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第八十四話 晴天下のベラクル

84.a



 アヤメの機体を先に飛ばせた後、次はグガランナ・マテリアルの番だった。核融合炉エンジンが鳴り響き、地下ドッグに固定されていたアームから緩やかに離れていく。


[グガランナ・マテリアルを襲撃した犯人達は拘束済みだが、首謀者が姿を現さない。第十九区に立て籠もっているのかはたまた何かしらの事情があるのか…]


「事情も何もないだろう、制圧に失敗して政府からの弾圧を恐れて出てこないのだろう。街の人達はどうなんだ」


[今のところ、暴動や事件が起こった様子はない。あの男が一人で企てたということだろうな]


 街に異変がないのならそれでいいと、マギールからの報告を聞き終え通信を切ろうかという時に、


[それと、イエンとの連絡が途絶えた、何か知っておるか?]


 確か...不明機もといデュランダルに対応している時に山道の途中で伸びている奴を見かけた。そのことをマギールに伝えると呆れた様子で言葉を返した。


[何をやっているのだあいつは…今はどうしている?]


「……すまん、それどころではなかった。ホテルにいるアリン達に聞いてくれないか?」


[リバスターの面々に頼むか…さすがにお目付け役を向かわせたところで状況は改善せなんだからな、アリン達に調査を命じるのは少し危険過ぎる]


 マギールとの通信を終えた後、艦体がその超重量を空中へと持ち上げ誘導灯に従いゆっくりと前進を始めた。



「不明機の潜伏場所は分かったのか?」


 やたらとグガランナが蛇行するせいで足元が覚束ないなか、ブリッジで待機しているティアマトに声をかけていた。詰めているのは私とティアマトだけだ。


「さぁね、まるで分からないわ。上層と中層に瞬時に現れたもの、それにあなたの機体が収めた録画データを見やればまるでイエンと同じね」


「素粒子流体というやつか……良く分からんな、あれはどういう原理なんだ?」


 前に一度説明をしてもらったことはあるが理屈だけで終わっている。何故展開出来るのかまでは知らなかった。


「核となる素粒子を周囲に展開させて作りたい形を形成していくものよ」


「?」


「そうね…3Dプリンターと言えば分かりやすいかしら、あなたの街にもあるわよね?」


「あるにはあるが…あれと同じだと言いたいのか」


 専用の機械にデータをインストールして樹脂を組み上げていくものだったと思うが...


「そうよ、ガイア・サーバーからデータを取得してマキナが3Dプリンターの代わりをするのよ」


「樹脂になるものはどこにあるんだ?」


「昔はナノ・ジュエルを使っていたわ、あれは万物の素材を再現してくれる優れ物だから。今となっては空気中に存在している炭素や窒素を使って何とかやりくりしてるのが現状よ」


「何でもありだなナノ・ジュエル…」


「全くね、私達マキナですら作れないオーバーテクノロジーよ」


 ティアマトと会話をしている間にも艦体は中層のミラー群へと近付きつつあった。私と、今となって随分と懐かしい戦闘機だったスイと一緒に押したミラーの開閉スイッチを、今度はテッドが押す役目だった。ブリッジのコンソールから格納庫のハッチが開き、テッドの機体がさぁ飛び立たんとした時に艦体が大きく傾いで尻餅をつきそうになった。テッドの機体に異常はないか冷やりとした後に、


ーさーせんー


 グガランナが、全く悪びれもせずに砕け過ぎた言葉で謝ってきた。ティアマトはおかんむりだった。


「グガランナ!あなたまだ拗ねているの?!」


ー拗ねてないわよ、やる気が出ないだけー


「それを拗ねていると言うと思うんだが…しっかりしてくれないか?お前が艦体をコントロールしているんだ、悪ふざけで墜落したら洒落にならないぞ」


ーさーせんー


 さーせんって何だ、すみませんか?二回もふざけたグガランナをブリッジに上げるため、ティアマトが鬼のようにメインコンソールの操作盤を連打していた。程なくしてブリッジに艦体と同期していたグガランナが上がり、コンソールからはテッドが蚊の鳴くような声で発艦してもいいのかと確認を取ってきた。


[あ、あのぉ…もういいでしょうか…]



✳︎



 ナツメは少し優し過ぎるのではないかしら。あんなに分かりやすく不貞腐れたあの子の面倒を甲斐甲斐しく見ているではないか。


「しっかりしてくれよ、今はお前が頼りなんだよ」


 ふん、と子気味良く鼻を鳴らして明後日の方向を向いている。艦体同期用のマテリアルで手首から先はないが、器用に腕まで組んでいた。

 頭やら肩やら背中やら、あのナツメが仕切りに撫でてグガランナのご機嫌を取っている。


「……そんなに見て回りたかったのかしら?あなたは何百年とかけてあちこち行ったのでしょう?」


 私の言葉にグガランナが目を剥いて反論してきた。


「そんなじゃないっ!私はアヤメも連れて行きたかったのっ!それが何で私だけお留守番なのか…」


 段々と口調が昔に戻ってきているが、いい機会だと思い指摘もせずに続きを促した。


「全部で五つあったけど、大して変わったところはなかったはずよ、そんなに気に入った街があったの?」


「ティアマトが知らないだけだよっ、平原に作られた街とか湖の上に建てられた家とかっ!ちょっとは興味ぐらい持ったらどうなの?!」


「お生憎様ね、私が興味あるのは動植物だったから、あの頑固者が建てた家には興味がないわ」


「全く…そんなんだから今の今まで友達も出来なかったんだよ」


「ん?そうなのか?」


 黙って聞いていたナツメがグガランナの口調ではなく私の友人関係に興味を持ってしまった。雲行きが怪しくなったところで先行していたテッドから通信が入り、これ幸いと会話から逃げるようにして対応した。


[こらちテッドです、とくに異常はありません。そのまま前進してください]


「少しぐらい見つけなさい!」


[?!]


 どうして怒られたんだろうと言いながらテッドが通信を切り、何の歯止めにもならなかった報告を聞き終えた二人が続きを話し始めた。


「ティアマトの奴、生まれた年が百二十年で初めて会ったのがあのアヤメなんですよ?」


「ええっ?!百二十年から今まで誰とも会ったことがなかったのか?!今の暦は二千八百年だぞ?!」


 信じらないものを見る目で私を見やり、


 「……私は今、歴史の転換点にいるということなのか」と大仰に驚いてみせたナツメの肩を殴りにいった。


「そこまで言わなくてもいいでしょうっ?!」


「じょ、冗談だから、殴るのはよしてくれ」


 けらけらと笑いながら器用に私の拳を避けていく。


「そんな事よりグガランナの言葉使いが変だとは思わないの?!」


「あぁ、昔のアヤメにそっくりだなと思ったが別に…」


「え?!」

「え?!」


 二人の言葉がブリッジにこだまし、ちょうど艦体が外殻部を抜けたところだった。


「そうなの?あのアヤメがこんな言葉使いだったの?」


「こんなって言うな、え?ナツメさんそれは本当なんですか?」


「あいつも昔は男口調だったぞ、生意気…とまではいかないが、むしろ私とアオラがお嬢様だったからなぁ……」


 何という...何がどうなったらそんなことになってしまうのか。ナツメとアオラも本人に向かって決して口にはしないが粗暴だ、女性らしさはあまり感じられない。意識的にやっているのかは本人のみぞ知るところだが、あのアヤメが昔は真逆だったなんて...

