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第八十話 予兆

80.a



「お帰り、どうだったの?アヤメさんに誘われたパーティーとやらは」


「何も…聞かないで…」


「何があったんだ…」


 ここにこうして、ホテルの部屋を当たり前のように使えることはとても幸運な事だと、中層の大地に沈みゆく太陽を眺めながら噛み締めていると、疲れた顔をしたカリンがゆっくりと歩みを進めて帰ってきたところだった。疲労困ぱい、戦場で銃を握るよりも憔悴した顔を隠そうともせずベッドまで歩きそのまま倒れ伏してしまった。珍しく穿いていったスカートも捲れ上がり、これまた珍し...どこで見つけてきたんだそんな下着、余程気合いが入っていたらしい。


「こら、お尻が丸見え」


「…………」


 起き上がる気力もないのかもそもそと動いて器用にスカートの裾を下ろした。


「はぁ…お風呂に入ってこよう…お姉ちゃんもどう?」


「もう入った」


「ろてんぶろ?っていう外にあるお風呂があるみたいだよ、気にならない?」


「気にならない、それに外で裸になるのは気が進まない」


「何読んでるの?」


 いつの間に起き上がったのか、私の肩に手を置いて読んでいる本を覗き込んできた。私も読んでいた本の文字から目を離さずに会話していたのでカリンを全く見ていなかった。


「ある島に老若男女が集められて一人ずつ殺されていく話し、そして最後には誰もいなくなるの」


「えー…それのどこが面白いの?何か怖そうなんだけど…そんなものよりお風呂に行こうよ」


「そんなもの?この名作をそんなもの呼ばわりできるほどいつの間にそんなに偉くなったのカリン、いい?これは今ある、」


 私が熱く語りそうになった時、扉が静かにノックされた。またか...前もこのノックでとんでもなく嫌な思いをした私はそれだけで身構えてしまった。


「行かないの?」


「………」


 首を細かく振って、そのせいでせっかく犯人が青年か裁判長のどちらかに絞れそうになっていたのにその推理も頭から落ちてしまった。ドキドキしながら、もし男の人だったら部屋にある自動拳銃で応対しなければと緊張していると、扉を開けたカリンが小さく悲鳴を上げた。


「!」


「カリン!」


 素早く椅子から立ち上がり、扉前の棚に置いてある拳銃を手に取りカリンを後ろに回して挟んで立ってみれば、ノックをしたのはどうやらアヤメさんだったようだ。私の剣呑な雰囲気に押されて少し慌てていた。


「あ、え、おじゃ、お邪魔…だった、かな?」


 さらにその後ろには、頭だけ覗かせているアマンナが洋服やらバスタオルを持って立っていた。



「すみません、てっきり男の人かと思ってあんな真似を…」


「いやいいよ、マギールさんからも話しは聞いていたから、こっちこそ急でごめんね?そりゃ警戒するよね」


「とか言いつつちゃんと露天風呂に向かっているのであった」


「いいの、これだけ大所帯なら寄ってこないでしょ」


 大所帯?四人だけなのに?

アヤメさんとアマンナは私達をろてんぶろとやらに誘いに来てくれていた。聞けば、明日にはまたカーボン・リベラに戻るらしく最後にゆっくりして行きたいんだそうだ。戻ると聞いた時のカリンの落ち込みようといったら...言っちゃ悪いがそこまで虜になるような人か?確かに優しそうではあるが、どこにでもいる普通の人に見える。


「ん?何?」


「い!いえ…」


 普通ではないな、こんなに綺麗な人はそうそういない。髪の毛長いのにまるで痛んでいるようには見えないし枝毛もさっぱりない、華奢なのに胸もあるし、特殊部隊に在籍しているような容姿ではなかった。


「アリンさん達はどうするんですか?」


「え、私達?どうするとは…」


 私達が使っている部屋からろてんぶろへは、二つ程建物を経由してから辿り着く少し遠い場所にあった。夕焼けに彩られた外庭、特殊部隊の人達がよく宴会に使っているためすっかり汚れてしまった場所を通り過ぎて、葉の広い樹が並ぶ通りに出てきた。そこでアマンナからの質問に一瞬だけ、何を言われているのか分からなくなって答えをすぐに出せなかった。


「アリンちゃん達も実家があるんだよね、上に」


 あなたも住んでいますよね、どこか他人行儀な物言いにひっかかりながらもようやく何を言われているのか分かった。


「私達に家族はいません、なので帰るべき場所と言っても皆んなで住んでいるアパートぐらいなので」


「そっか」


「そりゃここにいたくもなるよね」


「…………」


 あまり驚かない...初めての反応だった。大抵この話しをすると憐憫の眼差しを向けられるのがいつものことだったのだが...


「あ、アヤメさんも…もしかして……あ!いえ、変な質問をしてしまって…」


「そう、私も孤児院出身だから、そんなに気にしなくていいよ」


「そう、だったんですか?私はてっきり…」


「家族がいると思った?それは私もだよ、アリンちゃん達には家族がいると思ってた」


 意外だ、こんなに育ちが良さそうなのに孤児院出身だったなんて。


「アリンさん達も孤児院にいたんですか?」


「え?あぁ、ううん、私達は…何と言えばいいのか、ちょっと特殊なんだよね…何て言ったらいいかなぁ…」


「?」

「?」


「あのね、私達は元々同じ寮生だったんだよ、学校にいる間に家族が基地の仕事で死んでしまって、そのまま私達は寮で暮らして特殊部隊に配属されたの」


「そうだったんだ、それは確かに特殊だね」


「そういうアヤメさんは孤児院にいたんですか?」


「うん、私は第三区に住んでてそこでビーストに襲われてね、その後に第六区にある孤児院で過ごしたんだ」


 第三区...田舎区、あるいは地方区と呼ばれている場所だ。住んでいる人も何かに分けられたように()の色、あるいは黒色や茶色()()の髪をした人がとても多い、限ってそこが生まれなのも不思議だった。


