第六十九話 カオス・アタック
69.a
《距離およそ二百、射撃角度水平、二秒後に被弾》
言ってるそばから被弾した、損傷箇所は右肩辺り、戦闘に支障はなさそう。近接特化型に作られたおかげで防御力は高い、それも幸いして多少の無茶なら出来る。震える手と激しく脈打つ胸に気を取られながら、背後にカメラを向けた。
(案外私、余裕だったりして)
不明機に後ろを取られてから早数分、背後で追従するように飛行している機体が肩から直接生えた砲身を構えてみせた。再度警告音、飛行ユニットに回していたエンジン出力を全てカット、ロックオンアラートに続いて失速警報、背後から発砲音が鳴ったと同時に脚部のブーストをフル稼働させた。
「うぶぇっ!」
リコラちゃんのように汚い悲鳴が上がってしまった、瞬間的にのしかかってくるGに体も意識も潰されそうになった。あと少しのところで回避が間に合わなかった、脚部が一部被弾し衝撃で機体が予期せぬ方向へと転回した。
《重力にならうよう回避を推奨します》
随分とお喋りになった電子音声から指摘を受けるが、
「これでいいっ!」
機体を捻りながらクレセントアクスを不明機目掛けて振り回す、背後に迫っていた不明機が空中で姿勢制御をして避けようとしたが、仕込みブーストも稼働させて無理やり打撃軌道を変えた。急回避と被弾した衝撃で横を向いていた私の機体から、斜めにアクスが振り下ろされる、不明機の左肩砲身を捉えてそのまま抉ってやった。中途半端な手応えでも不明機の火器を破壊出来たようで、すっかり太陽も落ちて復興が始まった街の明かりを受けた破片がきらきらと宙に舞った。
《パイロットステータスが著しく低下しています、曲芸飛行はお控え下さい》
「あぁでもしないと当てられないでしょうが!」
敵対してから数十分、不明機の攻撃に翻弄されながら何とか食いついていた。相手は私の機体構成とはまるで違い、全ての距離に適したオールレンジ型のようだ、さらには高機動でこちらの攻撃は擦りもしない。しかし、さっきクレセントアクスを食らわせたように防御面はあまり高くないらしい。
肩の一門を失った不明機が、街の明かりを受けて赤く反射している厚い雲へと隠れた。
「そう何度も食らうかぁ!いい加減に帰れぇ!」
大きく盛り上がった私の肩部装甲板を跳ね上げ、クラスターガンを雲に向かって斉射した。距離はおよそ百、その中間点でさらに細かく破裂して敵への威嚇とレーダー撹乱を目的として襲いかかった。
《距離百二十、高熱源反応、回避不能、防御姿勢を取ります》
とか言いながら勝手に機体を操作されてしまった。左腕に装着したライオットシールドを構えた途端に目が眩む程の光が雲から発生し、間違えて太陽にクラスターガン撃った?と間抜けな考えが、シールドに被弾した衝撃で弾け飛んだ。
「ううっ?!やばいやばいやばい!!」
コントロールレバーもガタつき機体も大きく振動している。仮想世界で激おこになったティアマト・マテリアルの火炎放射と同じ熱をコクピットにいながら感じたので大量の冷や汗が流れてきた。ここは仮想世界ではない、この熱光の奔流に貫かれたら待っているのは、
死。
《パイロットステータスの向上を確認しました》
暗い、先の無い、抜け出せない暗闇に取り込まれそうになった時、場違いな発言をしたメインコンソールのおかげで意識が引き戻された。意味が分からない。
「ちょっと!これ何とか出来るの?!」
熱光の奔流はまだ止まらない、いつ終わるか分からない敵の攻撃の前に機体もいい加減分解されてしまいそうだ。機体が激しく揺れて、左側のレバーが壊れたように軽くなってしまった。
《オフコース》
「ふざけるな!真面目にやれっ!」
✳︎
正体不明の機体から発せられた高熱電磁投射砲の照射を受けた、白い人型機の左腕が根負けしたように後ろへと弾かれた。原型すら留めていない防護盾も、薄暮を過ぎて夜に飲み込まれそうになっている大空へと舞っていく。
(さすがに無理か…)
照射を防護盾で防いでいた金色の虫も、これで終いかと観察を止めようとした時異変が起きた。極太のレーザーを受けたはずの白い機体が急降下をしてみせた、機体の装甲板は捲れ焼け爛れているというのにあの機動、不思議に思った矢先に使い物にならなくなった装甲板が次々にパージされていく。
(まだやるというのか?)
