第八十七話 煩悩ドッグファイト
87.a
キメラの家にお呼ばれされ、一括統制期時代にあった出来事について説明を受けた私達は最下層を目指して街の中を歩いていた。別れの挨拶を告げた途端、事切れたように動かなくなってしまったキメラをいたく心配していたアヤメだが、私とアマンナ様の話しを聞いて何とか理解してくれたようだった。
「とにかく問題ないんだよね?」
[そう、多分サーバーに戻っただけだから心配ないよ。さすがにあの倒れ方はないと思うけど]
「マテリアルが傷んだりしないのかな」
「あまり気を払っているようには見えなかったので、おそらくスペアがあるのではありませんか?」
[まぁもういいじゃんあのキメラについては、それよりも一番下の階層に行こう!]
「さっきはあんなに怯えていたのに……」
「それよりきめらって何?」
支柱に反射している太陽の光は沈みゆく前の強い日差しだった、並ぶ民家よりなお巨大な支柱が照り返す光がアヤメの横顔に降り注ぎ金の髪を一層輝かせていた。
[キメラっていうのは古代ギリシャに登場するキマイラから付けられた名前で、ライオン、ヤギ、ドラゴンの頭にヘビの尻尾を持った架空の生き物だよ]
「あぁ…きめらさんも尻尾が三つあったね」
「それと、生物学においてもキメラの名前は存在していますよ、同一個体に複数の遺伝情報を持った細胞を有する場合もキメラと呼ばれます」
「何でも知ってるね」
[わたしも!わたしも知ってたからね!]
「はいはい」
くすりと笑いながらドローンを優しく撫でた。
通りを歩いていると家の中からこちらを伺っているピューマ達がいた、アヤメが美術品を堪能している間に私達を道案内してくれたのも彼らだった。人に対する恐れと好奇心がない混ぜなった瞳を向けているだけで決して近寄ろうとはしない。私はそんな彼らに強い親近感を覚えていた、役目がありながらそれを果たすことなく与えられた時間を無為に消費してしまう歯痒さ、けれど人間に近寄れずただ遠巻きにして眺めるそのいじらしさを愛おしく思う。
「この通りを抜けると下へ行ける階段があるの?」
[そう、公園の近くにおっきな螺旋階段があってね、アヤメを連れてから降りようって話しをしてたんだよ]
「へぇー優しいね、私なら絶対に置いて行くのに」
[何だと?]
「………っ」
二人の会話に交ざろうと口を開いたが言葉が出てこなかった。
(あれ…どうして…)
こんな事は初めてだ、それに歩くスピードも段々と落ちていることに気付いた。さっきは目の前にアヤメの背中があったのに今は少し離れていた。離されまいと意識して足を持ち上げている中、通りを抜けて先程案内してもらった公園が見えてきた。あのキメラにちなんで造られたのかは分からないが、針葉と広葉が入り混じり曲がりくねった何とも不可思議な樹が一本だけ立っている公園だった。悪い魔女が持っているような杖の形をした柵で囲われ、支柱の照り返しを受けた芝生が黄金色に輝いている。その近くにある螺旋階段をアヤメがいち早く見つけ、感嘆に染められた声をどこか遠くに聞きながら私は芝生に吸い寄せられるように歩みを進めていた。
「こんなおっきな階段初めて見たよ!うわっ、何あれ、下の方が青く光ってるけど…」
[きっと湖の光じゃない?]
「わぁ!早く行こうよ!ガニメデさんも!………ガニメデさん?あれ?」
アヤメが私を探している声が微かに聞こえるが返事をする元気もない...ふらふら、ふらふらと自分でもおかしいと思いながら、芝生を目指しているこの足を止められない。
(あぁ…そうか…これが……)
急激に力を失くしてしまった原因について一人合点したが、それと同時に芝生へと突っ伏してしまった。思っていたより固かった芝生に全体重を乗せるようにして大きく息を吐いた。
「ガニメデさん?!」
アヤメの悲鳴を頭に入れながら、意識をそのまま手放した。
✳︎
[延長……してほしい?]
[そう、別にいいよね]
軽い感じで言ったのがまずかったのかグガランナがファイナルドリームで怒ってきた。
[いいわけないでしょう!!!何が延長よ!!!明日の日暮れまでには戻ってくる約束でしょうが!!!]
人型機に換装しているので物理的な耳はないが、わたしの気持ちはグガランナの怒声から逃げているつもりだった。うるさいから。
[しょうがないじゃん、ガニメデが疲労でぶっ倒れたんだもん。未だに目を覚さないから探索も続けられないし、旅にアシスタントは付きものでしょ?]
[アクシデント!………あぁ、どうしたものか…]
[そんなに妬んでどうすんのさ、アヤメにそっぽ向かれても知らないよ]
[違うわよ、ナツメさんとテッドが仮想世界に行って侵入対策を取ってくれているけど守りが手薄になっているのよ。それに加えてあなた達の帰還も遅れるようなら何か手を打たないと]
[仮想世界?こんな時に?]
「どの口が言うのか」と小言を挟んでから説明してくれた。
[中層から下層へ向かう道の途中にゲートがあったでしょう?あそこを封鎖したいのだけどナビウス・ネットからでないとアクセス出来ないのよ。そのために二人が潜入調査しているの]
[何それちょー面白そう]
[…………]
わざとらしく咳払いを一つしてから、
[それで、何か分かったの?]
[仮想世界で着物姿の女性と英語を使う男性がコンタクトを取ってきたそうよ、関係者だと思われるから相談を続けていたらしいけど急に席を外したみたいでね]
[…………]
キメラに同居していると発言した男の人も英語を使っていた、同一人物かは分からない。
[とにかく!明日の日暮れに間に合わせるようにしてちょうだい!いいわね!]
