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第七十六話 ブレイブ・ジャーミネイション

76.a



「アシュ!逃げてぇ!!」


 ゆっくりと持ち上げられた足を、惚けたように見つめていたアシュにスイッチが入った。目に力が宿り地面に落ちていたアサルト・ライフルを持ち上げ敵に照準を合わせる、トリガーを引くが弾が出ない。


「セーフティいいっ!!!」


「あ」


 私の二回目の叫び声に応えたのはカリンだった、射撃は得意じゃないくせに逃げることなく敵からアシュを守っていた。横から急な射撃を食らい、敵がたたらを踏んでいる隙にアシュがその場から離れた。そして今度はきちんとセーフティを解除してカリンと一緒に敵を攻撃していた。


「お前なんかなぁ!盛った男の人に比べたらちっとも怖くないんだよぉ!分かるか?!身の内から湧き起こる恐怖!」


「アシュ!ふざけてないで集中して!」


「カリンはいいよ何もされてないんだから!どれだけ怖かったと思ってんの!」


 分かりみが深すぎる、いや納得している場合ではない。今はとにかくこの窮地を脱しないといけない、八本足のビーストは二人からまともに攻撃を食らって身動きが取れないらしい、上げていた足を下ろして右往左往としていた。


(何なのこいつ!)


 本当にビースト?それにしたって獰猛さをまるで感じない、中層に来るまでの間に戦ったビーストはもっと攻撃的だったような気がする。

 私と、さらに少し離れた位置からスナイプするミトンの攻撃も加わり、分が悪いと判断したのか敵が踵を返して逃げ出した。


「逃すかぁ!」


「アシュ!興奮し過ぎだから!」


「だって!」


「いいから!早くここから離れるよ!」


「おい!お前ら!」


 敵に襲われた仲間を庇うようにしていた人から呼び止められたが、それに応えるつもりは毛頭なかった。


「お好きにどうぞ」

 

 それだけ吐き捨てるように口にしてから私達も工場地帯から離れた、後は勝手に何とかするだろう、私達を犯そうとした奴らにまで手を差し伸べる義理も道理もない。

 工場地帯へ続く道をとんぼ返りして、地面に擦られた跡を辿っていく。これはおそらくあの敵が付けたものだ、あれだけ弾丸を食らったというのにまだ動けるだなんて。


「…………」


 さっきまであんなに叫んでいたアシュが口を重たく閉じて下ばかり向いていた。あの一幕で気分が何度も浮き沈みしたのだ、疲れているに違いないと思い声をかけていた。


「アシュ、もう平気だから」


「……何か言うことあんだろ」


「ごめんね、私のせいで」


 凝り固まったように険しい表情をしていたアシュの頬を撫でてあげた、さっきも言っていたように私もあの敵よりも服に手を伸ばしてきた男の人の方が怖かったのだ。

 ...こっちはちゃんと謝ったというのに、アシュが普段の顔付きに戻って暴言を吐いてきた。


「……え、今何て言ったの、ごめんねって言ったの?本当にあのアリンだよね」


「誰に見えるの」


「ザコビーの親戚かと思った」


「こんのっ!」


「もうお姉ちゃん!それとアシュ!ふざけるならホテルに帰ってからにして!」


 カリンに怒られてしまった、けれどいつもの空気が皆んなに戻ってきてくれたことに心から感謝した。


「…このまま帰っていいの?あの敵はどうするの?」


「え、ミトンだよね?何でそんなやる気に満ち溢れたこと言ってんの?」


「あんたはいつまで同じこと言ってんの?ミトンはどうしたい?」


「…今すぐ帰って眠りたい」


「「どっちやねん!!」」


「…けど、あの敵がうろうろしているかと思うと面倒くさくて眠れない」


「何がめんどくさいのか知らないけどミトンに賛成ね、追いかけよう」


「他にもいたら?」


「そん時はバーサーカーに頼めばいいでしょ」


 話しはまとまった、ナノ・ジュエルについては仕方がない、マギールさんに報告して荷が重いことともう既に知れ渡っていると言って、使いの人とやらを早急に送ってもらおう。

 私の号令に皆んなが装備の点検を済ませ、逃げていった敵を追いかけていった。



✳︎



 またはぐれてしまった、街でも喧嘩して逃げ出して、今度は皆んなと一緒になって移動していたのに、気がついたら知らない街の中を彷徨っていた。ごおごおと音を立てていた四角い箱もなくなり、女の人もいなくなり、やっと人を見つけたかと思えば散々痛めつけられてしまった。どうして?何も悪いことなんかしていないのに、あの女の人に言われた通り仲間を街に案内してあげただけなのに。



✳︎



「結局見つけられなかったな、あのビーストはどうする?」


「さぁ、いないんなら仕方がないでしょ」


「滞留している部隊に期待するしかないか」


「それよりほら、やっとショッピングモールに着きましたよ」


「やっとという言葉をお前が使うのか?誰のせいで遅れたと思っているんだ」


 うるさいなこの人、言葉使いがどうのこうのと、口から出たものはどうしようもないだろ。

 食糧庫から飛び立ったわたし達はショッピングモールに到着するまで、地上にくまなく目をやっていた。けれどイエンさんの言った通りに見つけることが出来なかった、気にはなるが中層には特殊部隊の人達もいるんだ、わたし達が躍起になって探す必要性はあまり感じられなかった。

 ショッピングモールが黒い塊りとなってコクピットから見えていた。アヤメと出会ったばかりの頃、ナノ・ジュエルを探しに出かけて初めて喧嘩した場所でもある。わたしの方が年上なのに、子供に守ってもらうわけにはいかないと、銃が欲しいと言ったアヤメと口論になったのだ。


「懐かしいなぁ…」


「お前はあそこに行ったことがあるのか?」


「いや、今のは独り言なんで口を挟まないでください」


「お前…本当に疲れる奴だな…」


 何だと?

せっかくおセンチな気分になろうとしていたのに、イエンさんに邪魔をされてしまったので、そのお返しに錐揉み回転をしながらぐちゃぐちゃに飛行してあげた。



「うぇぇ…」


「おっさんのえづきとか誰得」


「いいから…さっさと…調査を始めるぞ…」


 何も停まっていないがらんどうの駐車場に降り立ったわたし達は早速調査を開始した。未だ口元を押さえているイエンさんを無理やり外に出してから、装備を整えてわたしも人型機から降りた。護身用の自動拳銃はいつもコクピットに置いてあるので、それを持ち出した、さっきは何も持っていなかったので対処出来なかったが今回は大丈夫だろう。

 駐車場からショッピングモールの入り口へと向かう、一切枯れない不思議な植え込みを通り過ぎてあの日と同じ道順でモール内へと入る。相変わらず中は埃っぽいが、高い吹き抜けエリアとわたし達が休憩していたスペースの前を通る。いくつものテーブルが並ぶなか、一つだけ埃が乗っていない綺麗なテーブルがある。


