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第七十五話 ダンデライオン・プランティング

75.a



 朝方に落とされた鉛は未だ胃袋に居座り、吐き気に似た重い気分を今なお味わっていた。吐き出す術も知らず、なすがままに身を任せて街を練り歩いても一向に消えてはくれなかった。あのおませな鹿っ子に八つ当たりしてみたが、なおのこと酷くなっていた。

 初めて歩く街の通りはビーストの被害を受けていないのか、どこも壊れた場所がなく今日も変わらない一日を迎えているように見えた。ついでに、見たくもない私の顔もカーブミラーやビルのショウガラスに映っており何とも醜い顔を晒していた。

 何度か着信があった、端末は見ていない。あのアヤメからだったらどうしようかと逃げていた。ファラだったらなおのこと、全力で逃げなければならない。


「はぁ…」


 過去にあった甘い思い出と苦い()い出を溜息と一緒に外へ吐き出すと、ピューマが一体目の前を通り過ぎていった。


「ん?何やってんだ?」


 人通りもまばらで車も走っていない街中に、あれは確か...ライオンだったか?植毛された銀の毛を優雅になびかせ路地裏へと消えていくところを見てしまった。第二区は搬送前に襲撃にあい、計画が途中で止まっていたと聞いていた。おそらくその一体なんだろうが...仲間割れでもしたのかと、勝手に親近感を覚えた私は後を追いかけた。



 ライオンは右に左に進路を変えて、街の路地裏を練り歩いているようだ。目的があるようには見えず、かといって何かを探している風でもない。向こうも私に気付いているだろうがまるで無視だ、何度か視線をやった後は決まって興味無さそうに明後日の方向を向いていた。親近感どころではなかった、あのライオンは今さっきまでの私自身だ、でも何故あのピューマは一人っきりなのか...何か問題があったなら私の端末にも...


「あー、もしもし?ティアマトか…じ」


[アオラっ!あなた今までどこにいたのよ!皆んな出払っているからあなただけが頼りだというのに!]


「つは、色々あって…あーそれで何?何だ?」


 慌てるように電話をかけ、出たと同時に早速怒られた、不思議と胃袋に居座っていた鉛が軽くなった気がした。


[搬送先の第二区で一体ピューマが逃げ出したみたいなのよ!あなたは今第二区にいるわよね?!]


「あ?さっきの奴か…それはもしかしてライオンか?」


[ビンゴっ!いい?!何が何でも捕まえてっ!]


「あ、あぁっ、おい!そこのお前!」


 今の今まで黙っていた私がいきなり声を出したからか、まるで待っていたかのようにライオンがこちらを見ることなく走り出した。私も、アヤメでもファラからでもない、緊急事態を知らせていたティアマトへの折り返しの電話を切って走り出した。いや、よく見れば二人からも着信履歴が残っていた、さらに軽くなった胃袋を意識しながらライオンの後を追いかける。



✳︎



 何度か人にぶつかってしまった。そしてその誰もが怖がっていた、遠ざけるようにして、側にいた人を守るようにして。信じられない、どうしてこんな目に合わないといけないのか。森からこっちに連れられて来ただけだというのに、それに話すのも上手じゃない、そのおかげで仲間からも爪弾きにされていた。

 後ろから赤い髪をした人が叫びながら追いかけてくる、怖いなんてものではなかった。さっきまで黙っていただけなのに、そんなに()のことが嫌いなの?



✳︎



「わぉおーんっ!わぉおーんっ!」


 手に持っていた色んな物をその場に落としてしまった。中にはこの街の政府から預かっていた端末もあったというのに、見事に壊れ画面にノイズが走っていた。


「うぅっ、ううっ」


 スイが、裸のまま、ベッドの上で四つ這いになり犬の真似事をしていた。気が動転した私は床に落としてしまった物を先に拾おうと身を屈め、そしてあろうことかそのまま横になった。


(疲労も限界を超えると幻覚を見るというし…そうね、寝ましょう、それがいい)


 そう、これは夢だ、噂に聞いた白昼夢。今の今まで意識が戻らなかったあのスイが、どんな理由があって犬の真似事なんかするのか、支離滅裂にもほどがある現実から逃げるように...いやというか現実逃避だなこれは。自分を戒めてから体を起こそうとすると、スイが近づいてきていた勿論裸のままでそして四つ這い。


「くぅぅん、くうぅん」


「……ほら、あなたもこっちにいらっしゃい、一緒に寝ましょう」


 いや、夢だな。夢に違いない、寝て覚めればきっと良くなっているはずだと自分に言い聞かせて再びスイと一緒に横になった。そして自分でも驚いたのだが、スイを抱きしめた温もりを感じる暇もなく、秒で意識を手放していた。



✳︎



「こらぁ!いつまで逃げるんだぁ!」


 知らない街の通りを全速力で追いかける、ライオンは人や看板、車に何度もぶつかりながら逃げていく。それに何だあの走り方、まるで初めて走るかのように前後の足が噛み合っていない、と言えばいいのか、とにかく下手くそに見える。今も同時に前足が出てつんのめるように転けてしまっていた、そして再び体を起こして住宅地の方へと走っていった。


(埒が明かん!)


 ライオンといえばあの獣の王と呼ばれていたほど強く、そして速い生き物だったはずだ。私なんかの足で追いかけられるほど遅くはないはず、それなのに...まさかどこか体を痛めているのか?


