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第九十六話 回り道

96.a



「い、今のは何?!」


「わ、分かりません!とにかく人型機へ!」


 まるで雷が鳴ったよう、雨雲も何もない澄んだ青空に激しい光りが明滅しガニメデさんの友人が射撃態勢に入った。私の人型機を狙っていたようにその硬い殻を開いて羽を露出させている。


「何で?!何で友人は射撃態勢を取ってるの?!」


「分かりません!高高度から私達も確認しましょう!」


 さらに四枚の羽も広げて態勢を低くする、雷が鳴ったように友人の羽も激しく明滅したかと思えば、およそ虫が出せる音ではない鼓膜を突き破らんばかりの発射音が鳴った、あれでは大砲だ。


「あれが本気ってこと?!」


「かもしれません!あんな激しい姿を見るのは初めてです!」


 白熱した棘が綺麗な放物線を描いて平原の彼方へと飛翔する、続けて地面に着弾し人型機をも超える火柱を上げた。その赤熱した柱と爆風によってようやく何が襲ってきたのか視認することができた。


「クモガエル!」


 爆風に巻き上げられたクモガエルが瞬きのうちに無残な姿へと変わっている、それも一体ではなく何体もだ。友人が連続で棘を撃ち出しこちらに攻めてくる前に殲滅しようとしていた。だが、距離の問題か棘の狙いがそれて何体かのクモガエルが生き延びたようだ。私達が会敵した時とは比べものにもならない程にスピードを上げてこちらに迫ってくる。


(どうしよう!あれだけの数はさすがに処理し切れない!)


 ナツメ達に応援を出そうかという時にコンソールに通信が入った、その相手とは今まさしくクモガエルを攻撃している友人からだった。


[手を貸してくれないか?私の良き隣人よ、君の助けが必要だ]


「?!」


「通信できるの?!」


[緊急事態ゆえ、本来であればこの会話はあってはならないことだ。しかしここは聖地、何が何でも守らねばならない]


 聖地?誰の?


「え、えぇ!勿論です我が愛しき友人よ!あなたの助けになりましょう!」


[感謝する。もう(いく)(ばく)もないこの身だが腹に抱えた子を守るために共に戦おう]


「え?!」


 疑問を口にする前には敵からの攻撃に見舞われてしまった、慌てて回避行動に入り友人の頭上に陣取った。


「で、ですが私達はどうすれば?!」


「落ち着いて!やれることは一つ!こっちに向かってくる敵の位置、速度、数を報告して!」


「い、位置とは?!」


「私達からの距離と角度!角度が分からないなら時計の針に例えてもいい!私は近くに迫ってきたクモガエルを処理するからお願いね!」


「わ、分かりました!」


 これは所謂観測手、スポッターと呼ばれる役割だ。友人の視界からでは捕捉し切れない敵もガニメデさんが観測し伝えることによってより広い範囲に対して攻撃を行うことができる。私が長年欲しかった相手なのだがあの時のナツメ()()にはまるで話しが通っていなかった。


(帰ったら一発殴ってやろう!)


 思い出し怒りをしたところで敵の第二陣がこちらに迫ってきた。



✳︎



 すっかりと変わったようだった。その姿には安堵しかない。


[い、一番近い敵は三時の方向!数は四!そ、速度は…ご、五十キロ!]


「次に近い敵は?」


[十二時!数は三!速度は同じです!]


「それで十分だ」


 争い事には慣れていない君だ、さぞかし無理をしていることだろうが辛抱してほしい。教えられた方角に二射、そして角度を修正してさらに間髪入れず一射。


[お、お見事です!]


「その礼は要らないよ、あまり無理はしないで」


 君は何より学と知識が似合う者だ。それに早くこの場を終わらせて巣へ帰らないと気付かれてしまう。君にとっても私にとってもこの場は()()()しかない。けれど、私の懸念は杞憂には終わらず現実のものとなってしまった。


[君は一体何者なのかな?教えてくれると嬉しいんだけど…答えられるよね?]


「………」


 ほらきた、やはり監視されていた。質問ではなく確認、疑念しか持たない者の聞き方だった。


「今はただ、あなた方の味方とだけ答えておこう」


[僕達の…ふぅ〜ん…そっか……]


 できることなら今は発言を控えてほしかったのだがさらに観測結果が伝えられた。


[さらに十二時より敵が来ます!数は…十?!速度は六十キロ!]


[あれ?この声は…ガニメデかな?何をしているの?]


「答える暇が惜しい」


 教えられた角度にフレアミサイルを向けるがここからでは敵の姿を視認することができない。


[そう…まぁいいや、僕達の邪魔だけはしないでくれる?]


 君に発射タイミングを委ねようと口を開いたが、迂闊にも私は言い返してしまっていた。その他人行儀さ、何より足元を見ていない言い方に我慢がならなかった。


「それならば少しぐらいは顧みたらどうだい、あなたはもっと影で涙を流している者に気を配るべきだ。誰が今日まで支えてきたと思っている」


[………そういう事、そういう事か。あの子も僕の真似をしていたんだね、良く分かった。邪魔をしてごめんね、もう直に始まるだろうからあの子を頼むよ]


「私の話しを聞いているのか?」


[皆んな次の一回に全てをかけているんだ、僕だってこの身がどうなるか分からない。だから言っているんだよ、お願いね]


 念を押されたところで通話が切られた。迂闊にも程があった私の一言に全てを理解してくれたらしい。不幸中の幸い、とまではいかないがこれで露呈することが暫くは防げそうではあった。


(元よりそのつもり、今は死守することが先決だ)


 最悪は聖地を放棄する他にない、我が身に宿った()さえ守り切れば使命を完遂することができるからだ。


「君よ、距離と風速を教えてくれないかい」


[え?!ちょ、ちょっとお待ちを…]


 アヤメ、そう名乗ったパイロットが横から口を挟んできた。


[距離はおよそ八キロ、風速は三、風向きは向かい、ここから狙撃するつもりですか?]


