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第九十話 ラスト・パレード

90.a



 ゴリラさんの家で目を覚ました、斜めになった窓から見える空には雲も太陽もなく、あるのは二階層を支えている基板だった。

 部屋の中にはガニメデさんが未だ眠りこけており、その横にはぴったりと寄り添うようにシカ型のピューマがいた。私が見ていることに気付いたピューマがゆっくりと頭を上げて視線をぶつけ、ふんと鼻を鳴らしてからもう一度寝そべった。


(今、何時だろう…)


 昨日はくたくただった。ガニメデさんが目覚めるのを待っていたせいもありろくに寝ておらず、この階層に来てからてんてこまいの連続だった。卵が割れて大量の蜂が押し寄せてくるわ、リウさんが華麗に避けると言って私とウルフドッグさんを湖に落とすわ、馬鹿みたいに大きな蜂がいきなり湖に落ちてきてせっかく上がったのにもう一度湖に落ちてしまうわで散々な思いをした。着ているフライトスーツは撥水性も高いのですぐに乾いたが、体はまだまだ冷え切っており肩の辺りの寒気が続いている。何か口にしようと、思っていたより柔らかいベッドから体を起こして部屋の出口へと向かうと、足を引きずるようにしてウルフドッグさんが現れた。口には人型機備え付けのポーチが咥えられておりわざわざ持ってきてくれたらしい。


「ありがとう」


「…………」


 お礼の言葉にシカ型のピューマが再び頭を上げて何事かと観察している、すぐに興味を無くしたようでまたまた寝そべった。どうやらあのピューマはガニメデさんのことが好きらしい、私達がいない間に何があったのか。

 口に咥えたままのポーチを私が受け取り中から味気ない保存食を取り出した。大自然を前にして口にするのはやはり味気ないスティックを無心で咀嚼していると、ウルフドッグさんがじっとこちらを見ていた。


「食べる?」


 かじった箇所をそのまま差し出すと、鼻を近付けて臭いを嗅いでいる。何度か口を開けはしたが結局食べずに顔を離した。


「食べれないよねぇ」


 分かっていたことだけど、あのまま口にしていたらお腹を壊すのかなとウルフドッグさんの体を撫でながら考えた。

 半壊した民家の中で動けなくなっていたウルフドッグさんは二度湖に落ちた時に目を覚まし、私のジャケットを咥えて岸まで連れて行ってくれたのだ。もう大丈夫なのかと思ったけど、今のように後ろの片足を引きずっておりそれは今も変わらない。


「足は大丈夫なの?」


 今度は足をさすってみる、マテリアルに詳しいわけではないので触っただけでは分からないが、何ともないようにも思える。ウルフドッグさんが何だかギクシャクしながら頭を近付けてきたので撫でてあげた。

 階下から足音が聞こえた、その足取りは重たくしっかりとしているものだ。程なくしてゴリラさんが部屋に顔を覗かせてガニメデさんと私を見た後に、こらちにこいと指で示した。


「あ、はい、今行きます」


 ウルフドッグさんが足を引きずりながら付いて来たので、一階に降りるのに少し時間がかかった。



「あの娘、まだ寝ておるか」


「はい、シカさんも一緒なようで」


 ゴリラさんが少し目を丸くしたのが気になった。

リビングにはゴリラさんと他のピューマ達、それから四本の足を綺麗に畳んでキメラさんが座っていた。


「体の具合は?」


「少し寒気がしますが問題ありません」


「ふむ、同行できないのは大変残念だが、リニアを出てすぐに温かい水があるから、浸かっていくといい」


 残念とはどういう意味なのか。


「それは温泉ですね、浸かっていきます」


「うむ、さて、わても多忙の身で、手短に話すが、あの蜂の正体について、ある程度話しておこう」


「ノヴァグではないということですか?」


「そうさね、あれはノヴァグを超えるスーパーノヴァ、そう呼んだ方がいい、有機体と無機体の融合であり、何より本体がない」


「?」


「本体がない」


「いえ、あの…聞こえているんですけど意味が分からなくて…」


「外に出て確かめてみるといい、あれだけの死骸が、すっからかんだ」


「え?すっからかんって…死骸が無いんですか?」


「あぁあぁ、あれは素粒子間任意結合流体のなせる技、そうとしか説明がつかん」


 それは確か、イエンさんも使っているものだったはず。つまりは、


「マキナの誰かが展開したってことですか?」


「街の方へ、二人組みが行ったのだろう?」


 私の質問に質問で返してきた。


「はい…」


「知り合いかね」


「はい」


「……………」


 そこで固く口を閉ざした。重い眉も微動だにしていない。


「難儀な娘よ、旅に出るといい、ここにいても答えは出ない」


「は、はぁ…」


「ここで答えが出なければさらに外へ出ることだ、ではな」


 昨夜のようにいきなり倒れることはなく、ゆっくりと地面に体を預けた。そしてここを出るまでの間、二度と起き上がることはなかった。



「もう!何なのですか食べられないでしょう!」


「構ってほしいんだよ、きっと」


「だから!これを食べたら相手にしてあげると言っているではありませんか!」


「Ktptwmっ」


 シカさんが不満げに呟き素早く体をぶつけていった、それを読んでいたのか身軽にガニメデさんが躱し高笑いしている。


「はっ!そう何度も食らうと思ったらおおっ?!!」


 喋っている途中にもう一度シカさんが頭突きをして昏倒させ、地面に倒れたガニメデさんの体に乗っかり蹲った。


「おも、重い!ど、どきなさい!」


「はっはぁ〜…やっぱりその子はガニメデさんのことが好きなんだね」


「何でこんな痛い思いをっ……ほら!」


 ようやくどかしたシカさんを手でしっしと追い払い、ぐちゃぐちゃになってしまった保存食を一気に口の中に入れていた。急いで食事を済ませているあたり、ガニメデさんもまんざらではないのだろう。一生懸命噛みながら、それでも立ち上がりシカさんと一緒に外へと出かけていった。私の隣にもずぅっとウルフドッグさんが付いてくれている。