「ねぇイエンさん、あのテーブルだけ綺麗なのは不思議と思いませんか?理由聞きたいですか?」


「興味がない」


「なっ?!」


 何だと...せっかく自慢してやろうと思ったのに...「汚いね」と言いながら頼んでもいないのにアヤメが綺麗に拭いてくれたのだ、自分のジャケットを汚しながら、思えばアヤメはあの日から少しずつだけど変わったような気がする。何というか、遠慮がなくなったというか、変に肩肘を張らなくなったというか。

 わたしの自慢ポイントを通り過ぎてこのエリアの突き当たりにまでやって来た。確かトイレがあったと思うが、ここいらはイベント用の広いホールがあるぐらいでとくに何もない、これでは探しようがないなと思った。


「アマンナ、スイはどこから来たのだ?」


「えー…確かあの時アヤメと喧嘩してはぐれて…アヤメがスイちゃんを追いかけていたので…」


 アヤメに聞くしかない。


「何?アヤメと喧嘩した?あんな優しい女の子とどうやったら喧嘩になるのだ」


「何だと?アヤメの何を知っているというんですか」


 マギールやグガランナにも言われ、挙句出会ったばかりのイエンさんにも言われてしまった。それよりもアヤメのことを知っている風に利く口が許せなかった。


「メインシャフトで展開させていた我が部隊の連中にも頭を下げていたよ、それに自らの失言にも潔く頭を下げていた、なかなか出来ることではない」


「……ふ、ふぅ〜ん、よ、良く分かってんじゃん」


「何だその言い方は、あの子ように心優しい者が居たならばこのテンペスト・シリンダーもいくらか変わっていたのであろうな、本来俺達のような存在は不要なんだよ」


「良く分かってんじゃん」


 鬼の形相になったイエンさんに追いかけられた後、涙目になりながらアヤメに連絡を取った。そして、スイちゃんを見かけたという像さんがある場所はここからちょうど反対の場所にあるらしい。



✳︎



「…….いかにもヤバげな雰囲気なんですが……」


「…帰りたい」


「ミトンが言い出しっぺだよ」


「…私おならしてない」


 馬鹿な会話を頭に入れないよう注意しながら、追いかけていた敵が入っていった建物内へと侵入していた。ここはおそらくこの街のモールだろう、吹き抜けエリアに等間隔に並んだ店舗ブース、それから動物を模して作られた可愛らしい置物なんかもあった。

 私達四人の足音以外何も聞こえない、埃が積もったフロアに固いブーツの音が反響している。しんと静まり返ったモール内に異常はないように見えるけど...


「ミトン、ほんとにここで合ってる?」


「…うん、それは間違いない、私のやる気はもうないけどトラッキングは任せて」


「その報告はいるの?悪いけどアシュとカリンは索敵に行ってくれる?私はマギールさんに報告しないといけないからミトンとここで待機しているわ」


 どうせ文句が返ってくるだろうと思っていたが、すんなりと指示を聞いてくれた。


「了解」

「分かった」


「……………」


 や、やりにくいな...とくにあのアシュが素直に従うだなんて。気を取り直して私物のタブレットからマギールさんに連絡を取った、いくらかコールした後随分と慌てた様子のマギールさんが応答してくれた。


[アリンか?!どうした、何があった?!]


「え、いや…マギールさんこそ何かあったんですか?何やら慌ただしくされているみたいですが…」


 返事はなく、画面の前から姿を消して誰かとやり取りの声が微かに聞こえた後また戻ってきた。


[すまんな、こっちも緊急事態が発生してしまって、それよりお前さんは?定時連絡は明日のはずだが]


「実は…」


 洗いざらいきちんと喋った、荷が重いことは勿論、私達を助けてくれた管理者代理という人のことも、敵ではなく人間に襲われそうになったことも。私の報告を聞き終えたマギールさんが沈痛な面持ちで頭を下げている。


「以上です、おそらくナノ・ジュエルについては中層にいる人達にも知れ渡っているかと…」


[………すまなかった、浅慮が過ぎた、まさかそこまでとは……]


「…いえ、きちんと断らなかった私が…」


[お前さんは悪くない、指示を出した儂に責任がある、内々で片付けようと思っていたが確かにそこまで話しが大きくなっているならお前さんらの手には負えん]


「どうすればいいですか?」


[お前さんらは身の周りを固めろ、それと手を出そうとする者がいたならば遠慮なく対処しろ]


「はい」


[それとナノ・ジュエルについては今後一切近寄るな、お前さんの話しから察するにもう既に取り込もうとしている連中がいるはずだ、出来ることなら寝泊りしているホテルにも近付かないようにしてくれ]


「…………」


 ホテルにすら?それは...でも、マギールさんの言う通りあそこに戻るのは危険なような気がする。私達の味方をしてくれる人は誰もいないんだ、それよりカリブンの何倍も優れているというナノ・ジュエルをどうくすねようかと、それこそ奸計をめぐらせているはず、だから私達が真っ先にその餌食になりかけたのだ。


[その男連中は?手を下したのか?]


「まさか、そこまでは…」


[………儂が……いやしかし……あぁ……代わりの者が……いやしかし……]


 頭を抱えてぶつぶつ何やら唸り始めた、どう対処すべきか考えているのだろう。マギールさんのその姿を見て申し訳なくなってしまった。


「…すみません、私がきちんとしていれば…」


[……お前さんもアヤメと似ておるな]


「は?」


[人に責められていないうちから頭を下げるのはあまりよろしくない、が、心根は優しいことは分かった]


 私が?あの人と似ている?カリンが首ったけになっているあの人に?ならどうしてカリンは私に首ったけにならないんだと思った矢先にマギールさんが吠え始めた。


[だから!今は中層の部隊と連絡を………何?!見つかったのか?!すぐに行く!おいアリンよ!明日の朝まで辛抱していろ!そっちに強力な味方を寄越すからそれまでホテルには戻るな!よいな!]


 返事をしようと口を開く前から通信が切れてしまった、余程総司令代理は忙しいらしい。


(……………)


 怒られることはなかった、褒められることもなかった。けれど、身を案じてくれて諭されたのは初めてのことだった。とくに何かをした訳ではない、けれどマギールさんのように心配してくれる人もいるんだと、少しだけ、他人に対する考え方が分かった。世の中サニア隊長のような人ばかりではないということに。


「…アリン?どうかしたの?」


「ううん何でもない、それより異常はない?」


 ミトンに声をかけられて、今し方学んだことは胸の内にしまった。私に聞かれたミトンがスナイパー・ライフルの銃口を上向けてちょんちょんとした。


「ん?」


 見やれば高い吹き抜けエリアの天井、ガラス張りになった所に追いかけていた敵が逆さまになって張り付いていた。


「報告!何で黙ってたの!」


「…興味なかったから、それより向こうのエリアからこっちに誰か歩いてくるよ」


「ほ・う・こ・く!こんな所で不審者?!」


 いっぺんの二つも異常を報告したミトンの頭を小突き、急いで索敵に出かけているアシュ達に連絡を取った。



✳︎



「ここで間違いはないのか?」


「はい、アヤメに教わったのはここなんですが……」


 通信を切りたくなかった、出来ることなら朝までアヤメとお話ししたかったけどそうもいかない。向こうも向こうで忙しくしているみたいだし、マギールから追加の指令をもらったとプチおこぷんぷんになっていた。