(どうしてこんな人があんな所に…)


 私もカリンも第一区生まれ、アシュは第四区、ミトンは第十二区だ。あの水色の頭は家族との決別を込めて染めたらしい、大のお父さん子だったと本人は語っていた。皆んな主要都市生まれ、髪の色も茶色か黒色だ。


「う〜み〜はぁ〜ひろ〜いなぁ〜あかぁい〜なぁ〜」


「そんな歌詞だったっけ?」


「ううん違う、適当に歌ってるだけ」


 呑気に歌をうたっていたアマンナの頭を軽く小突いたアヤメさん、私は初めて聴く歌だったがアヤメさんはどうやら知っているようだ。アマンナの髪の色も金色だ、マキナらしいが第三区と何か関わりがあるのかもしれない。


「お姉ちゃん?どうしたの、そんな怖い顔をして」


「あ、ううん、何でもない」


 不思議そうに首を傾げたカリンを見やり、もうすぐ近くまで来たろてんぶろを目指した。



「あ」

「あ」

「あれ、アシュだ」


「おっふろぉ〜お、お、お、おっふろぉ〜」


「アマンナ、ゆっくり行かないと危ないよ」


 到着したろてんぶろには先客が一人いた、長くもないのに頭にタオルなんか巻いてお上品に湯船に浸かっていたアシュだった。大きな岩に囲われた中には白く濁ったお湯が張られ、その周りに...何だこの植物初めて見た...細く緑色をした木?それから同じように細い葉を付けた植物が外から隠すように生い茂っていた。


「アシュさんちゃ〜す」


「……挨拶軽いな、体はもういいの?」


 少しだけ距離を開けてから、隣に座ったアマンナに声をかけた。


「平気です、それよりアシュさんは一人ですか?」


「え?あぁ…うんまぁ…」


「邪魔したかな?」


「いえ、そんなことは…」


 アヤメさんに聞かれたアシュが愛想笑いを浮かべて答えている。


「あんた、お風呂好きだったの?」


「うん、まぁ…」


 あれ、私にもよそよそしい、慣れない人がいるから緊張しているのか?いやでも、アマンナとはすぐ仲良くなっていたし、人見知りするってわけでも...


「アシュちゃんはよくここに来るの?」


「あぁはい、お風呂が好きなので」


「あの竹の向こうにも行けたりする?」


 アヤメさんが指をさした方を見やれば、大きな岩の上からもたけと呼んだ植物があり、さらにその向こうも湯気で煙っているように見えた。


「行けますけど、ここより小さいですよ?」


「小さいぐらいがちょうどいいよ、アマンナ、私達は向こうに行こっか」


「うぃ〜」


「また一緒に入ろうね」


「あ、はい……」


 アマンナを引き連れて向こうにもあるらしい湯船へと向かっていった。私達に気を遣ってくれたのかな。



 元々アシュが座っていた所に私が陣取り、カリンとアシュに挟まれろてんぶろとやらを満喫していた。


(あぁ…良いかもしれない…)


 お風呂、というよりお湯に浸かるという行為自体が無益なような気がして今まで興味も湧かなかったが、こうして浸かってみると存外に良かった。外に面したお風呂から見える景色は、たけの細い葉に隠れた山の中腹辺りが見えており、さらにホテルの建物と相まって見応えが十分にあった。この景色を見ながらお湯に浸かってふやけるのも、確かに一つの贅沢かもしれなかった。


「アシュ、もしかしてずっと一人で来てたの?」


「悪い?」


 いつも通りに戻ったアシュから、つっけんどんな返事が返ってきた。


「あっそう……ねぇ、あんたはさ、地方区について何か知ってる?」


「何?急に、知ってると言ってもネットで上がってるネタぐらいだよ」

 

 ちなみにだが、カリンはたけの向こうに行きたそうにしながらさっきからウロウロとしている。この会話をしているとのは私とアシュだけだ。


「アマンナがね、知らない歌をうたってたんだけど、それをアヤメさんが指摘したんだよ、それは合ってるのかって」


「ふぅん、で?」


「あんたも知ってるでしょ、地方区にしか伝えられていない歌や伝承があるって話し」


「知ってるよ、それが何?」


「…アヤメさんの出身がね、あの第三区なのよ」


「……………」


 微妙な顔付きをしている、驚いているようにも見えるし、興味無さそうにも見える。他に何か言いたそうにしているが、アシュも割と頑固なところがあるので自分からは言わないだろう。

