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第八十九 スリーピー衛星

89.a



 お城を背景にして見えるあの機体はプエラのものだった。やはりこの街にも来ていたのだ、理由は分からないし分かりそうにもない。ただ一つ分かることは、湖岸沿いに並んだ卵に何かしら関与していそうな事ぐらいだった。


「アヤメ!あいつはぁ一体何だ?!」


「り、リウさんですか?!あれは人型機と呼ばれるものでっ」


「Why do you point your gun?!」


「えっ?!何ですか?!」


「何で銃を向けているんだよ?!」


「そんな!」


 ロムナさんに代わって今度はリウさんが出てきた、そしてリウさんの言った通りプエラの人型機がこちらに銃を向けているのが見えた。あのまま発砲されたらひとたまりもない、皆んな木っ端微塵だ。


[リウ!わたしにプロペラを付けて!今すぐ!]


「are you serious?!お前まさかあんなのとまでやり合おうってのか?!」


「そんなの駄目に決まってるでしょ!」


[でも早くしないとっ]


 アマンナの声は天から放たれた銃撃によってかき消された。眩い閃光は私達ではなくすぐ隣に建つ民家に突き刺さり耳をつんざく程の爆音が襲った。二階部分が弾け飛び破片とCDが宙を舞っているのがスローモーションのように視界に映った。あの中にはウルフドッグさんがいるのだ、一瞬で血の気が引いてしまった。


「やりやがったあいつら!丸腰の俺らを撃ってくるだなんて!」


[あれはただの威嚇!早くプロペラ!わたしがおとりになるからその間に逃げて!]


「だから駄目だってっ」


[そんな事言っている場合じゃないでしょ!人型機も起動させてこっちに飛ばすからその間の時間稼ぎだよ!]


 再び天に昇った人型機がその手の銃を構えた、今度はぴたりと私達に向けていた。


(どうして?!どうして私達を攻撃するの?!)


 そんなはずはないと未だ心が理解することを拒否していた。あのプエラがそんな事をするはずがないと、しかし現に今私達は狙われているのだ。ベラクルで、剥がせていないのに「あのポスターのように捨てろ」と言ったプエラの言葉は嘘だったのか、本当は今すぐ戻りたいと遠回しに伝えてくれた訳ではなかったというのか。


「Wawpwpwoonッ!!」


 混乱してしまった私の頭にウルフドッグさんの遠吠えがよく響いた。驚いて上向けば半壊した民家の屋根に登って天高く吠えていた。


「良かった無事だった!早く降りてきてぇ!」


 私の声にまるで反応しない、そしてもう一度。


「Wawpwpoonッ!!」


 私達に向けられていた銃口がウルフドッグさんに変えられたその時、お城の細く尖った塔がきらりと一陣の光を放った。次の瞬間にはプエラの人型機に一本の槍が突き刺さっていた。


「バリスタっ!あんなものまで持っていやがったのか!」


[リウ!そんな事はいいから早く!今のうちに!]


「ウルフドッグさぁん!早く降りてぇ!」


 背後からの攻撃に空中で態勢を崩した人型機に次から次へと、リウさんがばりすたと呼んだ極太の大槍が襲いかかる。発射されるたびに塔がきらきらと輝いて見えてまるで花火のようだった。

 私の呼び声に一切応じなかったウルフドッグさんが屋根の上で態勢を崩した、何故?攻撃は受けていないはずなのに...いや、攻撃はもう受けていたんだ。


「そんな!」


「Waitアヤメ!行ってどうする!せっかく出来たチャンスを無駄にするな!」


 家に向かいかけていた足が止まった、プロペラを治している腕とはもう反対側の腕で肩を強く掴まれてしまったからだ。


「今ならまだ間に合うでしょ!せっかくここまで案内してくれたのに!」


「最後の力で城に潜んでいた仲間に合図を送ったんだろう!ここで地団駄を踏んだらあいつの好意が無駄になる!」


 それでも私は諦め切れずに進もうとすると後ろからとんでもない事を言われで頭の中が真っ白になった。


「いいかアヤメ!このマテリアルの中にはお前の仲間であるナツメとテッドがいるんだぞ?!」


「はぁぁあ?!はぁああ?!」


 何でそうなるのっ!!二回も叫んでしまった。え、リウさんのナビウス・ネットにナツメ達がアクセスしているってことなの?!そんな話しは聞いていない!


「ほぉら準備が出来たぞアマンナ!Fly!!」


[ぃぃやっほぉー!!]


 アマンナが甲高い声を上げながら一直線に空へと飛び出しその声を聞いて確信した。


「絶対アマンナの奴飛びたかっただけでしょ!!」


「いいからさっさと俺に乗れ!とっととずらかるぞ!」


 帰ってきたら説教だ!その前に!


「リウさん!ウルフドッグさんも助けてください!い・い・で・す・ね?!」


「いだだだっ!分かったら!角を引き抜こうとするな!」


 リウさんに跨ったと同時に脅しをかけるように角を強く引っ張った。ふわりと上がり半壊してしまった民家を屋根から覗くとウルフドッグが何かを咥えて倒れていた。


「リウさん!」


「言われなくても!」


 半透明の腕を二本伸ばしてウルフドッグさんを掴み持ち上げた、動かなくなった体を私に預けた後は螺旋階段の方角へ舵を切った。

 人型機へ飛んでいったアマンナを見やれば何気に善戦していることに驚いた。善戦というより人型機がアマンナから距離を置こうとしているのだ、それにアマンナが食い付きろくに狙いを付けられずにいた。


「何でアマンナから逃げるの?!」


「あんな一直線にドローンが飛んできたんだ!大方爆弾でも仕込まれてると勘違いして近付けさせたくないんだろ!」


 そういう事、上の階を支えている柱と基板の間からまた一つの機体が現れた。ごっついアーマーに湖面の光をうけて薄い青色に見えるあの機体は私のものだ。そして、それに反応したのかは分からないが湖岸沿いに並んだ卵が次々と割れ始めていった。


「何がどうなってんだ!何で孵化してんだよ!」


「ガニメデさんのところに!」


 私の人型機が間近に見え始めた時、飛び去った空に何度か発砲音が鳴り、小さな体で奮戦(というより楽しんでいた?)していたドローンがいなくなってしまった。代わりに湖面にも負けない青く輝く瞳を湛えた人型機が突進していった。