 到着したエリアは遊具広場のようで、アヤメから教わった通り作り物の動物達がたくさん並んでいた。ゾウ、ライオン、それからパンダ?それに小さな犬や猫もあった、アヤメが言うにはライオンの置物から女の子...スイちゃんがひょっこりと顔を出していたらしいのだ。そしてそのままゾウの置物を通り過ぎて近くにある階段の方へと駆けていったらしい。


「あそこにあるライオンから顔を出していたらしいですよ」


「たんぽぽか…」


「え?何だって?人の話し聞いてますか?」


「お前…態度が雑になってきていないか」


「いつ、わたしが、あなたに丁寧な対応をしましたか?」


「もういい!……たんぽぽと呼ばれる植物は別名「ダンデライオン」と言われているんだ、あの黄色の立髪がたんぽぽに見えるだろう?」


「そうですか?」


「はぁ…学の無い者と話しをするのは疲れるな…」


 無視しよう、それがいい。適度な距離間は誰にだって必要なものだ。

 ガラス天井から差し込む月明かりを受けた遊具広場に足を踏み入れた、やはりここも埃っぽく鼻がむず痒くなったが堪えてライオンの置物へと近付いた。


「ほぉーよく出来てるなぁ」


 触ってみると案外柔らかくてぷよぷよしていた、きっと小さな子供が乗ったりぶつかったりしても怪我をしないように配慮されているのだろう。ライオンの周りを矯めつ眇めつじろじろと観察していると小さなレンズが組み込まれているのを発見した。


「イエンさん、これ何か分かりますか?」


「うん?………レンズのように見えるが…カメラか、あるいはプロジェクターではないのか」


「プロジェクター…ということは、ここがパレードの出発地点?」


「何だそれは」


「ここのモールは時折仮想パレードをしているんですよ、人もいないのにバグったみたいに、前にアヤメと来た時もやっていましたよ」


「再現は出来ないのか?」


「さぁ…ここの管理室か、電算室にでも行けば何か分かるかもしれません」


「行ってみるしかないな」


「避けてっ!!」


「?!」


 誰?!今の声は誰なの?!

わたし達以外に誰もいないはずのモール内に女の子の声が反響した、そしてわたしとイエンさんが立っている場所に一つの影が生まれ、それは徐々に大きくなり始め...


「アマンナ!」


 隣に立っていたイエンさんに突き飛ばされた、一拍置いた後ライオンの置物を踏み潰すように銀色の何かが降り立った。


「ブゥウウイェエエっ!!」


「クモガエルっ?!何でこんな所にっ!」


 それに何あの銀色?!まるでピューマみたいだ!手にしていた自動拳銃を遠慮なく発砲してみるがまるで効いていない、月明かりを受けて反射している銀の装甲板に傷一つ付かない。


「こいつか!さっき食糧庫に侵入していたのは!」


「そんなことより早く展開してください!この銃では歯が立ちませんよ!」


 さっき、逃げろと教えてくれた女の子だろうか、遊具広場より向こうからアサルト・ライフルと、アヤメと似た大きめのライフルを手にした二人組がこちらに駆けて来ていた。


「ブゥエっ!ブゥエェエエっ!」


「ミトン!あんたは後ろから援護して!」


「むぅ?!お前達は?!」


 イエンさんが何かを言いかけた時、さらに異変が起きた、遊具広場に置かれた動物達から一斉に小さな光が発生して、次第に人や様々な動物達を形成していく、これは...仮想パレード?でもどうして急に?


「なっ?!何これっ!」


 アサルト・ライフルを手にしていた女の子が驚いている、その隙を突いてクモガエルがぬめぬめした足ではなく鋭く尖った前足を大きく振り上げた。


「逃げてっ!」


「?!」


 敵の攻撃に身を竦めてしまった女の子、このままでは間に合わないと思ったわたしの足が勝手に動いていた。イエンさんも慌てて展開させているようだが無理だろう、駆け出した勢いのまま女の子に体当たりをして跳ね飛ばした、そして...


「うぐぅああっ!!」


 背中に衝撃と激痛が走った。



76.b



「アマンナお姉様ぁ!!」


 何かに浸かっていたような私の視界に、背中に大きな穴を開けて血を流しているアマンナお姉様が映っていた。ついで、見たことがない女の子からアサルト・ライフルの射撃を受けてしまいさらに混乱してしまった。

 何かに噛まれた、それも後ろから、痛いと感じた時には映っていたアマンナお姉様の痛々しい姿も消えてしまい、代わりに映ったのは広大な海面だった。


「何…ここ、どうしてこんな所に…」


「グォンっ」


「ひゃあっ?!!」


 後ろからお腹を震わせる程の鳴き声が聞こえた、恐る恐る後ろを見やれば立派な立髪をしたライオンがわたしのことを見下ろしていた。


「うぇ?…何が、どうなって…」


 太陽の光を受けた海面が無限にキラキラと輝いている。波は穏やかで、潮の香りを運んでくる風に吹かれていると、遠くに聳えるように立っている塔を発見した。距離がどれぐらい離れているのか検討もつかないが、多分とても大きいはず、それよりここは一体どこなんだ?


「あの、あなたは何か知っていますか?」


「………」


 器用にバランスを取りながらボートにお尻を乗せて座っているライオンに聞いてみるが返事は返ってこない。それにこのボートは?どこから?何もかも不明で頭は混乱しっぱなしだった。


「あなたは、その、ピューマではないのですか?」


「グォォンっ!!」


「わっひゃああっ?!」


 牙を見せつけるように大きく吠えられた、違うということかな、一緒にするなと怒っているようだ。


「うぇぇ、もう何なんですかぁ、意味が分かりませんよ…」


 確かにライオンを見てみれば銀色ではない、こういう言い方も変だけどきちんとした動物だった。立派な立髪から鋭い眼光、それから何をも噛み砕く怖そうな牙、それから体毛もあり固そうな筋肉もはっきりと見えている。

 キラキラと無限に輝いている海面を見やった、テンペスト・シリンダーのどこにも存在しない海だ。おそらくここは仮想世界、あるいは仮想展開された場所なんだろうけど...にっちもさっちもいかなくなってしまい、どうしようかと頭を捻っていると海面に黒い影が現れた。


「ん?あれは…」


 海の中に何かいるのかなとボートの縁から身を乗り出した時に、尖った口とつぶらな可愛い瞳を湛えたイルカが顔を出してきた。


「ふわぁ!イルカ!イルカさんですよイルカさん!初めて見ましたぁ…」


 自分の置かれている状況も忘れて、変わらず無言で(当たり前だが)座っているライオンの足を掴んでしまった。興奮のあまりに突破なことをしてしまいまた怒られるかと思ったが、とくに何もしてこなかった。そして、つぶらな瞳を向けていたイルカさんが驚いたことに言葉を喋った。


「あんた、そんな所で何やってんの、早く出ていってほしいんだけど」


「うげぇ…プエラさんの声がするぅ…」


 怒ったイルカ...プエラさん?が、ボートの下に潜り込んで転覆させようとしてきたので大いに焦った。



「はぁ?気が付いたらここにいたぁ?」


「はい…私も訳が分からなくて…」


 ボートの周りを気持ち良さそうに遊泳しているプエラさんに状況を説明していた。どうしてイルカなの?