[私の仕事ですよ!横から取らないでくださいまし!]


[コンソールの見方が分からないだろうって思ったからだよ!そんな言い方しなくてもいいでしょ!]


[教えてくれたらいいじゃないですか!]


[そんな余裕がどこにあるの!]


 見ない間に得難い友人を得られたようだ、遠慮なく言い合うその姿は私の前では見せなかった自然体のものだった。

 アヤメから伝えられた観測よりフレアミサイルの射出口を調整する。


「これでいいかい?」


[……角度二下げてください…速いな、スピードを上げてる…さらに三]


 細かな調整指示が下りる。


「君のタイミングに合わせるよ、付近に敵はいないようだから…」


 落ち着いて、そう口にする前に君から射撃指示が下りた。どうでもいいことだが指示役はどちらか一人だけにしてほしい。


[今です!]


[ちょ?!]


 神経系に繋がれたトリガーが引かれフレアミサイルのブースターが起動、止める間もなく射出口から放たれ合わせた角度通りに飛翔した。アヤメの狙いが良かったのか、君の合図が良かったのか、たった一発のフレアミサイルで見事敵を半壊へと追い込んでいた。


「お見事」


[ほぉら!私の言った通り!向こうはぐんぐんスピードを上げてくるから待っていても無駄ですよ!]


[誰が弾道計算したと思ってるの!まだ半分も残ってるじゃんか!]


「それぐらい私が何とかしよう」


[駄目ですよガニメデさんを甘やかしたら!]


 笑みが溢れた。アヤメと呼ばれるパイロットはまるで私に臆していないらしい、この姿で、さらに人間に注意を受けたのは初めてのことだった。



✳︎



 最初は覚束なかったガニメデさんの観測も次第に的を絞った物言いになり、そのかいあって友人の猛攻が止まることなく続けられた。中層の大地をひた走るクモガエルの数が徐々に減り始め、すでに残り一波を残すところとなった。


(これもやっぱりあの二人の仕業……なのかな。それにしても理由が分からない…)


 モンスーンではその姿を見なかった、念のためティアマトさんにも報告は入れてある。今のところエディスンでは確認されていないらしいがそれも時間の問題のように思えた。


「角度を一時方向に四修正!三秒後に攻撃!」


 最後の号令により敵を残らず掃討してみせた。役目を終えた友人が羽を畳んで硬い殻を閉じていった。


[ありがとう我が友人よ。ところで君の所へお邪魔してもいいかい?どうやら巣には戻れそうになくてね]


「それは構いませんが……今の敵は何ですか?何か心当たりはありますか?」


[あの敵は存在してはいけないものだよ、全ての理が覆りかねない生き物だ]


「なら、あなたはここを守っていたのですか?」


[あぁそうだよ、巣から中層に異変が起こったことを感知したからね。本当は出るつもりもなかったんだけどここを落とされたら悲しむ人がいるんだ]


 それはガニメデさんのことだろうか...目を合わすが向こうもきょとんとしている。


「愛しき友人よ、あなたに乗ることはできますか?良ければこのままメインシャフトへと向かいたいのですが」


[勿論、私が乗せていこう]


 唐突なお別れだ、けれどガニメデさんは早く調べ物がしたいのだろう。今回の巡り旅では沢山の戦利品を持ち帰ることができた、また忙しい毎日が始まるに違いなかった。


「ということなのでアヤメ、私はここで失礼しますね」

 

「分かった。ここのクモガエルは私が報告しておくよ」


 ふにゃついた、困ったような笑みではなく力強く微笑み頷き返した。


「また、遊びにいらしてください。あの子もまたあなたと遊びたいと言っておりますので」


 ...そういやそんな約束もしたっけ、随分とお流れになっているけど。

去り際に何故私を撃ってきたのかと聞いてみると、これの一体どこが理知的で温厚なのかと疑いたくなってしまった。


[ただの腕試しだよ。ま、私の方が強かったみたいだけどね]


 ガニメデさんを降ろして再び空へと舞い上がる、仮想投影されたコクピットにいつまでも手を振り続けるガニメデさんが映っていた。



96.b



「静かにしなさい!」


「さーせん!」


「こんのっ…アヤメが帰ってくるからって騒がないでちょうだい!」


「あぁ!ようやく私の元へアヤメが帰ってくるのね!もう絶対に離さない!」


 とてもうっとりとした顔で「鳥籠に閉じ込めておきたい…」そう呟いた言葉はさすがに引いてしまった。何でもないようにテッドが突っ込みを入れたがまるで聞いていないようだ。


「別にグガランナさんの所へ帰ってくる訳ではありませんよ?」


「あぁ…まずは抱きしめて…その後口付けをしてもらって…あぁ!今にも胸が弾けてしまいそう!」


「そのまま爆ぜればいいわ!」


「いや爆発したら後が面倒だろ」


「いやそういうことでは…」


 グガランナ・マテリアルのブリッジには現実に復帰した私とテッド、それから躍起になってコンソールのキーボードを叩いている女艦長と駄目なパイロットがいた。くるくると回りながらアヤメの帰還を待ち侘びている、ここに到着するまであと数時間はかかるというのにひどい浮かれようだった。

 ティアマトからこの艦体がサーバーにアクセスできないことは聞かされていた、艦内の設備関係は今のところ問題はないがマテリアルがログアウトした今の状態では動かすことすらままならないらしい。いざという時の艦体なのにこのままでは使い物にならない。