[うぃー]
通信を切ったタイミングでアヤメがコクピットに上がってきた。
「何て言ってた?」
[別にいいってさ、あっちも大変みたいなこと言ってたけど]
「そっか、それは良かった」
[ガニメデは?]
「まだ眠ってるけど心配はなさそう、気持ち良さそうにしてるから」
中層巡り旅の延長が認められたのか気になっていたのだろう、駄目だと言われたわけではないのでウソは吐いてない。
ガニメデが芝生で昏倒した後、わたしはドローンから人型機に戻って起動させ、公園まで飛ばしてきたのだ。街を支える基板と湖盆の壁が広かったので人型機を持ってこようと話しになった。周囲にいたピューマは鋼鉄の巨人を見かけていよいよその姿を消してしまったが、今のところピューマからのちょっかいはない。
[どういうことなの?何で急に倒れたんだろうね]
「う〜ん…あの倒れ方は体力のギリギリまで運動した時と似てるから、もしかしたらガニメデさんが自分の体力をちゃんと把握していなかったのかもしれない」
[あー…そういう…]
「疲労って目には見えないし、から元気で何とかなる場合も多いからね」
きっとガニメデはマキナから人の身に変わっても今まで通りに過ごしていたに違いない。体力という概念がないために倒れるまで疲れていることに気が付かなかったのだ。キメラの家を出てから口数も少なかったし、足もふらふらとしていた。声をかければ良かったと思うが、わたしはわたしでシャングリラの抱擁感に包まれていたのでそれどころではなかった。
[今度から声をかけるよ、さっきもふらふらしてたし、自分から休憩するとか言わない口っぽいから]
「……アマンナは気付いてたのに黙ってたの?私に教えてくれても良かったじゃん」
[…………]
「…………」
アヤメがコンソールの角をばしばし叩いていると、芝生に寝転がったままのガニメデを覗き込んでいる奴を見つけた。背中に翼を生やしたあいつはキメラ野郎だった。
「ほぅほぅ、こんな所で、呑気な娘だ」
「あれ?きめらさん!」
「うん?おぉおぉ、お前さんか」
アヤメがコクピットから降りて、わたしも人型機から再びドローンに移った。少しわたしには大き過ぎる人型機と比べてドローンは窮屈だがすっぽりと収まる感じがする。ブラックアウトしたままのドローンのカメラが起動して、先に降りていたアヤメとキメラが話しているところが映った。それにしても何故キメラはこんな所にいるのか、さっきお別れした途端にマテリアルを停止させたはずなのに。
「下の階に、見慣れぬ物を見つけたと、ピューマから報告をもらってな、調べに行くところさ」
「見慣れぬ…物…あの下は一体どうなって…」
「大きな湖と、細く尖った白亜の城がある、それ以外には何も無い、見るだに飽きる場所」
「……っ」
めっちゃ行きたそうにしてる。が、キメラが釘を刺してきた。
「お前さんらは来ないように、ピューマが既にやられた」
「……やられた?」
[まさかそいつ攻撃してくるの?]
「それも分からん、わてが見てくるまで、誰も近づくなと言うておる、よいな」
[ちょっと待って!キメラはドローンの修理が出来る?出来るんならわたしを連れて行ってよ、このドローンだったら壊れても問題ないし、何かあったらこの人型機をすぐ起動させることも出来るからさ]
「……良い、お前さんを、直してやろう」
少し考えた素振りを見せた後、キメラが承諾してくれた。にゅるにゅると伸びる腕がコクピットまで届き、ガニメデが持ち込んだ荷物からプロペラのスペアを取り出した。ドローンが修理されている間、アヤメの妬み半分心配半分の視線がとても面白かった。
◇
キメラに修理してもらったドローンを飛ばして最下層を目指した。聞けば、一番下の湖岸近くに丸い物体がポコポコと現れ始めたらしい、ピューマが近寄り調べる間もなくパクリと一飲み・、その様子を見ていた他のピューマ達はまた人間の仕業だと騒ぎながらこの階まで逃げてきたのだ。
「心当たりは?」
[ない、そんな兵器見たことない]
「だが、下層を目指している人間が、おるのだろう?若いのが、そう、言っておったぞ」
[………何で知ってんの?]
「相談を、受けたからだ、黒い髪の女に、茶色の髪をした幼子」
それはもしかして...ナツメとテッドのこと?ではやはり、グガランナが言っていた男性と女性とはさっきまで話しをしていた相手だったんだ。つまり、ナツメとテッドの二人は今目の前にいるキメラのナビウス・ネットの中にいる。
「何だね」
[もう一度聞くけど、名前は何?]
「必要ない、忘れたさ、それよりもう間もなくだ、用心しろ」
仕方ない、キメラの面を割るのは後にして探索に集中しよう。もしかしなくても、このキメラの身に何かあればナビウス・ネットにアクセスしている二人にも影響が出てしまう。
基板をくり抜くようにして一歩の柱が立ち、それをぐるぐると囲いながら螺旋階段が作られていた。基板を抜けた時には最下層の大地が既に見えており、湖の水面に反射した光が辺りを青色に照らし出して、何とも不思議な光景をしていた。
「あそこに、見えるか」
にゅるにゅると腕を出して指した方にカメラを向ける、拡大した先には確かに丸い物体が所狭しと並んでいた。大きさは...人と同じぐらい?あれはまるで、
[卵だね、ぱっと見た感じ]
「卵……ふむ、久しく口にしておらん、味を忘れた」
[知らんけど、人と同じ大きさの卵が...うわぁ湖岸沿いにずらりと並んでるよ…あのお城まで続いているみたい]
「ちと、厄介やもしれん、あれが攻撃してくるなら、手に負えんな」
降りている螺旋階段はとても広い、人型機でもギリいけそうな程、下を見やれば階段の柱を固定している土台と、その近くに小さく見える建物もあった。
「お前さん、ひとっ飛びしてこい」
[えぇ〜…]
「わてはここを降りていく、その間に偵察しろと、言うておる、はようせんか!」
まったく短気な...頑丈そうに見えて隙だらけの鉄柵をすり抜け、わたし一人で最下層の空へと飛び立った。
ほのかに光る湖面が白亜と呼ばれたお城すらも青色に染め上げている。尖塔がいくつも建ち並び、堅固に見える城壁にはいくらか攻撃を受けた跡が残っていた。過去にここでも争いが行われたのかと思うとやるせない気持ちになった。さらに飛び続けるとお城の向こう側に街が見えてきた。
[はっはぁ〜….そうか、あれがリニアの本来の街なんだな]
キメラが降りている螺旋階段も、ガニメデが寝転がっている街も、さらにその上にあるつぎはぎだらけの街も追加で作られた所だったんだ。
わたしの真下にはうっそうと生い茂る森があり、その切れた所から湖があった。さらにそこからお城まで長く楕円に湖があり、さっきも言ったようにその湖沿いに卵が並んでいた。湖岸から伸びた橋と、木船を隠している小屋の近くにあった卵がキラリと光る、湖で何か魚でも跳ねたのかと思った矢先、嫌な予感と共に体を捻った。
[?!]
