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第七十九話 口蓋垂と愛、それから偶像崇拝

79.a



 叩き起こされた。深い眠りについていた僕を怒らせにやって来たのはリコラちゃんだった。


「いつまで寝てんだよ」


「……さっき、眠ったばかり、何だけど……」


「もう昼だぞ?皆んなあつまってるのに、早くしてくれ」


 偉そうに腕を組んで、ベッドに突っ伏している僕を見下ろしている。


「…何?それ僕も行かないといけないの?」


「だから呼びに来たんだろうが、そんなことも分からないのか?」


 頭にきたのでリコラちゃんの腕を引っ張ってベッドに引きずり込み、羽交い締めにしてやった。



「アマンナが言ってたことほんとうだった!テッドのテッドが当たってたぞ!」


「テッドのテッドってなに?」


「リプタはまだ早いと思うよ」


「フィリアも大して変わんないだろ!」


「テッドのテッドってなに?」


「まぁこんなに沢山…私がいない間に随分と賑やかになったのね」


「来たわね不良娘、それでスイは何処にいるの?」


「テッドのテッドってなに?」


「まだ支度が終わっていないから部屋にいるわ、あなたのお名前は?」


「フィリアだよ、生意気なのがリコラで、少し頭が弱いのはリプタ」


「テッドのテッドってなに?」


「中層にいるナツメ達にも見せてあげないのかしら、向こうも心配していたわ」


「それもそうね、アマンナに連絡するからお披露目会は少し後にしましょうか」


「だからテッドのテッドってなにぃ?!無視するなぁー!ふにゃあ!!」


「何で僕!痛い痛い!」


 昨夜、というより今日の朝方まで続いた緊張状態は幸運にも取り越し苦労という形で終わりを迎えた。朝焼けに街が染められたと同時に外出禁止令も解除されて、ビーストの襲撃によってささくれ立っていた街に再び平穏が訪れていた。しかし、グガランナさんマテリアルの中では、皆んなが集まり休憩スペースは混沌の様相を呈していた。未だに集められた理由を教えてもらっていない、下らない隠語を教えろと迫ってくるリプタちゃんをかわしながら、ティアマトさんに聞いてみても答えてくれなかった。


「それはお楽しみというものよ、テッド」


「お楽しみって…」


 すると、休憩スペースにまたしても現れた人達がいた。孤児院にいたエフォル君達、それから初めて見る女性の人もいた。トレイで食事を運んでくれているようだ。


「お待たせしました」


「落とすなよアイエン」


「俺の名前アイロンじゃなかったか」


「そのつまらない冗談が言えなくなるように、脳みそのしわを伸ばしてあげようか?」


「テッドさん、ここにアイロンはありますか?」


「いや…どうして君達もここにいるの?あと、アイロンはないからね」


 エフォル君、それからアヤメさんと同じ年のアイエンさん、それからルメラさんもいた。ファラさんと呼ばれた院長だけ姿が見えないようだけど...後からルリカちゃんやアカネちゃんも休憩スペースに現れた。


(何?勢揃いって感じだけど…)


 一体何が始まるのやら...そういえば、スイちゃんは支度をしているから部屋にいると...!!


「そうだ!スイちゃんは?!スイちゃんはどうなったんですか!孤児院で倒れてから一度も………」


 皆んなが黙って僕を見ていたので思わず口をつぐんでしまった、何か変なことでも言っただろうか。それにグガランナさんも当たり前のようにいたけど、ずっと意識が戻っていなかったはず、寝不足のせいで考えることもままならず状況が理解出来ない。立ち上がって叫んでしまった僕を、リプタちゃんが見上げてこう言った。


「テッドのテッドがなにか教えてくれたらわたしが教えてあげる」


 一文字目を言おうとした途端、皆んなから止められてしまった。



✳︎



[ねぇアマンナ、テッドのテッドってなに?皆んな教えてくれないんだけど、アマンナは見たんだよね?]


 場が一瞬で凍りついた。グガランナに呼ばれて私やアヤメ、それからアマンナが中層にあるホテルの一室に集まっていた。ついさっきまで談笑していた二人も固まり、私も同じように固まった。

 テーブルの上に載せたタブレット端末からリプタがこちらを覗き込むようにして聞いた言葉が、宙を漂い誰も答えようとしない。言われた本人もあからさまに冷や汗をかいていた。


「あー…わたしそんな事言ったっけ?」


[言ってたよ!テッドのテッドって!それってなんのこと?フィリアにはまだ早いとか言われたんだけど]


「…………」


 治ったばかりの体で頬をかき、何と答えようか悩んでいる。

昨日、というより今日の朝方まで大変だった。マギールからの要請で中層へ向かってほしいとアヤメが言われ、訓練を切り上げようとした時にスイにまつわる出来事を全て教えてもらった。ティアマトに状況を聞き出し私も同行することにした中層では、大型のクモガエルがアマンナと戦闘していたのだ。アヤメと二人で撃破したかと思えば、見たことがない機体でプエラに乱入されてあともう少しで取り返しのつかないところまでいきかけた。それを救ってくれたのがスイだ、大型のクモガエルから言葉を発したスイはどうやったのか検討もつかないが周囲に残っていたクモガエル達もまとめて沈黙させたのであった。

 プエラがまだ何か言いたそうにしていたが一先ずホテルへ向かうことにして、その途中でモールに寄ってアマンナのマテリアルを回収したのが明け方だった。到着したホテルで防人が私達を待ち構えていたので、アマンナのマテリアルを押し付けて寝に入ったのがすっかり太陽も登った時間帯だ、昼を過ぎたあたりでいつもの調子に戻ったアマンナに叩き起こされて今に至る。

 

「アマンナ、白状しろ、どうしてテッドのテッドを知っているんだ」


[あ!ナツメも言った!やっぱり皆んなもしってるじゃん!]


「ナツメも見たことあるの?」


「そう……ナチュラルに聞いてくるのはやめてくれないか、そこまでの仲ではない」


[…見るものなの?…それに仲良しなら見れるの?]


「リプタちゃんにはまだ早いと思うよ」


[それフィリアにも言われたから!どういう意味なの?アヤメならおそいの?]


 そこまで深い意味はないんだろうが、リプタに言われたアヤメがソファの上で崩れ落ちた。


「……恋人いない歴イコール年齢で悪かったよぉ!うわぁあん!!」


「ちょっとアヤメ!待って!」


「待てアマンナ!そのまま逃げるつもりだろ!くそっ」


[え、え、なんでアヤメが逃げたの?こいびといないれきってなに?]


