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第九十九話 女傑、生誕の日:アオラ

99.a



 早い、とにかく動きが早かった。レティクルを合わせた時にはもうその姿はなく、代わりに遠慮なくこちらを狙ってくる。第十九区の街を、私の機体を援護してくれた人型機部隊に被害が及ばぬよう位置取りもさることながら下手に避けることすらままならない。今し方もライオットシールドで敵の砲弾を受け止めたがもう何発も保たないだろう、たまったものではなかった。


「だからと言ってぇ!逃げ出す訳にはいかないんですよぉ!」


 私を突き動かしているのは怒りではない、後悔でもなければ仇討ちでもなかった。皆んなに応えたい、守ってくれた人型機のパイロット達に応えたいその一心がコントロールレバーを握る手に力を与え、踏み込むフットペダルの迷いを断ち切ってくれていた。


《相対距離二百、敵機離脱を開始》


 ここで逃してなるものかとさらにフットペダルを踏み込みオーバーヒートも構わずエンジン出力を跳ね上げた。アフターバーナーが周囲を照らし第十九区の街並みにその軌跡を残していく、空気抵抗の前にコクピットが激しく振動しアラート音と共に私の耳を襲う。


《相対距離百、敵機反転、ロックオンされています》


 追いつかれると判断した不明機が慣性の法則を無視した動きでくるりと回転、振り向きざまに砲弾を見舞う。寸分違わず私の機体に飛来し最後の一発と決めてシールドで受け止めた。着弾の衝撃と共にシールドが大破しそのままパージ、加速の勢いを殺すことなく不明機へと追従をかける。


(あと少し!)


 機体のアームが届く距離に入った、不明機が逃げ出すと予測したが外れ、何の抵抗も見せずあっけなく捕まえられた。


[少しお話ししましょうか、怖い人型機のパイロットさん]


「!」


 通信...それも若い、私と同じ歳を思わせる女性の声だ。緊張も何もない、ただ声をかけた、それだけの気軽さを持った声音だった。


[あなたは何故戦うの?勝てないと分かっているわよね?]


 鉄と鉄がぶつかり合いその軋む音で通信越しの声がかき消されそうになっていた。


[どうせ消えて失くなる命、そこまでみっともなく拘る理由が分からないわ]


「あなたの方こそっ、勘違いをしないでください!私が拘っているのはあなたではなく守ってくれた皆さんです!」


[…っ]


 息を飲む気配が伝わってきたと同時に通信が切られる、私の言葉に面食らった相手が憤るように戦闘機形態から人型機形態へと変化した。掴んでいたアームは外され逆に胸部を鷲掴みにしてきた、鉄が悲鳴を上げてひしゃげていく。空いた隙間から高高度の乱気流がコクピット内に入り込み目蓋すら開けられなくなってしまう。


[いいでしょう、ここであなたも消してあげます。あなた達は私と違って短い生しか送れない、見るに耐えない、哀れ、遅かれ早かれ先逝く命に餞別を与えましょう]


 さらに胸部が壊されあちこちから火花が散り始める、熱くそして焦げ臭い。それでも負けてなるものかとレバーを懸命に引っ張りアームを持ち上げた。


[……っ!まだやりますか、この私にまだ噛みつこうというのですか]


 アームが不明機を捉えた、どこを掴んでいるのかまるで分からないが掴んでいた敵のアームがほんの少しだけ緩んだ。レバーを握った手が痛みを通り越して痺れ始めたが構わない、こちらも負けじと敵の装甲板を剥がしにかかった。


[なっ?!そんなはずはっ、こんなオンボロに遅れを取るはずがない!]


「あなたこそ何の為に戦って命を奪ったのですか!あなたもピューマが憎いのですか?!」


[それが何か?!あなたに関係あるのかしら!いいからこの汚い手を離して!]


「離すもんか!離すもんかぁ!!」


 力の限りに吠えた、嘘だ、私を突き動かしていたのはやっぱり怒りだった後悔だった、報いたいのではなく許しが欲しかったのだ。これで駄目ならそれまで、掛け替えのない命を無駄にしてまで作戦が失敗に終わってしまう、私は二度とアオラさんと笑い合える自信を持てなくなるだろう。


[何でこんな機体に!]


 不明機がもがくにもがくがこっちは離す気など毛頭ない。今のうちにどうか突入を、残った人型機を第十九区に到達させたら私の勝ちだ、そう決めた。


「リューさぁぁあん!!」


 私の叫びに頼りない補佐官がすぐに応えてくれた。しかし頼りないなんてとんでもない、


[特別師団全隊進軍せよ!降下する人型機を援護!邪魔する者は全力を持って排除するんだ!]


 あれだけ私に噛み付いておきながらずっと待ってくれていたんだ。


[後は僕達の仕事だ。君が無事に戻るまで作戦は終わらない、いいね?]



