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第八十五話 湖上のリニア

85.a



 決議場に姿を現したのはテンペスト・ガイアに似た女だった。喪に服しているのか、全身を黒一色に統一した服装をしており、決議の場を撫でるように通り過ぎていった風を受けて裾の長いコートが大きく翻った。


「………」


「こうして会うのは初めてになりますね、ディアボロス、それからオーディン。元気そうで何よりです」


 慈愛に満ちた瞳を向けられてしまい、柄にもなく困惑してしまった。


「私に用事とは一体何ですか?」


「いや……確認、なんだが…」


「えぇ、何なりと」


 ほんの一瞬、隣に立つ我が兄弟に視線を寄越してから再び前に向き直った。


「お前がプログラム・ガイアで間違いないんだな?」


「はい」


「………」


 中層にいる人間達に対処を行うため、まずはグガランナとティアマト、それからアマンナを拘束する必要があった。奴らは間違いなく人間の味方をし、自分達の権能を惜しみなく使用するはずだった。今までであれば目も瞑れるというものだが今回はそうもいかない。グガランナ達が下層進行を後押しするはずはないが、こちらが人間に攻撃を仕掛ければ邪魔、あるいは支援を行うことは目に見えていた。事前にプログラム・ガイアへ通達を行い邪魔立てを阻止しようかと思ったのだが、まさか向こうから会いたいと言われるとは露とも思わなかった。

 プログラム・ガイアが薄らと微笑みを浮かべてしっかりと見ている。そもそも人格があったことに驚きを隠せないし、何故慈しむような表情をしているのかが分からなかった。口を閉ざしてしまった俺の代わりにオーディンが確認を取ってくれた。


「通達した内容についてだが、問題はないのか?」


「一つ聞きたいのですが、話し合いという場は持てませんか?内容が内容ですので緊急性は重々理解出来るのですが、対処方法には些か疑問があります」


「話し合いとは、マキナのことを言っているのか?それとも人間?」


「グガランナやティアマトとの話し合いです、あなた方二人が人間に撃たれてしまった件については既に把握しています。あの様子ではこちらの言い分などまず聞き入れないでしょう」


「それならティアマト達も同じだ、手を引けと言っても聞きはしないだろう。俺の目的は奴らを消すことではない、あくまでも身動きを取れなくするためだ」


 プログラム・ガイアは微動だにせずじっと見つめている。不思議と口を開く瞬間がゆっくりと見て取れてから、


「いいでしょう、あなた方の通達を受け入れます」


 小さく息を吐いた、知らず知らずのうちに緊張していようだった。


(こいつはサポートプログラムのはずだよな…だというのにこの威圧感はなんなんだ…)


「代わりと言ってはなんですが投票について延期は出来ますか?」


「何?延期だと?」


「はい、テンペスト・ガイアのリブート執行を延期してほしいのです」


「理由は?」


「今はお話しすることは出来ません、しかし現状で彼女をリブートするのは好ましくありません」


「何故奴を庇う?マキナを束ねる立場にありながら職務放棄も甚だしく、あまつさえ人間に代わる新種を外殻部で作っていたんだぞ?」


「はい、それは承知の上です」


「答えになっていない。それを分かっていながら何故庇うのかと聞いているんだ」


 初めて見せた逡巡の後、


「どうしても延期はしていただけませんか?」


 答えるつもりはないらしい。


「拒否する、決議の場の責任者は俺だ。仮にだ、場に集ったマキナが全員テンペスト・ガイアに組みしようとも恨みはしない」


「分かりました、ではそのように」


 了承の旨を口にしてから、瞬きの間にログアウトしてしまった。



「さっきのは一体何だったんだ?何故プログラム・ガイアが俺達に意見をした」


「俺が知るかよ」


「奴はただのサポートではなかったのか?」


「人格があるところを察するに奴もマキナの一人だった、ということだろう」


「そんな馬鹿な話しが…」


「今はそれよりも人間達の対処が先だ、もう後戻りは出来ないぞ我が兄弟」


「抜かせ」


 プログラム・ガイアが退出した後、最後の打ち合わせをオーディンとしていた。全部で()席ある椅子のうち、互いに最も離れた位置に腰をかけていた。抜けるような青空の下、これから起こす戦いとは裏腹に優しく吹く風が髪をさらっていく。真向かいに座ったオーディンが俺を真っ直ぐ見つめた後に口を開いた。内容は頓挫してしまったレガトゥム計画についてだった。


「お前はどこまで知っていたんだ、奴の計画について」


「どこまでとは?」


「はぐらかすな、上層の街に攻め込むと宣言した時には何かしら気付いていたのだろう?」


「あぁ、簡単な話しさ。奴らの仲間にスイと呼ばれたデータがいただろう」


「それが?」


「それにノヴァグ共を操作させるつもりだったんだ、所謂遠隔操作ってやつだ」


「………遠隔、操作?」


「外殻部に身を潜めたあの虫共がどうやって統率を取るのか不思議でならなかった、その答えをテンペスト・ガイアが自ら教えてくれたよ。前にティアマトからの依頼で亡くなった女の子のデータを渡したことがあった」


「初耳だぞ」


「話しの腰を折るな。それに目を付けたテンペスト・ガイアが生存の許可を与えて一つの生命体として誕生したのが今のスイというデータだ。奴はそれを使ってノヴァグを管理させようとしていたが要らぬ意思まで作ってしまったと言っていた」


