第九十五話 アヤメとガニメデ
95.a
中層に滞留している人間共がオーディン・マテリアルを利用しガイア・サーバーへハッキングを行った。これ以上は看過できない、プログラム・ガイアが自ら手を下せないのなら俺達が行う。
(こいつも一体何を考えているのか…)
ゲートを管理していたナビウス・ネットに人間が二人アクセスしておりその保護をプログラム・ガイアが行っていたのだ。二人は無事に帰還できたようだがナビウス・ネットは消失、ゲートは閉じられたまま永久に動かせなくなってしまった。結果としては下層を守ったことに繋がるがこれで終わりとは思えない、なら早急に手を打つ必要があった。
「オーディン・マテリアルの進捗は?」
「もう間もなく完成します。しかしこれが最後になりますのでくれぐれもご注意を」
涼やかな顔でプログラム・ガイアが質問に答えた。
「分かっている、どのみち次が最後だ。中層にいる人間共を駆逐する、これでお前も分かったはずだぞ、奴らに説得も話し合いも通じないと」
「……えぇ、はい」
「何か言いたげだな」
「ディアボロス、あなたは辛くありませんか?」
「………」
...今何と言った?辛くないか、だって?何故今そんなことを聞かれなければならないんだ。
「あなたは元々人が生み出す芸術に興味があったはずです。それを介して人の豊かさや神秘さを学び、」
「静かにしてくれないかお前にそんな事を言われる筋合いはない。さっきの質問だが辛くなどない、これは俺がなすべき事だ」
「…分かりました、出過ぎた真似をお許しください」
「いい。俺が最後に奴らへ確認を取る、お前はその間に準備を進めてくれ」
これもひとえに、その言葉を飲み込んだ。今さらなような気がしたからだ。
「分かりました」
✳︎
ナツメとテッドの帰還をもって何とか無事に終えることができた。おかげで彼と彼女らは消失してしまったが悲嘆はない、いずれ何処かで会えることだ。今はそれよりも二人のリカバリーが必要だった。
「今は安静にしていなさい、すぐに起き上がる必要はないわ」
「………」
「向こうで何があったのかは落ち着いた時に聞くから、今はゆっくりして。二人のおかげでゲートは解放されずに済んだから」
たった二日間、仮想世界にアクセスしていただけのナツメだが随分と歳を取ったように深い悲しみと取れない眉のしわを寄せてから小さく呟いた。
「私のおかげではないさ…私もテッドもただ見ているだけだった…」
「そう…」
「あそこに私の戦場はなかった。ここが私の戦場で、次はお前の番だと言われたよ」
「………」
危うく口を滑りそうになったが堪えた。
「……他の皆んなはどうしている?」
「……え、えぇ、テッドはまだ起きていないけど心配ないわ。アヤメ達は今日の昼頃に帰ると連絡があった。グガランナはそうね…放っておいてちょうだい」
「良く分からんが…」
誤魔化すように口早くなってしまったが気付かれていないらしい。ナツメがゆっくりと体を起こし付着していた酸素混入液を払っている、肺にまだ残っていたのか少しむせながらさらにポッドから出ようとしていたので慌てて止めに入った。
「聞いていたの?今はゆっくりしていなさい」
「そうもいかない、私も中層に向かわないといけないんだ。総司令を止めてくる」
「それは今すぐでなくてもいいでしょう、体を休めなさい」
逸る気持ちがそうさせるのか私の言う事をまるで聞いていない。
「タイタニスはどこにいるんだ?」
聞こえよがしの溜息を頭に付けてから答えた。
「…見慣れない反応があったとサーバーに帰還して調べているわ、もしかしたら特殊部隊が何か工作活動しているかもしれないと言ってね」
「分かった」
「誰もあなたに頼んでいないわ、お願いだから、」
「体を動かしていないと不安になってくるんだよ、お前の方こそいい加減分かってくれ」
私はそこまで強い人間ではない、そう口にしてから離れていった。
「………」
彼女の求めているものが一体何なのか分からない、仮想世界へアクセスしていた疲れを癒せば良しと思っていたのだがそうではなかったらしい。何故あの精神状態で前へ進もうとしているのか分からない、ナツメだからなのかそれとも人間は皆が歩みを止めない生き物なのか、どちらにせよ私からしてみればそれは「強い」と言わざるを得なかった。
(それに引き換えあの子いったら…)
マテリアル・ポッドに帰還してから一向に顔を見せない引き篭り娘の所へ足を向けることにした。
✳︎
「あれ……」
書き上げた詩を電子化してクラウドデータに保存しようとしたのだが、何故だかアクセスができなかった。
「どうなってるの……」
マテリアル・コアにおかしな所はない、ポッドに繋がれ何百年と放ったらかしにされていた整備をまとめて行っているところだ。またあのマギールのせいかと思いはしたが、それをやる理由が分からない。
私室から出てブリッジへと向かう、この居住エリアには今私しかいない。下層侵攻という前代未聞の事態に対処してくれている皆んなもここにはいなかった、空調設備の微かな音と自分の息遣いだけが耳に届く。はっきりと言って寂しかった、しかし今の私にできることは何もないのでこの寂しさを甘んじて受け入れるしかなかった。
(前にアマンナが言っていたわね…役割があるのは素晴らしいことだと…)
確かに、あの子にしては中々重みのある言葉だ。今頃どうしているのか...きっとアヤメに甘えまくって迷惑を...そう思った矢先に通信が入った。
[グガランナは今何やってんの?]