「エンジンの始動も駄目なのか?」


「……いいえ、それは可能よ。ただマテリアル・ポッドに閉じ込められたままなのよ…プログラム・ガイアに問い合わせても返事が返ってこないし…一体どうなっているのかしら…」


「ティアマトさんのマテリアルもですか?」


「……あなた達に切れと言われてからそのままにしてあるから分からないわ。どのみちこのオンボロマテリアルがポッドから外へ出さないと私のマテリアル・ポッドにすら入れない…」


「そりゃ確かに」


 グガランナ・マテリアルのコアルームに焼けくそドラゴンを収めたままにしてある、ハッチは開くがここはポッドの中だ。


「それと、アヤメ達が見たというクモガエルについてだが、前に中層を襲った連中とは違うのか?」


「…………」


(作業に集中しているな…一旦席を外すか…)


 眉間にしわを寄せたまま答える素振りを見せないので、未だにはしゃいでいるグガランナの首根っこを掴みブリッジを後にした。



「アヤメから貰った敵のパターンを比較してみたが、どうやら我が発見したものとは違うようだ。ティアマトは今何をしている」


 グガランナ・マテリアルを整備しているポッドの制御室に足を向けタイタニスと敵について意見交換をしていた。


(ポッドに制御室って…まぁこれだけデカいと必要なんだろうな…)


「ティアマトはコンソール前に陣取って復旧作業をしてくれているわ」


「それはお前がすべきことだと思うのだが…」


 言われた本人はどこ吹く風だ、さっきの浮かれ具合はなりを潜めているが未だふわふわとしている。


「パターンが違うとは?」


「種類が違うということだ、我が発見したものはどちらかと言うとエディスンに押し寄せたものと似ている。中層にいる部隊の仕業かと思ったのだが…」


「さすがにそれは…」


「であろうな、すまんがナツメよ調査に出向いてはくれないか?」


「タイタニス、さすがにナツメさんを頼り過ぎではないかしら?今日の朝方にようやく戻ってきたところなのよ?」


「いいさ、体を動かしたい気分なんだ。だが人型機はどうする?グガランナ・マテリアルが稼働しなければ出せないぞ」


 タイタニスが言う発見場所は下層の中央近く、メイン・サーバーが置かれた区画にある大型の炉心近くなんだそうだ。移動用の車でも事は足りるが万が一会敵した場合はなす術がない。丸腰で調査に出向くのは躊躇われた。


「ふむ…良かろう、我のマテリアルから建設用の人型機を出す。それで向かってくれ、調査するだけならそれで十分のはずだ」


「分かった、出発は?」


「準備に時間がかかる、終わればすぐに連絡するから待機していてくれ」


 未だ不服顔のグガランナに「人のこと言えませんよ」と釘を刺されてすごすごと引っ込んだ。



✳︎



「異常を検知しました、タイタニスも調べているようですが一度現地へ赴いていただけませんか?」


「異常とは?」


「複数、それもかなりの数の生命体が擬似太陽型炉心の近くにいる模様です」


「それはノヴァグか?」


 今のはオーディンだ、突然の来訪に不快感を隠そうとしていない。


「おそらくは」


「………」


 向かいに座ったオーディンと目線を合わせて相談する。

ここはヒマラヤ山脈を模して作られた迎賓館、いつかのようにチェス盤を挟んでオーディンとやり取りをしていると喪服姿のプログラム・ガイアが唐突に現れ、そして調査に出向けと言ってきた。


「ここからでも調べられるのでは?わざわざ行かなくとも…」


「太陽型炉心の性質上監視カメラを設置することが困難なのです、そのせいもあって反応しか検知できません。もし異常が発生しているのなら速やかに排除しなければなりません」


「……それはそうだな」


「しかしこちらには攻撃手段がない。まさか見て報告するだけで構わないとは言わないだろう?」


「あなたのオリジナル・マテリアルに攻撃特性を付与します。一時的なものですが十分に事足りることでしょう」


「………」


 オーディンが微妙な顔付きになっている。だが、もしその異常とやらがセルゲイ達の工作活動によるものなら無視はできない。奴らは下層侵攻へのルートが絶たれた状態にある、動かずとも下層を破壊せんと手を打つことは容易に想像することができた。


「……分かった調べてこよう。それと次からノックの一つぐらいはしてほしいものだ」


「?」


 真顔で首を傾げられた。


「……マテリアルは?」


「すぐにでも。それではよろしくお願い致します」


 言いたいだけ言った後は跡形もなく消え去った。残ったのはチェックメイト手前のチェス盤と微妙な空気と俺達だけだった。


「…何だ今のは?」


「さぁな…大事の前の小事だ、とっとと終わらせよう」


「俺も付いて行こう」


「俺のマテリアルに攻撃機能が付くのがそんなに気になるのか?」


「それもある。だが、もしかしたら奴らに会えるかもしれない」


「言っておくが俺達の目的は、」


「分かっている」


 守りを失い後はナイトに取られるだけのキングをオーディンが眺めている。初手から躍起になって駒を進めた結果だ、こちらも危うい場面はあったが守りが疎かになっていたおかげで逆に攻めることができた。またぞろチェス盤をひっくり返すかと思ったが徐に立ち上がり背筋を正しただけだった、もう興味はないらしい。


