第七十四話 存在理由
74.a
「それでは開廷致します、被告人は証言台に立ってください」
「……………」
「お名前は何と言いますか?」
「……分かりません」
「生年月日は分かりますか?」
「分かりません」
「住んでいる住所は言えますか?」
「言えません」
「それでは、これから被告人に対する住居侵入罪ならびに器物損壊罪について審理します、検察官は起訴状を朗読してください」
「公訴事実、被告人は稼働歴二千八百三十三年、テンペスト・シリンダーを監視あるいは管理しているサーバー内に侵入、管理プログラムであるガイアの静止に従わず、稼働歴九百八十三年に該当するアーカイブデータを一部破損させたものである、罪名及び罰条、住居侵入罪、器物損壊罪、刑法第百三十二条、二百六十条、以上について審理願います」
「被告人はこの法廷で何も答えないでいることが可能です、答えることも可能ですが被告人として発言した内容は、有利不利に関わらず証拠として扱われますので十分に注意してください」
え?ここは何、裁判所...なの?あの暖かいベッドは?それにグガランナ様はどこ?何故私がこんな所にいるのか理解出来ない。
「今、検察官が朗読した内容に誤りはありますか?それとも正しいですか?」
「……その前に詳しく教えてください、状況把握ができておりません」
「被告人であるあなたはガイア・サーバーから告訴されています、何故だか分かりますか?」
「…カオス・サーバーにアクセスしたからですか?」
「精神的不安定は認められないため裁判を続けます、よろしいですね?」
つまり、私が他のマキナの皆様をけしかけカオス・サーバーに入ったことが罪に問われているということなの?そうだとしたら...
「……はい」
「繰り返しになりますが、検察官が朗読した内容に誤りはありますか?正しいですか?」
「アクセスしたことに変わりはありませんが、データを破損させた件に関しては誤りです」
「弁護人の意見はどうですか?」
弁護人?
「被告人である彼女についてはこちらも審議をしているところです、発言は控えさせて頂きます」
ちょっと待ってそれ弁護って言わないから!それにあの男性は誰なの?初めて見ましたが、私達が遭遇した現象を把握しているということよね?
まぁいい、と気を取り直して目の前の高い壇に腰をかけている裁判長に視線を向けた。ブルドッグ、彼を表すぴったりな言葉だ。垂れた頬を持ち上げるようにして続きを話し始めた。
「被告人は席に戻ってください、検察官は証拠の取り調べを請求してください」
言われた通りに証言台から離れて弁護人と裁判長に呼ばれた男性の隣に腰を下ろした。しわ一つない若草色のスーツに、同じ色をした中折れのハットを目深に被っている。そして、そのハットにはダイヤモンドがあしらわれた六角形のバッジを付けていた。
「証人として、稼働歴九百八十三年サントーニの街で自警団に所属していた男性に尋問を請求します」
「では、その方は証言台に立ってください」
あの時に見た、鼻がスラリと高く茶色の巻毛をした男性が証言台に立った。え、どこから出てきたの?
「あなたのお名前を教えてください」
「サルアト言イマス」
「サルアさん、これから被告人に対する住居侵入罪ならびに器物損壊罪について証人として尋問しますので、その前に嘘は言わないと宣誓してください」
「嘘、言ワナイ」
急な片言。
「結構です、宣誓後の嘘の証言は偽証罪に問われますので十分に気をつけて発言してください」
「ハイ」
「それでは、検察官始めてください」
「稼働歴二千八百三十三年、サントーニのアーカイブデータに被告人が侵入してきましたか?」
「ハイ、ソレトグラナトゥム・マキナヲ名乗ル男性一人、女性三人モイマシタ」
「そのグラナトゥム・マキナの名前は分かりますか?」
「ハイ、ディアボロス、プエラ・コンキリオ、ハデス、アト一人ハ名前ガ分カリマセン」
「それは何故ですか?」
「初メテ見タマキナデシタカラ」
「どのような人でしたか?」
検察官の質問にサルアと名乗った男性が私を無遠慮に指さした。
「クリソツ」
だから急な片言、それにその言い方は私の!
「終わります」
「弁護人から意見はありますか?」
「最後の一人についてですが、名前はグガランナという新造されたグラナトゥム・マキナです」
やはりこの男性...私達のことを知っている。
「他になければこれで終わります、サルアさんは席に戻ってください、続いて弁護人、立証してください」
「証人として、エディスンのメリアをお願いします」
「検察官、意見はありますか?」
首を振って答えている。
「では、証人として採用します、証言台に立ってください」
あ!あの女ぁ!私とグガランナ様の部屋をメイキングしていたメイド!
「あなたのお名前はなんと言いますか?」
「メリアと言います、嘘は言いません」
「結構です、宣誓後の嘘の証言は偽証罪に問われますので注意してください、それでは弁護人始めてください」
「メリアさん、あなたは被告人について何か知っていることはありますか?」
何その質問!弁護人が法廷でしていい質問なの?
「はい、被告人の名前はガニメデといいます」
...................は、被告人って、私のことよね、その名前が、ガニメデ?つまり私の名前はガニメデというの?