 グガランナが驚いた顔付きから徐々にうっとりした表情に変わっていった。そして、


「もう…これは運命ね…私もアヤメも昔は不良だったなんて…嗚呼、彼女の息遣いが聞こえてくるようだわ…」


「いや、誰も不良とは言ってないんだが…」


 息遣いが聞こえてどうする。ナツメの訂正に耳も傾けず一人で勝手に自分の世界へと入っていった。

 まぁ、これで機嫌を直すならめっけもんと思い、ナツメの腕を取ってエレベーターの中へと引きずり込んだ、腕を取られた本人も目を丸くしている。


「一体何が目的かしら、今日のあなたは随分と()()()ないように思うけど?」


「………ただの気まぐれだよ」


 図星を突かれて恥ずかしいのか、薄らと頬を赤く染めている。

 外殻部を抜けた艦体が乱気流にぶつかり揺さぶられ、轟音を立てているのがエレベーター内にいても聞こえてくる。白状しろと目線だけで訴えていると簡単に折れたナツメから思いもよらない言葉を投げかけられた。


「……もしかしたら、これが最後かもしれないと思ってな。こうして皆んなでいられるのも」


「本当にらしくないわね」


「そうか?」


 あの日、私の手を取り真摯にお願いしてきた相手とは思えない程に、小さく、そして愛おしく思ってしまった。自分の頬をかいているナツメの手を握り、誠心誠意答えた。


「…私が見てきた人間は皆んな自分の事ばかり、まるで周りを憚らない。けれどあなたは違うわ、もう少し早く出会っていればと何度思ったことか。今回の件が片付いたらまた、皆んなで会いましょう」


「……そうだな、いや、悪い、柄にもないことを言ってしまって」


「いいのよ、あなたは少しぐらい他人に甘えなさい。それぐらいがちょうど良いわ」


 アヤメにも同じことを言われたよと、照れ隠しを最後に言ってエレベーターから出ていった。

 もう、下層は目前だ。未曾有の危機を前にしても私の心は平穏そのものだった。彼女達がいてくれるならきっと大丈夫だろうと、そう強く確信していた。



84.b



「中層の街は全部で五つ、お二人も知っての通りエディスン、それから大平原のサントーニ、近代国家ベラクル、湖上のリニア、最後にモンスーンがあります。まずは…」


 瞳をキラッキラに輝かせてアヤメ様が私を見つめていたので思わず勘違いをしてしまった。どうやら私にお熱になっているわけではなく、中層の街々に興味があるらしい。口で言わずとも早く続きを話せと急かしていた。


「……まずは、ベラクルから行きます。そして次にリニア、モンスーンと経由して最後にサントーニにまいろうかと思います」


「はい!」


[えらそーに、さっきはあんなにめぇめぇ泣いてたくせに]


 効きはしないだろうが、私とアヤメ様を乗せた人型機の手のひらを叩いた。

ここはベラクル側にある山脈の中、あの日私が崖に落下しかけた近くにある場所だった。高い山間の中をくねるように伸びる川に降り立ち、せっかくだからと人型機の手のひらの上で遅い朝ご飯を食べていた。私とアヤメ様を包んでいるのは草いきれと川のせせらぎ、それから時折聞こえてくるのは動物の鳴き声だろうか。ガイア・サーバーにより隠蔽されたこの地でも、大地の息遣いは確かに聞こえてきた。

 館内のフードコートから持ち寄った朝ご飯を懸命に咀嚼していると、隣のアヤメ様がしきりにきょろきょろとしているのが目に入ってきた。


「そんなに珍しいですか?エディスンの近くにも似たような自然はあったと思うのですが」


「えっ?いや、そんなことないですよ…全然」


 どっちの否定?聞かれたアヤメ様は頬を染めて視線を手元に落とした、どうしてそんなに恥ずかしがるのか。


「私に遠慮しているのですか?」


 気を遣わなくていいと口にする前に、


[そんな泣き虫やろうに気を遣わなくていいよ]


 代わりに言ってくれたが泣き虫やろうは余計だと、もう一度手のひらを叩いた。


「いやあの、すみません…ガニメデさんの話しを聞いてからいても立ってもいられなくなって、それに他にも行ける場所があるなんて知らなかったから…」


「………」


 もじもじと少しいじらしく、まるで告白するように胸の内を教えてくれたアヤメ様にもう一度勘違いをしてしまった。


(私のこと…好きなの?)


 まぁ好きだなんて一言も言っていないんだが、こんな自然体に人を射止めてくるアヤメ様のそばにいたグガランナ様も大変だと思いながら、最後のパッケージを空けた。



 近代国家、などと名前を付けたが他に適当な名前が思い付かなかったからだ。エディスンとベラクルの街はどちからと言えば機能的、他三つは芸術的に作られた街だった。

 それにベラクルではあのディアボロス様が過去のアマンナと会った街でもある。


[覚えていると思う?]


 何気なく過去のことをアマンナに聞いてみたのだが、返事はこの通り。


[そもそもディアボロスの勘違いかもしれないでしょ、わたしがいたという証拠でもない限り]


「アマンナが難しいこと言ってる……」


 山間を縫うように流れていた川から飛び立ち、ベラクルを囲う山頂を越えようかという時にアマンナがまた曲芸飛行をしてきた。天地と血流がひっくり返り足先からお尻にかけて底冷えする何かがせり上がってきた。再び通常飛行に戻った時に私はヘッドレストを叩きながらアヤメ様に抗議した。


「よ、よよよよろしいですかアヤメ様!今私達はアマンナに命を握られているのですよ!よよよ余計なことは言わないでくださいまし!」


「ごめんごめん」


[学がないわたしで悪かったね!]