「はぁー…」


 少し広い庭を設けた家が並ぶ通りで、急に電池が切れてしまったように立ち止まった。疲れていたのもあるが、ここまでやる必要があるのか疑問に思ってしまった。相手はピューマ、マキナと同じ仲間だ、私が汗をかいてまでやる義理があるのかと、忘れていた鉛が再び胃袋に帰ってきてしまった。


「はぁー…きっつ、全力で走るのは、キツいな…」


 立ったまま膝に手をついて、暴れる心臓を宥めようと意識的に呼吸をしていると、誰かに背中を撫でられて心底驚いた。そして、下を向いたままの私の横を通り抜けて、前に出たのはアヤメの足だった。ハーフパンツにレギンス姿、そして白いスニーカーを履いていた。

 観念した私は顔を上げて、もう一度驚いてしまった。


「大丈夫ですかアオラさん…何があったんですか?」


 テッドだった、私はアヤメだと思ったのに背中を撫でたのは女みたいな格好をしたテッドだった。



✳︎



「いいですか!これは!男用のものでジョギングにも使われているもの!なん!です!女!では!ありません!」


「分かった分かった、私が男じゃなくて良かったな、女と間違われて犯されていたぞお前」


「だ!か!ら!僕は……ん?いや、アオラさんは女性ですよね、別に僕を襲ってもいいのでは…」


「お生憎だな、私は男に興味がない」


「どうしてですか?アオラさんも綺麗な方なのに勿体ないですよ」


「ほう…そうもハキハキと喧嘩を売られたのはナツメ以来だな…」


「いや何でですか、綺麗な人に綺麗と言うのは何か間違っていますか?」


「だから、私は、」


「さっきも聞きました、けれど褒め言葉に男性も女性もないと思いますよ」


 アオラさんと久しぶりに二人っきりになった。最後に一緒だったのは中層攻略戦前、僕がナツメさんから逃げた先の整備舎で愚痴を聞いてもらっていた時だった。


「できることならお前みたいふにゃふにゃした奴じゃなくて、」


「アヤメさんの方が良かったと?心配していましたよ、アオラさんのこと」


「はっ、どうだか」


「それより、どうして走っていたんですか?」


「ピューマが逃げたんだよ、だから追いかけていた」


「え?!逃げた?!」


「あぁ、でももういいんじゃないのか?走るの下手っぴだったし、そのうち誰かが捕まえるだろう」


「そういう…まぁ、それなら…」


「そういうお前は何をしていたんだよ、こんなへんぴな所でその足晒して女でも誘っていたのか?残念だったな、私みたいな女しか釣れなくて」


「面倒臭いです」


「なっ?!」


 孤児院から出発して、ファラさんに言われた通りに街をぐるぐると回っていた。何も散歩していたわけではない、これから面倒を見るピューマ達の「家」を作りたいと言ったのだ。その為の下見...かな?第二区を知らない僕が見て回る意味があるのかと思ったけど、「ピューマを知らない私が見る意味あるの?」と返され負けてしまったので、立地条件や再資源化されたカリブンを搬送するために効率の良い場所はどこかなど、必死になって回っていたところにアオラさんを見かけたのだった。

 それにしても第二区は狭いようでとても広い。第一区とはえらい違いだ、家を建てて人生の居を構えるならこんな所がいいなと思いながら回っていた。そして、後少しというところで孤児院が見えた時にアオラさんが慌てたように引き返そうとしていた。


「あれ、あれはファラがいる所だよな?すまないが私は用事があるんだこれでっ?!」


「僕が区を回っていた理由はもう一つあるのです、そして僕は今日の寝床を人質に取られているので観念してください」


「ちょっ!ちょ、ちょ、マジで!マジで無理だから!」


「はぁー…なるほどねぇ、アマンナのマジはアオラさんが発祥だったんですね」


「いや!ちょっと!」


「今のはマジっぽいですね、本当に女の人みたいでしたよ」


「私は女だっ!」


 何をそんなに...と、言いつつも、僕も面白がって嫌がるアオラさんを孤児院へと引っ張って行くのであった。



75.b



「少し待て、ティアマトと連絡が取れない」


「知りませんよさっさと行きましょう」


 わたしの後ろに立っていたイエンさんが、慌てたように声をかけてきたが、言った通りに知らん。わたしは早く中層へ行ってスイちゃんが倒れた原因を一つでも解明したくて気がせっていた。いつもは偉そうにと思うシークワーサーの声に腹を立てることもなく、格納庫から降り立った人型機を空へと走らせた。


「安全運転で頼むぞ」


「はい」


 頭の中はスイちゃんとグガランナのことでいっぱいだった。薄い綿あめのような雲を抜けて、厚いとんぺい焼きのような雲も抜けると目が焼かれたかと思った。


「こうして、本物の太陽を眺めるのも悪くないな」


 コクピットに地平線の彼方に沈みゆく太陽の光が直接差し込んできた。わたしの手もコンソメも赤く染めてしまい、表示されている内容が何も分からなくなってしまった。


「観光しに行くんじゃありませんよ」


「そうだな、ときにアマンナよ、お前はマテリアルを遠隔操作出来るようだな」


 とんぺい雲を突き抜けた後は再び機体を降下させ、マギール達が解放させたという外壁へと向かった。


「それが何か?」


「どこで覚えたのだ、マキナがマキナを操るなどと聞いたことがないぞ」


「それはあなたにチゲがないだけなのでは?」


「…鍋料理に秘密があったというのか?」


「は?誰が食べ物の話しをしているんですか、ずっとメインシャフトに篭りっきりだったから知らなかっただけでしょと言っているんですよ」


「メインシャフトにいた時はそもそも食べ物を口にする習慣がなかったからな…」


(何言ってんだこの人)


 わたしの遠隔操作について話しをしているのに何で食べ物の話しになっているんだ。そこで「くきゅう」とお腹から音が鳴り、胃の中に何も入っていないよとお知らせが来た。そういえば...孤児院でお菓子を食べてから何も口にしていなかった。スイちゃんが倒れ駆けつけた牛牛車に乗り込み病院へ向かったが門前払いをされてしまった。そこから第一区へと向かい、前にアオラが入院していた病院にも行ったが同様に断られて仕方なくグガランナの艦体へと戻ってきたのだ。まさにてんやわんや、食べ物を口にする暇がなかった。


(あぁそうだよ、スイちゃんの様子を見た後に何か食べようと思っていたのに…)


 ティアマトに「いつまでも甘えるな」と諭されてしまった、わたしが?グガランナに?甘えている?そんなまさか、そう言い返そうと思ったのに口はまるで動いてくれなかった。だからこうして食べるのも我慢して人型機に乗って中層へと飛ばしているのだ。


「話しを戻すがお前は本当にマキナなのか?」


「何ならここで調べてみますか?あなたに人型機を飛ばせますか?」


「機嫌が悪いな、そんなにスイの裸を見たことを怒っているのか?」


「別に、あなたが好きなのはティアマトなんですよね、チョココロネはうちの兄だけで間に合っていますので」


「お前は何が言いたいんだ?」


 あれ、ロリコンって言いたかったのに何故だか仮想世界の夏祭りで口にした、美味しかった菓子パンの名前が口から出ていた。これはあれだな、お腹が空き過ぎてわたしの()いが食べ物に強制変換されているんだな。