 火照った体を冷ますように、縁を形取った岩にアシュが腰をかけた。近くにあったタオルで胸元を隠しながら、湯船とは全く逆の冷たい視線を向けてきた。


「それ、嗅ぎ回るつもりなの?やめときなよ」


「いや違う、そういうわけじゃ…」


「確かに第三区にまつわる噂は今でもネットに上がってるけど、それを現実に口にする人はあまりいないよ」


「………あんた、アシュよね?今日は随分としっかりしてるじゃない」


「はぁー」


 これ見よがしに溜息を吐かれてしまった。すると、たけの向こうに行ったはずのアマンナが湯船から顔だけを出してこちらに四つん這いで戻ってきた。


「結局戻ってくるのであった」


「何やってんの?アヤメさんは?」


「一人でガチ風呂キメてるから面白くない」


「ガチ風呂って……」


「アシュさんもガチ勢なんでしょ?アヤメが言ってましたよ」


「は?いや、別に私は…」


「わざわざ見晴らしいいところ譲ってもらったんだからお礼を言ってこいと言われて言いにきました」


 湯船から出していた頭を沈めて中で何かやっている、ぶくぶくと泡が出て後に再び顔を出してきた。


「ぷはぁ、任務完了」


「そこで言えよ!潜る意味があったの?!」


「いや、わたし、アシュさんと同じように照れ屋なので…」


「どの口が言うんだよ!恥ずかしがり屋がそんな冗談かますか!」


 アマンナの悪ふざけにさっきまでの空気が一気に霧散した。それに、冗談ばかり言うアマンナに突っ込んでいるアシュもすっかり普段通りだった。


「あ、そうそう、一つ聞いときたいことがあるんですが、あの野郎に何かされました?」


「?」

「?」


「人型機には乗らずに自力で街に帰還したんですよね、マジ戦士」


 あぁ...あの事か...そういやまだ謝ってなかったな。


「いやぁ、アマンナには悪いと思ったんだけどね、どうにも中に乗っている人が信用出来なくて…」


「そうそう、私らアマンナと会う前にとんでもなく嫌な思いをさせられたからさ、つい身構えちゃって」


「それじゃあ、あの野郎が何かしたわけではないんですか?遠慮なく言ってください、後で寝首をかきに行くので」


「怖いわ、あの人さアマンナと話しをしている時はタメ口だったじゃん?それなのに私らには敬語で話しかけてきたから疑問に思っちゃって…」


 アシュが恥ずかしそうに頬をぽりぽりとかきながら答えた。


「そうそう、私達そうやって優しく振る舞って近付いてきた男の人に騙されたからさ、余計に警戒しちゃったんだよ」


「はっはぁ〜、その人らは極刑ですな」


「あの人はアマンナの知り合いなの?」


「うぅむ…違う、と言いたいけど同郷という意味では知り合い、ですかね」


「よく分かんないけど…謝っといてくれない?悪気があってやったんじゃないって」


 私がアマンナに言伝を頼むと、たけの囲みよりさらに奥から「あぁ!良かった!」と男の人の声が聞こえてきたので心底焦った。


「な!」

「ちょ!覗き?!」

「こらぁ!!」


 アシュも慌てて湯船に浸かり、私もその隣に並んだ。そしてアマンナはたけの向こうへ一喝してからずんずんと歩いていく、その小さな体を晒して、何て危ない。


「アマンナ!あんたも危険だから!行ったら駄目!」


「こらぁ!そこにいるのは分かっているんだぞ!悪趣味野郎!」


 こっちの静止に従わず、悪趣味野郎?と罵りながら湯船から上がり、勇敢にもさらにたけの向こうへと歩いていく。私とアシュはアマンナの後を追おうため縁へ近付いていこうとするが、


「ちょっと待って皆んな!アリンちゃんが!」


「アリンは私ですが!!」


「あぁごめん!カリンちゃんが倒れたの!手伝って!」


「えぇ?!カリン!」


 まさか二人組?!また名前を間違えられたことに腹を立ててしまったがそれどころではない。


「アリンはあっち!私がアマンナを追いかけるから!」


「お願い!」


 お湯に足を取られながらも何とか進み、たけの向こう側、アヤメさんとアマンナがいた場所にやって来た。


(というかカリンはいつの間に?!)


 確かそわそわしていただけでアヤメさんの所には行ってなかったはずだ。そう、思いながらもたった一人の妹を探してみると湯船が赤く染まっていることに気付いた。血だ、私は頭の中を真っ白にして大声で叫んでしまった。


「カリィイン!!!」



80.b



 微かに叫び声が聞こえたと思い、傍らに立つ男の事も忘れ耳をそば立てた。


「何だ?」


 銀の髪をしたグラナトゥム・マキナである、オーディンが俺に声をかけた。どこか探るような気配を漂わせているが、未だ真意は掴めない。


「気にするな、それで話しというのは?」


 夕刻、人の世話がなければ実りも得られない植物を見下ろしながら、オーディンが訪ねてきた理由を率直に聞いた。


「グラナトゥム・マキナについてどの程度知っている」


「それは訪ねた理由に関わる話しか?」


「そうだ」


 俺を睨む目に嘘はない、しかし、信頼しているわけでもない。自らマキナであることを明かしたところを見るに、こいつにとってこれが最後の会話になると踏んでのことだろう。つまり、意味するところは味方か敵か、測りにきたということだ。


(いや…)


 味方になるつもりは毛頭ないだろう、そこまで予測した上でこう答えた。


「タイタニスと呼ばれるマキナについては知っている、俺だけではなく歴代の者達もそうだった」


「名前についてなら今はいい、マキナの存在理由については知っているか」


 オーディンが束の間窓の向こうに視線をやった、ただの気まぐれか、アイコンタクトかは分からない。


「このテンペスト・シリンダーを預かることだろう、それ以上の事は知らされていない」


「そうだ、お前達が住むここを管理、運営している存在だ、それが俺達というものだ」


「何が言いたいんだ、タイタニスの構造体を真似てコンコルディアを作ったことを糾弾しに来たのか?」


「いいや違う、次の質問だが現状についてどう思うか聞かせてくれ」


「まるで議会のようだな」


「遊びに来たわけではない、こちらも今後の行末を憂いているのだ、このままではそう長くはもたない」


「ならば答えは一つだ、お前達マキナに頼らずとも自らの世話は自らがなそう」


「…………」


「何が目的なんだ、いい加減に腹を割ったらどうなんだ」


 俺の一言が思いの外効いたのか、耳たぶ辺りを触りながら眉根を寄せている。そして、一筋の汗が流れた。



✳︎



[お、お父上、お父上!どうか私めのことは捨て置いてください!このヴィザール、何というはしたない真似をしてしまったことか!知らずとはいえ年端のいかない少女達の裸体をつぶさに観察してしまっていたなんて!]


