第九十八話 命の重たさ
98.a
やっぱりわたしとテッドが使っていたマンションには入れなかった。エントランスでいつものようにパスコードキーを入力しても扉は開かず、別の誰かが入居している雰囲気があった。仕方ない、またバスに乗って戻るしかないと踵を返すとバルバトスがそこにいた。
「家の中に入れないの?」
「そうみたい、わたしはあの家に戻るよ」
「…………」
聞いてほしそうに目を潤ませているが知らない。どうしてここにいるのか質問してほしいと目力だけで訴えかけてくるが絶対聞いたりなんかしない。バルバトスの横を通り過ぎてエントランスから出る、わたしの後を当たり前のように付いてきた。
(聞いちゃダメだ、聞いちゃダメだ…)
本当は凄く聞きたい、どうしてここにいるのか何故いるのか、外はどうなっているのかエフォルは一緒じゃないのか。けれど聞いてしまったら最後のような気がしてしまうのだ、今ならまだ間に合う、何が間に合うのか自分でも分からないがとにかくバルバトスという存在はわたしに警笛を鳴らさせる相手だった。
エントランスの外は思っていたよりも暑くない、むしろ風が吹いて涼しいぐらいだ。セミも最後の踏ん張りどころだと言わんばかり、しかしその勢力は衰え耳に届く鳴き声はほんのわずかであった。
「ねぇ、僕もお邪魔していいかな?行くあてがないんだよ」
「前はどうしていたのってやっぱいい!答えなくていい!」
「えぇ?!何でさ、いいよ答えるよ!アマンナから聞いてくれたんだから!」
「いいから!お邪魔してもいいけど何も答えないで!」
「えぇ………」
危ない...その質問が起点となって絶対あれやこれやと聞いていたに違いない、知的好奇心程抑えがたいものはない。わたしの我儘にも怯むことなくバルバトスは後を付いてくる、諦めて何処か行けばいいものを。
「………………」
「生まれ故郷の街並みも良いけど、ここも風情があって良いね。見ていて飽きないよ」
どこなの?!生まれ故郷ってどこなの?!いやいやそんな事よりわたしはわたしの為に手を差し出さないと、いつかのあの人のようになってしまう。
「はい」
「え?」
「わたしの家まで来るんでしょ?だから、はい」
「え?僕何も持ってないよ?」
「…………」
「あーうそうそ!嘘だから!ね?はい!繋いだ!繋いだから怒らないで!」
人の親切心を何だと思って...何が何も持ってないよだ、わたしの手は何か与えないと繋げないとでも思っているのか!
こうして自称兄を名乗るバルバトスと手を繋いで、あの日ように坂道の上からうろこ雲に覆われた街並みを見下ろし歩いていった。街の騒がしい音に紛れてバルバトスの鼻歌が耳に届く、すっかりご機嫌だ。これでは兄ではなく弟だなと、その手をしっかりと握り締めた。
✳︎
「Oh…」
「こんにちは」
「自分の家だと思ってくつろいでくれていいからね」
「アマンナの部屋はどれなの?」
「あぁ、そういや部屋割りまだだった。マギリどうしよっか」
「いや他に言うことあんだろ」
アマンナが行方をくらましたと思ったらまさかボーイフレンド(死語)を連れ込むだなんて夢にも思わなかった、それに超が付くほど美形、女の子にさえ見えるほど儚い印象を持った男の子だった。しかし残念私にショタ属性はない。
「初めまして、僕はバルバトスと言います。アマンナの兄です」
「えぇぇっ?!!アマンナってお兄さんがいたの?!」
「いや勝手にそう言ってるだけだから、わたしはむしろ弟だと思っている」
「僕がアマンナの弟………」
はっ、みたいな顔されても困る。アマンナを好いているのは良く分かったがその距離感は一体何だろうか。生憎私には...
「うぅ…」
「急に泣かれても困るんだけど、バルバトス上がらせてもいい?」
「……ちょっとは天涯孤独の私を気遣ってよ」
「優しくしてもらうのはわたしが先だから」
「ちゃんと食堂で話し聞いてあげたでしょうが」
「ふふふっ」
「えー…バルバトス君はご飯食べた?今から買い出しに行こうかと思うんだけど一緒に来る?」
「はい。良ければ僕のこともアマンナと同じように扱ってください」
「おっけー、じゃあこのまま行こっか」
「えーわたし帰ってきたばっかりなんですけど」
「いいからあんたも来るの!どうせ後から文句言うに決まってるんだから!」
またバルバトスがくすくすと笑った、一体何が面白いのか謎だがこうして家族がまた一人増えて賑やかになったのは良いことだ。
◇
「バルバトスはサーバーの異変について知っているの?」
「うん、僕も観測して慌ててアマンナの後を追いかけてきたんだ。見た目通りそそっかしいしからね」
「子供扱いはやめてくれない?」
「それで何か分かった?」
というかバルバトスもアマンナと同じマキナということでいいんだよね?こうしてここにいる時点でそうだと思うのだが...
