第七十八話 百獣の女王:スイ
78.a
これで終わり?せっかく得られた私の時間がこんな所で終わってしまうの?それは嫌だ、まだまだ全然足りない、もっとアオラさんに甘えたい、カサンさんと一緒にいたい。グガランナお姉様やアマンナお姉様と遊びたい。それにやっとリコラちゃん達とも仲良くなれたのに、それからルリカやアカネ達も知り合えたのに。私の欲しいものが目の前にあるんだ、こんな所で終わりたくない。
けれど、いつまでこうしていられるの?皆んなと触れ合える時間は決まっているんだ、最後に悲しい思いをするなら自分から決別した方がましなのでは?私は人ではない、この与えられた命は時間という終わりがない。皆んないなくなってしまって、また一人ぼっちになるのが目に見えている。そんな、誤魔化しのような時間を過ごしたいというの?
だからあの人は私に目を付けたんだ、こうなることが分かっていたから自我を置いていけと言った。自意識という精神の型が無くなれば、楽しいことも嬉しいことも辛いことも怖いことも認識しなくなる。アオラさん達を忘れてしまう代わりに、一人ぼっちという孤独からも解放される。一緒に過ごした記憶に浸りながら永遠にも等しい時間を過ごすべきでは?その方がいい。
「諦めてしまえ」
.........私の中に居る私がそう言い放った。何て楽な言葉なんだろう。
「私は何も悪くない、こんな形で命を与えたティアマトさんが悪い」
諦める、投げ出す、考えるのをやめる、努力することを放棄する。自分に悪がないとして周りのせいにする。
「ガォオーンっ!!」
ライオンの勇ましく吠える声が私に届いた。お腹を震わせて胸に響く、鬱屈した思いをも吹き飛ばすその声に魅了された。
「ガォオーンっ!!ガォオーンっ!!」
二度、三度聞こえ、その度に煩かった私の声もなりを潜めていった。
...あのライオンは怖くないのか、いくら百獣の王とはいえ、命の危険を感じる瞬間はいくらでもあるはずだ。それにライオンは立派な生き物、私とはまるで違う。その命には限りがある、巣に篭って外に出なければ危険に遭うこともないはずだ、限られた時間を危険のない安全な巣の中で過ごそうとは思わないのか。どうしてあんなに勇ましく吠えることが出来るのか。
「恐怖を自ら吹き飛ばすためだ、心労から逃げるのであれば幸福からも逃げることになる、恐れを遠ざけるな踏み越えていけ」
その言葉に深く納得した。
◇
「はぅわぁっ?!!」
...え、今のは何?...それにここは、あぁ、やっぱりあの海の上だ。けれど、海の中に突き落としたライオンさんの姿がない、ボートの上には私一人だけだった。夕焼けなのか朝焼けなのか、青い空には太陽の光を受けて赤く染まった雲が浮かんでいる、遠くに見えていたあの大きな塔も見当たらず本当に私はこの海で、この世界で一人っきりになってしまったかのようだった。
視線を落としてみれば無限にキラキラと輝いていた海面が、今は虹色の輝きを放っている。その一つ一つの煌めきには、他の仲間に囲まれたピューマの姿や、あの日背中に穴を空けられて重傷を負った人が優しく微笑んでいる表情や、アマンナお姉様の人型機に倒されていく「ノヴァグ」の姿が見えていた。その他にも無数の視点があり、声があり、全て私の元に集まってきていた。
「あれは……」
そして、見上げた頭上には黒く大きな雲が一つ、螺旋を描いて海へと降りてきていた。その先には私がいる、私はあの雲を受け止める役目なんだと直感した。ここに私がいる理由、生まれた理由、あの人が話していた内容も、あの雲を見て分かった。きっと私が受けとめてしまえばあの雲は海へと流れ込む、そうなってしまえばこの煌めきは失われてしまうだろう。俯いてしまいそうになった私にまた、声が届いた。
「いいかぁ!!どんな小細工しているか知らんがなぁ!!うちらのスイちゃんがそんなんで手籠にされると思うなぁ!!」
「!」
「スイちゃん!聞こえているだろぉ!そんな奴に負けるなぁああ」
虹色の海面が弾け、そして私の大好きな人の声がさらに届いてきた。沢山だ、沢山だった、私の胸には温かくて熱い気持ちが沢山入ってきた。下を向いていた顔を上げて、もう目前にまで迫っていた黒い雲に向かって、ライオンさんのように勇ましく吠えてみせた。
「みてろこんちくしょおおっ!!私を手籠に出来るのはアオラさんだけだぁあ!!」
✳︎
「あぁ不味い不味い…このままではスイが…」
[ティアマトよ!手はあるのか?!スイを介してデリートプログラムが流れ込んでいるぞ!]
「知っているわよそれぐらい!」
イエンに回してもらったデータ管理ウェアには、報告があった通り私が作った仮想データに消去コマンドを含んだプログラムが組み込まれようとしていた。さらに不運なことに、ノヴァグなる生命体は私が過去にテンペスト・ガイアに渡したデータを基にして作られたものなのだ。その基となったのが、カーボン・リベラに遍く散っていったピューマである。私が可愛がり、今にして思えば子共代わりに生誕させたピューマにもその影響が出始めていた。渡したデータにはバックドアを設けていたのだが、そこから消去プログラムが流入しているのだ。
(あの女…)
これが狙ったものなら大したものだがバックドアの存在は知りはすまい。スイというデータを介してテンペスト・ガイアはノヴァグの消去を図ろうとしている、だからスイに異常が現れ、この艦体にある環境モニターにピューマとノヴァグの視覚映像が映し出されていた、おそらくはグガランナがマテリアルにスイを移す際に構築したネットワークが原因だろう、それはいい。原因はいい。今はこの状況を切り抜けるのが先だ。
しかし、スイを助けるのとノヴァグの襲来を許してしまうのは同義だ。
「イエン、スイを助ける方法はある、けれど街にノヴァグの侵入を許してしまうことになるわ…」
[……それは何だ]
「スイをガイア・サーバーから切り離すのよ、そして二度とアクセスさせないようにすればいい」
[それは人の身になるということか?]
「そう、今あるマテリアルが損壊してしまえばそれで終わり、別のマテリアルに移すことが出来ない以上、それは死と同じ意味があるわ」
[…それを仮に受け入れたとしても]
「ノヴァグがいるわ、この街を守る為なら…このままスイには…」
テンペスト・ガイアの目論み通りにあの子が、全てのノヴァグに消去プログラムを流入させるのを待つしかない、つまりは助けない。
[見殺しにするということか]
「…………」
数の天秤にかけてしまえば済む話し、しかし私にも情はある。あれだけ母親になれと迫ったあの子を邪険に扱っていたが、今となっては我が子も同然、さらにはピューマ達もそうだ。見放していい存在などありはしない、けれど...