「リプタ!後でかけ直すから今は我慢してくれ!」


 部屋から飛び出していったアヤメを、これ幸いと一緒になってアマンナまでもが逃げ出してしまった。仕方なく通信を切ってからあまり詳しくないホテル内を探す羽目になってしまった。


(まぁ…私も恋人は出来たことはないんだが…)


 ()()は違う、心に念を押してから二人の後を追いかけた。



✳︎



「グガランナさんはどこに行ってたんですか?」


 「テッドのテッド騒動」が少し落ちついてから、可愛らしい天使にそう声をかけられた。リプタちゃんと呼ばれている猫を思わせる女の子が、端末越しにアマンナ達と何やら会話をしていたようだけど、何故だかアヤメとアマンナが逃げたらしい。部屋で待機してもらっているスイちゃんには悪いけど、お披露目会をまた少しだけ延期することになった。やっぱり皆んなに見てもらわないと。


「メインシャフトに降りていたわ」


「え?え?!いつの間に……」


「少し調べものがあったのよ、そのおかげでスイちゃんを助けることが出来たから、不在にしていたことは大目に見てほしいわね」


「そ、それは勿論…」


 驚いているというよりは私を観察しているような目付きだ。


「何かあったんですか?何だか雰囲気が違うような気がするのですが」


「いいえそんな事はないわ、いつも通りよ」 


「そうですか…アヤメさんアヤメさんって叫ばないですし…」


 ピタッと皆んなが動きを止めた。


「な、何のことかしら…私がそんなはしたない真似をするはずが…」


 口でそう言い訳しているが心臓はばっくばくだった。


「ティアマトさんから聞きましたよ、たまに夜遅くブリッジで叫び声を上げているって、それもアヤメさんがグガランナさんの名前を呼んでいる録音データむぐぅっ?!」


「テッド!テッド!何もそこまで言わなくていいでしょう?!」


「止めるのおそくないか」

「そんなに好きなの?まるで恋人みたいだね」

「グガランナはアヤメのアヤメを見たことあるの?」


 まさか!あの私の魂の時間を誰かに見られていたということなの?!それにリプタちゃんの発言にも我慢がならなかった。


「リプタちゃん!アヤメにアヤメが付いているわけがないでしょう!」


「いやだって、アヤメもこいびと同士なら見られるとか言ってたから、グガランナは恋人じゃないの?」


「………見たことあるわ、アヤメのアヤメ」


「ちょっと!そんな訳ないでしょグガランナさん!アヤメさんに知られたら怒られますよ!」


「いいえ、私は恋人以上ぴったり夫なのよ、知らないはずがないわ」


「フィリア、グガランナはなんの話しをしているの?わたしさっぱり分からないんだけど」


「私も分からないから気にしなくていいよ」


「けっきょくグガランナはアヤメに付いてるアヤメを見たことがあるの?それはなに?」


 アヤメに付いてる...アヤメだと?もしかしてアヤメは男性だったというの?


「それなら私、夫ではなく妻になるわね」


「え、そうなるの?ますます分からなくなってきた…テッド」


「嫌だからね、絶対嫌だからね」


「まだなにも言ってないよ、テッドとアヤメについててこいびと以上の仲良しじゃないと見れないものってなに?」


「それは愛、とか恋心だと思うよ」


「あい?」


 誰だこの人、あぁそういえば確か...


「お怪我の具合はどうですか?」

 

「はい、もうすっかり良くなりました」


 そう答えてくれたのは、アヤメのように長く茶色の髪を一つに束ねた女性だった。スイちゃんを街で見かけ、声をかけた時にディアボロスに胸を刺されてしまった人だった。


「お名前をお聞きしてもよろしいですか?」


「私はユカリと言いますグガランナさん、今日は急にお邪魔して申し訳ありませんでした」


「いえそんな…スイちゃんも喜ぶと思います」


「そんなに猫を被る必要はないわ、昨日の調子で喋りなさい」


「え?ゆかりも猫だったの?」


「お前もう口をはさむな、話しがややこしくなる」


 ティアマトに棘のある言葉を投げかけられた、ユカリさんと名乗った女性が頬を染めて非難がましく睨んでいた。


「昨日のはっ…ここでする話しではっ…」


「何を今さら、アオラもカサンも追い返したそうじゃない、物腰が柔らかなくせして口は滅法強い、あなたもここで働いてみてはいかが?きっと良いネゴシエーターになるわよ」


「いやですからっ、ティアマトさんっ、昨日はすみませんでしたとさっきも…」


 ティアマトの腕を取って内緒話しを始めてしまった、随分と仲の良い。ユカリさんはスイちゃんの身を案じて保護、というよりは私達に疑いの目を向けていたはずだ。それはそうだ、あんなに()()()()()スイちゃんを裸で外にほっぽり出すような集団に見えていたのだから、今回の件は誰にも非はないが外部の人から見たらその限りではない。


(よく私達を信用する気になったわね…私なら絶対無理)


 すっかり話し込んでしまった二人を他所にして、孤児院からお邪魔している四人に視線を向けた。この子供達もアヤメと同じ境遇らしく、今日はスイちゃんが回復したという知らせを受けてすぐに駆け付けてくれたらしい。何やらテッドとあったらしいが、皆んな私の知らない所で私の知らない人間関係を構築していることに少なからず寂しさを覚えた。


(………………)


「グガランナ?」


 誰かに名前を呼ばれ、下を向いていた頭を慌てて持ち上げた。私はこうして人に囲まれてその中で寂しさを感じているが、彼女はそうではない。その事実に胸が張り裂けそうになってしまい、取り繕っていたことを忘れそうになった。


「グガランナ、時間があるならユカリにここを案内してあげたいのだけどいいかしら」


「……本当に雇うつもりなの?」


「大怪我を負ってから今まで休職していたらしくてね、その間に職場がビーストに襲われてしまったみたいなのよ」


「…はい、恥ずかしい話しなんですが…私、今無職でして…」


「まぁ…あぁー、ユカリさんがそれで良ければ…」


「あいえ、まだそうだと決まった訳ではありませんので…噂の宇宙船を見せてほしいなぁとお願いをしただけなんです」


「昨日もそれだけ愛嬌があったら話し合いもスムーズに終わっていたのにね」


「まだ言うんですかティアマトさんっ」


 二人して席を立って休憩スペースから出て行ってしまった。さて、向こうも早く準備を終えてもらわないとスイちゃんが拗ねてしまう。そう思いながらアマンナに再び連絡を取った。



79.b



 アヤメのやつどこへ逃げたんだ?全く見当たらないぞ...