✳︎



「さぁ早く!皆さん急いで!」


 ゴリラと手記による会話に興じていた私達の所へ一体のピューマが駆け込んできた、その様子は酷く慌てており言葉が通じない私にでも何かが起こった事は十分に予測できた。そして時を置かずして大量の蜂が空を舞い始めたのだ。隠れる場所は傾いた家しかない、周囲にいたピューマをゴリラと二人で誘導しているところだった。地面に残された文字を踏みつけ周囲にいたピューマ達が家の中へと殺到していく、皆んなも酷く慌てていた。

 カバ型のピューマが遅れて走ってきた、しかしその上空に一体の蜂がお腹を構えて狙いを付けているのが見えた。


「早くしなさい!」


 言っている間にも間に合わないと思った私は、アヤメから借り受けていた自動拳銃の安全装置を解除して蜂に狙いを付けた、惑うことなくトリガーを引くが簡単に弾かれてしまった。それならばと羽に狙いを変えてもう一度トリガーを引く、今度はきちんと着弾し羽の一部に穴を空けてやった。


「さぁ!今のうちに!」


 持ち寄ったソファもベッドも跳ね飛ばし突進するようにカバが家の中へ入っていった、羽を撃たれた蜂が態勢を崩して地面に落下していた。


(あんなのどうやって始末すれば!)


 大きさは人とほぼ同じ、しかしその皮膚は金属で出来ているのか銃弾がまるで通じない。見た目は本物の蜂と大差はないのに厄介である、それにお腹には殺傷性の高い棘も隠し持っているのだ。落下した蜂が態勢を立て直しお腹の棘をこちらに向けてきた、たまらず何度か発砲してみるがやはり通じない、皮膚に弾かれる音だけが鳴り響く。


「くそっ!こんな所で!せっかく仲良くなれたっていうのに!」


 尖った前腕を地面に突き刺し体を固定した時、藪の奥から一体のピューマが現れ無防備に晒していた蜂の背中にその顎で噛み付いた。


「あれは?!ワニ?!」


 体長は蜂、人と変わらずその獰猛な牙を蜂に深々と食い込ませていた。銃弾では歯が立たなかったというのにまるで紙切れのよう、獲物を食いちぎるように体を捻らせ背中から蜂を食い破っていった。


「ありがとう!あなたも早く!」


 こちらの言葉には反応せず辺りを伺っている、そしてよく見ればその口元には白い破片が沢山付いていた。もしかしてあのワニは湖岸に並んだ卵を破壊してくれていたのか?さらに藪の奥からワニの一団が現れ、湖に濡れたそのマテリアルと獰猛な牙が歴戦の兵士に見えて頼もしく思えた。さらに民家からピューマ達が身を乗り出し、ゴリラが集めたであろう様々な道具を蜂目掛けて投げつけていた。何と危ない行為か...道具は明後日の方向に飛んでいくがそのうち蜂の一体にクリーンヒットして地面すれすれまで高度を下げた、それを見逃さずワニがお腹に牙を食い込ませ空から引きずり下ろす、そこへワニが殺到してあっという間に見るも無残な姿に変えられてしまった。


「でしたら私も!」


 辺りを飛んでいた蜂の羽を撃って地面へと落とし、ワニに処理してもらうこと数十分、ようやくひと段落した。



「あれは一体何なんですの!どうしてここが襲われるのですか!」


 体格や牙、爪に自信があるピューマが、傾いた家とは裏腹に小綺麗なリビングに集い作戦会議を開いた。あのワニの一団もずらりと私達を囲っている。額に手を置いて唸っているゴリラがこれまた器用にペンを握ってテーブルに殴り書きで文字を記した。


「"わからない、こんなことははじめてだ"」


「えぇそうでしょうとも!あんな蜂の大群に襲われるだなんて聞いたことがありません!原因も狙われる理由も分からないのに対処のしようがありません!」


「"すこしおちつけ、おまえがいちばんとりみだしている"」


 その言葉にはっとさせられた、今さらのように深呼吸をして心を落ち着かせた。


「………逃げ込んだピューマは皆んな無事なのですか?」


「"おまえのおかげだ、けがをしたものはいない"」


「そうですか………って?!」


 ゴリラの手記を見終わって一息吐いた途端、周りにいたワニがその顎を私の体に叩きつけてきた。てっきり食べられるのかと勘違いしてしまい血の気が引いてしまった、あんなものを見せられた後なんだ、怖いものは怖い。ワニなり私を労ってくれているのだろう、その心意気に涙腺が少しだけ緩んでしまった。


「ありがとう……それで、ここからどうしますか?全ての蜂を処理しますか?」


「"それはむりだ、ここからにげるしかない"」


「逃げるって……何処へですか?」


「"このまちからはなれるしかない"」


 私がマキナであれば、通信機能を失わずにいればこの現状を生みの親たるマキナに連絡を取ることも出来たというのに...


「分かりました、ではここから離れましょう」


 不思議そうにゴリラが私の瞳を見つめている、仏頂面だと思っていたこの顔も見慣れてしまえば温かみのある表情であることに気付いた。


「"なぜにげない、なぜたすける"」


「私の勝手な同情です、私は役目を知らされずに生み出された存在です。与えられた時間を持て余して無為に過ぎていくあの日々は、寂しさ以外のものを提供してはくれませんでした」


「…………」


「それに何より私は人質なのでしょう?あなた方の仲間が戻ってくるまでは自分から手枷を外したりはしませんよ」


 また、口角を上げてニヤリと微笑んだ。

その時、犬型のピューマが家の中に駆け込んできた、彼は斥候の役を買って出て周囲を探索してくれていたピューマだ。その表情は芳しくなく、言葉が伝わらなくてもさらなる異変が起こったことは容易に想像出来た。ゴリラと二言三言会話した後上の階へと走って行く、そしてゴリラが手記で私にも教えてくれた。


「"さらなるおおがたがあらわれた、ひなんはいちじちゅうだんする"」



89.b



 いや、やっぱり私は人型機、あるいはドローンが前世だったのでは?今さらもう人型のマテリアルには戻れない、何で二本の足しか移動手段がないんだ。空を飛ぶ楽しさと自由さを手にしてしまった今のわたしには、アヤメと触れ合える以外にあのマテリアルに存在意義を見出せなかった。

 そうだよアヤメだよ、帰ったら何て言い訳しようかと考えていると、業を煮やしたプエラの機体が背面の飛行ユニットを大きく展開した。


[ひねくれら!さっさと白状しなよ!あの卵は二人の仕業なんでしょ!]