「もうあの山頂を越えたらベラクルの街です!小馬鹿にするなら降り立ってからでお願いします!」


「そうするよ」


 今度は背面飛行をして高度を下げながら街へと向かった。私は悲鳴を上げてこれでもかとアヤメ様を叩いた。



「私が悪いの?」


[二人ともだよ]


「はぁ…はぁ…はぁ…」


 人型機が降り立った場所は、地面がひび割れてかろうじで形を保っている高速道路だった。眼下に望むのはベラクルの街並み、代わり映えはしないが整列された建物の群れはただそれだけで文明の名残りを感じさせた。

 未だ収まらない胸の動悸をしずめながら機内に持ち込んだ道具をいそいそと取り出す。


「何をやっているんですか?」


「これはアマンナを運び出すためのものです」


 あれだけの曲芸飛行にも関わらず、バッグの中にしまっていた四つの羽と脚を持ったドローンを手にしてアヤメ様に見せてあげた。


「え、アマンナってこんなのにも入れるの?」


[何でやねん、人型機のコンソールにカメラを繋げばいいだけの話しでしょ]


「それもそうですね、では繋いでくださいまし」


 「何でわたしが…」とぶつくさ言いながらも人型機からドローンを遠隔操作するためにアクセスルートを構築している。アヤメ様は早速探検するためにか準備を整えコクピットのハッチを解放した、一瞬血の気が引いてしまったが空気は大丈夫なようだった。そして私は口よりも先に手が出てしまっていた、何て無用心な...


「痛い痛いっ、な、何ですか?」


「もしかしたら空気中に毒素があるとか思わないのですか?!それか酸素濃度の低下や色んなことが考えられるんですよ?!」


「あ、あぁー…」


 たははは、と力なく笑っている。


「私はもうマキナではありません!人の身と何ら変わりがないのです、このマテリアルが破損してしまえばそれで終わりなのです。この恐怖と緊張感があなたに……」


 口にしてからようやく気付いた。自分でもそうだと言っておきながら全く気付けなかった。アヤメ様も私と同じだ、今あるその可憐な身体が大怪我を負ってしまえばそれまで。治療出来れば良いが、完治出来なければその後遺症と共に過ごさなければならない。それに外傷だけではない、内蔵にもダメージを負う、精神的な病いに伏すこともあるかもしれない。何て脆弱な体なのだろうと、サーバーから断絶された時に思い知らされてしまった。それなのに、アヤメ様はまるで怯む様子がない。それどころか、いの一番にコクピットから出て行こうとさえしていた。


「ガニメデさん?」


「……あ、いえ……すみません、取り乱してしまいました」


「はぁ…とりあえず行きましょうか」


 気に病んだ様子はなく、オリーブ色のいつものジャケットを着込みアヤメ様がコクピットから出て行った。私も恐る恐る後に続いた。

 先にアヤメ様を降ろした電動ロープが再び上昇して、今度は私が足をかけて地面へと降り立った。乾いた地面に太陽の容赦ない光が照りつけ熱せられ、砂と埃を含んだ生温い風が私の髪をさらっていった。程なくしてプロペラが低く回転する音が頭上から聞こえ始め、上を見やれば遠隔操作で飛んでいるドローンがゆっくりとこっちに降りてきた。


「アマンナ、平気?」


 その場でくるりと一回転、あのドローンに積んでいるのはカメラだけなので喋ることは出来ない。返事の代わりにすっかり得意になった曲芸飛行で応えてきた。


「とくに話しをしなければ随分と愛嬌があるんですね、そのままでいたらどうですか?」


「またそんなことばっかり…」


 私の憎まれ口にアヤメ様が溜息を、そしてアマンナはドローンで何度も何度も特攻を仕掛けてきた。



✳︎



 アヤメとガニメデの背中を追いかけるようにしてドローンを飛ばし、街の中をひたすら練り歩いた。ここはどこか、カーボン・リベラの街並みと似ているようだがどの建物も風化してしまい景観は何もない。たまに砂埃がプロペラに絡んで態勢を崩してしまうのでおちおち観察なんて出来たものではなかった。エディスンの街とは違い、ここには不思議と枯れない植物はなく、花壇であったであろう瓦礫とかしたものしか見当たらなかった。それでもアヤメは心底楽しそうにあちらこちらに視線を向けてひっきりなしに街を見回っていた。

 降り立った高速道路から徒歩でインターチェンジを抜けて市街地に入り、居並ぶ工場跡地を通り過ぎて街の中央に差し掛かった。まさかこのまま本当に歩くだけなのかと思っていると、ぽっかりと空いた敷地の奥にある建物へと足を向けた。今までどの建物も素通りしていたのにここだけは入るのかとアヤメも口にしていると、


「ここがこの街の中枢となる場所なのです、この街を支配していたオーディンとディアボロスがいた軍事基地です」


 初めから当たりは付けていたらしい。


「これが…基地なんですか?」


 基地、というよりかはどこか公共施設を思わせる質素なビルだった。しかし、正面入り口に近づく度にそのビルの背後にあった広大な敷地が見えてきた。空っぽの兵舎が並び、まるで迷路のように引かれた白線もあった。アヤメも敷地に気付いて目を丸くしている。


「わ、こんなに……どうしてこの街には基地があるんですか?もしかしてこの時代にもビーストがいたんですか?」


「いいえ、これは他の街との戦争に使われていたものです。散発的な小競り合いが多かったようですが、さらにその昔には人と人との戦争にも用いられていました」


「………それは、どうして…」


「発端については分かりませんが、テンペスト・シリンダーに移住した人との間で起こっていた戦争です。今この時代は英語が失われていますよね、それと何かしらの関係があると思うのですが……」


 詳しいことは分からない、そう締め括って暫く無言で佇んでいた。

ここに立っていても何も分からないと、二人の周りをぐるぐると旋回してみせた。ガニメデは鬱陶しそうに顔をしかめ、アヤメがくすりと笑ってから先を促した。


「アマンナも早く行けって言ってますよ、中に入りましょうか」


「よく分かりましたねこの暴力マキナの言葉が」


「そんなことばっかり言うからアマンナが怒るんですよ…」


 わたしの伝えたいことをアヤメがすぐに分かってくれたので、ガニメデの言葉にそこまで腹を立てたりはしなかった。これが持つ者と持たざる者の余裕だと、威張るようにガニメデの周りを飛んでみせた。


「偉そうに…誰のおかげであなたをここまで連れてこられたと思っているのかしら……」


 アヤメの頭上でホバリングし、何度かカメラのシャッターを切った。そう、このドローンには動画と静止画を撮る機能が付いているのだ。カメラのフラッシュを浴びたアヤメが「私?」と自分を指さし、それは違うよと大真面目に否定している。


「ガニメデさんがそのドローンを持ってきてくれたからでしょ?アマンナもきちんとお礼は言わないと駄目だよ」


「アヤメ様…今のはただの悪ふざけかと…真面目に返すのはさすがに可哀想です…」


「えぇ?」


 こういうところは感性が一緒なんだなと、一度だけパシャリとシャッターを切ってみせた。


「ふんっ」


 癇に障るような鼻を鳴らしてからようやくガニメデが歩き出した。その後を追うようにアヤメが続き、その背中を追うように飛ぼうかと思ったのだが...