あの日、貫通トンネルで俺に一撃を見舞った機体はどこか鈍重にさえ見えるシルエットをしていたが、今は装甲板をパージした影響で随分とスリムに見える。しかしそれは自殺行為では?あの装甲板があったればこそ防げていたのだ、それを自ら剥ぐなど...だが、ただの杞憂だったようだ。
(心配しているのか?あの虫に?)
カーボン・リベラと呼ばれる街に設置されたカメラから見た映像では、白い機体の変貌ぶりが手に取るように見えていた。背中、腰、ふくらはぎから足底の至るところにブースターが付けられ細い腕に見えるにも関わらず大振りのバトルアクスを難なく構えていた。
「何だ?!」
白い機体が一瞬発光したかと思えば姿が消え、次の瞬間には不明機が身を隠していた雲が大きく斬り払われていた、そう言う他にない。真横一文字に斬り裂かれた雲が周囲に霧散し、中から緑色の機体が現れた。最初はただの仲間割れだと思い観察していたのだ、しかしよく見てみればあの機体は奴らのものではない。初めて見るものだった、何度か呼びかけてみたが通信はまるで繋がらない、あの機体を操作しているのが人間なのかマキナなのかすら分からないでいた。
白い機体にさらに変化が起きていた、白い装甲板よりさらに奥、機体を形取る構造体が赤熱しているではないか、白と赤、あれはただのオーバーヒートか?と訝しんだ後、機体出力が上がっていることに気付いた。予備動作もなく構えた姿勢のまま白い機体が前に出て、不明機から再びの照射を紙一重に避けてみせた、慌てた不明機が銃口の向きを変えて射撃角度を調整しているが間に合わない。
「何と豪胆なことか!」
白い機体は高熱電磁投射砲を下からすくい上げるようにバトルアクスで殴ってみせた。その衝撃で銃身が誘爆を起こし、自然の摂理を無視した小さな太陽が夜空に昇った。眩しい光に両機が見えない、そしてさらに黒い影に覆われ何も見えなくなった。
「何だ?!今いいところなんだ!邪魔するな!」
鳥か?一番高いビルの上に設置されたカメラにいるなんて鳥しかいまい。
✳︎
「あばばばはっ」
《不明機距離およそ九百、会敵予測時間算出不能》
「あばばばばっ!止めて!まずは止めて!」
何たることか...この機体はわざと装甲板をてんこ盛りに付けて速度が出ないように調整されていたのだ。速度計は音速、それも余裕を持って超えているのでまだまだ出そうだ。機体は激しく揺れて自前の速度に分解されてしまいそう、これでは助かったのかすら分からない。
《不明機距離およそ八百、会敵予測時間算出不能》
「いやそれ不能じゃないから!近づいてきてるから!」
後方を見やれば相手も雲を突き抜けて私を追従していた、まるで空飛ぶ弾丸だ、どうしてそこまで追いかけてくるのかと言わんばかり。あちらも私と同じように何かのパーツを分離させたのか、みるみる機体速度が上がっている。いやというかだな...
