第九十三話 だからこそ彼女は決意した。
93.a
「ロムナさんの名前ってどうやって決めたんですか?」
ロムナに話しかけているテッドの後ろを見たこともない生き物が通り過ぎていった。黒い皮膚に目の周りが白い、手足もなくあるのは船を漕ぐ時に使われるオールに似た平べったいものだけだ。
「伝承から取りました…私はそれよりもテッドのファーストキスを取りにいきたいです」
「ペレグさんやリウさんもそうなんですか?」
「はい…夫であるペレグとの間にリウという子をなしたと聞いております。まさかテッドはキスをしただけで子供ができると思っているのですか?それは気が早いというものですよ…もっとこう互いに知り尽くしてから…」
「そうだったんですね。初めてお会いした時は名前がなかったと聞いていましたので気になっていたんですよ」
まるで相手にしていない。
「まさかここまで人と接するとは思っていなかったので急遽決めることになったのですよ………そうですね、テッドとの間にできた子の名前はロッテにしましょう」
「それファーストフード店の名前だぞ」
さすがに私が突っ込んだ、馬鹿ばかしくて聞いていられない。
「ほぅほぅ、わてがおらぬ間に婚姻を済ませたか、抜け目のない奴よ」
付近の探索に出ていたペレグが部屋に戻ってきた、その後ろには権能によって生み出された狼とも犬ともつかない動物が二匹付いていた。
(何でこいつらこんなに平気なんだ?私が気にし過ぎているだけなのか?)
部屋、と言ってもあまりに広く何もない、建設途中の工事現場のように殺風景な景色が広がっているだけだ。それに壁の一部が湾曲しているのでこの建物?地下?は円形に作られているらしい。それに何より窓の外側は海の中なのだ、一度プエラと見た時とは情報量が段違い。見たこともない生き物が泳ぎ回り、海の中は果ても遠くまで続き青を通り過ぎて黒い深淵のように広がっていた。これを見てもロムナやペレグが動じないのは分かるが何故テッドは平気なんだ?信じられない。
狼と犬に似た生き物を再び外へと放ってからペレグが車座に加わった、その顔色はあまり良くない。
「さて、報告といこうかえ、結論を言えば、ここが何処だかさっぱりさね、何もかもが分からん」
「ですからロッテというのは私の名前とテッドの名前を一文字ずつ取った可憐な名前であって…」
「いい加減にせえ、話しを聞け」
未だ名前の縁を話し続けているロムナをペレグが注意した。
「というかだな、私達は塔を登らないといけないんだろ?超蓋からエレベーターに乗ってここまで来たが大丈夫なのか?降りてどうするんだ」
「それは問題ないかと思いますよ。ヒトマガイさんはおそらく普通は好まない方だと思うので降りていった先に端末があると思います」
「その理屈も良く分からんが…で、大丈夫なんだろうなペレグ」
「わてがいつの間にか呼び捨てになっていることは良いとしてだ、テッドの言った通りだから、気にせんでええ」
「それなら下へ行く道を探せばいいんだろ?」
「ふぅむ…そうさなぁ…そのつもりで探しておったのだが…」
降りる階段はおろか、そもそも階段自体が存在しないらしい。どうなっているんだここは。
「私達がここへ何をしに来たのか忘れてしまいそうになるよ、まさかもう総司令達はゲートへ到着したんじゃないだろうな」
「それはさすがに……そもそもゲートの場所すら分かっていませんから大丈夫だと思うのですが…」
「こちらから連絡を取れませんか……?」
返す刀ではないがそのままティアマトに連絡を取り中層の様子をカサン隊長に聞いてもらうことにした。窓の外には先程見た生き物よりさらに巨大な何かが通り過ぎてさすがのテッドも驚きロムナの腕を掴んでいた。後でテッドの手を消毒させようと一人で嫉妬していると折り返しの連絡がきた。
[中層の部隊は大聖堂前の広場に集結しているらしいわ、それから大破してしまったコンコルディアという大型の機体も修理しているみたいよ]
「分かった、私達はしばらくかかるだろうから待っていてくれ」
[サーカディアンリズムの調整だけどね…もうあなたも分かっているだろうけど失敗したわ、こちらと同じように進んでいると思ってちょうだい]
「今さらだな」
[そうね、そっちにいるマキナと連携して休める場所だけは作っておくから安心してちょうだい]
ティアマトと連絡を終えて内容をペレグに伝えると頭を抱え始めた。
「どうした?」
「よもや…ゲートの居場所が、知られている訳ではあるまいな…」
「何?」
「それはどういうことなんですか?……いやもしかしてゲートの場所って……」
「そうさね、その大聖堂が入り口になっている…これはまずいな…」
おいおい...封鎖する前からゲートを突破されてしまったら意味がない。
「大聖堂からすぐに行けるのですか?」
「いいや、すぐではない。有事であれば、誰人も迎え入れるが、平時には手続きが必要なのだ、それすら知れ渡っているなら、わてらに打つ手はない。端末を探している間にゲートを開くだろう」
「なら、まだ猶予はあるんだな?」
「今のところは、だな」
おそらくだが、大聖堂前広場に集まっているのは単にコンコルディアの修理のためだろう。私が最後に見た姿はサニアに無理やり砲身を曲げさせられたあの姿だ、動くのもままならないのであれば直接行って修理する以外にない。しかしだ、まさしくゲートの前にいるのであればいつかは気付かれてしまう危険性があった。どのみち私達が端末へ行って封鎖する以外に道はなかった。
もう悪ふざけはなしだと気を張り詰めてペレグに質問した、その内容は見てきたこの階層についてだった。
「わてらが降りてきたエレベーターを中心に、まずは四つの広場がある、ここがその一つ。さらにその四つの広場には三つの小部屋がそれぞれついておる、小部屋の数は合計で十二になる」
「その部屋は?」
「もぬけの殻だ、何もない、まるで作りかけのようだった」
「それを言うならここもそうですよね…途中で投げ出してしまったような感じがあります…」
テッドがぐるりと首を巡らせ辺り見ている。
「その全ての部屋を見て回ってきたのか?」
「いいや、狼犬と手分けをした、わてが二つ、狼犬が一つずつだ」
「何かしらの見落としがあるかもしれないから今度は私達が見てこよう、それでいいか?」
「うむ、狼犬を付けよう、わてはここで休むとする」
「テッド」
「はい」
素早く立ち上がったテッドが広場の出入り口へと向かう、ロムナがまたぞろ足を引っ張るかと思ったが、
「お気を付けて…」
ゆっくりと手を振り見送りをしただけであった。
◇
「テッド、お前は海を見ても何とも思わないのか?」
「え、とくに……子供の頃はよく湖中探索をしましたので」
「いやいや、海だぞ?湖とは比べものにもならない程に広いんだぞ?」
「と、言われましても…ナツメさんにチョークスリーパーを決められるのに比べたら全くドキドキしないですね」
「…………」
「いや!間違えました!ドキドキではなくワクワクですね!すみませんでした!」
「お前まさか……」
「違いますから!誤解するのはやめてください!」
「ドキドキもワクワクも同じ意味だろ。痛い目にあっているはずなのに興奮している理由は何だ?そういう性癖なのか?」
「違います!本当に違いますから!」
真顔で(顔を赤くして)手を振り否定している様はどうやら本当に焦っているらしい、だったら始めから口を滑らせるなよと思うが、手の消毒はこれで勘弁してやろうと思えた。
「全く…男は油断も隙もないな」
「いやいや…あはははっ」
そこは否定しないんだなと思っている矢先に一つ目の部屋に辿り着いた。広場を出て緩やかに弧を描いている廊下を歩いた先にあった。室内にも窓が取り付けられており海の様子がここからでも見えていた、ペレグの言った通りがらんどうで何も無い、あるのはただの一つの椅子だけだった。
「あの椅子は何でしょうか、床に取り付けられているみたいですが…」
「チョークスリーパーをかけやすくするためじゃないか?試しに座ってみろテッド」
「もう!何を言っているんですか!」
私の冗談に再び顔を赤くしたテッドが部屋に置かれた椅子へと近付いていく、椅子というよりかは...