「ん?」


「アマンナ?」


 四つあるプロペラが徐々に止まり始めた、小さな体を宙で支えていた力も弱まり高度も落ちていく。始めは砂埃がローターに噛んで故障したのかと思ったが、基地の正面入り口を見てすぐに分かった。プロペラも完全に停止してしまい、アヤメの膝くらいの高さからすとんと地面に落ちてしまった。その衝撃でカメラが一瞬だけ途切れてしまったが故障はしていないようだ。そんなわたし...いやドローンを見かねたアヤメが素早く駆け寄り、大事そうにドローン...いやわたしを抱え上げてくれた。


「大丈夫?怪我してない?」


「いやあの…それドローンですよ…どこまで真面目なんですか、それにどうやら基地の中までは連れて行けないようですね…」


「え?」


 そう、ガニメデの言う通り正面入り口にはドローン、というより小型機器の持ち込みは禁止するという看板がかけられていた。おそらく半永久的に効果を発揮出来るよう電磁場が形成されているのだろう。この位置でならカメラは回せるが中に入ってしまえば一発でアウトだ。


「あちゃ〜…それなら私とアマンナはここでおるすばっ、痛い痛いっ!ガニメデさんマジ殴りはやめてください!」


「信じられない!こんな所にまで来て今さら一人で行けと言いますか!どんだけ鬼畜なんですか!」


 アヤメの胸に抱えられた視点から、マジ泣き寸前のガニメデが拳を振り上げているのが見て取れた。可哀想に...


「分かった!分かったから!とりあえずアマンナを飛べる所まで連れて行ってすぐに戻ってきますから!」


「約束!約束してください!ここで一人放置プレイは洒落になりませんからね!」


 こいつ...間違いなく街の動画を見ているな。

わたしのドローン(混乱中)を両手に持ち直し、プロペラが復帰する場所までゆっくりとアヤメが歩いていく。わたしにだけ聞こえる声で小さく「やり過ぎた」と笑ってきた。

 こうやって玩具のように扱われ大事にされるのも悪くないなと、わたしとドローンの垣根を取っ払ったアヤメの胸から飛び立ち、心配させないようにくるり一回転してみせた。自分で言うのも何だがすっかり板に付いたようだった。


「時間は分かる?一時間経ったら一先ず戻ってくるから、それまで街の探索でもしてて」


 分かったと言う代わりにシャッターをもう一度だけ切った。アヤメを俯瞰するように撮った静止画はまるで天使が見上げているような構図で、これは面白いぞと人型機経由でグガランナに送りつけてやった。



✳︎



 アマンナを一人で待たせて入った基地の中は、思っていたよりも綺麗に見えた。少なくともメインシャフトのように壊れた様子も、何かが争った形跡もない。安心して探索出来る廃虚というのも不思議なものだった。

 少し前を行くガニメデさんの背中に、遠慮なく声をかけた。


「どうしてアマンナにはキツく当たるんですか?他の人には丁寧なのに」


 ガニメデさんも本人がいないせいか言葉を選ぶ様子もなく端的に返してきた。


「だって見ているだけで腹が立ちますもの、私もこんな事は初めてです」


「アマンナのことが嫌いなんですか?」


「ん〜…嫌い、というよりかは…もっとこう…「しっかりしろ!」みたいな、感じでしょうか」


「はぁ」


「アヤメ様も頼りない年上の方がいたら腹を立てませんか?もっとしっかりしてよ、みたいな」


「はぁ…あぁ、そう言われると…分からないような…」


「分からないんですか、まぁいいですけど」


 私の返しにとくに気にした様子もなく、すたすたと前を行く。

過去を再現した仮想世界でもここに訪れたみたいだが、すぐに追い出されてしまったらしい。ガニメデさんが目指しているのは司令室、基地の中心部だった。建物の窓ガラスが割られていないせいか、多少埃っぽくはあるものの綺麗な状態を保っている。足元の床にはグガランナの艦内にもあるような道先を案内してくれる小さなライトがあった。今は点灯こそしていないが、電力が回復したならすぐにでも案内してくれそうだった。

 基地、というよりどこか役所のような四角四面の建物だなと勝手に緊張していると、ガニメデさんに声をかけられた。


「アヤメ様、そろそろ…」


 まだ丁寧な言葉使いをするのかと、それを遮った。


「様は付けなくていいですよ」


「そう、ですか…何とお呼びすれば…」


「アヤメで、ガニメデさんに様付けされるのは居心地が悪いです」


「それなら私のこともさん付けは結構です、何なら豚と罵ってくださってもいいですよ」


「誰が言うか、その豚設定はどこからきてるの?」


「んふぅっ」


 えぇ...今ので?そう思った矢先、誰もいないはずの階上のフロアから何かが落ちる音が聞こえ心底驚いてしまった。


「………」

「………」


 どごん、と鳴った音が私達がいるフロアにまで響き未だ耳に残っている。誰かが...いるの?でもここは捨てられた街...生きている人なんかいないはずだ。ガニメデさんも目を真ん丸に開いて固まっている、そしてもう一度音が鳴った。


「ひっ」


「………もしかして、中層にいる特殊部隊の人が……」

 

「そ、そんなはずはないでしょう、ここは徒歩で向かう場所じゃない…一体誰が……」


 何かが落ちる音、それからコツコツと誰かが歩く音が聞こえいよいよ鳥肌が止まらなくなった。



84.c



 轟々と鳴り止まない風切音と、今日はよく揺れる艦体が下層へのゲートに到着した。長年の雨風に晒され続け端々が傷んで黒ずんだ扉がゆっくりと開いていく。艦体がゲートの中に吸い込まれ、思い出したかのように誘導灯が光り中へと案内してくれた。

 ブリッジにはついさっきまで詰めていたティアマトさんに代わり、僕がコンソール前で待機していた。とくにやることもないので休憩スペースから持ってきた文庫本に目を通していると、微かな駆動音と共にメインコンソールがブリッジに上がってきた。もう?まだ艦体はコアルームに到着していないのに、そう訝しみながら振り向くとグガランナさんが同期した姿勢のまま項垂れている。何事かと思い声をかけると、


「やってらんないわ…」


「はぁ…」


 ちなみにグガランナさんの同期姿勢はスポーツタイプのバイクに似ている。前傾姿勢で燃料タンクを跨ぎハンドルを握っているような形だ。大きく溜息を吐いた後ようやく体を起こした。


「やってらんないわ…何やってんだろ私…」


「………」


 あれ、こんな喋り方だったかな...もう一度グガランナさんに声をかけてみた。


「何かあったんですか?まだコアルームに到着していませんけど……」


「これを見てちょうだい……」


 そう言いながら一つのコンソールを指さし、一枚の画像を表示させた。そこに映っていたのは上目使いのアヤメさんだった。


「………」


 え、これが何だろうか...というかこの写真はどこから撮ったんだ?白いアスファルトも映っているので随分と身長の高い人が撮った写真のようだが...