「それはどこで知りましたか?」
「サントーニの街にある絵画です、朝日を受けた時しか浮かび上がらない床に描かれたものです」
「その絵だけで被告人をガニメデと判断したのですか?」
「はい、良く似ていますので」
「検察官、意見はありますか?」
「グガランナ、それから被告人は良く似た外見をしていらっしゃるということですが、新造されたグラナトゥム・マキナが二体だったということはありませんか?」
「それはありません」
答えたのはメリアと呼ばれた女性ではなく弁護人だ、裁判のルールを知っているのかこの人達は。私は証言台に立ったメリアに釘付けになっていた。
「他に何か知っていることはありますか?」
「グガランナがお姫様と呼んでいました」
「それは何故ですか?」
「分かりません」
「終わります」
座っているのに椅子から転げ落ちそうになってしまった、なんなら代わりに私が尋問したいぐらいだ。その絵と私の関連性ぐらい聞けたでしょう!睨め付けるように弁護人に視線を向けると、とても冷めた視線をぶつけられてしまった。
「…………」
迷惑、言葉にしなくとも弁護人の顔にはそうありありと書かれていた。
「検察官、それから弁護人、他に証拠取り調べの請求はありますか?」
「あります、同じくサントーニの街でグラナトゥム・マキナの身辺警護を行っていた女性に尋問を請求します」
「弁護人、意見はありますか?」
もう、取り繕うつもりもないのか、めんどくさそうに手を振っただけだった。
「それでは、証言台に立ってください、お名前は何と言いますか?」
「カスミト言イマス、嘘ノ証言ハシナイト誓イマス」
「よろしい、それでは検察官、始めてください」
「稼働歴二千八百三十三年、被告人は無断でサーバーにアクセスし、生物体として登録されていたノヴァグのデータをサントーニの街に流出するよう仕掛けたと思いますが、その痕跡を発見したのはあなたですか?」
は?
「ハイ、痕跡ハ発見シマシタ、ソレガ被告人カドウカハ分カリマセン」
「その痕跡はどのようなものでしたか?」
「謁見ノ場トシテ利用サレテイル、ドーム状ノ建物ニアリマシタ、床ニ設置サレタポートカラ履歴ヲ確認シマシタ」
「その履歴は誰の名前になっていましたか?」
「ハデスデス」
「その時、被告人はどうしていましたか?」
「私ハ見テオリマセン、最後ニ見タノハ館ニ招イタ時デス」
「弁護人、意見はありますか?」
「あなたは被告人がハデスに指示を出しているところを目撃、あるいは別の人から聞いていましたか?」
「イイエ、見テモ聞イテモナイデス」
「検察官、他にありますか?」
「ありません、以上です」
「それでは、証人は席に戻ってください、他に証拠取り調べの請求、立証はありますか?」
「あります、証人としてサーバーの管理者をお願いします」
そう、弁護人が発言したと同時に証言台に一人の女性が立った。黒い髪をして緩やかにウェーブをしている大人の女性だ、今は喪中なのか...は知らないが、全身を黒一色のワンピース、それからショールを肩にかけていた。
「あなたのお名前は何ですか?」
「プログラム・ガイアです」
...隣に座った弁護人も、斜向かいにいる検察官も、壇上にいる裁判官も全て忘れ、プログラム・ガイアと名乗った女性を見入った。
こんな訳の分からない、確かに侵入したのは私だが、裁判を続けていたのも何かしら私に関することが分かると思ったからだ、今のところの収穫は私の名前が「ガニメデ」らしいということだけだ。そして、このテンペスト・シリンダーを余すことなく把握している管理者が目の前に立っている。
「裁判長、証人について意見があります、彼女は本当に管理者なのですか?子機ではありませんか?」
「プログラム・ガイアさん、何か意見はありますか?」
「私が子機ということはあり得ません、何せグラナトゥム・マキナを我が子のように可愛がっているのですから」
「検察官、まだ異議を申し立てますか?」
「ありません」
「それでは弁護人、始めてください」
「稼働歴二千八百三十三年、被告人はどこからサーバーにアクセスしていましたか?」
「一本気なタイタニスが製造したメインシャフト内からです、階層は一つ目、四分割されたエリアのうちの一つ、生産区画からです」
やっぱりあの穴!私の勘は正しかったのだ。いやでも、あの穴には立ち入っていないはず、それなのにあそこからとはどういうことなのか。
「被告人はどのようにしてアクセスしましたか?」
「同じく五階層にあるルーターからアクセスしました」
「そのルーターとは誰が設置したものですか?」
「……それはあなたが詳しいのではなくて?」
「……ただの礼儀さ、裁判長に失礼だろう」
え、何なんだ急に...二人だけの世界を披露するのはやめてほしい。裁判長も早速糾弾した。
「私語は慎んでください」
「失礼しました、設置者はバルバトスと名乗るマキナです」
「検察官の訴状では、管理者の静止に従わなかったとありますが、あなたは被告人に対して止めるように働きかけましたか?」
「はい、あちらからコンタクトを取ってきましたのですぐに引き返すよう言いつけました」
「あちらとは、誰のことですか?」
「グガランナです」
いつの話しだ?そんな時が...いや、確か十一人目のマキナを疑っている時に...グガランナ様はプログラム・ガイアに通信をしたというの?でもあの時は...