「!」
そのアマンナから呑気な声が入ってきた、少し驚いてしまったがおくびに出さないよう努めながら返事を返した。
[メンテナンス中だから詩を書いていたわ、そういうあなたこそ何をやっているの?]
[相変わらず引き篭り…特殊部隊の人と対戦ゲームやってた]
[は?]
[だから対戦ゲーム。皆んな仕事で出払ったからお開きになったけど、暇だからグガランナと喋ろうと思って]
[そんなことよりアヤメ達はどうなったの?まだ中層の街を回っているのよね?]
おくびに出さないように努めていたがさすがにアマンナの返事に驚きを隠せなかった。
[もういいよアヤメのことは、好きに回って帰ってくるんじゃない?]
[………何があったの?まさかまた喧嘩でもしたの?]
[別に]
いや絶対何かあったでしょ。鬱憤、不満を溜めているような怒り方は珍しいものだった。
[アマンナ、白状しなさい。何があったのか言いなさい]
[だから別にって言ってんじゃんか、わたしのこと疑ってんの?]
[当たり前でしょうが、そんな不機嫌な声で何も無かったと言われたところで誰が信じると思っているのよ]
[やっぱりグガランナもアヤメの味方をすんの?…まぁそりゃそうだよね、]
[アマンナ!]
...切られた...ぐちぐちと言うその物言いに我慢できずに怒鳴ったのが悪かったのか..,まるで拗ねているような気配もあった。
(何なのあの子は…ほんと人を困らせるのが得意ね…)
奥の細道から抜けてブリッジへ行く手前、ナツメさん達の様子を見に行っていたティアマトと鉢合わせしてしまった。向こうも眉を曇らせ思案顔だ、けれどいつものおせっかいを口にしていた。
「ようやく出てきたわね引き篭り娘、皆んなが大変だというときにどうしてあなたはいつもいつも私に迷惑をかけるのかしら…」
「うっさい。それよりマテリアルの様子がおかしいからブリッジに来てくれる?」
「おかしい?あなたではなくマテリアルが?」
皮肉を言う暇があるならさっさと来い!とその腕を抓み上げた。不思議とアマンナの事は伝える気になれなかった。
◇
「ガイアに問い合わせしましょう」
「ティアマトでも分かんないの?」
そういえば、このマテリアルが上層の街へ到着してから暫くの間はティアマトが女艦長として預かっていたことを思い出す。下手をすれば私よりコンソールの扱いに長けているのかもしれない、そんなティアマトですらアクセスできない今の状態になってしまった原因が分からないらしい。
「アクセスだけ?」
他に不具合がないか聞いてみると、これでもかと眉をしかめられた。
「これはあなたの物でしょうに…放蕩、不良、引き篭りにくら替えばかりしていたから使い方も忘れてしまったのかしら…」
呆れられてしまった。
「さーせん…」
「その言い方やめなさい!うつったらどうするのよ!」
「それはそれで面白い。で、他に何かあった?」
「全く……。とくにないわ、通信機器も発進装置も何もかもオールグリーン、艦内の操作系統にも異常はない…あなたまたテンペスト・ガイアにちょっかいでもかけたのかしら」
「いやいや、人為的な遮断ではないでしょ。さすがにそれぐらいなら分かる」
上層の街からアヤメを迎えに行くために降り立ったあの日、テンペスト・ガイアから邪魔をされて一時的にアクセスできなかったがその類いではない。
(アヤメ…)
小うるさいティアマトにマテリアルの不調という息が詰まるこの半端な地獄に天からの使いが現れた(アヤメから通信が入った)。
[こちらアヤメです、どなたか応答をお願いします]
どこか他人行儀な口調は艦体そのものに通信を入れているからだろう、私が答えるより早くティアマトが応答していた。
「ようやく帰ってくるのねもう一人の放蕩娘。そちらに異常は?」
[お酒呑んでないのに何故…今から最後の街を経由してからそっちに戻るから、それとゼウスさん見かけたら一発殴っておいてくれない?]
「………」
「………」
ティアマトと束の間目を合わした。一体何があったのか...いや聞かなくても分かる、またあの無責任ゼウスがやらかしたのだろう。
「そうね、見かけたらあなたが怒っていたことを拳で伝えておくわ」
あざっすと聞いたことがない挨拶をした後お姫様に代わった。
[代わりましたガニメデです。ティアマト様、あなたにお一つお聞きしたいことがございます、よろしいですか?]