[……ヴィザール、今、大事な話しをしているところなんだ]


[ま、まさか!もう既に処罰の検討を?!お待ちくださいお父上!どうか!どうかもう一度機会をお与えてください!必ずや名誉を返上致しますのでどうかぁ!!!]


 お前が捨て置けと言ったんだろ!どっちなんだ!それに名誉ではなくて汚名だ馬鹿者!


[切る、後で連絡する]


[ま!]


 通信していることが勘付かれないよう、耳たぶのランプを隠していたがどうやら意味がなかったようだ。


「話し合いは終わったのか?」


「何のことだ」


「お前はマキナ、人の身ではない、体内に通信機を持っていても何ら不思議なことではない、何なら今この状況もその目に擬態させたカメラで録画しているのかもしれんな」


「………」


「俺の目を欺けると思うな、腹を割らないならもうお前と会うことはない」


 分が悪い、そう判断した俺は潔く引き下がることにした。


「出直そう、邪魔をした」


 誰もいないパーティ会場の隅から、こちらを観察するように見ているセルゲイから踵を返した。窓ガラスの向こうには赤く、ただひたすらに赤い太陽が山脈の峰に消えゆこうとしていた。俺が背中を向けた途端、まるで別れを惜しむ友のように声をかけてきた。


「出ていくついでにあのマキナも引き取ってくれ、目障りだ」


 光沢のあるシルクが掛けられたテーブルの手前で立ち止まり、振り返ることなく聞き返した。


「誰のことだ」


「プエラ・コンキリオと名乗ったマキナだ、奴はナツメとマギールと共にいたはずだがな」


 誰かが使ったであろう、汚れたグラスにセルゲイが歪んで映っている。


「どこにいるんだ」


「女神と呼ばれるようになった女のところだ」


 そして、次に発した奴の言葉を聞いて心から感謝した。


「名はサニアだ」


 まさに行幸、奴にコンタクトを取る理由が出来た。


「調べてみよう」


 それだけ答えてからパーティ会場を後にした。



✳︎



「今ぁ〜私のぉ〜ねがぁい事がぁ〜かなぁうぅ〜なぁ〜らばぁ〜」


 「あぁあああ!!!!」と四度目になる叫び声を上げた司令官に、いい加減に頭にきてしまった。


「うるさいぞ!静かにしてくれ!」


「もう…お終いよ…私は、あの、あぁ、あの二人に…あぁ……ちょっと待って、まさかこれは夢じゃないかしら、そう思うとそう思えたきた」


「ここは仮想世界だ、マキナが夢に逃げるな」


「あぁああああ!!!」


 五度目だ。

テンペスト・ガイア指示の下、司令官が中層に展開したノヴァグの援護に入ったことにより、アヤメ、それからナツメと呼ばれる人間と敵対してしまった。その事を悔やみ先程から調子っぱずれの歌をうたい、叫び、懺悔の独り言を繰り返していた。最初は同情もあって黙っていたが、さすがに限界にきていた。

 ここは再び決議場、前はバルト海の上を勝手気ままに飛行していたが、今は何てことはない、中層の空を揺蕩うように飛んでいた。眼下に広がる中層がいつの時代のものかは降りてみないことには分からない、だがそんな時間もありはしない。上官から決定が下されたのでその仕事にかかりっきりになっていた。


「司令官、いい加減に手伝ってほしいんだが…」


「翼を…くれたら…手伝うわ…」


「なぁ、司令官が決めた事なんだろ?今さらうじうじと悩むのか?いずれこうなることは分かっていたことだろうに」


「はっ、あんたなんかに何が分かるっていうのよ、レゾンデートルの為に人殺しまでするような奴に嫌われる辛さなんて分かるもんか」


「言っておくが、これでも私は暴漢から少女四人を救ったんだぞ」


「結局失敗してたじゃん」


「あああああ!!!!」


「うるさい」


 そう、そうなんだよ、あれだけ格好をつけた言葉を言っておきながら、あの子に助けを求められたというのに手を打つ前から終わっていたんだ...せっかく、せっかくこの無能な私を頼ってくれたというのに...あの子らは自力で生還してみせたのだ。暴漢らなど歯牙にもかけず、挙句に起動し群れからはぐれたノヴァグを追い返してみせた。あの時程、自らの無能さを痛感した事はなかった...


「あぁ…最悪だよ…私は助けると言っておきながら結局何もしてやれなかったんだ…あぁ…」


「…………ん?」


 面倒臭そうに眉をしかめている失礼な司令官が小さく唸った。そして、決議場のテーブルに置かれた仮想コンソールからオーディンの通話音声が流れてきた。


「何、何か用なの」


[聞きたいことがある、お前は今どこにいるんだ]


「それに答える義理があると思う?」


[昔と何も変わらないな、やはりお前は冷たい方が似合っている]


 「あああああ!!!」と再び叫び始めた(六度目)、オーディンの言葉が胸に刺さったのだろう。突然大声を出されたオーディンも慌てていた。


[な、何事だ!静かにしろ!]


「司令官は放っておけ、それで何の用なんだ」


[その声は…ハデスか?まさかスピーカーにしているのか?]


「内密の話しなら諦めろ、私達は今決議場にいるんだ」


[何故だ?投票はまだ先のはずだ]


「だから内密の話しは出来ないと言っただろう、親切心で言ってやるがこの会話もテンペスト・ガイアに筒抜けだ」


[ならいい、プエラ・コンキリオ、お前は今エディスンのホテルにいるのか?]