部屋を飛び出したアヤメを追いかけていたわたしは見事に迷ってしまった。その昔、グガランナと何度か来たことがあるはずなのに忘れてしまったため、どこに何があるのかさっぱりだ。建物の数も多く、外に面した通路からそれぞれ行き来ができるのでなおのこと、迷路のようだと強く思った。


「あれ焼けたりしないのかな」


 部屋から出て初めに通ったフロアエントランスは危ない造りをしていた。壁一面が古臭い板で覆われ、さらに四角に切り取られた穴の中にキャンドルが丁寧に一個ずつ置かれているのだ。壁際には一人用の、これまた古臭いソファとローテブルが置かれてちょっとした休憩が出来るようになっていた。その一番端に見たことがある人影を見つけて思わず驚いてしまった。向こうはわたしに気付いていない、頭を抱えて何やら考え事をしているようだ。


「あぁ…一体何がいけなかったのか…」


「おい」


「僕はただ声をかけただけなのに…まさかあんな怖がられるだなんて…」


「おい」


「もしかして…赤いのと会話した内容が筒抜けだった…とか?いやそれでも…」


「ここにいるぞ」


「あぁ…一体何がいけなかったのか…」


 あ、そうだ、どうせならここで借りを返しておこう。いくら話しかけても気付かないお前が悪いと言い訳をしながら、問答無用で頭に拳を下ろした。



「殴る?普通、悩んでいる者に向かって言葉ではなく拳を下ろすのか君は」


「三回声かけたわ」


 燃えそうな壁の前で頭を抱えていたのは、あの日わたしとテッドのお腹を殴りつけて逃げたあの野郎だった。目にかかる程の長さをした銀の髪と、その色によく映える黄金の瞳をしていた。


「何してんだこんな所で、また細工でもしに来たのか」


「……それは何のことかな、僕には覚えがないよ」


「あっそ、それならいいけどもう目は付けたから、次変なことやったらナニをもぐぞ」


「な、なに?ナニ?よく分からないけど、嫌われていることだけは確かみたいだね…あぁ、もしかして君、あの子達に何か言った?」


 何の話しをしているんだ?


「僕の人型機で送ってあげようと思っていたのに目の前で逃げられてしまってね…」


 ............あれ、こいつもしかして......


「悪趣味ツートンカラー?」


「だからその名で呼ぶなと言っているだろ……あれ、まさか君、気付いていなかったのか?」


 何という...わたしはこれでこの男と通算四度目になるのか...


「別人かと思ってたわ」


「そんな訳ないだろ、そもそも君も人型機では僕の正体に気付いていたじゃないか…いいやそれよりも、ここで君にお願いがあるんだ」


 わたしは、生まれて初めてというぐらいにこれでもかと嫌な顔をしてみせた。それだというのにこの男は一向に怯まない。


「はぁ?」


「君のお願いを受けて僕はこんなにも傷付いてしまったんだ、それに借りを作ったのは君だろう?」


「知らないよ、逃げられたのはそっちだろ?何であんな優しい二人に逃げられるんだよ、そっちが何かしたんだろ」


「あぁ……」


 今のは効いたみたいだな、見るからに落ち込んでいる。今のうちにさっさととんずらしよう、関わるだけ得が何もない。踵を返して来た道を戻ろうとすると後ろから肩を掴まれてしまった。


「待て!まだ話しは終わっていない!君からあの子らに話しを通して会わせてくれないか!」


「嫌に決まってるだろ!離せ!誰がディアボロス一味に手を貸すか!」


「君だろう?!僕にお願い事をしてきたのは!最後まで責任を持つべきではないのか!」


 ぐわんぐわんと体を揺らされているので気持ち悪い、それに何だ責任って!そんな人聞きの悪い...


「アマンナ…」


「?!」


「お父上には内密にしておくから!」


「お、お父上…そんな…」


「ちょっとアヤメ!待って!誤解だから!」


 何というタイミング!フロアエントランスの入り口にアヤメが棒立ちになって固まっているではないか、それに間違いなく勘違いしている。


「……アマンナが、アマンナが私の知らない男の人と!!うわぁあんっ!お幸せにぃっ!!」


「ちょ!」


「……ん?今誰か……」


 こんのっ!一人で盛り上がって余計なことまで口にしやがって!

アヤメが逃げ出した方を見ながらようやく掴んでいた手を離した、その隙にもう一発みぞおちをこれでもかと殴ってからアヤメの後を追いかけた。


「待って!アヤメぇ!」


 それにしても今日のアヤメは何なんだ?何でそんなにナイーブになっているのか。



✳︎



「うぴっ!」


「あぁ、あぁ、ミトン、ミトン!あ、アヤメさんが泣きながら走ってたよ?!」


「…その前に言うことがあると思うんだけど」


「何かあったのかな…」


 不覚。葉が生い茂っている外通路に視線を向けながら、想い人に心を奪われてしまった、私の宿り木たるカリンに頭を叩かれてしまった。口に咥えていたストローが危うく私の(こう)(がい)(すい)、所謂喉ちんこを直撃しそうになってしまい、出したことなど一度もない変な声を出してしまった。不覚。


「…追いかけてみなよ、フラグが立つかも」


「た、立つかな?」


 意外。反論してくると思ったのにまさかの同調、カリンの目にもはや私は映っていない。人と目を合わした時のみに起こり得る刹那的時間拡張(束の間)の後、再びアヤメさんが走っていった方を見やり、浅く、そして熱い溜息を吐いた。意外。あのカリンがここまで誰かに執着するなんて初めてのことだった。


「…いやだから、その前に言うことあるでしょ」


「…昨日のミトンは別人みたいだったよ、今はそうでもないけど」


 憤怒。私が言ってほしいのはその事ではない、頭を叩き危うく口蓋垂、所謂喉ちんこが損傷を受けてしまいそうになった事についてだ。それから、やたらとカリンは私を怠け者にしたがるが時と状況に応じて為すべきことの分別は持っているつもりだ。そして、昨日の事をようやく口にしたそのタイムラグにも憤怒。


「…やれば出来る子」


「自分から子って言うから…」


「…そうじゃなくて、頭叩いたの謝って、それと喉ちんこにも謝って」


「ごめんね、喉ちんこさん」


「…それでいい」


「これでいいの?冗談のつもりだったのに」


 安心。普段通りに戻ったカリンが、いつものように私の頭を撫でながら優しく微笑む。カリンがいたからこそ、私も持ちたくもないライフルを持っているというものだ。眠気と陽気の両方を誘う、水素とヘリウムの核融合反応の光(太陽)に当てられながら再びストローを咥えて、黒に着色された苦いでん粉の塊と、甘いジュースを堪能しようとしたそばから再び体ごと揺すられてしまった。安心できない。