 それとこちらからの呼びかけには一切応じない、そのせいもあって互いに牽制し合っていただけだった。そしてプエラがそれに止めを刺しにきたのだ、展開した飛行ユニットの先端をあの時のようにわたしへ真っ直ぐと向けている。


[いい加減にっ……?!]


 まだ逃げていなかったのか、尖塔に置かれた巨大な(いしゆみ)から再び矢が解き放たれた。そう何度も同じ手は通じるはずがない、難なく避けたプエラの機体が私ではなく城の尖塔へ狙いを変えた。尖塔の覗き窓から慌てて逃げ出そうとしているピューマ達が見えて、考える間もなく機体を踊らせた。


[なん?!]


 まだ間に合う、そう読んだのも束の間、プエラの機体が三度狙いを変えてわたしの横っ面に一斉射撃を見舞った。最初からこれが狙いだったのだ、何の構えも取れずに機体の側面に着弾しその衝撃で吹き飛ばされてしまった。熱さと痛さが同時に発生し、何で痛覚切ってないんだよ!と自分に突っ込みを入れている間も白亜の城を盛大に壊しながらようやく激しい揺れが止まった。


[いったぁ〜……あちゃ〜綺麗なお城が……]


 わたしの周りには壊された城の一部が散乱し、見上げた天井は人型機でありながらなお高く、煌びやかな青色に彩られていた。ここはどうやら玉座の間らしい、空間を支え誇示するように並び立つ柱の向こうに一際...かがやく...何だあれは?


[……えまさかまた卵?]


 本来あるはずの玉座から広がるように階段が伸びて、その階段の下には外から引いてきたのか水が流れていた。そして、さっきも言ったようにあるはずの玉座がなく代わりに卵が置かれているのだ。その大きさはわたしと同じ、つまりは人型機サイズ。


[えぇ…何が目的なんだ…人サイズの蜂ですらあんなに苦戦したというのに…]


 何にせよこうしちゃいられない、尖塔にまだいるはずのピューマ達をこっから出さないと。態勢を立て直して人型機エンジンに出力を回し始めると空から幾筋もの光が降り注いだ。


[………っ?]


 プエラだ、まだわたしを攻撃してくるつもりらしい、咄嗟に構えた腕の対電磁投射装甲板に跳ね返り跳弾した光が城の中を傷付けていく、そしてあの卵にも当たってしまい殻の一部が弾け飛んだ。


[うげっ]


 それを合図にしたかのように中から、細かい棘をびっしりと生やした腕、あるいは足が内側から殻を破って広げ、中から一体のクモが現れた。


[うげぇえっ?!]


 外殻部やグガランナ・マテリアルに侵入してきたクモガエルとは異なりきちんとしたクモだ。体表面は無駄にてらてらしていないし細い足なんかも付いていない、その代わりにその大きさが圧倒的、人型機に換装しているわたしですら怖気つくほどだった。


[どうしよう!あぁどうすれば、逃げる?いやでもここで逃げても誰があれを倒すんだって話しだし]


 パニクっているわたしに構わず大型のクモがそのお腹を構えて糸を射出してきた、あちらはやる気まんまんらしい。難なく避けた先で案の定付着した城の一部が白煙を上げ始めた。


[さいっあく!あぁもうやるしかない!]


 対電磁投射砲装甲板をパージして、アヤメお得意のクレセントアクスに変形させその柄を握った途端に地面を大きく穿ってしまった。


[……………]


 え、持ち上がらないんだけど...何か調整ミスったのかな...もう一度持ち上げようと踏ん張るがびくともしない。だったら補助ブースターを起動させて無理やりにでも持ち上げようとすると、今度は機体ごと宙へと持っていかれてしまった。


[ウソでしょ何この調整アヤメ意味分かんない!]


 帰ったら説教してやる!それよりもまずはあのクモ野郎だ!せっかく持ち上げられたんだからこのまま振り下ろしてやる!再びブースターを起動させて振り下ろすというよりわたしが付いていく形でクレセントアクスがクモ野郎目掛けて飛んでいく、過たずその脳天を捉えて吹き飛ばした。


[それみたことか!アヤメの機体を舐めんなよ!]


 啖呵を切ったはいいがやけにあっさりだなと思ったのも束の間、尖塔に登っていたピューマ達から慌てた様子でそこから出るなと声をかけられた。一体何事かと聞き返すと、


「"表にもデカい蜂が飛び回っているんだよ!多分お前より大きいぞ!"」


[冗談はやめてくれよ…]



 本当だった。城の外にはさらに超大型のハチが城を中心として旋回行動を続けていた。ちらりと伺っただけなのでまだこちらには気付いていないが見つかったらどうなることか...それにあいつの卵は一体どこにあったんだ?まさかまだ隠している訳じゃないだろうな。

 クレセントアクスを解除して再び対電磁投射砲装甲板に切り替える、その間に今し方倒したばかりのクモを観察する。こいつもハチ同様に機械部品が体内から顔を出しているのが分かった。

 装甲板の切り替えが完了しピューマ達へ合図を送った、わたしの手持ちでは奴にダメージを負わせることが出来そうにない。それなら互いに連携し巨大な弩で撃破する流れになった。


[じゃ、トドメはよろしくねー]


 それぞれのかけ声を耳に入れながら素早く空へと舞い上がる、ドローンと違って体の重たさを嫌でも感じてしまうがその頼もしさは段違いであった。

 壊されてしまったお城を後にして高度を上げていくと、早速ハチがわたしに気付いた。空域にいるのはどうやらあのハチだけのようでプエラの機体はいなくなっていた。


[余計なものを押し付けやがって!]


 愚痴を放った後、対装甲板のフレキシブルアームを作動させて前面に展開させた。デュランダルの攻撃を弾いた時と同じ構えだ、それに対しハチはお腹をこちら側に向けて間髪入れず大棘を放ってきた。敵対距離はおよそ百メートル、それでもなお見上げるハチの大棘の破壊力は如何程か、そういえばこの装甲板は対電磁投射砲だったよなと気付いた時には体を捻って躱していた。


[?!]


 大気を震わせる程の音が通り過ぎ、背後にあった半壊のお城を全壊させてしまった。クモの死骸が転がっている玉座の間がここからでも見えている。尖塔で矢をつがえているピューマ達はまだ無事なようだが...お城を敵の射線に入れるのは大変まずい、避けた先でピューマ達が巻き込まれる危険があった。


(それなら一か八かっ!)