✳︎



 人型機部隊が降り立った場所は観光エリアの目抜き通り、事前に配置していた特別師団の誘導を持って無事に着陸したのを見届けてからさらに指示を出す。


「マッピングした位置まで警官隊を護衛したあと速やかに人型機へまで戻るんだ!」


[仰せのままに]


 大仰な物言いは止めてほしいが今は指摘している場合ではない、ガイア・サーバーから引っ張ってきた監視カメラの映像には早速第十九区の警官隊が出動している様子が映っている。時間との勝負だ、混戦になってしまえば地理に明るくない我々が遅れを取ってしまう。

 目抜き通りはインターチェンジ前から大聖堂前までの一本道、そこから細かく枝分かれした道が幾重にも延びている。第十九警官隊の現在位置は目抜き通りの入り口、やはりというか彼らは挟撃を行うつもりらしく細い道に何名かずつ駆けて行った。


「キリ、ピューマ達は?」


「順調、付近の建物に隠れていたからすぐだよ」


「警官隊を怖がっている様子はないかい?」


「大丈夫」


 キリの顔付きは真剣そのものだ、ヘッドセットに片手を添えてレーダーを睨むように見つめている。


「スイに後退するよう連絡を、これ以上の戦闘は不要です」


「分かりました!」


 このオペレーターの方には感謝しかない、人と人との争いの中にあっても取り乱さずに職務を全うしてくれている。終わった後に名前でも聞いておこうかと考えていると脇腹をこれでもかと抓られて驚いてしまった。下を見やれば怒った顔をしたキリがコンソールから視線を変えて僕を睨んでいた。


「浮気」


「違うよ、今は真面目に」


 少しむくれたキリ、案外この子はどんな時でも取り乱さない、肝っ玉が一番大きいかもしれなかった。

 比較的小柄なピューマをコクピットに乗せた人型機が最速で一機離陸した、その数は六。今頃機内は大騒ぎになっているだろうが今は辛抱してほしい。残りは五体、幸いにもこの区にクマ型の大柄なピューマはいなかったので今の機体数でも事足りる。目抜き通りから細かく分かれていった警官隊の姿を追っていると唐突に画面が真っ暗になってしまった。


「?!」


「これは…故障ですか?」


 勘弁してほしい、何故こんな時に..ブラックアウトしてしまったコンソールを調整してみるが画面は一向に戻らない。


(どこにも不具合は見当たらない…)


 ガイア・サーバー側から切られた?けれど、何故?確かにこちらは盗み見ている立場だが、そもそもカメラの類いは誰でも見られるはずだったのでは...今、サーバーから監視できるカメラの類いが使えなくなってしまうのは死活問題、すぐにバルバトスへ連絡を取り事情を聞き出そうとしたのだが...


「………繋がらない?」


「リュー?」


 キリの労わる声が耳に入ってきたがそれどころではない。カメラだけではなく通信まで使えなくなったとなるとビースト襲撃の際に行われたEMPを疑わざるを得ない、速やかに機器類のチェックを命じたがとくに問題はなかった。


(どういう事なんだ?カメラ、それからサーバーを介しての通信だけが使えないとなると…)


 オペレーターの悲鳴に近い報告によって思考は一時中断、目抜き通りから隠れていた警官隊が姿を現し無警告に攻撃を開始してきた。レーダー機器に映った警官隊が縦横無尽に位置を変え救出部隊を翻弄している。


「特別師団へ!すぐに防御陣形をっ」


「駄目です!通信が繋がっていません!」


「馬鹿なっ…」


「無線を繋げます!」


 スピーカーに繋げられた無線から、激しい銃撃戦と怒号が飛び交っている音が流れてきた。時折ピューマの鳴き声も混じり、現場で戦っている皆んなの安否だけがただただ心配だった。


(何故?!どうして!特別師団は問題なく展開出来ている、それなのに何故通信ができない!)


 これはとんでもないアクシデントだ、僕の指示しか受け付けない彼らを通信無しではどうやっても動かすことができないからだ。

 ピューマの保護を務める警官隊が被弾したという無線が流れる、さらに何体かのピューマも直撃を受けてしまったようだ、まだ体は動くそうだがそれも時間の問題だ。


「…………」


「人型機着陸態勢に入りました!」


 最速の一機がこちら側に到着した、彼らを出迎えるため僕は一言も喋らずに車の外へと出る。瞬間的に風が吹き付けてきた、見上げる位置にはピューマを無事保護した人型機、それから不明機との交戦を何とか終えて飛行しているスイの人型機があった。排気ノズルがその角度を変えてゆっくりと高速道路に降り立つ、すぐさま駆け寄り中のピューマ達を外へと連れ出す。


「良くやった!無事で本当に良かったよ!」


[リュー?!何やってんの!いつの間に!]


 コンソールに釘付けになっていたキリから通信が入る、それには答えず開かれたハッチからまろび出るようにして現れたピューマ達を誘導した。言葉は交わせないが意思の疎通はできる、彼らも突然の空の旅にとても驚いたようで少し興奮気味ではあったが外傷はどこにもなかった。護送車の扉を開けて中へと入れてあげる、それを見届けた僕はすぐそま人型機へと走り出した。現場に直接向かうためだ。


「すまないけどもうひとっ飛びお願いできるかな?」


「それは、構いませんが…」


 乗り込んだコクピットで(バイザー越しできちんと見えないが)面食らっているパイロットがすぐに返事をくれた。案の定護送車の中から飛び出してきたキリ、閉まりゆくハッチの向こうで大きく目を見開いていた。


(ごめん、すぐに戻るよ)