ガイア・サーバーからデリートプログラムが順次データを染め上げていくのを、体が蝕まれていく思いでただ眺めていた。すると通信が入った、諦めかけていた私はまるで責められているかのように、恐る恐るその通信を取った。相手は私に「母」としての自覚を与えてくれたナツメからだった。
[状況は?]
「…よく聞いてちょうだい」
今起こっている事を掻い摘んで説明し、スイに差し迫った選択を、まるで委ねるようにして伝えた。その返事はとても呆気ないものだった。
[スイを助けてくれ、ティアマトにはそれが出来るんだろう?]
「……いいのかしら、それだとノヴァグにこの街が蹂躙されてしまうわ」
[倒せばいい、それだけだ]
「…………」
[あいつを見殺しにして成立する未来に興味はない、それに何よりアヤメが許さないだろう]
何て清々しい言葉か...私には到底持ち得ない言葉だ。
[それにだ、何の為にこんな遅くまで私達が訓練をしていたと思う?まさにこの時の為だ、ティアマトは政府に外出禁止令の要請をかけろ、それからスイを救ってくれ、後は私達が何とかする]
(あぁ…)
様々な感情が胸に押し寄せてきた、エモート・コアが騒ぎ立て宥めるように警報を発しているが、今はその騒がしさすら愛おしい。あの日、あの時、人に初めて会う直前に感じたものとは比べものにもならない感慨を味わった。
「…最後にいいかしら、あなたのその力強さは何のかしら」
[まるで今生の別れに聞こえる言葉だな]
「……………」
[なら断る、頼んだぞティアマト]
...私の言葉に何を感じ取ったのか、あっさりと断られそのまま通信を切られてしまった。けれどいい、やるべき事が決まった。
「イエン、今から言う手順でスイをサーバーから切り離してちょうだい」
[いいのか?]
最後の確認のために問うてきたイエンに、自信を持って答えた。
「ええ、頼もしい子らが何とかするわ」
78.b
到着したエレベーターシャフトにはこれでもかとクモガエルが密集していた、さながら虫の絨毯だ、わたし一人で対処出来るとは思えない。
「うぇえあんなに沢山…アマンナ大丈夫なの?」
「人手が欲しいです…」
「私のアサルト・ライフル貸してあげようか?」
(この人余裕なのかな…)
だから欲しいのは武器ではなく人の手だって言ってるだろ。アシュさんの笑えない冗談にいくらか張り詰めていた気が解れ、すぐに妙案を思い付いた。
「アシュさん、隣にあるレバーを握ってください」
「え、こう?」
「そう、その赤いトリガーを引いてください」
「え、こう?」
肩にマウントしてあるレールガンがろくに狙いも付けずに炸裂した、当たり前だが。弾丸は地上にいるクモガエルではなくエレベーターシャフトの壁に着弾し盛大に穴を穿ってみせた。
「…………」
「…………」
白煙を上げ、タイタニスが必死こいて作ったエレベーターシャフトの壁が無残にも落ちていった。下にいたクモガエルを巻き添えにしながら今度は土煙を上げている。
「いや、狙いを付けてからですよ?」
「下手くそか!今の説明になってないから!」
「とにかく!機体操作と両腕のトリガーはわたしがしますのでアシュさんは肩をお願いします!」
「通訳!誰か通訳して!」
一人で処理するにも限界があるなら二人でやればいい、両腕と肩にある武器は一度に操作出来ないので片方をアシュさんに分担してもらう考えだった。何度かレバーをがちゃりながら感覚を掴んだアシュさんが、今度はきちんと地上に向けて照準を合わせた。
「アリンさんを抱えながらよく出来ますね」
「アマンナ、一度私と話し合いをしようか」
「え、これでも褒めてるつもりなんですが…」
「君には色々と言いたい事がある……ん?あれ、何か敵の様子がおかしくない?固まってない?」
アシュさんの言った通り行進を開始しているクモガエルの中に、攻撃していないのに崩れ落ちて動かない個体が現れ始めた。それも至る所に、集団のど真ん中であったり端っこであったり、燃料切れかと思うけどあのクモガエルがエネルギーを必要としているのか分からない。
「私の誤射にビビったのかな?」
「そんなはずは…とにかく今のうちに数を減らしましょう」
後はひたすらアシュさんと一緒になって攻撃を続けた、人型機のアサルト・ライフルの前にはクモガエルなどただの的だ、紙切れのように吹き飛んでいく、さらにレールガンの攻撃も相まってわたし達の周囲にいるクモガエルが目に見えて減っていった。
「まるで無双系だね」
(何だむそうけいって、初めて聞いた)
落ち着いたらまたアヤメの端末で調べようと気が抜けた途端、わたしをロックオンする敵が現れた。コクピット内にアラートが鳴り咄嗟に体を捻った、地上に向けていた照準が再び明後日の方向を向いてまたしてもエレベーターシャフトに穴が空いてしまった。
「撃つなら撃つと言ってください!」
「避けるなら避けるって先に言って!」
駄目だ、この人とは間が合わない。エレベーターシャフトの壁が崩落し、崖崩れのように壁が落ちていくがわたしを狙った敵はまるで意に介さないように歩みを進めていた。
「げっ!あれ何!ボス?!」
「あいつは、何で復活してんの?!」
エレベーターシャフトから現れていたのは、オーディンと一緒になってやっつけたはずの大型のクモガエルだった。瓦礫が当たってはいるが装甲板に弾かれ全く効いている様子がない、挙句、近くにいた小さいクモガエルを踏み潰しながらこちらに向かってきていた。
「あーあーあー、あれ勝てるの?!」
アシュさんの疑問には答えられそうにない、体中の至る所から射出されたワイヤーがこちらに向かって飛んできたからだ。ワイヤーと言っても人型機の腕ぐらいはある太さを持っている、食らってしまえばひとたまりもない、簡単に切断されてしまうだろう。エレベーターシャフト前に広がっている森を切り刻み、味方のクモガエルをも巻き込んでいった。
(一人は無理!けど!ここで引いたら街が!)
何とか態勢を整えて射撃の構えを取るがトリガーを引く気にはなれない、逃げた方がマシだと理性は訴えかけてくる。前回は皆んながいてくれたから戦えたけど、一人だとまるで勇気が湧いてこなかった。
[どうしたアマンナ、あの時のように戦ってみせろ]
再びオーディンから通信が入った、ほんとこいつはいつも急だな。
[あの時って何さ]
[しらばっくれるな、アイリスのペイントがされた機体と戦っていただろうに、あの不明機相手に立ち回った戦い方を忘れたとでもいうのか?]