「人型機のパイロットシートに似ているな、背もたれは違うようだが…」
「そうですね…卵の殻みたいに丸みを帯びていますし………ん?」
その背もたれの一部に視線を固定して何やら読んでいる、何かを見つけたようだ。私も椅子に近付き背もたれを見やると英語で何やら書かれているようだった。
「何て書いてあるんだ?」
「………ふぁーすと、マキナ、ティアマトと書かれています……」
「何だって?ティアマトの名前が?」
「はい……それから……わんべーす?どういう意味でしょうか…そのわんべーすを模倣して作られたとあります…」
「ティアマトが何かを真似て作られたってことなのか?」
「そうなりますよね…他には何も書かれていません、もしかしたらここはマキナの部屋なのかもしれませんね、それに部屋の数が十二となれば合いますし」
「他の部屋もついでに調べてみるか…」
意外な発見に気が動転しかけた、この建物はヒトマガイというマキナが作った遊び場のような場所だと思っていたからだ。いやもしかしたらここの英語にも何ら意味はないのかもしれないが、そうだと結論付けるにはまだ早いような気がした。
部屋の外で待機していたオオカミイヌが先導し別の部屋へと案内してくれる。アヤメの奴が好みそうな毛並みをして尻尾を右に左にと揺らしながら私達の前を歩いていた。すぐに別の部屋に到着し同じように椅子が置かれて英語も書かれていた。今度はつーべーす、名前はタイタニスだった。
「わん、それからつーは英語でいうところの数の数え方か?」
「はい、そうなります、となると全部でとぅえるぶまでいきそうですね」
わんの部屋と同じで椅子以外には何もない、そのまま出て隣の部屋も調べてみたが私もテッドも会ったことがないラムウと書かれた椅子があった、その数はすりーだ。
「ん?どうかしたの?」
先に部屋から出ていたテッドがオオカミイヌに声をかけているのが聞こえ、出口を見やると廊下の先には行こうとせず来た道を戻ろうとしていた。
「もしかしてこの先は行き止まりなのか?」
顔だけ覗かせて見やった先は何も変わらないように見えるが、ペレグとの探索で調べがついているのかもしれなかった。
「戻りましょうか、僕達が入った部屋がちょうどワンだったので反対側から回れば最後のマキナが分かるはずです」
「お前目的を忘れていないか?」
ぱちぱちと瞬きをした後に、
「そ、そうですよね!下に降りられる道を探していたんですよね!」
あはははと照れ笑いしながらオオカミイヌと連れ立って先を歩き始めた。
(あぁいう素直に頭を下げられるのは好感が持てるんだがな…)
何でもかんでも口からついて出てしまう癖は頂けない。何がチョークスリーパーの方がドキドキするだ、それは私の胸が頭に当たっているからだろ!と言いたかったが言えなかった。だが、不思議と悪い気はしなかった、テッドがそういう目で見ていることは確かに慣れないが嫌いにもなれない。私の一挙手一投足に反応しころころと表情を変える様は見ていて面白い、たまに腹を立てることもあるが言葉にせずとも私とテッドは繋がっているんだと、特別な関係を肌で感じられる瞬間は悪くなかった。
(この延長線上に恋人関係というものがあるのかもしれない……)
つーの部屋を通り過ぎ、わんの部屋に辿り着いてもテッドとオオカミイヌはいなかった、広場へ続く曲がり角に差しかかった時に前方から慌てた様子のもう一体のオオカミイヌが駆けてきた。私の前に着くなり袖を噛んで引っ張っていこうとしている。
「な、何んだ、急に、服が伸びるだろうが」
言っても聞きやしない、仕方がないので引っ張られるに任せていると廊下の先にあった部屋から光が漏れ出ているのに気付いた。大して暗くもないのに?どうしてあそこだけあんなに強い光が...そう疑問に思うのと足が前に飛び出したのが同時だった。
「テッド!!」
ようやく夢現とした心地から目が覚めてくれた、倦怠感に似た頭の痺れも瞬時に飛び駆け込んだ部屋の中に向かって名前を叫んだ。
「……オリジン…ベース…プログラム・ガイア…」
「おいテッドしっかりしろ!」
椅子から放たれている光に正気を奪われているよう、目の焦点は合っておらずうわ言のように書かれた英語を読み上げていた。
(あぁ何てことだ!)