「さっきの話しですが、わたしが言いたかったのは知見ですので」


「だからお前はさっきから何の話しをしているんだ、人型機を飛ばす前に先ずは教育機関へ行け」


 馬鹿にされたことだけは分かったので、テンペスト・シリンダーの外壁にぶつかり乱気流となって襲いかかってくる風にも負けないほどにスピードを出し、クエン酸の悲鳴を聞きながら中層へと飛ばした。



「さすがにクエン酸はないかな」


「はぁ…はぁ…ま、まさかこの身で死を覚悟するとは…」


「クエン酸、もうすぐ着きますので食べ物を探してください」


「それは俺のことか?それと探し物を間違えているぞ」


 到着した中層では雨が降っていたようで、わたしと同じようにお腹を空かせて家へと帰った太陽の代わりに、ご飯をいっぱい食べてまん丸と太った月が昇り滴で濡れた大地を照らしていた。またそこで「ぐぎゅうう」とお腹が鳴ってしまい、恨みがましく月を見上げた。はて、ここで食べ物があるとすれば...


「それとだ、さっきの話しだが知見ではなく知識が妥当だと思うぞ、知見は読んで字の如く先ずは見ないことには、」


「うるさいうるさいうるさい!わたしは食べ物と食べ物で頭がいっぱいなんですよ!まずはスイちゃんとグガランナを食べないと力が入らないんですぅ!」


「それ言葉が逆だ」


 むっきー!何なんだこの人は!時間差で指摘してくるな!

イエンさんの無神経な指摘を叫びで止めて、中層にある唯一の街へと向かった。美味しそうな雲がない中層の空を、鳴り続けるお腹と共に飛ばし少し遠くに飴玉のような赤い灯りが見えてきた。


「何あれ、ちょー甘そう」


「あれが何に見えているんだ?街だぞ?」


「そういうクエンさんはお腹減ってないんですか?上層に来る前に胃袋を実装したんですよね」


「自然体に名前を間違えるな、俺はお前と違ってきちんと食事を取っている」


「あぁもうダメ…お腹が減り過ぎて気持ち悪い…」


「峠を越えたら空腹を感じなくなるぞ」


「それ意味違くないですか、あの世に行ってますよね」


 いや確かにご飯を食べないと倒れますけど。

正面に街が見えており、その左手前には真っ直ぐに天へと延びるエレベーターシャフトがあった。月の明かりを受けたエレベーターシャフトの壁が、少し()()()ような気がした、きらり、きらりと反射しているのは...水滴?もしかしたら土砂降りの雨だったかもしれない。

 まぁそんなことよりも、わたしは自分の胃袋に()玉の土砂降りが欲しいと思いながら人型機をさらに加速させた。



✳︎



「首尾は?」

 

「今のところ問題はない、それとカサンが戻ってきたらお灸を据えてやってくれ」


「自分がすればいいだろう、興味があるのは人形だけか?」


「時間がないんだ、すぐ向こうへ戻らないといけない、それよりティアマトは?」


 無事だった...人型機がグガランナ・マテリアルに降り立った時は心から安堵した、まるで新兵だなと鼻で自分を笑い、暴れている臆病な心臓に見栄を張りながらブリッジへ来てみると、すっかり女館長になったティアマトの姿がなかった。コールしても出ない。


「まさか、あいつも逃げたのか?」


「お前と一緒にするな、部屋で休んでいるだけだろう」


 代わりにブリッジで待機していたのはタイタニスだった、いつものスリーピースは少しよれており多忙な時間を過ごしているのが垣間見えた。


「まぁよい、お前さんはどう思う、スイについて」


 放浪している主のせいで、ブリッジに上がっているメインコンソールにもたれながらタイタニスへ話しを振った。


「…前にディアボロスがスイについて言及していたな、途中で通信が切れてしまったが」


「艦体を襲撃して、「マギリ」というデータは即刻削除しろとも言っていたな、あの子がそうなのだろう?」


「あぁ、アヤメが過去に亡くした親友の名前だ、あの時は不覚だった、この我が管理していながらあのような事故を起こしてしまうなど」


「…過ぎた話しだ、スイはティアマトが仮想展開させた女の子であり、そのデータが自我を持ったと…そして今度はそのデータをグガランナが人型のマテリアルに移したということだな」


「あぁ」


「……ディアボロスとコンタクトは取れるか?奴が何故削除しろと言ったのか、その理由を質さねばならん」


「……気乗りはせんがいいだろう、しかし確約は出来ない」


「構わんさ、それとプログラム・ガイアにもスイについて調査を命じてくれ、何か分かるやもしれん」


「……あぁ」


 珍しい、この男が歯切れを悪くして返事をするなど。


「何だ?」


「……聞くがマギールよ、貴様は過去についてどの程度知っている」


「範囲が広すぎる、具体的には?」


「貴様がグガランナ・マテリアルを中層へ移送させた際に利用した貫通トンネルについてだ、決議の場で製造履歴を確認してみれば、責任者は我になっていた、だが製造理由について知る権利はないと断られたよ」


 ...()()()()()、だが()()()()()()。夢の内容を思い出すのとはわけが違う、これは何だ?