「このチェスで学んだ事を実践するだけだ。大量のポーンを処理したところで勝ちとは言わない、必ず死角からナイトが攻めてくる」


「奴らがナイトかどうかは甚だ疑問ではあるが、それには同意だな」


 せっかくまともに勝てると思ったが俺もソファから立ち上がり準備に入った。



✳︎



「これが建設用の人型機…何というか、弱そうだな…」


「当たり前だ、特殊災害に対応していない一般的な人型機だ。攻撃には向いていないが守りには使えるだろう」


「アヤメも直に戻ってくる、あいつと二人で行けば何とかなるだろう」


「え?帰ってきてすぐですか?それはさすがに…」


「ナツメさん、私という存在を忘れてはいませんか?」


「お前の満足よりテンペスト・シリンダーの異変が先だ」


 恨めしそうに睨んではいるが何も言い返してこないあたり状況はよく理解しているのだろう。


「む、帰ってきたようだな」


 グガランナ・マテリアル専用の直通ゲートから人型機の微かなエンジン音が耳に届き始めた。一日半遅れてようやくのご帰還らしい、ポッド・ルームに姿を現したアヤメの人型機は随分と身軽になっているようだった、お得意の化け物アクスも追加装甲もなく細い体躯に不釣り合いな禍々しい腕と脚をした人型機が目の前に降り立った。


[ただいま]


「アヤメぇー!お帰りなさぁい!」


 真横で吠えられてはた迷惑そうにタイタニスが眉をしかめ一歩体を引いている。外部スピーカー越しにいつも通りの声で何の変哲もない挨拶をしたアヤメに少しだけ安心してしまった。


「アヤメ、すまんがこのまま下層の調査に出向くぞ。中央辺りでノヴァグの反応を検知した、いけるか?」


 文句の一つや二つ、言われる覚悟をしていたがやけにあっさり返された。


[分かった、私はここで待機しておくよ]


「ありがとう」


 私も端的に返事を返して準備に入る、その間にグガランナがアヤメとべったりしていたのは言うまでもないことだった。



「何を話していたんだ?」


[別に、もう私はあなたを離さないとか、引くぐらいに言われたよ]


「予想通りだな」


[何にも変わってないのは安心したけどね。今はこんな状態だしどこかの意地悪な隊長みたいに荒んでいたらどうしようかと思ってた]


「そんな酷い奴が世の中にはいるんだな、私も気を付けよう」


[はいはい]


 おざなりの返事を受けて再び前方に注意を向ける。ポッドルーム周辺は人が住めるようにある程度区画整理されていたがここは違う。ある一定を境にしてから人が歩ける道もなくなり建物型の中央処理装置がそれこそ森林のように立ち並び、その壁には不思議と動いているケーブルで覆われていた。森の中に捨てられた街並みに見えるが、この全て一つ一つがテンペスト・シリンダーを生かしていると思うと不思議な感慨に襲われてしまった。


[何あのうねうねしてるやつ…]


 中央処理装置を避けながら人型機のライトを頼りに進んでいるとアヤメが不快そうな声を出した。


「ノヴァグの生き残りか?」


 以前に大挙として押し寄せたノヴァグを殱滅したことがあった、その生き残りかと思ったが(ぜん)動し床を這いずり回っているのは長い紐状のものだけだった。


[ナツメあそこに突っ込んできてよ、何か分かるかもしれない]


「さっきの酷い隊長くんだりの当て付けか?」


[自覚あったのかよ]


 アヤメから突っ込みを受けながら注意深く観察を続けているとその端が腐りかけていることに気付いた。


「放っておいても大丈夫そうだが…念のためタイタニスへ報告を上げておくか」


 その返事はとても簡単なものであった。


[気にするなそれは敵ではない、名前は生体型ストレージと言って不要になった記録領域を破棄しているだけだ]


「………」


 簡単ではなかった、言葉の意味は分かるが理解できない。勿論アヤメも聞いているが静かなものだった。


「………つまりは?」

 

[つまりも何もない、生物同様に新陳代謝を擬似的に作り上げ何千年と続いている記録を行っているのだ。腐りかけているのはさすがに良くないが、だからと言って我らではどうすることもできん]


「良く分かった。目的地まではあと少しだ」


 さっさと話しを切り上げることにし、アヤメからはくすくすと笑い声が聞こえてきた。


[何か見つかったか?]


 言われたままにコクピットから周囲をぐるりと見てみるがとくに変わった様子はない、クモガエルもクモバチもいないようだ。


「何かが通り過ぎた跡ならあるが、あれは以前私達が倒した敵のものだろう」


 踏み付けられぐちゃぐちゃになってしまった生体型ストレージや傷が入った中央処理装置が並んでいるだけだ。


[そうか、ならばよい。引き続き調査を行ってくれ]


「了解」


 通信を切る間際にかけられたその声音は随分とらしくないものであった。私の様子を窺うように、どこか労りも感じられた。


[……仮想世界でのことはティアマトから聞いている、大変な思いをしたとな]


「それが何だ?それに私ではなく大変な思いをしたのはあのマキナ達だ」


[…奴とは犬猿の仲でな、いくらか逃げていたのは否めない。我の代わりにお前を立たせ向かわせたのだ]


 奴とはペレグのことか?いや、ペレグ達を生み出したマキナのことを言っているのか...自分について話し慣れていないのか要領を得ない言い方ではあったがその心情は私なり察することができた。


「なら次は逃げないことだな、次も同じなら後悔するぞ」


[……そのようにしよう]


 多くは語らずたった一言で何かを理解したタイタニスと通信を切り、下層の中央区画を目指した。



「あれがそうか…」


[太陽型炉心…だっけ、あれは何を作ってるの?]