「グガランナは何と言っていましたか?」
「こちらの言いつけに答えることなく通信を切りました」
「それは何故ですか?」
「被告人に協力するためかと思います」
「あなたは被告人について何か知っていますか?」
「いいえ、何も」
...そんな、馬鹿な話しが...だって私は確かにこのテンペスト・シリンダーで...
「失礼しました、製造履歴は分かります、一番末っ子と同じ日付けが誕生日ということだけです」
それはつまり、私とグガランナ様が同じタイミングで製造されたということ?それなのにプログラム・ガイアは私について何も知らないということなの?
「他に何か知っていることはありますか?」
「ありません、被告人は私の子ではありません」
ぐらついた、世界が、周囲を認識している脳が異常をきたしてしまったかのように。
「終わります」
「他に取り調べの請求はありますか?」
もう、何も聞こえない、いや、聞きたくない。この場にいる誰もが私について知らないのだ。唯一の手がかりは「ガニメデ」ということだけだ。
「なければ、これで証拠調べを終わります、双方の意見を伺います、それでは検察官から論告をお願いします」
「被告人に対する本件控訴事実は、当公判廷において取り調べ済みの証拠によってその証明は十分であります、本件犯行を行った被告人は他のグラナトゥム・マキナと結託あるいはそそのかし、計画的に行われたと判断します、また弁護人、証人である管理者からも無実を証明する証拠の提出もなく疑いの余地はないものと判断します、よって被告人には有罪の判決を求めます」
好きにしろ、今となってはどうでもいい内容だった。
「続いて弁護人、弁論をどうぞ」
「被告人は私どもが管理するマキナではないと判断します、よってこの裁判そのものが無効であると主張します」
「最後に、被告人は裁判所に対して何か述べておきたいことはありますか?」
「……私のことを知っている人を、誰か紹介していただけませんか?」
「これで審理を終えます、判決言い渡し期日は稼働歴二千八百三十三年末とします、本日はこれで閉廷します」
74.b
目が覚めるとそこは古い家屋だった。何故古いのか、そう言われると返答に困るのだが、古いものは古いのだ。よくこんな家を建てたなと思えるほどに、誰かが昔ここに住んでいたのだろうか。
連なる山々が見える場所に建てられた古い家屋の前には、意識を失っている皆んなが地面に倒れていた。ディアボロス、プエラ・コンキリオ、それからハデス、そしてお姫様。何とか無事にカオス・サーバーから生還できたらしい、私が最後に見た景色はおぼろげで、今にも頭の中からこぼれ落ちてしまいそうになっていた。全て木で建てられた家屋が、山にぶつかり勢いを増した風に吹かれ小さく軋む音を立てた。その音に目を覚ましたのはハデスだった。
「…気分はどうですか、ハデス」
「あ、あぁ…ここは、中間領域、か…気分は…そうだな、最悪だよ」
「そうでしょうね、顔に書いてあります」
「君はどこにいたんだい?途中から姿が見えなかったが…」
「ディアボロスとお姫様とで、隣の街へ行っていました、その後さらに別の街にも行きました」
「アクティブだな…こっちは散々だったよ、まぁ、決議の場でゼウスが発言していたことが真実だと分かったがな」
ゆっくりその場で身を起こし、胡座をかいた。
「それはどのようなものでしたか?」
「私がラムウの頭を斬り飛ばしていたよ、それを周りにいた人間達はさぞかし面白がっていた」
「××××…相変わらず言葉は発せないのですね」
「今さらな気もするがな、お、司令官も起きたみたいだな」
「ん…んん?……ここは……」
「気分はどうだ、司令官」
「最悪よ…またあんたの顔を見ないといけないと思うと…」
司令官もその場合で起き上がり、足を畳んでハの字にして座った。
「司令官は何か収穫はあったのか?」
「……あった、過去に私達へ指示を出して分割統制をさせていたことも、その前には人同士で戦争をしていたこともね」
「だろうな、そんな気はしていた」
「どうだか…指示を出していたのはプログラム・ガイアだったよ、あそこに上官はいなかった」
「それが気になる、何故いなかったのに過去について知っていたんだ?」
ハデスの言うことは最もだ、私達が街を回っていた際も最後まで彼女の名前を耳にすることはなかった。だが、決議の場ではゼウスが何を喋ろうとしているのか、知っている素振りに見えていた。それなのに何故...