びゅおんという風切音と共に何かが後方へと飛んでいった、さらにキラリ、今度は一度ではなく何度も。
(まさか!)
本当に卵だったなんて、光り続けていた卵の殻が割れて中から生き物が誕生した。それはとても友好的には見えず、生まれた瞬間から敵意を剥き出しにしてわたしを襲ってきた。その生き物とは、いつか見たあの蜂だった。
[卵から蜂が生まれるなんて聞いたことありませんけどぉ!!]
白い卵だぜ?普通は鳥だと思うだろう、けれども蜂、通常の倍はあろうかという透明な羽を広げわたし目掛けて飛翔した。
[鳥に鍛えられたわたしのドッグファイトを見せてやんよぉ!!]
突発的な戦闘にも勇ましく気焔を吐いて対応した。相手の出方が分からないため、一先ず速度を上げて距離を取ろうとしたが、呆気なく後ろにつかれてしまった。とんでもなく速い、羽を高速に動かしている低い音が聞こえ一際甲高く鳴り始めた、さらに速度を上げて近づこうとしているのだ。真下に広がっていた森を抜けて湖の上に出る、正面には青く輝く白亜の城が見えていた。
(あの卵はいつから?ずっと昔からあったのかな)
右に左に進路を取って敵の狙いを付けさせないようにする、進路を切る度に真っ黒の飛来物がわたしを通り過ぎ湖面に激しい水しぶきを上げた。
(分からん!この街のここだけは唯一来なかった場所だからさっぱりだ!)
視界の正面にお城、右手には湖岸沿いにまで延びた森が広がり左手に列をなした卵の群れがある、仲間を援護するためか群れの中からさらにキラリ、キラリと飛来物(棘?)が飛び出し、曲線を描きながらわたしの飛行進路を予測した偏差軌道を取った。
(これ上に逃げたらスナられるやーつだよね)
棘を構えたまま撃たない卵、というより顔を覗かせた蜂が待機している。だったら!
[なむさんっ!!]
かけ声と共にドローンのプロペラ前二つを停止、瞬時に速度が落ちて後方に迫っていた蜂とあわや衝突しかけ、入れ替わりで蜂が前に飛び出した。わたしを狙っていたはずの棘が寸分違わず仲間である蜂を貫き、湖面へと落としていった。前に見た光景だが、明らかに違いがあった、蜂、生物でありながら機械部品が宙を舞っているのだ。
[なぜに部品が?あれは蜂だよね]
確かに蜂...きちんと観察する間もなくわたしは急上昇、そのまま基板も突き破ろうかという勢いだった、だって湖岸沿いからミサイルが飛んでくるんだもの。
[なんでぇミサイルぅ?!!]
卵だよなあれは、卵から白煙の尾を引きながら何故ミサイルが飛んでくるのか理解出来ない。咄嗟に急制動を取ったわたしにも難なく付いてくる、扇状に展開したミサイルを横目に入れながら、あのガニメデ泣かせの螺旋飛行を取った。何度も天地がひっくり返り、頭上にお城が見えた時に一発のミサイルが通り過ぎていった。それを皮切りにして後から何発も通り過ぎ、目標を見失ったミサイルが湖面に一本の水柱を上げて沈黙していく。爆発はしない、つまり?
(結局何なのか分かりませんけど?!)
これで落ち着いたらと思うが、問屋はなかなか卸してくれないらしい。(勝手に名前を付けるが)ソーンミサイルを放った蜂が次々と離陸を始め、編隊飛行を取ってわたしに接近してくるではないか。
[わたしが人型機であることを忘れていたよ…あれマキナじゃなかったっけ?…まぁこの際どっちでもいい]
見てみろあの蜂の群れを。四体編成の二部隊、人型機に頼らずドローンで勝つのが浪漫というものだ。
[ふっふっふっうぅ…このわたしにそのちんまい棘を当てられるかな?]
挑発するように八の字を描きながら舞っていると、とんでもなく速いスピードで全ての蜂が突っ込んできた!