「内容にもよるわね、何かしら」
通信越しなので表情は分からないが声は固く真剣なものだった、それに対してティアマトは剣を含む返事を返している。
[一括統制期時代に起こった領土問題について詳しく教えてください。ゼウス様にお訊ねしたところ、あなた様なら答えられるとお返事をいただいております]
「まだそんな事を調べていたのガニメデ、過去に囚われるのは良くないことだと思うわ」
[これもひとえに、]
「自分探しの旅をするのは結構なことだけど、これ以上他人を巻き込むのはさすがに度が過ぎるのではなくて?」
[………]
「調べ物が終わったらすぐに帰ってきなさい、いいわね」
[そう致します。では改めてティアマト様の御前に足を運びますのでその時はどうかよしなに、今日はご機嫌が優れないようですので出直しますね]
おぉ...あのティアマトに言い返している...聞いているこっちはハラハラもんだ。
「………」
[それでは、グガランナ様もご機嫌よう]
「え、えぇ…また会いましょう…」
私は私でそそくさとブリッジを後にした、入らぬ飛び火を避けるためだがアマンナが拗ねていた理由が何となく分かったからだった。
95.b
「いやもう怖いよ〜喧嘩するならするって先に言ってよ〜」
「ごめんなさい」
結局ゼウスさんは戻って来なかったのでもういいだろうと寝泊りに使わせてもらったレストランを後にし人型機に搭乗したところだった。それにアマンナもドローンに換装せずずっと人型機にいた...と思っていたのだがアマンナも行方をくらましていた。仕方がないとグガランナ・マテリアルに一報だけ入れて、今回の最終目的地であるサントーニへ向かっている。
「間に合うの?もう太陽も顔を見せ始めてるけど」
「大丈夫なはずでずよ、駄目ならもう一泊していけばいいだけの話しです」
「いやいや…ティアマトさんに怒られたばかりなのに…」
きっと、どこから見ても同じように見える太陽の光が私達を追い越し、森の絨毯が敷かれた熱帯雨林地帯を超えて山脈を通り過ぎ、微かに見える広大な平原部を照らしていた。あそこに皆んなが行ったサントーニという街があるらしい。
「モンスーンは何というか…あんまりだったね、もっと色々と見て回りたかったけど…」
「そうですね…ゼウス様の勝手な行動さえなければ…どちらにしても夜通し大雨だったので動くに動けなかったと思いますけど」
「まぁね…アマンナがあれだけ失礼なことを言っていた意味が何となく分かったよ」
「あれでも優しい方なのでは?私達はたった二度ですが、きっとアマンナ様達は何度も同じ目にあっていたのでしょうね」
「アマンナがどこに行ったのか分かる?」
「さぁ…サーバー内にいることは確実なのですが、いかんせんこちらからの呼びかけに答えてくれませんし…」
そう、アマンナの行方が分からない。サーバーに戻られたら探しようがないのだ、おそらくはマテリアルが置かれているホテルにいると思うけど...
悶々とした気持ちもまとめて照らしてくれる太陽の光を受けながら二人だけになってしまった旅を続ける。
◇
「まぁ…グガランナ様の言う通り…」
「あの街だけ廃墟感が凄いね」
機内から見える景色は広大過ぎる平原にぽっかりと作られたある街だ、街と言っても形しか残っておらず建物らしいものは一つもない。
「仮想世界では白くて美しい街だったんです、それがどうしてこんなに…」
「日照りのせいとか?」
モンスーン近くの森と比べてここには木の一本すら立っていない、あるのは背丈の低い草はらと後は剥き出しの地面があるだけだ。近くには臭そうな山もあるので雲が流され太陽が顔を覗かせる日が多いのかもしれなかった。
「そうかもしれませんね…とりあえず降りてみましょう」
コントロールレバーを倒してゆっくりと降下していくと平原部のど真ん中に黒い点を見つけた。それはあまりに小さいがこの高度からでも目視できるのだ、あれは大きいぞと思った矢先に赤い閃光が走る。
「ロックオン?!」
「な、ななな何ですか?!」
何事なのか?!あれは一体何だ?!狼狽ている間にも赤い何かが真っ直ぐこちらに飛来してくる。棘だ、すぐに判別できたが防ぐ手立てがない。
「口を閉じて踏ん張って!」
「〜っ!」
何故とも聞かずに従ってくれたおかげですぐ回避行動に入ることができた。対電磁投射砲装甲板があれば防ぐこともできただろうが生憎今はない、アマンナが超大型のハチ目掛けてクレセントアクスを放ったせいだ。腕部に仕込まれたショットガンを空撃ちして反動をつけそのまま後ろに倒れる形で棘を避ける。通り過ぎた棘は後方五十メートル辺りで弾け噴霧のように消失した。
(まさか実物?!)
