第九十一話 それは叶わぬと知りながら追い求め
91.a
空から降る雨のせいだけではない、今見下ろしている中層の大地は湧き出る熱水で白く煙っていた。頭部カメラに付着した水滴がヒーターによって瞬時に蒸発し視界を確保してくれるが、アマンナ様がさらに高度を下げていくためあまり役に立っていなかった。
「アマンナはここにも来たことがあるの?」
[えぇー…どうだったかなぁ…あんまり覚えてないかな…わたしとグガランナはもっぱら温泉街だっから]
「温泉街?」
「エディスンの街の近くにもあるんだよ、グガランナが鼻血を出して汚れたままなんだけどね」
「いや、掃除してから帰りましょうよ…」
頭部カメラのヒーターがフル稼働で水滴を空へと飛ばしていくが、いよいよと煙り真っ白で何も見えなくなっていった。
[うぅん…目が痛い…]
「何で痛覚、人型機にそれいるの?」
[あった方が飛びやすい、何も感じないと風の流れが読めないんだよね、]
まだ何か言いたげにしていたが突然悲鳴を上げていた。
[あぁっ?!ウソでしょ何でこんなところに?!総員退避ぃー!!]
「いやそれ無理だからっ!って?!」
ついで機体が何かにぶつかる音と衝撃、激しく揺れる機内で私とアヤメは揉みくちゃになってしまう。前後左右の感覚が失われ機体が盛大な水飛沫を上げた時ようやく収まった。
[熱い熱い熱い!]
「いったぁ〜…だ、大丈夫?」
「な、何とか……」
[誰だよ!あんな所に人型機を放置したのは!おかげで正面からぶつかってしまったじゃんか!]
人型機?こんな所に?一体誰が...そう疑問に思った時、そのパイロットが私達に全周波チャンネルで声をかけてきた。
[せっかくのお忍びだっていうのに君は前を見て飛ぶこともできないのかい?おかげで僕専用の人型機が熱水泉にどぼんだ、どうしてくれるの?]
[げっ…この声はまさか…]
「あれ、この声は確か…」
私は知らない、二人はどうやら知っているらしいその相手とは、
[やぁやぁ、久しぶりだね諸君。仮想世界で受けた訓練はちっとも役に立っていないみたいだ。良ければ僕がもう一度教官を務めてあげようか?]
[いらないさっさと帰れ、無責任ゼウス]
何が無責任なのかはさておき、グラナトゥム・マキナの一人であるゼウスだった。
◇
「ありゃりゃ…あれはひどい…」
「まぁ…あれでは回収は不可能ですね…」
「いやぁ、なけなしのナノ・ジュエルで作ったのになぁ、アマンナのおかげで全部パァだよ」
[さーせんさーせん、もうこれでいい?後は自力で帰られるよね]
「君ね…これでも割と落ち込んでいるんだけど…」
アマンナ様の機体(というより今は本人)は比較的に浅い熱水泉に浸かっており、ゼウス様の機体は取り分け深い熱水泉の奥に没していた。水深五十メートルはくだるまい、熱せられた泉の底に歪んで見える人型機があった。私達が立っている崖にはアマンナ様の体当たりによって人型機が押された跡が残っていた。
[それを言うならこっちだってどうしてくれるのさ、そんな所に違法駐機していたせいでファンが壊れて飛べなくなっちゃったじゃん]
一切悪びれないアマンナ様にゼウス様が大きな溜息を吐いた。どこか貴族を思わせる優雅な仕草で、金の髪に付いた水滴を払うと私達に視線を寄越した。口は柔和に微笑んでいるが目はまるで研究者のよう、観察しているのがありありと分かった。
「まぁいいよ、ところで君達はどうしてここに?」
「ガニメデさんの付き添いで街を回っていたところなんです、その前に温泉に入っていこうとしたんですけど……」
「それはいい、かくいう僕も温泉を堪能していたところなんだ」
「はぁ…ゼウスさんこそどうしたんですか?さっきはお忍びだって言ってましたけたど」
「まぁまぁ僕の野暮用なんかよりも今は温泉だよ、ほら、君達も入りに行かないのかい?」
そう言いながらアヤメの肩を引き寄せ見晴らしの良い崖からずらりと並んでいる宿の通りへと案内している、アヤメが私に視線を寄越したので仕方なく付いて行こうとするとアマンナ様がその巨大な腕をゼウス様に伸ばした。
[この!馴れ馴れしく触るな!]
「アヤメは君だけの人じゃないだろ、少しぐらいは貸してくれたっていいだろうに」
ゼウス様も腕を伸ばした、一瞬だけ瞳が輝いたように見え次の瞬間にはアマンナ様の腕がぴたりと止まってしまった。急な出来事にも動じず唸りながら腕を伸ばそうとしているがびくともしない、一体何が起こったのか。
[ゼウスぅ…!]