87.b
「あぁ?!危ないだろ!」
「いいや!あれは狙ってやっているんだ!それ見ろハチの統率が乱れているぞ!」
「…………」
「………おいおいマジかよcrazy!牽制だけで蜂を湖に落としたぞ?!」
随分と盛り上がっている二人、ここは男の人に案内された最上階のフロアエントランス。到着したばかりの時は周りを見る余裕なんてものはなかった(ナツメさんの事が気になって)。目前に広がる湖を跨ぐようにして太陽が沈みゆき、見える大空も街並みも等しくすみれ色に染め上げている時間帯だった。「待っていても暇だろう?」と男の人がモニターを手品のように出現させて、「向こう」と呼んだ場所の調査風景を見せてくれたのだ。
(そういえば、変な片言を使う動画配信者がいたな……)
案外その人もマキナかもしれない。僕だけ場の空気に乗れずおかしな事を考えている間にも、モニターに映るドローンは勇猛果敢にハチへ挑み巧みなフェイントで湖へと落としていった。
「にしても……このドローンは誰が操作しているんだ?」
感心した風に腕を組んで唸っているナツメさん、男の人が誰かと通信を行い教えてくれた名前に僕もナツメさんも絶叫してしまった。
「Please wait………あのドローンはアマンナという名前だそうだ」
「「えぇえええっ?!!」」
「な、何をそんなに驚いているんだ……?」
僕達の驚きように男の人がドン引きしている。
「何やってんのアマンナ!」
「何であいつがドローンを操作しているんだよ!」
さっきまでまるで興味が無かったのに、アマンナだと知ってモニターから目が離せなくなった。
「こら!そんなに近付いたら危ないだろ!」
「いやだから、それはフェイントをだな……」
「そんなに馬鹿な敵じゃないでしょ!ほら見てください!距離を取っているじゃありませんか!」
「なっ、馬鹿!相手もフェイントをかけているぞ!気付け!」
「あぁ?!」
フェイントをかけ損ねたアマンナがハチに囲まれ、お腹から射出する棘の一斉射撃を食らってしまった...かに見えたが、紙一重で初弾を避けて目標を見失った棘が反対側にいた味方に直撃し、何匹かはさらに湖へと落ちていった。
「いょよおおっしっ!!」
「でかしたっ!!」
「あーもう!はらはらさせないでっ!!」
三人一緒になって、とっぷりと陽が暮れるまで観戦し続けた。
◇
「随分と盛り上がっていたようで……」
「いやぁ!良いもん見せてもらったよ!」
「事はそう、簡単な話しではありませんよ…」
ホテルの外は真っ暗闇、暗黒にすら見える湖がどこまでも続き湖岸に並ぶ建物の明かりを受けて宝石のように輝いていた。
あの後アマンナは見事、ハチの全てを撃退し意気揚々とお城へと向かっていったのだ。今さらになってあそこは一体何処だったのかと疑問に思い、男の人に訊ねてみればまた少し待てと言われてすぐに女の人が戻ってきたところだった。
「あれは一体何だったんだ?」
「分かりません…新種の生命体としか言う他にない状況です」
「あれはクモバチの仲間じゃないのか?」
ナツメさんの言葉に二人ともきょとんと首を傾げた。
「……くもばち?それはあれか、スパイダーとビーのことを言っているのか?」
「もしくはドローン…雄バチを意味しますが…」
「お前達の言っていることは良く分からんが、テンペスト・シリンダーの下層に現れた虫の名前だよ。生息域は確か外殻部のはずだ」
二人が目線を合わせて頷き合い、
「……ものは相談なんだが、情報交換といこうじゃないか。俺達はそのクモバチという生き物について何も知らない、そしてお前達はゲートを閉じたくてここに来ている」
「ふむ……いいだろう。互いに利益を与え合った方が信頼出来る」
「Great!なら、また明日ここへ来てくれ」
「ん?」
「え?」
「?」
「何か…?」
全員はてな顔だ。
「何故明日なんだ?今からでもいいだろうに」
「ゲートに関する情報は奴しか持っていないと言っただろう?そして奴は明日まで帰ってこない」
「何で?」
たらりと冷や汗が流れる。
「だから、向こうの調査に出向いているからだよ。さっきの映像だって奴の視点だぞ?」
「いやいや…呼び戻せないのか?」
「いやぁ…優先度で言えば向こうだからなぁ…ゲートを閉じるのが大事っつっても果たして聞くかどうか…中層にいる人間達は今日明日にでも来るのか?」
「いや……そんな事はないが……」
「なら明日でもいいだろう、一応奴にも聞いてみるが同じことを言うと思うぞ?」
「ね、念のために聞いてもらえませんか?」
僕に返事は返さずすぐに取ってくれているみたいだ。しかし、答えは予想通りに駄目だったらしい。
「待てってさ、今卵の調査をしているところだから戻れないって」
お気楽な調子で「街の観光でもしてこいよ!」と言ってから瞬く間に消えてしまった。女の人だけがこの場に残り、ねちっこい嫌な視線を僕に向けながらこう言った。
「丑三つ時…月映える湖岸にて…待っています」
「いや行きませんからねっ?!」
即座にお断りしたのに満足そうに頷いてから女の人も消えてしまった、だから行かないって言ってるだろ!
「………」
「………」
いや、でも、ほら?ナツメさんも本当に泊まる必要はないって言っていたし、ここは一旦あの部屋に戻ってからまた明日ここに来ればいいと、儚く思っていた僕は帰って速攻現実を思い知らされてしまった。
◇
「戻れない?」
[えぇ…よくよく考えてみればそっちは私のナビウス・ネットではないのよ、サーカディアンリズムを変えられるのはその部屋だけなの]
窓の向こうを見やればまだ太陽が昇っている。扉を開けて外に出てみれば夜、確かに変だ。けれど戻れないとは?
[現実と仮想の時間軸がズレたままこっちに戻るのは危険、だから調整が済むまではそっちにいてちょうだい。アヤメも期日に間に合わないと連絡があったからちょうどいいんじゃないかしら?]
「適当なことを言うなよ!」
小さく悲鳴を上げたティアマトさんがタイタニスさんとバトンタッチして引っ込んでしまった。
[それより、そっちの調査はどうなんだ?ゲートへアクセスは出来そうか?]