「…祖たる彼女……我ら…賛嘆し……今ここに……創造せん……うぃーしーちる……」
「テッドっ!!目を覚ませ!!」
力の限りにテッドの頬を叩き地面に昏倒させた、瞬間的に光が消え失せて眩し過ぎた室内が本来の明るさを取り戻した。
「っ?!」
驚いたことに窓の外、格子窓の向こうで数え切れない程の生き物がこちらを覗き込んでいるではないか、思わず息を飲み身構えたが何事もなかったように再び海の中へと散っていった。
「……う〜ん…痛い……」
「テッド!どうだ、どこか痛むか?平気か?」
「え……ほっぺがとんでもなく痛いです……」
頬を手で摩りながら安堵の溜息を大きく吐いた。
私とテッドによる探索は一時中断し広場へと戻ることになった。まだ覚束ない足取りのテッドに肩を貸して立たせ、出る前にもう一度光を放っていた椅子を見やれば、我関せずとただそこにあり続けてきたように鎮座しているだけだった。
93.b
椅子が回転する音が聞こえる、長年放置されていた割には滑らかに回っているがそれでも金属が擦れる音が耳に届く。
「アヤメ、静かにしてください」
「だって…」
背もたれの縁に顎を乗せてやる気がない生徒のようにくるくると、それに足を広げて逆向きに座っているのが何ともだらなしい。
「下着が丸見えですよ」
「っ?!!…いやこれフライトスーツだから!見えないから!」
その割には飛び退き急いで股を閉じようとしていたのが滑稽だった。
(まぁ…アヤメがだれるのも無理はないのかもしれないわね…待たされて早数時間…)
ちょっと待っててね、そう軽やかにゼウス様が言って姿を消してから早くも数時間が経ち、薄雲の向こうに登っていたであろう太陽も呆れて沈みゆく時間帯になっていた。天候管理施設の最上階、円形に作られたモニター室から望む空は太陽の明るさを失い薄暗さを募らせている、まるで二人の心の中のようにだ。それに先程から雨も降り始め窓ガラスには大小様々な水滴が付いていた。
「まさかこのまま百年待たされるのかな、私おばぁちゃんになっちゃうんだけど」
「いやさすがに天寿を全うしている頃合いでしょうに」
「てんじゅって何?」
「その人が持つ寿命のことですよ、予め定められているという意味合いです」
「早い来ないかなぁ〜…アマンナが怒ってた理由が何となく分かったよ…」
自分で質問しておきながら全力無視をしたアヤメの頭を叩いた。
「あなたが質問してきたのでしょう!」
「叩くことないじゃん!ガニメデさんは真面目だけど面白くない」
「何ですって…」
「四角四面過ぎてつまらないって言ってんの!」
「その四字熟語は知っておきながらどうして天寿が分からないのですか!」
「そんなの今はどうだっていいじゃん!どうすんのさ!待ってろって言われたから下手に動けないし!」
そうなのだ、これで勝手にいなくなっていたのなら動きようがあるのだが、こちらから街の歴史が分かる資料を見せてほしいと頼んだ手前勝手に動けないのだ。すれ違いになったら面倒だし何より失礼に値すると思い腰が上がらない。
「……お喋りでもして時間を潰してましょうか」
「その段階とっくに過ぎてるから、それにガニメデさんの持ってる話題ってあるの?」
馬鹿にして...
「そうですね……では地球時代の歴史について少々お話ししましょうか、私がとくに好きな時代はカンブリア紀と呼ばれる時代で生き物の多様性が一気に広がった時代でもあるのですよ、」
「いつ私が歴史に食いついたことがあったのさ!」
「だったらアヤメの好きな話題は何ですか!いつも景色に見惚れてばかりでろくに話しもしていないでしょうに!」
「そんな訳ないでしょ!………………そんな訳ない!」
「今考えたでしょうが!どうせアヤメもろくすっぽ話しができないのでは?」
「何だって……いいよ!それなら今度は私が話してあげる!…………………………」
椅子の上で腕組みをして頭を捻っているようだ。暫くの間、窓ガラスに落ちる雨の音を聞いた後ようやく口を開いた。
「……私が住んでる街には服をたくさん扱ってる駅があってね、そこでは色んな物が買えるしその建物の屋上から見える景色がこれまた、」
「いつ私が服と景色に食い付きましたか!そもそも歴史の話しをしている相手に向かってする話題ではないでしょう!!」
「ガニメデさんは引きこもりだもんね、そりゃ仕方ない」
「これだから知識の無い人と会話をするのは疲れるのですよ」
雨の次は雷鳴が轟いた、二人揃って肩を跳ね上げ窓の向こうに視線をやった。そしてどちらからともなく溜息を吐き、
「やめよう、喧嘩はやめよう」
「そうですね…余計に疲れるだけです」
すぐに仲直りした。
◇
太陽も沈み切ったモニター室にアヤメの間抜けな声が上がった、ポーチの中に手を入れた状態で固まっている。
「どうかしたのですか?」
「食べ物が無い……」
「え?何を馬鹿なことを…」
断りなくアヤメからポーチを受け取り私も中を覗き込むと、くしゃくしゃになった包み紙が何枚か入っているだけで他に何もなかった。あれ待てよと、日数を数えてみると今日この時間帯が帰還予定だった。
「そうですわね…日数分の食べ物しか持ってきていなかったですね…」
「どうしよう?食べ物無しでおばぁちゃんになるまで待ってないといけないの?」
まだ言うか。
「ゼウス様に聞いてみたいのですが未だに帰ってきませんからね…」
「この街にも食糧庫ってないのかな、自動で作ってくれる優れもの」
聞けば、メインシャフトの中でも食糧庫で飢えを凌いだことがあるらしい。人が去った後でも健気に作り続けていたのだ、それならばこの街にもありそうだが...ベラクルやリニアにそんな場所があっただろうか?
「探しに行こうか、ゼウスさんは戻ってこないし仕方ないよ」
「探すと言ってもどこを?このモンスーンも広いですよ?闇雲に探しても見つかるとは思えませんが」
「向こう百年放ったらかしにしたような人を待つ?それなら探しに行った方が確実だと思うよ」
「私はここで待って責任者に聞いた方が確実だと思いますよ、動き回って体力を消費してしまえば元も子もありません」
意見の食い違いから束の間睨み合う。アヤメの言い分は理解できるが情報も食糧もない今の状態で探索に出かけるのは危険だ、どこかで怪我をしてしまえばそれだけで致命傷になりかねない。特殊部隊と呼ばれる組織に身を置いていたアヤメならそれぐらい分かっているはずだ。
「しょうがない、ならここは私に任せてガニメデさんはのんびりしているといいよ」
「アヤメ?」
「明日の朝まで戻らなかったからガニメデさんはアマンナと一旦下層まで戻って、私は私で何とかするから」
私の顔を見ようとはせず、ジャケットに袖を通して残弾が心許ない拳銃をその手に取った。よく見やれば...