てっきりイエンさんと同じ素粒子流体かと思ったけどあれは違う、今なお宙に赤い霧が残っている。二射目、三射目と連続で撃ち出され挙句に回避進路まで予測される始末だ、進退窮まりなす術がない。
「何なのあの敵!いきなり撃ってくるなんて!」
「まさかあれも卵の一種?!蜂とは別の生き物が…………」
一瞬の間ガニメデさんが言葉に詰まり、
「ままま待ってくださいまし!あれは私の友達!」
「はぁ?!あれが友達ってどういうことなの?!」
「間違いありません!私の良き話し相手!」
「話し合う前から攻撃してんじゃん!ほんとは野蛮なんじゃないの?!」
「私の友人を愚弄しますか!いくらアヤメでも許しませんよ!」
「だったら攻撃を止めてよ!」
「いやでも何で?どうやってサーバーからこっちに…まさか同じマキナ?!」
「いいから止めるように言ってよぉ!」
ガニメデさんと言い合っていたせいで反応が遅れてしまい赤い棘をもろに食らってしまった。被弾した音は湿っぽく機内までダメージはない、というよりこれは塗料?べったりと赤い液体が付着し周囲を確認することができない、これではヘッショされたも同然ではないか。
その後、地上に降り立つまで敵(友達?)からの追加攻撃はなく、間近で見たガニメデさんの友達は虫そのものであった。ずんぐりとした胴体に短い触覚が二本、それからちょんちょんと伸びた足は全部で六本ある、初めて見る虫だったが今まで見てきたどの虫よりも怖くはなかった。
◇
いやいやいやそんなことはない。
「でっか……」
「少しスケールはいつもより大きいですが間違いなく私の友人です」
人型機がすっぽりと収まりそうな程に大きな虫、相手の目線は少し下だが人型機から降りたならば見上げる程の大きさに違いない。
ガニメデさんが友人だと言い張るので仕方なく虫の前に降り立った、ヘッショされた塗料は未だ落ちずにべったり付着している。雨でも降ってくれたらいいがここでは望めまい、なんならもう一度モンスーンまで飛ぼうかと思ったぐらいだった。
ガニメデさんが何度かコンソールに向かって話しかけているが勿論相手からの返事はない。
「う〜ん…やはり無理ですか。また会話に花を咲かせたかったのですが…」
「どんな会話をしているの……?いやというよりどうしてサーバーにいる友人がここにいもいるの?」
それが謎だ。ガニメデさん曰く古くから長い付き合いのある友人らしいが会うのは限って仮想世界の中だったそうな、それがどうして現実にいるのか。
「分かりません、会話ができればいいのですが…一先ず降りてみましょうか」
「えぇ〜…それ私も?」
「当たり前でしょう!友人に紹介するのは当然の礼儀というものです!」
「私の立場は?喧嘩相手?」
「………そ、そこは友人と言ってほしかった、ような…」
「そ、そう…それはごめん…」
二人馬鹿みたいに照れながら降りる準備を始める。モンスーンではとくにそうだったのだがガニメデさんとは何かと衝突することが多かった。ゼウスさんを待っていたあのレストランでもただの世間話しから口喧嘩に発展してしまい、最後は不貞寝をかましたのだった。けれど時間が経てば元通り、こんな関係は初めてだった。
(最初会った時はお姫様って呼んでいたのにそれがどうして…)
人との関係性はどうなるか分からないと一人結論付けてからハッチを開くと、強い風が入り込んできた。そして草いきれと塗料が乾いた濃い臭い、これは雨でも落とせないぞと再び一人で落胆したが不思議と嫌な臭いではなかった。
(どこかで嗅いだことがある臭い……?)
ハッチを開け放った先では微動だにしていなかった虫がその大きな触覚を右に左にと動かし始めた。
「怖いな…」
「見た目はそうですがとても理知的で温厚なのですよ。こちらが私の友人であるアヤメです」
「?!」
巨体に見合わない早さで片足を上げてみせた、どうぞよろしくというつもりらしい。
「こ、こちらこそ初めまして…あなたのお名前は?」
今度は触覚を振ってみせた。ガニメデさんの言う通り理性はあるようだ、ただこちらの言葉が分かるだけで向こうは何も言葉を発してくれない。
「私達はこれからサントーニの街へ向かいます、良ければあなたもどうですか?」
再び触覚を振る、付いてこないみたいだ。
(だったら何で攻撃してきたの?街を守っていた訳じゃないのか…)
「そうですか…けれどこうしてあなたと会えたのは嬉しい限りです。もう会えないと思っていましたので」
とくに反応はないがしんみりとした雰囲気は感じられた、これが本当にあのクモバチ達と同じ虫なのかと思うと不思議でならない。
「あの一ついいですか?どうして私達を攻撃してきたのですか?」
別れる前に質問した答えが前足を交互に上げた後、触覚を上下に振るというものだった。飛び立って街に着くまでの間ガニメデさんと議論をしたが答えが出ず、またしても口論に発展してしまったのだった。
95.c
「………」
「どうかしたのかい?」
「いや…何でもないよ、気にしないで」
キリからお叱りの電話を貰ってしまったのだが、整備にまだまだ時間がかかるということで待機さぜるを得なかった。そして一晩明けてようやく整備が完了し、急ぎ街へ戻るために再びドッグへ足を向けているところだった。前を歩くバルバトスが急に動きを止めたので声をかけていた。
「こんな事を聞くのは大変恐縮なんだけど…君も操縦はできるんだよね?」
「当たり前だよ、どうしてそんな事を聞くの?」
「さっきのマテリアルでないと操縦ができないのかなと思ってね。君もできるのならわざわざ用意した理由が分からなくて」
彼の今の姿は素粒子流体を用いて仮想展開させたものだ。
「さっきも言ったけどあの子は実験だよ、もう掌握されないためのね」
「それは…誰にと聞いてもいいのかい?」
聞きそびれた答えが返ってきた時は我が耳を疑った。
「プログラム・ガイアだよ、彼女に乗っ取られた形になってしまったんだ」
「………」
「あぁでも君は安心して、コアの移植までは受けていないようだから枝は付いていないよ」
「それは…安心してもいいのかな、では父の奇行が目立ち始めたのは…」
「そこまでは分からない、ガイアの命令だったら全てが矛盾している。それに乗っ取られたと言ったけどそれがどの程度なのかは分かっていないからね」
何が目的なのか...いやもしかしたらこれらを監視するために?だったらこの子もいずれは危うい立場になってしまうのか...