「だから貴様はグガランナ・マテリアルに襲撃したというのか?」


「あぁ、早計に過ぎたが計画の肝になる存在は消し去りたかったんだ。失敗してしまったがな」


 あの時は艦内に潜入して正解だったと意気込んでいたのをよく覚えている。


「計画は頓挫したはずだ、奴はデータを使って貫通トンネル内にいたノヴァグを一斉起動させたようだが「不要な意思」によって未然に防がれた」


「ならあの有機生命体については?」


「奴の言った通りだ、あれはただの実験体、虫の身体構造の把握のために作っただけだろう」


「ならば、貫通トンネル内にいたあの生体が最も新しいことになるのか…」


 恐らくはそうだろう、稼働歴五百年代と一千年代、それから二千年代に製造されたとプログラム・ガイアが明言している。未だ全容が見えないのは、メインシャフト内で人間を同士討ちに見せかけたあの茶番だ。アーカイブデータとマテリアル・コアを連動させたあの化け物紛いについても何ら説明はなされていなかった。


(いや……)


 何かに引っかかり思考の海に没しようとしかけた時に、グガランナ・マテリアルが下層に到着したとの報告がプログラム・ガイアから来た。今となっては事務的な言葉使いも薄ら寒いが、とくに害がなければ問題無いと席を立った。


「マテリアル・ポッドに収容した後は二度と出られないようにロックしておけ」


[グガランナ・マテリアル、ティアマト・マテリアルの両機をロックします。通達は行いますか?]


「不要だ」


 最後に俺のマテリアルを調整してから奴らに宣戦布告を行う算段だ。

後にして思えば、プログラム・ガイアが何故投票の延期を申し出てきたのか、詳しく問い質しておけばよかったといたく後悔してしまった。



85.b



 ベラクルの街を飛び立った私達は、次の目的地であるリニアという街を目指していた。山脈に囲われたベラクルの街を抜けるとそこには大小様々な湖が中層の大地に並び、天高く昇った太陽の光をきらきらと反射させていた。私達がいる高度からでは良くは見えないが、湖のほとりには小さな家が建てられていた。是非とも寄ってみたかったのだが、いちいち降りていては期限の二日に間に合わないと諦めざるを得なかった。


「残念…」


「あんな家に寄って何が見たいのですか?」


「あの家から見える湖の景色って良さそうとは思わない?」


「ここからでも十分眺めは良いですよ」


 それはそうなんだけど...眼下に望む湖は多種多様で大きさもまばらだった。どこか第六区の景色に似ているなと思うと、アマンナが先に口にしていた。


[何だか第六区みたいな所だね]


「だいろっく?それはアヤメが住んでいる街のことですか?」


 様付けはやめられても丁寧な口調は変えられないらしい。かくいう私もタメ口で話すがさん付けをやめられなかった。


「そう、色んな湖があって観光スポットになっているんだよ」


「そうですか…」


 あまり興味が湧かなかったらしい。そういえばと、今さらな疑問を口にしていた。


「ガニメデさんは調べものが終わった後はどうするの?」


「え?」


「自分のこととか、色んなことを調べているんだよね。それが分かった後は?」


「え、そんな簡単に分かるとは思っていなかったんですけどそうですね……やはりその役目か、何かしらの目的が生まれたら全力で成し遂げたいですね」


「これはあれだな」


[ワーカーホリックってやつだな]


 私とアマンナの意見が合致した。


「何でそうなるんですか」


「今でも十分だと思うのに、まだ何かしようとしているんだよね、それは仕事中毒と言っても差し支えないと思う」


「いや、せっかく生まれてきたのですよ?何かを生み出すとか、価値ある行動を取りたいと思うのは普通のことでは?」


[えぇ…それ疲れない?自分を楽しませるのも生き方の一つだと思うけど]


「激しく同意」


「いやだから、それは生産的な行動を取る中にこそあるものだと私は言っているのですが…」


[それをワーカーホリックって言うんだよ]


「う、言われてみれば確かに…」


「何か自分の好きなのことを見つけてみたら?例えばあの家に寄ってみるとか!」


[それはダメ]

「それはアヤメが好きなことでしょう」


「うぐぅ」


 勢いに任せて言ってみたが、今度は二人からダメ出しを食らってしまった。


[少しぐらいわたしを見習ったら?マキナ一の穀潰しと言われたこの遊び人]


「それ威張ることじゃないから」

「アヤメの言う通りです」


[くっ…少しぐらい仲間がいてもいいのに…]


「ほんと生産性が何もない会話ですね」


 そう、口で言ってはいるがどこか楽しそうにしていた。

もう、ベラクルからも随分と離れた時にアマンナが何かを見つけたようだった。人型機のカメラを何度もズームしている。


「どうかしたの?」


[……あんな大きい建物あった?丸っこいやつ]


「コンソールに表示してください」


 ガニメデさんに言われた通りアマンナが画像を出してくれた。そこには小さく映ったベラクルの街並みとどの建物よりも高い先端部が丸くなった...建物、何だろか、これは。


「なかったと思うよ、こんなに大きいならすぐに見つけられるだろうし……」


「ただ、この建物らしきものがある場所は街の外れなので見落としていたのかもしれませんね、とくにアヤメは」


「くっ」


[街の方ばっかり見てたもんね、そういうガニメデは見て……るわけないか、ずっと下向いていたし]


「くっ、あれは仕方がないというものです!こっちは初めて空を飛んだんですよ!」


「まぁ、帰りにもう一度寄ってみようか」


[にしてもあれは何なんだ?建物っぽくないし、オブジェクトにしか見えないけど…]


 考えていても仕方ないと、次なる街を目指してエンジン出力を跳ね上げた。



「想像していたのと違う」


「そんなこと知りません、早く準備を済ませてください。時間は有限ですよ?」


[大丈夫、アヤメの愛は無限だから]


「それ返しとして合ってるの?」


「アヤメも大変ですね、こんなのに好かれてしまって」


[何だと?]