[………]
カーボン・リベラの上空で戦ったあの事か...
[忘れたね、あれはアヤメのおかげだから]
[…………]
[何さ、何とか言いなよそっちが振った話しだろ]
[くだらんな、人がいなければ戦えないなどと]
[そっちこそ、子機を放ったらかしにしていいの?今だってお父上の為に頑張っているのに]
[貴様と違ってあいつは一人で立てる男だ…俺の買いかぶりだったようだなアマンナよ、この期に及んで他人への文句を言う奴は三下だ]
[この!]
切りやがった!そこまで言うならやってやる!どこから見ているのか知らないけど吠え面かかせてやる!
飛行ユニットに力を入れて素早く間合いへ飛び込んだ、待っていましたと言わんばかりに再びワイヤーが上下左右から襲いかかってきた。中にいるアシュさん達に心の中で謝りながら、およそ生身では行えない起動で避けていく。
「あぁマンナァ!もっと!ゆっくりぃ!!」
(乗っているのがアヤメだったら!)
これでも気を使っているんだ!静かにしててほしい!一方向でもワイヤーを防ぎたかったので地上すれすれを飛行したさらに肉薄する。大型のクモガエルはグガランナ・マテリアルの半分程、つまりは百メートル近くはある巨大だ、少し遠目には破壊されたエレベーターシャフトの入り口があった。見上げるようにしてレールガンの射線に入れて、アシュさんに預けていたトリガーをわたしが引いた。青白い閃光と共に弾丸が敵へと飛来し、頭部に着弾した、エレベーターシャフトと同じように白煙を上げてこれで落ちろと願ったが虚しい祈りになってしまった。
「そんな!」
着弾した衝撃で上向いていた頭を下ろした、ゆっくりとした動作だったがまるで効いていないのが明白だった。今度は敵の間合いだ、巨体に似合わない速度で前足を持ち上げわたしに目掛けて突き刺すように下ろしてきた。躱して、回避行動を取った先には別のワイヤーが迫っていて、それも何とか躱して上昇に転じたのが不味かった。
「!」
動きを読まれていた、敵の背中にあたる位置から二本のワイヤーが顔を覗かせてこちらに狙いを付けていた。それに気付いた時には空気が抜ける音と共にワイヤーが飛来し、わたしの右肩、それから左足を刈り取るようにして後ろへと流れていった。被弾した箇所のブースター全損、それに伴い機体速度の低下、鳴り響くアラート、突撃したことを心から後悔した。オーディンの言う通りだ、わたしはわたし一人では戦えない。
「諦めんなぁアマンナぁ!」
アシュさんが吠えたと同時に生き残っていた片方のレールガンが火を吹いた、失速して逃げる術を失っていたわたしに止めを刺そうと飛んできていたワイヤーを撃ち落としてみせた。
そして、
[その子の言う通りだ十九番機、諦めるのはまだ早い]
「……その声、その声は!」
[私だ]
アシュさんが空けてしまった穴よりさらに上、天から二体の人型機が降りてきた。青い七番機と白い一番機。畑荒らしと常勝不敗のアイリス、わたしの隊長と。
[お疲れアマンナ、後は任せて]
「わたしの愛する人ぉ!!」
[言葉が重過ぎる]
アヤメの機体が敵に照準を合わせて構えた、いつものクレセントアクスではなくいつものアンチマテリアル・ライフルだ。反動などものともせず(いや良く見れば腕に固定されているな)大型クモガエルの頭を狙撃していく。さすがに貫通能力が高い弾丸は不愉快なのか、クモのくせしてハエを追い払うようにワイヤーをやたらめたらと振り回した。しかし、ナツメもアヤメも避けない。
「ナツメこらぁ!わたしのアヤメを守れぇ!」
中にいた二人がぴくりと動いたような気がしたけど、守るどころか逃げる素振りも見せない隊長に怒った。それでも微動だにしない二人を怪訝に思うと一本のワイヤーがナツメを捉えた。
「なっ、」
[静かにしろ十九番機]
見えていないのかと名前を呼ぶ前に、ナツメが腕を払った、たったそれだけでワイヤーが切れてしまっていた。力を失ったワイヤーが事切れたように地上へと落ちていく、いつの間に抜刀していたのかその手はカタナが握られていた。
[やれそうか?]
[んー…殴った方が早いんじゃない?手応えがない]
[それだと私も来た意味がまるでないんだがな、上も上で大変だというのに]
[戻ったら?]
[……………]
何て緊張感の無い会話、さっきのわたしの特攻がバカみたいに思えてしまう。けれど、あの二人はそれだけ技量が高いことも示していた。おそらくあの大型クモガエルですら倒せてしまう相手なのだ。
[お前は援護、私が前に出る]
その言葉を受けてアヤメが再度照準を敵に合わせた、ナツメが緩やかに機体を降下させて敵に近づいていく。大型のクモガエルがワイヤーを連続で射出してナツメを落とそうとするが、アヤメの狙撃に一本ずつ丁寧に撃たれ狙いをずらされている。見えない壁に守られたナツメがカタナを上段に構え、カニのハサミのような飛行ユニットから爆炎を上げて斬りかかった。何度も射出されるワイヤーを避けてナツメが前脚の根本を一閃し、銀色の切り子が宙を舞った。敵に効いているようには見えない、それが分かっているのか敵の懐に入り込んだナツメが何度もカタナを振った。切断されていく敵の残骸がこな吹雪となって舞い上がり、ついにその巨体を傾がせた。
[後は頼んだ]
[結局私かよ]
[お前…少しぐらいは感謝の意を表明してくれてもいいんじゃないのか?仕留めやすいように動きを封じたんだぞ]
[それを言うならこんな夜遅くまで訓練に付き合った私に労いの言葉をかけるのが先じゃないの?]