「どうした?いつにも増して顔が変だぞ」


「お前さんも冗談が言えるようになったのだな、一体誰にかぶれたのやら…いいか良く聞けタイタニス、知っていることは知っているがまるで思い出せない」


「……?」


「記憶喪失していることを自覚しているということだ」


「それはまさか記憶の消去があったということか…誰の仕業だ?」


「決まっておるだろう、プログラム・ガイアだ」


「………貴様まで権利がないと…?ここまでするなら答えは一つしかあるまい」


「都合が悪いのだろうな、貫通トンネルを完成させた理由が露呈してしまうのが」


「あぁ間違いない、何故そこまで…」


「それよりスイだ、お前さんがガイアに含んでいるところがあるのは分かったが、今は辛抱してくれ、人命救助が先決だ」


「貴様もよく得体の知れない貫通トンネルを使ったのか興味はあるが…いいだろう」


「儂はただ「グガランナ・マテリアルを貸してくれ」とゴネただけだ、後は頼んだぞ」


 軽く手を上げて答えたタイタニスと別れ、ブリッジにあるエレベーターへと乗り込んだ。少しぐらいは休んで帰ろうかと思ったが端末からコール音が鳴った、これの相手があのグガランナかアマンナであれば容赦なく端末を壊していたところだったが、中層にある資源の量を調べてくれているアリンからだった。強気に上がった少し太い眉に澄んだように綺麗な茶色の瞳を湛え、面倒臭そうに報告してくれた。


[中層に保管されている資源は…あー、宝石?みたいな物が沢山、それから食糧については、一般の方が言うには当分困らないそうです、それから備品関係については使っても減らないので調べようがありませんでした]


「馬鹿者ぉ!」


[?!]


「それのどこが報告なのだ!聞かなくとも分かることは報告とは言わん!儂が知りたいのは数だ!値で示さんか!」


[……と、言われましても、食べ物も備品も全部工場にありますので…私はそもそも文系、]


「宝石のような物と言ったな!それはナノ・ジュエルと言って食糧も備品も生産する優れ物なんだ!」


[え?そうだったんですか?私はてっきりただの装飾品かと…]


「それが一つあるだけで何ヶ月も暮らせる貴重な物だアリンよ、カリブンより何倍も優れていると思え」


[え?!何ヶ月も…そんな貴重な物が…]


「この話しは内密にしろ、誰にも話すな、もし知れ渡ればすぐに争いが起こるぞ」


[は、はい!誰にも言いません!それで私はどうすれば!いいですか?!]


 ようやく事の重大さが分かったようだな、出来ればアリンにも言いたくなかったが仕方がない。緊張感を持たせるためにもどれだけ貴重な物であるか、その事実を伝える必要があった。


「信用出来る者にだけ話しを通して後はお前さんだけで管理しろ、すぐに使いの者を出す、それまで辛抱していろ」


[はい!]


 始めとは顔色も変わり、引き締まった顔付きで返事をしたアリンとの通話を切った。エレベーターから降りた後、ガラス張りになった通路をひた走る裸体の女の子が目に入ってきた。


「…………………」


 それも手足を地面に付けて、まるで犬の真似事をしているよう、儂の視線に気付き、


「わんっ!」


「…………あぁ、あぁ」


 一言吠えた後、艦体の入り口へ向かって駆けて行った。その様子を儂はまるで幼な子のように呆然と見つめているだけだった。



75.c



 見た目とは違い、テッドの腕っぷしはとても力強く、無理やり引っ張られる手から逃れることが出来なかった。そうして到着した場所はとても孤児院とは思えない程に洗練された建物で綺麗な所だった。ここにあの()()()がいるのかと思うとにわかに信じ難いが、庭に置かれた古い遊具を見て直感した。


「どうかしたんですかアオラさん、何をじっと見ているんですか?」


「いや…というか!いい加減離せ!」


 子供用の赤い三輪車、それから色褪せてしまったボールは私やアヤメ達がよく遊んだ物だった。こんな物をこんな所にまで持ってくるのはファラしかいない、図体はデカいくせにケチ臭いところがあるのだ。

 勝手知ったる他人の家と言わんばかりテッドが孤児院の扉を開けて中に入っていく、観念したと思っているのか私に注意を払っていない、この隙に逃げようかと思ったが後ろから誰かに抱きつかれてしまい、らしくない悲鳴を上げてしまった。


「ひゃああっ?!」


「久しぶりねアオラ、元気そうで何よりだわ」


「ど!どっから出てきんだ!驚かせるな!」


「今の声…誰ですか?ひゃああってもしかしてアオラさん?」


 孤児院に入ったはずのテッドが顔だけ表に出してわざとらしく驚いている、文句を言ってやろうかと思ったがそれどころではなかった。


「さぁて、皆んな揃ったことだし行きましょうか、エフォル達だけ行かせているからそろそろ疲れている頃だろうし、ね?」


「わ、分かったから、離して…」


「もう逃げないって約束してくれる?」


「す、するから…」


「…………」


 くそ!くそくそ!だからファラとは会いたくなかったんだ!見てみろテッドの顔!


「それと、スイちゃんは平気かしら?テッドは何か聞いてる?」


「………はっ、あのアオラさんが乙女になっていたので思考が……いえ、ティアマトさんから何も、マギールさんも様子を見に来てくれているはずなんですが…」


「お前それわざわざ口にする必要があったのひゃっ?!」


「駄目よアオラ、アヤメの口真似したら」


「……え?アヤメさんの……口真似?」


 さすがにテッドへ文句を言ってやろうと思ったのに、私に抱きついたままのファラから脇腹を抓られてしまいまた変な声が出てしまった。


「あの子のことも気になるけど、専門家に任せて私達は私達の仕事をしましょう、また元気になって戻って来てくれるわよね?」


「は、はい…それは、勿論なんですが…」


 結局、綺麗な孤児院には入らずファラとテッドに連れられて再び住宅地へ向かっていった。



✳︎



 色んな人に睨まれながら、遠ざけられながら知らない街を歩いた。早く皆んなに謝らないといけないのに、迷惑をかけてごめんねと、言わないといけないのに足が言うことを聞いてくれなかった。前にも、こんな事があったなと思い出す、けれど何のことだか分からない。

 知らない人に見られるのはもううんざりだったから、建物の隙間に隠れるようにして歩き、いい加減疲れてきたのでごおごおと音を立てている四角い箱の後ろに座り込んだ。すると、建物と建物の間、太陽も沈みかけて薄暗いはずの場所に一人の女性が立っていた。どこかで見たことがある人だったけど、やっぱり思い出せない。さっきからこのあやふやな記憶は一体何だろう、森からこの街へ来たばかりだというのに。