 湖上のリニア、そう呼ばれた街は確かに湖の()に築かれた街だった。少し遠くに見える山から伸びた川と、ベラクルから続いていた川がぶつかりリニアの下に湖盆を形成していた。


「あれは湖なの?本当にお盆のような形をしてるけど」


「どうやって作られたのでしょうね…」


[タイタニスが自力で掘ったんじゃない?一番大きいマテリアルって言われているし]


 言ったように平らな大地を何かですくったように大きく窪み、その中に湖があったのだ。掘られた壁から支柱が伸びて街を支えている基板があり、その奥に濃い青色をした湖が見えていた。人型機の高度を下げて近づくにつれ、街を支える基板が重なり何階層かに分かれているのが見えた。


(ということは…湖まで降りられるのかな)


 そう思うと俄然、興味が湧いてきた。私はてっきり湖の上に直接街があると思って肩透かしを食らった気分でいたが、これはこれで面白そうだとさらに機体を飛ばした。


「アマンナはここも覚えてるの?」


[……何となく?あー…どうだったかな、何かすごく嫌な思いをしたような…]


「何それ、ガニメデさんは仮想世界でここまで来てなかったの?」


「はい、存在自体は知っていましたが目にするのは初めてです」


「ということはアマンナのナビゲートが頼りなのか」


「アマンナのドローンは既に改修済みですので、勝手にふらふらと居なくなることはないでしょう」


[わたしのじゃないからね!それに居なくなったわけじゃなくて事故だから!]


 薄い雲を抜けて、街が眼前に迫ってきた。どこか着陸出来る場所はないかと探してすぐに諦めることになった。


「せっま!」


「まぁ本当…車一台がやっとの道ばかり…」


[あそこの屋上ならいけるんじゃない?]


 アマンナが見つけてくれた着陸場所へと機体を向かわせた。



[重たくないですかこのドローン]


「仕方ないでしょう、マイク、発信器と通信器を載せているんだから」


 建物の屋上に降り立った私達は早速機体から降りて街の探索へと出掛けた。予定としてはこのリニアの後にモンスーンという街へ行って一夜を明かし、最後にサントーニへ行ってから下層へ帰還する予定だった。

 ハッチを開けた時から少し嫌な臭いが鼻をついたが、それでも眺めとしては十分だった。建物はどうやら木材で出来ているらしく、人型機を降ろした時に大きく軋む音を立てたのでひやひやしてしまった。


「おっそ、さっきと全然違うね」


[う〜ん…思うように飛べない…]


 私とガニメデさんが先に屋上へと降り立ち、さっきと同じように少し遅れてからアマンナがドローンを操作して上空から降りてきた。その動きは遅く、プロペラも頑張って回転しているのがその高い音で良く分かった。


「最大積載量ギリギリまで改修しましたので、諦めてくださいまし」


[へぇへぇ]


 適当に返事をしたアマンナが私とガニメデさんの中間ぐらいでホバリングしていたが、徐々に高度を落とし始めた。そして四本の脚がかたんと床に付いてしまった。


「………」


「………」


[………]


 ガニメデさんと目を合わせて、


「ここで昼食にしよっか、ガニメデさんはもっかい改修ということで」


「そうする他にありませんね…全く手のかかる…」


[誰のせいだと…人型機に戻ったら覚えてろ]



✳︎



 下層に到着したグガランナ・マテリアルがコアルームへと入り、調べるのも馬鹿げている程に巨大な扉が轟音を立てて開いている。深淵を望むかのように空いた真っ暗闇の穴がライトアップされて、ゆっくりと艦体が収まっていった。


「これが、グガランナさんのマテリアル・ポッドになるのですよね……」


「そうなるわね、見るのは私も初めてだけど」


「そうなのか?」


 ポッドに収まっていく艦体の中からでも、壁にせり出すように取り付けられた通路が見て取れた。下層から中層へ向かうトンネル内でもそうだったが、ここにも人用の通路があることに驚きだった。誘導灯が設置された通路を指さしながらティアマトに尋ねてみると、


「それが基本思想だからよ。プログラム・ガイアというものは人を支援するために誕生したものだから、何を作るにしても必ず人の手に渡るように作られているのよ、実際にこのポッド内に人が来ていたのかは知らないけれどね」