「あぁ!み、み、ミトン!今度はアマンナが走ってきたよ!あの二人喧嘩してるのかな?!本当は仲が悪いのかな?!」


「…本当に仲が悪いなら喧嘩すらしない、私とアシュを見習いなよ、それから人がタピオカジュース飲んでる時に揺らしてこないで」


「いや、そうは言うけど二人も仲良いよね、本当に嫌いなら一緒にご飯食べたり眠ったりなんかしないよ」


「…上手いことを言う」


「そのジュースそんなに美味しいの?」


 微妙。ジュースの味と、カリンとの会話が微妙に噛み合っていない。


「…普通」


「美味しくないんだね」


「…カリンの方がもっと美味しい」


「そんなジュースがあるの?初めて聞いた」


 激ムズ。人に冗談を言うのは本当に難しい、仲の良いカリンですら「かりん」というジュースがあることを勘違いさせてしまった。冗談が不発に終わってしまった恥ずかしさと寂しさをタピオカで誤魔化すために飲み込もうとすると、三度背中を叩かれてしまい思わず吐き出しそうになった。


「いい加減にしろぉっほっほっげほっ」


「だ、大丈夫?!」


「大丈夫じゃないやい!何度も叩いて!」


「わ、わわ、あのミトンがマジギレ」


「するよ!私だって怒る時は怒るよ!タピオカさんに謝って!」


「ご、ごめんね、また新しいの貰ってくるから」


「…全く、そんなにあの人の事が気になるなら行ってきなよ」


「いやでも…私が行ったところで、別に話すこともないし、何しに来たんだって思われるかもしれないし…」


「…分かった、無理にとは言わないけどもう背中に叩いたり頭叩いたりするのやめて」


「ご、ごめんね、つい興奮しちゃって」


 偶像崇拝。早急に手を打たなければ、カリンがあの人に取り込まれてしまう。良くない予兆を感じた私は、もう食べることなく飽きてしまったタピオカをストローに貯め込み、器用に外へと吹き出した。


「ぷっぷっぷっぷっ」


「結局捨てるの?」


「…私があの人を暴いてあげるよ、決して偶像ではないことを」



79.c



 アヤメとアマンナが部屋から飛び出して半刻が過ぎた頃、ゴミや空き瓶が散乱して見るに汚いバルコニーから一人の男の影を見つけた、いや、見つけてしまったと言うべきだ。


「…………」


 建物の二階に面したバルコニーから地上へと降りられる外階段があり、音を立てずにゆっくりと降りていく。幅の広い葉を付けた樹の隙間からでも男が見えている、髪染めでもしているのか銀の色、さらに刈り込みも入れてあって大変雰囲気がよろしくない。いかにもな感じがしてしまった。


「……………」


 階段から、酒やら食べ物の残りで汚れてしまった芝生に足を下ろした。さらに向こうが気付いてくれるよう、芝生に転がっていた空き瓶やらを蹴飛ばしてみるが一向に気付く気配がない。余程集中しているらしい。


(はぁ…見たものは仕方がないか)


 観念した私は男に声をかけた。


「何をしているのでしょうか」


「………見ての通りだが、お前は?」


 うろんげに視線をやったその瞳が綺麗な金色をしていた、それはどうでもいい。


「人探しをしている最中ですが…」


「ここには誰も来ていない」


「そうですか…」


 それだけ雑に答えてから、私がいるにも関わらず再び前を向いた。何も言わず、ただ立っている私を不快に思った男が素早く振り返ってきた。


「何なんだ、何か言いたいことがあるのか?」


「そこ、女性用の露天風呂なんですが」


「それがなん……」


 眉間にしわを寄せて取り繕うつもりもない表情のまま固まった、そして額に汗をかき始めた。


「どうして、こんな所で女性用の露天風呂を見ているのですか、理由を聞いても?」


「……………」


 だらだらと汗を流している。


「……………」


 腰にさしていた自動拳銃のグリップをこれ見よがしに握ってやると、慌てて男が弁明を始めた。今さらではないのか?


「待って、待ってくれないか、倫理的に問題があると知らなかった…あ、いや、違う、と、とりあえずその銃はしまってくれ」


「だから、何をしていたのかと聞いているのです、正直に答えたら済む話しでしょう」


「いやそもそもだ、異性の裸体を無許可で見ること自体が犯罪という扱いではないのか、正直に何も…」


「それを何というか知っていますか?」


 相手がごくりと唾を飲み込んだ。


「……すまない、心から詫びよう」


「………詫びですむ訳がないだろうぉ!このド変態野郎がぁ!!」


「?!」


 荒い目に編まれた簡素な壁の向こうから「きゃああっ?!」と女性の声が聞こえてきた。


「待て!誤解だ!そんなつもりでここにいた訳では!」


「抜かせド変態野郎が!この状況でよくそんなことが言えたな!人が下手に出てりゃ良い気になりやがって!」


「だから待てと言っているだろ!」


 銀の髪をした男が顔を赤く染め言い返してくるが知ったことではない、覗きの現行犯など初めてだった。こんな奴が特殊部隊にいた覚えはない、それなら一般人なのだろうがよくもまぁ堂々と女の風呂場を覗けたものだ。

 安全装置は解除せず、しかしよく見えるように持ち上げ覗き野郎の腕を掴もうとすると、風呂場のほうからあってはならない声がした。


「女神様!覗きは二人組です!気を付けてください!」


「えぇ、あなた達はそこで待っていて、こらしめてくるから」


「え?」


「逃げるぞ!」


 え?二人組?もう一人いたのかと思った矢先、覗き野郎に腕を取られてそのまま走っていくではないか、ちょっと待ってくれないか、これではまるで...