「あの絵画については?あんたは何か知見はあんの?」
「簡単だろ、中心にいた人物がプログラム・ガイア、その周りにいた十人が上官とグガランナを除くマキナだ」
「なら、その下にあった女性の影絵は?」
何だそれは、初耳だ。
「そんなものあったのか?グガランナは知っているのか?」
「いいえ、初めて知りました」
「あっそ、それならこの話しはこれで終いね」
「何故なんだ、司令官が先に口にしたんだろう」
「天の牛に教えてやる義理はない」
そういうこと...それなら仕方ない。一触即発の雰囲気の中、次に目覚めたのはディアボロスだった。他の二人と同じように気分が優れない顔色をしている、そして私を見るなりこう口にした。
「…アマンナを確認した、奴は稼働歴九百八十三年、過去に居たのにも関わらず今よりも成長した姿をしていたぞ、グガランナ」
「…………」
「それと、押し寄せてきたノヴァグどもを一瞬で壊滅させていたよ、あれは何者なんだ?」
「ちょっと待って、あのアマンナが?それなら私の所でもバルバトスというマキナがノヴァグをやっつけていたけど、まさか関係者?」
「どうなんだグガランナ」
「知らないわ、私が覚醒した時に声をかけられただけだもの」
「……なら、奴の方が先に覚醒していたというこだな?」
「そうなるわね」
「他には?何か分かったことはあったのか?」
「あぁ、英語を扱う者とそうでない者が憎み合い、それらの鬱憤を晴らすために娯楽目的の戦争が指示されていたという事実だ」
「成る程な、それが私が見た最後の光景ということか……いや、ちょっと待ってくれ、確か仲裁に入った者がいたな……」
「誰だ?」
「赤い…人の形をして…女の子の声をしていた、少し怠そうに話していたような…またやらないといけないのか、とか何とか言っていたな」
「アマンナだな、間違いない」
「何故そう言い切れるの?」
「奴は記憶が何者かに消去されてしまう境遇を嘆いていたからだ、その為に日記も書いていたよ奴が、過去のアマンナは随分と学があったようだった」
「…………」
「そういうあんたは?まさか何も言わないつもり?」
「そうね、私が得た知識は一つだけ、エディスンの街は過去にあったいがみ合いを経験し、そしてそれを受け入れた人達が住んでいたということ」
「詳しく話せ、今のでは説明になっていない」
「エディスンでは調和が取れていた、ということでしょう」
「…………」
「まとめようか、過去のテンペスト・シリンダーは「一括統制期」時代に人と人が争い、何らかの理由で英語を忌み嫌うようになった、そして「分割統制期」時代は各街でマキナが人を支配し、一括統制期時代に残った禍根を「代理戦争」という形で人に代わって晴らしていた、これらを指示したのはテンペスト・ガイアではなくプログラム・ガイアである、ここまではいいか?」
ハデスの淀みない説明に皆が頷いた。
「最後の疑問だが…何故隠していたのか、ということだ」
「そうだな…理由と目的が不明だったが…隠すほどのことか?」
「共有し合えばそれが教訓にもなるとは思うけど…それと上官が居なかった理由についてもね」
「それでしたら…私の方から…提示できるかと…」
最後に起き上がったのはお姫様だった、メリアが言うには「ガニメデ」という名前らしいが、ここで言うのは躊躇われた。
「起きたな張本人、私達は君の願いを叶えるために付き合わされたんだ」
「それで?提示とは何だ」
「…私は先程まで××××××××っ……」
「言葉の検閲を受けているな、過去のアマンナも同じ目にあっていた」
「私んとこのハデスもそうね、もちろんあんたじゃない」
「××××、××××!………×××××、×××」
喘ぐようにお姫様が言葉を発しているが何も聞き取れない、これは検閲?むしろ、
「……言葉が喋れない?」
その時だった、古い家屋があるこの場に聞いたことがない声が、強風に負けない声量で響き渡った。
『判決を言い渡します、被告人ガニメデは住居侵入罪ならびに器物損壊罪を犯したものとして有罪とし、稼働歴二千八百三十三年現時刻をもってマキナの身分を剥奪するものとする、なお被告人ガニメデには上訴期間を設けないものとする、以上です』
...そして何事もなかったように再び風の吹き荒ぶ音が私達を支配し、お姫様がその場で俯いた。
「今のは…何だ?お前、裁判を受けていたのか?」
言葉を、マキナとしての身分そのものを剥奪されてしまったお姫様がこくりと頷いた。
「あんたの名前が、ガニメデ、あの床にあった名前と同じじゃない…」
「ガニメデ、それは木星にある衛星の名前と同じ、なのか?」
お姫様が首を振ってみせた。見ていられない。お姫様に近づき手を取った、今にも泣きそうに堪えていた彼女の瞳が大きく揺れて、そしてそのまま消え失せてしまった。
74.c
目の前に座る男が再び大きく息を吸い込んだ、目線は変わらずテーブルの上に置かれ儂の顔を見ようともしない。そのテーブルの上には製造が済んだ簡易人型機の取り扱いと配備される区の順番が書かれた電子ペーパーがあった、この男が重い溜息を吐いたのはこの内容ではない。
「アンドルフよ、白状せねば話しが先に進まんぞ」
「その前に豚児と会わせてくれないか」
「お前さんが頭に詰め込んだサーバーから話しをすれば良いだろう、わざわざ対面する必要はあるまいて」
「どこで聞いた」