「こんな物を整備出来る人がいるのか、甚だ疑問だがな」


「それもそうね」


「デカい女で悪かったわね」


 後は自動操縦に切り替えたのか、メインコンソールがブリッジに上がってきた。私達の会話を聞いていたグガランナが少しだけむくれていた。


「お疲れ様でした、グガランナさん」


「いいえ、こんなの疲れたうちには入らないわ。それよりこれからが大変だと思うけど」


 メインコンソールから立ち上がったグガランナを支え、テッドと三人でエレベーターへと向かった。


「タイタニスさんは今どこにいるんですか?確か、中層から入ってこられないようにしていると聞いたのですが」


「さぁ…連絡を取ってみないことには…」


 あの仕事好きのことだ、せいぜい下層の改修に躍起になっていることだろうと考えていると、開いたエレベーターの扉の向こうに見たくもないものを見てしまった。


「ぬわぁ?!」


「む、随分な挨拶だな」


 そこにいたのは久しぶりに見た全裸マテリアルのタイタニスだった。


「服を着ろと言っているだろ!目に毒なんだよ!」


「それよりも問題が発生した、今すぐに来てくれ」


 人の話しをまるで聞いていないタイタニスが先を歩いていった。



「アクセス拒否?」


「あぁ、中層から下層へくだる道すがらにあるゲートを封鎖することが出来ない。何度か試してみたが我では無理なようだ」


 場所は変わって休憩スペース、グガランナは一人でも大丈夫だからとタイタニスの話しを優先させてくれた。こいつはこいつで変わらず全裸のままだが余程深刻なことらしい。


「我では、というのがよく分からんが…」


「言い方を変えるならグラナトゥム・マキナにアクセス権限がないということだ、そのゲートというのも中層で不測の事態が起こった時の避難経路として扱われているからだ」


「そういうことか…しかしそこを封鎖しない限りは進行を許してしまうことになるんだろう?」


「万が一のためだ、中層にいる人間が見つけられるとは思わんが見つけてしまえば半日も経たずこちらに来られる」


「それは…」


「そこでお前達にやってもらいたいことがある、あるマキナの置き土産であるナビウス・ネットを介してゲートをロックしてくれないか?」


「待て待て、何でそうなるんだ?私とテッドで仮想世界に行けと言っているのか?」


「………」


「そうだ。ティアマトにはサーカディアンリズムを調整するように言っておく、目的達成までの時間が読めないからな」


「待て待て待て!泊まってこいと言っているのか?」


「そうだ」


「……………」


 私と...テッドの二人で?隣に座るテッドの顔を見やれば強張ってるのがよく分かった。


(そんなに私が嫌なのか?)


 エレベーターの中で交わしたやり取りを考えると確かに意識はするだろうが...


「他に方法は?物理的な遮断は出来ないのか?」


「物理的とは?障害物でも置いておけと言っているのか?」


「そういう事では…いやしかしだな…」


「何をそんなに嫌がっているんだ、ティアマトからお前達もこちらに協力してくれると聞いていたんだ。やはり人間側につきたくなったのか?」


「違う、そうではない。仇討ちをしたい気持ちは良く分かるがここを破壊されるわけにはいかないから協力しているんだ」


「ならばナビウス・ネットにお前達からアクセスして中を探ってきてくれ。間違いなくゲートへのセキュリティ操作が出来るはずなんだ」


「………」


 こいつ、初めて会った時と比べて口が上手くなっていないか?そういえばアオラにこき使われていたことを思い出す、そこで交渉のやり方でも学んできたんだろう。

 快く返事をしない(というか出来ない)私へ苛立ちの溜息を吐いたタイタニスが、説得の矛先をテッドに変えた。


「テッド、お前はどうだ?」


 聞かれるまで能面のように白かった頬が瞬時に染まり、まるで新兵のように返事をしていた。


「はい!問題ありません!」


「だそうだ、テッドの隊長であるお前は?」


「……分かった、その代わり、」


「分かっている、バックアップは入念に行うつもりだ」


 勝ち誇ったような目をして私を見ている。どのみちやることに変わりはなかったのだが、テッドがどうなのかと引っかかってすぐに返事が出来なかっただけなんだ。まぁ、こんな言い訳は誰に言えるものでもないんだが...

 こうして、唐突に決まった仮想世界へ、今度はテッドと二人っきりで行くことになった。



85.d



 アマンナの我儘には付き合っていられない。最大積載量、というより四枚のプロペラでも持ち上げられるように調整したというとにやれボディは軽くしろだの、やれプロペラの角度を前傾に調整しろだのと注文ばかりだったのでろくに食事を取ることも出来なかった。最初はあれだけ嫌がっていたくせに、今となってはまるでそっちが本体だと言わんばかり、自由気ままにリニアの空を飛び回っていた。

 マキナが人型機に換装するという話しは聞いたことがない、案外アマンナはマキナではなく元々人型機の支援AIだったかもしれないと、所狭しと建った民家を縫うように歩きながらアヤメと話しをしていた。


「案外そうかも」


「グガランナ様に近付いたのもマテリアルを手に入れるためだったとか」


「その辺はあんまり覚えてないらしいね、二人とも気が付いた時にはそばにいたって言っているし」


「はい、先にアマンナの方から接触したようですが」


「そうなの?それは知らなかった」


 リニアの街並みはとても不思議、悪く言えば歪な構成をしていた。本来は車が行き交う道路であった場所にも民家が建てられ、その材質もまちまちで鉄であったり木であったりまるで統一感がない。建物の上に骨組みを作り、さらにその上に民家やアパートが建っている、違法建築もいいところだ。

 こんな街でも見ていて楽しいのか、しきりに辺りを見ていたアヤメが一つの建物の前で足を止めた。つられて私も視線を向けると扉が開いて中が見えている建物があった、どうやら民家のようだが、何を言うか分かった私は先回りして歩き始めた。


「あれ、行っちゃうの?ベラクルの時は勝手に飛び出すなって言っていたのに」


 ぴたりと、進み出した足を止めた。


「……あそこは安全です、私の勘がそう囁いています」


「何それ、変なの」


 そう、ころころと笑うアヤメが私の隣を通り過ぎて中へと入っていく。苦し紛れに言った言い訳に過ぎないが私の心もどうやら少し浮かれているようだった。


(楽しんでいるの?私が?)


 不思議な感覚だった、グガランナ様とサントーニやエディスンを回った時は浮かれるようなことはなかったはずだ。確かに、アマンナやアヤメが言っていたように、自分を楽しませることも必要かもしれないと建物の入り口に近付いていた時にアヤメが口元を押さえながら慌てて出てきた。何事かと声をかけると心底嫌そうに一言。


「臭すぎる」


「臭い?家の中が?」


「そう、何この臭い…排水口のような臭いがぷんぷんしてた…」


 小さくおぇぇと可愛いらしくもない仕草で体を屈めた。


「家の中はどうなっていましたか?」


 口ではなく指をさしただけだ、自分の目で確かめろということだろう。私も恐る恐る家の中に足を踏み入れるとすぐに異臭が鼻をついた。


「うっ」


 本当だ...臭すぎて目から涙が出そうになった。何とか我慢をして中を見やれば、普通の玄関のように見えた。過去に使われていたであろう埃を被った家具や、廊下を渡った先にある扉が見えた。


(ん?)