「あんたはマキナじゃないから行動履歴を辿れないし、お手上げね、ここで朽ちたらいいんじゃないの」


「グォォンっ!」


「ひっ?!」


「ライオンさん!もっと言ってやってください!」


 プエラさんの無神経な言葉にライオンさんが怒ってくれた。吠えられたプエラさんは一瞬で海の下に潜り、恐る恐るといった体で再び海面から顔を出していた。


「な、何なのそいつ!何でライオンがボートに乗ってんのよ!」


「だから分からないって言ってるじゃないですか、プエラさんこそどうしてイルカさんになっているんですか?」


「ここが電子海だからよ」


「?」


「ここにはガイア・サーバーに保存されているデータが電子として保存されているの、そしてイルカさんはここの守護者なの、分かった?」


「?」


「あーもう!アマンナはどうしたのよ!何で私があんたなんかの子守をやらないといけないのよ!」


 そうだ...アマンナお姉様のことを忘れていた、私が見たあの光景は何だったんだ?どうしてあんな大怪我を...


「プエラさん、アマンナさんのこと分かりますか?実はさっき…」


 自分が見たものをプエラさんに説明すると、海面から出していた頭を小さく左右に振っていた。


「調べたくても調べられないわね、アマンナは何故だか記録が残っていないのよ」


「それはどういう意味なんですか?」


「そのままよ、ガイア・サーバーが管理しているマキナではない、あなたと似たような存在だということ」


「…………」


「というか、何であんたがここにいるのよ、ここには私や……」


 そこまで言葉を発した後、急に黙り込んでしまった。


「プエラさん?どうかしたってぇ?!ら、ライオンさん?!」


 あんなに大人しくしていたライオンさんが、怖い前足で私の背中を押してきたので再び焦った。それに力も強く抵抗できない。


「何なのそのライオンは、あんたの味方じゃないの?」


「ち、ちが!うわうわっ?!お、押さないで!」


 ボートの縁から顔が出ているのにライオンさんの力が一向に緩まない、このままではボートから落ちてしまう。


「うわっぶっ!!」


 背中から頭に移動してきたライオンさんの腕のせいで、顔から海に突っ伏してしまった。辛い海水が口の中に入り、開けていた瞳から見えたものは海の中ではなく、夜の街灯に照らされたある建物だった。



✳︎



「ん?」


「どうかしたんですかアオラさん、あ、ファラさんはもういないのでいつもの口調でお願いしますね」


「外に何か…あれ、あいつは確か…」


「無視」


 ファラがデザイナーズ孤児院と呼んだ建物の二階、変わった造りをしているダイニングで遅めの夕食を取っていると、窓の向こうにいるライオンに気付いた。街灯の下に一人でひっそりと、あいつは私が追いかけていたライオン...か?遠くにいるのでよく分からない。

 テッドの小言に答えるのも億劫だったので、手探りで耳を掴んでこれでもかと捻った。「あだだだだっ」と私の手から逃れるように避け始めたテッドに声をかけた。


「ここで面倒を見るピューマは全部で何体だ?」


「その!前に耳を!」


「いいか!二度とくだらないことを言うなよ!」


「分かりましたぁ!」


 叫ぶように答えたテッドを解放をしてあげた、「耳!取れてないですか!」と摩りながら窓向こうに視線をやって外にいるライオンを確認している。


「取れていない、次やったらナニと一緒に耳も取るからな」


「……それ、その言い方、アヤメさんの口真似って言ってましたけど、アヤメさんは昔、ナニとか言ってたんですか?」


「どうでもいいだろそんなこと、それよりピューマは?」


「…おそらく逃げ出した一体かと…」


「これ食ったら捕まえにいくか、結局逃げ回っていたのかよ」


 私達では食い切れない量の食べ物がテーブルの上に置かれており、何でも豊かになったというお隣さんからのお裾分けらしい。もうそろそろお腹に入らなくなりそうな頃合いだった。


「まるでアオラさんみたいですね」


 またもや小言を吐いたテッドのナニを掴もうと格闘していると、ダイニングの扉が開いてエフォルと呼ばれている変わった髪型をした少年が入ってきた。


「……お邪魔でした?」


 入ってきたエフォルは扉を開けた状態で固まっている、かくいう私はちょうどテッドを後ろから抱きしめて首をキメているところだった。


「あぁ…いや…そうでもない、かな?それより何か用事?」


 まだ懲りないテッドが私の胸元で「うげぇ」と失礼にも舌を出して呻いている。


「えーっと…スイの様子を聞こうと思って…ファラに聞いたら二階でご飯を食べているからって言われて来たんですが…」


 私から離れて衣服を整えているテッドが、驚いたことにとても冷淡な声で返した。


「君が聞いてどうするの?」


「え?いや…気になったので…」


「忘れたら?」


「テッド、何?その言い方」


「教える義理はないと言っているんです」


 関心がないように椅子に座り直してからテッドが食事を再開した。


「…………」


 テッドの言葉に面食らったエフォルが、入り口で微動だにせず固まったままになっている。


(何なんだこいつ、急に怒りだして…)


 急な態度に私もどうすればいいか分からない、こいつはこんなに敵意を剥き出しにするような奴だったのか?

 何も言わないのはさすがに不味いと思ったのか、一言断りを入れてから語り始めた。


「僕も見習って親切心で言ってあげるけど、スイちゃんが倒れた時君は何をしていたの?」


「…何も、していませんでした」


「それだけならいいよ、僕もここまで怒ったりはしない、けど君や他の子供たちはまるで化け物を見るような目をしていたよね?」


「…………」


「そんな君が今さらスイちゃんのことを気にするの?それは何ていう偽善なの?」


「おいテッド、言葉を選べよ」


「そういうアオラさんこそ、グガランナさんと喧嘩したんですよね?ナツメさんから聞いているんですよ、マキナに味方しないと人の為になるようなことをすると言ったんですよね、僕だってそうです、自分の仲間の為なら人でもマキナでも喧嘩します、そこに孤児だろうがビーストだろうが境はありません」


「………」


 なんつう気迫...エフォルを庇いたかったのに何も言い返せなくなってしまった。テッドの言った言葉の一言一句が胸に刺さった、私はどうだ?ここまでの気迫や覚悟があるか?