 群生した中央処理装置の建物を抜けた先、薄暗い下層に突然赤い光りが差し込んだ。生体型ストレージや植生ケーブル(壁に張り付いているツタのような物)から侵入を防ぐようにバリケードが作られ、その中央には円錐に近い炉心が堂々と立っていた。まるで太陽の光りを間近に見ているよう、コクピット越しでも目が焼かれそうに明るかった。


「テンペスト・シリンダーを動かすためのものではないのか?」


[まぁ…そうなるよね…あれが爆発したらどうなるんだろ…]


[どうもしない、異常があれば安全装置が働き瞬時に冷却されるだけだ]


「?!」

[!]


 この声は...


 私達が入ってきた方角と逆の位置から一体のマテリアルが現れた。それはメインシャフト降下作戦時に襲ってきた敵と類似していたがその大きさはまるで似ていない、人型機と同程度かあるいはそれをも超える巨体であった。


[ディアボロスさん……ですよね]


[お前達もここを調べに来たか、残念だが何もない]


 アヤメは奴を知っているようだ、悪魔を思わせるそのマテリアルの足元には二人の男が立っている。一人は今にも眠そうな目でこちらを睨んでいる男と、もう一人はオーディンだった。同じように射殺さんばかりに私達を見上げていた。


(………)


[良い機会だから話しをしようか、人型機から降りろ]


 有無言わせぬその物言いには思うところがあった。


「確かに良い機会だな、すぐに降りよう」



96.c



 ナツメは一体何を考えているのか...あの二人が何かしてこないと疑わないのだろうか...


(まぁ…だから私も惚れたんだけどさ…)


 下層の太陽型炉心区画にはナツメとアヤメ、それからディアボロスとオーディンが互いに距離を取って睨み合っている。出方を窺うように、いざとなれば対応できるように緊張感が場を支配していた。言うなれば今の状況を作り続けてきた人物達だ、いかな理由があれ人類を苦しめ続けてきたビーストを製造し()()していた二人組のマキナ、それからそのビーストに抗い戦い続け人型機の力も手にした特殊部隊所属(元が付くのかな…)の二人だ。

 口火を切ったのはディアボロスだった。


「すぐに手を引け、そうすれば命までは取らない」

 

 何とも性急な言葉だ、言われたナツメは受け流している。


「言うに事欠いてそれか、他に言うことがあるだろう」


「………」


「…ディアボロスさんは中層に住んでいた人達のために頑張っていた時があったんですよね、それがどうしてビーストを作ることになったのですか?」


 上官が作った試験初号機に搭載されたアーカイブデータの話しだろう、あの時代がとくに歪で善悪の垣根が混沌としていた。娯楽目的のピューマ狩猟も無くなりその矛先が「ヒト」に向けられ、違う物を排除するという行為が正当化されていたのだ。そこに目を付けたのが不運の始まりか、ディアボロスの過去が明るみに出てしまったのだ。


「だからだ、いくら手を尽くしても人間は変わらないということを目の当たりにしたのだ。点在していた人類の住処を統一すればそれだけ資源の管理もし易いと判断したものだったが…まとめたところでそれも変わらないと後の世が証明している」


「メインシャフトの話しか…」


「そうだ、移住を始めた者と残った者同士でも争いは続いたのだ。こちらからお前達に聞きたいことがある、何故マキナに協力をする」


「下層への侵攻は私達人間の総意ではない、ここが破壊される訳にいかないのは我々も同じだ」


「それならば俺達と組め、過去の遺恨は全て水に流してやる」


「勘違いしてもらっては困る。お前がやった街への襲撃を忘れた訳でも、ましてや水に流すつもりは一切ない、いずれ落とし前は付けてもらう」


「何故俺がお前に?」


「好き好んでやったのなら今すぐここで仇を取らせてもらうが違うんだろう?自ら必要悪を演じるのは大した根性だと思うがそれはそれだ、やった事に対する責任は取らなければならない」


「お前の言う通りだがお前に見せるものではない、俺なりに取らせてもらうさ」


「…もう、やめてもらえませんか?中層にいる部隊の人達も攻撃するつもりなんですよね」


 場が静まり返る、一触即発の空気も太陽炉心に焼かれたように。ナツメが鋭く糾弾するのであればアヤメは相手の心を揺さぶる懇願だ、しかしマキナを代表する悪魔には通じなかったようだ。


「断る、俺達は二度もマテリアルを破壊されてしまったのだ。それに話し合いはこちらから持ちかけたにも関わらずだ、お前達もそれが無駄だと知っているからマキナに手を貸し侵攻を食い止めようとしているのだろう?違うのか」


「私達の目的地は阻止であって殺し合いではない」


「ならば互いに敵同士、目的は同じだが手段が違うというだけで殺し合わなければならない歪な関係ということだ」


 自嘲気味に笑った後、高らかに宣言した。


「もう一度言う、マキナから手を引け。俺達はこれから中層にいる人間共を殱滅する、お前達がノヴァグを屠ったようにな」


「断る」

「………」


 アヤメはまだ迷っているようだがその表情は固い、それで十分だった。


「…ならばいい、いつまでもマキナがお前達の味方をすると思うな」


 それだけ吐き捨てるように言った後、ディアボロスが踵を返し結局一言も発しなかったオーディンが後に続いた。


(さて…残るは後一つ…それが終われば晴れて皆んなは()()の身…か…)


 ディアボロスがオリジナル・マテリアルに搭乗したのを見届けた後すぐに通達が入った。先送りにされていた上官に対する投票の場の案内だった、もう待ったなしでディアボロスは事を進めるらしい、確かにナツメの言う通りいくらか性急なような気がした。



✳︎



[アマンナ、あなたいつまで拗ねているの?早く戻ってきなさい]


[………]


 しーんだ、聞こえている気配はあるが何も返事が返ってこない。


[ゼウスに絡まれたのよね?アヤメも一発殴ってくれって言っていたわ]


[……そうなの?ふ〜ん…わたしがあれだけ言ったのに]


 ナツメさんとアヤメがこちらに戻ってくる、調査した周辺に異常はなかったらしい。下層への侵攻対策と同時並行してさらにノヴァグの対処もしなければならないと二人が頭を抱えているところだ。


[アヤメと喧嘩したの?]