「ちなみにだけど君は何ともないのかい?サポート・プログラムがハッキングを受けてしまっているんだ」
「平気さ、互いにスタンドアロンだから影響は出ない。というかあってはならないからね」
「それは確かに…そうなんだけど…」
「心配ないよ。さぁ乗った、乗った」
その軽やかな言葉と共に姿が消え、代わりに人型機のカメラアイに光が灯った。
(僕は本当に協力しても良かったのだろうか…)
未だ自分の気持ちに白黒付けられないまま言われた通りにコクピットに乗り込んだ。
◇
整備ドッグから後ろ向きに発進した機体は難なく外壁を超えて再びカーボン・リベラの上空に戻ってきた。厚い雲間に見える街並みは朝日を受けて輝いており、ここへ初めて訪れた人達がいるのであればまるで空中都市のように見えたことだろう。マキナと人の終着点、あるいは苦難と努力の結晶のように輝く様は見惚れるに十分な景色だった。
「あっという間の一夜だったね」
[君がお喋りに夢中だったからね]
「そう?君の合いの手が上手いんだよ」
[そういう褒められ方は初めてだ]
のんびりと交わす言葉は宙を漂い重力に習ってから僕の胸にすとんと落ちてくる。バルバトスとの会話は不思議と心地良く、全てを内包した答えには刺激と安堵が入り混じっていた。何を考えるまでもなく口からついて出てくるのはこの子のなせる技か、はたまた神との謁見がこのようなものなのか、僕には判断できかねた。
パイロットの少年に代わり今は僕がシートに腰を下ろしている、ここから見える景色も格別だがやはりキリのことを考えるとどうしても憂鬱な気分になってしまう。
「キリは今、第一五区にいるんだよね」
[そう、政府のピューマ管理委員のスイという女性と一緒にいるみたいだよ。それがどうかしたの?]
「いや、何でもないんだ。ただ少し女性と話すのに慣れていなくてね、今まであまり縁がなかったんだ」
[なら今にまとめて縁がきたってことだね。言っておくけど僕は同行できないよ]
「いいのかい?きっと君の妹とも会わないといけないのに、彼女は今父の元にいるんだ」
[う〜ん…アマンナだけでも手がいっぱいなのに、デュランダルまではさすがに面倒はみきれないかなぁ…]
「彼女はどうして父の元にいるんだい?」
[第十九区に置かれたルーターを頼りにしているからね。馬鹿なサポート・プログラムが破壊しちゃったせいでもう後がないんだよ]
「イエンだったかな、彼はどうしてそんな真似をしたんだろうね」
[さぁね、でもおかげで事態が前に進んだよ。どうあれ僕達はあと一回こっきりだ、そこで全ての答えが出る]
「それを僕が記録すればいいんだね」
[そう。君には酷な仕事になるかもだけど、ここまで事態が動くとは思っていなかったから僕も慌てて準備に入ったのさ]
もう街は目前だ。人型機のカメラアイに水滴が付着しまるで雨の中を突っ切っていくように景色が後ろへと流れていく。
「つまりは想定外?」
[そうなるね、特殊部隊に在籍している隊員のせいだよ。まさか爆発事故を契機にしてマキナとコンタクトを取るだなんて夢にも思わなかった]
「爆発事故?」
[うん、過去と今と、二度に渡って彼女はマキナと面識を作ったんだ。彼女のせいでマキナにも変革という流れがやってきてしまった]
「そう…名前を聞いてもいいかい?」
[知っているんじゃないの?]
くすりと笑い声を出してから、彼女の名前を教えてくれた。
[メリアの娘、アヤメだよ。アマンナが首ったけになっている]
「嫉妬でもしているのかい?」
[何でさ!そんな訳ないだろ!]