 その女性が真っ直ぐにこちらを見ている、ゆっくりと口を開いてやはり聞いたことがある声で語りかけてきた。


「最後の最後に役立ってもらうわ、不要な物は排除しないとね、それを作ったのが私であれ、他人であれ、関係ないもの」


「grnmnnm…」


 話している内容が分からない、それに何だか背中の辺りがちくちくと痛み始めた。早くどこかへ行ってほしかったので威嚇してみせたが、一向に怯まない。


「初めからそうすれば良かったのね…今となってはどうでもいいことだけど」


 女性が手を上げた、こちらに手のひらを見せるように。そして見えていたはずの女性が消えて、代わりに水滴だらけの汚い壁が視界に映った。



✳︎



「あの、ファラさん?さっきの話しなんですが、昔のアヤメさんはどんな感じだったんですか?」


 夕陽も沈んで薄暗い街中を歩くファラさんの背中に向かって声をかけた。あのアオラさんが、言われるがままされるがままになっているのも大変珍しいが、僕の頭の中は「やんちゃ娘」のことでいっぱいだった。


「それについては仕事を終えてから食卓の花にしましょうか、ね?アオラもたまには昔話しを咲かせるのも悪くないわよね?」


「う、うん、まぁ…」


 うん?!あのアオラさんが「うん」?!どんな生活を送っていたんだろうか...ファラさんと再会したアオラさんはめっきり僕の顔を見なくなってしまった。あれかな、知っている人の前では親と会いたくない心境なのかな。

 ファラさんに連れられて到着した場所は、広い敷地がある建物だった。公民館?かな、地方区には未だ昔の名残で区の人達が集まる建物があると聞いていたけど、その公民館から騒がしい声が外にいても聞こえてきた。


「こら!待ちなさい!」

「wptgdp!」

「アイエンそっちに行ったぞ!」

「待ってくれ!今別のを抱えているから!」

「あー!アカネ!後ろ!」

「mpwgtjd!」

「きゃあー!!」

「wpmggp!」

「スケベなピューマもいるんだな」

「感心してる場合じゃないでしょエフォル!捕まえてきて!」


 ばぁん!と扉が開け放たれ、犬...かな、それにしては少し大きいような気もするけど、四本足でしっかりと地面を蹴って一体のピューマが飛び出してきた。ファラさん達がいる方へ走りそのまま突撃するのかと思いきや、ファラさんとアオラさんの前で立ち止まり、そしてアオラさんに頭を擦り付け始めた。


「まぁ、あなたには懐いているのねアオラ」


「ほら、どうしたの?そんなに慌てて」


 み、身を屈めてピューマと視線を合わせて頭を撫でている...アオラさんの変貌ぶりにピューマも怖気付いたのか、ゆっくりと距離を置き始めた。


「あ、アオラさん、その変な喋り方をしているからきっとピューマも引いてるんですよ…」


 がしっ!と僕の腕を掴んで顔を近付けてきた。


「…お前!艦体に戻ったら覚えていろよ!」


「いつものアオラさん!」


「…ファラの前ではああ言わないと駄目なんだよ!今は諦めろ!」


 少し逃げていたピューマも、アオラさんのいつもの口調を聞いて再び頭を擦り付けてきた。開け放たれた扉からエフォル君も飛び出してきた、髪も服もぐちゃぐちゃ、きっとピューマに掴まれてしまった跡なのだろう。


「あぁ良かった!というかファラ!やっと来やがった!ピューマの相手すんのめちゃくちゃ大変なんだけど!」


「何をやっているの?」


 今のはファラさんではなくアオラさんだ、変貌を知らないエフォル君はとくに気にすることなく答えていた。


「区長さんから預かったピューマにご飯を食べさせようとしているんですけど、まるで言うこと聞かないんですよ!どいつもこいつも逃げてばかりで!」


「ご飯?」


「あまり見た目は美味しそうには見えないけどね、ピューマはあんな黒い液体を食べていたの?」


 あぁ...もしかしてそれは...やんわりとしか伝えていないのだろう。アオラさんもすぐに液体の正体が分かったのか僕に目配せをしてきた。


「…おい、というか何でお前がここにいなかったんだよ、こいつらが可哀想だろ」


「はぁーその口調の安心感がすごいです」


 ファラさんに隠れるようにして僕の二の腕をこれでもかと抓ってきた。これはあれだな、親の前ではきちんとしていないと怒られるから皮を被っているんだな。

 エフォル君が僕の顔を見るなり眉尻を下げた、何か言いたそうにしているが後ろから誰かに引っ張られて建物の中へと連れ去られてしまった。自分でもどうかと思うけど、あの時の皆んなの対応には思うところがあった、仕方がないのかもしれないけど、あんなに仲良く話しをしていたくせに、とも思っていた。


「ファラ、それは食べ物じゃなくてカリブンだよ、使い終わって破棄されたもの」


「え?!……これを、あの子達が食べるの?」


「いえ、食べるというよりはピューマが洗浄して綺麗にしてくれるんですよ、他の区では洗浄されたカリブンがもう街に配られているみたいです」


「ええ?!それじゃあ…もう新しいのは買わなくてもいいってことなの?」


「テッドは何か知っているの?」


 二の腕を摩り、鳥肌を宥めながら、


「し、使用頻度にも限界はあるみたいですが、まだ調査が済んでいないみたいなので、追って政府から連絡があると思います…ただ、使用には問題ないみたいなので今日から早速使えるかと…」


「ええ?!」


「ファラ、驚きすぎだから」


「だってだって!区長さんからピューマの面倒を見てほしいとしか言われてなかったから…まさかそんな話しになっているなんて思わなかったのよ!こうしちゃいられない!」


 目の色を変えてファラさんが建物へと突撃していった。


「おい、私このまま逃げてもいいか?近付きたくない理由がよく分かっただろ」


「それならどうして最初から断らなかったんですか」


 いつもの調子に戻ったアオラさんが僕の胸ぐらを掴んできた!