《不明機が人型機から戦闘機体型に変化しました》
「いやなんでさぁ!!」
そんなのありなの?!ぴんと張った二枚の翼がこちらを向き、足やら手を行儀良く畳んでいる姿に変わっているではないか。羨ましいではなくこのままでは不味い。飛ぶことに特化させた姿に変わった途端に不明機の速度が見る間に上がっていく。
《不明機距離およそ三百、会敵予測時間約二十秒後、クレセントアクスの放棄を推奨します》
「大丈夫?!捨てて大丈夫なの?!」
《海面に生命体の反応はありません、放棄を推奨します》
それなら最後に一発!クレセントアクスを逆手に持って暫く飛行する、不明機と高度を合わせて仕込みブースターを展開、そしてそのまま手放した。
「?!」
この速度で追い縋ろうとしているんだそう避けられまい!まるでミサイルのように後方へと流れたクレセントアクスが、過たず不明機をど真ん中に捉えていた。
「ええっ?!」
しかし、不明機はさっき私がやってみせたように急上昇の機動を取って間一髪で避けてみせた。
《不明機のパイロットが人ではないことが確定しました、先程の機動は実現不可能です》
「実際にやったらどうなるの?!」
《急制動によるGで意識の混濁、あるいは身体破裂、機体操作の続行は出来ません》
しんたいはれつって初めて聞いた、要は回避した後も今のように旋回行動は取れないということだ。それにしてもしつこいな、何なんだあの機体は、私の回りをぐるぐると飛行しながらなおも出方を伺っているようだ。
カーボン・リベラの街から随分と離れてしまっていた、太陽が沈みきった空は黒く染まり街がある上空付近だけ建物の明かりを受けて赤く染まっている、雲間から見える街はまるで玩具のように小ぢんまりと、しかし存在感を持って空中に浮かんでいるように見えた。このまま遠くへ行ってみようか...場違いな高揚が胸を支配した時に通信がかかってきた。
[アヤメ?何やってるの?だいぶ遅れているみたいだけど]
そして今度は不明機から多数のミサイルが発射された。機体の底、人型機ならお腹にあたる部分から濃い煙を引いてこちらへと飛んでくる、すかさずフレアをばら撒いて回避行動に入る。
「……別に!……何でも、ないよ!もう少し待ってて!」
[え、何かあったの?]
「他人行儀なアマンナに関係ない!」
[はぁ?何それ、今関係あるのそれ?]
「いいから少し黙ってて!」
アマンナまで巻き込むわけにはいかないと、気遣ったつもりだが何故だか口は強く当たっていた。それに不明機からのミサイルを避けるのに必死で言葉を選んでいる余裕がなかった。
[はぁ?!こっちは心配してるのに!そんな言い方しなくてもいいでしょ!]
「…………っ!」
避けたつもりのミサイルが目前で爆発した、瞬時の閃光で目が眩み危うく背後から迫っていたミサイルが直撃しそうになった。
[んん?今の音………まさか戦闘中なの?]
「違う!アマンナは余計な事しなくていいから!まだマンションの掃除用具壊したこと許してないんだからね!」
[みみっちいにも程がある!戦闘中なんだね?!]
違う!と言いたかったのにまたしてもミサイルが近距離で爆発した、おそらく不明機がタイミングを見計らって誘爆させているのだろう。それも両側、逃げ道は上か下しかない、返事を返さない私を思ってかアマンナが鋭く言葉を発した。
[あの時のわたしのままだと思うな!]
そう言って通信が切れて、次にメインコンソールから警報が響き渡った。
《外部より不正アクセスを受けています、遮断不可、コントロール不可、操縦権をHe、へ返還しまSu、す》
何だってぇ?!このタイミングで?!
「誰に返すのさ!!」
《わたしだ》
「アマンナっ?!その声アマンナだよね?!」
《やっぱり戦ってんじゃん!何でウソつくのさ!》
「迷惑かけたくないからに決まってるでしょっ?!そんな事も分からないのっ?!」
《わたしばかだからわかんない、アヤメのことしか考えてない》
「重い!」
《うるさい!さっさとやっつけるよあんな奴!》
「うわうわぁ?!」
電子音声に変わってアマンナが機体をサポートしてくれているのか、というかコントロールすら奪われてしまったんだが...機体が予期せぬ動きをして接近していたミサイルを避けていく。
「あばばばっ!」
《喋らないで舌噛むよ!》
さらに錐揉み回転をするように高度を下げてミサイルの包囲網から遠ざかっていく、上空では転回してなおも追従してくる機体とミサイルの群れ、こちらに射撃出来る武器は無い!