「その豚児からだ、何故そのような真似をしているのかまでは知らぬようだったからな、おかげで儂は一命を取り留められたが、一度は命を奪われている、お前さんだけが頭をエモートに変えた訳ではないのか?」
「答えられない」
「だから、それは何故なんだ?」
三度、アンドルフが溜息を吐いた時、話し合いをしていた第十二区にある総司令の執務室に誰かが入ってきた。
「マギールさん、各区から人型機について要請が来ています、対応をお願い出来ますか?」
「すぐに行こう、しばし待たれよ」
入ってきたのは見目麗しい秘書官だ、取り柄は見てくれだけのようで仕事はからっきしだ。秘書官が出ていった後、今度は儂が大きく溜息を吐いた。
「お前さんに聞いている内容はただのプライベートに過ぎん、答える義理はないかもしれんが…」
あの日、ビーストの襲撃を受けた直前にこの男とした会話が、まさか本物であったとは露とも思わなかった。
こちらが威勢を緩めたことを良いことに質問から逃げようとした。
「ならばいいだろう、こちらにも言えないことはある」
「儂に言えないことがあるとでも?」
「あるさ、君はウルフラグの連中に代わりテンペスト・シリンダーそのものに関わっていたはずだ、それなのに何故領土問題を解決しようとしなかった」
「簡単な話しだ、儂が預かるべき問題ではないからだ」
「………」
「これだけは答えてもらうぞアンドルフよ、何故お前さんは攻撃型の素粒子流体を展開させることが出来たのだ、あれはオーディンだけが許されたもののはずだ」
「拒否は何を意味する?」
「どうもしないさ、お前さんに監視員を付けるだけのこと、これから先我が身に自由があると思うな」
「………」
「どうだ?少しは自分の頭の中身を話す気になったかの、自前の区には殺傷性携行武器を配っている張本人なんだ、街の安全のためにもお前さんを詳らかにしないといけない」
「まるで決議のようだ」
「全く…良いか、今回は見逃してやるが次は事前に報告しろ」
「未曾有の危機がラッパを鳴らして来てくれるのであれば」
「良いか!報告をしろ!このままではお前さんの区に人型機を配備させることが出来んぞ!」
「神のご意志があれば」
「良いな!報告!」
こうして、第十九区を実質的に預かっている上層連盟の長との会談を終えた。
◇
愛想笑いが得意な秘書官が各区から集まった区長相手に質疑を取りまとめている間、儂は急ぐようにして身支度を整えていた。逃げるため、これ以上は老骨にこたえる。つい先日まで生死の境を彷徨っていた身だ、それだというのに無事生還を果たした儂を出迎えてくれたのは喝采ではなく決済だった。溜まりに溜まった決済待ちの案件を次から次へと片付けて、ようやくひと段落した時に今度はスイが昏倒したと聞かされた、原因は不明。マテリアルを作ったグガランナが行方不明とくれば頭にもくるものだ。そしてお次は順次配備が始まった人型機に対する質疑応答。
「あの大聖堂の地下で酔い潰れたのが久しく感じるよ」
「は?急に何を言っているんだ」
「カサンよ、お星様にはなれたのか?さぞかし見晴らしが良かったことだろう」
「あぁ、記憶が飛んでしまう程にな、あんたにもこれから見せてやろう」
「そのためにお前さんを呼んだのだ、スイの容体は?」
「クソだよ、この世の中は、マキナを診療出来る知識も設備もないと病院をたらい回しにされたと聞いている」
「そりゃそうだろう、何せ生身ではないんだ、今はどこにおる?」
「グガランナの船だ」
「飛ばしてくれ」
「あたしを足代わりにするだなんて、高くつくぞ」
「ならばお星様にツケてもらおうかの」
第十二区にまでカサンに来てもらっていた、逃げるためだ、まぁそれは建前で本音は実験部隊の隊長に指名したカサンの飛行訓練を兼ねていた。ティアマトからも指摘されたが、もう少し訓練期間を設けるべきだったかもしれん。あのナツメ達も仮想世界で三ヶ月もの間みっちりと訓練を受けたからこそ、今は当たり前のように飛行出来ているのだ。最初に人型機を触らせたのがあやつらだったことは失敗だった、個人の技量が高過ぎたのだ。
第十二区にある白亜の大議事堂前には既に簡易人型機が駐機されてあった、秘書官と違って見てくれは悪いが取り回しがし易いように極限まで機能は落としてあり、背面だけではなく全ての部品も着脱式に改造されており、原材料はナツメが仕留めたウロボロスのマテリアルを使用している。
駐機された簡易人型機を見上げながらカサンへ声をかけた、よく見やれば頭部に星のペイントがされていた。
「少しは慣れたか?」
「慣れるわけがない、仮想メンバーと一緒にしないでほしい」
アヤメ達が仮想世界で訓練を受けていたことは知っているらしい、それをちなんでアヤメらを「仮想メンバー」と呼んでいた。
「そうさな、訓練方法も考えねばならん」
「向かう先は一区の軍事基地でいいんだな?調整をするから先に乗っていろ」
カサンがフライトスーツをいじり始めたので、言われた通りに電動ロープに足をかけて儂が先にコクピットに乗り込んだ。すると、パイロットがまだ外にいるにも関わらずハッチが閉じられていく。球体型ではなく「トイレ」型の全周囲投影スクリーンが作動しエンジンまでかかり始めた。
「おいカサン!どんな設定をしたらこんなことになるのだ!」
インカムから聞こえたカサンの声に、はめられたといたく後悔した。
[人型機の自動操縦テストがまだ済んでいないんだ、あんたも乗れる口なんだろ?]