「なぁおい!覗きをしていた奴はもう一人いたのか?!そうなんだよな?!」


「現実を見ろ!お前も勘定に入っているんだよ!」



 何も入っていない、がらんどうのテントの中で私は蹲っていた。膝を抱えて膝頭に顔を埋めて、周囲を未だ散策しているサニアの足音を聞き入っていた。「こらしめてくるから」そう力強く宣言したのはサニアだ、他に二人程女性がいた気配を感じたが...今となってはどうでも良かった。

 他の女性と二言程話し声が聞こえて、その後ようやく足音が遠ざかっていった。銀の髪をした覗き野郎も気付いていたようで、声音を落として話しかけてきた。


「………行ったようだな……」


「……………」


「あぁ…何だ、気に病むな、誰にでも見間違いというものはあるんだ」


「………私が男に見えるのか」


「そんな事はない」


「………お前、私の裸を見たいと思うか」


「それはない」


「…………………………………」


「待ってくれないか、何と答えれば良かったんだ、俺はさっきド変態と罵られていたんだぞ?ここで見たいと言えると思うのか?」


「………嘘でもいいからそう言ってほしかったよ」


「………」


 そうか...私は、そんなにか。確かに女性としての自信はまるでない、銃を握って握らされて今日の今日まで戦場で生きてきたんだ。そりゃサニアのようにいかにもな体型をしていたらここまで落ち込む必要も無かったんだろうが...あぁ、そういえばウロボロスの奴にも「まな板」と言われたな。

 こんな事は初めてだった、覗きを捕まえようとしていたのに、まさか私までもが覗きに間違えられてしまうだなんて。銀の覗きは地面に膝を付き、サニア達が離れていったのにここから出ようとはしなかった。膝頭に埋めた視界からでも奴の足が少しだけ見えていた。


「あー…何だ、その、すまなかった、まさかこんな事になるとは思いもしなかった」


「……いいさ、私もこんな事になるとは夢にも思わなかった」


「俺があの場にいたのは監視をしていたんだ、まぁそれは今にしてみればただの覗きだということはよく分かっているつもりなんだが…」


「…サニアか?」


「あぁ、奴には借りがある」


「……そうか、サニアは見たいんだな、口ではどうの言っている割にはやっぱりああいう体型がいいんだな…」


「誰もそんな事は言っていない、少し冷静になれ」


「サニアに借りがあるって、それは痴情のもつれなんだろ」


「何故そうなるのだ…」


 膝を地面から離し、私の前に胡座をかき始めた。こいつもこいつでさっさと出ていけばいいものを...


「お前はやっぱりあれか、一般参加の連中なのか?」


「………まぁ、そうなるな」


「名前は?」


「それだけは勘弁してくれないか、お前も俺に名乗りたくはないだろう」


「……確かにな、私とお前は金輪際会わない方が良さそうだ」


「それがいい」


「だったら何故ここから出ていかない」


 少しずつ元気を取り戻した私は、ようやく重たい頭を上げて相手を見やった。聞かれた相手も少しだけ眉尻を下げている。


「まさか、私に気を遣っているのか?」


「………」


「あぁ何だ?私に出ていってほしいのか?」


 少し逡巡した素振りを見せた後、こう聞いてきた。


「……お前はセルゲイについてどう思っているんだ、奴はここを預かる統率者なのだろう?」


「……それだけ答えたら私は出て行くぞ」


「あぁ」


 こいつの真意はまるで読めないが、私に気を遣ってくれた礼だと勝手に解釈して答えてやることにした。


「私を女にした奴だよ、良くも悪くも今の私を形作った男だ」


「言葉通りの意味か」


「あぁ、恋愛感情などまるで無かったがな、そういうもんだと思うが…」


 古い話しだ。今となってはどうでもいい、私が隊長の座に着いた以外に得られたものなど一つもなかった。


「……理由を聞いてもいいか、何故そこまでして体を許したんだ」


「守りたい奴がいたからさ、何が何でも、私を救ったくれたあいつに恩返しがしたかったんだ」


「一人を守る為にか?」


「あぁ、それ以外にない、個人的にはこれぐらいだな……一隊員として奴を見るならばクソ野郎だよ」


「…………」


 昔の話しを聞いていた時とは打って変わって、計算かあるいは観察するような冷たい目で話しを聞いている。


「とにもかくにも権威と立場を利用して自分の進めたいように進める男だ、そして周りには一切話しをしない、つまりは何をしているのかさっぱり分からない」


「それは部下を信用していないということか」


「そうだろうな、自分の世界に閉じこもっている感覚はあった、私を抱いている時も独りよがりだったよ…あぁいや、今のは忘れてくれ」


「それは奴が一人で抱え込んでいたということでは?」


「お前上手いこと言うな、まさしくそうだ、自分に酔っていたんだよ、英雄のような自己犠心は一切無かった」


 顎に手を当て真剣に耳を傾けている、どうしてこんな男が覗きみたいな真似をしていたのか、とても不思議に思った。


「その違いは何だ?己が為すべきことに酔うのと、苦難に喘ぐことの違いは紙一重だろう」


「それが答えだと思うぞ」


「何?」


 少し遠くで、慌ただしく走ってくる足音が二つ聞こえてきた。そろそろ潮時だろうと思い、その場で立ち上がり貧相な尻に付いた砂埃を落としてから最後に話した。


「自らの為すべきことに胡座をかくのを酔うと言い、常に思い悩む奴を私は英雄と呼ぶんだと思う、そしてお前はその違いを知っている」


「………」


「今みたいに人の話しに耳を傾けている時点でお前はクソ野郎ではない、部下はいるのか?」


「…あぁ」


「そいつは恵まれているな、お前のような上官を持てたことに、私の話しに少しでも理があるのならお前は英雄だよ」


「………」


「世話になった、いいか、私を見かけても声をかけてくるなよ!」


「あぁ、会うことはもう二度とない」


 銀の髪、それから金の瞳をした、今になってどこか聞き覚えのある声をした男と別れテントを後にした。



✳︎



 アヤメデラ速くないですか?!全く追いつけないんですが!それに良く考えてみれば、わたし達の中で身体能力が一番高いことに今さら気付いた。


「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ」


 ホテルの外をぐるりと回ってメインエントランスに入ったところでわたしの体力が尽きてしまった。マテリアルにも体力って設定されているんだなと膝に手を付きながら空っぽになった肺に酸素を送り込んでいると、少し遠くから「ああっ?!」とアヤメの叫び声が聞こえきた。何事かと思い、高い天井とそれと同じくらい地下?一階なのに下へと延びる階段を降りた先で、頭からずぶ濡れになったミトンさんが地面に転がり大きな植木鉢を抱えたアヤメが立っていた。何事。

 体力設定に気付かず限界まで走り続けたわたしはよたよたと歩きながら近付き、ようやくアヤメを捕まえられたことと二人の状況が掴めずに、腕を取りながらこう言った。


「な、な、な、なにごっほっほっほっ」


 わたしもその場で崩れ落ちた。



「ごめんね私のせいで、大丈夫?」


「…へ、平気です、それより私の方こそ見ていなくて…」


「…あ、足ががくがく、肺はぷるぷる…」


「アマンナは平気でしょ、あれだけ走ってたんだから」


 とは言いつつも、ちゃんとわたしの足も揉んでくれるのでミトンさんと並んで体を休めていた。

 アヤメとミトンさんは、階段を降りた先の曲がり角でぶつかりそうになったらしい、慌てて避けたミトンさんが転けてアヤメはその角にあった植木鉢を倒して落としそうになってしまったらしい、ミトンさんが濡れていたその植木鉢に入っていた水をもろに被ったかららしい。「平気です、偶像に頼るまでもありません」と意味不明な事を供述しながら一人で何処かへ行こうとしたミトンさんをアヤメがおぶって休憩室に連れて来ていた。勿論わたしも付いて来てミトンさんと並んでベッドに横になっていた。疲れたから。