 天井を見上げると、普通ではない物が目に入った。それは外から入ってくるものと家の中へと延びている配管だった、繋ぎ目のところだけ水カビが発生し黄緑色に変色していた。


(これはもしかして生活用水として敷かれていたのかしら…)


 そうであればこの異臭も納得出来る、長年放置され続け誰も掃除をしなくなったせいで配管に残っていた水が腐ってしまったのだ。こんな時こそドローンの出番だと詰めていた息を吐き出すように私も慌てて家から飛び出した。


「どうだった?」


「この街は生活用水を湖から汲み上げて家の中に配管を使って送っていたようですね、天井に腐った配管がありました」


「あぁそれでかぁ…アマンナを呼ぼっか」


 言わずとも察してくれたアヤメに今さら親近感が湧いてきた。大事にしている割には使う時は遠慮なく使うアヤメのその割り切りの良さには好感が持てた。

 アヤメがインカムを使ってどこかを飛び回っているアマンナを呼び出した。程なくしてドローンの低く猛々しいプロペラ音が頭上から聞こえ始めた、何をそんなに慌てているのか。さらに何かと何かがぶつかり合う音まで聞こえ、私達がいる通りの端から現れたドローンがとんでもない速さで上空を駆け抜けていった。


「何やってんのアマンナ…」


「あ!アヤメ!あれを見てください!」


 ドローンが駆け抜けた後を追うようにして、全身銀色をした大型の鳥が二羽飛んできたではないか。あれは確かティアマトというマキナが作ったピューマと呼ばれる生命体のはずだ。


「え、まさか喧嘩してるの?」


 密集した建物のせいでよく見えないが、ドローンと大型の鳥が私達の真上で何度も行き交い、衝突する寸前に躱し合っている。


「鳥には自分達の縄張りがありますので、もしかしたらアマンナがちょっかいをかけたのかも……」


「えー」


 前後を挟まれ逃げ場を失ったドローンが反転し地上へと降りてきた、その後をさらに追う鳥が私達の存在に気付き、躊躇う様子を見せながらも途中で引き返していった。ドローンは地上すれすれまでスピードを落とさず、すんでのところで翻るようにして高度を保った。なんという操作技術なのか。


[いやー!一時はどうなるかと思ったよ!]


「何やってんすかアマンナさん、こんな所に来てまでドッグファイトなんかやらなくてもいいんすよ」


 冗談めかしに言うアヤメにアマンナが意気揚々と答えた。


[喧嘩売ってきたのは向こうが先だからね!それにしてもさっきのはこう…スリルがあってとても良かった!]


 取り付けたマイクから「丸!」と叫んだドローンの脚を引っ張った。


「もう!いいからあなたはあの家の中に入って探索してくださいまし!異臭がして私達では調べられないんです!」


[えー…わたし空を飛び回りたいんだけど、あんな狭い所行っても楽しくなさそう]


 前言撤回。やはり自分の楽しみを優先させるのは良くない。


「我儘を言うならこのプロペラを取りますよ?」


[了解です!今すぐに行ってきます!]


 アマンナも前言撤回をしてくれたようだ。自由を奪われたくないと気前良く返事をしたアマンナを、可笑しそうにアヤメが笑っている。


(グガランナ様があれだけ駄々をこねていた理由……何となく分かったような気がする)


 前言撤回をしておきながら言うのも何だが、この二人と一緒にいるのは楽しいと素直に思った。



 アマンナの探索を待っている間、次の目的地であるモンスーンについてアヤメと話しをしていると、先程引き返したはずの大鳥が再び姿を現した。こちらを伺うように上空を旋回しており、時折すぐ近くまで降りてくることもあった。


「何でしょうか、私達のことが気になっているんでしょか」


「そうじゃない?」


 二人並んで見上げながらこちらも様子を伺った。この辺りは彼らの縄張りなのだろうか、けれど人型機で降り立った時はどこにもいなかったはずだ。真上から監視されるのは居心地が悪いと思っているとアヤメが口に手を当てて大声を張り上げた。


「何か用事なのぉー?!」


「?!」


 密集した建物に声が反響してよく響いた。


「何をやっているんですか?!」


「え?何か用事があったのかなって」


「そうではなくて動物に声をかける人がいますか?!」


「ピューマは人の言葉が分かるよ?」


 それはあれですか、心を通わせば互いに通じ合うとかそういう...


「アヤメって意外とメルヘン?」


「何でやねん、動物型のマテリアルは話すことが出来ないだけでエモートはマキナと同じだから」


「あ、そういう…」


 知らなかった、聞けばアヤメの街には動物型から人型のマテリアルに代わって元気に遊び回るピューマの子供がいるらしい。アヤメに声をかけられた大鳥が一羽、おっかなびっくりという体で地面まで降りてきた。本当に大きな鳥だ、私のお腹ぐらいの高さに頭がある。翼を大きく広げたら私もアヤメもすっぽりと収まることだろう。


「どうかしたの?」


「………」


 アヤメが気さくに声をかけながら大鳥の頭を撫でている、大鳥は未だ落ち着かない様子で忙しなく視線を行ったり来たりとさせていた。その様子を空から見守っていたもう一羽の大鳥もゆっくりと降りてくる、その嘴には何かを咥えていた。


「ん?何これ?取っていいの?」


 咥えていたのは霞んだケースに収められていたコンパクトディスク、所謂CDと呼ばれる古い記録媒体だ。アヤメが手にした途端、簡単に嘴から離したのでどうやらわざわざ持ってきたらしい。


「何これ、初めて見た」


「え、アヤメは知らないんですか?それはCDと呼ばれる物ですよ」


 私の言葉に大鳥が翼をばたばたと震わせた、本当に言葉が分かるみたいだ。


「しーでぃー?あぁ、そういえば街のモールでも売ってたな…」


「私にも見せてください」


 アヤメから預かったケースには英語、忌み語として忘れ去られた言葉が書かれていた。誰かの殴り書きのような字だ、これは恐らく音楽?曲のタイトルが書かれているのだろうか...