やはりバルバトスとの会話は心地良い、胸に居座っていた憂鬱な気分も浮かれてしまっているようだった。
しかし、言った通りに第一五区に降り立ったバルバトスは逃げるようにして空へと旅立ち僕はキリとスイに捕われてしまうのだった。
✳︎
「ほらキリちゃん、リューオンさんが困っているでしょ」
「いやいや…あははは、面目ない…」
頼りない。あの日感じた第一印象は変わらず困った笑顔を浮かべているだけだった。それに人型機で乗り付けてくるなら一言伝えてほしかった、事後報告でアオラさんが大変な目にあってしまうのに。
ここは第一五区に置かれた政府管理の公共施設、会議から宿泊施設を兼ね備えた便利な建物の中だった。入り口の回りには突如として現れた人型機の対応に追われる人や、第十二区から引っ張ってきた簡易人型機部隊のパイロットの人達も数人慌しくしている。
「これは…申し訳ないことをしてしまったかな」
何と答えようかと思案しているとキリちゃんが力強く答えた。
「リューが気にすることじゃないよ、あの人の家で襲われたんだから」
「それは本当の話しなんだよね?リューオンさん、後で事情をお話ししてもらえませんか?」
「……分かった、連盟長と交わした内容も伝えさせてもらうよ。ただ…彼らにも事情があるということだけは理解してもらえないかな?」
「………」
「あ、いやっ、何も許せとは言っていないんだ、あまり恨まないでほしいと…」
あまりに不可解なことを言ったがために顔に出てしまった。危害を加えてきた相手を理解しろ?言葉の意味は分かるが何故それを被害者本人が言ったのか理解できなかった。
「あなたは神にでもなったおつもりですか?」
「…っ」
「理由はどうあれあなたは被害を受けたのですよ?それがどうしていきなり相手を理解してほしいなんて上から目線の話しになるのですか、あなたは命を取られても同じことが言えるのですか?しっかりしてください」
「ご、ごめんよ」
「スイ!リューを虐めないで!」
「キリちゃんも!そうやって甘やかすからこの人がふにゃふにゃになってるんだよ?!悪いことは悪いとしっかり叱らないと駄目でしょ!」
かくいうキリちゃんはリューオンさんと再会してからべったり、両手で腕にしがみ付き離さまいとしていた。私の言葉に思うところがあったのか、リューオンさんがしたり顔でこう言った。
「……君の言う通りだね、一方的に許すのは確かに相手のためにならない。情けない僕の代わりに父を叱ってくれるかな?」
「そういうところがふにゃふにゃだって言っているんですよ!人に頼る前に自分で考えてください!いいですか!今回の騒動が落ち着くまでこき使うつもりでいますので!」
「わ、分かったよ…ごめん…」
「だからリューを虐めるなって言ってるでしょ!」
「キリちゃんも甘やかしたら駄目だから!」
入り口近くで立ち話しをしていた私達が一番騒がしく、対応に追われていた人達もどこか笑みを湛えていた。
◇
「奪還作戦?」
「はい、第十九区にいるピューマ達を保護致します。あのような声明を発表した以上は放置できないと総司令代理からの指示です」
「僕達三人だけで?」
「………」
「スイってちょー短気だよね、綺麗だから余計に目立つよ?その眉間のしわ」
私の手からキリちゃんが逃れ、リューオンさんの後ろに隠れた。わざとらしく一つ咳払いをしてから話しを続ける。
「現地のピューマと協力し合って第十五区へ避難させるつもりです。連絡役はキリちゃん、空路からの脱出が必要なら人型機を出動させます」
「それは奪還とは言わないね、要は大々的な保護活動を行うということでいい?」
「………」
「また睨んだ」
その言葉の訂正はいるのかと疑問に思ったが今回は相手に軍配が上がった。
「奪還とは奪い還すと言うんだよ?そこには戦いが生じてしまう。けれど保護に戦いは生じない、言葉一つ間違えただけで多くの人を混乱させてしまうし何より君は今その立場にいるんだ、どうかその自覚は持ってほしい」
「……そうですね、はい」
「まぁ…僕が言っても説得力がないんだろうけど…」
「………」
「そんなことないよ、今の言葉はカッコ良かったよ」
「そ、そうかな…」
手のひらで一つ机をばしんと叩いてから再び話しを切り出す。
「キリちゃんが第十九区から逃げ出してくれたおかげて移動ルートは割り出せています!そのルートを頼りに警官隊の方へ突入してもらい現地でピューマの保護に努めます!よろしいですか!」
「わ、分かったからそう怒らなくても…」
「リューが優しいからってそんなに甘えたら駄目だよスイ、それに私のだからね」
何が、と言わずに我慢した自分自身を褒めてやりたい。
(帰ったらうんとアオラさんに甘えてやる!)