 少し隣からそわそわしているミトンさんがしきりにわたしへ視線を投げかけていた。


「あそこで何をしていたんですか?」


「…調査」


「何の?あぁ、あの植木鉢ですか?」


「…アヤメさん」

 

「花にさん付けするなんて珍しいですね」


「…?」


「?」


 まぁいいや、もう少しゆっくりしていこう。何か大事なことを忘れているような気がするけどまだまだ酸素が足りないんだ。


「…アマンナは知っているの?」


「ううん、あんまりですかね」


「…え、そうなの?」

 

 うん?どうしてわたしが花に詳しいと思ったのか...あぁ、人型機にペイントされているあの花を見てなのかな。


「詳しいのはカスミソウと、カンパニュラの花だけですよ」


「…新しい女が出てきた」


「うん?」


「…三つ巴とはカリンも大変だ」


「???」


 何の話しをしているんだ?まるで理解出来ない。

ミトンさんに向けていた頭を再び枕に預けて上向き、天井にも描かれているシャレオツな模様を見ているとアヤメがカリンさんと連れ立って部屋に入ってきた。手には医療キットやら飲み物やら、至れり尽くせりな看病をしてくれるらしい。


「プリーズ!アヤメプリーズ!」


「これはミトンちゃんの物だからアマンナは大人しくしてて」


「そんなの分かってるから、わたしはアヤメが欲しいって言ってるの」


「ヘビーにも程がある」


「…………」


「…あ、あの、本当に平気ですので…」


「それならこれだけ手当てさせてくれる?足を捻ってるでしょ?」


「…………」


「…あ、はい……」


「カリンちゃんはアマンナをお願いしてもいい?何か飲み物を与えておけば大人しくするはずだから」


「わたしは犬か」


「は、はい!」


 ちなみにカリンさんさっきから忙しくしているみたいだ、立ってるだけなのに。ミトンさんとアヤメが話しをしている時はまるで親の仇のように睨み付けたり、アヤメに声をかけられたらさくらんぼのように頬を染め上げたり、これはあれだな。

 わたしの隣までやって来て、容器に入った冷たい飲み物を渡しくれてカリンさんに、


「アヤメのことが好きなんですか?」


 と、聞いてみた。返ってきたのは言葉ではなく容器の底だった。


「そんな訳ないでしょ何言ってるのこれ飲み物だからぁ!」


「いだだだだっ!」


 底を顔に押し付けてくるのでとても痛かった。


「もしかして前の事まだ怒ってる?」


「え?!いえ!そうではなくて、お、怒っていません!」


「そう?カリンちゃんは足、もう大丈夫なの?」


「は、はい!」


 まるで敬礼だな。


「…アヤメさん、手が疎かになっています」


「あぁ、ごめんね、すぐ終わるから」


「あ、ミトンさんがさっき聞いてきたのは花じゃなくてアヤメのことですか?」


「…今頃」


「というか、どうしてアマンナは二人のことさん付けで呼んでるの?私は呼び捨てなのに」


 少し勿体つけてから、


「……愛、かな」


「他に痛むところない?」


「…足がまだまだ痛みます」


 スルーされてしまった。というかだな、わたしがアヤメに他人行儀な振る舞いをするはずがない、その事を分かってほしかったんだが言葉選びに失敗したようだ。


「み、ミトン!あんまり甘えるのはっ」


「…気にしなくて良い」


「それミトンさんが言うんですか」


「そうだよ、アマンナみたいにうんと甘えてくれたらいいから、遠慮は良くないよ」


「アヤメ!プリーズ!」


「アマンナは遠慮して」


「…………」


 気持ち良さそうに目を瞑り、アヤメに足を摩ってもらっているミトンさん、それからやっぱり親の仇討ち前の戦士のように睨んでいるカリンさん。すっかり機嫌が直ったアヤメに何故逃げ出したのか聞いてみると、


「それここで聞くの?いやまぁいいけどさ…」


「…何かあったんですか?」


「皆んながね恋人発言連発してたもんだから自信失くしちゃってさぁ、まさかあの子まであんな事を言うなんて思わなかったから」


「…アヤメさんはいないんですか?」


「いないよ、ミトンちゃんは?」


「…います」


「え?!」

「いるんですか?!」

「え?!ミトン?!」


 ミトンさんのまさかの発言に皆んなが驚いた。そして当の本人は然もありなんと、


「…ピューマとカリンは私の恋人と言っても差し支えはありません」


「はぁ…何だそういうこと………ん?ミトンちゃんはピューマのこと知ってるの?」


「前にマギールにこき使われてピューマ搬送の手伝いをしたらしいよ、あとカリンさんも」


「そうだったんだ、ありがとう」


「…お返しにもっと足を撫でてください」


「こら!ミトン!いい加減にしなよ!」


「…その後でカリンの足も診てください、本人は大丈夫だと言って聞かないので」


「分かったよ、カリンちゃんもそこで待っててくれる?」


 壊れた首振り人形のようにぶんぶんと頭を振っている...ほぉ、見かけによらずミトンさんは出来る女だな。


「…何?」


「出来るナオンですね、ミトンさんは」


 ミトンさんが静かにぐっと親指を上げた。


「そんなにピューマのことが好きならこの後一緒に参加してみる?すっごく可愛い女の子とお話し出来るよ」


「…私、人間には興味がありませんので」



「ほわぁあっ!君!名前は何て言うの?!」


[り、リプタ……]


「リプタちゃん!リプタちゅわん!私の天使ぃ!はぁあ可愛い過ぎるぅ尊死してしまぅぅ」


 これ誰だ。


「おい何なんだあれは、リプタがドン引きしてるぞ」


「ちょっ、ミトン、恥ずかしいからっ」


「あぁ!私の中の価値観が蒸発していくぅ!あのケモミミは破壊力が高過ぎるぅ!」


 わたしの中のミトンさんに対する評価も蒸発したところで、タブレット端末の向こうに主催者が現れた。そして顔を見せるや否や、


[あぁ!私の大天使アヤメ!早くあなたの吐息で眠りから覚めたいわぁ!あー!アヤメぇ!]