「はいはい、どのみち君は温泉には入れないんだから、観光用の泉に浸かっておくといいよ。さぁ行こうか、お二人とも」
「え、アマンナは大丈夫なんですか?急に動かなくなりましたけど…」
「平気さ、少しおいたが過ぎたから懲らしめただけだよ。ほら君も、初めましてになるね」
アヤメの肩を抱いたままゼウス様が私にも付いて来いと言外に誘ってきた。どうしたものかと一瞬悩みはしたが結局付いて行くことにした。
「はい、私はガニメデと申します。今後お見知りおきを」
「これはご丁寧に。僕はゼウス、末長くよろしく頼むよ」
その挨拶に多少の引っかかりを覚えはしたが二人の後に付いて行った。
✳︎
てっきりゼウスさんも私達の所に来るのではないかと冷や冷やしたが、男女別の脱衣所の前で当たり前のように別れて私とガニメデさんの二人で湯船に浸かっていた。
露天風呂の近くに立っている木から落ちた葉っぱが私のところにやってきた。どこも欠けていない、ギザギザの葉っぱを手に取りくるくると回す、仮想世界で訓練を受けていた時に見た葉っぱはどれも欠けて虫食いにあったものばかりだった。この世界には虫が存在しないため、食べられる葉っぱもまた存在しないのだ。
「ねぇ、ガニメデさん、どうしてこの世界には虫がいないんだろうね」
「その質問は何かの哲学ですか?」
「いや…ただの疑問なんだけど…」
ガニメデさんが持っていた葉っぱに気付き、断りなく私の手から取った。
「………まぁ確かに、こんなに綺麗な落ち葉なんてあまり見かけませんが…虫ならいますよ」
「え?そうなの?」
「はい、私の友でした、今頃どうしているのか心配です……サーバーにアクセスできなくなってしまったので会っていないんですよ」
「仮想世界の話し…それなら私だって見たことぐらいならあるよ」
木材のパーテーションの向こう側で誰かが足を滑らせ、「今日は何て日だ!」と叫び声が上がった。誰かではなくゼウスさんだ。
「………アヤメはゼウス様とお知り合いなのですよね?」
「知り合いって程じゃないけど…何度か話したことがあるくらいかなぁ、それがどうかしたの?」
「いえ、もしかしたら私の事を何か知っているのかと期待したのですが…初めましてと挨拶をされてしまったので…」
憂いた表情のまま手にした落ち葉を湯船に戻した。小さな波紋に押されて落ち葉がゆっくりと移動していく。
「やっぱりまだ知りたい?自分のこと」
「………それは、はい」
「それってさ、誰かに「あなたはこうだ」って言われたいってことなの?」
私の質問に、少し呆気に取られた顔をした。
「ガニメデさんが知りたがっていることが良く分からなくて、忘れた事を思い出したいのか、誰かに役割を与えてもらいたいのか、どっちなのかって思ってさ」
「どちら…何でしょうか…そう聞かれてみると…」
そう呟き黙ってしまった、何だか悪いことを聞いてしまったと思った私は別の事を聞いてみた。
「ベラクルの街で回収した手帳はどうだったの?」
「手帳ですか…あれには難儀しています、閉じられた金具がすっかり傷んでしまってなかなか開かないのですよ。それにページをまとめている糊も乾ききって無理に開くとバラバラになりそうで…」
「まぁ…そりゃ千年以上も前だから…良く残ってたなって話しだよね」
「えぇ、ですが街に住んでいた人の記録はとても貴重な物なのでどれだけ手がかかっても開けるつもりです」
ガニメデさんの言葉を拾ってさらに別の質問をした、少し暗い空気を飛ばすようにふざけた口調で。
「あのシカさんのように?さっきまであんなに泣いてたからよっぽど好きだったんだろうなぁって私思っちゃったよ」
「そ、それは…言わない約束なのでは?」
「そんな約束はありません!」
「うわっ」
お湯をかけて隙を作り、ガニメデさんに抱きついた。その無駄な脂肪を私にも分けろと掴んだはいいがあまりの差に途中で心が折れてしまった。
◇
「全く……アヤメも十分ではありませんか?」
「成長してくれないんだよ」
「言っておきますが私はマテリアルですよ?生まれ持った物ではありません」
「知らないよそんなこと、ちくしょうめ…」
姿見は見ないようにしながら乱暴に体を拭いていると、ガニメデさんがリニアの森で別れた後のことを教えてくれた。
「リニアのピューマ達は皆、人の手によって何かしらマテリアルを傷めておりまして私とゴリラで片っ端から直していったのです」
「えぇ?そんなことやってたの?」
「はい、その時もあのシカは何かと私に反抗的でして、本当に手がかかったのですよ」
髪を手櫛で整えながら乾かしているガニメデさんの顔はとても優しそうに微笑んでいた、きっと本人も気付いていないだろう。鏡に映ったその笑顔は黙っておこうと続きに耳を傾けた。
「森に大量の蜂が押し寄せて皆んなが家の中に避難したのですが、あのシカだけが見当たらないと別のピューマに教えてもらって、私が探しに行くことにしたのです」
「何て危ない」
「それで、あの子が逃げ出した藪の中で崖から転落してしまったのですが運良くすぐに見つけることができたのですよ、ただその時に…」
言われてみれば体のあちこちにあざがあった。
「その時に?」
「……その時に、蜂に襲われそうになったのですが頭の中で声がしたのです、その後すぐに蜂が落下して…」
「………」
「一体何が起こったのか自分でも良く分からなかったのですが、何とか無事に助かって、それからあの子が私に懐いて…って、アヤメ?聞いていますか?」
「………」
「アヤメ?何を……って?!痛い痛い痛い痛いどこを抓ってるの!!」
服も着ないで髪を乾かしていたガニメデさんが悪い。いいやそれよりも、
「何がマキナじゃなくなっただ!誰かと通信してるじゃん!!」
「違うわよ!その時だけよ!今はもう声が聞こえることはないの!!………うぅ痛い……」
「本当にぃ?その時は何て言ってたの?」
もう私に抓られるのが嫌なのか、フライトスーツに手を伸ばしている。
「確か…シークエンスがどうの…介入対象を固定?だったような……」
「………」
「いえちょっと待ってください、そういえばその前にも何度か頭の中で声がしたような…あの時はそれどころではなかったので無視しましたが…」
まだ濡れたままなのでフライトスーツは着にくいだろう、誰が用意してくれたのかまだ使われていないバスタオルをガニメデさんに向かって投げた。
「シークエンス、それから介入対象だって言ったんだよね?間違いない?」
「え、えぇ…確かにそう言いました」
「分かった、この事はアマンナにも報告しよう、何か分かるかもしれない」
「アマンナ様にですか?」
「そう、私らも上層の街で似たようなことをやったことがあるんだよ。アマンナが不明の人型機に向かって介入対象だって発言した」
「それは本当なのですか?」
「うん、本人も自然と口から出たってしか言わないから良く分からないままなんだけどね」
「………」
急な共通点が現れガニメデさんは戸惑っているようだ。その後、身支度を整えた私達をロビーで待っていたゼウスさんと合流し、壊れたアマンナを直すと言い出して報告することをすっかり忘れてしまった。
91.b
[え、凄く嫌なんだけど]
「いいのかいこのままで、君が壊れたままならアヤメ達はどこにも行けず戻ることだってできないんだ」
[それは分かるけどゼウスに借りを作りたくない、直せるんなら自分の人型機を直せばいいじゃんか]
「熱水泉の奥深くに沈んだ人型機をどうやって直せというんだ、無駄な消費をするぐらいなら君を直して街へ帰った方がいいに決まっている」
[まさか僕も乗せてなんて言わないよね?]