 司令官と目を合わせた、また随分ピンポイントな聞き方だな。


「あんた、ハデスの話しを聞いていたの?決議場にいると言ったでしょう」


[それはエモートの話しだろう、マテリアルはどこにあるんだ]


「下層よ、そこに置いてきたわ」


 コンソールから躊躇う気配を感じ取った。お前が聞いたんだろうがと不思議に思ったが、その訳を向こうから答えてくれた。


[……エディスンのホテルにもプエラ・コンキリオがいる、外見はお前と同じものだ]


「……………」


「あれ、まさか向こうのが紛れ込んだとか…」


「いつから?」


[向こうとは何だ?何か心当たりがあるのか?]


「オーディン、質問に答えなさい、いつから私がホテルにいることになっているの?」


[知らん、だからこうして直接連絡を取っているんだ、もう一度聞くが、]


 オーディンの言葉を遮って司令官が断言した。


「そいつは間違いなく偽物、私じゃない」


[証拠はあるのか?]


「それは私が証明しよう、司令官と行動を共にしてきたが一度もエディスンのホテルへ行っていない」


[ならばいい、邪魔をした、これが最後の通信となる]


「あっそ、達者でねオーディン、あんたらの投票が可決されたら私らまで道連れにされるだろうから」


[止めぬのか?]


「その必要がない、と、それだけ言っておくわ、じゃあね」


 あっさりと、本当に最後になる通信を切った。そして司令官ともう一度目を合わせた。


「どういうことなの?どうして私が二人いるの?」


「さぁ…テンペスト・ガイアが何か仕組んだのか…」

 

「はぁ全く…自分の上官なのにやっていることがまるで分からないなんて、ストレス以外の何ものでもないわ」


「ログを調べてみるか?」


「お願い」


 素直に頼まれた私は早速調べることにした、仕事は山積していたがこれぐらいの息抜きはいいだろう。エディスンに置かれたサーバーから監視カメラの映像を探ってみると...あった。


「上げるぞ」


「……………」

 

 顎に手を当て足を組み(短いくせに)、真剣に画像を見やっている。見つけた画像はエディスンのホテルで金髪の女性と話しをしている場面だった。時間帯は現実世界で正午頃、ホテルの中庭と思しき場所だ。


「これか…確かに似ているな…」


「……いいや、似ているんじゃない、私そのものよ」


「何をしていたのか気になるな…」


 さらに探ってみれば、オリュンポスと名付けられた山の中腹にある広場でもその姿を発見した。これだけではただ遊びに来ただけのように見えるがそうではないだろう。


「どう思う司令官」


「こいつがやったことにすれば…まだチャンスは…」


「ん?何の話しだ?」


「そうよ…あいつのせいにしてしまえば私が悪者になる必要がない…」


 まさか...武力介入した件を擦りつけようとしているのか?


「その前にあの二人がホテルにいる偽司令官と会ったらどうなるんだ」


「ああああああ!!!」


 七度目、よく飽きないな。

何が何やらさっぱりだが、胸のうちは決して喋らないのがらテンペスト・ガイアというマキナだ。いずれ分かることだろうと思い、再び仕事に手を付けようとした時にまた司令官に通信が入った。


[……………………]


「…………………」


「さっきのが最後じゃなかったのか、オーディン」


 相手は「最後になる」と言ったオーディンからだった。向こうも罰が悪いのか、私が助け舟を出しても黙りだった。


「何だ、まだ何かあるのか?」


[…………聞くが、子機の取り扱いについて、何だが……]


「子機?」


[やはり連帯責任は問われるのか?]



80.c



「……………」


「ど、どうか、話しを聞いてほしい、それから服も着てくれないか?」


「その前にお前の首をねじ切るのが先、自走の句を聞こうか」


「じ、じそう?辞世ではなく?」


「そうそれ」


 「こらぁ!」と言われながらアヤメがバスタオルを放ってくれた。アヤメ達は脱衣所の向こうに避難していた。渡されたバスタオルで前を隠してからもう一度、悪趣味野郎から悪趣味変態にクラスチェンジしたマキナに向き直った。


「悪趣味変態、言い訳があれば地面に向かって吠えろ」


「いやだから聞いてくれと言っているんだ、地面に吠えてどうするんだ、いいかい僕は覗きの為にこそこそしていた訳じゃないんだ、どうしてもあの二人と話しがしたくて…いや、確かに僕がやったことは、」


「ただの変態行為、マキナの風上にも置けない…福を知れ!」


「恥だよね、それ」


「そうとも言う」


「お願いだ、あの二人と会わせてくれないか?」


「何でそこまで拘るのさ、別にいいだろ、世の中お前みたいなイケボでも疎まれる時は疎まれるんだよ」


「いけぼが何のか知らないがそういう事ではないんだ、一度でいい」


「はぁ…しょうがないか、お前の首を切ってから話しをしてくるよ」


「僕の話し聞いてた?!首を切られたら話しが出来ないだろ!」


「マテリアルを破壊した後にサーバーから会話すればいいでしょ、物理的手段を奪ってからじゃないと、」


 そこまで言った時、向こうが言葉を重ねてきた。


「僕のマテリアルはこれが最後なんだ」


「…………は?」


「前回の戦闘でエモート・コアが損傷してしまってね、もうサーバーには戻れない」


「はぁ?」


「君もマキナなら分かるだろう、サーバーに戻れば即リブート処置だ、何があっても戻ることは出来ない」


「…………」


「だから、あの二人と会わせてほしい」


「だからの意味が分からない、今のと謝罪することに何か関係あるの?」


「…………」


 これだけ言っても引き下がるつもりはないらしい。わたしを見据えながら大きく口を開けて息を吐き出し、再び一文字に引き締めてから口を開いた。


「彼女達を僕の配下に加えたいってそれを下ろせ!どっから持ってきたんだ!」


「配下を咥えたいだとう…?正真正銘の変態じゃないか」


「仲間にしたいと言っている!言葉が悪かったからその椅子を下ろしてくれ!……お父上が何やら画策しているのは気付いている、だから僕もいざという時の人手か、戦力が欲しいんだ」


