カエルに餌を与えましょう
「遂に完成しましたよ」
宿の部屋でスラム街に出かける準備をしていると、マーシュがいつも通りの笑顔で部屋を訪れてそう言った。
「遂にか!」
俺は振り返ると続けて。
「で、何が完成したの?」
と、聞く。
いや、だってここのところずっと街を色々改革してきたのだ。
完成したと言われても心当たりが多すぎてどれがどれだかさっぱりなのである。
「孤児院ですよ。孤児院」
「あー、そういえばあとは内装だけだってマキエダが言ってたな」
俺はまとめた荷物を担ぎながらマーシュに振り向く。
「建物はあとで見に行くとして、孤児院で働く人は集まったのかな?」
「元教師で引退した方と、街で元々スラム街の人たちを助けてくれていた人たちの中から数人。あと別の街の孤児院からしばらくの間応援に何人か来てくれることになってます」
箱だけ出来ても中身が伴わなければ意味が無い。
なんせ孤児院に関してはオーナーは俺なのである。
資金は魔石をいくつか売れば十分だったし、数年は余程のことでも無ければスラム街の子供たちだけでなく、この先不幸にも孤児になってしまう子供たちも救えるだけの余裕は持たせたつもりだ。
「それでマーシュ」
「はい」
「例の件なんだけど、考えてくれたかな」
「私がアンリ様に代わって孤児院の管理人になるという話ですか」
今回の改革が一段落した後、俺はこの街を去るつもりでいた。
契約紋によって最初こそ強制的に働かされていることを不満げにしていたルブレド子爵やランドだったが、街の人たちと一緒になって改革を推し進めている内にそうやらその心が変ってきたようなのだ。
最初こそ強制されてない部分では町民と距離を置いて見下すような態度だった彼らが、今では強制では無く率先して人々と関わり、街を良くしようとしはじめたのである。
「俺がこの街で一番信用出来るのはお前だけなんだ」
とはいえ子爵たちを全面的に信用出来るかと言えば嘘である。
契約紋の縛りで悪さは出来ないだろうが、契約の抜け道が無いとも限らない。
俺が居なくなった後、また野心を抱いて勝手な行動を取るかもしれない。
だから俺が居なくなった後もこの街には信頼できる監視役が必要だと俺は思った。
「アンリ様がこの街の執政官になられれば皆が安心して暮らせますでしょうに」
「俺に政治は無理だよ。貴族相手に腹芸とか出来ると思うか?」
「思いませんね」
「だろう? 俺は結局力でしか何も解決できない脳筋だからな」
「のう……きん?」
おっと。
この世界には脳筋という言葉に近いものは無かったみたいだ。
「考えるより体が先に動く脳みそまで筋肉みたいな思考しか出来ない人間のことさ」
「ああ、なるほど」
なんだろう。
滅茶苦茶納得されたんだが。
それってやっぱりマーシュから見ても俺は脳筋という言葉にピッタリだと言うことだろうか。
とりあえずモヤっとした気持ちは置いとくとして。
俺はマーシュとの話を再開する。
「その点マーシュは商人だし経験も豊富だ。腹芸なら貴族より商人の方が上だろ?」
「私は誠実な商売しかしてこなかったつもりなんですけどね」
少し心外そうに応え
「こちらの世界も完全に綺麗かと言われれば何も言い返せませんが」
と、マーシュは苦笑した。
「やってくれるかい?」
「最初に話を聞かせて貰ったときの条件でよろしければ……ですが」
「商人の仕事は続けたいから常に町には居られない――だったか」
「はい。ですので彼らにも手伝って貰おうと思ってます」
「彼ら?」
俺は少し考えてから思い当たる名前を口にした。
「エンダルたちか?」
「彼らならスラムのことにも、孤児たちのことにも詳しいですし。子爵たちの動向もきちんと見てくれると思うんですよ」
確かにその通りだ。
今、彼らは子爵の手を離れて普通の冒険者として生計を立て始めてはいる。
だが生活が保証されていた子爵の元にいた頃よりは苦しいはずだ。
もちろんやりたくないことをやらされているよりは余程マシなのだが。
「その話は彼らに?」
「アンリ様に相談してからと思いましたので、まだ」
「そうか。それじゃあ早速頼んでみるよ。ちょうど今から子供たちの所に来るって聞いてるしな」
そう応えるとマーシュは「それでは私は先に孤児院へ行きますね。昼前に他の孤児院からの応援が着くらしいので」と言い残し部屋を出て行く。
「俺も行くか――っと、その前に」
俺は床に伏せるとベッドの下を覗き込む。
そしてその暗闇の奥に手を伸ばすと、隠していたものを取りだした。
「ピョン吉。餌の時間だぞ」
片手にぶら下げた籠の中で、眠そうに目を擦っているカエルに声を掛ける。
基本夜行性のライトフロッグだから眠っていたのだろう。
「ほら。お前の大好きな変な虫だぞ」
数日前に死の茸の追加を取りに魔瘴の森へ行ったときに、ついでに捕まえてきたピョン吉の好物を籠の中に放り込む。
マーシュに聞いた所によると、芋虫に羽が生えたようなこの変な虫の名前はフライワームと言うらしい。
森の中の木に穴を開けて巣を作る性質を持っていて、夜になると穴から這い出して空を飛ぶという。
『ゲコッ』
籠の中にフライワームを放り込むと、一瞬にして下を伸ばし捕食するピョン吉。
他の虫を餌にした時と明らかに反射速度が違う。
パクパクと咀嚼してゴクリと飲み込む瞬間、ピョン吉の体が微かに光るのも面白い。
これも他の餌では無い現象だ。
「それじゃまた後でな」
俺は籠の中の水入れに水を追加してから、元のようにベッドの下へピョン吉を入れた。
これは記帳で高値で売れるらしいピョン吉が盗まれないように隠すという意外にも、夜行性なので暗いところが良いだろうという俺の配慮だ。
「これでもう忘れたことは無いな」
もう一度だけ部屋を見回す。
特に忘れ物は無さそうだ。
「準備ヨシ!」
そして俺は最後に部屋を指さし確認すると部屋を出て鍵を閉める。
背中に背負ったリュックはかなり大きくて、まだ空きは十分ある。
「まぁ食料とか途中で買い込んだら一杯になるんだけどな」
俺はそう呟いてリュックの肩紐をしっかりと握りしめると階段を一気に駆け下りる。
そして宿の主人に一声「いってきます」と声を掛けると子供たちの元へ向かうのだった。