「誰も私に説明してくれなかっただろうが!」


「ぐぅえ!そ、それは!アオラさんが不機嫌に!なっていたからで!あの時はそれどころでは!」


「私が悪いって言いたいのか?!勝手に入ってきたのはそっちだろう!!」


「あ、あんな公共の場で!あんなことをしていたアオラさんが悪いんでしょ!ご、ご自宅ならいざ知らず!整備長室は皆んなが入れる場所ですよ?!」


「ちっ!」


 舌打ちをしてからようやく解放してくれた。


「はぁ…はぁ…何をそんなに怒っているんですか、邪魔されただけじゃないですよね?」


「…………」


「言いたくないなら結構ですがいつまで経っても変わりませんよ、皆んなが皆んなアヤメさんみたいに優しいわけではありませんので」


「何でそこでアヤメの名前が出てくるんだよ」


「あんな面と向かって文句を言ってくれるだなんて優しいじゃないですかアヤメさんは、僕なら無視しますね、公共の場を私物化して挙句に部外者を連れ込む人なんて、関わってもろくなことになりません」


「お前…ほんと…」


「機嫌は直さなくていいですが仕事はしてください、僕がここを担当することになりましたので、軌道に乗るまでは付き合ってもらいます」


「はいはい、わぁーったよ」


 投げやりに返事をしたアオラさんが建物へと入っていった。それを見届けてから僕も仕事のためにアオラさんに続いた。



75.d



 薄暗い部屋の中に四人が額を合わせて相談事をしていた、内容はナノ・ジュエルの取り扱いについてだ。ベッドシーツまで被る必要を全く感じないのだが、本人達はいたって本気だ。おそらくはナノ・ジュエルの貴重性を目の当たりにしてしまい、どう扱えばいいのか分からないのだろう。

 未だに名前を呼んでもらえない生真面目そうな女の子が、生唾を飲み込んでから口を開いた。


「…いい?今回マギールさんから聞いた話しはなかったことにして、私達は知らぬ存ぜぬ我関せずでいくわよ、まかり間違っても他人には言わないように」


(相談していた意味は?)


「…いやあのさ、それなら最初から私達にも言わないでほしかったんだけど」


「そんなの、私だけ秘密を持ってるなんて不公平じゃない、基本的にビビりなんだから」


「知らんがな」


「…その、宝石みたいなやつがご飯を作っていたってことなの?」


 カリンに後ろから羽交い締めにされているミトンが質問していた。あれはおそらく逃げないようにするためだろう。


「うんそう、私はそう教えてもらった」


「…お姉ちゃん、それ本当なの?宝石からご飯が出来るだなんて…」


「それは私も思ってた、ご飯だけじゃなくて服とか別の物も作れるんでしょ?…それ本当に?騙されているだけじゃなくて?」


「そんなはずっ!……………でも、言われてみれば確かにそうね」


 ナノ・ジュエルは多面展開型万能複製素材...だったはず、この閉じられた世界でほぼ全ての物質を再現出来るオーバーテクノロジーだ、マキナである私達にも製造出来ない。サーバー内に保存されたデータからナノ・ジュエルを原料にして再現していく、確かにとても貴重な物だ、これのせいで過去には戦争が起こったぐらいだ。


(最近知った話しだがな…)


 中間領域から帰還した私は、早速手持ち無沙汰になっていた。とくにするべきこともなく、連絡を取る相手もいない。これならもう少し向こうにも居て良かったのかもしれない、これが私というものだが役割がないのなら時間を持て余す以外に選択肢がなかった。それならばと思い、久しぶりにあの四人を観察しようとサーバーから彼女らを観ていたのだ。

 何か思い付いたようにぴんと人差し指を立てたアシュが、当たらずも遠からずといった意見を口にしていた。


「…それマギールさんのお宝なんじゃない?誰にも取られたくないから嘘を吐いたとか、あの宇宙船の艦長をしているんだよ?それの燃料になるから、とか?」


「……どのみち面倒ごとに巻き込まれているよね私達」


「…達って、私達は関係ないから、うぐぅ」


「駄目だよミトンそんなこと言ったら」


 カリンが後ろからミトンのお腹を押さえつけている。


「使いの者を寄越すって言ってたけど…」


「それ、絶対口封じのためにだよね、とんずらかました方が良くない?」


「ううむむ…私、ここの生活気に入っているんだけどな…」


「大丈夫、私ら満喫するから遠慮なく逃げて」


「何で私だけなのよ!皆んなも一緒に逃げてよ!」


 相変わらず骨のない会話をしている四人、聞いていて飽きない。生真面目そうな女の子がベッドシーツを払い立ち上がった、シーツの下は部屋着ではなくきちんと装備を固めた出で立ちだった。


「とにかく、言われたことはやんないとそれこそ使いの人に追いかけられてしまう、皆んなも手伝って」


「結局かよ、何なのこの相談」


「…私はカリンとお留守番しているからぐうぅ」


「ミトンも行くよ」


「カリン、あんたの足は本当に大丈夫なの?」


「うん、もう平気、走れるぐらいには回復したから、ありがとう」


「べ、別にまぁ」


「ツンデレかよ、そのデレをたまには私にも向けてほしいもんだよ」


「…いや、カリンに向けるべき、今まで散々心配してもらっていたのにお礼の言葉もなかったんだから」


「それは悪かったって思ってる、ごめんねカリン、これからも心配してくれる?」


「「姉の威厳がまるでないな」」


 ミトンとアシュが同時に突っ込んだ。


「うっさい!さっさと行くよ!」


 こうして賑やかな四人組が部屋を出て行った。



✳︎



 ナノ・ジュエル、ナノとはおそらく単位だ、私は文系だからよく知らないけど。マギールさんから話しを聞いた時は思わず信じてしまい仰天してしまったが、アシュの言った通りに嘘を吐かれただけかもしれない。だが、一度引き受けてしまったものはこなさないと、こんなタイミングで逃げてしまえば私達が疑われてしまう。それなら言われたことはきちんとこなしてからとんずらしよう、「私達には荷が重いので他の人に頼んでください」とか何とか言えばいけるだろう。

 皆んなと一緒にホテルを出て一度も登ったことがない登山道の入り口を通り過ぎると、何とも嫌なタイミングで嫌な人達を見かけてしまった。あれだけホテルに()()()()()()他部隊の人達が、今は手に銃を持って屯している、迂回路は他にない。後ろにいる皆んなも遠ざけたいのか私より前に出てこうようとしない中、一番手前にいた人に見つかってしまった。