「さっきアマンナから送られてきたのよ…」


「え?アマンナが撮ったんですか?」


 アマンナってこんなに身長高かった?何かを踏み台にして撮ったのかな。


「羨ましい…私もアヤメと一緒に旅をしたかった…」


(あぁ、そういうことか……)


 ガニメデさんというマキナのお願いを聞いてアヤメさんとアマンナは中層に残っている。その旅の一場面を見せられて悔しがっているのだろう。

 後ろから荒っぽくがつん、がつんと歩く音が聞こえて少しだけびっくりしてしまった。グガランナさんが離れた後、メインコンソールがバイクのシート型から腰を下ろせる椅子型に変形し、そこへどすんとグガランナさんが座った。随分とご機嫌斜めらしい。


「マテリアルが傷みますよ」


「………」


「この艦体にもしものことがあればグガランナさんが操縦をしなければならないんですよ?皆んなまとめて地上に落っこちますか?」


「……そうね、それもそうね…ごめんなさい」


 僕の言葉に、感情的になっていたグガランナさんが素直に謝ってくれた。ナツメさんのように股を開いて座っていた姿勢を正して真っ直ぐに僕を見つめてきた。


「……アヤメのことでつい取り乱してしまったわ」


「見れば分かりますよ、けれど今は有事ですので控えください」


「厳しいのね、優秀な副官だわ」


 ...とくに他意はないんだろうけど、「副官」という言葉に心が激しく反応してしまった。


「……そうでしょうか」


「えぇ、注意を受けた私が言うのも何だけどね。注意は誰にでも出来ることではないと思う、ナツメさんも心強かったと思うわ」


「………」


「テッド?」


「あ、いえ、そうだったらいいなと思いまして……」


 返事が出来なかった僕を覗き込むようにしてグガランナさんが見ている。そして徐々に悪戯を思い付いた子供のように口角を上げて答えにくいことを言ってきた。


「……もし、今ナツメさんが別の男性と会っていたら、テッドは平常心でいられるのかしら?」


「そ、それは…意地悪な質問ですね…」


「……テッド?顔色が悪いわ、どうかしたの?」


 そんなつもりは...けれどグガランナさんに言われてから胸の動悸が激しくなっていることに気付き、それに気付いてから無理やり宥めようとした、してしまった。


「………はぁ、あぁ…」


 ぐわんぐわんと頭が響き、いても立ってもいられなくなり、仮想世界で過ごした夜のように声が喉を迫り上がってきた時に固くて冷たい何かが僕の頭を覆った。


「テッド、テッド、ごめんなさい、まさかそんなになるなんて思わなくて」


 ...いつの間にか床に座り込んでいて、そんな僕をグガランナさんが抱きしめてくれていた。胸の鼓動は聞こえない、アマンナとは違って頭を撫でてくれる手のひらの感触もなかったけど、それで十分だった。


「……すみません」


 後は何も言わず、僕が立ち上がるまでずっと抱きしめてくれていた。



「…………そんな事が、あったのね」


「はい…それから時折、さっきみたいに取り乱すことが多くなってしまって…」


「………」


 事情はグガランナさんに打ち明けた。中層で僕がやった事についてだ、ナツメさんを助ける為とは言え今なお僕の心に重くのしかかっている気持ちを素直に伝えた。何と言われるのか、少し怯えて待っていると予想外の言葉が耳に届いた。


「テッドはとても勇敢なのね」


「……はい?勇敢、ですか」


「えぇ」


「勇敢ですか?僕は特殊部隊の仲間をこの手で…」


「それがどういう事なのか知っていて、それでもナツメさんを助けるためにやったのでしょう?」


「それは…そうですが…」


「そしてあなたはその事から逃げずにきちんと受け止めている、勇敢でなければ出来ないことだと私は思う。逃げようと思えばいくらでも逃げられるじゃない」


「………」


 そうな風に考えたことは、今まで一度も無かった。


「今のテッドは、ナツメさんは知っているの?」


「……いいえ、きちんと伝えたことはありません」


「そう…」


「私から絶対に離れるなと言ってもらえましたから、それで十分だと思って…」


「そう」


 グガランナさんが薄らと、けれど力強く微笑んでくれた。

僕の心がようやく落ち着いた時、艦体がコアルームに到着したようだった。そしてそれを見越したかのように直通エレベーターからティアマトさんとナツメさんが同時に入ってきた、さっきのさっきまであんな事を話していたのでナツメさんの顔を見ることが出来なかった。

 僕とグガランナさんの空気にいち早く気付いたティアマトさんが声をかけてきた。


「何かあったの?」


「やさぐれていた私をテッドが注意して、私がアヤメの良さをこんこんと説明していたのよ」


「馬鹿じゃないのあなた、テッド、こんなのはもう相手にしなくていいからね」


「こんなのって言うな」


「………」


 場をはぐらかしてくれたグガランナさんをナツメさんが見つめて、今度は僕に視線を送ってきた。見透かされているような気がした僕は文庫本を返してくると早口に言ってからブリッジを後にした。扉が閉める直前に、


「待ってくれ、私も忘れ物を取りに行く」


 ナツメさんが手を挟んで閉まる扉を無理やり止めてきた。それに慌てた僕は扉を閉めるボタンを連打してしまった。


「まっ!待てと言ってるだろ!」


「定員オーバーです!諦めてください!」


「私はグガランナの程重たくない!失礼なことを言うな!」


 少し遠くから「このマテリアルでも乗れるでしょうが!」と少しズレた返事がグガランナさんから返ってくるのが聞こえ、諦めた僕は端の方に寄ってナツメさんを迎え入れた。程なくして扉が閉まりお互い無言で過ごす。