「あの…一言いいですか」


「何?」


 言われっぱなしだったエフォルが、強い眼差しでテッドを睨んでいる。


「スイは普通の女の子ではないんですよね、どうして黙っていたんですか?」


「伝えたいことを先に言いなよ」


「…そんなに大事にしているなら、事前におれ達にも伝えるべきだったのではと言いたいんです、皆んなが皆んな、あなたのように何でも受け入れられるわけではありません」


「…………」


「おれだけじゃなくて他の皆んなも気にしています、あの時は確かに…嫌な態度を取ったかもしれませんけど、それで終わりだなんて厳しすぎではありませんか」


「確かにね、それは君の言う通りだよ」


 エフォルの言葉に納得出来る部分があったのか、あっさりと自分の非を認めたテッド。


「教えてもらえませんか、スイってどんな女の子なんですか?」


「無理に仲良くしろだなんて言わないけど、邪険に扱わないと約束してくれる?」


「はい」


 一瞬の間にぶつかり合った二人が肩を並べてスイについて話しをしている、私は何も言わずにそっと席を立ち外へと出かけた。



「やるかぁ」


 一人で言葉を発して、眠い体に喝を入れた。何というか、素直に自分が情けないと思ってしまった、あんな殴られたような教わり方をされるだなんて、いつかカサンが言っていた、負うた子に教わるうんぬんが身に染みて分かった。

 私も、街が襲撃にあったと聞いた時はグガランナに八つ当たりをしてしまった、関係がないはずなのに、マキナという括りに入れて自分の中にある不満や憤りをただぶつけただけに終わってしまった。けれど、あの二人はどうだ?ちゃんと相手の言い分を聞いて、きちんと自分の事も伝えていたではないか。今頃どんな話しをしているのか知らないが、おそらく私やグガランナのように手は出していないはずだ。他人と分かり合うのは簡単ではない、勇気だっている。けれど、あの二人は私の目の前でそれをやってみせたのだ。

 だったら、今の私に出来ることはあの寂しそうにしているピューマを迎えに行ってやることだ、私の影を重ねてしまったんだ、無視は出来ない。


「待ってろよ私ぃ、迎えに行ってやるからなぁ」


 から元気なのは自覚している、が、あれだけのもんを見せられて何もしないでいるのはどうにも落ち着きが悪かった。

 一人で孤児院の玄関先に立ち周囲を見回すと...いた、街灯の下に変わらずピューマがいてくれた。どれだけ逃げ回るのかと戦々恐々としていると、門扉を開けた私に向かってピューマが駆けてくるではないか。


「何だお前?さっきはあんなに逃げていたくせに…って、うわぁ?!」


 駆け出したスピードも殺さずまるで狩りをするかのように私に飛びついてきた。そしてそのままライオンが、私の顔や胸に頭を擦り付けてくる。


「何なんだ、やめろって!こら!」


 怒鳴られたライオンがようやく落ち着いて、少ししゅんとした態度で私から離れた。


「もう逃げないんだな?というかもう逃げるなよ?」


「Wwptpw!!」


「こら!大きい声を出すな!」


 分かりやすい、尻尾を振っていやがる。


(はぁーこのやる気は一体どこに向ければ…)


 出鼻を挫かれた気分だ、逃げ回ると思っていたライオンが、こうもあっさりと私に懐くだなんて。

 このままあの公民館に連れて行こうとすると、ポケットに入れてあった端末が震え出した。画面を見やればマギールからの着信のようだ。


「何だ?今忙しいんだが」


[…すまんがアオラよ、今からカサンと一緒にある女性の所へ行ってはくれんか?]


「あぁ?何だそれ」


[行方不明になっていたスイを保護してくれているのだが、まるで話しにならなくてな]


「あぁ?!何だそれぇ?!」


 行方不明に...なっていたぁ?!保護されたぁ?!意味が分からない!!


[保護者として登録している二人なら、まだ話しになるかと思ってな、すまんが頼まれよ]


 大声を出すなと言ったそばから私が大声を出してしまっていた。



76.c



 泣きっ面に蜂。古事成語と呼ばれる、過去の人間達が編み出した言葉だ。何と便利であることか、起こり得る現象の統計でも取っていたのか、あまりにも当てはまる事柄が多いために考え出された言葉であろう。泣きっ面に蜂とは、頭を悩ませることが不運にも重なることをいう。そう、今まさに儂がその古事成語を体現していた。裸で外へ飛び出したスイの行方が分からず、かといって大手を振って救助を求めるわけにもいかず(本人の尊厳を尊重して)、頭を抱えていると中層にいるアリンから報告をもらった、予期していた事が早くに実現していた。貴重な資源を巡ってのトラブルだ、アリンにしか話しをしていないのにどういう訳だか他の連中もナノ・ジュエルを嗅ぎつけていたのだ。他にやり取りをしていた政府の者とは既に連絡が取れなくなっている、おそらくこちらに回収される前に懐へ入れる算段を立てているのだろう、男連中に囲まれたアリンが仲間を優先してナノ・ジュエルについて白状したと聞いている。これは儂の判断ミスだ、まさかここまで悪知恵が働く者が近くにいるとは思わなんだ。

 さらに裸のまま外へ飛び出したスイを保護していると、とある女性から連絡が入った。怒り心頭とはまさにあの事、何故このような女の子に服も着せぬまま外へ出したのか、一体そこで何をやっているのかと、連絡というより苦情だ、怒る様を隠そうともしない調子で散々っぱら言われてしまった。すぐに引き取ると申し出たのが不味かったのか、返事も返さず電話を切られてしまった。

 さらに不運なことに...


「………確認をするが、お前とアマンナは調査のために中層へ来ているのだな」


[そうだ、俺も何かの役に立たねばこの街に来た甲斐がないと思ってな、男なら誰でも故郷に錦を飾りたくなるものだろう]


「知るかこのたわけっ!何故事前に報告をしなかったのだ!」


[いや?ティアマトから何も聞いていないのか?艦長と話し合った結果なんだが]


「あんのエセ母神…」


[マギールよ、出会ったばかりの俺に言われる筋合いではないと思うが…そういう言葉はアマンナの前では控えてくれ、すぐに真似をする]


 頭が痛い...二日酔いの方がまだマシだ。


「よい…よい、それよりアマンナの容体は?」


[非常に不味い、このままでは人型機を操縦出来ない]


「お前さん、この期に及んで自分の帰る足しか心配しておらんのか?錦を持って帰るのは当分先になりそうだな」


[違う、敵を仕留め損ねたんだ、まだ周囲にいるはずだが、俺達の手持ちではどうしようもない]


「抜かせイエンよ、第十九区でやったことをそこでもすれば良いだろう?」


 淡々と話しを進めていたイエンの顔付きが明らかに変わった。


[ほぅ…知っているのか、猫を被る必要はなかったみたいだな]

 

「何が目的だ?」


 馬鹿じゃないのかこいつは、本気で素性を隠して潜入していたつもりなのか?あんな大上段であれだけの事をしてみせた本人が「知っているのか」などと...当たり前だ!