「アヤメ、待ちなさい」
「じゃ!食べ物見つけたらすぐ戻ってくるから安心して!」
「待ちなさい!何でさっきからニヤニヤしてるの!」
気付いた時はニヤついている意味が分からなかったが、慌ただしく準備を終えて最もらしいことを口走りながらモニター室から出て行こうとしているその様子にやっと理解できた。
「それらしいことを言っても駄目よ!ここから出たいだけでしょう!」
「嫌だ離せ!離して!」
モニター室の自動扉が開きアヤメの片足が出たところをすんでで捕まえた、腕を取られたアヤメは子供のように駄々をこね始めた。
「駄目ったら駄目よ!人の話しを聞いていたでしょう?!」
「知るかそんなの!ここで出ていかないと一生この部屋から出られる気がしない!こんな所で時間を無駄にするぐらいなら危険も承知で街を探索した方が絶対楽しい!」
すぐに本音が出てきた。
「今そんなことを言っている場合じゃないでしょ!聞き分けなさい!」
「いーやーだっ!もし食べ物見つけられたらラッキーじゃん?!」
「こんな時に運任せの行動は取るべきではないでしょうがっ!!」
いくら言い聞かせても頑として部屋に戻ろうとはしない。そこまでなのか、彼女の一体何がここまでさせているのか理解できなかった。
「アヤメっ!あなたは怖くないのですかっ!知らない街にどんな危険が潜んでいるのか考えられないのですかっ?!いいからここに残りなさいっ!」
「立ち止まって何もしてないからそう思うんだよっ!本当に危険かどうかは調べないと分からないでしょうっ?!私の邪魔をするなっ!」
吐き出す息がやけに耳につく、自分が肩で息をしていたことに気付きそれは向こうも同じだった。アヤメもにやけた顔から真剣に怒っている顔付きになっていた。再び雷鳴が轟くが互いに驚かない、しかし天から降ってきたその声にはさすがに肝が冷えた。
[騒々しい]
「っ?!」
「ひっ?!」
[出て行くがよい、そして二度と立ち入るな]
重々しくそして苛立ちを隠そうとしないこの声が一体誰のものなのか考える暇もなく、天井と床から現れた球体型の防衛装置に追いかけ回されてしまい管理施設から逃げるように出て行った。
◇
「はぁ…はぁ…はぁ…」
「はぁ…はぁ…はぁ…」
「いやいやごめんね?彼は気難しいマキナだからさ、自分の仕事を邪魔されて怒っただけなんだよ。ほとぼりが冷めるまでそっとしておいたら大丈夫なはずだからさ」
他に...言うことが...あるのでは?目線だけで訴えるがどこ吹く風で受け流されてしまった。
「それより君達、ご飯はどうするんだい?もし手持ちが無ければこの街のレストランに案内してあげようか?待たせた埋め合わせをさせてくれよ」
自覚があったのか...あってこの態度なのか...ハンドシェイクをかましたアマンナ様の気持ちがよぉく分かった。
「ど、どうしてゼウスさんはあんなに遅れたんですか?」
「いや何大したことじゃないよ、気にしないでくれたまえ。プログラム・ガイアに呼び出されてね」
「仕事だったんですか?」
「ん?いやいやそんな大そうな用事じゃないよ、昔話しに花を咲かせていたんだ。彼女も話し出すと長くてね、中々解放してくれなかったんだ」
すぅっとアヤメから表情が消えていった。じゃ何か、私達はただ忘れられていただけだということなの?それが数時間も?途中で思い出したりもせず?このマキナには人を招いたという責任感というものはないのか。
(だから無責任ゼウス……)
「それと君に頼まれていた物を持ってきたよ、これで分かるといいんだけど」
地面に這いつくばったままの私にゼウス様が一冊の本を渡してきた、革で編まれた表紙にはタイトルなど何もない、これでは何の本なのかさっぱりだ。
「え……これは…一体…」
「開けてみれば分かるよ」
言われた通りに表紙をめくってみれば年号順にずらりと見出しが並んでいた、続けてめくったページには何も書かれていない。目次だけ?そんな本がある?
「どれでもいいから一つタップしてみて」
さらに言われた通りに目次の一番上の項目を触ってみると何もないはずなのにボタンに触れた感触があった。
「その本には実に数十冊に及ぶページが保存れているんだよ。自分が読みたいものに合わせて端末が自動で読み込みをしてくれる仕組みさ。ラムウもそうだけど、この街には電子媒体よりも古き良き紙を愛する人が多かったらしくてね、この街で生まれた愛読家の嗜好品さ」
「これは凄いですね……」
「そうだろうそうだろう、それを探すのに時間がかかってね。ま、こんな所で話すのも勿体ないからレストランへ行こうか、きっとアヤメも気にいると思うよ」
「ふん、私達のことを忘れたゼウスさんが何を言いますか。今ならアマンナと一緒に仕返しできますよ」
◇
「はぁー凄いぃ〜…こんなの初めて…」
「そうだろう?ここは絶対気にいると思っていたんだ」
さっきの威勢はどこへやら。ゼウス様に案内されたレストランは無人車に乗り込んで数十分の所にあった小ぢんまりとした建物だった。外観はお椀型と言えばいいか、丸みを帯びた天井に小さな窓が等間隔に配置されている、どこか基地を思わせるレストランだった。中に入るまでぶつぶつ文句を言っていたアヤメも目の前の景色にただ感嘆の声を漏らすだけだった。
「仮想展開型風景はラムウの十八番でね、得意中の得意なんだよ。それから素粒子流体も組み合わせて簡単な物なら触れることだってできる、当時はかなり人気のあるレストランだったんだよ」
饒舌に語るゼウス様の話しに耳を傾けようともせず周囲に展開された風景に見惚れていた、かくいう私も驚いていた。
「素晴らしい所ですね」