「それよりって……」
少し投げやりな調子でホテルであった出来事について話し、また明日会う約束をしたことも告げた。
「あいつらは何なんだ?名前を聞いても無いと言われるし、あれも一応はマキナなんだよな?」
[恐らくは…奴が残した子機だと思われるがいかんせん情報が無い。そいつらを頼りにせざるを得ないな]
「残したって…そのマキナの方は何処かへ行ったんですか?」
言葉尻を捕らえて質問したのだが、煙に巻かれてしまった。
[さぁな…我の知るところではない。今日はご苦労であった、明日に備えてゆっくりと休んでくれ、ではな]
「ちょっ!」
通話が切れた途端、ナツメさんの気配を嫌でも感じてしまった。窓の向こうには人も車も通っているがまるで音がしない、中と外とで時間がズレているらしいので見えているだけで実際は誰もいないのだろう、もしくは映像と音声が合っていないのか...いや、今はそんなことよりも...
「………」
「………」
どう、過ごす?いや僕だけでも外に出て行くか?でも何処へ?そう言えばあの女の人が湖岸で待つと言っていたな...けどうしみつどきって何のこと?
「…っ」
僕の後ろでベッドが軋む音が鳴り、たったそれだけのことでナツメさんを意識してしまった。仮想世界だというのに部屋の空気が僕の肌にまとわりつき、重たくしなだれかかってきた。何か話さないと、そう思いはするが上滑りしそうで口を開けぬまま突っ立っているとナツメさんが何でもないように声をかけてくれた。
「飯でも行くか、テッド」
「……あ、はい、そうですね、こ、ここでも食事出来るんですかね」
「出来るんじゃないのか?現に腹が減って変な虫が鳴りそうだ」
「そ、そうですね、僕も鳴りそうです…あははは」
乾いた笑い声が響き、ナツメさんはそれに答えてくれず先に部屋から出て行った。
(あわわわ!あわわわ!)
ど、どうすれば?!こういう時はどうすればいいんだ?!僕がエスコートした方がいいのかないやでもここ仮想世界だし知らない街だから案内なんて出来っこない、あれ、確か女性と歩く時は車道側に立つんだよね?一人であわあわしながら身支度を済ませ、慌てて外へ出るとナツメさんが優しい笑みを浮かべて僕を待ってくれていた。まるで同棲している恋人同士のようだと、仮想世界に来て緊張しっぱなしでくたくただった僕にとっては浮かれてしまう瞬間だった。
けれどやっぱり真っ逆さま、蒸し暑い夜の街を当てもなく並んで歩いているだけで緊張してしまう。本通りに出て人の流れに沿って歩く、どうやら皆んなはこの先にある路面電車の駅に向かっているようだった。
錆と植物のツタに覆われたフェンスの向こうに丸いライトを付けた電車が通り過ぎた後、ナツメさんがこちらを向かずに話しかけてきた。僕がホテルでやってしまった事についてだった。
「もう怒っていないのか?さっきは私だけ置いてけぼりにされてしまったが」
「いや、あの……す、すみませんでした…あの時はついカッとなってしまって…」
「理由を聞いてもいいか?」
あまり気にしている様子はない、その懐の深さに感謝しつつ、
「その……僕だけっ」
...ちょっと待てよ、僕はこれから何を言うつもりなんだ?まさか自分だけ盛り上がってナツメさんは帰る気でいたことに腹を立てましたなんて言うつもりなのか?これはただの子供じみた我儘ではないか、調査という名目で仮想世界へ来ているのに僕だけ恋人気分(しかも勝手な)でいただなんて口が裂けても言えない。
「僕だけ…その、一緒にどう過ごせば良いのかと真剣に考えていたので…帰るつもりでいたナツメさんに怒ってしまいました」
あれこれ大丈夫かな、ちゃんと言い訳になってるよね?一人頭の中でわちゃわちゃしているとナツメさんから、らしくない返事が返ってきた。
「……私にそこまで気を遣う必要はない、野郎と同じ扱いでいいさ」
「何を言っているんですか、好きな方にそんな事出来るわけないでしょう」
「…お前、そういう事はハッキリと言えるんだな。知らないようだから先に言っておくが、私は昔総司令の、」
その先は知っていたので遮った。
「知っていますよ、そんな事ぐらい」
「え」
敷かれた線路の連結部を鳴らしながら電車が通り過ぎて、立ち止まったナツメさんの横顔を舐めるように照らしていった。
「お前……知って、いたのか」
「はい」
「知ってて…その、私の所に来たのか?」
そこは好きなのかと聞いてほしかった。
「そうです」
「……そうか、私はてっきり…」
「何も知らないと思っていたんですか?……まぁ確かにその話しを聞いた時はくそう!って思いましたし今も聞きたくありませんけど、あなたのそばから離れる理由にはなりません」
「…………」
赤信号が青色に変わり、止まっていた車が思いやりを取り戻すため我先に動き始めた。様々な車のライトが固まってしまった僕達二人をスポットライトのように照らした。僕のことをはっきりと見ているナツメさんのその小さく開いた口、薄い唇にあの人が触れたのかと思うと腹わたが煮えくり返って噴火しそうになったけど、今度は自分が触れに行くんだと思うとさらに噴火してしまって気持ちの収集がつかなくなってしまった。
固まっていた二人の時間が唐突に動き始めた、ナツメさんの突飛な行動のおかげで。
「あぁ!あぁ!すまんが私はここで用事を思い出したから先に帰るよ!また明日な!」
「えぇ?!何を言っているんですかここ仮想世界ですよ?!」
もう僕のことは見ようとしていない、車のライトや街灯のせいで表情もよく見えない。
「いい!いいんだ!私のことよりお前も家に帰って寝ろ!いいな!」
「まっ!」
後は全力疾走で、来た道をナツメさん一人で戻っていった。
「えぇー…」
みるみる遠ざかっていくナツメさんの背中を見ながら、一体どうすれば良かったんだと途方に暮れてしまった。
87.c
「……以上が、地方区の現状となります。再資源化計画によりカリブンの供給率は右肩上がりに推移していますが、別の問題が浮上してきました」
「別の問題とは?」
ま、聞かなくても概ね分かるのだが...