[言っただろう?錦を飾りたくて来たんだよ]


「そうかい、邪魔はせんがそちらもするなよ、それとアマンナには、」


[手は出さないし興味もない、俺が好みなのは学があって情緒もあってティアマトのような女だ]


 外見の好みがピンポイント過ぎる。だからティアマトは私室で気を失っていた訳なのか、可哀想に。


「まぁ良い、繰り返しになるが無理な調査と索敵は行うな、明日の朝までには応援が到着しているはずだからそれまで辛抱していろ」


[スイの出どころを探るためにモールの電算室へ向かうつもりなんだが、いいか?]


「ティアマトに聞けば……」


 まだ寝ていたな、あやつは。


[ティアマトにも確認は取るつもりだが、それと実質的なデータもあった方がより検証も進められるだろう]


「分かった、何かあれば報告しろ」


[了解した、アマンナについては…まぁ、大丈夫だ、損壊しているが本人は至って元気だ]


「そうかい、出来れば奴に学を叩き込んでからこっちに返してくれ」


[それは約束しかねるな]


「イエンよ、錦というものは並大抵の事しか出来ん者には持てないものだ、分かったか?」


[それなら錦ではなくニシンでも持って帰ろうか、出来ないものは出来ないんだ]


 駄洒落か?

下らない言い回しをし合った後、少しだけ溜息を吐くことが出来た。と、思ったそばからまた連絡...忙しいうちが華だなんて言葉を作った奴に、儂の顔を刺した蜂を向かわせてやりたい気分だった。



✳︎



「うぅ…アヤメぇ、会いたいよぉ…」


「…だ、大丈夫?」


「あぁ!イエンさん!アマンナの様子が!」


「放っておけ」


「?!」

「?!」

「?!」


 いやちょっと待って!何であんなに呻いていたアマンナまで驚いているの?!


「…アマンナ、平気なの?平気なら平気って言ってほしい」


「わたしは平気ではありません、もう立ちたくもありません」


「…分かる」


「分からないでミトン!アマンナ?どっちなの?」


「ミトンさんが代わりに返事をしてくれます」


「…私がアマンナに添い寝してあげるから、気にしないで」


 そしてそのまま二人して本当に寝入ってしまった。


(最悪の組み合わせだな、この二人…)


 メインシャフトでほんの少しだけお世話になったイエンさんと再会した、それも最悪の形で。お姉ちゃんを庇って大怪我を負ってしまったアマンナは金色の髪に澄んだ青い瞳をした女の子だった。どこかあの人に似ているその容姿にどきりと心臓が跳ねてしまったが、うわ言のようにアヤメさんと繰り返していたのできっと知り合いか、仲が良い間柄なのだろう。お姉ちゃんとアシュは痛々しい姿のアマンナを治療するため、急いでホテルへ医療道具を取りに行ってくれている、初めて会ったのにも関わらず身を挺して守ってくれたアマンナに応えたいと目の色を変えて行ったのに...


「もしかして、アマンナもグガランナさんと同じマキナなの?」


 ミトンに抱き付かれて横になっていたアマンナが少しだけ目を見開いた。


「え?グガランナのこと知っているんですか?」


「うん、前にぴゅ、ピューマ?だよね、宇宙船に運び入れるお手伝いをしたことがあったんだよ、その時に知り合ったんだ」


「…ピューマは私の嫁」


 大怪我を負ったアマンナより寛いでいるミトンがまた馬鹿なことを口にした。


「はい、わたしはマキナなので平気です、でもこのままは不味いですね、いざという時にマテリアルを動かせないから役に立てないです」


「その気概があるなら一旦サーバーに戻ったらどうなんだ」


 アマンナにはやたらと厳しいイエンさん、言われたアマンナも目だけギロリと動かして睨んでいる。


「何だと…ミトンさん!わたしの代わりにあの男を殴ってください!」


「…面倒臭い、アマンナと横になっているほうが断然いい」


「………すやぁ」


 駄目だこの二人、断られたアマンナも一緒になって目蓋を閉じてしまった。


「イエンさん達はどうしてここにいるんですか?見かけた時は本当に驚いてしまったんですが…」

 

「調査のためだ、それよりお前達こそ何故ここにいる?」


 街の工場地帯であった出来事をイエンさんに伝えた、するとイエンさんも、どこか気の良さそうなおじさん然とした雰囲気から明らかに変わった。


「また同じ事を繰り返すのか…どこまでいっても人間は目先のことにしか興味がないようだな…」


「お、同じ事、ですか?」


 呆気に取られた私はおうむ返しに答えるだけで精一杯だ。


「いや、すまん、気にするな、それよりマギールから明日の朝までに応援を寄越すと言われた、それまではここで過ごすのがいいだろう、間違いなくお前達は狙われている」


「お姉ちゃん、大丈夫かな…」


 私の呟きを聞いたのか、それとも前からそうしていたのかアマンナが顔を真っ赤にして体を動かそうとしていた。


「ぐぬぬっ…う、動かない…」


「何をやっているんだアマンナ、無理にマテリアルを動かすなと言っただろう」


「だ、だって…まさか、そんな状況になっているなんて知らなかったから、わたしのせいで何かあったら、」


「…寝覚めが悪くなる?」


「そう」


「はぁ…人が良いのか頭が悪いのか分からんが、そこまで言うなら人型機に換装したらどうなんだ」


「…………」

「…………」


 イエンさんが何を言っているのか分からない、かんそうする?ひとがたき?初めて聞く言葉だった。


「でも、このマテリアルはアヤメとの思い出が宇宙の果てまで詰まったものだし…」


「思い入れが重過ぎる、その迷いがアリン達を死地に向かわせたのだぞ?大怪我を負いながら助けたことは賞賛に値するが、今の姿をアヤメが見て何と思うかだな」


 イエンさんに諭されたアマンナが深く目を閉じた。


「分かりました、人型機に換装して街へ向かいます、アリンさん達を拾ってから逃した敵を仕留めます、わたしのマテリアルは落ち着くまで置いててください」


「…アマンナ、ぐうたら友達だと信じていたのに…凄いね」


「えっへぇ?そうですかぁ?そうでもないような気がするんですがそうですかぁ、えっへへへぇ」


 珍しくミトンが人を褒めている、さらに褒められたアマンナは凛々しかった顔をだらしなく緩ませていた。


「いいからさっさと行けぇ!」


 どやされたアマンナが瞬時に動かなくなってしまった。本当に死体のよう...力なく頭を横に向けているアマンナの顔は安らかとは程遠く、人形のように見えてしまった。


「カリンにミトンよ、しばし俺に付き合え、ここの電算室に向かいたい」


「…あなたは何もしないんですか、アマンナはアリン達を迎えにいったというのに」


 ...今日のミトンは何と前向き発言の多いことか、イエンさん相手に発破までかけている。


「ふっ、その言葉を待っていたよ」


「…うわぁ面倒臭そう、カリン、バトンタッチ」


「ミトン…イエンさんは何を…っ?!」


 芝居がかった返事をしたイエンさんに暴言を吐いたミトン、嗜めようと手を伸ばすと周囲が再び輝き始めた。さっきと同じにも見えるけど、さらに光が強いように思う。一際輝いた後我が目を疑った、甲冑姿のイエンさんがズラリと並んでいたのだ。