「どうして足をそのままにしたの?ガニメデさんが治してくれるって言ってくれたのに」


 ウルフドッグさんの容体を見て、ガニメデさんがすぐに治せると断言してくれた。しかし自分の足を見せようとはせず逃げ回り、結局そのままにしている。私の手を鼻先で突き始めた、撫でてほしいのだろう。


「昨日はありがとう、あんな仕掛けがあったなんて思わなかったよ。皆んなは大丈夫なの?」


 お城の中にいたピューマ達は無事なのかと聞くと、私を見つめていた瞳を下げてしまった。


「そっか……本当にありがとう、私達のために」


 その視線の意味を汲んでもう一度お礼を言うとぱちぱちと瞬きを始めた、少し首も傾げていたが、私の手のひらに頭を預けてそのままもう一度視線を下げていった。

 もうそろそろ行く時間だ、今日中に次の目的地であるモンスーンという街まで到着しなけらばならない。その前に温泉にも入りたいのでこの街にはそう長くは居られない。


「もう行かないと、それじゃあね」


 別れの言葉を告げてゆっくりと立ち上がった。

私とガニメデさんが寝泊りしていた部屋を後にして少し歩きにくい廊下を渡ると、蹲ったままのキメラさんだけが残ったリビングに出た。失礼かなとは思ったけど、キメラさんの頭も撫でてお礼を伝えた。後ろから覚束ない足取りがまた聞こえて振り返るのが躊躇われてしまった。


(あぁ…凄く出にくいな…)


 最初はつんとしたイメージだったけど、今は私にべったり、すぐに甘えてくるし足元から離れようとはしない。観念して振り向こうとすると家の扉が開いてゴリラさんが入ってきた。


「あ、もうそろそろ私達…」


 最後まで言わなくても分かってくれていたようで、頷きを返してくれた。そして私の後ろに視線を寄越して鋭く睨むとウルフドッグさんが慌てて家の外へと出ていった。


「え?どうかしたんですか?」


 手を振っただけでよく分からない、それにどうしてウルフドッグさんも出ていったのか...

 外に出やれば、確かにキメラさんが言った通りハチの死骸は綺麗さっぱり無くなっており、散乱していた家具が元の配置に戻されていた。広場の周りを楽しそうにシカさんと追いかけっこをしているガニメデさんに心を鬼にして声をかけた。


「ガニメデさぁん!そろそろ行くよぉ!」



[ちょっと遅すぎやしませんかねぇ、どれだけ待たせたら気が済むんですかねぇ]


 コクピットに乗り込むなりアマンナが小言を放ってきた。あのドローンは大破してしまい影も形も無くなってしまったのでずっと人型機で待機していたのだ。


「ごめん、ごめん、何だか出るに出られなくてさ」


「そうです、アヤメがあの狼犬から離れようとしなかったので私も心配しておりました」


「どの口が…あんなに楽しそうにしていたくせに」


「あれは向こうが私を離さなかったのです!私は悪くありません!」


[はいはい、とっと行くよー]


 アマンナパイロットで操縦はおまかせ、エンジンに出力が周り排気ノズルから盛大な音が鳴り始めた。


「アマンナ様!足元に気を付けてくださいまし!あの子が見ているのですよ!」


 下を見やればゴリラさんに押さえ付けられているシカさんと、その隣にはウルフドッグさん、さらに沢山のピューマが人型機を見上げていた。本音を言えばもう少しここにいたかった、せっかく仲良くなれたのに離れてしまうのはとても寂しく感じた。隣で私と同じように下を見やっているガニメデさんの表情が今にも泣きそうになっていた。独り言か、それともお願いか、ガニメデさんが小さく呟く。


「あの子を一緒に連れて行くわけには…」


「………」


[何言ってんのさ、また会いにくればいいでしょ。それにこれ以上は入らないよ]


 アマンナの淡白な返事に少しだけ怒った顔付きになった。それを見越したかのように、


[旅ってこういうもんでしょうが、もっと色んな物を見てまたあの子に伝えに行けばいいよ、それも立派な目的のうちの一つ]


「そう…ですわね…行きましょうか…」


 それを合図にしてゆっくりと高度を上げていく、ゴリラさんが手を振った隙にシカさんが逃げ出し私達を追いかけてきた。それを振り切るようにアマンナが反転し、さらに高度を上げるがそれでもシカさんは付いてくる。


「あぁ…すみません、投影はやめてください…あの子のあんな姿は見ていられません…」


[はいはい]


 淡白ながらもどこか温かみのある返事を返して、コクピットの投影が切られた。その後暫くの間、何も見えない空間にさめざめと泣くガニメデさんの声だけが耳に届いた。



90.b



「わてがペレグだ、暫くの間、お前さんらの面倒を見よう」


 唐突に挨拶をしてきたこの老齢の男性を、殴りたい衝動に駆られたがなんとか堪えた。私はベッドの上、テッドはラグの上、あの女の姿はない。こちとら寝起きだぞ?