「馬鹿か貴様!いざという時のパイロットがおらねばテストにならんだろうが!この人型機を操縦出来るのはっ?!」
儂の叫びも虚しく、眼下にカサンを見ながら緩やかに人型機が上昇を始めた。そして当のパイロットは中指を儂に突き立てていた。
[今度はあんただマギール、お星さまと肩を並べて酒でも呑んでこい]
あんな馬鹿隊長の中指には付き合っていられない、試しにコントロールレバーを握ってみるがコンソールに「警告」と表示されるだけで、操縦も中止も出来なかった。こちらの意に沿わない機械ほど怖いものはない、儂も初めて人型機を操縦した時の恐怖を思い出しながら、コクピットの中で震え上がっていた。
✳︎
「今こっちにマギールが向かっているそうよ、グガランナは?」
「まだ」
「はぁ…あの子いつになったら戻ってくるのか…」
「一日経っても戻ってこないならこの艦体をバラして使ってもいいって」
「ナノ・ジュエルの話しじゃないわ」
グガランナ・マテリアルの居住エリア、スイが私室として使っていた部屋に私とアマンナが揃って溜息を吐いていた。アマンナから報告をもらった通り、スイの瞳孔は開き痙攣を繰り返しているだけだった。私のナビウス・ネットにスイのエモート・コアを仮設して引っ張り上げようと試みたが失敗した、言うなればスイはマテリアル・コアに閉じ込められた状態になっていた。
「エモートって何なの?どうしてサーバーにも戻れないの?」
「エモート・コアは自我、自意識、人で言えば心に該当するものよ、マテリアル・コアはただの乗り物だと思えばいいわ」
「じゃあ何?スイちゃんのマテリアルに異常があるってことなの?」
「私はそう考えているわ、この会話ももしかしたらスイには聞こえているかもしれない」
「起きろースイちゃーん、皆んな心配してるぞー」
「あなたね…」
「ほんと、グガランナの奴何やってんの、スイちゃんがこんな状態になっているのにマテリアルを作った本人がいないなんて…」
「アマンナ、あなたもいい加減グガランナに甘えるのはよしなさい」
私の言葉に、スイの頬を優しく叩いていたアマンナが顔を上げた。
「あの子は確かにいざという時は頼りになるけど、あなたはいつまで経っても成長出来ないわ」
「………親目線」
「好きに言いなさい、グガランナがいなければ好き勝手もできないあなたに何を言われても痛くも痒くもないわ」
「何だと…」
「言われて悔しいならグガランナに頼らず自分の手で何とかしてみせなさい」
怒っているのか泣きたいのか、眉を釣り上げたアマンナがゆっくりとベッドから離れた。
「…何をすればいいの」
「それが分からないからこうしてお互い溜息を吐いているんでしょうに、少しは自分の頭で考えなさい」
むきになったアマンナが殴りにきた、私より一個半小さい頭を上から片手で押さえつけていると扉が一人でに開き始めたので驚いた。
「む、取り込み、」
「またあなた!無断で入ってくるなと言っているでしょ!」
アマンナが「わ、わ、わ!」と慌ててスイの裸体を隠した。入ってきたのはすっかりこの街の影響を受けてしまったイエンだった、すぐに部屋から引き返したのでぱっとしか見ていないが、半袖短パンおやじからピンクのシャツを着こなしたお洒落おやじに進化していた。
一つ軽く溜息を吐いてからイエンをどやしに私も部屋を後にした。
◇
「悪かったと言っているだろう、この街の礼儀についてはまだ疎いんだ」
「この街だけの礼儀じゃないわ、知的生命体として、中にいる人から「どうぞ」と言われるまでは扉を開けないものよイエン」
「括りが広義すぎやしないか」
「それで何の用なの?まさかスイの裸を見に来たの?」
「そんな訳があるか、俺の好みはお前のような女だよ、ティアマト」
「…………」
ちょうどイエンの後ろにいたアマンナに目配せをした、すぐに意図を汲んでくれたアマンナが持っていた盆をイエンの脳天に叩きつけてくれた。
「〜…っ」
「ありがとう、初めて心からあなたに感謝したわ」
「何だと?」
「……いたたっ、それで、スイの様子はどうなのだ、それを知りたくてさっきは無礼を働いたんだが…」
「原因は不明、容体も一向に良くならないわ、エモートを切り離そうにもサーバーからのアクセスにまるで答えないの」
「…あぁ…そもそもスイはマキナなのか?俺が聞いた限りでは違うと思うが」
アマンナに盆を落とされた頭を撫でながら発したイエンの言葉に、今さらながら気付いた、確かにスイはマキナではない。あの子には純粋なエモート・コアはないのだ、だから私は仮設したというのに。
「…そうね、違うわ、あの子はマキナじゃない」
「それならば何だ?」
「スイちゃんが何者だろうとあなたに何か関係ありますか?」
...驚いた、あのアマンナが流暢に敬語を使って喋っているではないか。
「疑っているのはそこではない、スイの正体を突き止めるのと原因不明の昏睡を回復させるのも同義ではないのかと言っている」
「スイちゃんはデータですよ、そこに座っているえせ母神が作った女の子のデータだったんです」
誰がえせよ。
「それで?」
「そのデータが自我を持って、不便に思ったグガランナがマテリアルを作ってあげたんです、それがスイちゃんという女の子なんです」
「何故自我を持った?」
「それは…」
アマンナも知らないらしい、淀みなく答えていた口を閉じて私に視線をやった。
「……テンペスト・ガイアの仕業でしょうね、おそらくは」
「またその名か」
「またとは?」
「四階層に蜂の巣を作ったのもそのテンペスト何某だろう?グラナトゥム・マキナを束ねる上官だと言うが、実際に束ねているのは司令官であるプエラ・コンキリオのはずだ、それがいつの間にその何某が上官になっているんだ」
「…………」
「ティアマト?」
黙った私を不思議そうにアマンナが見ているが、今の質問に答える権限は私にはない。
「…そうね、イエンの指摘も最もだけど、今はスイの原因を特定するのが先決じゃないかしら」
「しらを切るのか?お前は嘘が下手だな」
「もっと言ってやってください」
「アマンナ!あなたはどったの味方なのよ!」
「わたしはスイちゃんの味方だ!イエンさんが言ったようにスイちゃんの正体を突き止めるよ!」
「どうやって?」
アマンナが恨みがましく歯を立てながら、
「…あなたも質問ばっかりしてないで少しぐらい考えたらどうなんですか!」
「それは確かに、スイはどこで自我を芽生えさせたのだ?」
「…中層ね、今となっては懐かしいショッピングモールの廃墟の中よ」
「行くしかないな、事実究明は足で稼ぐしかない、ときにアマンナよ、お前は人型機を操縦出来るのだな?」
「自分の足で稼ぐんですよね?現地集合でいきましょう」
あの男にプライドというものはないのか、アマンナの肩をイエンが揉みながら二人して格納庫へと向かっていった。
74.d
私の全てだった。目の前に転がるこの機体は、総司令としての総力を注ぎ込んで作られた、まさに希望そのものだった。ビースト、ビースト、ビーストビーストビースト、ビースト!カーボン・リベラを襲うただ一つの脅威!それが!私の手ではなくあの女に!全て取られてしまった!