[喧嘩……まではいかないけど一方的にキレた、わたしが悪者みたいな扱いをされたからさ、我慢できなくて…]


[それでどうしてアヤメから逃げるのよ、我慢にならないならきちんと伝えないと]


[………分かってほしい…みたいな?]


 それで怒って何も言わずに姿を消したのか、まるで子供のようだ。


[アヤメはあなたのお母さんなの?違うでしょうに、甘える相手を間違えているわ]


[…………]


 オリジナル・マテリアルは未だ復旧作業の中、一通のメールが届く。サーバーに繋がれていないはずの私専用のマテリアルにだ、良い知らせでないことは確実だ。アマンナが訥々と語る胸の内を聞きながら開こうか開きまいか悩んでいると、一瞬だけノイズが走った。


(今のは何?)


 電波通信をしているなら分かるが今はサーバー経由で話しをしているだけだ、ノイズが走ることはあり得ない。あり得るとしたらサーバー側に何か異常があった場合だが...困惑している私の頭にはアマンナの狼狽た声がよく響いた。


[なっ…えぇ?ちょっとグガランナ、これどうなってるの?]


[アマンナ?何があったの?]


 耳を疑うとはこの事。


[崩壊してる……端から順に崩れていってる…]



✳︎



 え、何だこのバカげた光景は。こんな事は今まで一度としてなかったのに...


[アマンナ?!それは本当なの?!]


 わたしもウソだと言えたらどんだけ楽か...わたし以上に取り乱したグガランナの声を聞いて少しだけ冷静になれた。

 わたしはサーバー内を思考の海だと考えている、自我はあるが体はなく見えている景色は天体画像のそれに近い。遠くで瞬く星々はカメラの映像であったりアーカイブデータであったり種々様々、「そうしろ」と念じるだけで過程を遂行し結果を得られる。その思考の海が端からひび割れ崩れ落ち暗黒の闇へと転じていくのだ、こんな恐怖は初めてだった。


(これはわたしだけなの?それとも全体?)


 わたし個人を対象にしたものならまだ救いはある、けれどサーバー全体で起こっている異変なら大問題だ。


[アマンナ!こっちでも崩壊を確認したわ!今すぐにマテリアルへ帰還しなさい!]


[できないからこんだけ騒いでいるんでしょうが!アクセスもログアウトもできないよ!グガランナ何とかして!]


[何だってこんな事にっ!!待っていなさい!!]


 通信が切られる、もしかしたら最後の命綱だったのかもしれないと今さらになって後悔した時、わたしのすぐ目の前に一つの星が生まれた。ええいままよ!と飛び込んだ先は予想外にホテルでもなく下層でもなく、いつか訪れたあの情緒あふれる仮想世界の街並みだった。



✳︎



 集まった面々の顔付きは様々、強いて共通点を上げるならば不服、不満。およそ良い感情をした者は一人もいなかった。


「こんな時に決議を開くだなんてあなたは一体何を考えているのかしら」


 開口一番、ティアマトが俺を糾弾してきたがこちとら事前に通達を行っているのだ、そこまで言われる筋合いはないはずだ。


「通達はしたはずだぞ、下層侵攻という脅威の前に、」


「あなた、今サーバーがどんな事になっているのか知らないのかしら」


 こちらの言い分は聞かず被せて発言したことに幾らかカチンときてしまったがその言葉は十分に思考を奪ってくれた。


「何が言いたいんだ」


「………いいわ、さっさと終わらせましょう。あなた達とはこれ以上付き合っていられない」


「……準備は良いようだな、それでは早速始めよう」


 全員が席についた、その数は()。判決者を除けば数は()だ、これでどう足掻いても意見が割れ白黒はっきりと付けられる。


「これより最後の決議を開く、今回答弁は一切ない。今日までの所業について罰するべきか否かをこの場で多数決において決めたいと思う。異論がなければ開廷する」


 場に集ったマキナの心情とは裏腹に空は良く晴れている。ちらりと寄越した視線の先には、我関せずと涼やかな顔をして大人しく座っている我が上官がそこにいた。今から起こることに思うところはないのか取り乱す様子も嘆く溜息もない。


(日頃からそうしていれば良かったものを…)


 決議にかけられリブート処置を目前にして燃え尽きでもしたのだろうか、最後の最後まで結局このマキナについて何ら理解することができなかった。

 断罪を前にして俺自身も高揚感などなく、ましてや同情心もない。あるのはようやくタスク一つを片付けられたという感慨だけだ。ディアボロス、名は体を表すとは良く言ったものだ。


(必要悪を演じたのであれば、いずれ責任を取れ…か)


 言われるまでもない事であるがまさか人間に、それもあの女に言われるとは夢にも思わなかった。ピリオド・ビーストの眉間を撃ち抜かれたあの屈辱は忘れていない、奴こそ悪魔ではないのか?敵を屠ってみせたというのにあの無感動の顔、俺はあれが許せなくて躍起になっていた部分もあった。

 人を憎み妬み、挙句に手をかけていたあの時代の人間達を矯正していたのも、それは確かに資源の為でもあったが自分自身の芸術的価値を認めさせたかったのだ。刺激よりも安堵を、忌避感よりも安心感を、だがそれも最後まで認められることはなかった。


(………)


 当て付けだ、そう言われたらそれまで。

思考を切り替える、このままでは底無し沼にはまっていくだけだと自制し決議の場に集中する。全員の票は集まった、後はプログラム・ガイアに開票させて結果を見るだけだ、これでようやく邪魔しかしないテンペスト・ガイアの動きを封じることができる。

 そう思っていたのに開票の結果は予想を遥かに超えるものだった。


[テンペスト・ガイアのリブート処置に対して賛成三、反対三、無投票三。以上です]


「なっ?!」


「馬鹿な!意見が三つに分かれたというのか!」


 ...何かの間違いか?賛成と反対に分かれるのは理解できるが無投票とは何だ、らしくもない荒げた声を出してしまっていた。


「お前達は自分の意見も出せないのか!何が無投票だふざけるな!]