「ディアボロス一味が街の人達に何をしていたのかもう忘れたのか?その片棒を担いだお前が人に仲間になってくれと言っているのか?誰がそんな話しに耳を傾けると思っているんだ」


「そんな事は百も承知だ、しかし今動かなければ未来永劫お父上を理解してくれる者がいなくなってしまう」


「それが報いだ」


「君は全ての人から忘れられても平気なのか?」


 この男の言葉が耳を通って脳を刺激し、意味が胸に浸透した途端、全身を恐怖が駆け巡った。手足が痺れ、意味を理解した胸が空き、脳と耳朶から言葉が離れなくなってしまった。


「それだけはあってはならない、いくら非道の手とはいえここまで尽くしてこられたお父上が忘却されてしまうなど僕には耐えられない、一人でも多く理解者を作っておきたいんだ」


「………理解者……監視……記録……」


「な、何?何を言っているんだ?」


「あぁ……第、さん…えい…」


 頭の奥底をかき回されているような不快感、それから足元が宙を漂っている感覚が襲ってきた。


「おい!どうしたんだ!しっかりしろ!」


「一人ぼっちは……もう……」



✳︎



 アマンナがこらしめるから安心してと、覗きをしていた男の人と話しをしていると思ったのに誰かが倒れる音がして驚いてしまった。


「今の音は?!」


「アマンナ!」


 待機していた露天風呂のロビーから脱衣所に突入すると、素っ裸のアマンナに男の人が覆い被さっていた。


「な!」

「な!」


 向こうも私を見るなり驚いた。


「ちが、違うんだ!これには訳があって!」


「そ、そそそそ、そういうのは!二人っきりの時にされた方がいいかと!こ、ここここは公共の場ですし!」


「君は何を言っているんだ!僕はただ赤いのと話しをしていただけで!」


「アヤメさん退いてください」


「ちょ!それは銃ではないか!それに君はあの時の!」


「その節はどうも、やっぱり男の人なんて……」


 暗い目付きで銀の髪をした人を睨んでいるアリンちゃん、よっぽど堪えていたのであろう。


「僕はあの時君達を助けようとしたんだ!確かに僕達は上層の街を襲撃した極悪人だ!地獄に落ちるのも止む無しと言えよう!けれど人を想う心はある!信じてくれないか!」


 まるで土下座をするようにアリンちゃんに向かって男の人が吠えた。


「信じてほしいと言う前に…その手をどけたらどうなんですか、言動が一致していませんよ、だからあの時私達は逃げ出したんです」


「え?」


「アマンナ…」


 あんなに、あんなに...アマンナが私を置いてどんどん大人になっていく。男の人の手は、アマンナの小さな胸を鷲掴みにしていた。


「えええ?!!」


「叫ぶ暇があるなら手をどかせぇ!!」


 怒ったアリンちゃんが銃を乱射し露天風呂の壁に穴が至る所に空いた。アシュちゃんも一緒になって男の人を殴り付け、泣き叫びながら逃走した。


「誤解だって言ってるじゃないかぁあ!!」



✳︎



 少し遠くから男の叫び声が聞こえたような気がして、露天風呂に向けていた足を一瞬だけ止めてしまった。明日にはまた上層へ戻らないといけない、その前に風呂に入って今日起こった出来事を汗と一緒に長そうと思い向かっていたのだ。


「ん?」


 見間違いだろうか、空いていたはずの扉が閉まったような気がした。私が使っているフロアから外に面した通路へ出る扉だ、一面ガラス張りの洒落た造りをしている。再び歩みを進めて閉まったように見えた扉に手をかけるがびくともしない。


「んん?さっきまで空いていたよな…まぁいいか」


 ホテルの見取り図ではこの先にも外へ出られる扉がいくつかあったはずだ。少し遠回りになるが仕方ないと、重い足取りで向かった。

 このフロアには壁に擬態したモニターがいくつも掛けられて、様々な景色を時間帯に分けて映し出していた。まるでそこにあるかのように錯覚させてくれる映像は見応えがあり、男に間違えられたことが未だ癒えない心には清涼剤となって浸透してきた。

 もう一つの扉がすぐそこに見えてきた、今度はしっかりと見ていたので異変にすぐ気付いた。人がいないはずなのに、勝手に扉が閉まったのだ。そして案の定、先程と同じように扉がぴくりともしない。


「まさか、時間帯によって開けられないようになっているのか?いやでも、それなら風呂にはいつ入れば…」


 私のすぐ後ろにあったモニターから「ブッブー」という音が鳴ったので肝を冷やしてしまった。


「?!!」


 すぐ振り返ってみても、どこか知らない街並みを映した映像だけでとくに異変はないように見える。しかし今の状況は明らかに異常だった。


(何なんだ…何故出られないようにしているんだ…)


 もう一度扉に手をかけてみる、ロックがかかっているようでこちらからでは外せそうにはない。


「……………」


 鼻で一つ溜息を吐いてから来た道を引き返した。

 他に異常がないかフロアをくまなく観察してみるが変わったところはない、強いて言えば()かに見られていることぐらいだろうか。


「はぁ…戻るか、風呂に入りたかったんだが…」


 わざとらしく独り言を呟きさらに踵を返そうとすると、「ブッブー」と不快な音を鳴らしたモニター近くの扉がカチャリと音を立てた。それを聞いた私は猛然とダッシュをしてモニター前の扉へと急いだ。


(ビンゴ!)