「崩壊というより封鎖に近い、ガイア・サーバー全体で起こっているよ」
それはまた...のんびり食べ物を選んでいていいのだろうか、こうしている間にもサーバー全体に異変が広がっているのだ。
「封鎖ってどういう事なの?メイン・サーバーに異常が起こったっていうこと?」
「ううん違うよ、サーバー自体は何ともないけどプログラム・ガイアが規制をかけているんだ」
「何でまた…今まで好き勝手やらせていたのに…」
スーパーのお惣菜コーナーには色取り取りの料理が並んでいる。バルバトスは物珍しいそうに目を泳がせて、アマンナはほいほいと私が持っているカゴに投入してきた。この世界もいずれその「規制」とやらに潰されてしまうのだろうか、私以外にも沢山の人がカゴを持って物色しているこのスーパーもあの化け物達に食われてしまうのだろうか。
(それは嫌だよねぇ…)
私は仮想で生まれた一人の人間だ、ここが現実でありながら別の世界があることも知っている。そして、そこへ行く手段も形半ばだがあるにはある、後は苦虫の生みの親がゴーサインを出せば現実でもその体を手にすることができるのだ。
しかしだ、それはそれ。ここを見捨てて良い理由にはならないし見捨てるつもりも毛頭なかった。
「バルバトス、こっちに攻めてきている敵については?」
「う〜ん………うん?あの敵なら問題ないよ、容量を食べているだけだから実害はない」
細い子供の指を下顎に当てながらおかずを選んでいたバルバトスが答えてくれた。
「容量を食べるって何?」
「この世界の縮小が目的なんだよ、ある程度食べたら満足して帰ると思うよ?」
「でも、その容量ってのは世界を構築しているデータの話しだよね」
「うん、そうなるね」
「だったらやっぱりやっつけないとね、その容量に含まれる人がいたら可哀想だ」
「…………」
「…………」
呆れ半分、感心半分、ちょうど一人ずつからその視線を頂戴したところでカゴが先に崩壊しそうになっていた。慌てておかず選びを止めてレジへ向かい、清算を済ませて家路に着く。家に到着するまでの間、バルバトスは良く喋りアマンナはずっと黙り込んでいたのが気になった。
◇
鈴虫の音色が窓の外から食卓に入り込んでくる、山の向こうはまだ明るく濃い紫の雲を残していた。夏真っ盛りのあの時とは違い今夜は涼しい、一際高い位置に建てられたせいもあって風通しがとても良かった。
食卓には買ってきたばかりの惣菜が並び、そそっかしいし妹は端から順に手を付けていて何とも行儀が悪い、弟に見える兄はきちんと正座をして小動物、あるいは恋する乙女のように口を小さくしてお上品に食べていた。
BGM代わりのテレビでは訓練校上空付近に出現したブラックホールの話題で持ちきりだった。その見出しは「ブラックホール?!宇宙人?!」だ。
(そのまんまやないか)
コメンテーターがブラックホールについて詳しく解説し、芸人がそれは宇宙の話しですよねと突っ込みを入れつつ自然に真相を語れるように誘導しているところだ。前までは、こんな事になるまでは何の気のなしに見られていたが今は違った、この人達もこの世界で確かに生きているんだと強く実感させられてしまった。
「ねぇ、テレビ消してくれない?」
「つまらない?」
「別に」
アマンナはまだ不機嫌そうだ、スーパーから帰っている最中もずっと眉間にシワを寄せていた。
「アマンナ、何か言いたいことでもあるの?何だかずっと我慢しているようだけど」
「……別に」
「だったら少しは美味しそうに食べなよ、せっかく買ってきたのに」
アヤメのように上手くはいかないなと、激昂したアマンナを見ながら思った。
「うるさいって言ってんの!どんな食べ方しようがわたしの勝手でしょう?!それとも何?!容量みたく食べないで飾っておけっていうの?!」
「どうどう…」
「わたしは馬かっ!!」
唾を飛ばしながら私を怒っていたアマンナをバルバトスが宥めてくれたがそれは動物のあやし方だ、本人達は真剣になっているから余計に笑いがこみ上げてくる。しかし我慢する。
「アマンナ、何を怒っているの?言わないと分からないよ」
「ひひーん!ひひーんだ!」
頭から両の手のひらを出して馬の真似をしている、思わず吹き出してしまった。
「ぶふっ…………何?あのテレビが気に食わないの?」
「めぇめぇ!めぇめぇ!」
「そりゃ羊だろ!怒ってるのか笑わせたいのかはっきりしろ!」
「うっさい!いいから消してってば!」
言われた通りにバルバトスがテレビに手をかざし何度か画面の前でばいばいしてから首を傾げた。何がしたいんだ?
「あれ、このテレビ壊れてるよ」
「壊れてない!このリモコンでピッてすればいいの!!」
怒りながらも使い方を説明している、すぐに食卓が静かになり鈴虫の音色とそよ風が揺らす風鈴の音だけが場を支配した。そしてむくれっ面のアマンナが乱暴に箸を置いた。
「もう寝る」
「もう?食べてすぐに寝ると太っちゃう……うわぁ?!!」
「こらぁ!食べ物を粗末にするなぁ!」
半分も残っていた焼きそばを容器ごとバルバトスに投げつけ、溜め込んでいた鬱憤も私達にぶちまけた。
「どうせ消えてしまうのにそこまで必死になる意味が分かんない!頑張ったところで無意味なのにさ!正義のヒーローになりたいなら一人でなってろ!ひひーん!!」
「こらぁ!アマンナぁ!」
後片付けもせず踵で床を踏み鳴らしながら出ていってしまった。リビングには焼きそばまみれになってしまった可哀想なバルバトスと、何に怒っていたのか何となく合点がいった私だけが残った。
◇
「良かったねバルバトス、私にショタ属性がなくて」
「何の話し?」
狭いにも程があるお風呂に全裸系美少年を湯船に浸からせていた。焼きそばまみれになってしまったバルバトスを不便に思い汚れを落としてあげていた、さっきのテレビの使い方を見るにあたりきっとお風呂の沸かし方も分からないだろうと踏んでいたが案の定「この正方形の箱は何?」と聞いてきた。私もこんな狭いお風呂は見たことがなかったので、後少しで何をしに来たのか分からなくなってしまうところだった。
惜しむらくは濁りタイプの入浴剤でも買っておけば良かったと後悔したが後の祭りだ、気にせず湯船に浸かっているバルバトスと話しを続けた。
「何でもない。それよりアマンナってあんなに感情の起伏が激しいの?私はあんまり付き合いがなかったから良く分かんなくてさ」