「気に入ってもらえたようで何よりだ」
そう言うゼウス様の肩に一羽の小鳥が止まった、テーブルの上にも料理に触れないよう小鳥が数羽小さな体を跳ねるように移動している。テーブルから視線を外せばそこは大平原、地平線に沈む太陽の光を受けた麦畑が黄金色に輝き少し尊大過ぎるぐらいに彩りを与えていた。
「どうしてこの街には施設が数多く残っているのですか?ここのレストランもそうですが、無人車も走っていましたよね」
「モンスーンは中層にとって重要な街だからね、人が居なくなったとしてもその役割は変わらない、雲を作って大地に恵みを与えていかなければいけないんだ。だからこの街は今なお生き続けているのさ」
「そうだったのですね」
「さ、食事にしようか、テーブルの中央から出てくるから気を付けて」
ゼウス様が注意を促した通り、質の良いテーブルの中央が音もなく開き料理がふんだんに乗ったお皿が出てきた。アヤメはとくに驚きもせず景色に目をやりながら、やはり料理に気を払う様子もなくただ咀嚼を繰り返していた。
(少しぐらいは食事を楽しんでもいいようなものを…)
人の身になってから食事の重要性を理解した私は楽しむ習慣が生まれ行儀悪く食事を繰り返すアヤメには思うところがあった。
そんな私達を微笑むように見やっていたゼウス様、肩に止まっていた小鳥が飛び立った後にゆっくりと口を開いた。
「君達をこうして見ているとこの街がまだ賑わっていた頃を思い出すよ」
「そうなのですか?どのような街だったのでしょうか」
建物や地理の話しではなく住んでいた人について聞いたつもりだ。ただの世間話し程度に振った話題だったがとんでもない答えが返ってきた。
「そうだね、ここはウルフラグの街と言えばいいかな?テンペスト・シリンダーの中核を握っていた人達の街さ」
「………」
「プログラム・ガイアの思想設計から開発を手掛けた人達の子孫が住んでいた街、君達と同じように金の髪をしていたね」
そういう僕もそうかと、どこか他人行儀に話す。風景ばかりに目をやっていたアヤメも会話に参加していた。
「どうしてこの街を捨ててしまったんですか?こんなに綺麗でどこも不自由がないと思うんですが…」
「それはね、ここが領土問題発端の地だからさ。聞いたことはあるかい?」
その言葉なら...聞いたことはあるが知識としては皆無だった。
「耳にしたことはありますが良くは知りません」
「そう、アヤメはどう?聞きたい?」
「え、どうしてそんなことを聞くんですか?」
「知らない方が良いことはいくらでもある、その選択を与えているつもりなんだよ。アヤメはカーボン・リベラの街が区分けされていることに気付いているかい?」
「…………まぁ、何となくは」
「何ですかその話しは、初めて聞きました」
その瞳には哀れみ、それから諦めの色があった。
「ウルフラグの子孫とこの地に元々住んでいた子孫が区毎に分けられている話しだよ。主要区と呼ばれる場所には地元民が、地方区と呼ばれる場所に移住者が住むようにルールが設けられている」
「……つまりは生まれによって住む場所が決められているということですか?」
ゼウス様にした質問にアヤメが答えた。
「そんなに厳しい決まりじゃないけどね、私も第一区に住んでいたから罰則なんてものはないけど、不思議と生まれが決まっているんだよ。私の生まれは第三区と呼ばれる地方区だし、ナツメは第一区の生まれだったから」
「それには……それには何の意味があるのですか?」
先祖によって生まれが決められる意味が分からない。
「一重に禍根だよ、この地から始まった領土問題によって移住者と地元民が戦争をするようになってね、他の街で住む場所を確保できなかった人達を難民として受け入れてほしいと打診がきたけど断ったのさ」
「……モンスーンの街が、ですか?」
「そう、先祖にあたる研究者達の謎の死が解明されない限り誰人も迎え入れるつもりはない、ってね」
「…………」
「…………」
何だその話しは...寝耳に水どころの騒ぎではない。私が今日まで調べ上げた文献にも絵画にもどこにもない話しだった。
「それに怒った難民指定の人達が武装蜂起を起こしてしまってね、皮肉なことに相談を受けたプログラム・ガイアがモンスーンに強硬姿勢を取ったんだ。ガイアの生みの親たるウルフラグが裏切られた形になって後は戦争まっしぐら、武力による解決しかないと相容れない間柄になったんだよ」
「そんな事が…あったんですね…」
「君も過去のアーカイブデータにアクセスしたことがあるんだろう?エディスンの街に住む人達とその周囲に集落を形成して住んでいた時代のものだ」
「……はい、あの時はテンペスト・ガイアさんもいましたけど…」
「英語を話す人達はウルフラグの子孫さ、そして英語を忌み語として受け入れエディスンに住んでいた人達が地元民。時代が流れるにつれてガイアに最も近かった人達がその住処を追われ立場が逆転していくんだ」
「では、アヤメは…」
「そうだね、君はウルフラグの子孫にあたることは間違いない。当時のエディスンには英語を捨て去った移住者もいたからそのどちらかは分からないけれどね」
この場にそぐわない爽やかな風が通り過ぎていく...とんでもない話しだった。今話した内容は一括統制期と呼ばれる時代で間違いない、ウルフラグと地元民との間で起こった諍いを仲裁できなかったプログラム・ガイアがさらに五つの街と二人組のマキナにその統治を任せたのだ、それが分割統制期時代。
(そしてあの言葉…あるマキナが残したとされるものを受け継がせないために…いや、)
それはいつのこと?誰がその言葉を残せたの?