「どうすんのぉぉお!!!」
《じしょう………まとめてなぎ払えぇっ!!》
私の機体が右手を払うような仕草をした後、目前まで迫っていたミサイルの群れが右から順に誘爆を起こしていく。きっと街から目撃した人がいたならば小さな花火が連続して上がったように見えているだろう、突然の爆発に慌てた不明機が距離を開けていく。
「アマンナさんまじぱねぇ!」
《まだ来るよ!》
しつこい!まだ諦めてくれないのか!一帯に散開していたミサイルが全て誘爆し、それらを回避するように大きく旋回していた不明機がこちらに突っ込んできた。
《距離だいたい見ての通り!あと少しで接敵するよ!》
「いや適当にも程がある!」
《コントロール譲渡!タイミング合わせて!》
「やってやんよぉ!!」
がくんとした反動の後再びコントロールレバーに力が返ってきた、こちらの手持ちは何もない。いやあるにはあるが正面から使える武器が一つもない。不明機はさらにスピードを上げて接近してくる、まさか特攻を仕掛けるつもり?今さら?
《今!》
右側のレバー素早く引いて機体を捻らせた、すぐ真横を飛び去ろうとした不明機に右手をかざすと難なくキャッチした。
「……っ!!」
慣性にならい私の機体も同様に亜音速まで一気に持ち上げられた、視界もぶれて私の生身の足回りがうっ血したように痺れている。機体は激しく揺れているが不明機を掴んだ右手はどうやら無事のようだ。
《アヤメさんまじぱねぇ》
「こっから!どうすんの!」
《介入対象に照準固定、解析始め》
「んん?アマンナさん?!」
掴んだ不明機は私の機体を嫌がるように螺旋飛行に入った。右に左に機体が触れて気持ち悪い、それに何度も急転回するので頭がくらくらしてきた。
さっきまでのおふざけ口調ではなく、応援を要請してきたような他人口調でもなく、どこか無機質にさえ思える口調で何やら続けているようだ。
《機体名不明、製造セリアル不明、マテリアル否定、特殊災害対応型戦闘機否定》
さっきから不明だの否定だの、それよりそろそろ体が限界を迎えそうだ、視界が狭まり音も遠くに聞こえ始めてきた。
「アマンナぁ!!」
《もうちょっと待ってて!》
不明機を掴んだ右手が外れないよう、死に物狂いでレバーを握っていた。さらに機体が振れて右から左へと強制的に向きを変えさせられた時に、掴んでいた右手が淡く発光していることに気付いた。
《介入対象の概念化失敗、強制割込開始………んべぇっ!!》
「?!」
駄目だ、アマンナがおかしな悲鳴を上げた途端に右手が外れてしまっていた。よく考えてみればあの不明機のパイロット(?)は人間ではないのだ、よく今まで耐えていたなと心底思った。
「アマンナ?!」
《弾かれた!問題解決に失敗した!》
「意味が分からない!何をやろうとしていたの?!」
《こうなりゃ自棄だ!もう一回………あら?》
いやだから今さっきのは何?!急な間抜け声に周囲を探るとあれだけ無茶苦茶な飛行を繰り返していた不明機がゆっくりとした速度で飛んでいるではないか、さすがに力尽きた?薄く絨毯のように広く伸びた雲の上をゆっくりと飛び、いつの間にか顔を覗かせていた月の明かりを受けて影を落としている。そして、今度は抑揚のある、アマンナの声ではない声がコクピットに流れてきた。
[失望しました、せっかく起動したというのにこの体たらく、やはり私がしゃんとする以外にありませんね]
《………》
「………」
[聞こえていますかブラコン、さっきはよくも私の大切な体に触れてくれてやがりましたね]
《………誰?》
[なっ?!…………もう結構です]
絨毯のような雲の先にある、「入刀」雲に突っ込んだかと思いきやそのまま反応が消失してしまった...誰?