「直ったあかつきには僕も乗せておくれ、それでいいね?」
「えぇーやだぁ!」と人型機の外部スピーカーからこれでもかとアマンナが大きな声を出した。
(そんなに嫌なのかな…せっかく直すって言ってくれているのに)
腕を上げた状態で停止したままの人型機の前で腕を組みながらゼウスさんが話しをしていた。私の腕をガニメデさんが引き寄せて小声で聞いてきた。
「アマンナ様は何故あんなに嫌っているのですか…?」
「さぁ…私も詳しくは知らないんだよね…ただ、他のマキナの人達も皆んなゼウスさんを煙たがっているんだよねぇ…」
「まぁ…そんなに嫌われるような方には見えませんが…」
囁き声を聞きつけたのか、温泉に入って少しさっぱりしたゼウスさんが私達に振り向いてきた。
「よし、ここは多数決といこうか。このままここで生涯を終えるか、僕がアマンナを直して空へ旅立つか、どっちがいいかな?」
[四人で多数決ってバカじゃないの?]
「君は黙ってて。二人はどうしたい?」
「え、そりゃあもちろん……なんですけど、アマンナは嫌なんだよね?」
[うっ…そりゃあ直してもらえるならありがたいというか当たり前の話しなんだけどさ、ゼウスの違法駐機が悪いんだし]
「いえですが、こちらにも非がありますし、それに目を瞑って直してくださると仰られているのですからお言葉に甘えるべきでは?」
[クソ正論吐きやがって…乗ったらグルグルの刑にしてやる]
「いや何でですか!あれだけはやめてくださいまし!」
「ま、相談して決めてくれるといいよ。僕はその間に野暮用を済ませてくるからさ、それじゃあね」
「あ、はい…お気をつけて」
気さくに手を振りながら再び宿の通りへ歩いていった。相談と言っても、アマンナが了承しない限り話しが進まないのでは?せっかくだから嫌っている理由を聞いてみることにした。
「ゼウスさんと一体何があったの?」
「そうですよアマンナ様、今は駄々をこねている場合ではありませんよ」
[はぁ〜…ゼウスはねぇ、とにかく自分勝手なんだよ。グガランナが牛型のマテリアルを作ったのも、そもそもゼウスが約束を守らなかったからだし、中層で旅をしている時も何かとちょっかいをかけてきてさ]
そうだったのか、初めて聞く話しだった。
「中層でもゼウスさんと会ってたの?」
[そう、街の入り口が開かなくて立ち往生していた時もゼウスがひょっこり現れてさ、僕が開いてあげるよって言われて百年も待ったんだよ?結局開けてくれないし次に会った時は忘れていたの一言]
「うわぁ…」
百年ってまた...スパンが長いな。
「そ、それは確かにまぁ…」
[簡単に信じない方がいいって、何を考えているのかさっぱりなんだから、もしかしたらこのまま戻ってこないかもしれないし]
「百年棒に振られた人の言うことは違う…」
「そんな冗談を言っている場合ではありませんよ、最悪の場合グガランナ様に救助を求める他にありませんね」
[それがねぇ…連絡が取れないんだよね]
「えぇ?」
[何度か取っているんだけど不通で、まるで通じないんだよ]
「……でしたらなおのことゼウス様にお願いするしかありませんね…」
連絡が取れないって、距離的な問題?マキナの通信能力がどれほどか分からないが繋がらないことなんてあるのか。
アマンナの危惧は外れてあっさりとゼウスさんが私達の所に戻ってきた。野暮用を済ますと言っていたがその火照った顔は明らかに風呂上がりのものだった。
「話しはまとまったかな?」
「はい、アマンナを直してください」
「それでいいのかい?アマンナ」
ゼウスさんがアマンナにも確認を取った。
[いいよ、直してくれる?]
やけにあっさりだな、あんなに嫌そうにしていたのに。
「オーケー、それなら僕の権能をここでお披露目しようか」
芝居がかった仕草で指をぱちんと鳴らすとすぐさま異変が起こった。ゼウスさんを中心として光の粒が周囲に拡散していくのだ、ある粒はアマンナの腕にまとわり付き、ある粒は激しく明滅しながら一つの形を築いていく。
「まぁ…」
ガニメデさんは初めて見るようで小さく口を開けて驚いていた。
(これはイエンさんの時と同じ……素粒子流体?)