「……キリちゃんはどうやってこっちまで逃げてきたの?聞いた話しだと短パン半袖のおかしな集団に助けられたって」
馬鹿みたいな話しだが確かにそう聞いたのだ、アオラさんは何か知っていたみたいだったが詳しく話しを聞く前に公務に戻ってしまった。
聞かれたキリちゃんもう〜んと首を傾げている。
「それが良く分からないんだよね〜…銃を持った人達の建物にいた時に急に押しかけてきてさ、あっという間に連れて行かれて「安心しろ」って言われただけだから。それでこっちに来たらまた急にいなくなってたし…」
何だそれ。
「えー…怪奇現象の一種……とか?」
「さぁ…リューは何か知ってる?」
キリちゃんに話しを振られたリューオンさんが何故だか慌て始めた。
「え?僕?いやぁ…そうだね…何と言えばいいのか…あー…そうだね、まぁ味方、だと思うよ」
「何か知ってるよね」
「いやいやそんなことは…」
「リューオンさん、教えてください」
「いやいやスイまで…いや困ったな…」
カチンと来る寸前に、三人で話し合っていた小さな会議室の扉が勢いよく開かれた。ノックもなしに何事かと振り返ると、
「本体・防人!」
驚いた、そこにはメインシャフトで少しばかりお世話になった本体・防人がいた。そうか半袖短パンとはこの中世を思わせる鎧のことを言っていたのか。
「我はそのような名前ではない、無礼にも程があるぞ」
「……え、確か…イエンというお名前でしたっけ」
「違う。リューオン様、どうかこの者に神罰を」
その言葉にもう一度驚いた、キリちゃんも同じように大きな目をさらに大きくしていた。
「えぇーっ?!リューって王様だったの?!」
「違う!どうしてそうなるんだい!」
「どういうことなんですか?!というか私とはメインシャフトで会っていますよね?!」
「人違いではないのか?我は貴様と顔を合わせた記憶はない」
こんな人違いがあるか!え?本当に覚えていない?それならイエンさんはどうなるの?
「イエンさんのことは?」
「誰だ、我らはリューオン様に仕える特別師団。これ以上の無礼は許可を取らずとも我が罰するぞ」
「………」
「ヤバぁ!リューめっちゃかっこいいじゃん!」
...あぁ、あの人がこの街にかぶれていたのは聞いて知っている。それに見切りをつけて忠誠を誓う相手をくら替えしたのかな...いやそれだとしともリューオンさんは何者なんだ?
「いや、何というか…僕も借りている身でね、多くは言えないんだけど…」
「左様、我らが真に誓うはただ一神のみ。リューオン様はその袂に最も近い方にあらせられる」
「嘘でしょ…」
「そこの小娘!斬るぞ!」
「ま、まぁまぁ…とにかく彼らも僕達の味方であることは違いないから安心して」
「リューが王様になったぁ!」
ばんざぁい!と能天気に黄色い声を上げるキリちゃんを見やりながら、さっさとこの大任を果たしてアオラさん達とどこか遠くへ出かけようと心から誓った。
95.d
サントーニの街、あの日グガランナ様や他のマキナの方々と赴いた場所とは思えない程に廃れ、そして寒々しい光景に様変わりしていた。白い壁や青い屋根は勿論どこにもなく、むしろ民家としての名残すら消え失せている。
「これは風化したというより…」
「まるで焼き払った後だよね、どう見ても」
そう、アヤメも言ったように長年の風雨によるものではなく明らかに攻撃された痕があった。
(そういえばハデス様が…)
マキナ同士による戦いを見たと言っていたけど、まさかサントーニで行われていたのだろうか。そして赤い人型機が天高く昇ったと...
変わってしまったのは街並みだけで、ここから望む大平原の景色だけは変わらずそこにあり続けていた。しかしアヤメは琴線に触れることもなかったのか、目的地へ行こうととくに感動した様子もなく淡々と告げた。断る理由もないので私もそれに従ったが、不思議と足が動かなかった。
「どうしたの?」
「……いえ、何でもありません」
自分でも不思議だった。ようやく辿り着けたという感動より、変わり果ててしまった街の景色より、これ以上歩みを進めたくないと嫌がる自分がここにいた。
(ここでようやく旅も終わり…もし何も分からないままでもまたリニアの森へ行けばいい、今度はうんと遊んであげましょう)
自分を慰めるが心は晴れない。
崩れ落ちたのは民家だけのようで、あの広間がある場所への道には変わりがないように見える。右手にはすっかり穴だらけになってしまった街と、左手には大平原に佇む友人がこからでも小さく見えていた。
「あの友人って、名前はないの?」
前を向きがらアヤメが話しかけてくる、きっと同じように友人を見ていたに違いない。
「はい、とくには。お喋りを楽しんでいた時はまだ自分の名前すら分かっていませんでしたから、なら私も名前は要らないと言ってくれまして」
「へぇ…優しいんだね」
「はい。テンペスト・シリンダーの文献を読み解くにも力を貸してくれたのですよ」
「へぇ…………ならあの友人もガニメデさんのように記憶がないのかな?」
「………」
あれ...それはどうなんだろう...考えたこともなかった...