「あー…アマンナの知り合い?」
《…………ち、違うよ?》
...こうして、唐突に始まった対人型機戦は引き分けに終わった。勿論この後アマンナを拘束して尋問したのは言うまでもないことであった。
69.b
あのアマンナが...代理戦争時に他のマキナを指揮していた?そんな事があり得るのか。しかし今し方も連絡が取れてしまったのだ、念のためにティアマトにも連絡を取ってみたが繋がらない。
(…………)
「グガランナ様?」
「ティアマトにも取ってみろ」
ムカつく男が何でもないように口した。
「……繋がらなかったわ」
「…では、やはり……」
食事を終えて、顔色がすっかり戻ったディアボロスから視線を外した。きめ細やかな刺繍がされたテーブルクロスを見やりながら、必死になって頭と胸の内を宥めようとしていた。
「……だが、さらに疑問が生まれたな」
そこでつと視線をディアボロスに戻した、興味が無さそうに自分の爪を見やりながら話している。
「その疑問というのは?」
「……一体誰がアマンナ、ひいては統率者をリブートしたか、ということよね」
「あぁ、アマンナだろうが誰であろうが、この時代の都市を支配下に置いた十人のマキナを束ねる、上位マキナを処罰した存在がいるはずだ」
そう、彼の言う通り。アマンナであれ他の者であれ、記憶が無いということはリブート処置を受けたということ。テンペスト・ガイアがこの事実を把握しなおかつ秘匿していたのであれば疑問は解消される。そうなるとあの街にあった絵画が正しいことになるが、街の住人達は「十人」としか知らされていないのだ。
「それじゃあ、あの絵は何?一体誰が描いたものなのよ……」
「少なくとも街の連中ではないだろうが…やはり聞く他にないな、グガランナ頼まれろ」
「そんな言葉初めて聞いたわ」
「仕方がないだろ、俺が聞いてもまるで相手にされないんだ」
話しがまとまりそうになった時、隣に座っているお姫様から一つの提案がなされた。
「テンペスト・ガイアと呼ばれるマキナに連絡を取っていただけませんか?あの絵に描かれた一人を絞れることに繋がるかと思うのですが、いかがでしょう」
不本意にもディアボロスと視線を合わせた、何を考えているのかまるで読めないが反対しそうな雰囲気はなかった。
「言っておくが、連絡がつこうがつきまいがその「一人」だと決まるわけではないからな」
「はい、承知の上です」
「グガランナ」
「はぁ…」
「忘れているかもしれないが、決議の投票がまだ終わっていなんだ、首をはねようって奴が気さくにかけていい相手ではない」
「………」
彼の言葉は聞き流してテンペスト・ガイアに、おそらくこれが初めてとなる連絡を取った。
...窓の外を見やれば、不夜城のように輝く街が見えており、こんな時間帯でも起きている人達は一体何をしているのだろうと、考えた時にかけていたコールを切った。
「どうだったんだ」
「駄目ね」
「そうですか、この状況下で繋がるのはアマンナの一人だけ……」
「何が聞こえた?」
「は?」
「連絡を取って繋がらなかったんだろう?無音じゃないんだ」
「…………」
「何故黙るんだ」
「……グガランナ様?」
「……波の音が、聞こえたわ」
「…そうか」
「それじゃあ、私はこれで失礼させてもらうわ」
✳︎
飛行船内には寝室が設えてあるようで、私とグガランナ様が同じ部屋、ディアボロス様が離れた部屋で横になっていた。カオス・サーバーはマキナも人と同じ様に扱うのか、今まで感じたことがない空腹に疲労、それから眠気に襲われていた。
(………)
寝返りをうって隣のベッドで眠るグガランナ様を見やる。室内はそこまで広くはない、中世様式を思わせる作りで古めかしい調度品に囲まれた寝室が月明かりを受けてほのかに輝いていた、窓際には小さな花が二輪、可愛いらしい花びんに生けられている。
グガランナ様が入り口側に置かれたベッドで横たわってから早数時間は経った、かくいう私は眠気...体の芯が重たい感覚はあるがどうすればいいのか分からずひたすら横になり続けているだけだ。