凄いな素粒子流体、何でもありだな。展開中にも関わらずゼウスさんが話しかけてきた、これには私もさすがに驚いた。
「君はどうやら初めてではないらしいね、流体を展開しているところを見るのは」
「えぇ?!あ、はい、というか話しても大丈夫なんですか?」
「あぁ、僕はただ放出しているだけだからね、流体制御はガイアにお任せさ。こいつはさすがに初めてじゃない?」
そう言ってポケットから無造作に光り輝く宝石を一つ取り出した。あれはナノ・ジュエル、私も数回しか見たことがない物だった。
「これがナノ・ジュエルの使用法さ、良く見ておくといい」
言うやいなや、手にしていたナノ・ジュエルが周囲に散っていた光の粒を吸収し始めた。まるで吸い寄せられるように、アマンナの腕にまとわり付いていた粒もやがて一つのナノ・ジュエルに収まった。そして、次はナノ・ジュエルがその本体を表すように七色に輝き始めた。
「わぁ…」
「綺麗ですね…」
赤、青、黄、それから緑に紫、最後に水色と変わってオレンジ色に輝いた、変化はまだまだ止まらない。
「ナノ・ジュエルはマキナが指定した物質に変化してくれるのさ、今回はエンジンのファンを形成しなくてはいけないから合金素材かな。もちろんこれだけではない、君達人が口にしていた食べ物にも変化する」
オレンジとブルーの光に包まれた光の粒が、ゆっくりと回転しながらゼウスさんの言った通り、ファンの形へと変わっていく。エンジンに空気を送り込む役目を持つファンは、その大きさも巨大ではあるが難なく形が整っていった。
「素粒子流体はマキナが持つ特権だ、今となっては誰も使わなくなってしまったけどね。マテリアル・コアを用いる唯一の利点と言っていい、現場を直接視察して何が必要か見極める、だからタイタニスはメインシャフトを作ることが出来たのさ」
「それで、はぁ…確かにそんな力があれば…」
「あのファンは実物なのですか?本当に使っても問題ありませんか?」
ガニメデさんの疑念は最もだ、あんな手品のように現れた部品を人型機に組み込んでも大丈夫なのだろうか。一体どんな理屈で目の前の光景が展開されているのか...ファンの形成が終わった後は形作られていたもう一つの光の塊りへと誘導されていく、そこから二本のアームが伸びて人型機の故障箇所へと伸びていった。
「え、あれって設備なの?」
「そうだよ、さっきの答えだけど使っても問題ない、何せあの人型機そのものがナノ・ジュエルから作られた産物だからね。僕のお手製さ」
はぇー...知って良かったのか知らない方が良かったのか...
瞬く間に壊れていたファンが修理されていく、ゼウスさんが言ったように元がナノ・ジュエルで作られているおかげか壊れていたファンが取り出され光の粒に変化していくではないか。
「……まるでおとぎ話しの魔法のようですね」
壊れたファンが光の粒に変換されてナノ・ジュエルへと再び吸い込まれていった。
「はいおしまい、これで直ったはずだよ。アマンナ」
[ちっ]
「舌打ちはやめてくれないかな、これ最後の一個だったんだけど…」
そう言って手のひらのナノ・ジュエルをアマンナに見せるように持ち上げていた。さっきとは違って色もくすんで輝きはすっかりなくなっていた。
程なくして人型機のタービン音が聞こえ、長く浸かり過ぎていた体を冷ますようにして人型機が離陸した、本当に問題はないようだ。
[直った直った、あざっす]
「こらアマンナ、さすがに失礼だよ」
「いいさ、僕がしてきた事に比べたら可愛いものさ。では、早速街へ向かおうか」
そういえばゼウスさんの目的地を聞いていなかった。
「ゼウスさんはどちらに行かれるんですか?先にゼウスさんを送ってから、」
「いやいや、君達と同じ街のはずだよ。名前はモンスーン、彼が支配していた街さ」
「彼って?」
少しだけ間が空いてから返事があった。
「…ラムウさ、ラムウと僕が支配していた街だよ。主に彼が主体者になっていたから変な言い方になってしまったね」
「………」
[その前にいい?コクピットにはパイロット以外一人しか乗れないから、そこんとこ分かってる?]
「あぁいいさ、僕は手のひらでも乗せておくれ、くれぐれも安全運転で頼むよ」
[おまかせあれ〜]
陽気なアマンナの返事にはどこか薄ら寒いものを感じた、きっと二人も同じ気持ちになったのだろう、皆んな揃って目を合わせた。飛び立つ前にゼウスさんがじゃんけんで決めようと言ってきたのは無理らしからぬことであった。
91.c
「リウが、そのような事を言ったのか、生憎だがここはテンペスト・シリンダーではないぞ。人紛いが趣味で作ったような所だ」
ペレグさんの言葉に安心した、前に訪れた下層ではこんな所はなかったからだ。
僕達は今、エスカレーターの上に立っている。何の変哲もないエスカレーターだ、街でよく見かけるあれ、黒いステップに黄色の注意線があり皆んなきちんと内側に立っていた。しかし、一つだけの確かな異常があった。
「テッド、下を見てみろ」
「嫌です怖いです」
その異常とはエスカレーターが上がる空間だった。とんでもなく広い、広すぎる。上を見てもあるはずの天井はなく、横を見てみれば霞むその先に別のエスカレーターが同じように伸びていた。そして前を見てもどこに到着するのかまるで分からない、何より怖いのが下だった。
(あれは一体何?)