「そうかしら?無投票も立派な意見だと思うわ」


 ティアマトか...それなら三の投票者が分かるというものだ。


「グガランナ、それからタイタニスだな、何故無投票にしたんだ!」


「あらら、プライバシーは尊重されるべきなんじゃないの?」


 ゼウスが余計な横槍を入れてきたが構っている暇はない。話しを振られた二人は口を閉じて睨みを返しているだけだ。


「お前達もこいつに邪魔をされてきたんじゃないのか!ここで追い出さなくてどうするんだ!」


「ある人の言葉でね、マキナを束ねる存在は処置すべきではないとアドバイスを貰っているのよ」


「……何だと?」


「それと本音を言えばあなた達裁決側に対して何ら信頼を置くことができない、これでいいかしら?」


「………」


「私は賛成だがね、いい加減にまともな者と交代してほしい。それはリブートでなくても構わない」


 ラムウが発言したことによって三派に分かれたマキナが判明した。残る反対派はハデス、プエラ、それからゼウスだろう。


(まさかこんな事になるなんて…)


 どこまでも涼やかな上官がプログラム・ガイアを問い質した。


「それで、私はこれからどうなるのかしら。あなたなら良く知っているでしょう?」


[判例にない結果です、暫く審議する時間を下さい]


「そんな時間が必要なの?それならさっさと判決を言い渡した方がいいのではないかしら、時間は有限なのだから」


「何が言いたい、」


「テンペスト・ガイア、私は無投票という意思を表明しただけであなたという存在を許した訳ではないわ。過去から今日に至るまでどれほどの迷惑をかけられたと思っているの」


「それは水に流してほしいなティアマト、上官だって万能ではないんだ。やるべき事がいくつも重なってその結果ティアマトにも影響を及ぼしていたに過ぎないんだ」


「それだけの弁論で許せると思うのか?私とて己が役割を果たすためにどれほどの苦労をしてきたと思っている。いくら中層がもぬけの殻になったとてやるべき事は成さんといけない」


「それも結局のところはあなたの一人相撲でしょうラムウ。私からの再三の呼びかけにも答えず街に籠もっていたのはあなたでしょうに」


「何だとこの小娘風情が…」


「ディアボロスよ、貴様のカーボン・リベラ襲撃についてもその是非を問いたい、だから無投票にしたのだ。身の潔白を証明できない者が裁決に立つべきではない」


 皆が口々に意見を出す、しかしそれは誰の耳にも入ることはなく宙を漂い積年の恨みとなって場に降り注ぐだけだった。俺が望んでいた結果ではない、こうも見事に意見が分かれるとは思っていなかった。


(仕切り直しか…仕方ない)


 急いては事を仕損じる。上官に対する反感が他所へ向いて決議の場そのものに意義が無くなってしまえば元の木阿弥だ、何の為にここまで裏で手を打ってきたのか分からない。

 閉廷の合図をしたと同時に呆れと溜息と野次の声、こいつらは文句しか言えないのかと腹わたが煮えくり返りそうになった。



96.d



「はっ」


 わたしながら古典的かと思うが仕方ない、意識が戻り目を覚ました時には声が出てしまっていた。

 セミの喧しい鳴き声と近くで田畑を耕している老夫婦の話し声と子供の笑い声、それから窓辺に吊るされた薄水色の風鈴がちりんと一つ。陽に焼けた畳みにはお盆と麦茶が入ったコップ一つと空になったのが一つ、全く見覚えがない家の中からどこか見覚えのある風景が広がっている。どうやらわたしは窓を開け放ち足を投げ出すようにして座っていたらしい、その足先には今となっては懐かしいあのバス停があった。


「あら…ここってもしかして…」


「目が覚めた?」


「?!」


 誰?!勢い良く振り向いた先にはこれまた随分と久しぶりなマギリが立っていた。


「そんなに驚く?何か怖いことでもあったの?」


「あぁいや…何でもない…」


 あれ腕があるなと思った、それに自分の足を見るのも久しぶりだ、そういえばわたしは少し長い間人型マテリアルをやめて人型機とドローンになっていたことも思い出す。磨りガラスに映ったわたしの髪は金色、それにお下げではなく調子乗ってお姉さんぶっていた時のポニーテールだった。

 マギリはわたしの慌てようには目もくれずマイペースにも座布団に腰を下ろしてのんびりと寛ぎ始めた。いやいや何か言うことあるんじゃないのと怪訝に眉を寄せるとそれを読んだかのように、