「一つ質問をしてもよろしいですか?」
「僕が答えられる範囲なら」
「領土問題はいつ頃のものですか?私の考えが正しいのなら一括統制期時代と呼ばれるものになると思うのですが…」
「あぁ、君はそこまで把握しているんだね。なら答えは簡単さ、範囲外」
「は?」
「僕にはその質問に答えられる権限はない。あるとしたらティアマトぐらいのものだろう、何せ彼女はその時代から記憶を維持しているのだからね」
そこでその名前が出てくるのか。ティアマトというマキナは一体何者なの?ほんの少ししか会話をしていないが特段何かを隠しているような素振りはなかった。もしかしたらかのマキナにも権限が設けられているのかもしれない。
「ゼウスさん、私そんな話し聞きたくなかったです」
「それは悪いことをしたね。けど諦めて、君は僕達の上官に目を付けられている、遅かれ早かれ今の話しは聞かされた内容だったと思うよ」
「目を付けられているって、そんな言い方…」
「ちなみにだけど、今の話しは君に渡した端末にも書かれている内容だから時間がある時にゆっくりと目を通しておくといい。少しの間だけど僕は失礼させてもらうよ」
そう言って席を立ったゼウス様の姿が瞬時に消え失せてしまった。
そして大変迂闊だったのだが、「少しの間」と言ったはずのゼウス様は明け方まで戻ってくることはなかった。
93.c
「こ、ここは一体…」
「ここは……何だっけバルバトス、俺もう覚えてないや」
「いいよ。ここは外殻部と呼ばれる場所で外壁と中層の間にある空洞部分だよ、この一画は天候管理をしている場所になるのかな」
外殻部とは初めて聞く場所だった。僕の記憶にも存在していない。それにモニター越しにしか会話ができなかったもう一人のバルバトスがその姿を現している、パイロットの少年よりさらに背は低く、金の髪に青い瞳、清潔感がありすぎて今にも消えてしまいそうな儚い子供だった。
(どうして僕に記憶がない?この子も神々の一人なら…)
父がまだ受け継がせていない記憶があると言っていたが、この外殻部と呼ばれる場所も含まれるのだろうか?彼らがシークレットベースと呼んだ場所は外壁から中に侵入してすぐの所にあった。言うなれば人型機の整備ドッグに近い、コクピットに直接備え付けられたタラップからは見下ろす程に高いことが分かった。
パイロットの後ろについてバルバトスがタラップを降りていく、僕もそれに続き彼らの後を追った。
「リューオン安心して、君の妹は無事に保護されたから。今は隣の区で匿われているはずだよ」
「あ、ありがとう…と、言ってもどうやって?」
「僕の私設部隊が力になってくれたよ、一時は妹のデュランダルに貸していたんだけどね、この状況だし返してもらったんだ」
「あの暑苦しい連中?」
「暑苦しくないよ、見た目が少し特殊なだけで純情な兵隊さん達だ」
歩みを止めて僕に振り返りながら、
「リューオン、向こうに戻ったら君に指揮権を預けるよ、妹のために好きに使ってくれたらいいから」
「いや、そうは言われても…僕は指揮官なんてやったことがないしそもそも柄でもないんだ」
「嘘ばっかり、君の家系は歴代の総司令を務めていたんでしょ?だったら君にもできるよ、それに何より妹のために泣き言なんて言ったら駄目」
「だってさ!頑張れよおっさん」
急過ぎる展開に僕自身がついていけない、初めて訪れた場所で指揮官を任されるだなんて、それに何よりあの子は神の一柱のはずだ。何の説明もなされないまま二人が整備ドッグから離れていこうとするので付いて行く他になかった。後ろを見やればその機体が背中を向けて堂々と佇んでいた。
◇
ドッグを抜けて一本しかない廊下の先にある部屋へと入った。中は簡単な待機室になっていたようで、椅子と机、それからソファ以外に何も置かれていない寂しい部屋だった。
「さて、そろそろ君とはお別れだね、またよろしく頼むよ」
「あぁ……うん……おやすみ……」
「え?」
部屋に入るなりパイロットがソファに寝転んだ、あまり眠そうにはしていなかったために急な変化に驚いてしまった。ほんの瞬きのうちに寝息を立て始め、年相応の可愛いらしい寝顔で眠りについてしまった。
「そんなに疲れていたのかい?」
「ううんそんなことないよ、彼は本来の持ち場に戻っただけ。いつの間にか家族を獲得してしまったようでね、彼には悪いけど用事がある時はこのマテリアルにエモートを換装させてもらっているんだよ」
「ならこの子もマキナということかい?」
「そ、限りなくマキナに近い人間、と言えばいいかな?この子限りで実験は失敗したんだけど今となって良い友達だよ」
「良く話しが分からないけれど…つまりは僕と同じで君達に仕える存在ということでいいのかな」
欲しかった玩具を買ってもらったような眩しい笑顔になりこう言った。
「そうだよ、君と君のお父さん、それからイエン、ガニメデは僕達が生んだ存在なんだ」
「どうして僕達のような存在を?」
神々、それからそれに連なる関係者には厳しい規約があり誰人たりともそれを破ることは許されない。
「う〜ん…友達が欲しかった、じゃ駄目かな?難しい理屈は沢山あるんだけど結局それなんだよね」
「そう……なんだね」
「そうそう。あ、何か食べる?街の食料システムもこっちに引っ張ってきてるから軽食ぐらいなら出せるよ」
「えっと…それじゃあお言葉に甘えて…」
「適当に座ってて、すぐに持ってくるから」
嬉しそうに部屋の奥にある扉を開けて中に入っていった。変わらず少年はソファの上で安らかに眠っている、いや、マテリアルが身体維持のために呼吸を繰り返しているだけだ。
(ここから帰るにはやはりあの機体でなければ帰れない……よね、どうして僕を助けてくれたんだ?)