カーボン・リベラの主要区が丸ごと入るのではないかと、それぐらいに広大なただの蓋があるのだ。それも一つではなく(見える限りだけど)複数あるみたい、開閉用スリットの両端には間近で見てみるならばきっと馬鹿みたいに大きな誘導灯も付けられていた。開くということは中があるということ、人が入るのか物が入るのかは知らないけど、予測できない物体をいくら想像してみても神経がちりちりとするだけだった。
「あまり覗き込むでないぞ、落ちたらどうなるか」
「はい…」
「まるで聞いていませんね…」
「ロムナ、テッドを見張っていろ」
「……そんな大役を私に任せても?」
「あぁ、私はいつでもこいつの横顔を見られるからな、好きにしろ」
「うるるるっ」と聞いたこともない唸り声が耳に入ってはくるがすぐに抜けてしまう。
(あの蓋の中には一体何が…)
それによく見てみれば超巨大な蓋の周りに道があった、あれはきっと道路だ。やっぱりそうだ車も何台か停まっているのが見えた時にちょうどエスカレーターに隠れて見えなくなってしまった。
(誰かが作業していたのかな……いや……)
思わず身を乗り出してしまい、次の瞬間にはペレグさんに首根っこを掴まれていた。
「あっ………ぶなかったぁ…あ、ありがとうございます、ペレグさん…」
「だから気を付けろと言うただろうに、まったく」
「テッドは下を見るのが怖かったのではないですかそんな勇気があるなら私の裸を見ることも可能ではなっ」
「うるさい」
「いや、確かにこんな高い所から見下ろすのは怖いんですけど、何だか目が離せなくなってしまって…」
ペレグさんが独特な笑い方をしてから、
「未知を目の前にして、人が取る行動は二つしかない。興味を持って近付くか、あるいは恐怖を持って遠ざけるか、他にないさね」
「はぁ…」
変わらずエスカレーターは動き続けて僕達を上へと運んでいる。
「はて…前にペレグは恐怖こそが探究心の源だと言っていたような…今の話しでは恐怖心を持った人は興味を持つことはないと言っているように聞こえますよ」
「ほぅほぅ」
ロムナさんの鋭い指摘にペレグさんがまた独特な笑いで誤魔化した。けれど意外なことにナツメさんがペレグさんの援護に回った。
「そうか?私は言い得て妙だと思ったがな。怖いから遠ざける奴もいれば怖いからこそ見たくなる奴もいるだろ」
「はぁ…」
今のはロムナさんだ、気の抜けた返事はそこまで興味がないのだろう。
「ペレグさん、結局あれは何なんですか?」
今度はきちんと注意線の内側に立って眼下に広がっている光景を指さした。
「分からぬ、あの人紛いが作ったものさね、真実と虚偽が必ず混じっている、考えるだけ答えは出ないさ」
「あぁ…ペレグさん達のボスはそういう奴なのか…」
「そうさね、とにかく両極端を好むのだ、付き合うだけ疲れるぞ」
そうこうしながら高い、高いエスカレーターに慣れた僕達は、慣れぬ高さという恐怖にも慣れて束の間お喋りに忙しく花を咲かせた。しかし、エスカレーターが付く気配が全くなかった。
◇
「うぅむ…」
「おいペレグさんよ、どうしてくれるんだ?全っ然付かないじゃないかっ!」
「うぅむ…まいった…リニアの森からこうもまいるとは…」
「…………」
「テッド、疲れているなら横になりますか?」
「いや、ここエスカレーターなんで…大丈夫です…」
体感時間でいえば...一時間ぐらい?もしかしたら二時間は経っているのかもしれないがここは仮想世界、体内時計なんてものは最早何の役にも立たない世界だ。
これだけの高さがあるなら風が吹いていいような気もするけど、無風で耳に届くのはエスカレーターの駆動音だけだった。さすがに立っているのも馬鹿らしいと思ってしまいその場で座り込んだ。
「テッド、私があなたの椅子になりましょう」
「大丈夫です」
「私が椅子になってやろうか?」
「いい加減にしてください」
悪ノリしてきたナツメさんを一喝した後は静かなものだった。黒いステップに腰を下ろしているので必然的に僕達が入ってきた入り口側が見える...はずなんだけど何時間も経っているせいか、エスカレーターが長く伸びて暗闇に消えていくだけで何も見えない。
(真実と虚偽…見えている景色には本物と偽物が混じっているということ……)
ペレグさんが言っていたヒトマガイさんの人となりについて考えてみる。両極端を好むとは一体何なのか、例えば食べ物で言えば甘い物と辛い物は両極端...に入るのか?入るとしよう。趣味で言えばインドアとアウトドア、家の中で過ごすのも外に出て遊ぶのも好きだということだ。こういう人はあまりいない、僕はインドアだしナツメさんはどちらかと言えばアウトドアだ。
(つまり「普通」は好まない……?)
僕の後ろからナツメさんが近付いてきた、ロムナさんが通さまいと何やら格闘しているようだが「今すぐに突き落とすぞ!」と脅しをかけられて道を譲っていた。僕の横も通り過ぎ目線が合うまで何段か下がった、少し眉尻を下げたナツメさんがしおらしく声をかけてきた。
「あぁ…さっきのは冗談だ、まぁ、あまり気にするな」
「はぁ」
「……怒っていないのか?」
「………」
あれ珍しいな、悪ノリは今に始まったことではないのに謝ってくれるなんて。これは調子に乗れるなと滅多に言わないことがすらすらと口からついて出ていた。
「いえ、怒っています。代わりに頭を撫でてくれたらすぐに機嫌が直ります」
「ふふっ、何だそれは」
お安い御用だと伸ばしてくれたその手をロムナさんが受け止めてまた格闘が始まってしまった。
(この二人は両極端?つまり普通ではない、まぁロムナさんともかくナツメさんもそうそういるような人ではないし…)