「………」


「………」


 扉が開き、先に出ようと歩き始めると腕を取られた。


「お前」


「何でもありません」


「何を話していたんだ?」


「何でありませんから」


「そんな風には見えない」


「隊長失格ですね、僕はいつも通りですから、変な考えはやめてください」


 口は強く出るが腕を払う気には何故だかなれなかった。


「私がお前のことを見ていないと思うか?お前の方こそ失格だな」


「……それで、いいです」


「なぁ、私は喧嘩をしたいわけじゃないんだ、素直に話してくれないか」


「………」


「そんなに私に話すのが嫌か?」


「………離れるまでは、ナツメさんから離れるまでは言いたくありません」


「分かった、それなら二度聞かない」


 さっきとはまるで違う動悸が胸を押し寄せてきた。けれど、


「私からお前を離す日は絶対に来ない、それだけは覚えておけ」


 ナツメさんの言葉に胸が熱くなって心から安堵した。胸を支配していた動悸も静まり、手足の先からのぼってきた安心感と充足感が涙となって瞳から溢れてきた。

 ...自分でも意地っ張りだと思う。素直に話せばナツメさんも僕に優しくしてくれるのは分かっている、けれどその優しさは後ろめたさからくるものだ。そんな迷惑はかけられない、でもやっぱり、心のどこかでナツメさんに甘えたかったんだと思う。あの時と変わらず離さないと言ってくれた言葉は、今の僕にとっては何よりの宝物に思えた。「泣くぐらいなら最初っから意地を張るな」と言われて頭を小突かれた。



✳︎



 基地の入り口で二人と別れてからあっちにふらふらこっちにふらふらと飛び回っていた。ドローンにも慣れてしまうと人型のマテリアルより気楽に動き回れることが分かり、使われなくなってから長い年月が経った建物のガラスにはまるで生きているかのようにドローンが映っていた。


(これでマイクを付けたら完ペキなのでは?)


 飛ぶ、という行為がここまでしっくりくるとは自分でも思わなかった。グガランナと一緒に中層を回っていた時は牛だ、四本足でのしのし歩いていたあの時が今となっては信じられない。

 街を飛び回っている間、封をされていた記憶が徐々に蘇ってきた。ガラス越しに映った自分を見て「これが牛なのか」と驚嘆した覚えがある。けれど、何かから逃げている引っかかりのような思いだけは未だ分からず終いだった。

 砂埃を含んだ風を浴びる度に態勢を崩しながらも少し湾曲した通りを飛んでいると、山脈を背景にして細長い看板を付けたビルが視界に映った。その手前のビルとの間に出来た路地裏があり、そこを覗き込むと室外機やら大きな板切れが立てかけられたりと何とも飛びにくそうに煩雑としていた。


(ふ、今のわたしに不可能はない)


 これも力試しだと、慣れたばかりのドローンを路地裏に向かわせ繊細な操作でちまちまと路地裏の中を飛んでいく。板切れを避けて室外機も避けて、何度かドローンの脚が建物の壁に当たって冷やりとしたが、巧みな操作技術で持ち堪え先に進んでいくと少し開けた場所に出た。


(ここはセーブポイントかな?)


 建物の裏口が隣り合った場所だ、その向こうはより一層飛びにくそうな路地裏が待ち構えている。さらにドローンを慎重に操作してゆっくり、ゆっくりと路地裏を抜けていく。



(よくよく考えたら、あんな所で故障しようものならアヤメ達に知らせる術がないな)


 まさか封鎖されているとは思わず何重にも張られた木の板にはさすがに焦った。それでもすり抜けたわたしもわたしだが、あんな路地裏で故障して飛べなくなったら間違いなく見捨てられてしまう、というか見つけてもらう自信がなかった。

 抜けた先は細い通りになった街ビルが立ち並ぶ場所だった。一階部分はどこも閉められ入れそうにはない、高度を上げて二階部分を見るともなし見みながら飛んでいるとやたらと賑やかな部屋を見つけた。ただのオフィスビルかと思いきや、賑やかな部屋の中にはぬいぐるみや遊び道具が散乱しており誰かが住んでいた気配があった。


(お?)


 まるで子供部屋のような部屋の窓ガラスが少しだけ開いているのが見え、さっきの路地裏で鍛え上げた操作技術でするりと中に入った。


(まるで、じゃなくて子供部屋だな…何でこんな所に…)


 やっぱりこのビルはオフィスビルのようで、パーテーションが取り払われたフロアにこれでもかと遊び道具やベッドが沢山置かれていた。元々あった仕事机は隅のほうに押しやられ、空いたスペースには椅子やボードが置かれ、子供の落書きかな?ボードには拙い絵が薄らと残っていた。


(ん?)


 一階にも行けるようで、フロアの入り口へドローンを向けようとした時、ボードの隅に書かれた言葉が目に映り一瞬その意味が消失してしまった。


(………え?)


 ボードの隅には絵と同じように拙い文字でいくつか名前が並び、その中にわたしの名前を見つけたのだ。「アマンナ」、そう書かれていた。


(同じ名前の子がいたのかな…)


 そういえば、グガランナが成長したわたしを過去の仮想世界で見たと言っていたな...今より成長したって意味が分からないが、もしかしたらこの街にいたのかもしれない。薄らと残った絵は黄色の頭をした生き物をさらに小さな生き物が囲っている...ように見えるものだった。


(…………)


 胸がざわつきそれを無視するように、再び一階へとドローンを向けた。フロアの入り口を抜けてすぐ階段があり、下を見やればとくに封鎖はしていないようだ。本当にこのまま向かってもいいのかなと怯えながらドローンを飛ばし、階段の踊り場を抜けて一階に到着した。二階と同じようにパーテーションがなくなり仕事の場ではなく生活する場に変えられたフロアにドローンを飛び入れた。このビルの正面入り口は封鎖されて、薄暗いフロアの中には生活道具があふれ返っていた。壁際にカメラを向けるとスリーナインのカレンダーと、すっかり色褪せて朽ちかけた手帳を見つけた。


(……………)


 その手帳を見つけた時は、ここに来るんじゃなかったという思いと何が何でも見なければならないという使命感に駆られ、自分が今どんな姿になっているのかも忘れて手帳に近付いていった。


(あ)


 プロペラが何かに当たった、パキンと子気味良い音を立てると後はすぐだった。あっという間に浮力を失い地面まで真っ逆さまに落ちていった。


(ああああ?!!)


 カメラだけは生きている、逆さまに映ったフロアと天井が映りわたしはその場で動けなくなってしまった。



✳︎



 手にした自動拳銃を握り締めて物音が鳴ったフロアに到着した。階段を上っている時は物音一つせず、それが却って不気味さを際立たせた。リノリウムの床に私とガニメデさんの足音だけが響く、窓から差し込む光も弱まり少し歩いた先にある一室の異変さが良く分かった。


(明かりが…点いている…)


 小さな頃に通っていた軍学校の教室を思い出した。壁の高い位置に取り付けられた窓から明かりが点いた白い電球が見えている。ゆっくりと歩みを進めていく中で、恐怖心が少しずつ好奇心へと変わっていった。一体誰が...こんな所で、何をしているというのか。

 部屋の中にいる人?もしくは何かがこちらに気付いた気配を感じ取った、逃げる様子も強張った様子もなく向こうもこちらを伺っているようだ。先手必勝と思い、私のジャケットを握り締めていたガニメデさんの手を払ってから中に突入した。


「っ!!」


「ひっ?!」


「……っ」


 窓が付いていない引き扉の取手を掴み素早く開けた部屋の中には...