「う〜ん…そうなるのかなぁ、僕もあんまり長い間を一緒に過ごした訳ではないから…」
男の子とは思えない長いまつ毛を伏せて湯船の中に視線を落とした。私もつられて見てしまいそうになったが何とか堪えた。
「離れて暮らしていたってこと?」
「う〜ん…」
何なんださっきから、そこまで答えにくい質問だったのか?そもそも自分から妹だと言ったではないか、それは家族としての妹という意味ではないのだろうか。
「アマンナに内緒にできる?」
「それは内容によるかな」
「う〜ん…まぁでもいいかな、ここならオフレコになるだろうし監視の目も届かないだろうから…」
「で、その秘密の話しというのは?」
少し勿体ぶってからバルバトスが教えてくれた。
「えーとね、僕達は周りの人達から神様って崇められているんだよ。だから正確には家族ではなくてその眷族ってことになるんだ」
「はいはい、さっさと体を綺麗にして寝ましょうね」
「えぇ〜、本当だよ?嘘じゃないよ!」
「分かった分かった」
馬鹿ばかしい...何だその話しは、やはりバルバトスもアマンナもまだまだ子供だ。湯船で騒ぐ自称神の頭を押さえつけながら全身くまなく洗ってやった。第一崇められている神がスーパーの惣菜を口にするもんか、それにテレビのリモコンすら知らない神がいてたまるかって話しだ。
お風呂から上がった後も暫くバルバトスは私に付きまとい、何とか神であることを信じさせようとしていたが、途中からアマンナが「うるさい!」と殴り込みをかけてきてそれどころではなくなってしまった。
98.b
「落ち着けアオラ、スイが前線に出るわけではないんだ」
「それぐらい分かっている」
口ではそう言えるが心の中はそうもいかない、ピューマ奪還作戦がついに始まるのだ。第十二区と第十五区の警官隊、それから第十二区の人型機部隊、そしてイエンが率いていたあの特別師団の陣容で行われる。スイは前線に出ず指揮官の役割として後方で待機しているのだが、もし何かあったらと不安に思う気持ちはそう簡単に止められそうにはなかった。何せグガランナ・マテリアルを襲撃するような連中なのだ、間違いなく抵抗してくるだろうし戦場が拡大しないかただそれだけが心配だった。
総指揮はマギールが執り行う、耳にはめたインカムから現場へ決行の合図を出した。
「よろしい、それでは始めてくれ」
(はぁー…私が区長になっていなければスイちゃんのために戦えたのに…)
普段と変わらない口調で細やかな指示を出すマギールの声を聞きながら、どうか無事に終わりますようにと柄にもなく祈りを捧げた。
✳︎
「ピューマの数は全部で十五、キリ、それからスイの話しによればそこから三体が第二区にいるみたいだから保護対象は十一になる」
「第二区にいるの?どうして?」
「色々あってキリちゃんと同じようにマテリアルを替えたピューマがいるんだよ、その子達は今孤児院に預けられているから心配ないとして…」
「ほらキリ、ここからは君の出番なんだからいつまでもお喋りしていないで準備して」
「任せて!」
元気良く返事をしたキリちゃんが通信器の前にすとんと腰を下ろした。
私達は高速道路上で待機していた、警官隊の護送車両の中には機器がずらりと並びさながら移動する作戦本部のようだ。その一つの通信機器の前でキリちゃんがベッドセットを装着して早速第十九区に点在しているピューマ達に呼びかけを行っていた。予定では、キリちゃん誘導の従い高速道路のインターチェンジ、あるいはその近辺にピューマが集まり警官隊保護の元脱出する計画だった。
(お願いしますよ〜…順次予定通りにいけば一時間もかかりませんから…)
警官隊のオペレーターの方が現地に派遣されている人から通信をもらい報告してくれた。
「第十九区のインターチェンジは厳重に封鎖されているようです」
「車一台も通れそうにはないのかい?」
「車どころか人も通れそうにはないと、突入班は現場周辺で待機しています」
「ピューマに強行突破してもらうには、」
「いきません、突破できるかもしれませんが小型のピューマは間違いなく攻撃を受けてしまいます」
(いやぁ…早速出鼻を挫かれてしまいました…総指揮からは極力戦闘は避けるようにと言われていますけど…)
特別師団がキリちゃんを保護(という名の誘拐)したためにより警戒を厳重にした結果だろう。
「人型機の力を借りるかい?封鎖しているゲートなら簡単に破壊も可能だと思うよ」
「………いいえ、正面突破ではなく潜入に切り替えましょう。簡易人型機部隊に連絡を」
「はい」
「リューさん、第十九区で開けた場所はありますか?」
「あぁ、それなら問題ない、マッピングして彼らにも送っておくよ」
「キリちゃん、集合場所の変更をピューマ達にも伝えて」
「えぇ〜今ようやく終わったとこなのに」
ぶつぶつと文句を言うキリちゃん、まさか全員個別に連絡を取っていたのだろうか。
「まだまだ追加でお願いするかもしれないからピューマ側のリーダーを一人決めてもらえるかな?その方がやり取りし易くなると思うよ」
「確かに」
インカム越しに連絡を取ろうとしたキリちゃんにオペレーターの方が声をかけた。
「ピューマの現在位置は分かりますか?現場隊員からの要請で詳しい位置を把握したいと言っています」
「うぇ?ちょ、ちょっと待って…リュー!」
すぐに諦めてしまいリューさんに助けを求めた。
「これから高速道路上に人型機部隊を向かわせて分乗した後に直接乗り込むと伝えてくれるかい?その間にピューマの位置もマッピングしておくから」
「分かりました」
(そりゃそうですよね、現場にいる人達が私達の会話を知っている訳がない…適宜指示を出していかないとすぐ混乱してしまう…考えて行動しているのは私達だけではないんだから)
リューさんの細やかな気配りに助けられた形になった。今でも頼りないという印象は変わらないがアオラさんやカサンさんとは違う魅力を持っているんだなと実感した。
こうしてピューマ奪還作戦は初っ端から作戦変更を伴い開始された。予定とはあくまでも予定であり必ず逸れていくものだとこの日程痛感させられたことはなかった。
◇
「人型機部隊全六機離陸、三名ずつ分乗しています」
「分かりました、そのまま予定航空路を飛ぶように指示を出してください。上層連盟側から今のところ反応はありません」
「分かりました」
「いっそ不気味だね、あの連盟長が何もしてこないなんて」