グガランナ様は本当に私にそっくり、まるで生写しのよう。初めてお会いした時は心底驚いた、まぁ「全く」ではない。グガランナ様の方がいくらか血色は良いし、肌は私の方が白い。室内を照らしていた月が雲に隠れ、一層薄暗くなった時微かな足音が聞こえてきた。寝付けなかったのですぐに気付いた、どうやら真っ直ぐこちらに向かってきているようだ。
(ディアボロス様……でしょうか)
体を起こそうとした時、ゆっくりと忍び寄るように聞こえていた足音がまるで競争するかのような激しさに変わっていた。
「?」
「…なに……」
え、グガランナ様...まさかのガチ寝?よくこの得体の知れない飛行船で眠れるものだ。周りを憚らず立てる足音は部屋の前まで響き、ノックもせずに一人の男性が室内に駆け込んできた。やはりというか、その人はディアボロス様、先程までの余裕さは一切なく取り乱した風だ、未だ横たわったままのグガランナ様を見るや否やにベッドに飛び込んだ。
「!」
「しっ!」
「〜っ」
えぇ...夜這い?これは夜這いと呼ばれるものよね...グガランナ様の口を乱暴に手で押さえて動きも封じている。
(私のことが見えていないのかしら……)
横で体を起こしているんですけど、そんなに眼中にないの?しかし、ディアボロス様は慌ててグガランナ様を手篭めにしたかったわけではないらしい、さらに複数の足音が聞こえてきた。その足取りは慎重、さらに固い。すぐ近くまで来ているようだ、隣にある部屋を調べている気配が伝わってきた。つまりは侵入者。
「〜っ!」
「しっ!…後でグガランナに慰めてもらえっ、今は静かにっ…」
「………」
グガランナ様に向かってグガランナ様に慰めてもらえって...とんだ皮肉をかますもんだと思ったが、どうやらディアボロス様はグガランナ様を私だと勘違いしているらしい。隣室の扉が閉められ、今となってははっきりと聞こえる足音が部屋の前に移動してきた。窓際に置かれた可愛いらしい花びんを手に取り大きく息を吸い込み、
「私もここにいましてよぉぉー!!!!」
「?!」
「どけぇっ!!」
叫び終わった後は花びんを窓に向かって投げつけた、目を瞑るような甲高い音が鳴り窓ガラスが粉々になった。
「ええっ?!あれ?!お前がグガランナか!」
「このクソ野郎っ!よくも私のベッドにっ!」
「違う!侵入されているんだよ!」
「夜這い様の言う通りです!お早く!」
「誰が夜這いだ!こんな口の悪い女に誰がっ!」
今度は目を瞑るどころか頭を抱えてしまう程の轟音が鳴り、部屋の扉がぶち破られてしまったみたいだ。素早く立ち上がり、私の体を隠してくれていたシーツを丸めて部屋に突入してきた侵入者に向かって投げつけた。
「?!!」
「グガランナ様!」
「いや何で裸なのよ!」
「痴女姉妹が早くしろっ!」
私が投げつけたシーツを取るに手間を食っていた侵入者が、当たりも付けずに手持ちの銃を発砲した。消音装置が付けられていないので鼓膜が破れたかと思った。
「動くなぁ!」
「行け!早く行け!」
先頭にいた侵入者が流暢な言葉使いで脅しをかけてきた、つまりはあの白塗りの街の住人ではないらしい。
つんと上がった乳房を揺らしながら脱出路として割った窓へと向かう、雲に隠れていた月が再び姿を現し私の裸体を臆面もなく照らしだした。
「いやだから何で裸なのよ!」
「衣服を着たまま横にはなれません!」
「止まれと言っているだろぉ!!」
そして再び発砲、後ろで誰かが倒れる音がした。
「ぐぬぅぅ………!」
「手間をかけさせるな、次は頭を撃つぞ」
暗視ゴーグルをかけたままにしている大柄な男が銃を私達に突き付けたまま宣言した。ディアボロス様は足を撃たれてしまったらしい、その顔は苦悶に歪められて堪えるように歯を食いしばっている。
「………こんな手荒な訪問をした理由をお聞きしても?」
「サントーニの街に使者が訪れたと聞いてな、身柄を貰いに来たんだ」
...この男、私の裸体を見てもまるで動じないなんて...ゲイ?