「…………」
酒で焼けてしまった喉に、もう一度流し込んだ。熱く、鼻にくる酒はカーボン・リベラでも呑んだことがないものだった。
「…………」
私はただ、総司令としての責務を果たしたかったのだ。人を襲い、食らい、恐怖を与えてくる敵をこの手で根絶やしにしたかった。そして、平和になった暁として基地を不要なものとして扱いたかった、だから攻略作戦前に破棄を命じたのだ。
「…………あぁ」
喉にくる、熱い液体が喉を通りこり固まった胃袋を溶かしていくようだ。ドーム状の建物前、コンコルディアが横たわる敷地に乾いた音が一つ、いや二つ。誰かが、通りから敷地に上がる階段を踏む音がした。地面に置いたグラスに酒を注ぎ、朽ちて無残な姿に成り果てたコンコルディア越しに映った相手を見やれば、銀の髪をした男だった。
「こちらを向く必要はない、お前がセルゲイだな」
「だったら何だ、入用ならホテルへ行け、ここには何も無い」
「あるだろう、そこに」
装甲板に反射した男が、歪んだ腕を上げ私を指さしているように見えた。
「コンコルディア、俺達マキナを模した偽物に用がある」
「……何だと」
向く必要は無いと言われたが男の言葉に反応してしまい、いくらか酒をこぼしながら振り向き仰ぎ見れば、金の瞳を真っ直ぐ私に向けていた。
「オーディンだ、覚えておけ」
✳︎
青い瞳に見つめられながら、腕を取られてしまった。振り解こうと思えば簡単に出来るが、私はそうしなかった。細く小さな手で両の手首を押さえられ、もう片方の手でお腹、太もも、敏感にならざるを得ないところばかりを撫でられた。
「あと、少しで終わりますから…」
「はい…」
「どこを、見ているのですか?」
あの時の光景を見ていた、肉も骨も穿たれた激痛に、私の手によって絶命したあの生き物の顔を、青い瞳ではなく深い闇のような瞳を見ていたのだ。
「本当にあなたという人は…私が出会った初めての人だというのに…」
「それは…ごめんなさい…私は自分の欲望にしか…興味がない女なのよ…」
やることがない、というのは贅沢であり地獄でもあった。とくに今の私にとっては拷問のようであり、無為に流れていく時間の中で彼女と体を重ね合わせるのは、悪くはなかった。男と違って柔らかい体は興奮しないが安心感があった、だがその代わりに明確な終わりがなくいつまでも深みにはまっていく。怠惰な快楽と言っていい、しかし、やることがないのだ。
「サニアさんは…もっと激しいのが好み?」
「そうね…プエラさんはナツメ隊長とどんな夜を過ごしていたの?」
小さく瞳を開いた隙を見て、今度は私が彼女に覆い被さった。左腕を彼女の頭の横に沿わせ、体重をかけた時に少し痛んだが気にせず顔を近づけた。
「あなたが…初めて会ったのは…ナツメ隊長ではなくて?あの日…」
そこまで言いかけた時に体を突き飛ばされてしまった、突然のことに受け身が取れず広いベッドの上にもんどりを打ってしまった。慌てて体を起こすと既に彼女は居なくなっていた、私を総司令から救ってくれたあの夜のように。
「ふぅ…これが最後かしら、もう腕を治してくれそうにないわね…」
ベッドの上で胡座をかき、治してくれた右腕の調子を確かめてから一度だけ、自分の腕に口付けをした。
(確かめ方が雑過ぎたかしら?)