 ハッチが完全密閉されて起動シークエンスが立ち上がる、緊急事態の為スクランブル発進に切り替え数十秒と経たず離陸を行った。どうやら不明機は自ら姿を消したようだ、第十九区の領空を抑えていた神の機体はなく、すれ違いで降りていったスイの機体だけが残っていた。彼女は「仮想組みのアイリス」と並び立つ程の腕利きパイロットだ、僕も負けていられない。あれだけ反論を唱えたからにはこれ以上の犠牲者を出してはならない。その為にも唯一の攻撃力を持った特別師団を僕が直接指揮しなければ、ピューマの保護に務める警官隊が持っているのは強化ゴム弾の非殺傷性武器のみだ。

 

(甘えるな、彼らは僕達を殺す気でいるんだ。本気で戦わないとこちらがやられてしまう)


 離陸した人型機から見える目抜き通りでは今なお警官隊同士が激しい銃撃戦を繰り広げていた、中には人型機を攻撃している警官隊の姿もありパイロットも身動きが取れない状態にあった。通りにピューマの姿はない、逃げられたのか全滅してしまったのかは分からない。あの子に聞こうとインカムにスイッチを入れた時、ちょうど向こうから通信が入った。


[……リュー、絶対に許さないから、帰ってこなかったから絶対に許さないから]


「分かっているよ、それよりピューマは?彼らは無事なのかい?」


[結婚してくれるなら答えてあげる]


 発した言葉は冗談の類いだが、声音は真剣だった。


「分かったよ、それで?彼らは?」


[今のところは無事、通りから離れるように言ってあるけど皆んなが何処に行ったのかまでは分からない]


「それで十分だよ、ありがとう」


 通信を終えたと同時にパイロットへ外部スピーカーを使えるようにお願いする、そして。



99.b



[特別師団よ!僕らが誓い合う神の名の元に命ずる!彼らを何としても守護せよ!立ちはだかる敵に情けをかけるな!]


「うわうわっ、何だあの機体、急に変なこと言い始めたぞ!」


「うるさい!さっさとピューマを探せ!」


「アオラ!こっちに一人いるみたいだよ!」


「良くやった!リプタ!迎えに行ってやれ!」


「りょーかい!」


 元気に駆けて行くリプタの背中を見やってから私も頭上を仰ぎ見る。あの声はリューオンという男のものだ、あんな芝居がかった物言いができたのかと驚く、通りの戦場は奴らに任せよう。


(帰ったら大目玉じゃ済まないぞ…)


 ファラに断りも入れず第二区でのほほんとしていたこいつらを引っ張ってきたのだ、勿論私もさーせんの一言では絶対に済まない。今となっては第一区を預かる区長なんだ、そんな奴が無許可で戦場に出て行くなど前代未聞、しかしこうでもしなければ早期終結は望めそうになかった。思っていた以上に現場は混乱していたので来たが甲斐があったというものだが...


「フィリア、周囲を……っ?!」


「アオ……きゃっ!」


 目抜き通りから一本入った路地裏にアサルト・ライフルを携行した警官隊が現れた。所属を示すワッペンは「19」、まさしく今戦っている相手だった。奴らに「同族だから命は取らない」という意識はない、見つかったらどうなるか分かったものではなかった。フィリアを引っ張って物陰に隠れる、現れた警官隊は二人だ。


(無事に帰らないと…来た意味がない)


 フィリアはひしと私に抱きついて息を殺している、物陰から二人を窺えば予想だにしなかった言葉を交わしていた。


「おいどうすんだよ…本気でやっちまったぞ」


「俺、向こうにダチがいるんだけどな…どんな顔をすればいいのか…」


「ここまでやるか?普通、連盟長は脅しじゃなかったってことなのか?」


「知らねぇよ、はぁ…」


 どこにでもやる気のない奴はいるものだと感心半分、やはり第十九区の暴走は一人が始めただけであって皆んなが皆んなマキナを恨んでいる訳ではないと知った。


(これならいけるか…?)


 味方に付けられたらと思うが博打にも程があった、抱きついたまま胸に顔を埋めていたフィリアと小声で相談する。


「おい…今の聞いていたか…?」


「聞いてた…あの二人はピューマのことを恨んでいる訳じゃない…」


「味方になってくれると思うか…?」


 言葉はなく首を振って返事を返した、そうこうしている間にも二人の警官隊は銃口を落としたままこちらに向かって歩いてくる。

 次の瞬間、


「アオラぁ!見つけたよぉ!」


「しまった!」

「?!」


「あれは?!」


「何であんな所に子供がっ」


 リプタが声を張り上げながら戻ってきてしまった、彼らに撃つ意思はないと知りながらも慌てて物陰から出て庇うように立った。二人もセーフティを解除せずに銃口を向けただけで、


「我ら特別師団なり!槍を構え!一切の情けをかけるな!」


「まっ」


 建物の屋上から現れた防人の仕込み槍に撃ち抜かれてしまった。眉間に一発ずつ、足元から力が抜けるようにして地面に倒れた。私の静止も虚しく奴らに届かなかった。


「………」


「そんな…」


 一瞬の出来事だった、あの二人に敵対する意思はなかったのに問答無用で撃たれてしまったのだ。


「そこの娘よ!そのピューマを連れて目抜き通りへ迎え!鋼鉄の守り人が安全な地へ送り届ける!」


「わ、わかった……あ、アオラ?だれ、あの人達は…」


「…いい、いいから、お前は言われた通りにしろ…」


「う、うん…」


 気が付いた時には奴らの姿はすでになく、二人の遺体だけがこの場に残された。フィリアもリプタも、保護されたピューマも私のそばから離れようとはしない。


(こんな事があっていいのか?同じ人間同士だぞ?それなのにどうしてあいつらが殺されなければならないんだ…)