「これがどうかしたの?」


 アヤメの言葉に、最初に降りてきた大鳥が服の裾を咥えて引っ張っていこうとした。


「え、え、ちょっと!」


 慌てるアヤメに構わず大鳥はぐいぐいと引っ張っていく、何処かへ案内したいようだ。


「私はここで待っていますので付いて行ってください、代わりにもう一羽の大鳥を見ていますので」


「?!」


 勘の良い大鳥だ、まさか自分が人質に取られるとは思っていなかったのだろう。びくりと体を震わせた後大人しくしている。


「そう?それじゃあ案内してくれる?またここに戻って来てね」


 咥えていた服を離して空へと舞い上がった。心なしかゆっくりと飛ぶ大鳥をアヤメが付いて行く。どうやら私の懸念は杞憂に終わったようだ、澄んだ青空のように疑う心を持たないアヤメには大鳥の思惑など関係なかったらしい、きっと心の中は好奇心で満たされているはずだ。


「………」


「よろしくお願いしますね」


 こっちは警戒心剥き出しだった。



 アヤメと一羽の案内人が姿を消して暫くした後、建物の中からふらふらとドローンが戻ってきた。ドローンを見るや否や威嚇し出した大鳥を宥め、敵ではないと説明してあげた。


「お疲れのようですね、アマンナ」


[……今のわたしに臭覚はないけどさ、気持ちの悪いものを見られる程強くなったわけじゃないんだよ……]


 ドローンを見やれば所々に汚れた水が付着していた、へろへろとプロペラを止めながら地面に降り立った途端、大鳥の存在に気付いて「ぴっ?!」と変な声を出しながら勢いよく宙へと上がった。


[な、ななな何でそいつがいんのさ!!]


「Pxtjtmw!!」


[お?!何だ!やるかっ?!]


「やめなさい!彼らは敵ではないわ!」


 アマンナが中の探索を行なっている間にあった出来事を教えて上げた。


[はぁ?それでわたしに近付いてきたの?]


「Pwpmg!Pptgwg!!」


[だったら最初からそう言ってよ!いきなり襲われたら誰だって驚くでしょうが!]


「アマンナは言葉が分かるの?」


[分かる]


「分かっていながら喧嘩をしていたのね…それで何て言っているの?」


 聞けば、この大鳥達はリニアに長年住み着いていたピューマであるらしく、人間がここを離れて置いていった物をずっと守っていたらしいのだ。私とアヤメの姿を見つけ、近くを飛んでいたドローン、アマンナにコンタクトを取ろうとしたのだが勘違いをされてしまってそのままドッグファイトに突入したらしい。


[いきなりくちばしで挟もうとしてきたんだよ、誰だって驚くでしょ]


「それは…まぁ分からないでもないけど…」


[で、その持ってきたしーでぃーは他にもあるの?…………あぁアヤメがいないのはそのせいか]


 ピューマが保管している場所がこのリニアの下にあるらしい。そこへの道を案内しに行ったのだ。

 私もアヤメの真似をしようと手を上げて大鳥の頭に近付けていくと見事に逃げられてしまった。


[何やってんの?思っいきり逃げられてんじゃん]


「いえ…もう大丈夫だから解放してあげようと思ったんだけど…」


 私もファーストコンタクトに失敗してしまったらしい。


[そういう上から目線はやめたら?それよりも、さっきの続きしよう!どっちが強いか勝負だ!]


 前半は私に、後半は大鳥の周りをちょろちょろと飛び回りながら話した。喧嘩を売られた大鳥がぐわっと嘴を大きく開けてから空へと舞い上がり、その後をドローンが追いかけていった。そういえばまだ中の報告をもらっていないことに気付き、アヤメ達と合流してからでいいかと小さく溜息を吐いた。


(上から…目線?私が?そんなつもりは……)


 ない、とは言い切れない自分がいた。過去に何度か似たようなことを言われていたのを思い出したからだ。



✳︎



「何事」


 鳥さんの案内で下へ向かう階段を教えてもらった。とても入り組んだ場所にあり、自力で見つけるのには相当苦労したであろう所にあった。案内も終わってガニメデさんの所に戻ってきてみれば、中の探索が終わったアマンナともう一人の鳥さんが再びドッグファイトを繰り広げていた。


「案内ありがとう、もう大丈夫だよ」


 案内をしてくれた鳥さんはどうやらせっかちなようで何度か先行し過ぎて見失ったことがあった。頭を軽く撫でた後大きく翼を震わせてから空へと飛んでアマンナ達のドッグファイトに加勢を始めた。


「お帰りなさいアヤメ、どうでしたか?」


「下のエリアに行ける階段を教えてもらったよ、建物の中にあったからあれは案内してもらわないと分かんないね」


「まぁそんな所に…アマンナぁ!アヤメが戻って来ましたよぉ!」


 ガニメデさんに呼ばれたアマンナは鳥さんとの空の戦いに夢中になっている。牽制を続けていた鳥さんがアマンナに追いやられ態勢を崩し、結構な勢いで建物の最上階に突っ込んでしまった。割れたガラスの音と破片が上からパラパラと落ちてくる、不意を突いた形で一人をノックアウトさせたアマンナは勝ち誇ったようにくるくると飛び回り、その背後に回っていた鳥さんにプロペラを嘴で突かれてしまった。


「あ」

「あ」


 突かれたプロペラが根元から折れてしまい呆気なく地面へと落ちていった。



[くそぅ、後もう少しだったのにぃ!]