 鈍重な機体を持ち上げるために追加されたブースターをフル稼働させ、ハチの上空を押さえタイミングを見計らう。ハチは再びお腹を構えて大質量の大棘を何度か放ってきた、基板に着弾して崖崩れを起こしたかのように大量の瓦礫が降ってきた。あの大棘の威力が凄まじい、電磁的な攻撃手段ならこの装甲板で弾くことも可能だがあの大質量の大棘は無理だ、衝撃だけで機体が粉々になりそうだった。

 ピューマ達から合図が来た、準備完了。後はこちらが敵に隙を与えるだけ。


[わたしが一発ハチの頭にかますからそれに合わせて!]


 呆れ半分、声援半分の声が返ってくる。ハチが懲りずにお腹を構え大棘を放つ、弾道さえ見切れば直線運動を避けるだけだ、わたしの背後に飛び去った大棘の轟音を耳に入れながら対装甲板をパージ、もう一度クレセントアクスに変形させてそのまま落下軌道に入った。


[むむっ、ハチが逃げた?!それなら!]


 後でアヤメに謝っておこう、クレセントアクスの補助ブースターを起動させて射線を微調整した後柄を手放した。人型機すら持ち上げる出力設定なんだ、自重ぐらい支えるだろうと思ったら案の定、簡単にクレセントアクスが斜め下方向にすっ飛んでいった。突飛な行動にハチも驚くが遅い、眉間よりやや下に着弾したクレセントアクスによってその巨体を大きく傾がせた!


[撃てぇー!!]


 城としての原型をぎり留めている尖塔から一斉に矢が放たれた、その軌跡は見事にハチへと収束し全ての矢がハチに突き刺さっ...て、いない?!


[嘘でしょ…]


 そもそもあのクレセントアクスを脳天に食らっていながら堕ちていないのだ、それに弩の矢も全て弾かれて宙を舞っていった。わたしの機体とピューマ達の総攻撃でも歯が立たないなんて...声の限りに皆んなに向かって叫んだ。


[総員たいひぃー!逃げろぉー!]


 勝てないなら逃げる、というか逃げるしかなかった。



✳︎



 絶望的な報告が入ってきた、空を舞う白い巨人と城に駐留していたピューマ達が総攻撃を仕掛けても、超巨大な蜂を落とせなかったらしい。テーブルに書かれたゴリラの文字を読んで打ちひしがれた。白い巨人とはアヤメの人型機のことだ、さらに城には人間が再び戻ってきた時のためにバリスタを設置していたらしい。言わば自衛のために置いた最大戦力のバリスタすら蜂には通用しないのだ。


(一体どうすれば…蜂の目を掻い潜って逃げ出すにも無理がある…)


 まだ空には()()()()小さな蜂が空を占拠している、ピューマ達と連携を取って都度撃破していけば突破できなくもないが、城の上空には巨大な蜂もいるのだ、抜け出すまでに見つからない自信がなかった。

 

「"おまえだけでもにげろ"」


 今となっては仏頂面に見えなくなったゴリラがそうテーブルに記した。


「それは出来ません、それに、」


 話している途中で書き足した。


「"ここにいてもどうにもならない"」


「………」


「"おまえひとりならかくれながらうえにむかえるはずだ"」


「それは、確かにそうなんですが…」


 重苦しい空気の中、二階に上がっていた戦うことができないピューマのうち、リスが階段の手すりを凄い勢いで駆けてくるのが目に入った。わたしの視線に気付いたゴリラもリスを見やり何事かと話しを聞いている、そしてゴリラが何でもないように立ち上がり家の玄関へと歩みを進めていく。


「どうかしたのですか?」

 

 私の言葉に反応しない、その背中には拒絶の色があった。今さら?あれだけこちらを気遣ってくれていたのに?その意味が瞬時に理解出来た。


「…もしあなたの身に何かあったらどうされるおつもりですか、責任感が強いのは結構なことですが立場を弁えてくださいまし」


 ぴたりとその歩みを止めた。


「外で何かあったのですね?」


 まだ答えようとしないゴリラに代わって、リスがテーブルに書かれた「し」と「か」の文字を行ったり来たりとしていた。し、か?しか、シカ?


「シカがどうされたのですか?」


 そして次に「い」「な」「い」の文字の上に立った。


「シカがいない?まさかこの家に避難していなかったのですか?!」


 目にも止まらぬ早さで首を縦に振っている。まさか私に二度も攻撃してきたあのシカではないだろうな...


(はぁ…世話のかかる…)


 やおら立ち上がりゴリラの背中に向かって声をかけた、いや宣言だった。


「ここを離れる前にもう一仕事してきましょう、私が外へ行って探してまいります」


「………」


「心配なさらずとも私はマキナです、いざとなったらサーバーへ行けばいいだけの話しです」


 あまり心配させないように嘘を吐いたつもりだったのだが...周りにいたピューマからあからさまな溜息が聞こえてきた。


「何なのですのその溜息は?!私が人間ではなくて悪かったですね!!」


 せっかく仲良くなれた相手が私で悪かったですわね!言外に文句をぶつけるとワニがその怖い顎をまたぶつけてきた。きっと言葉が通じ合うならささやかな笑いが起こっていることだ、そう願いながらゴリラを差し置き私が外に繰り出した。すれ違い様に寄越したあの視線は...きっとバレている。


(まぁいいですわ、さっさと探しに行きましょう)


 空には未だ蜂が飛び交い、地上を索敵しているかのように思われた。それも一体ではなく必ず二体が一緒になっている、片方が落とされてももう片方が対象するように知恵を働かせているのだろう、何と小賢しい。


(確かあのシカが逃げていった先は…)


 家の玄関口から広場を挟んだあの藪の向こうだ、きっとピューマ達の通り道になっている藪には黒くて小さなトンネルがぽっかりと空いていた。自動拳銃を構えて見つからないようにと祈りながら走り出し、広場でひっくり返ったベッドを通り過ぎた時に上空が騒がしくなっていることに気付いた。ごうごうと鳴る風と地面を蹴り上げる音が耳に届く、そして上から歪な音が聞こえ肝を冷やした瞬間、


「ひぃっ?!」


 私のすぐ後ろに何かが突き刺さる音がした、棘だ、遠慮なく撃ってきた。


[…………個…総………ア………、………ポー…プロ………ガ………に……事態を確………した]