「ここは良い、湿度とは無縁な世界のようだ、そうか、あの大地母神が築いたか」


 一人で勝手に納得し始めうんうんと頷いているこの大男が、アクセス管理をしている責任者なのか?にしても暑苦しいことこの上ない。ベッドに腰をかけて見上げる大男の身長は二メートル近く体格は岩そのもの。あまり街では見ない服装だが、隆起し岩石を思わせる胸板を隠そうともしていない。何より特徴的なのが鼻の下から横方向に伸びた髭だ、先端はくるりと渦巻きを描いているのでどこか舞台俳優にも見えた。


「……テッド、拳銃は持ってきたか?」


「ナツメさん…落ち着いてください…」


「わてに食らわそうと?」


「……いえ、寝起きなもので、失礼しました…」


 大男に見下ろされながらベッドの上ではだけていた衣服を整える、頭痛は少し治ったが体は怠い。


「……そうか、人間は睡眠を取るのであったな、わては取らぬのでな、いやすまん」


「分かっていただけたようで何よりです…少し時間をください」


「あい、分かった、外で待っていよう」


 このペレグという大男が勝手に入ってきたから部屋全体が揺れたように感じて目を覚ました、入ってきた時と同じように揺らしながら出ていった。


「テッド、すぐに起きろ、準備をしよう」


「はい…ロムナさんは?」


「知らん、お前が先にシャワーを浴びてこい」


「わ、分かりました…」


 まだ緊張しているのか?どこかぎこちなく見えるのは体の疲れなのか。シャワールームへとテッドが姿を消した後、あの女が居なくなっていた理由がすぐに分かった。


「ぎゃああっ!!」


「この時をずぅっと待っておりましたぁ!」


 廊下の奥からテッドの叫び声とロムナの変態極まりない雄叫びが聞こえ、二人が騒がしく走りながらこちらに戻ってきた。テッドは上半身を脱いだ状態で私の後ろに隠れ、ロムナも何故だか着物を脱いで簡素な服装になっていた。拳を構えた私に気付かず走り寄ってきたロムナにゲンコツをくれてやった。



「いやすまん。ロムナが迷惑をかけたようだ」


「迷惑だなんてとんでもない…少し浮かれただけです」


「お前が言うな!」

「あなたが言う台詞じゃないですよ!」


 大男一人に私ら三人、部屋の中は窮屈だということで外に出ていた。空は生憎の曇り空でこぬか雨も降っている。傘を差すのも億劫だと、うだるような暑さを和らげもしない細かな雨に打たれながらペレグの後を付いて行っているところだった。向かう場所はどうやらこの世界の船着場らしい、静けさを忘れ騒がしさを取り戻した通りから遠くに船が見えていた。


「さて、道中ではあるが、ゲートについていくらか説明しておこう」


「唐突ですね」


「なに、向こうに着いたら、長話しができなくなるでな」


「?」


 テッドが分からないという風に首を傾げた、その様がまるで愛らしい動物のようだとロムナが騒ぐ。


「ゲート、中層と下層を繋ぐ唯一の道、各街に設けられ、人紛いの許可なくば開くことはない」


「各街に?そんな近くにあったのですか」


「うむ、だが人紛いは姿を消し、状況にその使用判断を定めた、つまりは人の手によって、開けることができる」


「誰にでも開けられるってことなのか…」


「うむ」


「ゲートの場所は?どこにあるのですか?」


「それは伏せよう、情報とは、口にしてしまえば広まるのはあっという間だ、使われないことが望まれるなら、知る必要はないさね」


 言っていることは確かにそうなんだがこっちは対処しなければならない。その事をテッドも分かっていたのか聞き出す先をロムナに変えていた。


「ロムナさんもご存知ないんですか?」


「テッドの頭の中にあります、それを私の胸で包めば溶け出し自然と知ることができるでしょう」


「?」


「お前を抱かせろと言っているんだ、騙されるなよ」


「はっ!」


「ナツメさん?!邪魔をしないでいただけませんか!今とても大事なところなのです!」


「ほぅほぅ、随分と賑やかだ」


 大男に連れられ女二人に男一人、はたから見たらサーカスの一団のような私達が信号を渡り湖岸沿い近くの通りに着いた。右手にグランドホテルが建ち、それを横目にいれながらまだまだ歩く。


「それと、さっきから言っている人紛いとは何ですか?」


 私の質問に、前を見据えたまま答えた。


「わてらの創造主、言語、記録、情報セキュリティを担うグラナトゥム・マキナだ。今はおらぬがな、月と太陽をいっぺんに合わせ持つような者だ」


「名前は?」


 また聞き取れないことを予測したが、先回りされてしまった。


「発言すること叶わぬ、だから人紛いと言っている」


「そうなのですか?それは初耳ですよペレグ、何故教えてくれなかったのですか」


 ロムナが最もなことを言う、やはり気付いていなかったのだ。


「調べる務めを持つ我々が、放置すると思うか?人紛いの言語制限は、何があっても解くことはできん、時間の無駄さね」


 ロムナが曖昧な溜息を頭に付けてから返答している。


「…この事はリウにも伏せているのですか?」


「さよう、後で伝えるがな、伝達の差別化が、一番恨みを買う」


「えぇ全く。私ではなく先にナツメさんが知ることになりましたから、リウにもよろしくお願いします」


「うむ」


 通りから芝生の公園へと向きを変えた。遊具などとくになく、広い公園には小さな丘があった。ぐるりと回るとどうやら石で出来た壁に土を持って人の手によって作られたようだった。

 その先には第六区でもお目にかかれない豪華な船着場があった。



「ここに、一隻の船がある、湖の北までこれに乗り、後は塔を登るだけだ。その最上層にゲートを管理する古代端末がある」


「………」

「………」


「わての役目はここまで、この船の動力炉を管理しているだけさね。ロムナ、二人に付いて行くといい」


「はい!それはもう、はい!」


「急がば回れ、この諺の由来となったこの湖の先は別世界、心して行くとっ?!!やめい!どこを握っておる!」


 少しだけ背伸びをしてそのご自慢の髭を引っ張った。さすがに髭は痛いのか、私の目線まで頭を下げてきた。


「ペレグさん、そういう事もこの二人に伝えておくべきなのでは?あの馬鹿みたいに大きな塔を登れとおっしゃいますか」


「な、ナツメさん!お気持ちは分かりますが程々に!」


「テッド!宥めるのではなくこの手を解けい!いたたたっ」


 ペレグさんの髭を引っ張りながらそのまま船着場を突っ切った。接岸されている船はブリッジから黒い二本の煙突が伸びており、ここからでは見えないが赤い後部パドルが外付けされているらしい。乗り込む前の案内板にそう書かれているのを横目で確認した、こんな洒落た船を管理しているペレグさんならさぞかし操舵も上手いことだろう。