「リューが王様だと知ってビビったんじゃない?」
キリちゃんの言葉にオペレーターの方がぎょっとしながら振り向き驚いていた。私の方から何でもありませんと否定しておく、集中を乱されたらたまったものではない。それにリューさんはいつの間にか呼び名を「父」から「連盟長」に変えているのだ、その心意気がどんなものかは分からない、唯一の肉親すら他人行儀に振る舞えてしまうのかと疑問に思う傍ら静かな決意を感じ取れた気がした。
「それなら降伏勧告も受け入れてほしいけどね」
「今のところ通信を取ることができません、もう一度呼びかけてみますか?」
真面目な方だ、二人の冗談混じりの会話にも対応している。キリちゃんはともかくリューさんは申し訳なさそうに眉を下げてぺこぺこと謝り出した。
「いえ、本当に、申し訳ない…」
「しっかりしてください!今そんな冗談が言える暇がありますか!」
「もう言ったじゃん」
「そういうことじゃない!キリちゃんも真面目に!」
「怖いよ…」
引かれてしまった...けど気にしない、というか本当にそんな余裕はないんだ。
レーダー機器に映った六つの光点が恙無く第十九区上空に突入した、まだきちんとした関係法案は整っていないがこれは立派な「領空侵犯」に値する違法行為だ。これから先は各区が空を有し支配権、統括権を行使する流れになっている。当初は政府が一括管理すべきだとの主張があったが、各区独自の発展の妨げになるとしてマギールさんが拒否したのだ。一括管理の目的が今回のように武装蜂起をした区の早期終結を狙いとしたものだったのだが...マギールさんの思いが裏目に出てしまった。
(マギールさんは何かと責任を持とうとしない節がある…何か考えでもあるのかな…)
うつつを抜かすとはまさにこの事、これまで何の異変も起きなかったがために油断してしまった。人型機を映すレーダーに一つの光点が発生し、続けてロックオンを示す赤いマーカーも生まれてしまった。
「敵!」
「スイ!すぐに通信を!こちらに攻撃する意図はないと、」
リューさんの素早い指示もオペレーターの悲鳴によって掻き消されてしまった。
「ミサイル!全機すぐに離脱を!繰り返しますミサイルが発射されました!早く!」
頭の中が真っ白になってしまった、そんなまさか、何の警告もなしに、私が潜入を命じたばかりに、色んな言葉が生まれては消えてを繰り返しまともに考えることすらできない。レーダーに映った白い点が瞬く間に部隊に到着し一つの点をこの世から消し去った。
「………」
「………」
「全機現空域から早期離脱を!繰り返します!」
誰も何も喋らない中オペレーターだけが矢継ぎ早に指示を出してくれている。完全に不意を突かれてしまったのだ、お互い人間同士だから、同じ敵と戦った味方同士だから、本当に命までは取らないだろう、その甘えが確かに私にはあった。
(…………)
これで二度目だ、私が関わった相手に危害が及んでしまうのが、それも今回は命まで失われてしまった。
知らず知らずのうちに握り締めていた手が悲鳴を上げて爪に不快な痛みが生まれていた。そんな汚い手をキリちゃんが優しく握って、
「スイのせいじゃないよ、撃った奴が一番悪い」
「じゃあ私は二番目に悪いって言いたいのっ?!」
励ましてくれた言葉の尻に噛みつき怒鳴り返してしまった。どうしようもない程に怒りと後悔の念が渦巻きなす術も知らない私は八つ当たりをしていた、それでもキリちゃんは怯まなかった。
「それでもスイは悪くない。これからどうするの?作戦は中止?」
「………潜入のために人型機には警官隊も乗っているんだ、激しい戦闘はできない。現空域からの離脱が最優先だ」
「攻撃を仕掛けてきた人型機は政府から送信された「不明機」と呼称されているものに酷似しています。「仮想組みのアイリス」ですら撃退できなかった相手と聞いていますが…」
仮想組みのアイリスというのはアヤメさんのことで、最強格を表す固有名詞になっている。つまりは誰が戦っても勝てない、作戦は中断せざるを得ないということだ。
「困った…あの機体が連盟側に付いていたなんて…」
「リューの家臣でも何とかならない?」
「それは無理だよ、相手が違い過ぎる。まともな戦闘にすらならないよ」
大きく息を吸い込む、怒りも後悔も吐き出す必要はない。これは私が抱え込むものだ、それでいい。未熟者に付いてきてくれた人達に報いなければ、それに勝つ必要はない。あの不明機を、アヤメさんですら勝てなかったあの不明機をこちら側に引きつければいいだけの話しだ。
「スイ?」
「私が人型機で出撃して不明機を引きつけます。残りの部隊は作戦を続行するように指示を出してください」
「正気かい?自責の念に囚われてしまっているのなら冷静になった方がいい、君が自分の命を散らしたところで彼らは帰ってこないんだ」
一言一句その通り、返す言葉もない。
「ですが、現状人型機の操縦に長けているのは私だけです。仮想組みの三人は下層に降りていますし何より間に合わない」
「それならスイだって間に合わない、君の人型機はここにはないんだ。人型機部隊の安全を確認してから作戦は中止、早期撤収が望ましいと僕は思うよ」
「ここで決着を付けなければ第十九区のピューマは連盟長の勧告通り殺されてしまうでしょう。それに人型機を警戒して二度と近づけなくなります」
「これ以上の続行における人的被害がまるで予想がつかない、下手をすれば全滅の可能性だって大いにあり得るんだ。君は彼らに死にに行けと命じるつもりかい?」
ぐっと堪えた、捨てずに胸に取っておいた怒りが昇華しそうになった。
「人型機部隊の空域離脱後に私があの不明機を引きつけます。それに成功した後再突入、駄目なら作戦中止、これでどうでしょうか?」
「そう易々と命を天秤にかける作戦が上手くいくとは思えないね、総指揮に判断を仰ごう」
「構いません」
頼りないなんてとんでもない、私の出した案にどこまでも喰いついてくるリューさんは怖かった。それだけ真剣である証拠だ、けれどこちらも簡単にはいそうですかと引けなかった。
リューさんがマギールさんに連絡を取り現状を伝えて指示を求めた、そして眉を盛大にしかめて愕然とした表情に変わったのを見て私は自前の人型機の到着を待つために車から降りていった。
✳︎
「構わないと言っている、スイの作戦で続行を命じる」
[本気ですか?むざむざ女の子を殺すようなものですよ?]