 上手く頭が回らない、色んな感情がない混ぜになっては消えていく。私が区長として救出作戦を決行する前に片を付けられていたら「アオラ」あの二人は死ぬことはなかったんだ、「アオラ」そもそも私がここにいなければあの二人も素通りして撃たれることも、


「アオラ、アオラ。自分を責めないで」


「………」


「もしあの二人に戦う意思があったらアオラが撃たれていたと思うよ」


「…………ご、」


 ...リプタの口元を塞いで止めさせた、それだけは言わせてならないと私の意地だけで腕が動いてくれた。何が起こったのか理解したリプタの目は大きく潤んでいる、ここには私が連れて来たんだ、その責は私にある。


「……行こう、まだまだやる事はあるぞ」


 私の戦場はここで終わりにはならない、この作戦をもって区長を辞めるつもりでいたがそうもいかなくなった。このまま無かったことにはできない、必ずこの作戦を経て互いに遺恨が残ってしまう。それを払拭しなければ、私がやらなければスイと笑い合える自信を持てそうになかった。



✳︎



[二機の人型機の離陸を確認しました、残りは三体です!]


 眼下では今なお銃撃戦が行われている、乗り込んだ人型機にも着陸を命じ彼らの支援に入ってもらっていた。支援と言ってもそれはただの盾となり安全な壁になるだけだったがこちらは相手の全滅が目的ではない。

 建物の影、それから人型機の脚部に隠れた警官隊が銃を乱射しながら距離を詰めていく、その危険な行動に理解が遅れて守りに入れなかった。


「くそっ!」


 吠えるパイロット、また味方が一人撃たれてしまった。何故そのような突出した行動に出たのか、コンソールから響き渡る警告音で今さらながらに合点がいった。


「あれは…地対空ミサイル!」


 簡易人型機を配備するにあたり、各区には対人型機用地対空ミサイルも配備されていたのだ。人型機が何者かに奪われてしまった場合を想定して生み出された迎撃手段、それを第十九区の警官隊は惜しげもなく投入し気付いた味方が危険も顧みずに飛び出していったのだ、僕達を、人型機を守るために。


「すぐに離陸します!よろしいですね!」


 こちらの返事も待たずに敵の赤外線シーカーから逃れるために空を飛ぶ、他に待機していた人型機も同様に空へと逃れた。


(情けない…僕が頼りにされていない何よりの証拠だ…)

 

 展開している特別師団へ指示を出せば少なくとも命を散らすような事はなかったはずだ、それなのに眼下で戦う警官隊は強化ゴム弾のみで立ち向かっていった。スイのように戦える力があれば今すぐにでも戦場へ駆けて行ったのに、ナイフ一つで手一杯になってしまう自分では役に立てない。歯痒い、悔しさ、そして何より情けなさが募る一方だった。

 空へ逃げ出し余裕を得られたパイロットが地上で何かを見つけたようだ、僕に声をかけてくる。


「女の子を発見しました、あれは……ピューマの耳?」

 

「何だってあんな所に…いや、待ってくれないか、確かあの女性は…」


 こちらに背を向けて細く曲がりくねった道を走っているのは金の髪をした女性だった。一瞬空を仰ぎ見たその顔は、総司令が不在になった事により新設された第一区の区長(元々セルゲイ総司令が区長としての役割を果たしていた)を務めているアオラという名の人だった。一体何処から...いやそもそも何故戦場に子供を連れて来たのか、その答えはすぐに分かった。


「あれは…ピューマ!そうか、ピューマの保護のために…」


「………」


 子供の後ろには片足を引きずるようにして付いているピューマの姿があった、敵が地対空ミサイルを持ち出さなければ今頃は人型機に乗せて離脱できていたのに。

 彼女は彼女でピューマを思い行動に移したのだろう。彼女は公の場でピューマを大切にしている発言を何度も行っていた、それは分かる。分かるが率直な感想を言わせてもらえば「邪魔をするな」、その一言だった。


(いや、僕は僕に対して自信を失くしているだけだ、それを当て付けのように評するのは…)


 彼女もきっと無線か、あるいはインカムを使用しているはずだ。その周波数さえ分かれば連携を取り援護も可能だが、何故だかそれは躊躇われた。「好きにしろ」、僕はここに来て自分の縄張りを強く意識せざるを得なかった。


「あの子達は何処から…元々この区に住んでいたのでしょうか…」


「いや、そんなはずはないよ。この区には外出禁止令が出されているんだ、それにあの人はアオラという第一区の区長を務めている女性だ」


「区長が?何故こんな危ない所に…いやそもそもどうやって入り込んだんだ?」


 後半は独り言だ、僕に聞いた訳ではないがその呟きで答えが導き出された。


「……そうか、価橋か!」



✳︎



「アオラ!」


「いちいち言うな!黙って連れて来い!」


 少し離れた通りを走るリコラが声を上げる、どうやらさらにピューマを見つけたらしいがそのせいで後ろまで迫っていた警官隊に発見されてしまった。


「撃て撃て撃て!」


「逃すな!」


 怒鳴り声と共に放たれた銃弾が先行く道にばら撒かれた、危うく当たりそうになったが足を止める訳にもいかない。何より私は囮の役目だ、足を撃たれたピューマは今し方別れてフィリアと共に車へと向かっているはずだった。


(あいつらは何か恨みでもあるのか!)