「あい分かった!わても共に行こう!だからその手を離せ!」


「よろしくお願いしますね、ペレグさん」


「何と、乱暴な……いたたた、少しはアヤメを見習え」


 その一言は余計だと岩石と見紛う大男を暫く追いかけ回した。



✳︎



 ナツメさんとペレグさん、それからロムナさんと一緒に乗り込んだ船が出発してから早二時間近く経った。船の中は第六区と似ているようでお店が小さな軒を連ね、食事を取れる所もあった。遅い朝食を取った僕達二人は外の展望デッキには出ず船内のソファルームで縮こまっていた、どうてしかって?とても寒いから。


「………」

「………」


 ソファールームの窓には寒暖差による結露が付いており一面白く濁っている、そのせいで外の景色が良く見えないが、かといって外に出る気にもなれない。確かにペレグさんは別世界だと言っていたがここまでとは思っていなかった。


「て、提案が…あるんだが、こんな事はお、お前だから、頼めるというか…」


「な、何でしょうか…」


 僕達が寝泊りしていた場所は、曇天でもうだるように暑くそのせいもあって薄着だった。出発する前に一言教えてくれたらと思うが、今さらペレグさんに文句を言ったところで遅い。


「あ、温め合うと、いうのは…どうだ?」


「…………」


「こ、これは隊長命令だっ、ふ、深い意味はないっ」


「い、いえ、全然…はい」


 温め合うって何?と頭の中でその意味を模索している間にもナツメさんが腕を伸ばしてきた。瞬間的に心拍数が上がり、窓の外のように頭の中が真っ白になってしまった。僕の腰あたりに腕を回して力が込められた、ナツメさんに引き寄せられ少し態勢がキツいけど抱き合う形になった。


(あ、こんなところにほくろ……)


 ブラウスから覗く肩より少し奥、筋肉質で綺麗に整った肌に小さなほくろが付いていた。きっとナツメさんだってこんなところにほくろがあることは知らないはずだ、僕しか知らないナツメさんの情報を得て心身共に優越感に浸った。


「お前も腕を伸ばしてくれ」


「はい…」


 ここは天国。急に甘い世界に入ってしまったけど、永遠に続けばいいのにと思った。

 が、そんな甘い話しは現実になかった。ソファルームの扉をペレグさんが開け放ったのだ。


「何をしておる、この湖の見所である孤島が近い、見に行くぞ」


 外から現れたペレグさんの頭や髭には雪が付いていた、それに冷え切った湖の風が容赦なく入り込み暖かい室内の空気も僕の優越感も奪っていった。


「寒い寒い寒い!!」


「ぺ、ペレグさん閉めてください!耐えられません!!」


「ふむ、そうか、人間には体温を調節する機能が付いておらぬのか、面倒な」


「面倒なのはあんたの頭の中身だよ!」


 ついにナツメさんが敬語も忘れてペレグさんを罵った。


「はっはっはっ!違いない、ほれ、わてが付いてやろう、ロムナよ」


 僕達のすぐ後ろから、


「はいぃ!ここにいますぅ!」


「?!」


「うわぁっ?!」


「どこから?!」


 いとも簡単にナツメさんから剥がされてそのまま抱きつかれてしまった、早く振り解かないと...そう思うけど体が言うことを聞いてくれない。抱きしめられた体が離れることを拒否しているのだ、何故かって?


「あったかぁ〜い……」


「ふふふ、そうでしょうそうでしょう。今の私は歩く暖房器具、忘れられない暖かさを提供いたしましょう」


「見損なったぞ…テッド…」


 恨めしそうに僕を見ているナツメさんもペレグさんにぴたっと寄り添っていたのでそんなに気にはならなかった。



 いや確かにね?湖の中なのに小さな島があることには驚いたけど、そんなものより遠くにありながら間近に見えるあの塔の方が迫力があった。


「あれは、神が住むとされている島さね、至る所に祀りが置かれ、当時はパワースポットとして…」


「誰も観光案内人をしてくれとは言ってない!私から離れようとするな!」


「ナツメさん…」


「いや!お前にだけは言われる筋合いはないからな!」


 そう、僕もお腹に回されたロムナさんの手を離さまいと力強く握り締めている、当のロムナさんはさっきから僕の後頭部に頬擦りをしているが好きなようにさせていた。

 ペレグさんの説明があったように、小さな島には仮想世界のあの神社で見た鳥居がいくつか建てられているようだった。横殴りの風に雪が乗り視界は悪いがここからでも見ることができた。けれどやはり、それよりも見上げてもなお天辺が見えない、雪雲に隠れたあの塔に目がいってしまう。


(本当に登るの?まさか自力で?)


 リウさんが言うにはテンペスト・シリンダーらしいが、僕が見たあのゲートはどこにもないようだ。視界が悪い中でもその存在感までは消せないようで、堂々と、まるでもう一つの地球と言わんばかりにそびえ立つ塔から一体のドラゴンが顔をこちらに覗かせた。



90.c



[回線確立、供給安定域に到達、起動まで残り六十秒。今回の支援が最後になります、くれぐれも不用意な行動は控えてください]


 女の話し声、それから囁き声。片方は気怠げに、もう片方は理知的に。意識が回復したと同時に四肢へエネルギーが回されマテリアルがあることを知覚した。


(無事だったようだな…)