「彼らに報いる一つの方法とは思わんかね、儂らの詰めの甘さが招いたことだリューオンよ」
[僕は決してそうは思わない、作戦の成功より人命が最優先です。あなたも自暴自棄になっているだけではありませんか?]
「ではピューマの命は一体誰が守る、儂らしかいないんだ、ここは聞き届けてくれ」
コンソールから大きく息を吸い込む音が聞こえる、私はリューオンという男について知らないが現場では頼れる存在であることを今し方知った。私もリューオンの意見に賛成だ、マギールもスイも頭に血が上っているとしか思えないが、ここで作戦を諦めてしまえばピューマ達を見殺しにしてしまう事と同義であった。
何度か深呼吸を繰り返した後、渋々了承の旨を伝えて通信が切られた。
「アオラ」
「分かっている、すぐに追加で警官隊と医療車を急行させる」
「頼んだ」
マギールの公務室から出た後すぐに、窓向こうの夜空に一機の人型機が現れた。主を乗せるため脇目も振らずに飛ぶ様はまるで生き急いでいるようだ、私はこの状況になってもスイちゃんの事しか頭にない。無事でいてくれよと願うばかり、自分の限界を思い知らされた。あの清廉潔白なスイちゃんのことだ、前線にも立たずに作戦を終えることは決して良しとはしないはず、だから私は何も言わなかった。
(私はスイちゃんさえ無事だったらそれでいい…こんな女が区長なんざ務めたところでお里が知れるというものだ…)
自分の務めを、その役目を見限ったところで警官隊へ連絡するため端末を取り出した。
✳︎
[人型機到着まで約五分です、部隊は全機離脱を完了、不明機は変わらず周辺空域を旋回行動しています]
オペレーターから報告が入る、それを頭に入れながら吹き荒ぶ夜風を浴びてクールダウンしていた。リューオンさんの自暴自棄になっているという言葉が効いたからだ。
[第一区から警官隊と医療車が急行しています、それと総司令代理より上層連盟へ車両の乗り入れを要請しています]
それはどうだろうか、聞き入れられるとは思えない。けれどマギールさんは救助を諦めた訳ではないと知って胸が熱くなった、私はとうに諦め仇を取ることしか頭になかったからだ。
(リューさんの言う通りだな…けれど今さら引けない)
それらしい事を言ったが結局それだ、命を奪った相手を許せなかったから私は戦うと決めたのだ。それしか報いる方法がない、自分の気持ちのやり場がそこしかなかったからだ。
[人型機が到着……待って、何を!攻撃許可は下りていません!今すぐに引いてください!]
オペレーターが再び悲鳴を上げ、高速道路上空に幾度も閃光が走った。まさか不明機がまた攻撃を仕掛けたのかと胃に鉛が落ちていったが違ったようだ、離脱したはずの人型機部隊が不明機を攻撃していたのだ。どうして?その疑問はすぐに解消された。
「私の機体を…」
援護するためだ、不明機を近づけさせないよう危険も顧みずに発砲を続けている。中には警官隊も乗せているはずなのに、狙われたらひとたまりもないはずなのに援護を続けてくれた。その勇気ある行動に胸が打たれた、私のせいで仲間が散っていったはずなのに、疎まれるべきなのに庇ってくれたのだ。
大きく息を吸い込む、泣く資格はない。けれど応えないと、その義務が私にはある。無事に人型機が私の元に降り立った。
「行くよ」
生憎私の機体にショルダーアートは無い、グガランナお姉様のマテリアルに配備されていた古い型式のものだ。けれどそれで十分、後は戦うだけ。コクピットに乗り込みコントロールレバーを握る、夜空を支配している不明機を睨みフットペダルを踏み込んだ。
98.c
ぼそぼそとした話し声で目を覚ました、その声音はどこか申し訳なさそうにしている。
「だから………そう………ごめんね……」
見上げた天井は古い板張りのものだ、眠る前は確かに消したはずの丸い電灯には小さな明かりが一つ点けられている。ゆっくりと体を起こすとすぐ隣に誰かが寝そべっていたので心底驚いた。
「ひゃっ」
「うわっ」
わたしの驚いた声に寝そべっていた男の子も驚きの声を上げた、その相手はいつの間にか同じ布団に潜り込んでいたバルバトスだった。
「何やってんの…」
「………」
「いや寝たふりとかいいから」
「…あははは、ごめんね、せっかくだからと思ってさ」
悪びれた様子でバルバトスも体を起こした。開け放った窓からは涼しい夜風と耳に心地良い音を鳴らす虫の声、それから鈍くて低い人型機の音が入ってきた。マギリはこの家にいないはずだ、わたしが眠る前に崩壊戦線に加わると言って出かけていった。
「誰と喋ってたの?」
「あっちにいる人間だよ、助けを求められたけど断ったんだ」
「どうして?行けばいいじゃん」
「こっちも大変だからね、アマンナは行かなくていいの?」
「………」
せっかく忘れていた嫌な気持ちが蘇ってきた、人型機から人に戻った途端に押し寄せてきた生理的欲求の前に考える事を放棄して、欲を満たしていればそのうち消えるだろうと思っていた「気持ち」だ。けれど一向に消えてくれそうな気配はなかった。
「……戦うだけ無駄じゃんか」
「どうしてそう思うの?」
ここにはバルバトス以外誰もいない、つっかえていた気持ちがするすると出てきた。
「ここって仮想だよ、ティアマトが作った世界なんだよ?どうせ消えてしまうだけなのに頑張る意味ってあるの?」
「………」
「わたし、ここにいる人達を見てるのが辛いんだよね、笑ったり怒ったりしてもそれはデータのプロトコルが決めた反応の一つに過ぎないし…そう思うと悲しくなってさ」