 頭の中は大パニックだ、あんな物に貫かれたら洒落にならない。どうしてマキナとしての身分を剥奪したのかと今さらながらに恨む気持ちが出てきた。


「ひぃひぃひぃっ!」


 それにここまで全力疾走なんてしたことがない、体が悲鳴を上げて今にもバラバラになりそうだった。そんな私に構わず蜂は何度も撃ってくる。


「ひゃあっ?!」


 今度は真横、広場の外れに置かれていた古い本棚が木っ端微塵に壊れた。木片と土が舞い上がり少なからず私の視界を奪ってしまった。


[……………ス・サーバーに緊急……、攻……象を……化します。シ………ンス完…予……間は約…分です]


 後はしゃにむにになって駆けた、視界が晴れたと同時に藪が現れ潜っている暇はないとそのまま飛び込んだ。


「っ?!!」


 予想していた地面の衝突はなく代わりに浮遊感が襲ってきた。まさか藪の向こうは...崖?!何でこんな所を行き来しているんだとむかっ腹を立てた時に斜面に体が当たってそのまま転がり落ちていった。上下感覚が無くなり何度も体を打ち脇腹辺りに強い衝撃がきてようやく止まった。


「はぁ…はぁ…い、生きてる…」


 体は土だらけ、痛いところがない程に全身が重く思うように動かせない。腐葉土に突っ伏していた頭を上げると、幸いにもすぐ目の前にあのやんちゃなシカを見つけることができた。


「………」


 向こうも何だこいつと驚いた目をしている。


「迎えに…来てあげましたわよ…」


 しかし、無情にも蜂の大群は私をきちんと追いかけていたようで、樹の梢から覗く頭上にはおびただしい敵が旋回していた。


「…さっさと行きなさい…あれだけ、こっちに引きつけたら向こうは安全なはず……」


 蹲っていたシカが徐に立ち上がり、元気な足取りで私の所へ駆けてくる。そして、そのまま逃げればいいものを動けなくなった私のそばで再び座り込んだ。何度もシカが私の頬を舐めている、見た目とは裏腹に温かい舌触りを感じた。


「まったく……世話の焼ける……」


 上空にいた蜂の一匹が、まるで厳かな天使を気取るように舞い下りてくる。お腹の棘を撃つ必要もないと思ったのか、直接仕留めるつもりなのだろう。

 全く...でもまぁ、こんな終わりもありかなとシカに手を伸ばした時に頭の中ではっきりと声が聞こえた。


[シークエンス完了、介入対象を固定、始めます]


 聞き取りやすい男の声だった、これが走馬灯かと馬鹿げたことを考えいると、気取った天使がそのままずどんと落ちてきた。それだけではない、他の蜂達も高い空から次々と意識を失ったように落ちてきて、樹の枝を折り土を巻き上げていった。


「な………これは……」


 シカも驚き私にぴったりと寄り添っている。さらに遠くからとんでもない音が鳴り、この階層全域に広がるような轟音がなった。


「……まさか、あの巨大な蜂も?でも、何故……」


 蜂の落下が終わった森は静けさに包まれ、さっきまでの殺伐とした雰囲気が嘘のように和らいだ。これで助かったと分かった途端に意識が薄れ始め、私もシカに体を預けるのであった。



89.c



 ...頭が痛い、それに胸は苦しく喉に何かがせり上がってくる不快感を覚えた。ゆっくりと頭を上げるとカウンターにいた店主は姿を消しており、飲み干したはずのグラスには何かが注がれていた。


「………いたい、頭が痛い……」


「……ようやくお目覚めですか…」


「?!」


 びっくりしてしまった、私だけだと思っていたバーカウンターにもう一人いたようだ。私と同じように呑んだくれて気分が悪いような声をしていたのは着物姿のあの女性だった。目元まで伸びた前髪のせいで表情は窺いしれないが、きっと面倒臭いと思っているに違いない。


「改めてよろしくお願いしますナツメさん…今後私のことはロムナとお呼びください…」


「あ、あぁ…」


「ところで…私の天使はどちらにいますか?」


「……はぁ?」


 グランドホテルの一幕は目撃している、この女が...ロムナと名乗った女がテッドに手を出していたこともだ。


「……ご一緒ではないのですか?茶色の巻き毛で愛くるしい天使でございます、あなたと共にナビウス・ネットにアクセスしたあの子」


「それを、わざわざあんたに言う必要があるのか?見れば分かるだろう」


「そうですか……待った甲斐もありませんでしたね」


 何なんだこの女。


「こんな所で酔い潰れて一体あなたは何をしに来たのですか?」


「………」


「さて…こんな酔いどれは放っておいて湖岸へまいりましょうか、きっとあの子が今か今かと待ち侘びているに違いありません。何とか間に合って良かったです」


「はっ、テッドがお前の元に行くわけがないだろう」


「おや…その自信はどこから?テッドと喧嘩をして酔い潰れていたのではありませんか?」


「……っ」


「図星のようですね……分かりやすい方で助かりました…」


「何だとっ!」


 何気にテッドを呼び捨てにしているし!声は小さくまるで覇気はないが、マイペースに喋り続けるこの女に苦手意識を覚えた。


「こちらの用は何とか終わりましたので、明日の朝にはペレグが顔を出すかと思います…」


「……そのペレグというのがアクセス権を持っているんだな?」


「えぇ…そして私もこれからテッドの心へアクセスしに行こうかと思いますので…これで失礼します」


「お前なっ!真面目な話しなのか喧嘩を売っているのかはっきりしろ!」


「いえ…私は喧嘩を売ったつもりはございませんが…」


「あぁもう!いい!」


 声を張り上げ席から立った...と思ったのだがそのまま後ろに倒れてしまった。背中を強打してしまい肺の空気がいっぺんに押し出された、そんな私を上から覗き込むロムナ、前髪が垂れてようやくその瞳を見ることができた。不思議な色、翡翠と言えばいいか、混ざりけのない緑色をした瞳だった。


「おやおや…そんな調子では私に先を越されてしまいますよナツメさん…結婚式には是非ご招待致しますのでその時はよしなに…」


「……マキナと人間が結婚できるわけないだろぉ!」


 強かにロムナの脛を殴ってやった、向こうももんどり打って足を抱えているのが良い気味だった。



 まさかテッドが昔の私を知っていたなんて露とも思わなかった。色をやっていたと知っておきながら、それでも奴は私を慕ってくれていたのだ。真正面から好意をぶつけられてどうすればいいのか分からず逃げ出してしまった、何て甲斐性なしなのか、自分を嘲り卑下してもテッドと向かい合い勇気が持てずに仮想世界の繁華街を彷徨い歩き、ニホンシュなる酒を浴びるように呑んで文字取り潰れていたのだった。情けないったらない。