 扉のドアノブにお風呂セットを掛けておいたおかげで、一度開いた弾みで落ちて挟まり扉がきちんと閉まらず半開きになっていた。それでもなお扉を閉めようと何度も開いたり閉じたりを繰り返しているのでさすがに怖くなってしまった。


「だ、誰だ!やめろ!私の服が入っているんだぞ!」


 何度も何度も、執念さえ感じる扉の遠隔操作にドン引きしてしまった。


「アマンナか?!こんな下らない悪戯をするのは誰なんだ!!」


「な、ナツメ!」


 その声がフロアを駆け巡った途端、あれだけ騒がしかった扉もぴたりと止まり、バッグからはみ出していた私の下着が千切れになっているのが見えていた。ゆっくりと後ろを振り返り、そこには唐突に姿を消してしまったプエラが立っていた。今にも泣きそうな顔をして、涙を堪えながら私を真っ直ぐに見ていた。


「……プエラ、か……」


「……………」


「……………」


「…その、言いたいことが、あって……」


「私達を裏切った理由についてか?」


「!」


「どうして、どうしてあんな事をしたんだ?」


「……前に、話したことがあったよね、最後の休暇になるって、下層にいた時に…」


「…っ」


「上官…テンペスト・ガイアに召集を受けてしまったの、これからは司令官として振る舞えと、仮想世界から帰ってきたらそのままこちらに合流しろって…」


「それであの時、お前だけ目覚めなかったのか…」


「そう、本当は嫌だった、せっかく向こうで皆んなと訓練してきたのに…アマンナの奴、何か言ってた?」


「……あぁ、上層の街に逃げたんじゃないのかって言っていたな、今思えば懐かしい」


「……そこに私はいない、そういう顔はあまり見たくない」


「お前が悪いんだろう?勝手にいなくなったんだ」


「……また、その…」


「私はお前に言ったよな?そういう虐めたくなる顔をするのはやめろと、見ていられない」


「……怒ってないの?」


「怒っていないと思っているのか、だから余計に虐めたくなるんだよ」


「…………」


「それで、今さら顔を見せてどうしたんだ、昨日のことでも謝りに来たのか?」


「……違う、いや違わないけど、あぁー…いや、その、何ていうのかな、謝る前からお願いするのも変な話しだとは思うんだけど…」


「何だ?」


「つっ、翼!翼がほしいなぁ〜…なんて…今のは冗談だから!ごめんなさい、だからそんな怖い目で見ないで!」


「…………全く、人の気も知らないで」


「あははは…ナツメはさ、後ろにある山に行ったことはある?」


「山?いやないが、というか昨日来たばかりだろうに」


「それもそうだね、あそこの山を調べてこいって上官に言われてさ、だからこっちまでやって来たんだよ」


「何をしに?」


「さぁ、とりあえず行けとしか言われてないからよく分かんないけど…そこに一緒に来てほしいの」


「ほんと急だなお前…」


「何でも人にしか扱えない端末が設定されているらしくてさ、私達マキナだと調べられないの…それに私の偽物もうろついているみたいだし」


「初耳だな、さぞかし喧しく歩き回っているんだろうな」


「それどういう意味?!」


「ほら、今みたいにだよ、その端末を私に調べてほしいというのか?」


「うんそう…出来ればで…いいんだけど……」


「そのお願いを受けると思うのかこの私が、いくらなんでも虫が良すぎるんじゃないのか?」


「……………」


「きちんと答えてくれ、お前はどうして私から離れたんだ、死にかけていた私をわざわざ助けて、泣きながら自分は優しくないと言って、あの日一緒に飲んだコーヒーの味も忘れてしまったというのか?」


「………違う、私は紅茶、ナツメがコーヒー…なんだけど……」


「…………」


「…………」


「……忘れてくれ」


「無理」


「忘れてくれないか、間違えた」


「無理、すっごく嬉しかったから、あの日の事忘れてないんだね」


「いや、今間違えただろうに…」


「それでもだよ」


「………」


「………」


「私、私はね、特別なものが欲しかったんだ、私にしか手に入れられないもの、だからあの日ナツメ達の元を去ったの」


「それは何だ?」


「思い出だよ、上官に取り上げるぞと脅されているの、だから離れざるを得なかった、今の私だから積み上げられた思い出を手放したくなかった」


「…………」


「ごめん、我儘なのは分かっているけど…」


「いいさ、そんなもの」


「そんな…もの?」


「あぁ、それより山へ行って私は何をすればいい?」


「………グガランナが過去のアーカイブデータからアクセスしたみたいなの、それを突き止めてほしい」


「本人に聞けば済む話しでは?」


「駄目、今私とあいつは喧嘩の真っ最中だから、聞いても答えてはくれないと思う」


「そうか……一つ聞いてもいいか?」


「うん、何でも聞いて」


 ()()()()()()()()()()()()()()()()


「君は誰なんだ?」


「…………は、何を言って…」


「それらしく振る舞ってはいるが、君はプエラではない」


「何を言ってるの?私が…プエラじゃない?そんなはずあると思う?」


「あぁ、良く分かるよ、君はプエラの記憶を語っているようだが本人ではない」


「……………」


 絶句している、それが何よりの証拠だった。


「本人はもっと我儘さ、愛想笑いの一つも浮かべはしない、泣くも笑うも本気なんだよ」


「っ!」


「すまないが他を当たってくれないか、君が何者なのか知らないし近付いてきた目的も知る由もないが、私でなければならない理由はないだろう」


「……………」


「最後に聞くが、プエラはどこにいる?」


 取り繕う必要は感じないと思ったのか、感情を宿さなくなった機械的な瞳を向けて答えた。


「あなたに知る権限はありません」


「それが君の正体か、良く似合っているな」


 こちらの皮肉にも一切応じない。


「私からも最後にお願いをします、これはテンペスト・シリンダーに関わる重要な案件です、協力をしてください」


「断る、私にとって大切な人であると認識して騙り、協力させようとしてきた奴の言いなりになるつもりはさらさらない」


「分かりました」


「!」


 その言葉を発して、プエラを騙った偽物が瞬きをした間に消え失せてしまった。



80.d



「今ぁ〜私のぉ〜ねがぁい事がぁ〜かなぁうぅなぁ〜らばぁ〜」


 「翼はもう!持っています!」と無茶苦茶な替え歌を先程から何度も繰り返しているので放っている。構うだけ時間の無駄だ。


(さっきのは誰なんだ?何故司令官の姿をしていたんだ…)