「こんな時間に見回りか?お前達の当番じゃなかっただろ」


「…いえ、そういう訳では…」


 他の人達も気付いてこちらに近寄ってきた、逃げ出したい衝動に駆られたが足が思うように動かなかった。


「聞いたぜ、何でも明日の朝まで持ち出し厳禁らしいなぁ、それに今頃になって上から連絡が来たんだ」

「そうそう、政府のおぼっちゃまは何も言わなかったがお前達が調べに行くと聞いてなぁ、せっかくだから手伝ってやろうと思ったんだ」

「そんなに怯えるなよ、同じ部隊の仲間だろ?」


 すっかり囲まれてしまった、アサルト・ライフルを肩に担いだ人に気安く肩を叩かれ隣に立たれてしまった。逃げ場を奪ったつもりだろう、全員で五人、皆んな()()()とした臭いがして気分が悪くなってしまった。


「いや、でも…」


 何とか断ろうとしたが、言葉が上滑りするだけでろくに言い返せない。


「いいってことよ、な!それとも今から皆んなでホテルへ戻るか?」


 前に立っていた人の言葉に合わせて、すぐ隣に立っていた人が私の肩に手を回してきた、足元から得たいの知れない何かが急速に上り始め、体の自由を奪われてしまった。こうなれば答えは一つしかない。


「よ、よろしく、お願いします、もしかしたら、まだビーストがいるかもしれないので…」


「そうこなくっちゃな!お楽しみは仕事を終えてからだ」


 囲った五人が聞こえよがしに笑い声を上げ、調査が終わっても解放してくれないのかと暗澹たる気持ちになった。



(最悪だよ、何でこんな事に…)


 暗い街の中を私が先導して歩く。登山道から降りて自然が多い通りに出る、さらにそこから街の入り口方面へ向かい食糧が保存されている工場地帯へ足早に向かった。カリンやアシュ達は男の人に囲われずっと話しかけられていた。年はいくつだの、名前を教えろだの、三人とも明らかに怖がっているのにお構いなしだ。


(さっさと終わらせよう)


 この街の目抜き通りに出た、等間隔に並んだ樹が夕方頃に降った雨に未だ濡れており、私の心とは裏腹にきらきらと輝いている。この五人組さえいなければ、今頃私はきっと調査のことも忘れて見入っていたことだろう。何本かはへし折られたように歪み、その近くにある建物が倒壊していた。あの大型のビーストが残した攻撃の跡らしいが、それをサニア隊長は一人で倒したというのだ。決別したつもりなのに、呼んでくればよかったと心から後悔した。


「もしかして俺達のことが怖い?」


「い、いえ…あ、あんまり男の人と話しをしたことがなくて…」


「おい聞いたか!この子俺が初めてらしいぞ!」


「誰もそんなこと言ってないだろ、お前はほんと下半身でしか聞いてないんだな」


 アシュ達も未だ囲われたままで、男の人から囃し立られている。いつもはあんなに生意気な口をしているのに今は眉尻を下げて大人しくしていた。そんなアシュを見ているのが辛く、さっさと工場地帯へ行って全部バラしてやろうと思った。マギールさんの話しは確かに重要だが、そんなことよりも私は仲間を優先させたかった。

 下品な笑い声を上げていた一人が急に動きを止めた、それにつられて周りにいた人達も立ち止まった。


「何だ?」


「いや、今何か…光ったような…」


 アサルト・ライフルを半端に構えている男性が向いている方向を見やった。並んだ樹より向こうにある建物、さらにその奥に続いている道を注意深く観察していた。まさしく私達が向かう場所だった。


「見間違いじゃないのか、ビーストは全滅したんだろう」


「怖かったらお兄さんを頼ってもいいからな、遠慮するなよ」


「気を付けろ、そいつが一番乱暴してくるからな」


 再び下品な笑い声、声をかけられたミトンは下を向いているだけで何も答えない。


(どうせなら本当に出てくれたらいいのに)


 不謹慎にもそう強く思った。ビーストが攻めてきてくれるなら尻尾を巻いて逃げることができるから。しかし、私の願いも虚しく目指す通りには何もいなかった。



✳︎



「早くしろアマンナ、いつまで食べているつもりなんだ」


「もうふゅひょしまっへ、これはへはらいひゅはら」


「食べている時に喋るな、行儀が悪いぞ」


 お前が聞いたんだろ!と意思表示を込めてこれでもかとイエンさんの脛を強かに殴った。

 到着した食糧庫にはわたしの願いを叶えてくれる食べ物がたくさん詰まっていた。生産を終えたばかりのパッケージングされた食べ物を、あぐらをかいてむはむはと食べ続けていた。噛めば噛むほど味が舌を刺激し、飢えていた食道を満足させながら通り、空っぽになった胃袋に収められていく。


「ひゅあわへ〜…」


「はぁ全く…」


 前に下層で、ナツメが空腹は何よりの調味料だと言っていたが今なら良く分かる。初めて聞いた時は「何言ってんだこいつ」と思ったが、確かに空腹を満たしていくこの行為は幸せ以外の何ものでもなかった。

 一通り食べ終えて、わたしも月のように満腹になった後ゆっくりと立ち上がった。


「さぁて行きますか」


「そのポケットに入っている物は何だ」


「わたしの希望です」


「食べ物と言え、遠回しに置いていけと言っているんだ……ん?」


 清らかなわたしの体に伸ばしていた浅ましいその手をイエンさんが引っ込めた。整然と並んだ食糧を収めた巨大な棚がズラリと並んだ倉庫に、かつん、かつんと足音が鳴った。


「誰か来てますね」


「ここに滞留している奴らか?それにしてはやけに…」


 動きが変、わたしもそう思った。人が歩けば規則的に聞こえるはずの足音が、連続して聞こえたり何かに詰まったように断続的に聞こえたりする、明らかに人ではない。


「ビーストですか?」


「さぁな、確認すれば分かるだろう」


「お得意の素粒子流体を披露するんですね」


「満腹になれば言葉を間違えないんだな、お前は」


 先導するイエンさんの後に付いていく、こっちには人型機があるのであまり心配ないが、手持ちの武器は何もない。ここはイエンさんに任せておこう。

 人型機より少し低い、それでもバカみたいに高い棚に見下ろされながらゆっくりと歩く。わたし達が入ってきた倉庫の扉は開かれたままにしてある、そこから外の光が中にも差し込んでいるが何かが通り過ぎて一瞬だけ遮られた。本当にビーストの生き残りがいるなら、わたしが対処した方がいいかなと思っていると何かにぶつかった、そしてその反動でイエンさんが前に転びそうになっていた。