[そこまで言うならベッドの上で労ってやろう]
[その言葉忘れるな]
「忘れろぉ!」
わたしの叫びは虚しくもアヤメには届かなかったみたいだ、白い機体を覆っている装甲板がパージされ、肉厚の刃を形成しさらに凶悪になったクレセントアクスが生まれていた。あんなものを振り回せるアヤメはやはり化け物、テッドが言った通りだ。刃にも組み込まれたブースターを操作し、ナツメと同じように上段に構えた。刃のブースターから発せられる光によって機体の頭部に影がさし、青く鋭いカメラアイだけが爛々と輝いて見えた。一際強くカメラが輝いた後、肉厚のクレセントアクスが人型機と同じ出力を持ったブースターに押され、一直線に大型クモガエルへと襲いかかった。インパクトの瞬間さらに加速させたのか、まるで流れ星が目の前を通り過ぎたかのように眩しくなって何も見えなくなり、およそ人型機が出せるものではない破砕音が襲ってきた。カメラの調節が済んだ頃には、大型クモガエルの頭部を殴ったはずのアヤメの機体が地面まで穿ち、流れ星を頭に叩き付けられた敵の頭部が今にも取れそうになっていた。
「こっわ、お願いだからアヤメはわたし達の味方でいてね」
率直な感想だった、ほんと敵じゃなくて良かったとアヤメの機体を見るたびに思う。
[失礼な、これでも機体を飛ばして駆けつけたっていうのに]
[スイのおかげか、マキナのせいか、周囲にいるクモガエルは軒並みダウンしたようだな]
「は?スイちゃんのおかげ?何言ってんの?」
[説明は後だ、マキナの手下かは知らんが新手が来たようだ、アヤメはアマンナを回収して街まで下がってくれ]
ナツメの言葉が頭に入ってこない、それに壊れた頭部を無理やり上空に向けてみれば、鳥を思わせるデザインをした人型機がこちらに向かって飛んでくるのが見えた。そして、全周波で話しかけてきたその声を聞いて、突撃し半壊してしまったことを心から悔やんだ。
[テンペスト・ガイアの命を受けこれより武力介入を行います、どうか下がってくださいお二人とも]
プエラ・コンキリオ、ひねくれらの声だった。
✳︎
[見てみろオーディン、司令官が人間と敵対しているぞ]
[何?奴らの味方ではなかったのか]
[ウロボロスが仮想世界で上官にこき使われているのを見たと言っていたが…何故くら替えしたんだ]
[それは分からんが…あのノヴァグを加勢するに見るに、けしかけたのは間違いなくテンペスト・ガイアということだな]
[だろうな、何故だと思う?わざわざ中層の街にノヴァグを放った理由が分からない]
[人間を殺す…ためではあるまいな]
[あぁ、それならカーボン・リベラの為に作り上げたビーストを破壊しには来ないだろう、あの時も司令官には世話になった]
[ここで返すのか?]
[それもいいが、ノヴァグを一斉起動させた理由の方が気になる]
[それについては貴様の方が明るいだろう、何か思い付くことは?]
暫く無言が続いた、やはり何か知っているのだろう。
[…………あるにはあるが、調べる必要がある]
[そうかならば好きにしろ、俺は暫くあの街に出入りすることになる、用向きがあればすぐに連絡してくれ]
[まかり間違っても、]
[人間と馴れ合うことはない]
[ならいい、後は頼んだ]
[少しいいかしら二人とも、話しがあるんだけど]
[!]
[!]
ディアボロスと通信を切ろうかという時にグガランナが割って入ってきた。
[何の用だ]
[エディスンの山についてよ、何か知っていることは?]
[質問の意図を話せ、答えるにも答えられない]
[深読みはしないでちょうだい、そのままの意味よ]
[山は…あれだろ?ほら、昔は海だった頃に作られたあれだろ?]
[ここで?ここで何故どもるのだ、さっきまでの威勢はどうした]
[オーディンは何か知っているかしら、登山道を登ってすぐにある銅像について]
[すまんが他を当たってくれ、それよりいいのかグガランナ、貴様の仲間が司令官と戦っているというのに遊び回っているようだが]
[遊び回っている訳ではないわ、何も知らないのね]
[そうだと言っている]
[ならいいわ、邪魔をしてごめんなさい]
すぐに切れてしまった...随分と淡白な態度に思えたが...どもっていたディアボロスも黙っている。
[今のは何だ?]
[あいつ…まさか…オーディン、司令官の監視をしてくれ、急用が出来た]
[知り合いもいないお前がか?どんな言い回しだ見栄を張るな]
[うっさいんだよ!人間にうつつを抜かしているお前に言われる筋合いはない!]
[俺の話しを聞いていたのか交渉すると言っただろうに!さっさと行け!]
怒鳴りつけた後、ようやく通信を切った。奴が根掘り葉掘り言わないのは今に始まったことではないが、過去のテンペスト・シリンダーを記録したアーカイブデータから帰ってきて、それがより一層顕著になった。そしてグガランナのあの態度、決して無関係ではあるまい。
中層の空で繰り広げられている味方であった者同士の戦いを、その後も暫く眺めていた。
78.c
「どうだ?」
「ん〜…ダウンしてるっぽいな…」
「それは見れば分かるよ」
「おい、何があったんだ?」
ハッキング野郎に声が届いて怒らせてしまったのか、公民館にいるピューマ達の様子がおかしくなってしまった。間近で大声を出されたライオンも、そのライオンを守っていた他のピューマ達も皆んな床に伏せている。ティアマトから緊急の呼び出しを食らったテッドが引き返した後、突然動かなくなってしまったのだ。ティアマトに連絡してみたが今は待ってほしいと言われ待機していたが、どうにも放っておけなくて孤児院で眠っていたリコラ達を叩き起こして引っ張ってきたところだった。
寝巻き姿のリコラがライオン頭を撫でたり叩いたりして、反応を見ながら口を開いた。
「体がわるいってわけじゃなさそうだけどな」
「マテリアルの不具合じゃないってことか?」
私の質問に答えたのはリコラではなく、ダボダボのシャツ一枚という際どい姿のフィリアだった。
「どっちにしても、こんな一気に悪くなったりするかな、何か変だよ」
「変なのはフィリアのかっこう、ふにゃあ…」
突っ込んだ後にあくびをしているリプタ、この三人には特別おかしなところは何もない。
「そういうお前達は平気なのか?どこか変とか感じたりしていないか」
「ないかなぁ…」
「ZZZ…」
「このシャツは変だと思うけどね!」
(何かがあったのは間違いないんだよな、だからテッドが基地へ引き返したわけだし…)
ぐったりとしているピューマを見て、ただただ焦燥感が募っていくばかりだ。ライオンの頭が少し動いたので近寄ろうとした時に、ポケットに入れてあった端末から無視出来ないアラートが鳴った。その大きな音に眠っていたリプタが飛び起き、リコラやフィリアも驚いている。
「何この音!デカすぎだろ!」
この音は特別警報、端末の設定に関わらず必ず知らせるようになっている。内容は外出禁止令だ。さらに街灯スピーカーから深夜にも関わらず警報が発令されたことを知らせていた。
