚食って、それから神殿とやらに行ってみるか」
俺は大きく伸びをすると、宿を探して歩き出した。 港町アブリル。 そこでは一体どんな出来事が待っているのだろうか。 幽霊船に、秘宝伝説、強欲なギルド……。 どうやら、退屈しない旅になりそうだ。