「何やってるんですか」


「馬鹿かお前は!俺のハンドサインが見えなかったのか?!止まれと合図をしたのにぶつかってくる奴があるか!」


「知りませんよそんなの、打ち合わせしなかったイエンさんが悪いです」


「お前…丁寧な言葉使いの割には馬鹿にしているだろ」


「それよりさっさと急ぎましょう、ショッピングモールの調査の前にビーストがいないか調べますよ」


 倉庫内に侵入していたビースト、と思しき何かはそのまま出て行ってしまったようだ。恨みがましく睨んでくるイエンさんを無視して、今度はわたしが急ぎ足で人型機へと先導した。



✳︎



「何もいないじゃないか、このビビりが」


「いやぁ…確かに見えたんだけどな…まぁいいっか、それよりこの子らの仕事を手伝おうぜ」


 到着した工事地帯に異変はないように見えた。常夜灯に照らされた倉庫、それから工場は今日もひっそりとしていた。


「あの、お話しいいですか?」


「何?こんな所で改まって」


 随分と余裕のある笑みを湛えた男性が答えた。


「私達が任されているのは宝石の数を調べることです、とても貴重な物らしくて黙っているように言われていました」


「それで?」


 自分でも、言葉の使い方がおかしいと思いはしたが、結局こう言うしかなかった。


「…だから、見逃してください、誰にも言いませんので」


「んん?何の話しをしているんだ、俺達は善意で仕事の手伝いをしているだけなのに、その言い方はないんじゃない?」


「いや、だって…ナノ・ジュエルが欲しくて、私達のことを待ち伏せしていたんですよね」


「おいおい、そんな訳あるかよ、今日の見回りは俺達が当番だったから打ち合わせをしていただけだぞ?そこに現れたのはお前達だろうに」


「そ、れは…」


 意を決して言ったつもりなのに、まるで話しが通じない。体の中から力が抜けていく感覚に囚われ、代わりに冷たい何かが入り込んできた。私と話しをしていた男性が横を通り過ぎてアシュの隣に立った、そして、


「俺達が疑われているんだけど、何とか言ってやってくんない?」


「……あ、あの…」


「もしかして君も疑ってた感じ?」


「い、いえ、それはありません…」


「ほらぁ!」


 私がされたようにアシュも気安く肩を抱かれている、今にも泣きそうになっていた。


「俺達はここで見張りをやっているから、調べておいで、な?」


「……………は、はい」


 逡巡していた私の肩を別の男性が叩き、有無言わせぬ圧力を感じて従った。アシュ、それからカリンとミトンもされるがままで、どうすればいいか分からず、忸怩たる思いで男性に付いて行くしかなかった。


(私の勘違い……?本当に仕事を手伝ってくれているだけなの……?それにしたって……)


 あのねちっこい視線は何だ、何かを企んでいるあの目だけは信用出来ない。けれど交渉に失敗してしまった、何も言い返せなかったことよりもアシュ達にも迷惑をかけてしまったのが何より堪えた。

 頭がぼうっとして、それでも心臓は早鐘を打つように激しく脈を打っている。前を歩く男性が何度かこちらを見ていたが視界に入れないようにしていた。工事地帯の入り口から奥へと入り、宝石が保管されている倉庫へと向かっている。両隣は高い倉庫の壁に挟まれて、後ろにはまるで見張りのように男性が立っていた。これではいざという時の逃げ場がない、そう思った矢先に前を向いていた男性が勢いよく振り返り私の腕を取ってきた。


「………!!」


「そんなに怯えるなって初めては誰でも怖いもんなんだ、銃を初めて握ったことを覚えているか?」


 首だけ振って否定した、言葉を発するのも怖かった。


「そうなるよ、怖いのは最初だけ、それに失礼なことを言った詫びは取らないとな?」


 そう言いながら、私の服に手をかけた。私だけで済ませてほしい、アシュ達には手を出さないで、なけなしの勇気を振り絞ろうとした時に天から声が響き渡った。


『現行犯を確認した、これより君達はただの強姦魔として処理させてもらう』


「何だっ?!どこからっ?!」


『どこからとは、君達がホテルの入り口前で数時間前からアンブッシュしていた時からだ、場所の話しなら…そうだな、この街の管理者代理と言おうか、君達の行為はサーバーから筒抜けだ』


「くそっ!お前の仕業かっ!」


「し、知りません!」


『善人の皮を被った畜生よ、少女の体にも手を出すというのなら容赦はしない』


「違う!俺はただ、服に付いていたゴミを取ろうとして!」


『そんな言い訳が通用すると思うな、奸計をめぐらせていたのは知っているんだ、ナノ・ジュエルの重要性については政府の調整官から聞いているだろう、それの横領と事実を知っている少女らを手籠にする計画をホテルで話し合っていただろうに』


「くそ!何なんだお前は!……おい!こっちに来い!」


「いやぁ!」


 腕を乱暴に取られ後ろから羽交い締めにされてしまった、そして背中には冷たい感触があった。


「どこから見ているか知らんがこの状況は分かるだろう!さっさと消えないとこいつを撃つぞ!」


「た、助けて!お願いだから!皆んなのことも!」

 

『……分かった、全力で応えよう』


 その言葉を発した途端に静寂が戻ってきた、おそらくスピーカーから話しかけていたのだろう。そして工場地帯の入り口から発砲音が聞こえてきた。

 

「お前!あいつは誰なんだ!」


「知りません!いい加減に離せ!」


 取られた腕を振り解こうと暴れていると、私達が通ってきた入り口に誰かが倒れた、心底肝を冷やしたが仲間ではない、やはり私達をつけ狙っていたうちの一人が頭から血を流していた。


「………」


「何…あれ……」


 銃弾によるものではない、頭から耳にかけて切り裂かれ地面でのたうち回っていた。


「あいつの仕業だっていうのか…あそこまでするのか…」


 愕然とした様子の男性が力なく手を離した、その隙をついて私は皆んなの所に駆け出していた。手にしいた自動拳銃のセーフティを素早く解除して入り口に戻ってみれば、八本足の見たことがないビーストが、今まさにアシュへとその足を振り上げていた。


「アシュ!逃げてぇ!!」

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