「私もさっき目覚めたばかりだから。ねぇ聞きたい?仮想世界で生まれた女の子が四度目の目覚めを迎えた心境ってやつ」


「いや別にいいかな」


 その後何故だかめちゃくちゃ怒られた。



「聞いてくれても良くない?ねぇ、聞くのはタダなんだからさ聞いていきなよ」


「自分で自分の価値を落としたら駄目でしょ、それより何が起こったのか調べないと」


「あれ、アマンナってそんなにやる気出してたっけ?もっと遊びたい発言が多い子かと思ってたけど」


「うぐぅ…」


「いや何でそこで凹むの」


 机の上に腕を投げ出しおでこを引っ付けた、やる気があるんじゃないんだよ。わたしは早くこの不安定な状態から抜け出したいだけなんだ。


(アヤメとは喧嘩したままだし…いやそもそも喧嘩とも言わないし…)


 まさかこんな事になるなんて思わなかった、このまま会えないのかと思うと蔵ふを死神にいじくり回されているような底無しへと落ちていってしまう。


「向こうでは何があったの?」


「色々…むしろマギリはどこまで覚えてるの?」


「ジマギリまで、アマンナとバトンタッチした後はティアマトに眠っていなさいって言われてそのままだよ」


「それはむごくない?さすがに文句の一つは言いなよ」


「言ってやりたいのにここどこなんだっつう話しだよ。で、何があったの?」


 別れた後のことを掻い摘んで説明してあげると話しの途中で頭を抱え込み始めた。


「どうしたの?」


「ヤバ過ぎじゃん現実…そんな事になってんの?いやぁ…キッツいなぁ…」


 マギリが悩む意味が分からない、そもそも仮想世界の住人のはずだ。外では変わらず農作業をしている音とささやかな話し声が聞こえている、また一つ風鈴の音が鳴ってからマギリが続きを話し始めた。


「……私が向こうに行って何か役に立てるのかな…不安でしかない…」


「………」


「アマンナはどうなの?やっぱりアヤメの隣って大変?あいつは優等生だからきっと色んな人の言う事を黙って聞いて何でもそつなくこなしているだろうなって思うんだけど」


「………」


 あれ、この感覚はとても懐かしいな...それに以前と比べて倍近く重い。


「甘えたいし馬鹿な事ばっかりやりたいけどそうもいかないよね…アヤメは特殊部隊というところで頑張っているんだし何より「うわぁああっ!!!」何事っ?!」



✳︎



 突然叫んで階上へと駆けていったアマンナの後を追いかけた。とても急勾配な階段だ、足を滑らせないように手を付きながら登り少し開いていた襖の部屋を覗き込むとアマンナが大の字で仰向けに寝転んでいた。


「いやほんと何事なの」


「わたしは…一体何をやっていたんだろう…穴があったら埋めたいよ…」


「その割りには余裕のある態度じゃない?」


 埋めてどうするんだよ、とは言わない。口はふざけているが顔は真剣そのもの、アヤメの隣にいたアマンナですら悩む事があるんだといくらか気分がスッキリとしていた。


(本題は何も片付いていないけど…)


 ゆっくりと部屋に足を踏み入れる、外はいつの間にか夕暮れで赤い光りが部屋に差し込んでいた。六畳しかない少し狭い部屋の隅には布団が畳まれ壁には古いカレンダーが掛けられている。窓際の壁にはこれまた使い込まれた足が短い机が置かれ、風に揺られてページが捲れているノートがあった。アマンナは変わらず真剣な顔付きで何やら考え込んでいるので放っておくことにして、机の前に立ってノートを見やると驚いてしまった。


「何か声をかけてくれてもいいんじゃないの」


「私の四度目の目覚めを聞くのが先だよ」


「……何やってんの?」


「これ、アヤメが書いたノートだよ」


「!」


「いや全然落ち込んでないじゃん!何その動き!」


 目にも止まらぬ早さで起き上がり私を跳ね除け机の前に陣取ってみせた、食いるようにページを見ていたがやがて捲る手を止めて天を仰いだ。


「わたしの事…何も書かれていなかった…」


「何て書いてあるの?というかそれ勉強用のノートだよね」


「プエラの事ばっかり書かれてる…」


「!」


「ちなみにマギリのマの字もなかったから、あしからず」


「…こういう時は言葉使い間違えないんだね」


 私もアマンナに習って天を仰いだ。



「いや違うんだよ、私はこんな事がしたいんじゃないんだよ。私とアマンナで何か手がかりになりそうなこと探さない?」


「それには激しく同意だけどここでどうするのさ、ここはティアマトのナビウス・ネットだよ?」


「ティアマトと連絡は取れない……んだよね」


 アヤメの部屋から出た私達は再びリビングへと下りてきていた。その途中にあった黒電話を使ってアマンナが誰かと連絡を取ろうとしていたがすぐに受話器を置いていたのだ。


「うん、出ないんじゃなくて繋がらない。サーバーが崩壊していた事と何か関係があるのかもしれない」


「それヤバげだよね、下手したらこっから出られないってことじゃない?」


「う〜ん…そうかもしれない…けどあの時は逃げるしかなかったし…ううむむ…」


 口をへの字にして考え込むアマンナ、唯一の手がかりを持っていそうだけど危機的な状況から逃げてきたばかりなのだ、あまり多くは望めないのかもしれない。

 ひぐらしの鳴く声が哀愁を誘い二人途方に暮れているリビングにも迷い込んできた。いつも目覚めた時は苦虫の生みの親に腹を立てていたが今回ばかりはそうもいかなかった。


「腹が減っては何とやらだよ、ご飯にしよう」


「また途中で止めた、そのことわざほんと不憫だよね」


「私は不憫という言葉を知っているアマンナに驚きだよ」


「何だと…」


 いっーと口を剥き出しにしながら追いかけてくる、私は私で台所へと足を向けているところだ。

 もしあの時、相手がナツメさんではなくアマンナだったらどんな生活になっていたんだろうと考え、きっと口答えばかりしてくる妹ができたと愚痴を吐いていたに違いないと一人合点した。

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