「どうだ、我が精鋭の特別師団の姿は」


「…動物はいないんですか?」


「んむぅ?!ど、動物…?」


 突然の出来事にもまるで動じないミトン、眉一つ動かさずイエンさんに質問していた、まさかそんな事を聞かれると思っていなかったイエンさんも固まっている。


「い、いないが…」


「…そうですか、カリン、電算室ってどこにあるの?さっさと終わらせよう」


「…………」


 あのイエンさんの悲しそうな顔...フォローしたいけど起こった出来事もまるで分かっていないのでフォローのしようがなかった。


「最近の子は何を考えているのかまるで分からんな………ん?来たようだな」


 何が?と言いかけ時に今まで聞いたこともないとても大きな音が聞こえ始めてきた。それに金属同士が当たっている...回転している音?が徐々に近づいてきているようだった。これもイエンさんの光の仕業かなと思った時、天井に張り付いている敵を見つけた。


「い、イエンさん!あそこ!あそこにいます!」


「出掛けに船とはこのことだな、アマンナ、もう一度こちらに戻ってこい、逃した敵が天井に張り付いている、処理してくれ」


 え?この音を出しているのがアマンナ?そういえばさっきひとがたきがどうって...状況を未だに理解出来ない。混乱した頭で天井を見上げていると、赤い大きな巨人がガラス天井の向こうから近づいてくるのが見えた。


「えっ?!何あれっ?!」


「あれには驚くのだな…」


「み、みみみみミトン!何あれ?!」


 赤い巨人の背中から光の粒が帯となって放出し、周囲を照らしている。あのまま突撃してきたらこの建物が壊れてしまうと怯えていると、ゆっくりとした動作で近づき、ガラスを突き破りながら敵を片手で掴んだ。


「危ない危ない!」

「破片が!破片がぁ!」


 天井から、大きなガラス片が落ちてくる、あわや大惨事というところでイエンさんが伸ばした片腕に弾かれるようにガラス片が明後日の方向へ飛んでいった。


「やればできるじゃんイエン!」


「お前の俺に対する評価が良く分かったよ、アマンナ!下に俺達がいるのを忘れるなぁ!」


 天に向かって吠えたイエンさん、何を馬鹿なことをと思っていると、天からアマンナの声が返ってきた。


「ごめんねぇ!怪我ない?!」


「………」

「………」


 私もミトンも再び呆気に取られて手だけ振って答えた...え、あの巨人が、本当にアマンナなの?さっきまでの可愛いらしい女の子の姿は偽物?どういうことなの?

 片手で掴んでいた敵を、わたし達に影響がないよう少し離れた位置まで移動してから、何でもないようにそのまま握り潰してみせた。ここからでは敵の悲鳴も聞こえない、一瞬のうちに倒してみせた。


「…………」

「…………」


 ミトンと肩を寄せ合うようにして見つめていた赤い巨人が、背中から吹き出る光の粒を大地に残していくように飛び立っていった。


「…………」

「…………」


 ショッピングモールの入り口近くにもあったガラス窓からうっすら見えるその後ろ姿を眺めた後、おそらく同じことを考えているであろうミトンと目を合わせた。


「かっこいい〜!!」

「ゲームみたいっ!!」


 この後、ひとがたきやマキナについて、少し拗ねたように見えるイエンさんから説明をしてもらった。迎えに来てもらったお姉ちゃん達もさぞかし驚くことだろうと、一人ほくそ笑んだ。



✳︎



「いったぁぁあい?!!」


「?」


「おーよちよち…静かにしてくれる?スホーイフォーティセブン、うるさいよ」


 さっきまでアオラさんに頭を撫でもらって、幸せな気分に浸っていたのにまたもや痛みが走った、それも今度は背中だけではなく全身にだ。涙目でライオンさんに訴えかけるがきょとんとした仕草で私を見ている。それにいつの間にか、人の姿に戻っていたプエラさんもボートに乗っており海を泳ぐ小さなイルカさん...赤ちゃんかな?手をやって遊んでいるようだった。

 私はライオンさんに無理やり海の中に頭を突っ込まれたはず、それなのにアオラさんに撫でてもらっていたのはどういうことなのか。けれど、疑問を探る前にプエラさんに言っておきたいことが二つあった。


「あの、プエラさん、その名前で呼ぶのはやめてください、私にはスイという大切な名前があるんです」


「はいはい…あーそっちにいったら駄目だよー、こっちにおいでー」


 私のことはまるで眼中にないようだ、可愛らしいイルカの赤ちゃんに首ったけになっている。


「それと、」


「あんたが何を言いたいのか分かるけど、それに答えるつもりは毛頭ない」


 まだ何も言っていないのに、私の言いたいことが分かったのだろうか。けれどこちらも負けていられない、聞かないといけないことは聞かないと駄目だ。


「どうしてナツメさん達を裏切ったんですか?」


「…………」


 イルカの赤ちゃんに向けていた手を上げて、とても冷たい眼差しを私に寄越してきた。何を考えているのか分からないプエラさんの髪を、変わらず潮の香りを含んだ風がさらっていく。太陽の光を和らげてくれていた雲も風に流され、一際強く海面を照り付けた。逆光でいよいよ分からなくなってしまったプエラさんがようやく口を開いてくれた。


「それを知って、あんたはどうするつもりなの?」


「…ナツメさん達に伝えるつもりです、何でもないように振る舞っていますが未だ気に病んでいるのは確かなので、見ていられません」


「あっそ、ならこのままでいいんじゃない?互いに何も知らない方がやりやすい事もあるのよ」


「それは、もうこちらに来ることはないということですか?」


「そちらもこちらも、元々私達マキナは人間と関わらずにテンペスト・シリンダーを運営していた存在なの、本来のあるべき姿に戻っただけ」


「どうして今さらそんな事を言い出すんですか?あんなにナツメさんのことを大事にしていたのに、私に何度も近づくなと言っていましたよね、あれは嫉妬からくるものだったんじゃ…」


 そこまで言った時にプエラさんが素早く腰を上げて、私の胸ぐらを掴んできた。とても力強く、簡単に振り解けそうにはなかった。


「あんたみたいなただのデータに何が分かるっていうのよ!知った風な口を利くな!」


「分からないからこうして聞いているんじゃありませんか!テンペスト・ガイアと呼ばれるマキナの人は!好きな人から離れろと言ってくる心が狭い人なんですか!」


「あんな奴は関係ない!私は私にしか手に入れられないもののためにやっているだけよ!」


「ナツメさんより大事なものって何ですか!」


 プエラさんが大きく口を開けた瞬間、何か言葉を発するだろうと思っていたのに呻き声を出した、よく見やれば黙っていたライオンさんがプエラさんの後ろ襟首を咥えて持ち上げていた。


「ぐうぇっ、ちょ!あんた!何を、こらっ!やめなさい!あーあーあー!落ちるぅ!」


 喚きながらじたばたしていたプエラさんをライオンさんが、そのまま海へと投げ入れた。そして今度は、え?!