「ピューマへの悪戯行為です。区として接触を禁止にしていますが後を断たないのです」
儂が初めて壇上に立ったあの会議室に、カーボン・リベラを動かす重鎮どもではなく各主要区の長が集まっていた。その数は六人、一つの主要区に二つの地方区がくっ付いてるこの街では、主要区の長が意見集約を行い今の形で話し合いを進めるのが常だった。
議題はピューマを元に進められている再資源化計画について、その進捗具合と問題報告を行っていたところだった。第一区の女区長がお淑やかにその口を開いた。
「ピューマへの接触行為についてですが、何故禁止にしているのですか?前回の議会でも人とピューマが触れ合う重要性についてお話ししましたが、やはり難しいですか?」
「仰っている事は理解出来るのですが、誰が面倒を見られるのかという問題がありまして我が区では見送っているのが現状です」
「そうですか…」
眉毛に筆が乗りそうな、頑強な壮年が難色を示した区長に援護射撃をした。
「それにもしピューマの身に何かあればどうするつもりなのかね、今となっては生活の礎そのものだ。法規制をかけるべきだと進言したが君達は公平性のためにと断っただろう?」
それについて儂から説明してやることにした。
「彼らはあくまでもこの街の一員であって崇められる立場にしたつもりはない、ピューマへの悪戯行為を懸念する気持ちは分かるが今のところピューマ側から苦情が上がったことはない。ピューマも人との触れ合いを求めているんだ」
「それで悪戯行為を見逃せと?もし何かあればこちらが文句を言われる立場なのですよ?せめて身体的、精神的に損傷を与えかねない接触行為だけでも禁止にすべきなのでは?これは特別扱いとは言わないでしょう、我々人間にも暴力罪が適用されるようにピューマにも適用すべきです」
ううむ...区長としての立場を失念していた、神経質なマダムの言う通りだった。
「あい分かった、法案についてしかるべき機関と相談して草案を作ってこよう、それで良いか?」
「はい、お願い致します」
「次、他に何かあるかね」
もうないだろうとタカを括って投げかけたのだが、さらに三人程挙手させてしまい陽が落ちて暫く経っても会議が終わりそうになかった。
✳︎
つい最近になって第一区の区長になったというのに周りの区長達は随分と優しかった。私のような新参者の言い分にも耳を傾け、こちらから質問したことに対しては快く答えてくれた。
(本音は辞めさせたくないんだろうけどな…)
各区の報告会が終わり、既に親しくなった他所の区長と言葉を交わしてから会議室を後にした。その足取りは重く、そして歩き辛い、慣れないヒールで転けないよう力みながら歩いているせいだ。
大会議室をぐるりと回り、正面入り口の前に差し掛かった時逃げるようにして会議室から出てきたマギールと目が合った。向こうも疲れ切った顔をしているが、口元の角度だけは元気そうに上がった。
「これはこれは、第一区の区長殿ではないか。変わりがないようで何よりだ」
思わず買い言葉が出そうになったが、会議室にはまだまだ人が残っている。軽く咳払いをしてから、テッドに散々っぱら引かれた口調で皮肉を返してあげた。
「ご丁寧にありがとうマギール、あなたもすっかりと酒の臭いが落ちたようで寂しいわ」
「なぁに、どこぞのシスコン女と酌み交わせばすぐに付くさ。何ならお前さんも来るか?きっと向こうも美人でお淑やかな区長が来て驚くことだろうさ」
「ちっ!」
駄目だ、こいつに口で勝てる気がしない。マギールにだけ聞こえる舌打ちを放ち、向こうは向こうで満足したように鼻を鳴らしてみせた。相手にするだけ腹を立てるだけだと気を取り直して歩き始め、マギールの横を通り過ぎようとすると低く抑えた声で話しかけてきた。
「気を付けよ、上層連盟の連中がまるで動かない」
「……それでいいだろ、向こうから檻に入ってくれてるんだから」
「こっちはリューオンを配下にしたのだぞ?さすがに動かないのは気味が悪い」
「だったらその御子息様に聞いてみろよ、あんたの父親は何やってんだって、こっちはこっちで忙しいんだぞ?」
いつもの口調に戻して答えてやった。
第十九区に本拠地を置く「ハンザ上層連盟」と呼ばれる団体が第一区に停泊させていたグガランナ・マテリアルを襲撃して早くも二日経とうとしていた。その襲撃は未遂に終わり、実行犯と貸与していた簡易人型機は既に取り押さえている。軍事基地代理責任者として、また就任したばかりの区長としての立場からも上層連盟に抗議と事実の釈明を求めた。しかし音沙汰なし、一向に返事が返ってこない中、この男はスイを引き連れ第十九区に赴いたのだ。自分がどんな立場にあるのか忘れてしまったかのような軽率な行動の末、連盟長の長兄にあたるリューオンという男をこっちに引っ張ってきた。「虎穴に入らずんば虎子を得ず」などと抜かしたマギールに鉄拳制裁をしてやった。
私の装いを舐めるように見たマギールがまた口角を上げて、
「しかしまた…あのお前さんがこうも真面目になるとはなぁ…スイも鼻が高いだろう」
「……そうだといいんだがな」
「?」
スイの話題を口にした途端言い淀んだ私を不思議そうに見ている。自分を卑下した訳ではないと、伝わるはずもないと手を振りながらマギールと別れた。
これは私の問題だからだ。
◇
「アオラさぁ〜ん!」
第一区のビル群を馬鹿にするように見下ろしていたエレベーターに乗り込み、やっと肩の荷を下ろせると思った途端、一階ロビーに到着したそばから絶世の美少女に声をかけられた。