「Ptjtmg!」

「Ppthjwa!!」


 プロペラの故障により飛べなくなったアマンナを胸に抱えて教えてもらった場所へ、鳥さん二人も加わり賑やかになって向かっていた。悔しがっている割にはアマンナは楽しそうだ、上を飛ぶ鳥さん達もしてやったりと鳴きながらくるくる回っている。建物に突っ込んだ鳥さんを綺麗にするのに時間はかかったが何ともないようで安心した。


「ガニメデさんの言う通り、この街の家には全部配管が通っているみたいだね」


 そう、鳥さんの体にも腐った水やらカビやらが付いて汚れよりも臭いを落とすのに大変苦労した。


「はい、きっと生活のために編み出された知恵なんでしょうけど、住む人が居なくなってしまえば公害でしかありませんね」


「どうして居なくなったんだろう」


「この様子を見ても分かりませんか?恐らく住む場所に苦慮していたと思いますよ。車が走る道路の上にすら建物を建てて、さらにその上にまで居を構えているんですもの」


「あ…」


 言われてようやく気付いた。テンペスト・シリンダーが作られた最たる理由の「外縁問題」を彷彿とさせるこの街を見て、いくらか気分が暗くなってしまった。安住の地であるテンペスト・シリンダーの中ですら、それらを解決出来ずにまた街を捨てることになってしまったのだ。


「アヤメ?どうかしたのですか?」


 隣を歩いているガニメデさんに顔を覗き込まれた、普段通りにしているつもりだったが顔に出ていたらしい。


「あ、いや…人は居なくなったのに鳥さん達は残っていたんだなと思ってさ」


「それは……好きでそうしていたのでは?」


 励ますつもりなのか素なのか、呆気からんと言ったガニメデさんに、上空にいた鳥さん達が抗議するように鳴き始めた。


[気にするなってさ、ここにいた人達に守ってもらった事があったからただの恩返しだって、それとガニメデは帰ってきた時に覚えていろって]


「何でですか!合っているではありませんか!」


 上に向かってガニメデさんが言い返していた。

入り組んだ迷路を歩き、一人分しか通れない道を行き、たまに鳥さんに教えてもらいながらようやく階段に到着した。三つに道が分かれるその手前にある円筒形の建物の前で立ち止まり付いてきてくれた鳥さん達に大きく手を振ってお礼を言ってから、中へと入っていく。この建物は生活をする場ではなく公共施設のようで、臭い配管はどこにも通っていない。階段を降りた先にはあるかもしれないが少なくともここは臭くはなかった。


「もしかしてさ、アマンナが嫌な思いをしたのって…」


[そう!思い出した、あの家の中だけどとんでもなく汚れてたよ、配管から漏れた水が腐って近くにあった家具にたまっ]


「あーあー!言わなくていいから!よく分かったから!」


[他にめぼしいものはなかったかな…壁に掛けてあったカレンダーはきっかり千年だったことと、後は…英語?ばっかりだったような気がする]


「この街では忌み語が使われていたということですか…」


 階段をゆっくりと歩きながら二人の会話を耳に入れた。足を下ろす度に大きく軋んでしまうのでひやひやとしてしまった。階段は踊り場に設けられた磨りガラスのおかげもあってかそこまで暗くはなく、長年使われなかったせいで溜まりに溜まった埃が宙を舞っている。


[あ、そうそう、グガランナとこの街に来た時のことも思い出したけど、臭いに我慢が出来なくて下まで降りていなかったんだよね]


「じゃあここから先はアマンナも初めて?」


[そう、行きたいような…行かない方がいいような…あんな景色が待っているのかと思うと…]


「ガニメデさん、このしーでぃーで手を打たない?」


「打たない、ここもきちんと調べるまでは帰りません」


 何度か踊り場を過ぎてようやく階段の終わりが見えてきた。懸念していた異臭もとくになく凝ったデザインをした木製の扉を開け放つと、そこには地下世界が広がっていた。


「へぇ…」


[うわぁ…凄いことになってるね…]


「思っていたより臭くありませんね、これなら無事に探索を続けられそうです」

 

 とても現実的な感想を口にしたガニメデさんが先に建物から出て行った。



85.d



 永い、永い眠りから覚めたような気分だった。体も頭も、その芯はとても重たく僕の体に掛けられたシーツですら不快に感じてしまう程だった。

 目を覚ました場所は第十九区にある聖堂の地下室、僕が()でなくなったあの場所だった。天井の隅は黒く汚れてカビが生え、土壁に埋めただけのひび割れた煉瓦がすぐ真横にあった。固いベッドに体を起こして辺りを見やると誰かが居た痕跡があった。ベッド横のローテーブルには封が空いた酒瓶とグラス、それからしおりが挟まれた文庫本があった。


(誰だ…父さん?)


 紙媒体を、というよりかは過去の媒体をこよなく愛する父は電子化されたものは好まない。しかし、あの父が僕の看病をするほど出来た人間かと言われると首を傾げたくなる。シーツを払いのけてベッドに腰をかけた、程なくして上から誰かの足音が聞こえ、期待と緊張が入り混じった心持ちで待っていると入って来たのはマギールさんだった。


「おぉ、ようやく目が覚めたか」

 