「ちょちょちょちょ!ライオンさん?!何でわたっ、ぐうぇ!く、苦しい!は、離してぇ!やーやーやー!落ちる!落ちるぅ!」


 私までもが襟首を咥えられてボートの外へと運び出され、そしてそのまま海に落とされてしまった。


「〜!〜!」


 必死になってボートに上がろうともがいていると、足首を何かに噛まれた。


「!」


「いいからさっさと海の中に入りなさい、あんたがここに来た理由が何か分かるかもしれないでしょ」


 卑怯!プエラさんが再びイルカさんに化けて私の足首を噛んでいた。抵抗も虚しくあっという間に中へと引きずり込まれ、呼吸が出来ないとパニックになっていると視界が緑色一色の綺麗な海中から、女性の胸元へと変化していた。



76.d



「……だから、何と言えばいいのか、その子は普通ではないんだ」


「普通でなかったら、服も着せずに外へ放り出してもいいと?私を見つけたこの子は泣きながら走ってきたんですよ?」


「…それはだな、おそらく君のことを心配して、裸でいたことに泣いていた訳では…」


「だから!どうしてそんな事になったのかと聞いているんです!きちんとした説明をしてくれるまではこの子をそちらに返すわけにはいきません!警官隊の方へ被害届を出させていただきます!」


 訓練上がりでくたくたになっているカサンと目を合わせた、こいつも疲れているだろうにスイの為だからと無理やり切り上げて女性の自宅まで来ていたのだ。その女性というのが...

 話し合いが進まないと判断としたのか、あっさりとカサンが白状した。


「……あたしらも急にスイが倒れたと聞かされて驚いて、病院をたらい回しにされた後だったんだ、仕方なく、君が足を運んでくれた宇宙船に預けていたら勝手に動き出したと聞いた、訳が分からない状況が続いているからきちんとした説明は出来ない、ただ、スイを保護してくれたことには感謝している、その子は人の子ではないがあたしらにとっては大事な家族だ」


「……………」


「行こうかアオラ、スイはここに預けておこう、ティアマトより面倒を見てくれるはずだ」


「おい、いいのか?」


「彼女に応えられるまでだ、それでいいか?」


「はい、きちんとした説明をしてくれるまでは…」


 カサンの淀みない説明に面食らった女性が頷き、それを合図にして席を立った。



「どういうことなんだカサン!私も初めて聞かされて驚いているんだぞ!」


「今説明した通りだ、あたしだって何も知らされていない」


 私に引っ付き離れまいとしていたピューマを無理やり剥がし、呼び出しを食らったのなら仕方ないとこれ幸いに何も告げずに第一区へと戻ってきた。カサンと合流した後、スイちゃんを保護しているという女性の自宅へ赴き、先ほどの会話を繰り返していたのだ。そしてその女性とは、スイちゃんが初めてこの街に訪れた際に襲われ瀕死に陥っていたあの女性だった。回復したことをきちんと告げようと、警官隊のつてを辿ってグガランナのマテリアルに来た時にちょうど裸のスイちゃんを見かけて保護してくれたんだそうだ。経緯は分かったが、何故スイちゃんが裸になっていたのかがまるで分からない、それにカサンが言っている倒れたという話しも初耳だった。


(最悪の気分だ…)


 私が第二区に来るまでスイちゃんはいつも通りにしていた、そして不貞腐れた私は皆んなと別れて街をぶらついていた、おそらくその間にスイちゃんの身に何か起こってしまったのだろう。マギールの言っていたように、戸籍上では私とカサンの養子としてスイちゃんを住居登録してあった、何も事務的な手続きをしたからではない、自ら守ると決めたあの子にすら私は何もしてやれていないのだ。人の為にと啖呵を切った自分にすら呆れてしまう始末だった。

 女性の自宅は第一区の中心街にありマンションの外通路から、最近になって設置された誘導灯の光が軍事基地の外壁をほのかに照らしているのが見えていた。


「スイちゃんをここに置いていってもいいのか?」


「見たか、スイのあの安心しきった顔、やれ犬の真似事をしていたとマギールは言っていたが、あたしはそうは思わない」


「何が言いたいんだよ」


「自信を失くしそうだと言っている、あたしがお星様になる訓練を続けているのもスイを守るためだ、それだというのに…」


「横槍を入れられて悔しいのか?……っ?!」


 無言でカサンが私の肩を掴んできた、それも力強く。


「お前は何をやっていんだ」


「…………」


「話しは聞いているんだぞ、アヤメに叱られて街をうろついていたらしいな、その間にスイは倒れたんだ」


「…………」


「クソったれが、自分に非がある時は黙りか、お前は一体何がしたいんだ」


「………どうすれば、いいと思う」


「自分で決めろ、それが勇気というものだ」


「!」


「後は知らない、好きにしろ」


 それだけ言って、カサンが外通路を歩いて行く。その後ろ姿を見やりながら必死になって考えた。

 結局のところ、私は感情的になっていたに過ぎない、マキナが寄越したビーストという存在も、スイちゃんという不遇な女の子も、一時の感情で決めていたに過ぎなかったのだ。明確な目的も、信念もなくただ自分のやりたいようにやっていただけだった。だから迷うんだ、自分のことは自分が一番良く分かっている。自分の心に従っていても道に迷うだけだ。


「……そうだな、それしかないな…」


 逃げ回るのはもう良そう、誰かに固執するのももうやめよう。そうでなければ、あの日救ってくれたあいつに胸を張ることが出来ない。

 そうと決まれば後は早いものだった、スイちゃんの身に起こったことを詳しく調べるために、静まり返った夜の街を颯爽と駆け抜けた。



✳︎



 胸がとても暖かくなった。街に誘導しなけらばならないことも忘れ、仲間に謝りに行くことも忘れ、ただただ聞き入っていた。

 胸だけではない、頭の中も、体の中も、冷えたところが一つも無くなってしまったように、痺れるような暖かさに身を委ねていると耳元で声がした。


「そろそろいい頃合いかしら、あなたには集積体として要になってもらうから、その自我は置いていきなさい」


 こくりと頷いた、そう言われてしまったら置いていくしかない。けれど、心の中が変になってしまった。嫌だ嫌だと喚く自分と、諦めている自分と、やけに納得している自分と、とても騒がしい。確かにこれなら要らないなと思い、素直に従った。あやふやな記憶ももう要らない、頭も心も空っぽにした方が気が楽だ。どうせ、()はどこに行っても仲間外れにされてしまうし、嫌な目で見られるし、何も感じない方がいい。


「どうかしたの?」


 後ろから優しくしてくれる女の人が声をかけてきた、最後の力を振り絞って振り返り、そして、


「…さようなら」

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