「何故…着いて来られるのですか?」


「誰もいない湖岸を見てお前を笑おうと思ってな、何、気にするな」


「はぁ…では、もしテッドがいた場合は決して邪魔はしないと約束してください」


「いいだろう、いなかった場合は高笑いしてやる」


 時間帯は深夜、だと思う。街は静まり返り通りを歩いているのは私とロムナだけ、道路も時折車がのんびりと走っていくぐらいだ。日中と変わって夜はひんやりと涼しく、呑みすぎて頭が痛い私にはちょうど良い気温だった。

 小さな看板を付けたこれまた小さい店舗の通りを抜けて、路面電車の駅がある道に出た。テッドと別れた後すぐは大変混雑していた交差点を通り、ショッピングモールの大型駐車場を左手に見ながらロムナの後を追う。右手には駅のプラットホームが見えており、深夜を過ぎたこの時間帯には一人っ子一人居なかった。私のブーツとロムナの下駄が鳴る音だけが街に存在を知らしめている、視線だけをこっちに向けてロムナが話しかけてきた。


「ところで…つかぬことをお聞きしますがこのナビウス・ネットにはどうやってアクセスされたのですか?」


 またぞろ変な話しは挟まないだろうな警戒しながら、


「知らん、タイタニスが段取りをしていたからな、知る由もない」


「タイタニス…そうですか…」


「何か?」


「いえ…大変仲が悪いと聞いておりましたので…」


「誰と?私とお前のような間柄か」


「会って間もないのに間柄もないと思いますが……×××です」


「は?」


「ですから、×××です。私達を創造されて何処へ赴かれた×××です」


「お前ふざけているのか?何て言っているのか聞こえない……」


 いや...前にも似たようなことがあったな、確かガニメデと初めて会った時にも聞き取れないことがあった。


「耳までお酒が回っているのですか?何ならこの辺りで横になっていても構いませんよ…」


「何だと…」


「ふふっ、その言い方はアマンナさんに似ていますね…」


 さん、のところだけ強調したのは聞き間違いではないだろう。こいつの冗談に流されてしまいそうになったが、言葉がかき消されていることに気付いていないのか?本人はきちんと発言しているつもりのようだが...

 誰もいない街の通りを二人して歩き、グランドホテル近くの湖岸まで戻ってきた時、私は初めて嫉妬を経験した。



✳︎



「お前という奴はっ!お前という奴はぁ!!」


 顔が少し赤らんだナツメさんが女性と一緒に現れ驚き、そのまま僕の胸ぐらを掴んで揺さぶってきたのでさらに驚いた。


「な、ナツメさん?!何でこんな所にっ、く、苦しいっ!」


「お前!私にあれだけのことを言っておきながらこんな女にほいほいと付いて行くのか!見損なったぞ!」


「ちょちょ、待って、誤解ですって!」


 それにお酒の匂いがぷんぷんする、これは酔っているな、ナツメさんが酔って取り乱すなんて珍しい。というかこの仮想世界はお酒が呑めるのか。


「何が誤解だ言ってみろ!」


「い、行く当てが、なかったので、し、仕方なくっ!」


「それの何が誤解なんだ付いて行く気まんまんじゃないか!あんなに照れていたのにもう純情は捨てたというのかテッドっ!」


「そ、それを言うならどうして!ナツメさんこそ、急にどうしたんですか!」


 揺さぶっていた手が止まりぴたりとその動きを止めた、ようやく息苦しさから解放されてナツメさんを見やると目を点にして僕のことを見つめていた。


「そ、それはだな…あぁ…そ、そうだな…」


「…………」


 答えに詰まって地面に視線を落とした、こんな反応も初めて、というより恥ずかしがっている子供そのものに見えた。あのナツメさんが?という思いと、今なら唇を触れられるんじゃないのか?という確信があった。


「…僕はナツメさんの元から離れるつもりはありません。ナツメさんがここにいるから僕もいるんです」


「…………」


 ナツメさんがゆっくりと顔を上げて、今度こそ僕のことをはっきりと見てくれた。頭の中で「性欲お化けお兄ちゃん」と馬鹿にするアマンナの言葉が邪魔をしてくるが、これ決して下心だけではないと意を決すると、


「あのぉ…お取り込み中のところ申し訳有りませんがぁ…この場で泣いてもいいですか?」


「わっ」


「………っ」


 そ、そういえばこの人を待っていたんだっけ...まさかナツメさんも一緒に来てくれるだなんて思わなかったからすっかり忘れていた。ナツメさんは僕から離れて明後日の方向を向いている、今どんな顔をしているのか知りたいけど見ることができない。


「あ、私は二番目ということですか?それでも全然構いませんけど二度とここから出しませんよ?」

 

「いや、あのですね…二番目とか、そういうことではなくて…」


 言うことが怖い...どうして他の人と話す時は静かなのに僕と話しをする時は饒舌になるのか。


「あー…な、ナツメさんと一緒に使っているへ、部屋?家?に戻れなくなったので、どこか泊まれる場所を教えてもらおうかなと、思っていたのですが…」


 後ろから肩をどつかれた、振り向くと拗ねた子供の顔をしていた。


「いつ私がお前を追い出したんだ、人聞きの悪いことを言うな」


 また後ろでどさりと音がした、振り向くと口元を押さえて女の人が泣き出していた。


「うぅっ…試合には勝ったけど勝負には負けたとは、このようなことを言うのですね……」


「はっ!だから言っただろう!お前になびくことはないと!」


 ナツメさんがこれ見よがしに指をさしながら笑っている。


「……そもそもいるいないの話しだったと思うですが……さて、ここで一つ提案があるのですが、よろしいですか?」


 前半はナツメさんに向かって、後半は僕に向けられたものだった。


「な、何でしょう…」


「ぬか喜びをさせた責任を取ってください、見たところお二人は意識し過ぎるあまりに居辛くなって互いに距離を取って……うぅ」


「泣くぐらいなら私達を暴くな」


「……お二人が使っている部屋があるのですよね?そこに私もご一緒させてください。きっと良い緩衝材としてお役に立てることでしょう」


「はぁ?お前どんな神経しているんだ?」


 心底馬鹿にしたようなナツメさんの声を聞きながら、僕は地面に座り込んだままの女性に手を差し伸べていた。


「ぜ、是非、よろしくお願いします……」


 またまた後ろから肩をどつかれ、手のひらが折れるぐらいに女性に握り締められた。



 時間はとうに過ぎていて、今は夜中の二時から三時を回っていた。帰ってきた時計を見て少しだけ驚いた、そんなに時間が経っているとは思っていなかったからだ。そして、ロムナと名乗った女の人が午前二時から三時の間を「丑三つ時」だということを教えてもらった。