「あ、アヤメ、か?どうしてこんな所に…」


「あ……」


 向こうも驚いたようにして口を開けているハデスさんと、


「プエラ…」


「………」


 仮想世界のあの家で、泣きながらお別れをしたプエラがいた。プエラも大きく口を開けていたが次第に冷たい目に変わっていった。


「……何を、やっているの?こんな所で…」


「いや、何、ただの調査だよ、君もグガランナから聞いているだろ?捨てられた中層の街について」


「プエラ、何をやっているの?」


「ハデスが言った通りです」


 私は見逃さなかった、質問に答える前に一度だけ強く目蓋を閉じていたことを。口は他人行儀だけど、わざわざそうしたのも良く分かった。


「調査のために私達から離れていったの?」


「それとこれとは関係がありません」


「なら答えて、口で言わないと分からないよ。あの時みたいにまた喧嘩でもする?私は嫌だからね、せっかく仲良くなれたのに」


 何かを我慢するように大きく胸を張って呼吸を整えている、自分でも意地の悪い聞き方をすると思いはしたけど、何が何でも口を割らせるつもりでいた。


「メインシャフトの治療室でまた、警報を鳴らしたよね?それもとびっきりのやつ。あれもプエラの仕業でしょ」


「違います」


「嘘、あんなに分かりやすい気の引かせ方をするのはプエラだけだよ。そんなにあの子に構っているのが嫌だった?」


「いいえ、あなたの勘違いです。自惚れは程々にしてください」


「怪我したところを看ていただけだよ?自惚れうんぬんは関係ないんじゃない?」


 眉が少しだけぴくりと動いた。あともう少しでいけそう、そう思った時にはハデスさんが先に動いていた。


「すまないね、こっちも色々と忙しいんだ。君達が何をしに来たのか詮索はしないけど、こっちも放っておいてくれるかな?」


 あの時と同じお澄まし顔でプエラの手を取り部屋から出て行こうとした。その進路を塞ぐように立ちはだかり、


「プエラは置いていってください、とても嫌そうにしていますよ」


「それはそうさ、遊びじゃないんだから」


「プエラはこの人がいいの?」


「その聞き方は変じゃないかな、ただの仕事仲間と友達を比べるのはお門違いだよ」


「プエラ」


「あの日、お別れするまであなたと過ごした記憶は大切にしています。けれど私はマキナなのです、いつまでも遊んでいるわけにはいきません」


 強く、私に視線を据えて言い切った。


「それが答えなの?」


「はい。私のことはあのポスターと同じように破り捨ててください」


 それだけ口にしてから、プエラから歩き出し私の横を通り抜けて部屋から出て行った。その後にハデスさんも続き、そういえば廊下に置き去りにしたガニメデさんのことを思い出したのと部屋を出た二人が小さく悲鳴を上げたのが同時だった。

 出て行った二人の後に室内を見回した、とくに変わったところはなく開け放たれた窓と並べられていた机や椅子が隅の方に寄せられているだけだった。


「………」


「怯え過ぎだよ、ハデスさんとプエラも会ったことがあるんでしょ?」


「ち、違う…そうじゃない、そうじゃないけど…」


 大きく溜息を吐いて、ようやくへっぴり腰から復帰した。


「アヤメ、あなたが勇敢なのか無謀なのか分からなくなってきたわ……」


「多分無謀だと思う、最初は怖かったけど段々と興味が湧いてきてさ、こんな所に誰がいるんだろうって」


「好奇心は猫をも殺すって諺は知ってる?」


「いいねそれ、気に入った」


「全く…」


「それよりあの二人は何をしていたのかな?」


「さぁ、とくに変わったところはないけど…あの物音は机を片付けていた音だったのね」


 部屋の中央まで歩き二人がいた場所に立って床やら天井やらを見ている。床に視線をやった後その場でしゃがみ込んで撫で始めた。


「何かあるの?」


「跡があるわ…何かを置いたような…叩いた?凹みもある」


 私もガニメデさんにならって床を見やると、確かに何か重たい物を置いたような跡があった。木で出来た床はその部分だけが軽く凹んでいる。あの二人が出て行く時は何も持っていなかったはずだ。


「もしかしてここでも素粒子何とかって出せるの?」


「それは試してみないことには…生憎私では展開出来ないけど」


「そう…調べようがないね」


 私の言葉に立ち上がったガニメデさんの頬が薄らと赤くなっているのに気付いた。はて、そう思ったけど窓ガラスに映っている私の顔も赤らんでいた。


「………」


「その、あまり無理をしてタメ口を使わなくても」


「違うから、そんなじゃないから。ガニメデ………さんも……赤く……」


 駄目だった、やっぱりさん付けせずに呼べなかった。おかしな空気のまま顔を赤くした私とガニメデさんが部屋を後にして本来の目的地へと向かった。



「結局成果なしでしたね」


「タメ口はどこへ?……まぁ私もこちらの方がいいですけど……」


「いきなり仲良くは出来ませんね」


「ほんと…」


 恨めしそうに私を睨んでいるガニメデさん、それでもどこか楽しそうにしているのは決して気のせいではないだろう。

 さっきも言ったように、基地内を探索してみても何も見つからなかったのだ。仮想世界では大量の水で満たされていた室内プールも空っぽで、調べられる資料の類いは一切なかった。勿論データ関係も皆無で、そもそもアクセス出来る端末がなかったのだ。

 アマンナと約束した時間通り、基地から出て正面入り口に戻ってきた。太陽は高い位置まで昇り、真上から私とガニメデさんを強く照らしていた。


「アマンナが何か見つけてくれたら…は、さすがに期待し過ぎですかね。赤子に成果を求めるのは酷というものでしょう」


「アマンナもやれば出来る子なので…」


「それ普段は何もやらないということですよね」


 相変わらずアマンナには厳しい。

暑い日差しに照らされること数十分、アマンナが操作しているドローンが一向に戻ってこない。約束した時間はとうに過ぎていた。初めはガニメデさんも「遊び倒して忘れているんでしょ」と軽口を叩いていたけど、さらに数十分、もう一時間近く経とうとしていた時には私もガニメデさんも大慌てだった。



84.d



「はぁ、はぁ、アマンナは?!今すかぁ?!」


「いないっ!」


 何かあったに違いない、きっかり一時間待ってもアマンナは現れなかった。何か不測の事態が発生し集合地点ではなく人型機に戻っているかと期待してみたけど、開けたハッチの中にも勿論周りにもドローンは見当たらず、人型機のコンソールを立ち上げてもアマンナアナウンスで応えてくれなかった。


(もうどこにいったのアマンナ!)