 最後の記憶はあの乱戦下で意識を失ったものだ、セルゲイ率いる部隊の連中と唐突に()()された人型機が撃ち合っている時だった。よく無事だったものだ。

 次に五感へエネルギーが回され聴覚、それから嗅覚も戻った。隣の部屋からくぐもったように聞こえるのはやはり女の話し声、鳥のさえずり同様良い目覚めをさせてくれた。食事時なのか、微かに香ばしい匂いもする。そして視覚が戻り、目蓋越しに部屋の明かりを感じ誰かが俺の上を跨いで再び暗くなった。何と愚かな…これがスカートならめっけもんと急いで目蓋を開けるとお腹に踵を下ろされてしまった。


「ぐっふぅっ?!!」


「ヤバいヤバいヤバい!」


 俺に気付かず走ったいったのはどうやらミトンのようだ、残念なことにスカートではなくハーフパンツ、あれもあれで悪くないが俺に頭を下げてほしいものだ。


「ここは…?……そうか、あいつらの部屋か…匿ってくれていたのか…」

 

 お腹を押さえながら体を起こせばホテルのベッドルームだった、ベッドにはアマンナが眠っている。それにしてもミトンの奴は一体何をそんなに慌てていたのか...窓の外は曇り空、雨は降っていないようだが陰鬱な空景色、踏まれた俺のお腹を現しているようだった。


「おい、アマンナ、お前もいつまで寝ているんだ」


 こいつは興味がない、それに何より子供体型だ。捲れていた衣服を元に戻していると、


「こんの変態!アマンナに何をする!お姉ちゃんであるこの私が許さない!」


「待て待て待て!何もしていない!それより他に何か言うことはないのか!俺が目を覚ましていることに驚くとか踏んだことを謝るとか!」


「それが今さら何?!それよりアマンナがヤバいの!あんたのことはどうでもいい!」


 向こうも俺には興味がないらしい。素晴らしい関係だ、嫌っている奴に嫌われるのは何ともストレスがない。


「ヤバいとは何だ!ちゃんと説明しろ!語彙力がない現代っ子か!」


「呼吸が!止まったの!アマンナが息していない!」


 ミトンの悲鳴を聞きつけたいつもの三人と、それからカサンも部屋に入ってきた。



「マテリアルの劣化防止ぃ?」


 ミトンの声には懐疑心しかない、だったら初めから俺に聞くなと思うが仕方ない。マテリアルについて詳しいのは俺しかいない。


「そうだ、それにエネルギーも無尽蔵ではない。ただ維持するだけでも消費してしまうからマテリアルの稼働を自動的に止めただけだ」


「はぁ……」


「全くミトンは…アマンナもマキナなんだから大丈夫だって言ったでしょうに…」


「いやいや…目の前ですぅっと呼吸が止まっていく様を見たらアリンだって慌てるよ………はぁ」


 大きく溜息を吐いたミトンがようやく落ち着いたらしい、いつもの怠そうな目付きになりソファの上で縮こまった。


「元気そうで何よりだイエン、こうして顔を合わせるのは初階層以来か」


「そうなるな、お前も実験部隊の隊長をしているらしいじゃないか、名は確かリバスターだったか?」


「あぁ、ただのお使い部隊さ。それよりイエン、起き抜けに悪いが話しがある、あんたの主とやらのアンドルフという男についてだ」


「何でも聞け、答えられることは少ないが」


 どうやら俺が意識を失っている間に上層で動きがあったらしい、第十九区を全面封鎖し出入りを禁じているとのこと。カーボン・リベラ政府が上層連盟にコンタクトを取っているが、逮捕した強襲部隊の身柄と回収されてしまった簡易人型機の返還に応じなければ交わす言葉はないと突っぱねているらしい。さらにマギールの身柄もこちらに渡せと、


「それは何故なんだ?総司令代理の解任要求ではなく身柄を渡せとは、一体何が狙いなんだ」


「それが分からないからお前に聞いているんだ、奴はどんな男だ?」


 アリン率いる四人組がアマンナのベッドルームへと引き上げていく、それを手で静止してもう一度座るように言いつけた。


「どうしてですか?私達は関係が、」


「あるに決まっているだろう、俺達は下層への進行を食い止めなければならない、赤の他人を気取るには遅すぎだ」

 

 軽く俺を睨んでから腰を下ろした。


「アンドルフという男についてだが、奴の頭の中には記録を保存するドライブがある、それと一部データへアクセスするための通信機器もな」


「何だって?それは本当の話しなのか?」


「あぁ、奴は脳の一部を電脳化させてテンペスト・シリンダーで起こった出来事を記録している、さらにはその役目を子孫へと引き継がせているようだ」


「…………」


 信じられないと言わんばかりに目を細め何やら考え事をしている。


「だったら何故奴は今の今まで動かなかったんだ?」


「どういう意味だ?」


「ビーストがマキナの手によって製造されていたことだ、奴は知っていたんじゃないのか?」


「それは分からない、記録されている内容は奴しか知らない」


 あぁ...そういうことか...マギールの身柄を求めているのは記録内容の補填か。確かマギールも稼働元年から生き長らえている男だ。


「この場で言えることは一つ、アンドルフはマキナに対して何かしらの恨みがあるということだ」


「そうだな、それは考えなくても分かる。お前はどうだイエン、第十九区ではアンドルフと共にビーストを屠ったらしいじゃないか」


「マキナに恨みはないが当てにもしていない、奴らの稚拙な支配はこの目で何度も見てきたからだ。そうだな…あの時はただ使われたということにしておこうか」


 口の端を上げて肩を竦めているカサンが改まって切り出した。


「お前の身辺調査も任されているんだ、まどろっこしいのは苦手だから単刀直入に聞くが、お前は何者だ?己の名前を忘れて特別師団と名乗り、お姫様の元に仕えていたのだろう?」