 瞬時に姿を展開し、そして瞬時に消え失せる。あれも素粒子流体の一部だろうが、あんな権能を持ち合わせたマキナは一人もいない。それにグガランナが人間にしか扱えない端末を操作したという話しも初耳だった。

 本物の司令官にも話しを聞こうかと思ったが、未だ有頂天になっていた。


「司令官、仕事してくれ」


「あぁ…何て、何て幸せなの…あぁ、ナツメがちゃんと私の事を分かってくれているなんて…」


 顔は蕩けて崩壊しているが、つい今し方はまるで天に祈るようにして貧乏揺すりをしていたのだ。「それは私じゃない!それは私じゃない!気付いて!気付いてぇ!」と何度も小さく唸っていた。


「あぁ、あのハデスすら女神に見えるわ…」


「その女神様とやらも気になるな、何故あのプエラ・コンキリオは化け物と接点を持っていたのか…」


 女神様、あるいは化け物とは、私が中層で見たあの女のことだ。名前はサニア、ビーストをまるで楽しむように倒していくイカれた女だ、アシュ達は「バーサーカー」と呼んでいるようだが、ぴったりの二つ名だと思った。


「はぁ、まぁいいわ、邪魔した甲斐があるってものよ、それで何?今から何をすればいいの?」


「…………」


 半眼であからさまに睨んでも怯まない。


「はいはい、もう十分堪能したから」


「……ちなみに聞いてもいいか、あの偽物が語った理由は本当なのか?」


「思い出のくだり?」


「あぁ、実は私も気になっていたんだ、司令官の鞍替えについては」


「そんなちゃちなもんじゃないわよ、それと奴の正体なら心当たりはある」


「……それは?」


「×××××……………」


「おいおいおい、冗談だろ?」


「××××」


「このタイミングで言葉を奪われるのか?」


 この現象は、中間領域でマキナの身分を剥奪されてしまったあのお姫様と酷似していた。言葉を奪われたというのに本人はまるで気にしていない、まぁこれから起こることを考えれば当然と言えば当然ではあるが...

 偽物が発言していたように、これからのテンペスト・シリンダーを表すかのように中層の空が一天にわかに掻き曇った。



✳︎



 ゆっくりと目蓋を開けると誰かの太ももが目に入ってきた。ほんのりと温かく、けれどどこか現実感のない光景に再び恐怖が襲ってきた。


「………っはぁ、あ、アヤメ?」


「起きた?」


 アヤメ...わたしはアヤメに膝枕をしてもらっていたのか...胸を空くような底のない恐怖心は未だ居座ったままだった。


「……ここは、部屋?」


「そう、あの男の人は逃げちゃったけど、もう近寄ってこないと思うよ」


 どうでもよかった、その報告はわたしの頭の中にすら入ってはこない。


「どうかしたの?」


「………何でもない」


「嘘が下手だね」


「何でもないってば!」


「アマンナ、顔を見せて」


 しつこく言われるのも鬱陶しいと思ったので素直に見せてやった。


「……目の色が変わってるよ、何があったの?」


 目の色が...変わっている?何故そんな不吉な事を言うのか信じられなかった。


「赤色になってるよ、前にも見た」


「だったら何、それが何?」


「別に、あの時は私がこの世からいなくなるまで見守ると言ってくれたけどね、今のアマンナは感じが悪い」


「だったらどこかに行けばいいじゃん!どうせ皆んなわたしのことなんか忘れるよ!」


 次から次へとわたしの言葉ではない言葉が口から出てきた。本当に自分が喋っているのかすら分からない、けれど止まらない。


「その目の色が関係しているの?」


「知るかぁ!わたしが聞きたいぐらいだ!」


 知りもしないのに知っている感情が胸を支配し、持て余したわたしはアヤメにぶつける以外に取る手段がなかった。それでもこの胸の内は一向に消えてはくれなかった。


「あっそ、それならいいよ、好きなだけ八つ当たりすれば?」


「………っ」


「私がそんな事されたぐらいで引くと思う?」


「…………」


「私がアマンナの事を忘れると思う?」


「…………」


「私がアマンナを一人ぼっちにさせると思うの?」


「…………………」


「何回助けられたと思ってんのさ、今度は私が優しくする番だよアマンナ、あの日お風呂で言った事を忘れただなんて言わせない、何があったのか知らないけど、今のアマンナが普通ではないことぐらいは分かる」


「……どうするっていうのさ」


 これだけ文句を言っても膝から退かそうとはせず、それでも睨みながら話しをしていたアヤメがにっこり、まるで太陽のように微笑んだ。


「そばにいるよ、ただそれだけ」


「………」


 ようやく、胸の内から重たいものが流れていった。そしてわたしの頬にも熱い涙が流れた。

 どうしてアヤメに八つ当たりしないといけなかったのか、どうしてわたしが涙を流さなければいけなかったのか、エモート・コアから何の警報も出ていない、つまりは正常であるということだった。


「…………変なの、普通は逃げるよ、わたしみたいな奴がいたら」


「そうかもね」


「何だそれ、嘘でもそんなことないって言ってよ」


「めんどくさい」


 言葉を選ばないアヤメに腹を立てたわたしはこれでもかと脛を殴り続けた。

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