「ここがお二人の……ただの掘っ立て小屋ですね」


「文句を言うなら出て行け」


「まぁまぁ…さぞかし私が邪魔でしょうがないでしょう…テッドはそうでもなさそうですが…」


「えっ、いやっ……」


 正直に言うと心底助かっている、さっきは強気に出れたけどやっぱり同じ屋根の下だと意識してしまう。ナツメさんはむくれっ面で僕を睨んでいるだけで何も言ってこなかった。

 ロムナさんが改まったように腰をかけていたベッドの上で居住まいを正し、「向こう」での出来事について教えてくれた。


「さて…テッドと初夜を「今すぐに追い出すぞ!」迎える前にお伝えしたい事がございます。中層にあるリニアと呼ばれる街でノヴァグとは似て非なる成虫が一斉に孵化をしました」


「……は?」


「ノヴァグとは似て非なるとは…」


「生き物でありながら機械に繋がれた歪な生き物です、その外見は蜂に酷似しておりました。便宜上、我々はスーパーノヴァと呼称し調査を行なっておりました」


 眠い頭に衝撃が走ったようだ、向こうとはつまりアヤメさん達が巡っている中層のことで、リニアと呼ばれるのは僕が一度も行ったことがない街だ。

 表情がころころと変わっていたナツメさんも、この話しばかりは真面目に聞いていた。


「アヤメ達は無事なのか?」


「…………」


「何だ、ふざけるならさすがに許さないぞ」


「いえ、失礼……どう報告したものかと、ペレグによれば同行者は全て無事だと聞いておりますが、上空を占拠していた蜂が事切れた理由が分からないと言っているのです」


「事切れた?つまりは死んだということなのか?」


「はい…その数は数百に及びアヤメさん所有の人型機なる巨人をも超える蜂が存在しておりましたが、その全てが一瞬にして絶えてしまったのです」


「……それは、人型機が倒した、とかではなく?」


「はい…不明です。おそらくはその体が未成熟なために死に至ったのではないかと結論付けていますが…」


「あまり現実的ではないな」


「仰る通りかと…私は第三者の介入があったのではないかと推測しています。解剖した蜂の脳にはルーターが仕込まれておりましたのでサーバーからハッキングをしたのではないかと…」


「痕跡は?」


「ありません…むしろ傷んだところが一つも無かった程です…不可解にも程があります。リウの結論は「神の怒りを買ったのではないか」と馬鹿げたものでしたが…」


 ナツメさんと目を合わす。向こうは向こうで大変なんだと改めて、僕達の置かれた状況を再認識させられた。


「……良く分かった、すまんが明日の朝にはペレグという人物に話しを通させてもらう。私達も早く向こうに戻らないと大変なことになりそうだ」


「えぇ…その方が良いでしょう、テンペスト・シリンダーの根幹をなす下層に破壊目的で侵入する人がいるとなれば、蜂どころの騒ぎではございません」


「頼んだ」


「はい…それとテッド、こちらに」


 急に呼ばれてしまったのでとくに疑問に思うことなく近付いていくと、その鼻息が荒いこに気付いた。が、既に遅かった。腕を取られて無理やり膝に頭を押し付けられた、柔らかい足の感触と濃くて甘い匂いがしてパニックになってしまった。


「ふぐうっ?!むぅぅっ!!」


「あっー!!一仕事終えた後は格別ぅーっ!!」


「今すぐ離せ!くそっ油断したっ!」


 ...その後空が朝焼けに赤く染まるまで二人の喧嘩が続いた。おかけでナツメさんを意識せずに済んだが昼頃までぐったりと眠りこけてしまった。



89.d



「何やってんの!早く!」


「まっ、待ってくれないか、まだ本調子じゃないんだよ」


「知らないよそんなの!早くしないと皆んなに言いふらすよ?」


「分かった、分かったから」


 自慢もできない僕の手を引いているのは幼いながらも好奇心旺盛な小さな手だった。いや、幼いからこそ恐怖にも負けず、心の赴くままに駆けることができるのかもしれない。

 朝焼けの第十九区を、あの日この手にかけたと思っていたピューマの女の子と歩き回っていた。僕より二つ分低いその頭は、朝焼けの光にも負けずに茶色を保ち天使の輪っかが降り立っていた。スリーブレスのブラウスから覗く少し陽に焼けた健康的な肌には薄らと汗が浮かび、ハーフパンツからすらりと伸びた足がたくましく街の石畳みを蹴っている。向かう場所は聞いていない、この子が行きたい所に僕を連れて回っているので聞く暇もなかった。

 名前はキリ、僕が目を覚ましたあの場所で出会い頭に拳を見舞った何とも気の強い女の子だ。倉庫の通りに差し掛かった時にその手を離した。ようやく一息つける安堵感と、もう繋いでくれないかもしれないという寂しさが胸に襲ってきた。その好奇心を隠そうとしない瞳を僕に向けてこう聞いてきた。


「この中はどうなってるの?」


「いや、君はまだ知らない方がいい。見せられるものでは、」


「見たい!」


「いや、困ったな…」


「見たい見たい見たい見たぁい!」


 もう一度僕の手を握って振り回しながら駄々をこねてきた。こうなってしまえば聞かざるを得ない。


「少しだけだよ」


「いやったぁ!」


 僕の手を離して扉の前で待ち構えている、この子はどこかあのアマンナと呼ばれた女の子に似ているなと、束の間回想に耽ってから扉の鍵を開いた。


「埃っぽいね…」


「そりゃあ倉庫だからね、仕方ないよ」


 窓から入り込む朝日が埃を照らし、倉庫の中に光の柱が斜めに立った。ここに訪れたのはマギールさんとピューマの寝姿を拝見しに来た時以来だ、あの日は別の倉庫だったが今日は我が家の絵画が納められている所だった。

 ちょうどこちらを向いていた運がない絵画の前にキリが立った。見るだに嫌悪感を催す内容のものだった、一人の男が様々な武器を持っている絵画だ。僕はてっきり泣き出すか、あるいは怒り出すかと思っていたが意外な反応を示した。