「そうだね」
「作りものの世界で生まれた人達が可哀想だって思うから…」
自分の気持ちを口にしているだけなのに言葉が上手くまとまらない、話せば話すほどに違和感を感じているからだろうか。
「……アマンナがそう思うなら僕はそれでいいと思うよ、無理に戦う必要も関わることもしなくていいよ」
「………」
優しい、そんな言葉が返ってくるとは思わなかった。けれどわたしの心は一向に晴れずさらに淀んでいくのが分かった。バルバトスが布団から抜け出し立ち上がった、ノートが置かれた机の上にある窓の外には音もなく人型機が現れていた。あの日見たものと同じ青くて禍々しい機体だ、その眼光は鋭くわたしを糾弾しているようにさえ見えた。
「ここは僕に任せて、アマンナが元気で過ごせるように守ってみせるから」
「何でそこまでするの?」
「何でって、それが兄の役目だからだよ。妹のために頑張らない兄はいないよ」
「………」
窓の外で待機している人型機へ行こうか行くまいか逡巡した素振りを見せた後、意を決したようにバルバトスが言葉を紡いだ。
「……でも、そうだね、アマンナの事を一番に考えて言うけど、この世界の成り立ちぐらいは知っておいた方がいいかもしれない。あの机に置かれているノートを見るといいよ…そこには……うぅ」
「…泣くタイミングおかしくない?そこで泣くの?」
「……何でもない、きっとアマンナの事だから今までのように……」
瞬間的に警笛が鳴らされた、全身が強張り聞くことを体が拒否した。
「いい、それ以上は何も言わなくていいから」
「……うん、そうだねごめん、それじゃあ僕は行ってくるよ。本音を言えばアマンナはこれ以上戦わなくていいと思っているからね、君はもっと自分の事を優先すべきだ、それじゃあね」
手のひらを小さく振ってからわたしの元から離れていった。見ていたはずなのに人型機が瞬時に消え去り跡形もなくいなくなった。
「…………」
バルバトスが言っていたように机に置かれたままのページを始めから見ていくことにした。このノートはアヤメが書いたものだ、内容は多岐に渡り様々、訓練校で教えられた事が書かれていたり、人型機に関する自身の所感が綴られていたり。
「……あった」
「アマンナは大丈夫?」ページの隅にそれだけ書かれていた、ここに来た当初は訓練ばかりで皆んなが皆んな顔を合わせていない期間が一ヶ月近くあったのだ。その会っていない期間でもアヤメはわたしのことを想ってくれていたと知ってようやく心に一筋の光りが差した。
「ちっ」
しかし、次のページからプエラの事ばかり。やれ仲が良くないとか、どうして私なのかと悩む様が手に取るように分かる心情が殴り書きされていた。ページが進むにつれてプエラと仲良くなっていく様子が書かれ、最後は恋人同士にようにいちゃいちゃと...ノートを丸めて窓の外に投げようとした時にプエラについて書かれた最後の一言が目に入った。
"どうして?プエラは私達より上官の方が大事なのかな"
「………」
そういえばアヤメはプエラが離れていく事を知っていたんだっけ...どうしようもない気持ちは誰もが持つんだと、あのアヤメですらそれは変わらないと知った。
そして最後のページに辿り着いた時、書かれた内容を理解するより早く目頭が熱くなっていた。
"ティアマトさんへ願い事の二つ目はこの世界を残してほしいと伝えた。もったいない、こんなに綺麗で楽しい世界を消してしまうなんてもったいない。いつか遊びに来よう"
「………………はぁ」
何だそれって思った、もったいないって何様だと思った。けれどわたしの知らないところでアヤメがティアマトにお願いしていたのだ、そのおかげでわたしは助かったのだと知った。こんな我儘でも誰かを救うことがあるのかと学んだ、アヤメにとっては現実も仮想も変わりがないんだ。わたしはここに来てもまたアヤメに助けられた、そしてここを守れるのはわたし達だけだ。
「はぁ…行くか」
流れる涙を堪えて立ち上がる。アヤメのためだ、ここにいる人達のためではない。布団を跳ね除け寝巻き姿で部屋を出る、勾配がキツい階段を降りてそのまま家の外へ出ると息を飲んだ。
「…………そういう事」
慣れ親しんだあのバス停の近くに一機の人型機が屹立していたのだ、バルバトスと同じように音もなく現れた機体は真紅。全身が鋭利にデザインされたその機体は下層でわたし達を一方的に襲ってきたものととても良く似ていた。いや、色が違うだけで同じ機体だった。
「まぁいいや、すぐに戦えるなら何でもいい」
鬱屈していた気持ちがやる気に変わりわたしの四肢を否が応にも動かせる。ここを守ろう、さぁわたしも戦うぞと腹を括ると既にコクピットに搭乗していた。
「何でやねん、どんなマジック?」
いつの間に乗っていたのかまるで思い出せないが、乗り込んだコクピットは不思議と落ち着いた、いや帰ってきたと言ってもいいぐらいだ。やはりわたしはマキナではなく人型機だったんだと深く納得した。
《起動》
凛とした声で告げられたシークエンス、胸が締め付けられる。
《コネクタ・リンク》
早く会いたいと切に願う、早く帰りたいと心から祈った。
《接続完了》
これが本来のシークエンスだ、何が譲渡するだバカやろう。
「やってやんよぉ!」
視界と同期した夜空に向かって気焔を吐いた。
✳︎
[第四班後退、第五班は前進!装備の換装が終わるまで何としても死守せよ!]
[メーデーメーデー!被弾した!被弾した!]
[後詰めの部隊はまだか!間に合わない!敵の侵攻が激し過ぎるぞ!]