 撃たれてしまったあの二人とは大違いだ。

それに救出に出向いていた人型機が急に離陸してしまったために来た道を戻らざるを得ず、撃つならあの弱腰の人型機を撃ってくれよと心底思った。

 耳にはめたインカムから今は勘弁してほしかった相手から通信が入った。マギールだ。


[アオラよ……お前さんは一体何をしておるのだ?]


「あぁ?!今取り込み中なんだが?!女が逃げるだろ!」


 荒い息もしているし誤魔化せると思ったのだがそうもいかなかった。


[連絡を貰った、第一区の区長が戦場に紛れ込んでいるとな。もう一度聞くがお前さんはそんな所で何をやっておるのだ?まさかピクニックのつもりか?…………………]


 たっぷりと息を吸い込んでいる気配が伝わってきたのでそのまま切ってやった、今は怒られている暇すらない。

 隣の通りを見やればリコラと元気に走るピューマの姿があった、どうやら怪我はしていないみたいだ。


(あいつは?!リプタは何処に行ったんだ?!)


 フィリアの後に付いていると思うが...曲がりくねった民家の裏道をひた走り後もう少しで車へ辿り着くという時に、


「っ?!!」


「捕えろ!」


 左足に熱い痛みが走りバランスを崩して古い石畳みの道へ頭から突っ込んでしまった、顔も体も痛いが何より左足が痛む。


(くそ!撃たれたか!)


 激痛に流れる涙で滲む視界の中、何とか立ち上がりヘッドライトが点けられた車を見やった時、今度は首筋に重い衝撃を叩き付けられた。


「逃すかぁ!」


「……ようやく捕まえた、この人殺しが!」


 違う!私じゃない!そう言いたかったが何も言えなかった、首が折られたかと思う程に痛み、口が上手く開かない。


「こいつ、区長じゃないか、何だってこんな所に…」


「殺す前に皆んなで回すか?」


 その言葉にトラウマが刺激されて身も心も萎縮してしまった。


(あぁ…あぁ…あの時もそうだった…)


 うんと小さかった頃の話しだ、私がアヤメと出会う前の話し。私が男嫌いになった話し、誰にもしたことがなかった話し。萎縮してしまった体では何も感じる事ができない、いつの間にか髪の毛を掴まれ持ち上げられていた。警官隊の装備で隠れたその奥から荒い息が漏れている、それが何より怖かった。明る過ぎるライトに照らされ何も見えなくなった。


[聞こえていますかそこの二人、今すぐに手を離しなさい]


「…………?」


 スイか、スイだ、この声は。


[聞こえていますね……今すぐに離せぇ!]


 耳をつんざく怒鳴り声に意識が覚醒する、私の髪の毛を乱暴に掴んでいたその手が離され二人の間から何とか逃げ出した。追い縋ろうとしている気配はあったが頭上にはスイの人型機がいるのだ、手は出さないはず。


「アオラ!走って!」


「…言われなくてもっ」


 いつの間にか現れたリプタに手を引かれ車へと急ぐ、ほうほうの体で車へと乗り込み素早くエンジンをかけた。去り際にあの二人を轢いてやろかとも思ったが...ハンドルを勢いよく切って長年使われずに放置されていた価橋へと車を向けた。


「いやぁー!アオラが捕まった時にはどうなるかと思ったぜ!」


「そもそもリコラが大きな声を出すからでしょう!」


「足は?!だいじょうぶなの?!」


 元気に騒ぐ三人ときょろきょろと車内を窺っている二体のピューマ、思い付きの作戦にしては上出来だった。


「あぁ、左足がまるで駄目だからブレーキは踏めないけどな」

 

 冗談で返した私の言葉に阿鼻叫喚の地獄と化した車を走らせ第十九区から逃げ出した。



99.c



[昨夜行われた救出作戦の犠牲者は警官隊が七名、簡易人型機パイロットが一名、保護対象であったピューマ一体がその命を落としました。これらの作戦は政府主導の元に進められその責任について各区から抗議が行われている模様です……]


 皆んな憔悴し切った顔をしていた、モニターから臨時ニュースが流れて簡潔に結果が伝えられている。私にとってはアオラさんが無事というだけで何よりだったがそれを今、口にするのは憚られた。

 