「……えぇ、最悪の目覚めですよ」


「儂の看病ですまなかったな」


 皮肉のつもりではなかったが勘違いをしたマギールさんが頭を下げてきた。


「いえ…そういう事ではなく…一体何があったんですか?」


「話しをする前に先ずは食事を取れ、無理なら水でも何でもいいから口にしろ、体力は回復せねばならんだろう」


「まさか酒を呑めと?」


「おぉすまんすまん」


 ローテーブルに置かれた酒瓶を慌てて片付け始めた、見られたくなかったのだろうが、それなら隠したらどうだと心底思った。


「しばし待っておれ、食べ物を持ってこよう」


「酒のつまみではなく栄養のある物をお願いしますね」


 酒瓶を指摘された事が本当に恥ずかしかったようだ、今度は僕の皮肉に反応し怒った仕草をしてそそくさと部屋から出ていった。



「突然倒れた?」


「あぁ、他の者からの報告だがな、リューオンよお前さんは大庭園で何をしていたんだ?」


「………」


「覚えてはおらんのか?お前さんは大庭園の芝生の上に倒れていたのだよ、肉厚のナイフを手にしてな」


「………」


「言いたくないのならそれで構わんが、警官隊はこの事を既に知っておる。儂が無理を言ってお前さんをこのベッドに拘束させてもらっていたんだ」


「ありがとうございます、マギールさん。誓って言いますが人を殺したわけではありません」


「では何だ?」


 僕の手に握られた、水が満たされたグラスに視線を落とした。ローテーブルには酒瓶の代わりに軽食が置かれ、一口だけかじった跡があった。マギールさんの気配を伺ってみるが、どうやら全てを把握しているような態度と口振りだった。


「……ピューマを、この手にかけたのです。あの日、ビーストが大挙として押し寄せてきたあの日に、赤い神に見下ろされながらその事を後悔しました」


「理由は?」


 まるで尋問だ、けれど仕方がない。


「命とは何なのか、その一端に少しでも触れて尻尾を掴みたかったのです。記憶を奪われ移植され、アンドルフという存在に成り果ててしまうのがとても怖かったから」


「そうか、確かな理由があって犯行に及んだのだな」


「……はい」


「よい、良く答えてくれた。入ってまいれ」


「?」


 もう一人居たのか、まるで気が付かなかった。ゆっくりと開いた扉の向こうに現れたのは...


「…………」


「初めまして、私はスイと申します。今後お見知りおきを」


「…………あ、いや……こちらこそ」


 丁寧なお辞儀をして、その可憐な頭を無防備に晒した。再び頭を上げて見えた顔はやはり、この世の者とは思えない程に均整が取れたものだった。疑うことを知らない瞳と可愛らしい鼻は綺麗な三角形を描き配置され、実ったばかりの果実を思わせる唇は食べて欲しいと言わんばかりに潤っている。いや...これは...体付きも完璧だ、胸の膨らみも決して無視出来るものではないし、タイツに隠れた足も優美な曲線を描いて汚い床の上に堂々と佇んでいた。彼女が動いた、ただそれだけで部屋の淀んだ空気が浄化されて清らかになっていくようだ。不躾に見過ぎている自覚はあるが、どうしても目を離すことが出来なかった、それ程までに彼女は美しかった。

 マギールさんの隣に立ったスイと名乗った女の子が、僕をしっかりと見つめながら恥ずかしそうに口を開いた。


「……あまり男性の方とお話しをしたことがありません。何か至らぬところがありましたでしょうか?」


「あ、いや、そんなことはないよ、こちらこそすまない」


 見られているという自覚がありながらこの釘の刺しよう、見た目とは裏腹に芯が強い女の子かもしれない。


「こやつは人間ではない、だから気にするな」


「は、と、言いますと?」


「スイの体はマテリアルだ、いわば作り物だな、だからこそここまで美しく出来ている」


「道理で……それで彼女をここに呼んだ理由は?」


「スイにはこれからピューマを管理する立場に付ける。それをお前さんが補佐してほしい」


「はぁ?」


 さすがに感情を隠せなかった、何故僕が?それにさっきの尋問は一体何だったのか。


「僕はこの手でピューマを殺した身ですよ?何故そんな男に補佐役など付けるのですか、それに感情的になったわけではなく計画的に行ったのですよ?それを確認するためにさっき質問責めにしたのでしょう」


「だからだ、お前さんは思慮深く理由がなければ動かない慎重な男であることが分かった」


「何を……」


 未だ解せない。そんな僕を見かねたマギールさんが目を寄せて、まるで内緒話しをするように本音を語った。


「…警官隊の者にはナイフを使った自主訓練中だったと伝えておこう。そして儂の目的はお前さんの更生ではなく人材確保、この言葉の意味が分かるかな」


「そういうことですか……」


 ニヤリと口角を上げたマギールさんに何も言い返せなかった。庇ってやる代わりに下に付いて働けと言っているのだ。


「最後に一つだけ、ピューマを手にかけたことを知っているのはあなた方だけですか?」


 向けまいとしていた視線をスイにも向けて発言した。まとめて聞いたのも、ただ視線を向ける口実欲しさだったのは否定しない。


「いえ、他の皆んなも知っています。リューオンさんがナイフを使ってマテリアルを停止させた件について、本人はただ驚いていただけですが」


「……は?」


 言葉は理解出来たが意味が理解出来なかった。殺された本人が驚いていただけ?何を言っているんだ。


「お前さん、まさかマテリアルとエモートの関連性は知っておらぬのか?まさかそんな訳はあるまい」


「知っていますとも、マテリアルとエモートは別個に存在しエモートのコアはサーバー内に……」


「殺したと言っているが、一体誰を殺したのかね、お前さんは」


「………」


 空いた口が塞がらなかった、つまりあの日、動きを止めてしまったピューマはサーバーに繋がれていたのだ。僕がやった事はただマテリアルを停止させただけ、命まで奪った訳ではなかったのだ。

 安堵した、心から安堵した。そして、それと同時にそのピューマの事が気になった。


「………そのピューマは今はどこに?」


「会ってどうするのかね」


「……言い訳を、させてください」


「良く言ってくれた。入ってまいれ」


 今度こそ仰天し、ここまで仕組んだマギールさんに感謝の思いと恨みの思いが同時に募った。

 何を言おうか考えあぐねていたが、扉が開いた瞬間に視界が奪われ僕は再び眠りにつくことになった。

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