 向こうにも変態がいた。まさか互いの身内の恥を晒し合うだなんて夢にも思わなかった。


「グガランナ!変なこと言わないで恥ずかしいでしょ!」


 再び部屋に集まった三人と、新しく参加した二人でタブレットを囲っていた。ナツメが顔を合わせるなり「私の苦労は何だったんだ」とよく分からないことを言っていた。


「それでグガランナ、結局何がしたいの?そっちも大勢集まっているみたいだけど」


「あ!今犬の子も見えたよ!君の名前は?!お名前を教えでえへっ?!」


「うるさいですよミトンさん!静かにしててください!」


「アマンナ!私の代わりにミトンを止めて!これ以上見ていられない!」


 わたしが話しをしているのに割って入ってきたミトンさんの横っ面を跳ね除けた、まさに混沌。


[そっちも随分と賑やかになったのね、久しぶりねカリンにミトン]


「あ、あなたのことより後ろにいるい、犬の子と鹿の子を私のよ、嫁にっ!」


「あぁもう…ほんとミトンは動物のことになったら人が変わるんだから…」


 そういう問題か?遥かに超越していると思うが。同じ事を思ったのだろう、ナツメと視線を合わせて肩を竦めた。


[そのうちね[嫌だぁ!][紹介しないで!]それと困ったことに今日の主役がいなくなっちゃったのよ…]


「主役って誰、というかどうして皆んなを集めたのさ」


[スイちゃんがすっかり元気になったから、そのお祝いを兼ねてパーティーを開きましょうという話しだったんけど、待たせ過ぎて怒ったのか部屋にいなかったのよ]


 そういうこと。こっちにも非があるのでアヤメもナツメも微妙な顔つきをしていた。


「分かった、それならわたし達ちゃんと待ってるからスイちゃんを探してきてくれる?」


[分かったわ、アマンナも変わりはないようで安心したわ]


 けっ。


「そんな下らない見栄張ってる暇があるならさっさと行きなよ」


[……………]


「わたしが気付かないとでも思った?何かから逃げてるよね」


「何の話しをしているんだ?」


 わたしとグガランナの会話を聞いていたナツメが横から口を挟んできた、分が悪いと思ったのか、グガランナがそそくさと端末の前から姿を消した。



79.d



 アマンナお姉様の言葉を借りるなら、まさしく私は激おこぷんぷんになっていた。だって!朝から準備をしていたのにもうお昼を過ぎているんだよ?!今か今かとドキドキしながら部屋で待っていたのに、いつまで経っても呼びに来てくれない!室内の固定端末から「もう少し待ってくれる?」とグガランナお姉様から繰り返し言われるだけ!

 

(へ、変じゃないだろうか…)


 長い腕を持ち上げて、お化けのように長い指を自分の頬に這わせた。まつ毛も「これ、埃が乗っちゃう…」と言わんばかりにこれまた長く、鼻も不自然な程に高く...見える。そう、グガランナお姉様の言う「とびっきりのマテリアル」とは子供体型から少し大人びたものに変わっていたのだ。

 部屋から抜け出し、慣れない視点と覚束ない足取りで艦内を予行演習がてらにぐるりと一周してきた。しかし慣れない、いきなり視点が高くなったし、まるで竹馬に乗っているかのような感覚がつきまとっている。ブリッジ前のナツメさんお気に入りのガラス通路に差しかかり、ガラスに映った私自身を見やる。


(へ、変じゃないかな…確かに少し大人っぽいけど….)


 髪型も少しだけ変わっており、セミロング?ぐらいの長さになっていた。胸も前のと比べて明らかにあるし、肩にかけて張ったような重さがとても違和感があった。これで走ったらどうなるのか...フレアスカートの下にはタイツを穿いており、グガランナお姉様には勿体ないと言われてしまったが、病的に見える足の細さはどうしても隠したかった。


「大丈夫かなぁ…変に思われたりしないかなぁ…」


 それでもだ、新たな不安は生まれたけど私はこうしてここにいる。それが何より嬉しかった、新しい不安も悩みも苦にはならない。

 意を決して皆んなが集まっている休憩スペースへ行こうとすると、ブリッジエレベーターから人が降りてきたので大いに焦った。開いた扉から現れたのはティアマトさんと...あれ、もしかしてこの人...


「スイ、駄目じゃないちゃんと部屋で待っていないと」


「いや、あまりにも遅いから我慢出来なくて…それよりこの方は…」


「新しい人ば……じゃないわ、ユカリという名前の人よ、あなたには覚えがあるのでは?」


 今人柱って言いかけたよね、ユカリという名前の方は私のせいで大怪我を負ってしまった人だ、間違いない。あの日、私とお猿さんに声をかけてくれた人だった。どうしてこんな所にいるのか、どうしてそんなに口を開けているのか、さっぱり分からない。けれど、元気そうに立っているその姿はとても嬉しかった。


「………………………」


「ユカリ?」


「あっ!はい!え……ティアマトさん、この子が、スイちゃんですか?」


「はい!」


 ライオンさんに教わった通り、暗い気持ちは自分て吹き飛ばそうと明るく返事をした。こうして生きてくれているだけで良かった。


「…………………………」


「ちょっとユカリ、見惚れすぎではなくて?」


「な、なん、なっ、な、な、ちょっ、お、大きくなってない、ないですか?」


 慌てながら自分の顔を隠して、ティアマトさんばかりに視線をやっている。やっぱりこの姿は変なのかといくらか気分が沈み込んでいくのを感じながら、ティアマトさんの説明を私も改めて聞いた。


「言ったでしょう、マキナという存在は体と心が別個に存在していると、スイの体に大きな不具合があったから新しいのに替えたのよ、グガランナ曰くとびっきりのものらしいけど」


「いや、あの…私は出来れば子供の方が…」


「ユカリさんもそう思いますか?実は私もそうなんです、この体の大きさに未だ慣れなくて…」


 それでも、暗い気持ちを跳ね除けるようにユカリさんに笑いかけて素直に胸の内を吐露すると、見る見る顔を赤く染め上げていった。


「…………」


「あ、あの…もしかしてお体に障りますか?私はこうしてあなたとお会い出来ただけでも本当に感謝しています、あの時は声をかけてくださってありがとうございました、あまり無理はせずに…」


 あの日、腰を屈めて私に声をかけてくれたユカリさんをあまり見上げることなく話しをしていることに気付き、やっぱり身長も高くなっていると実感した。ユカリさんの肩を支えるように手で触れると、まるで電撃を打たれたかのように体を跳ね上げさせた。