「な、何これ、なんかこわいんだけど…」
起きたばかりのリプタが動物の耳を下げて眉を曇らせている、無理もない、わざと不安を煽るような言い方をしているんだ。私の手を取ってきたリプタの頭を撫でた後、ティアマトに事情を聞き出そうと端末を操作していると公民館の前に何台か車が停まり、何人かが急ぎ足で中に入ってきた。
「何?ここ避難所なの?」
「いや、そんなはずは…」
周りに気を配らないその足取りに不機嫌さを隠さないフィリアを後ろに回し、怒り肩で私達がいる所までやって来た人らと対面した。顔を合わせるなり開口一番、
「今すぐにそいつらを追い出せぇ!ビーストがここまでやって来るだろう!」
ピューマを追い出せと言い放ってきた。
「ビーストはもういない!おかしなことを言うな!」
「だったらこの禁止令は何だ!そこにいるビーストの子供を迎えに来たんじゃないのか!ずっとおかしいおかしいと思っていたんだ!」
「そうよ!どうしてビーストと同じ姿をしているのよ!どうせそいつらがおびき寄せたんでしょう!」
「違うと言っているだろ!いい加減にしろ!」
やんちゃで生意気なリコラですら、怒りで顔を染め上げた区の人間に臆し私の後ろに隠れた。言い返したのはフィリアだけだった。
「アオラの言う通りだよ、私たちはビーストの子供じゃない」
「なっ?!何だ、その姿は…」
「外見が何か関係あるの?あなた達の顔の方がビーストよりよっぽど怖いよ」
「何だと?!こっちは街の安全のために抗議をしに来ただけだ!おい君!その子供は何だ!」
「この子らもピューマだ!事情があって人の形をしているけどこいつらの仲間なんだよ!」
「そんなデタラメばかり!誰が信じるというの?!いいから早くこの区から追い出してちょうだい!」
「追い出したところで何になるって言うんだよ!こいつらが可哀想だろうが!この姿が目に入らないのか?!」
「君はそいつらの味方をするというのか?!ビーストに襲われるかもしれない我々の味方はしないというのかね!!」
無神経に指をさし糾弾してきた壮年の男を睨み付けた、答えに窮してしまったからだ。グガランナに八つ当たりをして、ナツメにも同じようなことをして、マキナの味方はしないと啖呵を切ったそばからこれだ。ナツメに言ったことを守るなら男が言ったように追い出すべきかもしれないが、それは違うと頭も心も分かりきっていた。
そして、私は迷いを断ち切るように言い返した。
「私は私が味方だと決めた相手を守っていくつもりだ!誰かが一方的に得をするのも損をするのも許せない!ピューマも人も同じだ!」
「答えになっていない!どちらを守るのかと聞いているんだ!」
「両方に決まってんだろ!さっきから何度も言っているがって、何だ?!」
ヒートアップしてしまった私の腕をフィリアが引っ張り、口から出かかっていた言葉が引っ込んだ。見ているのは私ではなくその後ろ、床に伏せているピューマ達を見ていた、その視線につられて後ろを見やれば動かなくなっていたはずのあのライオンが体を起こそうとしていた。
「…………」
「…………」
言い合いをしていた男もただ黙って見ている、フィリア達も何も言わない。この場にいる皆んなが突然動き出したライオンに視線を注いでいた。立ち上がったライオンはゆっくりと一歩ずつ前に歩き、しっかりと頭を上げて男を見据えていた。
「な、何だ、何故寄ってくるんだ…」
私にも分からない、何故ここまで文句を言って敵意を隠そうともしない奴に近付こうとしているのか。今すぐに辞めさせたかったが、何故だかそれは躊躇われた、ライオンの歩く姿があまりにも雄々しく見えたからだ。邪魔はするなと、その姿が雄弁に物語っていた。そして、男の前まで来たライオンがその場で伏せの姿勢を取った。
「こ、これは、何をしているんだ?」
私の代わりに答えてくれたのはフィリアだ、その言葉を聞いて呆気に取られてしまった。
「仲良くやりたいってさ、その意思表示だよ」
「……………」
「あれだけ文句を言われたのによくそんな事ができるね、怖くないの?」
私らに言った言葉ではない、ライオンに向かって言われたものだった。
(こいつは…自分から歩み寄ろうとして…)
フィリアの言った通りだ、私だったら絶対に無視をする。文句を言う奴なんかと誰が仲良くするかと邪険に扱い遠ざける、しかしこいつはそうじゃない。仲良くやりたいと自分から歩み寄り頭を下げた、人間にだってなかなか出来ないことをこいつは目の前でやってみせた。
向こうも呆気に取られ、どうしたらいいのか分からないように身動き一つしていない。
「……なぁ、そいつの頭を撫でてやってくれないか?思いに応えてやってほしい」
「…………」
「私にはここまでの勇気はない、あんたらと敵対してでもこいつらを守るつもりでいた、けどその相手が仲良くやりたいって言っているんだ、私は尊重するよ、あんたはどうなんだ?」
「…………」
「撫でてみろよ、私ら何かよりよっぽどあったかいぞ」
男が身を屈め、恐る恐るライオンの頭に手を置いた。
「冷たくない……」
「だろ?見た目がこんなくせして人間みたいにあったかいんだよ」
何がいけなかったのか、いや、そもそも動けないでいたはずの他のピューマ達が一斉に襲いかかってきた。
「wptpmp!」
「tgjpmg!」
「ちょ!何だお前らっ?!」
「wpmgmp!」
「いだだだ!さっきの続きかっ?!」
「見た目をいじられたの怒ってるんだよ」
「フィリアまじれいせい、しつぼうする」
「お前わざとまちがえてるだろ、そんしつするだぞ」
襲ってきたピューマにしっちゃかめっちゃかにされながらも、男が小さく「すまなかった」と謝っているのが聞こえた。
✳︎
[スイとピューマの切り離しは終わった、後はノヴァグと本人だけだがマテリアルはどうするんだ?]
[どうするも何も元のマテリアルに戻せばいいでしょう?]
[戻れるのか?現状のマテリアルからこのような異変が起こったんだ、戻したところでまた同じ目に遭うのではないのか?]
イエンの言う事は最もだ、しかし...
データ管理ウェアからスイとピューマに結ばれていた線が消失し、デリートプログラムの魔の手から逃れられたことが表示されていた。あと少しでカーボン・リベラに移住してきた全てのピューマ達が息絶えるところだった、ディアボロスの襲撃で対策を取ったことが裏目に出てしまうところだったのだ。それらを眺めながら思案する、サーバーにアクセスさせなければ済む話しだが、サーバーからアクセスを求められた場合それを拒否できる術がない、これらの一連があの上官が引き起こしたのであれば再度手を打つことは容易に想像することが出来た。
スイとピューマを結んでいた線が切れたかと思ったが、さらに線が伸びていることに気付いた。
「これは…」
私が過去にピューマを創造するため利用した生物データだった、ガイア・サーバーのアーカイブに残された、地球時代では当たり前のように生を謳歌していた生き物達だ。
(これね…スイのマテリアルに入って粗相をしていたのは…)
[ティアマト?]