[あれは何だ……まだ新しい敵が現れるのか…]
コンソールから数え切れない程の通信が入る、こっちも目の前の敵に集中せざるを得ないので構っている隙はなかった。まさに泥沼、敵が敵として認識されず落ちていく物体を見て味方だったと後から分かる程に戦場は混乱の様相を呈していた。
[ブラックホールからさらに敵増援!誰でもいいから食い止めろ!]
[だったらてめぇが行けぇ!]
味方でありながらそれは助け合う間柄ではない、ただ同じ敵を相手にしている者同士というだけだった。その言葉に遠慮も労りもなくあるのは腹立ち紛れの汚いものだけだ。
「ちっ!こんな時に空にならないでよぉ!」
八つ目の敵を目の前にしながらアサルト・ライフルのトリガーにロックがかかった、残弾ゼロ。無防備になってしまった私の機体に醜いその手が構えられたが、頭が弾け飛び足から力尽きて倒れてしまった。
[平気か、十三番機。ここは俺達が持つ]
「あれは…」
ナツメさんが率いていた編成二班...この混沌とした戦場においてきちんと編隊飛行を取り三機が一糸乱れぬ動きを取っていたことに驚いた。しかし数がおかしい、一班六人編成なのに一人足りない、ナツメさんとアマンナがいないのなら四人のはずなのに…もう既にやられてしまったのだろうか。
味方でありながら味方ではない戦場に慣れきっていた私はつい棘のある言葉を返していた。
「そんな余裕があるんですか?あるなら敵を倒してくださいよ」
[あるから助けているんだろう、余裕がないのは独りで戦っている君の方だ]
「………」
上空で三機が散開し、それぞれの降下地点へアサルト・ライフルで敵を倒しながら高度を下げていく。距離があり、別々の敵と戦っているはずなのに互いに連携を取り合い華麗に倒していくではないか、確かに彼らには余裕というものがあった。どうしてこの戦場に染まらずにいられたのであろうか、私だって確かな正義感を元に戦っていたはずなのに。
「……すみません、あなたの仰る通りでした」
[何、俺達も隊長の言いつけを守っていただけだ。どんな時でも仲間がいることを忘れるな、独りよがりでは絶対に勝てないってな]
ナツメさんが...そんな事を...
[隊長と組んで戦ったことがある君ですら惑わされてしまう戦場なんだ、ここは。頭を冷やせ]
その言葉に目が覚めた。
(何をやっていたのか私は…)
正義感と言ったがそれはアヤメの為になれない気持ちの裏返しでもあった。躍起になり過ぎるあまりに味方すら区別ができなくなってしまうなんてまだまだだ。
「では遠慮なく!」
頭を切り替え後方に下がる、一刻も早く装備を換装して戻ってこなければ。素早く反転し整備舎へと向かう、その道すがらで敵に囲まれた機体を見つけ近接武器でその背中に深く叩き込んでやった。
「独りで戦っても駄目!こいつは私が貰っていくから!」
相手の返事も待たずに空へと駆け上がり暴れる敵に食い込んだ近接武器の柄を離した、空から落とされた敵が地面に叩きつけられて絶命する。私と同じように独りで戦っていたパイロットから通信が入った。
[助かったよ!]
「良いってことよ!」
とても簡単なお礼だ、けれどそれだけで胸が熱くなるのを感じた。
(何だ簡単なことじゃんか…独りで駄目なら皆んなで戦えばいい)
さらに機体を飛ばして整備舎へと向かう、手早く装備類を換装して再び戦場に舞い戻った時には驚いてしまった。あれだけ混沌としていた戦場に班が生まれて連携を取り合い敵を押し留めていた。その班の中心には私を助けてくれた編成二班が陣取り指示を与えている。
[弾切れする前に引け!周りにいる者は援護しろ!]
[何が何でも味方を守って!]
[空いた穴を埋めたくなかったら言う事を聞けぇ!]
散っていた味方が集結し始め敵もそれに合わせて殺到する。しかし流れるような連携になす術もなく敵が倒されていく、助けられた味方も片膝をついて銃を構え敵を攻撃し続けている。味方の被弾率も下がり全人型機が一つの壁となって一歩前進した時さらにブラックホールから敵が現れた、まだ増えるというのか。散り散りになっていた皆んなが一つになってようやく押し留められているというのに敵の追加投入は洒落にならない、誰も愚痴をこぼさないが悲壮感がひしひしと漂い始めた時、一機の人型機か天から舞い降りる。バルバトスだ。
[ここは僕が受け持つよ、その為に来たのだからどうということはない]
「バルバトス?!何やってんの!!」
[これで僕達が神と崇められていることを信じてくれると嬉しいんだけどね]
「そんな事はどうでもいい!玉砕するつもりなら今すぐやめて!」
[そう言ってもらえて嬉しいよ、頑張る甲斐があるってものだ]
円形状のバックユニットが輝き始めた、まるで舞台俳優のようにその手を広げて抑揚の付いた声音で話し始めた。
[介入対象を固定、分析始め]
(何をやって?!)
バルバトスの声に合わせて敵の動きが鈍り始めた、からくりは全く分からないが助けに入った事だけは分かったので私達で援護することにした。
「あの青い機体を守って!」
皆んなもそれが分かっていたのか返事もせずにバルバトスへ殺到する敵を攻撃し始めた。押し返しているが数が数だ、あっという間に敵の波に飲まれて戦線が崩壊してしまう。
[う〜ん…やっぱり力が出し切れていない…どうしたものか…]
いつもの調子で独りごちるバルバトスに声をかける者が現れた。
[二人でやったら何とかなるでしょ、わたしも手伝うよ]
「アマンナ!」
何だあの機体は...太陽よりも血よりも赤い人型機に乗って現れたではないか。編成二班の仲間達もアマンナの声に気付いて野次を飛ばし始めた。
[アマンナてめぇ!今頃のこのこ現れやがって!]
[こっちは大変なのよ?!早く手伝いなさい!]
[その赤いの…カッコいいな…許す]
[…………さーせん!]