「あ!あぁ!わた、私は先に行っていますね!ありがとう!すすすす、スイちゃん!」


 もうこちらの顔を見ようともしない。


「あの…ティアマトさん…私って、怖いですか?」


「…………………どうして、そう思うのかしら?」


 たっぷりと間を空けてからティアマトさんが答えた。


「だって、ユカリさん、私の顔を見ようともしなかったですし…肩に触れただけで逃げていくように…」


「…………そうね、その容姿に自信が持てないのなら、私に良い考えがあるわ」


「!」


 わらにもすがる思いで唯々諾々とティアマトさんの案に乗ってしまった...後にして思えば、これは大いなる間違いであった...しかし、この時の私は、自分が本当はどう見られていたのか露とも気付けずに、あの混沌としたパーティが生まれてしまったのだ。



✳︎



[やっとかよ]


 タブレット端末からアマンナのヤジが聞こえてきた。その声に浅い眠りから覚めた僕はゆっくりとソファから身を起こして、テーブルの上に置かれた飲み物を口に含んだ。


「やっと起きたか、テッドのテッドめ」


「?!」


「やーい、見てやんの」


「………」


 近くにいたリコラちゃんの言葉に心底焦ってしまった、こんな所で僕の僕を見せる訳にはいかないと慌てて確認したが、どうやら大丈夫なようだった。


「…もう、というかやっと始めるの?」


「ほんとだよ、どれだけ待たせるんだよ」


「アマンナとアヤメがにげたのが悪い」


「いや、リプタが変なこと聞いたからでしょ?」


 さらによく見てみれば、他の二人も僕の近くにいるではないか。何故こんな離れた所に三人固まっているのか。


「向こうに行かなくていいの?」


「うん」

「うん」

「安全が先」


 安全が先?何を言っているんだ...

少し芝居がかかった仕草をしながら、グガランナさんが休憩スペースに入ってきてついにお披露目会とやらが開催された。


「ごめんなさい!皆んなには待ってもらったみたいで、今から主役が登場するから盛大な拍手で迎え入れてあげてね!」


 ぱちぱちぱちとささやかな拍手の中、休憩スペースに現れた絶世の美女に皆んながその動きを止めてしまった。


「……………誰?」


 誰なんだあの子...アヤメさんと同じ年に見えるけど...あぁ、スイちゃんの為にわざわざ芸能人を呼んで...いやそんな事するか?

 さっきも言ったけど、現れたのは飛び抜けて綺麗な女の子だった。おそらく今まで見てきた誰よりも綺麗で、そして可愛いらしい。少しおどおどとした仕草と不安そうに眉を下げているその表情は、とんでもなく庇護欲を掻き立てられる。女の子に見えるが、ボディラインは明らかに大人のものだった。腕も足も長く、胸はあるのに体の線は細くそして全体的にとても均整が取れている。作り物に見えるけど作り物ではない、扇情的にさえ見えるあの子の体から目が離せないでいた。


「テッドのテッドが起きるから、そろそろ見るのやめたほうがいいんじゃない」


「え、テッドのテッドって起きるの?!」


「まだその話ししてるの?」


「いや、ちょっと待って、君達は驚かないの?」


 ピューマの三人達はいつもと変わらない、そんなやり取りを皆んなが見つめているなか、発した言葉の後に嵐が襲ってきた。


「何で?スイの体がおっきくなっただけだろ?」


「「ええっ?!!スイちゃんなの?!!」」

「は、はい…こ、この度は…」

「じゃあその犬耳は何?!付けた意味あったのか?!」

「す、少しでも、う、ウケて?もらえたらとティアマトさんに…」

[あぁ!私の!私の動物愛よ帰ってこい!このままでは偶像崇拝に取り込まれてしまう!あぁ!スイ様ぁ!!]

「あぁ!スイに負けたぁ!」

「エフォルはもう帰っていいよ!」

「何でだよ!……にしても、ほんと可愛いな…」

[あぁ!スイ様!こっちに視線を!こっちに視線をくだはぁっ………]

[ミトンが死んだ]

「どうかしら?スイちゃんのこの姿!とびっきりに可愛くしてあげたんだから!」

[やり過ぎだろ!こっちは死人が出てるんだぞ!]

「あ、あの…」

「ねぇスイ!スイはテッドとアヤメについてて恋人以上じゃないと見られないものって何かしってる?」

「ここでそれ聞くの?!スイちゃん!無視していいから!」

「え、え、え、の、喉ちんこ?」

「Oh…やめてくれよ、変な性癖に目覚めてしまいそうだ…あんな美少女が下品な言葉を使うだなんて…エフォル、俺を殴ってくれ…」

「のどちんこってなに?見たことない、スイ見せて!」

「あ、あ〜…」

[あぎゃああっ!!尊死!尊死間違いなし!と〜てぇ〜と〜てぇよ〜、ケモミミっ娘が互いに間抜け面晒して癒すだなんてどこの世界線にもない光景だよ〜]

[もうミトン!!いいからやめて!!アマンナも手伝って!]

[ヤバいよあのスイちゃんは…可愛すぎだろ]

「そうかしら?私からしてみれば、アヤメの美貌の前には道端の石ころと変わらないわ」

「何ですってグガランナお姉様!私が石ころと同じだって言いたいんですか!!」

「そんなじょっ」

「「ええ?!グガランナが壊れた?!」」

「す、スイちゃんの、握力は…成人男性の…ご、五十倍…」

[馬鹿じゃないのかグガランナ!何でそんな設定にしたんだよ!日常生活が送れないだろ!

「そうですよ!今すぐ元に戻してください!」

「ぜ、全力を、出せば、高速道路も、走れるはず…」

[お前それ百キロ以上で走れるってことじゃないか!!何でそんな事したんだよ!!]

「へ、変な、む、虫が、寄らないように…わ、私なりの…愛!」

「グガランナはスイののどちんこ見たことあるの?わたしはあるよ!」

「Ah…俺の価値観も…どんどん蒸発していく…」

「アイエン…可哀想に…」

「ルメラも助けてやれよ」

「ち、ちなみに、スイちゃんの、手のひらは…す、スタンガン…仕様…」

「え?!ちょ!ユカリさん!ユカリさんはいますか?!今から病院に行きましょう!!」

「はい!こちらにいますスイちゃん!いいえ!スイ様!!」


 絶世の美女が盛大に顔をしかめ(それでもとても可愛く見える)、大声で叫びお披露目会が即刻終了となった。


「もう!元のマテリアルに戻してくださぁぁあい!!」

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