考え事をして返事を返さなかったことに、イエンが探るように声をかけてきた。
「いいえ、マテリアルに関しては、」
[私の方から提案があるわティアマト]
この声は...
「グガランナあなた!今の今までどこに行っていたのよ!スイの一大事という時に!」
行方をくらましたはずの不良娘から唐突に連絡が入った、こちらの罵声に怯まないグガランナが続きを話した。
[そんな事ぐらい分かっているわ、誰のオリジナル・マテリアルだと思っているのよ]
「そんな事?あなたにとっては些事だと言いたいのかしら」
[ティアマト?何を怒っているの?私はただ事実を言っただけよ、それよりスイちゃんのマテリアルをコアルームに運んでちょうだい]
...本当に、あのグガランナなのだろうか、人が変わったように声音が揺るがず淡々とした口調で続けている。
「……何か手があるのね、けれどスイのマテリアルはここには無いわ、前に大怪我を負った女性の元に預けられているの」
[すぐに回収してちょうだい、時間がない]
...かいしゅう、回収?まるで物のような言い方が癇に障り怒鳴り声を上げてしまった。
「あなたはスイの事を何だと思っているのよ!まるで人ではないみたいな言い方をして!そもそもあなたが作ったマテリアルでしょうが!」
向こうも癇に障ったのか怒鳴り返してきた。
[いい加減にしてちょうだい!あの子が今苦しんでいるのは私とあなたのせいでしょうが!誰があの子に命を与えたと思っているのよ!心と体!知らないなんて言わせないわよ!]
その言葉にはっとした、そして私が怒っていた理由もよく分かった。
「……………えぇそうね、全くその通り、今からスイを引き取りに行くから待っていなさい」
[そんなぽっとで女に負けるな、母親はあんたでしょうが、親の威厳を見せつけろ!]
昔の口調に戻った不良娘に発破をかけられ決心した、黙ってやり取りを聞いていたイエンも、
[激しい女が揃っているな、実にいい、ここに来たのは間違いがなかったようだ]
「イエン、聞いていたわね」
[早く迎えに行ってあげろ、スイも喜ぶぞ]
コンソールから素早く立ち上がり艦体の外へ向かった。今頃、襲来してくるノヴァグに備えて実験部隊、それからテッドの機体が防御戦線を構築しているはずだ。
艦体の外に出てみれば早速見えてきた、緑色の機体が中央に陣取り、さらに極大射程を誇る電磁投射型対物ライフルを構えていた。その周りにはカサン達の機体、いつの間に部隊名を付けたのか「リバスター」と呼んでいた。
出来ることなら、人型機より倍の大きさがあるあの化け物ライフルは使わせたくないと念じながらテッドに連絡を入れた。
「テッド、今からスイを迎えに行くわ」
[え?!今ですか?!外出禁止令が出てるのに?!]
「平気よ、すぐに戻ってくるわ」
[自分から牢屋に入りにいくのか、何処へ行くつもりなんだ]
リバスターの隊長、お星様からも呼び止められた。
「スイを迎えに行くの、今回の騒動を終わらせるためにも」
[………あたしの方から連絡を入れておこう、母親が迎えに来るから覚悟しておけとな]
「お願い、それと一人借りてもいいかしら?」
[それなら私が行きましょう!いい加減この機体から……いや!何でもありませんよ!]
[お前馬鹿か?それ降りたいと言っているのと同じだからな、帰ってきたら覚悟しておけ]
[やー、お星様になった隊長が言うと怖いですね]
[何ならお前も星の川に流してやろうか?あたしの恐怖を堪能してくるといい]
くだらない言い合いをしているこの人らも、今となっては愛おしい。それもこれも全て、他者と関わり続けられた結果と言えよう。私一人では到達出来なかった心境だった。
「マヤサ、車を出してちょうだい」
[了解!リアナ!ナビよろしくね!]
[先に目的地を言ってからにして!]
星の川、ただの語呂合わせか、英語を教えたのはテッドだろう、夜空に浮かぶリバスター部隊の機体と天の川を一瞥してから駐車場へ向かった。
✳︎
[プエラ!いい加減に答えろ!お前は私達と敵対するのか!]
アマンナの声しか聞こえない、おかしな巨人の中から第一部隊長の叫び声が何度も聞こえてきた。
(プエラ…プエラって、あの子よね…どうしてここに?)
巨人が地面に倒れた衝撃でいくらか体を痛めてしまった、空を飛ぶ、などという経験は今までに一度もしたことがなかったので何度も奇声を上げてしまった。あの足元がぐらついて、底に落っこちてしまいそうな感覚...未だ体に残っていた。どうやらアシュは平気なようだった、空から眺められる光景にいたく興奮していたようで私の体を掴んだり揺すったり、喜びを共有したかったのだろうがそれどころではなかった。
[何故クモガエルを庇うんだ!お前も私と一緒になって逃げたことがあるだろう!忘れたと言うのか!]