「あぁこれかぁ…この絵だけなの?」


「……え?君はこれを見ても何とも思わないのかい?」


「キリ!君じゃなくてキ・リ!」


「わ、分かったから…」


「何ともはないけど昔はしょっちゅう見てたから、これってマキナの真似をしてるんでしょ?」


 開いた口が塞がらない。


「違うの?リューはマキナについて詳しいんだよね」


 リューとは僕の渾名だ。


「そこまでは…存在理由やこの街をサーバーから運営していることぐらいなら分かるけど…」


 あの父がグラナトゥム・マキナに対して何やら裏で動いているらしいが...僕はまんまとマギールさんにはめられた形だった。


「あっそう…私が昔住んでた街ではよくやってたよ、マキナがこうすると良いとか言って」


 僕の頭の中にも過去の出来事が記録されている。テンペスト・シリンダーが完成し()()からの視点としてその歴史を辿ることができる。しかし、微に入り細に入った記録はない、大まかな出来事しか分からない。

 話しを逸らすためにその街について聞き出すことにした。外見は子供でしかないこの子は僕より遥かに年齢を重ねているはずだが、不思議とその話題は憚られるような気がした。


「街って、どんな所だったんだい?」


「もうね!すっごくつまらない所!ここみたいに色んなものもないし!風ばっかり吹いて寂しい所だったよ!あ、でもここと少し似てるかな?」


 身振り手振りで教えてくれるその姿は愛らしく、僕より年齢を重ねた存在には見えなかった。


「もういいかい、ここはあまり好きな所ではないんだよ」


「そうなの?それならそうと早く言ってよ。もう二度と行きたいなんて言わないから安心して」


 僕の気持ちを汲んだ言いようには頭が上がらない。天真爛漫のように見えて相手を気遣い、手玉に取っていることはきちんと示してくる。あっという間にこの子の言いなりになってしまった。


「じゃ、次に行こうか!」


「わ、ちょっと、手を引っ張らないでくれ」


 開けっ放しにしてしまうのはまずいと思いながら、元気に引くその手を離す気にはなれなかった。



 父の自宅に侵入者が現れてから、日に日に過激な言動が目立つようになった。遥かな昔から支配を続けているグラナトゥム・マキナを口汚く罵るようになり、物々しい雰囲気を放っている人達と何度も会っていた。

 目が覚めてから全てを教えられた、第十九区に配備された簡易人型機を使い第一区に停泊していたグガランナ・マテリアルを襲撃したことだ。カーボン・リベラ政府はハンザ上層連盟の長である僕の父に嫌疑をかけ捜査を行なっているようだが旗色は悪い、僕がピューマの面倒役に選ばれたのも他意があってのことだろう。キリは僕の足枷だ、しかし父の元につきたいかと言われたら首を振らざるを得ない。

 倉庫の通りを抜けて、ステンドグラスを使うためだけに建てられた神もいない教会を抜けて街の名物になっている黒い湖までやって来た。キリが湖のほとりに身を屈め、黒く汚れた水をすくって口元まで持っていったので慌てて止めに入った。


「何をやっているんだい!」


「え?前にこれ飲んだ子がげぇぇってしてたじゃん、ただの水だって。私も気になっててさ」


 そうかあの時、キリはピューマの一団の中にいたんだ。


「それは油絵の具の汚れなんだよ、この街ではよく使われているからね。下水で処理していたのがいつの間にかこの湖に流れ込んでしまって、僕が子供の頃はもっと澄んでいたよ」


「なぁんだ」


 興味を無くしたようにすくっていた水を払った、濡れた手を乱暴にハーフパンツに押し付けている。


「ほら、これを使って」


「ありがとう!」


 手を拭いたハンカチを僕に返すことなくポケットへねじ込み、湖岸の周りをゆっくりと歩き始めた。少し歩いてから振り返り視線だけで付いて来いと言っている。子供の頃に遊び回っていた時以来の湖を、キリの少し後ろから眺めていると有無言わせぬ口調で問い質してきた。あの日の事をだ。


「どうして私にナイフを突き立てたの?」


「…………」


「黙り?」


「いや、まさか聞かれるとは、思っていなかったから……」


「どうして?まさか私が許したと思ってたの?」


「そんなことは……」


「リューがあんな事するなんて夢にも思わなかったよ、こんなに優しい人間もいたんだと感動していた私が馬鹿みたいに」


「………」


 暖かい日差しに包まれ、目の前には輝きを放つ黒い湖がある。風も穏やか、キリが口にした話題だけが唯一歪に思えたが、発端はこの僕だ。


「…僕の頭の中には歴代の「アンドルフ」という男の記憶があるんだ。それをどうしても継承したくなくてね」


「どうして?」


「怖かったからさ、他人の記憶を植え付けられるだなんて生きながらに殺されるようなものだ。アンドルフが代々描き続けてきたあの絵画の真意を理解できれば記憶の移植はしないで済むと思ったんだよ」


「だから私に手をかけたと…」


「君を狙ってやったんじゃない、たまたまさ」


 後ろ手に組んで歩いていたキリが素早く振り返り僕のお腹に拳を叩きつけてきた、突然のことに対応できずもろに食らい不快感がこみ上げてきた。


「そこは私でいいでしょうが!わざわざ言い直すな!」


「わ、悪かったよ……いたたっ」


 何故、拗ねた顔をしているのか分からない。不運に手をかけられた事に憤ることはあっても、無差別であったことに拗ねるのは筋違いのはずだ。

 キリがまだ何かを言おうとその口を開き、結局何も言わずに閉じて僕の後ろに視線をずらした。誰か他に散策客がいたのかと僕も振り返ると父が立っていた。あまりに出し抜けで、あまりに自然に立っていたので言葉がなにも出てこなかった。


「その子供は?」


「………知り合いの子さ、僕が面倒を見ているんだよ」


「家に預けて俺に着いて来い、話しがある」


「私も行っていい?どうせ行く当てないし、リューのそばから離れたくない」


 父が憐憫の眼差しを僕に向けた後、踵を返して歩いていった。


「行っていいのかな?」


「……いいと思うよ、けどさっきの言い方は控えてほしいかな」


「?」


 潤んだ瞳は黒色で、この子を象徴するような勝気な眉が少し垂れている、微笑むように薄い唇は上がり僕を見上げているその顔に、これ以上釘は刺せないと諦めてしまった。


「……何でもないよ」


「それならいい」


 ...やはり僕はこの子には逆らえないようだ。再び先を歩き出したキリの後ろを、惨めさと安息感に心を委ねながら付いていった。

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