真実と虚偽、それから普通ではない。見えている景色に偽物を混ぜて真実を覆い隠す、これは普通なことだ。ミステリー小説などでも真実というものは虚偽に埋もれて見えにくく、また分かりにくくなっていることが多々ある。それを読み解く言わんや推理していく楽しさがミステリー小説なのだが、ヒトマガイさんはこれを「好まない」はずだ。
「どうかしたのですか天使様」
ついに名前まで変わっている、僕が腰を上げて下を覗き込むとロムナさんが喧嘩を止めて素早く声をかけてきた。
「いや、景色が変わらないなと思いまして」
「おいペレグさんよ、これはどういう事なんだ?」
ナツメさんはやたらとペレグさんに当たりがキツい。
「見れば分かるだろ、あれは映像か何かだ」
「あの大きな蓋が虚偽ということなんですか?」
ペレグさんが何度か瞬きをしてから、
「ふぅむ…そうなるな、どこまでが虚偽かは分からぬがな、もしかしたらこのエスカレーターが虚偽やもしれぬ」
「謎解きみたいになってきましたね…」
「お前そんな事を考えていたのか…この女が虚偽だという可能性は?」
また悪ノリが始まった。
「それを言うならナツメさんのその小さなお胸ではございませんか?きっと向こうでは肩こりに悩まされる程のものをお持ちなんでしょうね……」
「何だとこのくそアマ…」
今度は口喧嘩を始めてしまった二人をよそにしてペレグさんと話しを続けた、もしかしたら僕達はゲームをさせられているのかもしれないと伝える。
「ふぅむふぅむ…いかにもあの人紛いが好みそうなことではあるな…」
「確かめる方法はありませんか?本物と偽物を区別できれば何か分かるかもしれませんよ」
「そうさな…ところでテッドよ、お前さんは、この手の知恵試しが好みなのか?」
「え?…まぁそうですね、ミステリー小説を嗜むのである程度は…」
「そうか…人紛いは好まない、奴は体を動かす方が好みだったようだがな」
「ううん?だったらここは謎解きしても変わらない……?」
「ふぅむ…考えても分からぬ。だが、本物と偽物を区別するのは、良いかもしれぬ。ロムナよ」
「はい」
ペレグさんに呼ばれたロムナさんが口喧嘩を止めて振り返った。
「一部権能を行使しておくれ」
「はい、ただいま」
前髪の奥に隠れた瞳が一際輝いた、次の瞬間には僕達がいる空間にスリットが縦横無尽に入りまるでスキャン画像に変化した。
「ロムナは記録を担当しておる、この空間がどのように作られたのか、分かるはずだ」
「もう何が何やら…」
ナツメさんは困惑しているようだ。
続いて僕達が乗っているエスカレーターにもスリットが入り、完成前の3Dデータに変化してしまった。遠くに見えていたエスカレーターも同様に変化している。
「これは本物ということなんでしょうか…」
「いいや、あれを見よ」
ペレグさんが指をさした方を見やれば、スリットが入らずそのままになっているあの超巨大な蓋があった。
「ロムナよ、やめい」
「はい」
返事と共に空間が元通りになっていく。
「お、お疲れ様でした」
「いえ、何てことはありません」
「さて、どうやら眼下に見えている物が、本物らしいな」
「……ロムナの権能が及ばなかったからか?」
「うむ、あれだけ解体できなんだ、人紛いが厳重に作ったせいだろうて……しもうたな、リウも連れてくるべきだった」
「いえ…それよりもあそこへどうやって行くかですよ…キメラ型ピューマをこちらにも作ることは可能ですか?」
「無理だな、あれは一点物、人紛いしか作れぬ」
き、きめら型ピューマ?どんな姿をしているんだろうか。
「あの…僕から一ついいですか?」
「うむ、何かね」
「ヒトマガイさんの人柄を考えてみたのですが、普通は好まない方なのではないかと。なので、エスカレーターに乗っていても塔の最上層には辿り付けないのでは?」
「お前まさか…」
「ここから飛び降りろと?」
「はい、あの蓋が塔の入り口なのではないかと思うのですが…」
「うぅむ、一理ある、しかし試す方法がない」
誰かが飛び降りるしかない?けれど僕の言い分が正しいかもまだ分からない。エスカレーターから身を乗り出して真下を見てみると、ベッドが置かれていた。え?何あの大きさ...超巨大な蓋と比べてみても三分の一くらいあるんじゃないだろうか...
「ロムナさん、さっきのもう一度やっていただけませんか?」
「それは報酬次第です」
「い、一度だけなら…ハグを…」
「この世の全てを解体してご覧にいれましょうっ!!!」
いやそこまでしなくていいから。
再びスリットの空間に変化したが、あの馬鹿みたいに大きなベッドは変わらなかった。それに気付いたペレグさんとナツメさん。
「………」
「………」
「………」
ペレグさんが手振りで止めるように指示を出した後、エスカレーターがガコンと大きく揺れたので心底驚いてしまった、それとお尻から力が抜けていく感覚、こんな高さで揺れたら怖い。
「え……」
ロムナさんのか細い声に皆んなが振り返った。
「エスカレーターが下から崩れていきますが…やり過ぎました?」
「?!!」
...本当だ!崩れていっている!一段一段丁寧に落ちていっているではないか!
「ど、どどどうするんだペレグさんよぉ!」
「うぅむうぅむ、変化のない空間に変化が起こった、当たりなのか外れなのか」
「あそこに飛び込むしかないのでは?」
「こんな高い所から飛び降りるのか?!」
「あんな所にベッドがあるんですよ?!飛び降りろってことではないんでしょうか?!」
問答をしている間にも一段ずつ落ちていく、目に見えて崩壊が近づいてきた。
「あぁあぁ!何だってこんなことに!今の今ままで何ともなかったのに!」
「…それはおそらく私が権能の一部を行使したからでしょう、それが引き金となって、」
「良くそんな平気でいられるな!」
ど、どどどうしよう!確かに僕が言い出したことだけどさすがにこの高さはおいそれとは飛べない!けれどもう目前にまで迫ってきている!