「え、まさか考えたこともないって?」
「いえ、まさかそんな!………はい」
「あの友人はきっと寂しい思いをしていただろうねぇ〜」
意地悪に言うアヤメに何も反論できない。あの時から自分のことばかりで何も見えていなかった。気遣って、楽しい話しをしてくれる友人を顧みることすらなかっのだ。
「あのアヤメ、帰る間際にもう一度彼の元へ、」
「行っても遅いんじゃない?さっきのジェスチャーはガニメデさんを怒っていたのかもしれない」
「いやその話しはもう終わっていますよね、ぶり返さないでください」
「それにしてもあんな所で何してるんだろうね、私はてっきりこの街を守っていると思ってたんだけど」
い、言われてみれば確かに...またアヤメに先を越されてしまった。本当に私は身近に人には頭が回らないらしい。
その友人を見やる、会った時からそうしていたように微動だにしていない。じっと何かを待っているかのような...そんな風に見える。
「ま、帰り際に聞けばいいか」
「またジェスチャー議論を繰り広げるのですか?少しは私の言い分にも耳を傾けてほしいものですね」
「友人を心配しない人に言われても説得力ないよ」
「うぐぅ…」
そうこうして通りを歩いている間に目的地へと到着した。旅の終わりだ、もうアヤメと各地を巡ることはないと思うと達成感ではなく虚無感が襲ってきた。
(あぁ…私は楽しんでいたのね…)
階段を登る足取りは重い、なんならここにお目当てのものがなければいいのにとさえ思った。そうだ、どうせならもう一巡してきちんと調べてみたいと我儘を言おうか、アヤメも人型機もこちらにあるのだ。
(違う…そうじゃない、私が欲しいのはそんな場当たり的なものではない…)
我儘が通ったとしてもやはり終わりというものはやってくる。我儘を繰り返したところで満足できるとは思えない。
最後の一段を登り終え朝日を受けたアヤメの背中と床に描かれた影絵をこの目に焼き付けた。達成感ではなく虚無感、床の影絵よりアヤメの背中に惹かれてしまっていた。
「ガニメデさん…これって…」
朝日が差す角度を利用して浮かび上がったその絵は髪をなびかせている女性の絵だった。そして、女性の頭上には大きな丸が一つ、さらに小さな丸が四つ。その大きな丸から三番目に位置する小さな丸にだけ星が付いていた、この丸については何も聞いていなかったが確かになる程と思った。
「あの丸は何だろうね」
「私の名前がガニメデ、それはこのサントーニの街にある絵から読み解いたと聞きました」
「?」
あの思い出しただけでも腹ただしい裁判でメリアと名乗った女性が発言していた。それをそのままアヤメに伝えたが「なんのこっちゃ」というおかしな顔をしている。
「その事から考えられるあの丸の意味はおそらく木星のガリレオ衛星を表しているのでしょう。内側からイオ、エウロパ、ガニメデ、カリストと名前が付けられているのです」
「…………もくせいって、どこにあるの?」
「このテンペスト・シリンダーが存在している地球を超えた先、果てを未だ掴めない宇宙という場所にあります。太陽系惑星団のうち、最大の質量を持つ惑星です」
「…………」
「…………」
あった。まだあった。まだまだあるんだ、未知の場所は。
アヤメも同じ事を考えているのが手に取るように分かってしまった、熱い眼差しを互いにぶつけ合い何も喋らない。するとアヤメからその視線を外してしまった。
「へぇ〜…ほんと、世の中って広いんだね」
「……アヤメ?」
そこへ行きたいと言ってくれれば私は迷わず返事を返していた、一緒に行きましょうと。それなのにアヤメは何も言ってくれなかった。
「何?」
「行ってみたくはないですか?木星に…いや、宇宙という場所に」
「そりゃあ…ね、行けるものなら行ってみたいよ」
「だったらどうして…行きたくないのですか?」
私では駄目なのですか、そう弱音を吐きそうになった時、凛とした声音で拒絶された。
「私に行ってほしいって言ってもらいたいの?それなら嫌だよ、ガニメデさんの人生だよ?自分で決めなきゃ絶対後悔する」
「………」
「ガニメデさんが変わらずマキナだったら連れ回していたと思うけど、もう人と変わらないんだよね。一度しかない人生を私の我儘に付き合わせるつもりはない」
「そんなこと…何故分かるのですか…」
「勘」
「は?」
かんって何だ。勘のこと?分かった時にもう一度間抜けな声が出てしまった。
「はぁ?」
「いやそんな尊敬の眼差しを向けられても…」
「これの!どこが!尊敬しているように見えるのですか!呆れているんですよ!」
「自分のやりたいことを他人に決めてもらうのはただの甘えだよガニメデさん」
冗談を言った後、すぐ真面目な顔付きに戻って言われたこの一言を、私は生涯忘れることはないだろうと心から思った。
「今回の巡り旅はガニメデさんが行きたいって言ったからこんなに楽しかったんだよ?失敗するか成功するか分からないから真剣になれるんだしその分楽しいんだよ」
「………」
「その毎日の連続が人生だと思うし、その毎日はガニメデさんだけのものだよ。人に預けるだなんて勿体ない」
「…っ」
「私は私の人生で手一杯なの、二つ分はさすがに持てないよ」
「……仰る通りですね」
「分かったのならそれで良い」
少し偉そうにそう締め括ったアヤメの脇腹を小突いた。二人並んで眺める影絵はすぐに薄れ始め、そして何も見えなくなってしまった。最後の仕上げだと、メインシャフトから持ち寄った小型のルーターを床に設置されたポート穴に差し込み未だ回線が生きていることを確認した。これで良し、後は帰ってこのポート穴から調査を進めればさらに色んな事が分かるはずだ。
「終わり?」
「えぇ、もう終わりました。それではさっさと戻りましょうか、もうここに用はありません」
「いいねその割り切り、私は好きだよ」
しかし、そう問屋は卸してくれなかった。大平原の彼方に一筋の光が発生し、微動だにしていなかった友人がその巨躯を構え臨戦態勢を取った。