「…良くやった」


 マギールさんが口にした労いの言葉は公務室に集まった私達の間を駆け巡り、結局誰の胸にも収まらなかった。


「お前さんらは最小の犠牲で成果を出したのだ、」


 言葉途中のマギールさんを遮るようにリューさんが被せてきた。


「僕達はこうして生きていますが、今回の作戦で帰ってこられなかった人がいます。甘く見ていた報いです」


 皆が痛感している事を口に出した後、再び視線を落とす。マギールさんも何を言おうとしていたのか、リューさんの言葉を聞いた後口をつぐんでしまった。

 本当に今回の作戦は決行して良かったのか、他にピューマ達を救う方法はなかったのだろうか。ピューマにも一体の犠牲が出てしまった、私達が作戦を行わなければ少なくとも今この瞬間も生きていた命である。一縷の望みをかけてマギールさんに話しを聞いてみたが、望みはそのまま失意へと様変わりしてしまった。


「今のピューマ達はサーバーと繋がってはおらん、お前さんなら分かると思うが前回の騒ぎを経て金輪際デリートプログラムに汚染されぬようにログアウトしたばかりなのだ」


「………」


 自分から傷を抉りにいくなんてどうかしている、確かに私が望んだ結果の一つなんだ。けれど、こんな事になるなんて思っていなかった。


「つまりは…ピューマは生き物同様に…」


「そうだ、サーバーへ帰還ができぬのならそのままマテリアルと共に朽ちていく」


 人と変わらない、体の代えが利かないのだ。「しかしだ」マギールさんが重く口を開いてから続きを話した。


「儂は今の状態が好ましいと思う、こんな言い方をすると神にでもなったつもりかと罵られると思うが本来命は一つっきりなのだ。失敗は許されない、やり直しも利かない、だから命に真剣になれると、儂は思うておる」


「………それが、人の身を捨てて得た答えなのですか?あなたは恐怖から逃れるためにマキナになったのでしょう」


 リューさんが噛みつく。


「……そうさな」


「それなら何故、表に出てきたのですか?」


 それはどういう...あぁ、怖いのなら外に出ることなく引きこもっていろと言っているのか。


「…失礼、言葉が悪過ぎました」

 

「いやいいさ、言われて当然の事だ。儂なり自分と向き合っているつもりさ、マキナに身をやつし我欲に走ったところで得られたものは少なかった、とだけ答えておこう」


 マギールさんはそんな風に考えていたのか...知らなかった、ただ目線が気持ち悪いおじいちゃんではなかった。

 不規則な足音が扉の向こうから聞こえてきた、鬱屈していた部屋の空気は入室してきた人によっていとも簡単に打ち破られた。アオラさんだ。


「悪いな!」


「………」


「アオラさん!」


「……さっさとこっちに来んかこの大馬鹿者が!!」


 悪びれることもなくたった一言、そしてマギールさんも鼓膜を震わせるほどに怒鳴り声を上げた。


「お前さんは一体あそこにどうやって入ったのだ!こっちは各区から報告を求められておるのだぞ!」


「だから悪かったって。入ったのは、」


「価橋、ですよね」


 リューさんが怖い顔をしたまま口を挟んできた、それに面食らったアオラさんが一瞬だけ口を閉じたがすぐに続きを話し始める。


「そ、今はもっぱら高速道路だからきっと価橋は誰も見張っていないだろうって踏んで行ってみたら見事大当たりってわけ」


「あのピューマの子供達は?!何故わざわざ連れ出したりしたのだ!」


「あいつらはただのガキじゃねぇよ、中身は私らより歳上だぞ?」


「それが何だ!戦場に子供を連れ回していたのが明るみに出ても同じ事が言えるのか!」


 マギールさんは世間体の話しをしているのだ、確かに中身はどうあれ見た目はまだまだ子供のあの三人だ、側から見たら何て非道で常識知らずと罵られる行為だった。

 けれど、怒られているアオラさんは呆気からんとしていた。


「言うつもりだ」


「……お前さんは…頭が痛むな…まるであいつと話しをしているようだ」


「マギールさん、よろしいですか」


「……何かね」


「彼女に対して区長解任を要請したいのですが」


「…………」


「リューさん?」


「へぇ…理由を聞いてもいいか?」


 まさかそんな事を言うなんて思っておらず、私とマギールさんは驚いていた。言われているアオラさんだけが唯一面白そうに、挑発するように続きを促している。


「あなたは一般市民でありながら立ち入りを禁止されている区に、それも見た目はどうあれ他者も引き連れ侵入してみせた。これは立派な違法行為、さらに人命を危険に晒す行為です」