 ビースト、クモガエル、もしくは全く知らない未知の生物と会敵してしまったのか。仮に飛べなくなったとしても何故人型機に戻ってこないのか。


「ガニメデさん!上がってきてください!」


 言われるがままガニメデさんが電動ロープに足をかけてコクピットへと上がってくる。到着するや否や中へと引きずり込んでコンソールから調べるように、半ば命令口調でお願いしてしまった。


「元はと言えばガニメデさんが!」


「分かっていますから!そう急かさないでください!」


「どうしてアマンナは戻ってこないんですか?!本当にドローンに入ってしまったんですか?!」


「……考えられる原因は基地のようにドローン禁止区域に誤って入り込んだか…アマンナ側が遠隔操作ではなく本当に換装してしまったのか…」


「そんな!換装した状態で破壊しまったらどうなるんですか?!」


「……最悪は」


 その先は話さず必死になってコンソールを操作している。ハッチを開けたそばから砂が中に入り込みコンソールの画面にいくらか付着してしまった。誤操作を何度もやってしまい、ガニメデさんも苛ついたように画面を手で払っていた。


(こんなことならアマンナは外に出すんじゃなかった…)


 あのアマンナだ、きっと好奇心に任せてあちこちふらふらと飛び回り、取り返しのつかないことをやってしまったのかもしれない。


「待って!見つけた!」


 暗い想像をしてしまい俯いていた私の肩を遠慮なくガニメデさんが揺さぶりコンソールの画面を見せてきた。そこには録画されたドローンの飛行映像が映し出されていた。


「これ!これってもしかしてアマンナが飛んでいた場所?!」


「そう!ちょっと!まだ全部見ていないでしょう!」


 焦った私を、遠慮なんかせずがっしりと腕を掴んできた。


「だって!早くしないとアマンナが!」


「どこにいるのか見つけてからでないと意味がないでしょう!しっかりして!」


「元はと言えばガニメデさんがあんな物を用意したからでしょう!アマンナの身に何かあったらどうすんるですか!!」


「だからこうして落下した場所を見ているんでしょうが!」


 肩で大きく息を吐き、それから私もコンソールに向き直った。

そこに映されていた場所は、カーブした道、それから色んなオフィスが入っていたであろうビルとその背景に山があった。少しの間ホバリングした後、迷うことなく飛びにくそうな路地裏へと入っていくではないか。


「そんな所に入るなぁ!」

「そんな所に入るなぁ!」


 馬鹿じゃないのアマンナは?!どうしてあんな危なかっしい所に入っていくのか。ハラハラしながら画面を見守っているとガニメデさんが小さく手を振って人型機を出すように指示を出してきた。


「場所の当たりは付きました!アヤメは人型機を出して!私がその間に調べておくから!」


 返事も返さず人型機をスクランブル発進させてすぐさま上空に踊り出た。ガニメデさんの言う方角に機体を向けて迷わず出力を全開にした。



「アマンナぁ!」


「アマンナぁ!いるならシャッターを切りなさい!」


 到着した場所は細い通りに詰め込まれるように乱立したビルの中だった。半開きになった窓と閉め切られた正面入り口のビルだとガニメデさんに教えてもらい、その目の前に無理やり人型機を着陸させた。機体の装甲板も建物もいくらか傷付けてしまったようだが気にしていられない。裏手に回り手にした拳銃で扉の鍵を破壊して中に入った、埃っぽい裏口のすぐ目の前に階段がありガニメデさんが言うには一階に降りた辺りで映像が途切れてしまったらしい。


「アマンナぁ!」


 胸がすく思いで叫んだ、こんな終わり方があってたまるかと力の限りに叫ぶと一階フロアから明滅する光を見つけた。


「いた!アマンナに違いない!」


「早く早く!」


 まだ大丈夫、そう安心してもこの手でアマンナを抱えるまで不安は拭えそうになかった。

 ガニメデさんと争うようにして中に入り、オフィスなのかリビングなのかよく分からないフロアでひっくり返ったドローンを見つけた。二枚のプロペラが完全に折れ、残りも半端な形状で壊れていた。


「アマンナ!」

「アマンナ!」


 今さっきシャッターを切ったばかり、つまり私達の声は届いているはずだ。膝を折り、もうこれ以上壊れないようにゆっくりとドローンを手に取る。カメラを正面に向けて覗き込むと、壊れたようにアマンナがシャッターを切り続けた。


「まっぶ?!」


「アマンナ!平気なのね!平気ならシャッターをやめなさい!」


 ガニメデさんの言葉にぴたりとシャッターを止めた、その反応を見てようやく一息吐くことが出来た。そして、落ち着いた胸にやってきたのは怒りだった。


「もう!どうして人型機に戻ってこなかったの!!心配したんだよ?!」


 ぱしゃり...心なしかゆっくりとライトが明滅した。


「はぁ……全くもう……生きた心地がしなかったわ……こんな所に一人で寂しくなかったの?」


 ガニメデさんの言葉にまた、アマンナがシャッターを切り続けた。寂しいと言っているのか、はたまた別の理由があるのか...


「ガニメデさん、このドローンにマイクを付けることは出来ますか?」


「今は無理、けれど出来るわ。というか無理やりにでも付けましょう」


「絶対付けてください、いいアマンナ?マイクつけるからね?」


 まだシャッターを切り続けている、いい加減に目がチカチカとしてきた。壊れてもなおここに残った理由があるということなのか、同じように疑問に思ったガニメデさんがフロア内を見やり何かを見つけたようだった。


「これ、これってまさか、手帳?」


 「999」と書かれ色褪せた紙の下にあった、同じように色褪せてしまった手帳をガニメデさんがその手に取った。それを見ていたアマンナもようやく大人しくなった。


「まさかこれを知らせるために?」


 ぱしゃり。


「言っておくけどあなたが撮った動画は人型機のコンソールからでも見られるのよ?」


 ぱっ、と変にライトが光った後、ドローンが完全に沈黙してしまった。そして、ビルのすぐ目の前に着陸させた人型機からこれでもかと怒鳴る声が外部スピーカーから聞こえてきた。


ー先に言えぇ!あんたが作ったドローンの仕様なんか知るわけないだろぉ!!ー


「はぁ…」

「はぁ…」


 後で聞いた話しだが、アマンナは人型機から自分の位置を特定してもらい迎えに来てもらうつもりでいたらしい。それって同じ事なのでは?と思いはしたが、アマンナが無事であったことにいたく安心した私はすっかり放心してしまっていた。

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