正体がバレそうになったからとんずらしたのかは分からないが、彼女はあの日の彼女ではないことは前から勘付いていた。ナツメ隊長と親しそうにしていたのにあの台詞、どんなに屑でも言えやしない。もしかしたら、私に心を開いていたのかもしれないが、
「私も屑ね」
濡れてしまった体を洗うために裸のままシャワールームへと向かった。
✳︎
もう、ここに来て何度見たのか分からない(そもそも数えてすらいない)沈みゆく太陽に、赤く染められた雲からぽつぽつと雨が降り始めた。次第に雨音は大きくなり一切の雑音を遮断して、静寂を与えてくれ「ぎゃあー!雨ぇー!洗濯物ぉー!」...た。
「アシュ!騒ぐなら自分の部屋に行け!」
「もういいや、また今度洗おう」
「諦めるの早すぎじゃない?」
「どうせ濡れたんだからいいよ」
「あんたみたいに生乾きの臭いがするけどいいの?」
「…………」
私のベッドに寝転がっていたアシュが見ていた端末も放り投げ、自分の体の臭いを嗅いでいると部屋の扉が少し控えめにノックされた。私とアシュが顔を見合わせているともう一度ノックされたので、観念した私は応対することにした。
(誰?ミトンもカリンも勝手に入ってくるから違うだろうし…)
少しだけ嫌な予感を抱きながらも扉を開けると、スーツ姿の男性が眉尻を下げて立っていた、何度か見かけたことがある人だが話しは一度もしたことがなかった。
「何でしょうか?」
「君がアリン副隊長だね?すまないが今から来てもらえないかな?」
「え…はぁ…」
素早く後ろを振り向くと居たはずのアシュが姿を消していた。
◇
男性の名前は聞いていない、めんどくさそうだから。けれど立場は教えてもらった、中層攻略戦に際して政府から派遣された調整員というものらしい、何を調整するのか。
「今の今まで沈黙していた端末から連絡が来るようになってね、観念して出てみたら今こちらにある資源の量を教えろと言われたんだ」
「誰にですか?」
「マギールと名乗った男性だよ、ここ最近になって総司令代理になったらしい…参ったよ…」
外は変わらず雨が降り続けている、男性が先導して向かっている先は客室がある建物から外通路に出る廊下だった。確かこの先は多目的ホールがズラリと並ぶ場所だったはず、既に外通路へ出る扉は開けられてこちら側の廊下にも雨が入ってきていた。
「それ、私に聞きますか?」
「総司令もいない、女神もいないんじゃ君にしか頼めないと思ってね」
女神とはサニア隊長のことだ。いやでも、私に聞くのか?
「それにここにある資源、食料なんかは僕達ではなく特殊部隊が見ているだろ?だから君に聞いた方がいいと思ったんだ」
「確かに見回りなんかは私達がしていますが…」
「まぁいい、その話しもマギールという人にしてほしい」
何だそれは、ただの厄介ごとをこっちに押し付けているだけではないか。再び観念した私は雨に濡れた外通路を歩き、頼りない男性の後に付いて行った。
到着したホールは、一般の人達が持ち込んだ荷物をまとめて保管している場所だった。扇型に配置された取り付け椅子に、同じように扇型の舞台は何かしらの劇をするホールなのだろう。けれど、今は舞台に立つ役者の代わりに大量の荷物がホールを飾っていた。その一角に電源が付きっぱなしのタブレット型端末が無造作に置かれていた。到着するなり男性が持ち上げ二言ほど話した後、私に押し付けてきた。突っ返そうかと思ったが、画面に映っていたあのマギールさんに早速声をかけられてしまった。
[お前さんは…確かアリンだったか?久しいな]
「知り合いだったのかい?それはちょうど良かった」
もう答えるのもめんどくさい、男性の心底嬉しそうな言葉を無視して、三度観念した私はタブレット端末を正面に持った。
「お久しぶりですマギールさん」
[あの娘達は元気にしておるか?]
「はい、皆んな元気にしています」
このまま世間話しで終わらないだろうかと思ったが、さすがに今の状況を見逃してくれそうにはなかった。
[ならば良い、その者から話しは聞いておるな?資源の取り扱いについて正直に話せ]
量ではなく、取り扱い?
「…それでしたら、特殊部隊の方で管理していますが…」
はぁ、と聞こえよがしに溜息を吐かれてしまった。
[やはりか…責任者は?]
「持ち回り制にしていますので…責任者とかはとくに…」
[使った量も管理していないということだな?]
「一応、持ち出した量はペーパーブックに記載するようルールを設けていますが…」
あれ、自分で言ってて何だがこれはザルではないのか?マギールさんも同じ事を思ったのか、今度はこれ見よがしに頭を振っている。
[アリンよ、今すぐに残量を調べてくれ、良いかこれは総司令代理としての命令だ、そこにいる秘密主義者より権限は上だと思え]
「いやちょっと待ってください、マギールさんは宇宙船の艦長ではなかったんですか?いつの間に総司令になったんですか」
[聞きたいか?年寄りの愚痴を聞きたいのか?ん?今すぐ残量を調べた方が聞き終わるより早く解放されるぞ?]
「すぐに調べてきます」
[よろしい、それと儂の方から中層にいる連中へ一切合切持ち出すなと指示を出す、お前さんはあの娘達を使って調べてこい]
「はい、分かりました」
そしてそのまま通信が切れてしまったので、男性の顔を見ることなくタブレット型端末を突っ返しそのままホールを出た。そして一言。
「めんどくさっ!」
※次回 2021/5/21 20:00 更新予定