「で?」


「……あなたは何とも思っていないのですか?無事で済んだから良かったものの、下手をすればあなた達も犠牲者として報道されていたのかもしれないのですよ」


「そうだな、今回は博打に勝っただけだ。それがどうして解任に繋がるんだ」


「分からないのですか?」


「そういう、察しろ発言は止めろ」


 アオラさんは私の事を一度も見てくれない、ただそれだけが寂しかったのだがリューさんが突然声を張り上げたので思わず視線を変えてしまった。


「僕達の作戦を邪魔した者が区長を務めるなんてっ!!……………いや、」


 慌てて視線を戻すとアオラさんが不適に微笑えんでいた。


「…やっぱりあんたか、頼りない指揮官は」


「っ!」


「人型機をいきなり飛ばしたせいでこっちは大怪我までしたんだぜ?どうしてくれるんだよこの足、人生これからっつう時に使い物にならなくなっちまった」


 応急手当てをされている左足を軽くて二度叩いている。


「知ったことか!あの時は対人型機用のミサイルにロックオンされていたんだ!空へ逃げなければならない状況だったんだ!」


「それこそ知ったことか、あそこまで接近していた私達に気付かなかったのか?そうだと言うならあんた、相当間抜けだぞ?どうして私らに声をかけなかった」


「君が勝手にした事だ!こちらは面倒を見る立場ではない!」


「誰が面倒の話しをしてんだよ、こっちは命がけでピューマを守っていたんだぞ?お前はただ指揮を取るためだけに作戦を決行したと言うのか?……何とか言ってみろぉ!」


 いつものアオラさんだ、不適な笑みから一転して鬼のような形相で怒り始めた。


「あんたが声高に宣言したせいで二つの命が目の前で失われたんだ!あいつらには戦う意志はなかったというのに!それに私に気付いていたんならどうして声をかけない!こっちはあんたと連絡を取る手段すらなかったんだぞ!あの通りで戦っていた隙に私らが保護に回れていたら最後の一体だって救出できていたかもしれないってのに!」


「それはただの結果論に過ぎない!あの高度から外部スピーカーを使って声をかけていたら蜂の巣にされていたのかもしれないんだぞ!それでもまだ同じ事が言えるのか!」


「私が言いたいのはてめぇのプライドに拘って視野を狭くするなって言いたいんだよ!」


「作戦に参加していなかった君に言われる筋合いはない!何の為にここまでやったんだ!君こそ自分のプライドの為にピューマを救いに来たんじゃないのか!」


「スイちゃんのためだよ!悪いか!」


「……………はぁ?」


「スイちゃんのためだって言ってんだろ!私は早く作戦を終わらせてこの子を無事に帰らせたかったんだ!だから無茶をやった!今から第二区に戻ってファラにも大目玉だ!あんたにそこまでの覚悟はあるのか!あぁ?!」


「馬鹿ばかしい…よりにもよってたった一人のためだなんて…」


「あぁそうさ!一人のためにこの命を賭けたんだ!」


「すまないがすぐに区長を辞任していただきたい、君のような人が公務に就くべきではない」


「私もそう思う、というより今日で辞めるつもりでいた」


 またしてもリューさんが「はぁ?」と口を開く、いい加減その顔を引っ張たいてやろうか。


「けれどそれも止めだ、やらなくちゃならない事が新しくできてしまった」


「博打の打ち方でも勉強するのかい?」


「いいや」


 もう一度不適に微笑み、力強く宣言した。私はリューさんよりアオラさんの宣言の方が好みだ、というよりさっきの大喧嘩を経ていよいよ私はアオラさんの事が好きになっていた。もうメロメロだ。


「このカーボン・リベラから全ての遺恨を根絶する、それが私のやるべき事だ。今回の作戦で命を落としていった奴らは私ら為政者が生んだ犠牲だ」


「それは詭弁、」


「詭弁で大いに結構、指を咥えて見ていろ。ただし、あんたが第十九区へ報復攻撃を行うというのなら容赦しない、私の権限の何を使ってでも拘束する」


「……報復だって?先に攻撃を仕掛けてきたのはあちらなんだぞ?」


「それだよ、先に撃ったのは不明機であって人間じゃない。それを一括りにして見るから敵になって攻撃意思が生まれるんだ、私はそれを止めさせる、根絶するまで区長は何があっても辞任しない」


「本当に詭弁、綺麗事だよ、それを試みた為政者がいなかったと思うのかい?何度も挑戦して何度も失敗してきたからこの街が生まれたんだよ。ビーストだけのせいじゃない、人同士の争いもあってメインシャフトも放棄されて今に至るんだ、それを君が成そうっていうのかい?」


「あぁ」


「…………」


「そうでもしなければ私はこの子と笑い合えない、無残に散っていったあいつらを無視して生きていくことはできない。私は今まで適当に生きてきたからな、良く分かるんだよ。最後は絶対倍になって返ってくるってな」


「………」


「………」


 「最後に」そう言ってから徐に口を開くアオラさん、その一言一句が耳を通って頭と胸を駆け巡りそして私に甘い余韻と今後の指針を残していった。


「公務に就くようになってから勉強して覚えた言葉があるんだ、私が最も好きな言葉だ。「人間は船と同じように大きな悩みの一つや二つ、抱えた方が真っ直ぐ進む」ってな」


「……僕は軽いとでも言いたいのかい」


「そうだな、私から見ればあんたは軽い。頼りになるかと思ったがそうでもない、今のあんたにあるのはただの承認欲求だ、頼りにされたいというエゴしか感じない、違うか?」


「僕はただ彼らに報いたかったんだ!」


「報いる方法はいくでもあると思うが?あんたに戦いは似合わないよ、止めておきな」


「………っ」


「じゃあな、また会おう」


「……あぁ、いずれまた」


 アオラさんの一言に毒気を抜かれたような顔になったリューさん、言いたい事を言い合って禍根が残らなければと思う。そして私は不自由そうに歩き出したアオラさんの横に並ぶようにして付いていく。当たり前のように私に体を預けてきてくれたのが何より嬉しかった。


「ごめんな、遠出はまだお預けだよ」


「いいえ、大丈夫です。私もまだ先だと思っていましたので」


 嘘を吐いた、離されたくなかったから。けれどその心配は杞憂に終わった、今まで甘やかされていたのが嘘のようにこき使われることになったからだ。



99.d



[行ったようね…]


[あぁ…不思議と辛くはない]


 あの子は何処だろうか、少なくとも近くにはいない。

 ホテルで別れた後、三人は私達のマテリアルに寄り添うように仮眠を取ってから中層へと旅立った。特殊部隊の暴走を止めるため、さらにディアボロスから人を守るために、何とも使命深き三人だった。願わくば彼女らを助ける者が現れてほしい、きっと困難だけが待っているに違いない。

 他人の幸福を願うなど初めての事だった、これが想いの力かと否応なく私の中を駆け巡り全てを刺激する。


[そう?私は辛いわ、今すぐにでもあの子達の元に戻りたい]


[サーバーはつまらんか?]