「ふむ、このまま崩落を待ってベッドに落ちるか、自ら飛び降りるか」
一段ずつ綺麗に落ちていくステップを見ながら決心がついた。確かにここは仮想世界、現実ではない。崩落に巻き込まれたとしても命に別状はないはずだ、けれど今この状況はそう簡単に楽観させてはくれなかった。
「な、ナツメさん!」
「?!」
僕からナツメさんの手を引いてエスカレーターから身を乗り出した、後から続いてペレグさんもロムナさんを引き連れていくのが見えたが、あれだけ無風だった空間に下から猛烈な風が吹き上げてきたのて最後まで見ることができなかった。
「な、ナツメさん?!」
「………っ!」
僕にひしと抱きつきまるで離れない、それに猛烈な風も僕達が落下しているから吹いているように感じられるだけだ。
全身の力が抜けてしまったようにどんどんと落ちていく、足の爪先にだけ力が入ったように感じられるのは重力に引かれているからか。
(何というか、退屈だな、この時間)
飛び降りる前はあんなに怖かったのに、いざ飛び降りてみればそうでもない、早くベッドに着かないかと時間を持て余している自分がいた。周りに視線をやれば、今から落ちていく蓋のようにいくつか並んでいるのが見えた。その間には何もなく真っ暗闇の空間だけが広がっていた、今から落ちる場所が虚偽でないのならやはりここもテンペスト・シリンダーの一部なのだろうか。
「な、ナツメさん!お、落ち着いてください、ゆっくりになってきましたよ!」
爪先にかかっていた力が弱まり落ちるスピードも緩やかになっていた、どうやら僕の推理が当たったらしい。それなのにナツメさんは未だがっしりとしがみついている。そしてついに、ベッドに足がすとんと降り立った。
「どうせ…私は二番目の女…」
「ほぅほぅ、これは愉快、このような仕掛けを作っておったとは、文句を言わねば気が済まんな」
後から二人も降り立ち、四人揃った時に超巨大な蓋が世界の終わりを示すような大きな音を立てながら開き始め、中からドラゴンが現れた。
91.d
眼前に広がる光景を見ていると、一体私は何をしに来たのかと忘れてしまいそうになっていた。
「ど!どどとドラゴン?!今度はドラゴンですか?!」
泡を食ったテッドが私の腕を取ってしがみついてきた、今さっきまで私がテッドの体(意外と固かった...)に抱き付いていたのだが、これでおあいこというものだ。
(情けないにも程がある…あんな子供みたいに…)
いやでも本当に高い所は未だに駄目なんだよ、とくに自分の意思とは関係なく動いていくのは我慢にならない。人型機のように自分で操作できるのなら耐えられるのだが...
そうこうしているとドラゴンがさらに身を乗り出してきた。圧倒的なまでの威圧感、その蓋が巨大であればそこから上半身を乗り出しているドラゴンもまた巨大、あのドラゴンはテッドが突入前に見たと報告してきたものと一致していた。
「で、ペレグさん、あいつはどうすんだ?」
「ふむ、わての権能を行使しようかの、まぁ見ておれ」
にしても、マキナという連中はドラゴンが好きだな、何かと出てくる。
「しっかりしろよ、今のところ良い所一つもなしだぞ」
「な、ナツメさん!そんな言い方っ」
どうしてそんなに余裕があるんですかと聞いてくるテッドに答えるより早くペレグさんが権能とやらを行使してみせた。
「竜なる骨、肉、神経、皮膚、顎、牙、」
「ほぇ……」
「もう一体作るつもりか」
何でもありだな仮想世界。
ペレグさんが発言していく度に言葉が真実となって空間に現れ始めたではないか、やけくそドラゴンに似た骨格が現れ肉が乗り、神経が通され皮膚で覆われる。
「ペレグの権能は言語でございます、仮想世界において彼の口から出た言葉はほんの瞬きのうちに真へと早変わりします」
「なら、この場で古代端末と口にしたらいいんじゃないのか?」
翼、そう発言した途端にほぼ完成しつつあったドラゴンの頭に翼が生えた。
「………全くもってその通りですね、彼は何故それを行わないのでしょう」
まさかの同調。どうやらペレグさんは動揺して間違えてしまったらしい、厳かな口調で「やり直し」と発言したのはさすがにおかしかった。
「静かにせい!理を解かねば権能として扱えぬ!」
再び始まったドラゴン建設はすぐに終わり、私達に背中を向けた立派で頼もしい味方が完成した。そちらに矛先を変えた敵側のドラゴンが大きく口を開けて火だるまが形成されていく。
「おい!大丈夫なんだろうな!」
あの火だるまは私が一度死にかけた攻撃だ、皮膚が焼けていく感覚は今でも残っていた。
「案ずるな、あのドラゴンはわてが作りし、」
勝ち誇った笑みは業火によって瞬時に落胆へと変わり、頼もしいはずの味方は一瞬のうちに消し炭へと変化していた。
「駄目じゃないか!何の役にも立っていない!」
「そんな馬鹿な…互いに虚偽であるはずなのに…まさか、あれは真実だとでも言いたいのか?」
「あんな化け物がいてたまるか!」
私の隣では(腕を掴んだまま)テッドがうんうんと唸って頭を捻っている、ダメダメペレグさんに変わってロムナが先程のスキャナーを使用してみたが何の変化もなかった。
「記録がない?やはりあのドラゴンは本物ということですか…仮想世界で作った痕跡がないということは…」
「本物がきちんと存在しているということですか?それなら僕達もスキャンしてみてください」
「いや、そんな悠長なことをやっている暇は…」
向こうではドラゴンがもう一度口を開けて構えているのだ、私達もあと数瞬の後に消し炭になってしまう。
「私があなたの言うことを聞くと思いますか?さぁ!テッドの毛穴一つまで詳かにしてみせましょう!私の家宝とさせていただきます!」
気持ち悪いことを言いながらスキャンしてみたが結果はドラゴンと同じ、テッドの読みは当たっていたらしい。
「やっぱり!僕達の体も現実にあるからスキャンできないんです!だったらあのドラゴンにも現実に体が……」
「「マテリアル!!」」
私も途中で気が付いた、確かにドラゴンのマテリアルがあるにはあるんだ。ティアマトのオリジナル・マテリアル、通称やけくそドラゴン!