「お疲れ様でしたぁ!」
信じられるかえぇおい、あんな美少女が待ってくれていたんだぜ?それに私を見るや否や大きく手を振りながらまるで子犬のようにこっちへ駆けてくるではないか。これを生き地獄と呼ばずに何と呼ぼうか。
(グガランナ……お前はとんでもない事をしてくれたよ……)
「アオラさん?」
「いいや何でもない、とっと帰ろうか」
「はい!」
もう、本当に可愛くなり過ぎたたスイちゃんが私の腕を取った。遠慮なく胸を当てているがちゃんと感触はこっちに伝わっているんだからな?などと言えるはずもなく、屈託なく笑うスイちゃんを伴い出口の方へと歩いていく。エントランスの磨かれた鏡のように綺麗なガラスには、スーツ姿でそばかすもない小綺麗な赤髪の女と、それには不釣り合いな程に可愛い美少女が映っていた。
◇
「どこか寄りますか?」
「いやいいよ、今日も疲れたから真っ直ぐ帰ってくれ」
ドライバーはスイ、免許取得センターに代理責任者の権限を私的乱用して無理やり予約を捻じ込ませた結果だ。
「え?美味しい物が食べたい?だったら良いお店知っていますので今から連れて行きますね!」
「聞いてる人の話し?」
そしてスイちゃんは以前と比べて私に甘えてくるようになった。私だけではなく、今中層へ飛んでいるカサンに対してもそうだ、遠慮がなくなったというか、良い子ちゃんを演じることをやめたというか、その変わりようは大変好ましく思うが家の中ではどうかやめてほしい。
「え〜…せっかく二時間も待っていたんですよ?どうせならアオラさんとドライブしたいと思ったんですが…」
言葉とは裏腹に車は自宅ではなくインターチェンジに向かっていた。
「…そんなに長居はしないからな、いいな!明日も大変なんだよ!」
「はーい」
浮かれてやがる...ついストッキングに包まれたスイちゃんの太ももに目をやってしまい後悔してしまった。これに手を出しちゃいけないって何の冗談だ?こんなあからさまな態度を取っている女に...いやいや、スイちゃんを女として、今までのように食い物として見るのは間違っている。私もそんな関係は望んでいないしスイちゃんの家族としてありたいと切に願っている。が、この感情だけは無視できない、今まで散々好き勝手やってきた報いが今になって現れたんだと、いくら自分に言い聞かせても私の受難はまだまだ終わりそうにはなかった。
◇
「ピューマの面倒を見る?スイちゃんが?」
「はい、マギールさんにそうお願いされて引き受けました」
「あいつ………マギールには私の方から断っておこうか?まだスイちゃんには荷が重いと思うよ」
ウェイトレスが料理を運んできたのでよそ行きの口調に変えざるを得なかった。そんな私をスイちゃんがくすくすと笑いながら続きを話した。
「私はアオラさん達の元を離れたくなくて我儘を言って艦体から降ろしてもらったんです。何か一つでも役に立たないと……その……」
いじらしく私に視線を向けて、ーその華奢でありながらきちんと肉が付いている足を隠しているであろうースカートの裾を掴みこちらを伺っている。
(足のくだりはいらんだろぉ!何を想像しているんだ私ぃ!!)
煩悩に喝を入れてから、ゆっくりと答えた。
「私達のそばにはいられないってか?」
こくりと小さく頷いた。
「あのなスイちゃん、私はそんな風に思ったことは一度もないんだぞ?役に立つとか立たないとか、(自分のためにも)真剣に言うがスイちゃんは私の大事な家族だよ」
「……はい」
もう、それは嬉しそうに微笑み何を言われるのか...いいや、言ってくれることを期待していたのが如実に分かった。スイちゃんは強かな女の子だ、見た目とは違って芯も強い。ナツメ達が討伐に向かった「ノヴァグ」という外敵もこの子は一人で片付けようとしたぐらいなんだ。そんな女の子が一心に私を慕い、遠慮なく甘えてくれる。果たして私でいいのかという疑念を拭えぬまま、大して味が分からない料理を作業的に口へ運んで済ませた。
ここからが大変なんだ...
87.d
アオラさんと食事を済ませた後は他愛のない話しをして自宅へと向かった。車の運転はすぐに慣れた、アオラさんにわがままを言ってセンターで簡単な筆記試験と、贅沢な程に広い軍事基地で鍛えた運転操作で実技試験にも一発合格を果たした。今私が乗っているのはアオラさんからのお下がりだった、中層からカサンさんが帰ってきたら三人でドライブへ行こうと頭の中で予定を立てている間に自宅へ到着した。
「到着でーす」
「そういう言い方アマンナに似てきたな」
「そうですか?」
アマンナお姉様も大変な思いをしていると聞いた、何でも中層にあるホテルにマテリアルを置きっぱなしにしてあちらこちらへと飛び回っているらしい。大変かな?案外楽しんでいたりして、どこまでも前向きに考える力はアマンナお姉様から学んだ、いや楽しむ力かな?
車が停止したのにアオラさんがなかなか降りようとしない、ドアに肘を付いた姿勢で自宅前の庭を眺めている。その背中がまるで他人のように見えてしまって私は心細くなってしまった、何を考えているのだろうか...
「あ、アオラさん?どうかしたんですか?」
「……っ、いや、何でもない、少し疲れているだけだよ、気にするな」
気にするよ、病院で二人揃って入院していた時もよく気にするなと言っていたけど、限って何かを隠していることが多かった。それに...