「あれはただの共同体として関係を持っていたに過ぎない、互いに名を忘れて行き場を失っていたから共に過ごしていただけだ」


「………そうか、ならイエンという名を何故アンドルフは知っていたんだ?」


「それこそ電脳のおかげだろう」


 しまった...視線を下げてしまった、見過ごしてくれる女ではない。


「白状しろイエン、お前の面は割らないといけない」


 観念のしどころか。いやしかし、それは固く禁じられている、立派な規約違反だ、この身がどうなってしまうのか分かったもんじゃない。


「……言えることに限りがある、それでもいいなら白状しよう」


「それは内容によるな、ミトンよく聞いておけ、少しでもおかしな仕草をしたら報告しろ」


「…任せてください」


「何なんだお前ら……」


 大きく溜息を吐いてから口火を切った。


「俺、それからお姫様、そしてアンドルフは神の使いだ」


 すぐさまミトンが銃を構えた。


「…発砲許可を」


「まだ早い、それで?その神とは一体何だ?」


 冷や冷やしながら言葉を紡ぐ。


「お前も初階層で見ただろうあの絵画、赤、青、緑に描かれた三人の絵だ、あれが仕えるべき神だ」


「ならあの絵はお前が描いたのか?」


「いいや、神その人が描き残した物だ。それをやる事もなかったから守っていたに過ぎない」


「ならお姫様がすでに逝かれたといった主は誰のことを指している」


 何が面白いのか、カリンとアシュがクッションに顔を埋めて肩を震わせている。それを横目にいれながら、


「それは知らん、本人に聞いてくれないか。我々三人の中で………………」


「何だ?」


「………アンドルフが一番記憶を保持していたことになる。それを俺が勘違いして主と慕ったんだ」


「………ふぅむ…ミトン、お前はどう思う?」 


「…早く発砲許可を」


「お前それ俺のこと撃ちたいだけだろ」


「…ちっ、お尻を見た罰に頭を撃ち抜いてやろうと思ったのに」


 カリンはミトンから銃を取り上げ、カリンとアシュは未だ笑い続けている。


「おいそこの二人、何が面白いんだ」


「……だ、だってっ、やることがなかったからって…ぷっくくくっ」


「はぁ…特別師団なんて名前つけてまでやることかなってっ……ふひひひっ」


「もういい、お前らは下がれ。結局のところ、お前はあたし達の味方なのか敵なのか、それをはっきりとさせたかったんだが…お前の話しは良く分からんな」


「口下手でな、それは悪かった」


「で、どっちだ?お前が決めろ、味方ならここに残って進行を食い止めろ、敵だというなら背中を向けてあたしに撃たれるがいい」


 口元は笑っているが目元は鋭利な刃物そのものだった。アリン達に下がれと言ったのも本気で撃つつもりだからだろう。


「味方のつもりだ」


「………」


「本音を言えば、進行を食い止めようとしているからお前達の味方をする、と言った方がいいな。下層が破壊されてしまえばここそのものが死せる大地になってしまう」


「何も全てを破壊しようとはしていないだろう、マキナに関連する施設さえ壊せば目的は達せられるんだ、それを後押しするのがお前の役目なんじゃないのか?」


 ただのかまかけだな、そんな馬鹿な話しが本当にあるとは思っていないだろう。


「グラナトゥムを冠するマキナが潰えたらここでの生活は不可能になってしまう、コアを保存しているドライブだけ破壊してもそれは同じ事だ」


「………まぁいいか、マギールにはあたしの方から報告しておくよ。信用出来ない味方が一人増えたとな」


「それは助かる、頼られるのは苦手なんだ」


 減らず口ばかりと小言を言いながら、ミトンが構えていた拳銃を俺に寄越してきた。どうやら持っていろということらしい。


「いいのか?」


「あぁ、事が起こったら好きに使うといい。部隊を展開させるよりトリガーを引いた方が早い時もあるだろう」


「それは確かに」


「さぁてここからが本題だイエン、お前は晴れてあたし達の味方になったんだ、何故セルゲイ総司令にあの像は破壊させるように言ったんだ?」


「…………」


 ...カサンめ、始めからそれが狙いだったのか。


「安心しろ、まだマギールに報告は上げていない、聞けばあの像の下に抜け道があったらしいじゃないか。それがどうして、お前は気を失うわ不明機が現れるわ、あれは一体何だ?味方の失敗を庇うのも隊長の務めでな、協力してくれると助かるよ」


「なぁ…今から俺が敵に回るというのはどうだ?その方が互いにやり易いとは思わないか?」


「あたしがそれを認めると思うか?」


「………」


 身バレしないよう、カサンに疑われないよう、規約違反にならないように言葉を選ぶのは本当に苦労した。錦を飾る前に俺の動かぬマテリアルが飾られるところだった。



90.d



 先に自宅へ戻った父の後をキリと一緒に向かっていると、一体のピューマが僕達の前に現れた。他の区では厳重に管理されているがこの区では野放しだ、そのピューマの体長は犬より小さく猫より大きい、鼻先が長く尻尾も同様に長い。今はぴんと張った尻尾が空に向かって伸びていた。


「キリのお友達かな、初めて見る動物だね」


「あれはハナグマ、確かに珍しいね。何か用?」


 キリがハナグマと呼ばれるピューマに向かって手を差し伸べた。小さな足を素早く動かして身を屈めたキリに近付いていく、そしてその周りをぐるりと回りながら会話をしているようだ。


「何て言っているのかな?僕には分からないよ」


「………」


「キリ?」


 僕の問いかけに答えずハナグマを凝視している。会話が終わったのかキリが立ち上がり、ハナグマは来た道を戻っていった。キリの表情はとても険しい、嫌な予感しかしなかった。


「この街から高速道路に向かう道が封鎖されているんだって、それに他のピューマ達も武装した人に追い回されているから気を付けろって教えてくれた。リュー、どういうことなの?」