「ふむ、連絡は取れるのか?」
ペレグさんの質問には答えず、インカムからすぐさま連絡を取った。
[ナツメ?一体そっちはどうなって、]
「ティアマト!今すぐにやけくそドラゴンのマテリアルを止めろ!」
[はぁ?何をいきなり、今はまだメンテ中、]
「いいから止めてくれ!」
繋がるや否や、唾を飛ばす勢いで止めろと言い、まだ何か言いたげにしていたがすぐにメンテナンスを止めてくれたようだった。
「間一髪、とはこのことよ」
ペレグさんの言った通り火だるまを放つ寸前、すぼめていた口を開き切った不自然な態勢でその動きを止めた。
「はぁ〜…」
「お、お疲れ様でした、皆さん」
「休むのはまだ早いかと…」
ナツメ?ナツメぇー!とティアマトに呼ばれている声を聞き流しながら、動きを止めたドラゴンが蓋の中へと引きずり込まれていくのをただ眺めていた。これで何事もなければと思うがそう問屋はおりそうにはない。
「ふむ、ここまでテッドの読み通りか、いやはや、人の知恵も侮れぬな」
「えへ、そ、そうですか?」
何を呑気な...ロムナもそう思ったのか眉を寄せて被りを振っていた。
ドラゴンが消えた後は超(大型の)蓋のサイズにぴったりと合うエレベーターが昇ってきた。あれに乗らないといけないのかと思うと、重い溜息を吐かざるを得なかった。
✳︎
「二人の様子は?」
「安定しているわ、たまに脈拍が乱れることがあるけれど」
「あの子機の正体は掴めたのか?」
「私に聞いてばかりいないで自分で調べなさい」
ここはティアマト・マテリアルの小ぢんまりとしたブリッジルーム、グガランナ・マテリアルと比べたら役半分程だろうか、ケーブルやマテリアルの躯体が剥き出しになっている何とも殺風景なブリッジだ。そこでタイタニスと仮想世界内で起こっている出来事について話し合っていたところだった。
(今にして思えば…やはりこの組み合わせは運命的なのね…)
彼は覚えてはいないだろうが、過去のエディスンでも互いに街を管理していたのだ。グガランナが得体の知れないサーバーから仮想世界へ飛び立ち、街を見て回ってきたと聞いた時には気が気ではなかった。運良く露呈は免れたようだが、本当にあの子が何も気付いていないとは言い切れない、勘と根性だけは一人前なのだ。
「随分と棘があるな、我はバラに手をかけた覚えはないぞ」
「そんな言い回しをしても駄目よ、自分で調べなさいな」
何だその笑みは、本気であしらっていることに気付いてほしい。
「ナツメとテッドの二人は子機のナビウス・ネットにアクセスしているのよね、あなたは聞いたことがあるかしら?子機なのにナビウス・ネットを持っていることに」
「いいや、聞いたことはない。だが奴の考えそうな事だ」
「タイタニス、あなたは始めから知っていたの?」
「あぁ、奴が姿を消したことは知っていた。我が下層のメイン・サーバーにアクセスする時に声をかけてきたからな」
この男...いえ、マキナだったわね。
「何故教えてくれなかったのよ、本来ではあり得ない仮想世界にナツメやテッドが向かっているのよ?事前に調べることが出来たでしょうに」
私が貸してあげた椅子の上で足を組み直してから然もありなんと答える。
「それは無理だ、奴は情報やセキュリティを扱うマキナであるが故に厳重にロックされている。本人が認めた方法でなければ開示はできない」
「その方法とやらが仮想世界の中にあると?ナツメの話しでは塔の最上層にある古代端末から操作できるみたいだけど」
「そうか、そこまで分かっているのなら封鎖はできたも同然だ。我らはナツメ達のサポートをしよう」
............
「何だ?」
「…いいえ、何でもないわ。ゲート操作は可能だけど本人の情報はないのね」
私から気を逸らせるために出した話題だが、思っていた以上に食い付いた。
「情報?奴に興味でもあるのか?それは意外であるな」
いや食い付き過ぎだ。
「そうかしら?私は何かと縁がなかったから会話すらしたことが無かったのよ」
「ならばそれで良いではないか、無理に知る必要はない。会話を求めているのなら我が相手になろう」
「結構よ」
何なんだ...その自己アピールは何なんだ...にべもない断り方をされて落ち込むその様は何なのだ...
そろそろ帰ってくれないかと眉をひそめた時、思ってもみないことを言われて言葉が返せなかった。
「しかし、あのティアマトがここまで変わるとはな。やはり人の子は変化を与える力が随分と強いようだ」
「………」
「我とてそうだ。始めから住居を追加建造などするつもりはなかったのだ」
「それは意外ね」
私の言葉に他意はない、素直にそう思った。
「作ったところでどうするという疑念があった、誰が管理するのかと責任問題もあった。それに何より資源が足りない、しかしだ」
そこで言葉を区切り、
「諦めてくれなかったのだ、いくら断ろうが懲りずに何度も何度も頭を下げられたのだ」
「そこで観念して作ることにしたのね」
「あぁそうだ、そして建設が進めば進む程に感謝された。必死の形相で下げていた頭を今度は感謝の言葉を述べながら下げるのだ、ディアボロスに止めるように言われていたが、止めるに止められなかった」
話しの区切りにブザーが鳴った、音の出どころはナツメのバイタルサイン、また何か興奮状態にあるらしい。それを一瞥した後再びタイタニスに視線を向けると真っ直ぐに私を見つめていた。
「お前はどうだティアマト、過去とは違い人と関わろうとしているのが手に取るように分かる。昔のお前はそんな奴ではなかった」
知ったような口を、
「知ったような口を利かないでほしいわね、あなたに何が分かるというの?」
「分かる、我も人と関わることに恐怖していたからだ」
「………」
「違うか?」
「違うわね、私は怖かったわけではない、ただの見栄よ。頼られたいがために演じていたに過ぎないわ」
なけなしの意地だった。タイタニスの言う通りなのだが、それを認めてしまうのは何故だか嫌だった。
「……そうか、ならばよい。口が過ぎたようだ」
「そうね」
彼も変わったようだ。過去のタイタニスも基本的な人となりは変わらないがその方向性が他者へと向けられている。私もそうだ、過去の人間達は寄ってたかってマキナに傅き何かと利用しようと働きかけてくるのが分かっていた。だから私は人と会おうとはしなかったし、会うにしても優位性を保とうとしていた。そのおかげで失敗もしたが、今となっては笑い話しにしかならない。
(そうね、確かにあなたの言う通り)
マキナに変革を起こす力はない。その力を持っているのは人の子たるナツメやアヤメ達だ。彼女達のおかげて私も変わることができた、少なくとも今、得体の知れない仮想世界に飛び込みバイタルサインがエラーを起こす度に冷や冷やする程度には。