ナツメ隊長の悲痛にも聞こえる叫びはまだ続いていた。そうだ、プエラだよ、本当にあの子なの?いつもはバーサーカーと一緒にいたくせに、くも...なんたらと呼んだ敵を庇うというならバーサーカーも怪しくなってくる。
「アシュ、あれ本当にあの子だと思う?」
「いや、その前に退いて…くれませんか…抱きついたままなのはちょっと……」
「?!」
勢いよく体を起こしてアシュから離れた、そういえば抱きついたまま安心してしまっていた。離れてアシュの顔を見やれば奴も赤らんでいる。
「か!勘違いしないでちょうだい!姿勢が楽だったからそのままにしていただけで、決してあんたがどうのこうのじゃないから!」
「ツンデレかよ」
「ツンデレですか」
アシュとアマンナに同時に突っ込まれてしまった。
「それよりアマンナ!これはどういう事なの?!どうしてアマンナが巨人になっているのよ!」
「わたしは説明が苦手なので簡単にしか言えませんけど、この巨人は人型機という名前です、それとわたしはマキナなので…あー…とっかえひっかえ出来るんです」
「じゃああの女の子も巨人もアマンナということなの?」
「え〜…まぁ、そうなりますかね、わたしはマキナなので直接人型機を操れますが、人だったら今アシュさんが座っているところから操縦します」
「それじゃあ、今プエラと戦っているナツメ隊長はあの青い巨人の中にいるってこと?」
「はい」
「何となく分かったけど…アマンナはもう動けないの?」
「はい…何度か試したのですが無理そうです…」
沈んだ声でそう答えた。
「……どうすれば助かるの?」
「え?助かるって…わたしよりアリンさん達の方が危ないですよ、それをどうするか考えないと」
「アマンナにはモールで助けてもらったから、そのお返しがしたい…んだけど、まきなとかよく分かっていないから…」
「……………」
アマンナから返事が返ってこない、余計な気遣いかと思った矢先、巨人の中から別の声が聞こえた。
[この借りは高くつくぞ赤いの]
[お願い、今はあんたにしか頼めない]
[…了解した、お父上にも内密に行う、少し待ってくれ]
「え、今のイケボは誰ですか?」
「いけ…?別の機体に応援を呼びました、すぐに到着するはずなのでそちらに乗って街の方へ避難してください、敵の数はかなり減りましたがまだまだ危険です」
「アマンナは?どうするの?」
「わたしなら平気ですよアリンさん」
「心配してくださってありがとうございます」、そう優しく呟いた後何も聞こえなくなってしまった。どうしたもんかとアシュと顔を見合わせていると、アマンナの言った通り別の巨人、ひとがたきが空から現れた。アマンナとは違って青色と黄色の二色だった。
[こちらに来てください、街まで安全に届けましょう、怯える必要はありません]
「…………」
「…………」
さっき聞こえた男の声だ。確かに声はかっこいいが...眉間にしわを寄せたアシュと頷き合い、ひとがたきから降りて全速力で森の中へと駆け抜けていった。
来てください?怯える必要はありません?さっきはタメ口で話していたくせにどうして敬語を使うのか、工事地帯で散々嫌な思いをした私とアシュは信用することが出来ず、応援を呼んでくれたアマンナには悪いと思ったけど自力で逃げることにした。
振り返った先には呆然と立っているように見えるひとがたきと、変わらず空で戦っている巨大な鳥とナツメ隊長が乗っているという青いひとがたき、それから白いひとがたきの姿が見えた。
✳︎
あれ?何であいつに乗らないんだ?
[お邪魔しまーす]
「うわぁ?!アマンナ?!急に入ってこないで!」
わたし専用の人型機が大破してしまったので、代わりにまたアヤメの人型機にお邪魔させてもらうことにした。さっきまで寝そべっていたわたしの人型機から一目散に森へ駆けていく二人が見えていた。あの野郎に何か言われてしまったのか...後でとっちめないと。それよりも今はプエラの対処が先だ。
[アヤメ、わたしに操縦権を預けて、プエラを追い払うから]
「………それは、でも…」
優しいアヤメのことだ、ひねくれらが銃を向けてこようとも敵対したくなかったのだろう。あのナツメもそうだ、呼びかけているだけで攻撃は一切していない。それだというのにひねくれら...いいや、プエラ・コンキリオはお構いなく攻撃を続けていた。
(わたしだって嫌だ…けれど、わたしがやらないと、ここからいつまで経っても抜け出せない)
[お願いアヤメ、わたしに預けて]
「……倒すの?」
[いいや、追い払うだけ、それか追いかけられないように半殺しにするだけだから]
「……………」
まだ悩んでいる。こんなに優しい人にすら迷惑をかけるあいつが許せなかった。理由も言わずに勝手に抜け出して、ようやく会いに来たかと思えば銃を向けてくるだなんて。一発殴ってやらないと気がすまない。
[アヤメよく聞いて、わたしやひねくれらはマキナ、マテリアルが大破しても死んだりはしない、けれどアヤメもナツメもその体は一つっきりなんだよ、もし何か間違いがあったらいけないから追い返すの]
「……分かった、預けるよ」
わたしのナビウス・ネットを介して人型機の操縦権を掌握した。
[隊長、いつまでやってんすか、さっさと終わらせましょう]
[この声は…アマンナ?!お前こそ何をしているんだ!]
[隊長とアヤメの代わりにわたしがひねくれらを追い返します、いいですよね]
[そのふざけた口調は何だ!お前に敬語を使われると何か企んでいるのかと勘繰ってしまうからやめろ!]
[何だと!人の気も知らないで!ナツメとアヤメには無理でしょうが!わたしがやるって言ってんの!]
プエラ・コンキリオの機体が、さながら鳥のように上空を旋回して様子を伺っている。あの余裕ある飛行に腹が立った。
[プエラ!聞こえているんでしょ!今すぐやめないならわたしが相手になるよ!]
[また面倒臭い……やれるものならどうぞ]
腕に固定されていた対物ライフルを持ち上げ、レティクルを合わせる前からトリガー引き絞った。赤いマズルフラッシュと共に放たれた徹甲弾が鳥型の機体を捉え、その翼に穴を空けさせた。
[こいつ?!それはアヤメの機体でしょうが!何でそんなものに乗っているのよ!]
名前を呼ばれたアヤメがパイロットシートで激しく反応した、そして今まで黙っていたアヤメまでもがプエラ・コンキリオに呼びかけていた。
「プエラ!お願いだからもうやめて!私だってこの機体に乗ってるんだよ?!アマンナだって本当は戦いたくないのに無理してやってるんだよ?!」
[…っ]
「プエラ!」
[…上官の命令は絶対です、このノヴァグを援護するように指示をもらっています、そちらこそ引いてください]
[はっ!今さら強がっても遅いんだよ!アヤメに攻撃されたと思ってビビったんでしょ!このひねくれらっ!]
返事の代わりに鳥型の背面ユニットが翼を広げるように展開した、まさしく大鳥、そしてその翼の先端を曲げてこちらに向けてきた。何をするのかと思えば、対物ライフル同様にマズルフラッシュが発生して射殺さんばかりに弾丸の雨が降ってきた。
[?!]
慌てて避けるが間に合わない、いくらか被弾してしまったがこの機体の装甲板は優秀なようだ、傷一つ付いていない。
[プエラ!今すぐにやめろ!お前を攻撃せざるを得なくなるぞ!]
[やれるものならどうぞ、優しいあなたに出来ますか?]
[何だと…ナツメ、諦めて]
[………そのようだな、口でも聞かないなら仕方がない]
「ナツメ!本気なの?!」
[あぁ、私は街とお前を守ることが先決だ、プエラ、最後に聞くが…いいんだな?]