意識を失う直前の記憶は「掌握を免れた」と聞こえたような気がするのだ、それが僕のことなのか聞いてみないことには分からないが、誰の掌握から免れたのか...どちらにせよ神々とそれに仕える僕達以外の第三者がいることは明白だった。
開け放ったままの扉から香ばしい匂いが漂い程なくしてトレイに料理を乗せたバルバトスが戻ってきた。
「はいお待たせ」
「ありがとう、遠慮なく頂くよ」
トレイに乗っていた料理はサンドイッチに淹れたてのコーヒーだ、生地も具も厚く作られた一つを手に取りそのまま口の中へと放り込む。
(美味い…)
噛めば噛むほど味が舌を刺激して空腹を満たしながら胃の中へと収まっていく、匂いを嗅いでからひどくお腹を空かせていることに気付いた僕は暫くの間無言で食べ続けた。三つ目に手を伸ばした時にバルバトスがじっと僕を見ているのに気付き、さすがに失礼かなとその手を止めた。
「どうして食べないの?」
「いや、食べるのに夢中になってしまって…」
バルバトスのその手にもサンドイッチが握られているが食べようとはしていなかった。
「いいよいいよ、男の人は食べるか話すかどちらかにしか集中できないって聞いたことがあるし。それに誰かと食事をするのが初めてだったから何だか緊張してしまって…あははは」
照れ臭そうに笑うその姿は外見通り子供に見えて微笑ましくなった。
「君も食べてみるといいよ、美味しいよ」
「う、うん…それじゃあいただきます」
あむと一口食べたはいいがぽろぽろと溢してしまった、それはそれは顔を赤くし慌てて拾おうとしていた。
「お、思ったより中にたくさん入っているんだね」
「そうだね、君には少し大き過ぎたのかもしれないね」
ゆっくりとサンドイッチを食べる神の子と暫く食事を続け、お腹が満たされた頃合いに僕がここへ連れてこられた話しへと入った。
◇
「リューオン、君にお願いがあってここへ連れて来たんだよ。まずは話しを聞いてくれる?」
「あぁいいよ、その話しって?」
向かい合わせで座っていたバルバトスは、僕に気を許してくれたのかすぐ隣に座り直し見上げるようにして話し始めた。
「直に僕達が覚醒するはずなんだ、もう長い間その機会は失われていたんだけど今回はどうも回避できそうにない。君にはそのオブザーバーとしての立場に付いてほしいんだ」
「観察をしていろということかい?」
「うん、僕や妹達、それからイエンやガニメデをね。お願いできるかな?」
「観察しろと言われても具体的にどうすればいいんだい?カメラでも回しておこうか?」
少し冗談混じりでカメラを回す仕草をするとバルバトスが女の子のような声でころころと笑った。
「それもいいけど、君にはアクセス権を渡してあるよね?」
「あぁあるね、もしかしてサーバーから観察した方がいいのかな」
「そう、できればね。アーカイブに紛れ込ませておけば発見は遅れるはずだからその間にサルベージをすればいい」
「見つかったらどうなるんだい?」
「もう二度と僕が目覚めることはないだろうね、何せ規約違反をしているんだから」
...神々をも拘束するその規約とは如何程か。
「それでいいのかい?」
「うん!皆んなで話し合ったことだから、まぁあの二人はすっかり忘れているだろうけどね。そのためにわざわざ作ってあげたというのにまるで面倒はみないし困ったものだよ…」
その顔は子供から、世話の焼ける妹達に頭を抱える兄のものになっていた。
「分かった、その役目は僕が引き受けよう。あまりサーバーに接続するのは慣れていないけど頑張ってみるよ」
「ありがとう!」
元気いっぱいにお礼を言われてしまい、照れ隠しのついでに話題を振ってみた。
「ところで、僕は誰からの掌握を免れていたんだい?君が僕を助けてくれた時にそう言っていたよね?」
「あぁ、それはね、」
バルバトスが口を開きかけた時に着信音が鳴った。ポケットにねじ込んでいた僕の端末からだった。
「ごめんね、話しの途中に」
「いいよいいよ、その間に片付けしておくから」
端末の画面も見ずに電話を取ってみると、耳から入ってきた声に安堵と焦りが同時に募ってしまった。
[今どこにいるの?]
その声はキリのものだった。
93.d
「総司令、この先に管理室を発見しました。ご同行願います」
「行こう」
比較的使える隊員の一人が、コンコルディアの最終調整を行っていた俺の元へ報告を上げにきた。ここに女はいない、マキナへ反逆を誓った者達にしか銃を持たせていなかった。
作業用の大型ライトに照らされたコンコルディアから離れ、街から引っ張ってきた研究者に後を託した。もう間もなくだ、この下層攻略戦で全てが終わる。特殊部隊として、また軍を指揮する俺の立場と役割も、そして神々に魅入られたあの男の存在価値もだ。
大破したオーディン・マテリアルの行動履歴からこの場所に下層へ続く道があることは調べが付いていた。ようやくその足がかりとなる部屋を見つけたと、誇らしげにすることもなくただ淡々と歩みを進めている隊員の後に続いた。
「管理室には端末がありますが、こちらからの操作は受け付けません」
「だろうな、何せ俺達が下層へ行くんだ。マキナの連中にとっては邪魔で仕方ないはずだ」
人間の存在を知らしめるように大理石の床を踏み鳴らし管理室がある通りへと向かった。大聖堂の中にも作業用のライトが置かれ視界を確保していた。その灯りに照らされた一つの扉が見えてきた、どうやらあそこにゲート管理している端末があるらしい。
「こちらです」
「言わなくても分かる」
隊員が開けた扉の中に入り、早速その端末とやらが目に入った。どこにでもある普通の端末のように見えるがその画面にはアクセス不可との表示があった。
「ここから持ち出そうにもどうやら備え付けのようで」
「………」
机の上に投影されたホログラムキーボードに触れてみるが何も反応しない、パスワードはおろか文字すら打てない状況だった。
(これがゲートを管理している端末で間違いはないはず…では何故受け付けない?)
オーディン・マテリアルが下層から中層へ上がる際は何の障害にもなっていなかったのだ、それなのにこちらから通ることができないとは...
「オーディン・マテリアルをここまで運ぶように指示を出せ、それとコンコルディアをこの部屋の裏に回すようにも伝えろ」
「はい」
ただ返事をしただけで疑問に思うこともなく隊員が従った。この世の中ああいう手合いが増えれば苦労もしないのだがなかなか上手くいかない。
「………」
アクセス不可と表示された画面を束の間睨んだ後、踵を返して部屋から出ていった。
✳︎
「むむむ」
隣でいつかのタピオカジュースを飲んでいたミトンがおかしな言葉を発した、その視線は中庭をぐるりと囲う垣根の向こうに注がれていた。
「どうかしたの?」
「…カサン母上に報告しないと、総司令の部隊が戻ってきてる」
「え?」
カサン母上とはミトンが勝手に付けた渾名だ、おそらくあのびっくりするぐらい綺麗なスイという人を慕ってのことなんだろうけど...ミトンが言った通りによく見てみれば、確かに総司令の後に続いてホテルを出た部隊の人達が足早くホテルへと向かっているところだった。何の用事だろうか...もうここに戻ることはないと声高に出ていったはずの人達がホテルに姿を見せるだなんて、悪い予感しかなかった。
「本当だね、装備でも取りに来たのかな」
「…分からない、とにかく報告しよう」
またタピオカをストローから吹き出し勿体ないことをしてからカサン隊長に報告をしている、そんなミトンの声を聞きながらこれ以上諍いは起こらないようにと願うばかりだった。
✳︎
「間違いないな?」
食事を取っていたカサン隊長が徐に立ち上がり窓際へ寄ってから誰かと会話を始めてすぐ、緊張した声音でそう確認を取っていた。私達の部屋にはカサン隊長とアシュ、それから私が休憩を取っておりリバスターの隊員とミトン、それから面倒役の私の妹が外へ出ていたところだった。
(あぁ…やな感じ…)
セルゲイ総司令が再結成した部隊がホテルを出て一日と経っていない。再結成部隊は下層攻略隊でコンコルディアと共に下へ降りる予定だったはずだ。
すぐに通話を終えたカサン隊長が素早く身支度を整え部屋から出ていこうとしている、出る間際になって私へ指示を出してきた。
「アリン、お前達はここにいろ。ミトンとカリンが戻り次第扉をロックしておけ」
「何かあったのですか?」
「総司令の部隊がホテルに戻ってきたらしい、それも随分と慌てている様子でな。きな臭いにも程があるからお前達は部屋から出るな」
「分かりました」
そしてそのまま部屋を出て行った。一体何をしに戻ってきたのか気になるが、もう面倒事に巻き込まれるつもりはないので部屋で大人しくしているつもりだ。
「何かあったの?」
アマンナが眠り続けているベッドルームからアシュが顔を覗かせ呑気に聞いてきた。
「総司令の部隊が戻ってきたからカサン隊長が様子を見に行ったの、ミトンとカリンが戻ってきたらこの部屋に立て篭るよ」
「おっけー」
こいつ随分と余裕だな...