暫く無言で返していたアマンナが何かを吹っ切ったのようにふざけた調子で仲間達に応えた。
[ふざけるな!]
[ふざけないで!]
[やっぱり許さない!]
[はいはい、ここはわたしとバルバトスが何とかするから早く下がって、皆んなが居なくなったらナツメが悲しむよ]
その言葉を最後に通信が切られ、アマンナがバルバトスの横に並び立った。赤い機体が片腕を上げ、青い機体がもう一度両手を上げた時、夜空に白い太陽が昇った。白く、どこまでも白く、敵も味方も彼我も無くなり焦燥感に支配されていた胸に一滴の安堵が染み渡った。
[これでもう大丈夫、僕は一足先に戻っているよ]
バルバトスの声を最後に安堵が津波となって押し寄せ、寝不足だった私は安眠の海底へと落ちていった。
98.d
「アヤメは?!」
「どこにもいません!」
トイレに行くと出かけたアヤメが戻ってこない。ポッドルーム、グガランナ・マテリアル、焼けくそドラゴンの中をくまなく探しても見当たらず、挙句の果てには車が駐車された展望台にアヤメの物と思われるインカムが落ちていたのだ。乗り合わせた車もなくなっており、これはいよいよ緊急事態だと整備が終わったばかりの人型機でホテルまで戻ってきた。ホテルの中を探しても見つからない、アヤメが誘拐されてしまったのは火を見るより明らかであった。
「クソ!こんな時に!一体誰だ!」
「分かりません!僕はもう一度ホテルの中を捜してみます!」
ホテルのエントランスでテッドと別れた後、私は再びポッドルームに戻るため人型機の所へ走って行った。外を出た途端に慌てたティアマトと鉢合わせしてしまい危うくぶつかりそうになってしまった。
「ティアマト!」
「ナツメ!グガランナを見ていないかしら?!あの子が急にいなくなってしまったのよ!」
「はぁ?!グガランナもか?!」
「グガランナもってどういうことなの?!……まさかっ」
「アヤメもいなくなったんだよ!かれこれ一時間近く姿を見せていない!」
「何ということ………」
聞けばティアマト達はここから一番近いテンペスト・シリンダーのメインゲートまで足を運んでいたらしい、そこでディアボロス達と話し合いをしていたらしいが今その内容を聞く時ではなかった。
「グガランナはいつ頃から?」
「話し合いが終わった後すぐよ、目を離した隙にいなくなっていたわ」
「………」
「タイタニスは?見ていないのか?」
「我は見ていない」
どこか強張った表情をしているのは緊張しているからだろうか、こんなにも異変が立て続けに起こっているんだ、無理らしからぬこともしれない。
「グガランナとアヤメが同時にいなくなってしまうなんて…一体何が起こっているんだ…」
「とにかく探しましょう」
タイタニスが流した視線の先が気になったが私はそのまま外へと飛び出した。
◇
狭い下層の空を飛んでいるとティアマトから通信が入る、到着するまでの間だけで構いないから話しを聞いてほしいというものだった。その内容を聞いて私は不思議と事態を受け入れ、素直に決意することができた。
[…これから先はもう、あなた達と一緒にいることができないわ]
「そうか」
[……淡白なのね、私達に飽きていたのかしら]
「そんなことはないさ、ただこれから先お前達が味方でいてくれるとは限らないとアヤメとテッドには話しをしてあったんだ」
ポッドルームに向けていた機体を反転させて再びホテルへと戻った。ティアマトの話しを聞いてすぐにアヤメを誘拐した犯人が分かり居場所についてもあたりが付いた。
[……そう。今から戻ってこられないかしら、このマテリアルの使用時刻が定められているの、その時間を過ぎると私達はサーバーに強制帰還させられてしまうわ]
「分かったすぐに戻ろう、言っておくが私はしんみりとした空気は好きではない」
きっとあそこだ、あそこにアヤメとグガランナはいるはずだ。
◇
「ナツメさん…」
「二人は?」
「個室の中に…とても突入できる雰囲気ではなくて…」
やはりそうだ、いつかティアマトが引きこもっていたトイレの前に皆んなが集まっていた。タイタニスが目を合わせるなり頭を下げてきた、初めからグガランナの行方を知っていたらしい。
「すまない、口止めをされていてな」
「いいさ」
グガランナはアヤメを連れて逃げ出すつもりでいたらしい、トイレの中から聞こえてくるそのすすり泣きを聞いて、こいつは本当にアヤメのことが好きなのだといやでも思い知らされてしまった。
「いつまでだ?」
マテリアルの使用時刻についてだ、もう間もなくとティアマトが返事をする。
「世話になった、お前達はサーバーから私達を眺めていろ。すぐに解決して引っ張り出してやるさ、やる事はまだまだ残っているんだ」
今にも泣きそうになっているティアマトの手を取り抱き締めてあげた。震えるその手を私の背中に回して抱き締め返し顔を埋めて嗚咽を漏らし始める、熱い、熱い涙が首筋を伝いマテリアルと一瞬に床へと落ちていった。力を失ったマテリアルをゆっくりと床に下ろして顔を上げると、固い握手を交わしていたテッドもタイタニスのマテリアルを横たえさせていた。
トイレの扉をノックする、先程まで聞こえていたすすり泣きも、もう今は聞こえない。扉を開けた先ではアヤメの膝に頭を埋めているグガランナがいた。力を失っているのにアヤメは変わらず、まるで子供をあやすように頭を撫で続けていた。
「何て言っていたんだ」
「………」
アヤメは涙一つ流していないその顔をゆっくりと上げて「秘密」、そう言ってから再びグガランナのマテリアルに視線を落とした。初めて見る程に優しい顔をしたアヤメがもう暫くこのままでいさせてほしいとお願いをしてきた。出る間際にグガランナの顔を見やれば涙で酷い有り様になっていた、そのしかめられた眉には、アヤメのことをほっぽり出すんじゃなかったと、後悔が表れているようだった。
※次回 2021/8/10 20:00 更新予定