「それは…僕に聞かれても答えられないよ。父さんに聞いてみないことには…」


「父さんってさっきの人?それなら早く行こうよ、やめさせないと」


「あ、あぁうん…」


「しっかりしてリュー、どうしてマギールがリューに面倒役をさせたと思う?」


 しっかりと見つめるキリの瞳に耐え切れず視線を落とした、そこにはちょうど石で組まれたアネモネの花があった。


「……僕に父のスパイの真似事をさせるつもり、かな」


「それ本気で言ってるの?」


「………」


「違うでしょ、リューは動物に詳しいんだよね、だからマギールは任せたんだよ。あんな絵に引きずられないためにもね」


 その言葉にはっとさせられた、本当にこの子は人のことを良く見ている。


「命が何のか知るために手をかけたんなら、その命を守るのも知るために必要な手段だと思わない?酷い言い方だけどさ」


「……分かった、父さんに会いに行こう、付いて来てくれる?」


「もっちろん!」


 嬉しそうに手を取り、また僕のことを引っ張ってくれた。



✳︎



「えぇ、えぇ、はい、分かっています、すぐに連絡を……地方区とも連絡が取れない?それは本当なんですか?」


 アオラさんが慌てながら助手席に座り込んだ、それを見計らいギアをドライブに入れて勢いよく車を発進させた。

 向かう場所は第十二区の政府区画、マギールさんの公務室だ。今から数時間程前に第十九区が人の出入りの一切を禁止し、さらにはピューマをカーボン・リベラから追い出すという声明を発表した。その人の名前はアンドルフ・アリュール、ハンザ上層連盟という組織の長を務めカーボン・リベラを影ながら支えてきた人物だ。

 通話を終えたアオラさんが長い溜息を吐いた、私は運転しているので見ることはできないが気遣わしげに視線を向けているのが良く分かった。


「ごめんなスイちゃん、今日は買い物に付き合うつもりだったんけど…」


「いえ、いいです、それよりも今はマギールさんの所に向かいましょう」


「頼むよ」


 眉間にしわを寄せながら別の所へ連絡を取っている、第十九区方面へ向かうインターチェンジ前では早速警官隊の人達が交通整理にあたっておりドライバーの人から文句を言われていた。隣から第一区の簡易人型機部隊へ緊急出動が発令される見込みだと、アオラさんの言葉をどこか辛い心持ちで聞いていた。どうして人同士で争いの真似事なんかしなくちゃいけないのか、分からなかった。



「上層連盟の動きは?」


「変わらない、ピューマ殺害をほのめかしているのとあんたの身柄を寄越せとしか言ってない」


「そうか、第十九区は?」


「一先ず警官隊へ高速道路でも交通整理にあたってもらうように要請をかけた、それと近辺に人型機部隊を待機させるつもりだ」


「分かった、他には?」


「地方区の第十五、十六区の区長とも連絡がつかなくなったらしい、最近まで情勢を教えてくれていたらしいがな。まるで繋がらないみたいだ」


「どう考える?」


 マギールさんの顔は真剣そのもの、私を可愛らしいお人形さんと言ったあの少しだけ嫌な顔付きは、今は影も形もない。


「………ピューマの保護を最優先する、人道的にもライフラインとしても失うのは痛手過ぎる。今となっちゃ街もピューマに依存しているからな、それと現状が続くようであれば制圧作戦も視野に入れている。リューオン何某はどうしている?今は第十九区にいるんだろう?」


 すらすらと答えるアオラさんもどこか別人のようだ、いつも家の中では少しだらしないアオラさんもどこか遠くへ行ったしまったような感覚に囚われた。


(私がこんな所にいていいのかな…)


 マギールさんの公務室はとても質素だ、調度品はありもしない。黒い木材で作られたテーブルを挟んでマギールさんと向かい合い、私の隣にアオラさんが座っている。


「あぁ、リューオンはキリと一緒におる、何をしているのかは知らんがな」


「キリ?」


「スイ」


 私の名前を呼ぶマギールさんの声は耳に届いていたけど、何故だか反応が少し遅れてしまった。


「あ、は、はい」


「どうかしたのか?可愛らしいその顔が翳っているようだが」


 嫌な顔ではなく、まるでおじぃちゃんのような顔付きで気遣われた。その変わりようにさらに心細さが募っていく。


「い、いえ…キリちゃんについてですが、グガランナお姉様にお願いをして猫型だったピューマの子を人型に換装させたんです。第十九区でナイフを突き立てられた理由を聞きたいと言って…」


「何だそれ」


 端的な問い返しに説明が悪かったのかなと焦ってしまった。


「え、えーとですね…私がピューマ達の取りまとめをする役目に付きまして、それでそのリューオンさんには面倒役、言わば、あー…私のサポート、」


「待った待った、言い方が悪かったよ、仕事の話しだったからついぞんざいな言い方になってしまった」


「は、はい…」


 頑張って説明しようとしても言葉が上滑りして余計に焦り、ろくすっぽ説明ができなかった。そんな私をアオラさんが気遣いながら止めてくれた。


「スイよ、さっきからどうしたのだ?まるで借りてきた猫のようだぞ」


 話していいのかな...けど二人の視線が私に注がれていたので観念した。


「その…お二人がいつもの調子ではなくて、カーボン・リベラのために真剣に話し合っているお姿が別人のように見えてしまって…ここにいていいのかなと…はい」


 素直に白状したつもりだ、私の言葉を聞いた二人が目を合わしているだけで何も言わない。すると、


「はぁー…これが女王の気質というものか、私もまだまだだな」


「え?」


「そうさな、自覚がない英雄ほど怖いものはないが…」


「え?な、何の話しを…」


 アオラさんがいつものような笑顔を私に向けて教えてくれた。


「マギールはどうかは知らないけど、私がここまで頑張っているのはスイちゃんのおかげなんだぞ?体を張ってこの街を助けてくれたんだ、私なりスイちゃんに応えようと思ってやりたくもなかった区長の座に付いたんだよ」