「あんたは怖くないの?せっかく総司令達が外に出て行ったのにまた戻ってきたのよ?」
「あぁ…うん、まぁね、それは怖いけど」
心ここにあらず。アシュがそんな顔をしている時は大抵...
「あんたまさかゲームしてるの?こんな時に?」
「えっ?!いや、ち、違うよ何言ってんのさ」
怪しいにも程がある。愛想笑いまで浮かべて必死に否定しているアシュを押し除けベッドルームに入ろうとするが、
「いや何でよ!入れてくれてもいいでしょっ!」
「ダメ!アリンが入ってきたらアマンナに障るからダメ!」
「意味が分からないこと言うな!私だってアマンナのことが心配なの!」
「アマンナは大丈夫だから!私が責任持って対戦するから!」
何だそれ!通せんぼしていたアシュを突き飛ばして部屋に入ってみれば格闘ゲームの真っ最中、さらにはアシュの端末から「アシュさん?まだですか?」とこちらも呑気なアマンナが喋っていた。
✳︎
ミトンの報告通り総司令の部隊がホテルに顔を出していた、あれだけ威勢を張って出発したというのに一体何事か。フロアエントランスであたしを母上と慕いだしたミトン達と別れてホテルのメインエントランスへと足を向けている。耳にはめたインカムから通信が入り早速マヤサが報告してくれた。
[部隊の連中は多目的ホールに向かっているようですね、どうしますか?人型機で待機していましょうか?]
「行け、向こうが手を出すまで絶対にトリガーは引くなよ」
[了解]
フロアエントランスを通り過ぎ多目的ホールがある建物へ進路を変えた時に姿を消していたアコックがあたしを待ち伏せしていた。こいつはいつ見ても辛気臭いが嘘や冗談を言わないので仕事はやりやすい相手だった。
「調整官は見つかったか?」
「話しは付けてきた、これで少しはやりやすくなるだろう」
「それはいい、マギールに報告してやれ」
「それより騒ぎがあったみたいだが何事だ?」
歩みを止めないあたしにアコックが付いてくる。
「総司令の部隊がホテルに戻ってきたんだ」
「何?」
「多目的ホールに向かっているらしい、手隙ならあたしに付き合え」
返事は返さずホルスターから自動拳銃を取り出した。
「撃つなよ」
「それは相手の出方次第だな」
「聞けば、お前は子供を撃ったらしいな」
「それが何だ、ここで罪を精算しろとでも言うのか?」
「いいや、その子供には頭を下げたのか?」
「………」
「なら精算以前の話しだな、そのやる気を少しは子供にも向けろ、その方が有意義だ」
「………」
何を思ったのか知らないが握っていた銃をホルスターにしまった。
多目的ホールがある渡り廊下を歩き、扉の前に立ったそばからホールから騒がしい声が漏れてきた。何やら運び出そうとしているらしいが...勢いよく扉を開けて中へと突入する。
「何をやっているんだ!」
あたしの怒鳴り声に身を竦める者もいたが銀色の甲冑を着込んだ馬鹿みたいに大きな体を数人がかりで持ち上げようとしていた。あれは...確かマキナのマテリアルだ。
「今すぐにそいつを下ろせ!政府が管理する物だ!勝手な真似は許さない!」
アコックの鋭い糾弾にも動じない。その内の一人が銃を構えて素早くトリガーを引いた、一瞬の出来事だった。
「アコックっ!!」
発砲音と共に観客席を避けるように移動していたアコックがその場に倒れた。
「動くなっ!!」
アコックを撃った隊員があたしにも銃口を向けてきた。
(くそっ!ついに撃ちやがった!)
下手に動けず奴らが運び出しているところを見ているしかない、数人がかりでホールの裏口へと移動しそのまま姿を消してしまった。
「アコック!無事か!」
居なくなった途端に動き出し、無愛想な同僚の身を案じた。床に落ちた自動拳銃、それから予期していた血溜まりはない。
「……あぁ、何とか……だが耳が……」
しかし左耳から流れる血を見て五体満足は諦めるしかないようだった。だが本人はあっけからんとしている。
「……因果応報とは…このことか…」
「笑う余裕があるならさっさと下がるぞ!」
「いい、俺のことはいいから奴らを追うんだ。マテリアルを持ち出すなんてただ事じゃない」
強い光を宿した目を見て安心はしたが、果たしてあたし一人に何ができるのか。向こうが何をやろうとしているのかまるで読めないので打つ手もない、それに何より今の今まで共にビーストへ向けていた銃口が人間に向けられ発砲までされてしまったのだ、自分でも気付かないうちに深くショックを受けているようだった。
あたしの顔色を読んだのか、アコックがその体たらくで慰めてくれた。
「気にするな、お前が知らないだけで人同士の銃撃戦はよくあることだ」
「………はぁ、腹を括るしかないのか」
「当たり前だ、生存競争に気遣いは無用だ。生きたければ戦うしかない、死にたくなければ勝つしかないんだ」
「…あぁそうだな、あんたの言う通りだよ。その耳の怪我さえなければもっと説得力があったんだがな」
この男が笑うところを初めて見た。
「違いない。運に助けられた奴が言っても仕方ないな」
「誰もそこまで言ってないさ、ほら立てよ。奴らを追うより今はあんたの治療が先だ」
その後、マギールに一報を入れて緊急事態に入ったことを告げアコックの治療のために医務室へと向かった。