(どうして避けたんだろう…)
アオラさんの肩に手を置こうとしただけなのに、身を引かれてそのまま車から出て行ってしまった。心細いなんてものではない、頭の中は大パニックだ。
(え、え、何かしたかな私…あんな避け方されたの初めてなんだけど…)
車のドアを慌てて閉めて後を追いかける、先に玄関に到着したアオラさんが扉を閉めずに私を待ってくれていた。何だ、大丈夫、私の気にし過ぎ、そう思ったけどアオラさんの視線が私から逃げている事に気付いた、気付いてしまった。アオラさんの横をすり抜けようとした時にふいと逸らされたのだ。
(……………)
赤くて綺麗な髪がふわりと跳ねてその少し垂れた目を隠した。後は何も言わずに廊下を進みリビングへと向かっている、追いかけようとしたが足が思うように動かなかった。
「……スイちゃん?」
リビングに入る手前、三人肩を並べて撮った写真が収められているフォトフレームのある棚に荷物を置いた拍子だった、玄関で立ったままになっていた私に声をかけてくれた。
「何やってんだ、中に入らないのか?」
「………いいえ、入ります」
気のせい?アオラさんは別に怒っていない?良く分からない、けれどさっきの態度はぐさりと胸にきてしまったので今度は私が顔を見られなくなってしまった。
荷物を置いて身軽になったアオラさんがリビングのソファへ、いつもの定位置に座り投げやりな態度で大きく溜息を吐いた。毎日区長として街中を駆け回り、空いた時間には基地へ戻って配備されたばかりの簡易人型機についてその整備方法を他の人に教えているのだ。私はそんなアオラさんを間近で見ている、だからマギールさんから依頼されたピューマの世話役を引き受けたのだ。何かしないと私も落ち着かない、というよりそばにいられる自信が持てなかった。
ジャケットのボタンを片手で外しながら、テレビに手をかざして電源を入れると「再びピューマへ暴行」という見出しと共にニュースが映し出された。
「またか…」
「………」
ゆっくりと歩いてアオラさんの斜向かいに腰を下ろした。テレビでは現地へ飛んでリポートをしている女性アナウンサーが神妙な面持ちで話しをしている。
「スイちゃんはどう思う?」
「アオラさん好みの女性ですね」
「…………」
「金髪の女性が好きなんですよね」
「いや…私が聞いているのはピューマについてなんだが…」
あれ、思っていた以上に声が冷たく出てしまった。私の視線はテレビに釘付け、というよりアオラさんに向ける気がまるで起きなかった。
「ピューマへの暴行というより過度なスキンシップだと思いますよ、皆んなもどう接すればいいのか分からないんですよ、今のアオラさんみたいに」
「…………」
皮肉を挟んでからちらりとアオラさんを伺うと、眉を寄せて乱暴に首をかいていた。私が困らせたんだから当たり前なんだが、その仕草もいちいち癇に障ってしまった。
(そっちが冷たくするから!)
ふんと鼻を鳴らしてからもう一度テレビに顔を向けると痛々しいシカさんが映っていた。片足を怪我しているのか、どこか覚束ない足取りで搬送車へと乗り込む姿は見ていられるものではなかった。
(暴行というより、攻撃……?)
言っちゃ何だがピューマのマテリアルは頑丈に出来ている、武器を持たない一般市民がどうこう出来る相手ではないはずなのに。重苦しい空気の中でもアオラさんがその事について触れた。
「あれは暴行ではなく攻撃だな、足の付け根に銃創があった」
こんな時でもそこまで見られる余裕があるのかと腹を立てた時、さすがに嫌気が差してしまった。私はいつからこんなに心が狭くなったんだろう。
「……第十九区にいる人達の仕業だと思いますか?」
「十中八九そうだろうな、武器を携行しているのは奴らだけだ」
「どうしてこんな事を…」
「さぁな…向こうへ行った時はどんな話しをしたんだ?そのリューオン何某とは」
「とくに…これからどうするかという話しで終わりましたので……あ、いえ」
「?」
テレビ画面に向けていた視線を今度はきちんとアオラさんに向けると、視線が少し下に落ちていた。どこを見ているのか、私の視線に気付いたアオラさんが慌てて顔を背け、その態度に我慢の限界を迎えてしまった。
「またぁっ!!」
「?!」
「さっきからどうして視線を逸らすんですかぁ!」
「ちがっ、違うんだ!」
「何が?!何が違うっていうんですかそれすっごく傷付くんですよ?!」
「悪かった!悪かったからそう怒るな!」
「怒りますよ!車から降りた時もそうだったし家に入る時も逸らしましたよねぇ?!」
限界を迎えてしまえば不満と怒りが堰を切ったように溢れ出した、疲れたアオラさんに迷惑はかけまいとしていた私だがこの時ばかりはそうもいかなかった。
「逸らしてない!いや逸らしたかもしれないが深い意味はないんだ!信じてくれよっ!なっ?!」
「……本当なんですよね、私が嫌になったとかじゃないんですよね、信じていいんですよね」
「そんな訳、そんな訳ないだろ、何で嫌になるんだよ」
「だって…私だけ何もしていないですし、それなのにアオラさんには甘え倒しているので…」
「自覚があるなら…」と小さく溢したその言葉は聞き逃さなかった。
「やっぱりぃ!迷惑に思ってるんでしょお!!」
「ばっ!違うって言ってるだろ!甘えるのはいいが、その、何だ、人の目を気にしろと言っているんだ!」
「はぁ?!」
「だから!例えばお風呂上がりとか!薄着で家の中をふらふらと歩くとか!」
言っている意味が分からない!どうしてそんな話しになるのか!
「だったら外でなら薄着でふらふらしてもいいんですかっ?!」
「いいわけないだろ!そんな事したら絶対許さないからな!」
「私ですらまだなのに」と呟いたその言葉も聞き逃さない。
「さっきから何を言ってるんですか?!私は冷たくするアオラさんに怒っているんですよ?!」
「………それは、悪かった、そんなつもりはなかったんだ」
ようやく分かってくれたようだ、眉尻を下げて何故だかアオラさんが泣きそうになっていた。自分が取っていた態度に気が付かなかったらしい。
「許しません、今日という日は許しません」
「……どうすれば機嫌を直してくれるんだ?」
「この後ずっと私といてください、お風呂、トイレ、寝て起きておはようと言うまで離しません」
「それだけは勘弁してくれないか」と泣き出したアオラさんにもう一度雷を落とした。