[…………]
[無言は肯定と捉えるぞ、覚悟しろ]
ナツメがその手にカタナを構えた、説得を諦め敵対することを選んだようだ。
もう一度プエラが翼を構えた、ナツメがカタナを構え、わたしも対物ライフルをプエラ・コンキリオに向けている。次、どちらかが撃てば後戻りが出来なくなる局面で、コンソールから可愛らしい声が決然とした雰囲気を伴って聞こえてきた。
[今すぐにやめてください、アマンナお姉様、それからプエラさん、ここにいるノヴァグは私が連れて行きます]
78.d
「良いのだな」
「はい、構いません」
「それならば結構」
海の上に、海中に落ちることなく私とライオンさんが立っていた、いや座っている?とにかく消えたはずのライオンさんも一緒にいる、そして再会したライオンさんは威厳のある低く聞き取りやすい声で話しが出来るようになっていた。
虹色に輝いていた海面は、今では月明かりを受けて消え入りそうな光を反射しているだけだった。最後に一つだけ、私の足元に虹色の泡が残っている。あの日、アオラさんに命がけで助けてもらった時に夢見ていたあの大型クモガエルのものだった。
(あれは現実だったんだ…もうすでに、皆んなに迷惑をかけていたんだ)
白いハエ、青いハエ、そう認識していた相手はアマンナお姉様やナツメさんの人型機だったのだ。
「下のいる者をこちらに引き込めば後は万事解決する、そなたの街にいる虫共も戦うことなく屠れることだろう」
「はい」
「虫共の王だけは切り離すことが出来んようだ、街にいるそなたの臣下が手を尽くしたようだがな」
「……は?臣下?」
「左様」
臣下?何を言っているのこのライオンさんは、臣下じゃない、私の大切な人達だ。
「……どちらでも、これ以上迷惑をかけたくありません、私が助かることがあの虫を生かしてしまうのなら、あなたの王国に連れてってください」
「もうこちらに戻ってくることは二度とない」
「構いません」
だからさっきからそう言っているでしょ、気持ちが揺らいでしまうから早くしてほしい。
このライオンさんに全部教えてもらった、私の身に何が起こっていたのか。あやふやな記憶はサーバーで繋がったピューマやノヴァグのものだった。そして私は、あの女の人、テンペスト・ガイアという人に一元管理出来るようガイア・サーバーに組み込まれた存在だった。私を介してノヴァグを抹殺したかったようだけど、ライオンさんの言った通りティアマトさんか、マギールさんか、とにかくあの黒い雲を追い払ってくれたのだ。しかし、あの大型の虫だけは強固に繋がれたままだった。
「良かろう、そなたの勇気に敬意を表して女王の名を授けよう」
「要りません」
「……そうか」
寂しく微笑んだライオンさんがお尻を上げて歩き始めた、向かう先はあの大きな塔だ。
本当は嫌、嫌に決まっている。皆んなから離れたくない、一人ぼっちになりたくない。どうして私なんだ、どうして私がこんな目に遭わなければいけないんだ。一人で生まれて一人でひっそりと居なくなってしまうなんて耐えられない。これなら自意識を消失して微睡みに浸かっていた方がましだ。
(でも…)
皆んなが危険な目に遭ってしまうのはもっと嫌だった、あのノヴァグ達は何度でも自己修復を行い街に攻め入るはずだ。それを防ぐには、街を脅威から遠ざけるには私がライオンさんの王国に連れて行くしかない、それしか方法がなかった。そして、私にはそれが出来る。だから決意したんだ、皆んなにはこれからも笑っていてほしいから、平和で安全な街で生きていてほしかったから。
もう、塔は目前にあった。夜空に浮かぶ雲をも突き抜け堂々と聳え立っている、ここに入ってしまえば二度と私は出られない。
「歓迎しよう、涙を拭けスイよ」
「……泣いて、いません」
「そなたは私の呼びかけに応えた勇敢な者だ、胸を張れ」
ゆっくりと歩き始めたライオンさんの後を追う。私達が歩いている海面から新しい虹の泡が浮かび上がってきた、肌の黒い女の子や真っ白の髪をした、どこかプエラさんに似ている人、それから海の中を泳いでいる人や、怖そうに顔をしかめている人、とにかく沢山の泡が私とライオンさんを迎え入れてくれているように感じた...けど、ちっとも嬉しくない!私が欲しいものはこんな他人の記憶ではない!
「ライオンさん!最後に一度だけでもどうか!」
「それはならん、もうここは我らの領域だ」
「……そんな、せめて最後に一度だけでも皆んなを見たかったのに…」
「案ずるなスイよ、記憶の中にある」
「……………」
下を向いた、涙が溢れ落ちた。虹の泡に当たって弾けて消えてしまった。これからこんなに寂しい思いを抱いていかなければいけないのか、これが皆んなを救った代償だと言うのか、それはあんまりだ。
私の涙が当たった虹の泡から、人の手がにょきっと生えてきた。
「掴まえたわよスイちゃんっ!」
「?!」
「悪いけどこの子は連れて帰るわ!」
「グガランナお姉様?!」
間違いない!この声はグガランナお姉様のもの!
「良いのか?虫共がそなたらの街を襲うことになっても」
「あなたに関係あるかしら?!スイちゃんを励ましてくれたことには感謝するけど、ここまで誰も望んでいない!皆んなスイちゃんを助けるために動いていたのよ!」
私の足首を掴んでいた手に力がこもった、そのままずるずると引っ張られていく。意味の分からないこの状況でも、私の胸は踊っていた。
「ライオンさん!」
「良い、それよりスイよ、努努忘れるな、恐れは常に自身の胸中にあるということを、それを吹き飛ばすのは勇気であることを」
「はい!」
「そなたの母に伝えておけ、我らを利用した代価はいずれ払ってもらうと」
「はい?」
言っている意味が...ぽかんとしてしまった私は掴んでいた手にいよいよ海の中に引っ張られてしまった。そして、私を可愛がってくれるグガランナお姉様がやっぱりいてくれた。
「もう大丈夫よ、遅れてごめんなさい」
「はい!絶対に許しません!」
「……スイちゃん?」
「わた、わたしを、ぜったい、離さないって、や、約束、してくれないと、ゆ、」
優しく胸に抱きしめられて深い、深い海の底へと沈んでいった。
「当たり前でしょう、あなたの居場所はここよ、それとあなたに言っておきたいことが…」
流れる涙を拭いて、嗚咽を我慢してから答えた。
「わ、私が、人と同じになってしまうんですよね、そんなの、へっちゃらです、お姉様に付いて行きますから」
「……知っていたのね、安心して、とびっきりのマテリアルを用意したから」
「はい!」
深い、深い海の底には、グガランナお姉様の艦体があった。興味を持ったイルカさんが艦体の壁を鼻でつつき、さらにその周りをアザラシさんが泳いでいた。
もう、終わった。そう強く感じた時、私の体から力が抜けて、代わりに温かい鼓動に包まれていった。
※ 次回 2021/5/31 20:00 更新予定