「………」


「いや、私が区長になったのもスイちゃんやピューマ達が気持ち良く暮らせるようにするためなんだよ、だからスイちゃんはこれ以上頑張らなくていいんだ」


 ゆっくりと、私の頭を撫でてくれた。随分と久しぶりのような気がして頭も胸もあったかさで一杯になった。


「はい……」


「いや、そこは頑張ってもらわねば儂が倒れてしまう。さすがにピューマ達の意見集約までしていたら酒を呑む時間がなくなってしまう」


「知るかよそんなこと、何だったら酒呑みながらピューマと話しをすればいいだろ」


「…それは良い案だな、スイよ、儂が変わってやろうか?何なら今から職務遂行のために酒の買い出しに行きたいのだが」


「ふふふ、それはマギールさんがただお酒を呑みたいだけですよね」


「良く分かっておるな、それでいい。それと話しを変えるがスイよ、もう近々お前さんにも仕事を言い渡すつもりだ」


「はい!」


「何をさせようって?女王じゃなくて私でいいだろ」


「それはならん。アオラ、お前さんのその美貌ではちと足りん」


「あ?」


 失礼な物言いに間髪入れずに凄んでみせた。


「スイ、すまんが道化を演じておくれ、お前さんのその容姿をとことん使わせてもらうつもりだ」



✳︎



「初めまして、アンドルフさんからお二人のことは伺っております」


「………」


「綺麗な瞳だね、名前は何ていうの?」


 到着した父の家で僕達二人を出迎えてくれたのは、僕の新しいボスであるスイとひけを取らない完璧な美少女だった。宝石のように磨かれた黒髪は長く、片方の揉み上げだけおさげに編んでいる。肩から鎖骨にかけて開いた真紅のワンピース、それから細くて蠱惑的な足はストッキングに包まれていた。そして何より目がいってしまうのはキリも褒めたがその瞳だ。太陽が最も輝く時間帯に染められた黄金色の大平原のように、豊かで広々とした澄んだ金色をしていた。あまりに見惚れていたためか、隣に立つキリが僕の腕を抓ってきた。


「いたたたっ」


「見過ぎ」


「ふふふ、仲が良いのですね。アンドルフさんが中でお待ちです、その子のお相手は私がしましょう」


「えー、私リューから離れたくないんだけど」


「それは困りましたね、リューさん以外に誰も通すなと言われておりますので、暫くは辛抱してください」


「えー、何気あだ名呼びが気に食わない。それに名前も教えてくれない相手と一緒にいないといけないの?」


 ...あまり辛抱強くないのか、整った眉をほんの一瞬だけ歪めた。


「……それは失礼しました。私の名前はデュランダルと申します」


「男っぽい名前だね、可哀想に」


「キリっ」


 僕の叱責にキリが驚いたような顔をした。この子を注意したのはこれが初めだったこともあり、キリも少しだけ動揺していた。


「え、私何か変なことした?どうして怒ってるの?何か悪いことしたんなら教えて、もうしないからさ」


 デュランダルと名乗った女の子はそっちのけで僕に縋ってきた、あまりの態度に僕までもが動揺してしまった。キリは怒られるのに慣れていないらしい。


「怒っていないよ、また後で話すから今は大人しくして、いいね?」


「わ、分かった」


「…では、こちらに。共に行きましょう」


「また後でね」


 エントランスで眉尻を下げているキリと別れデュランダルの後に付いて父の私室へと向かう。勝手知ったる、彼女はもうこの家を把握しているような足取りだった。

 スパイらしく、かまをかけてみることにした。


「父が強気に出られたのも君のおかげなんだね」


「それはどういう意味でしょうか」


「惚けなくても、君は神のうちの一人なんだろう?あと二人はどこにいるのかな」


「もう既に会っているはずですよ」


「そうなのかい?僕の頭には色んな記憶があるからね、誰のことだかまるで分からないよ」


 父の私室の前に立った、扉を開ける直前に目線だけをこちらに向け小声でこう宣言してみせた。


「少なくとも、これから会う人は私達の関係者ではありません。その点は誤解なきようお願いします」


「それは、どういう意味……」


「詮索なら他所でやれ、そう言っているのですよ」


 後は完璧な笑顔を湛え、扉を開けて僕を中に案内した。デュランダルは中を一瞥することなく下がり、キリがいるエントランスへと戻っていった。


「早く入れ、何をしているんだ」


「あ、あぁ、今……」


 父に急かされデュランダルに向けていた視線を室内に移動させると、ここに来てしまったことを激しく後悔してしまった。


(やはり僕にはスパイの真似事なんかできやしないんだ…)


 父が座るソファの後ろには、見たことがない青年の遺体が飾られていた。あまりに悪趣味、あの遺体...ではなくあのマテリアルが父の家に侵入したというグラナトゥム・マキナの一人だ。それにしたってあれは何だ、一体何を誇示しているんだ、自己満足以外の何物でもない。


「あの女は?」


「それはどっちのことかな」


「………」


 父に対する思いは時間が経つにつれて薄らいでいくようだった。


「それより父さん、そのマテリアルを降ろしたら?見るに耐えないよ」


「当たり前だ、だからこうして晒しているんだ。俺達がグラナトゥムの支配から開放されるためにも、忘れてはならない戒めだ」


 自己陶酔、あるいは被害妄想。ありとあらゆる専門用語が僕の頭の中で飛び交い、あんな状態の父でもまだ助けようとしていた自分に驚いた。


「デュランダル、まさしく我々に舞い降りた神そのものだ。ようやくこの日を迎えることができた」


「いいのかい、神はあと二人もいるんだ、ここで思うように動かせたとしてもそう簡単に事が運ぶとは…」


「動かす?我々がか?」


「………」


 まさか、父がピューマ達を追い出すと言っていたのはただの当て付けではなく...


「違うな、我々が動くのだ、神のために。グラナトゥムの支配を終わらせそして、」


 ゆっくりと立ち上がってから、


「神による統治を始める、俺はその先兵に過ぎない」


 そう、締め括った。

※次回 2021/7/14 20:00 更新予定

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