 どこかからかう口調で話すタイタニス、言われて初めて自覚した。確かにここはつまらない、人との交流の中で自身という存在を拓いてきたあの多忙な日々を知った今となっては、ここは退屈に過ぎた。


[そうね、ここはつまらない]


[同感だ、我もまた人共に仕事をしたいと思っている]


 プログラム・ガイアによる規制によって使えるカメラも徐々に限られてきた、私は最後の最後まで彼女らを見守るつもりでいた。

 タイタニスも姿を消したようだ、きっと見守るより何か力になれないかと動き回っている事だろう。



✳︎



「寝た気がしない」


[お前が添い寝してあげようと言い出したんだろ]

 

「涙を流していたくせに」


[そうなんですか?]


[あくびが止まらなかったんだよ、悲しかったわけではない]


「子供か」


 そんな言い訳があるか、一番抱き付いていたくせに。

 下層のホテルから飛び立った私達は、前にも通ったトンネル経由で中層へと向かう予定だった。あの時は真っ先に上層へ向かったので通ることはなかった中層への抜け道を行くつもりだ、その先にはガニメデさんと旅をする前に潜った泉に出るはずだった。

 開きっぱなしになっていたゲートを潜ってオーディンさんと一緒に戦ったクモバチの巣へ辿り着く。思っていたようにも抜けの殻になっている、それを見やりながらさらに機体を飛ばしているとナツメが意地悪く話しかけてきた。


[お前は結局泣かなかったんだな、冷たい女だ]


「温かい女は言うことが違うね、未だに涙声だもん」


[お前な…グガランナとずっと一緒にいたんだろ?これから先、会えるかも分からないってのに何とも思わないのか?]


「別に。離ればなれになるのは今さらじゃなし、それに何より死んだわけでもないんだから」


[まぁ…何と淡白な…]


 テッドさんに呆れられてしまった、そういえば眠っていたテッドさんの目元も濡れていたっけ。


「淡白じゃありませんよ、グガランナが私の膝にしがみ付いていたのは喧嘩して疲れたからですよ」


[何だって?]

[喧嘩した?]


 そう、グガランナとは昨日、一世一代の大喧嘩をしてしまったのだ。



✳︎



「はぁ?喧嘩したぁ?」


[そう、アヤメとこれでもかって言うぐらい喧嘩したわ]


「電話切ってもいい?」


[アヤメったら私の言うことをまるで聞かないの、私が大事だからって何度も言ってね、少しぐらいはこっちの話しを聞いてもいいのに…アマンナもそう思うでしょ?]


「あー分かるー分かるー」


[でしょ?それでね…]


 いやぁもう切ってくれないかなぁ、こっちは疲れているうえに朝帰りなんだよ。未だ受話器の向こうでは調子に乗りまくっているグガランナが一方的に話しを続けている。ほとんど惚気だ。

 さぁてそろそろ電話線を抜こうかという時にようやく本題を話し始めた。


[アマンナ、あなたは平気?]


「グガランナの惚気を聞かされるまでは」


[私とティアマト、それからタイタニスはリブート宣告を受けて今サーバーに強制帰還させられているわ、この通信も直に切られるはずよ]


「……いや、そういう大事な話しが先じゃないの?」


 グガランナにとっては己が危機よりアヤメの話しらしい。


[それで、アヤメからもあなたのことを心配してほしいって言われていたのよ……全く、前からアヤメは何かとアマンナには甘いんだから…]


「今は愚痴はいいから、それで?」


[アマンナ、あなたの側にマギリさんがいるわよね?]


「いる」


[その人を守ってちょうだい、アヤメが残したその世界もマギリさんもあなたにしか守れない]


 さては...グガランナはこの世界について知っていたんだな...


[今はこっちに出てこない方がいいわ、いずれまた]


「……………」


 なんつうタイミングで...切れてしまったのなら仕方ない。もう二度と鳴ることはない受話器をそっと置いて「ちん」と子気味良い音が鳴った。

 元よりあの二人のことは心配などしていなかった、今はこの世界だ。グガランナが言った通り今なお異変は現在進行形で発展しておりついにマキナの身元にまで迫ってきている。外の実情を知っていたバルバトスも姿を消して残っているのはこのわたしだけだ、この世界を守ろう。守り切ってアヤメとまた遊びに来よう。それがいつの日になるのか分からないが、今のわたしにとって大事な目標だった。


「ま、何を喧嘩したのか…会った時にでも聞けばいいか…」




 ...随分と先に話しになってしまったが、やはりどうでも良い事だった。

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