「最悪、遺体でも構わないと言われているんだ、大人しくしろ」
「あなたに指示を出した人の名前をお聞きしても?」
暗視ゴーグルはかけたまま、表情はまるで分からないが、漂ってくる自信だけは鼻についた。
「オーディン様だ、お前達にお会いしたいと仰せになっている」
69.c
「…………」
「………ん…お、ん?…何故、こんな所に……アヤメが……」
「さっさと起きろぉ!!」
「!!」
「もー何やってるんですかマギールさん!!皆んな心配しているのにこんな所でお酒を呑んでるなんて!!」
「ま、待ってくれ…頭が…」
「知りませんよそんなの!!お風呂に入れば一発で治るでしょっ!!」
激おこだ。
「アヤメ、今のマギールにお風呂は不味いよ」
「もー!あんな大変な思いをしてここまで来たっていうのに!」
アヤメの機体から戻ってきて、こうなることが分かっていたのでわたしも頑張って酔いどれマギールを起こしていたがダメだった。というかだな、あんなに揺すって叩いても起きなかったのに何でアヤメが入ってきただけで起きたんだ?
アヤメに体を揺すられて、今にも吐きそうになっている酔いどれマギールが慌てて準備を始めた。机の上には空いた酒瓶が転がり、突っ伏して眠っていた場所には涎が付いていた。
「す、すまんが、少し待ってはくれんか…まだ用事が残っておるんだ…」
「まーだ呑み足りないって言うんですか?!」
「ち、違う…あの部屋にいる男に用事があるんだ…少し外で待っていてくれ…」
「駄目です、私も付いて行きますので」
「アヤメ、やめときなよ、あの部屋にいるのはマギールを撃った人なんだよ?」
わたしの言葉に目を剥いた。
「は?撃たれた?え、マギールさん撃たれたんですか?」
「あぁ…心臓に一発、だがアンドルフという青年のおかげて一命は取り留めたんだ…」
「…………」
絶句している。
「一命は取り留めたって…いくらマキナでも……」
「危うく死ぬところだった……」
「死ぬわけないじゃん、何言ってんの?酔いどれマギールもマキナでしょうが」
「……そうさな、だが儂にはエモートはない」
「いやいや、前にグガランナが花園の部屋の前でエモート・コアを切ったって…」
「馬鹿を言え…さぁて、今から話しをしてこようか」
「何処に行くんですか?」
「向こうの部屋だ、アコックを捕らえてある、すまんが席を外してくれるか」
何やら釈然としないながらも、しゃんとした酔いどれマギールが椅子から立ち上がりゆっくりとした歩みで奥にある部屋へと向かう。わたしとアヤメが視線を合わせて、どうしたもんかと目だけで相談する。体が本調子じゃないのか、それとも単にまだ酔っているのか覚束ない足取りでよたよた歩いているマギールが歩みを止めて上向いた。
「誰か、来ておるようだな」
「ん?」
言われた通りに耳を澄ませば確かに、誰かが急いで歩いている足音が聞こえてきた。束の間もしないうちにわたし達がいる地下室への階段へと足を踏み入れたようだ。
「こんな所にいた!メシア!……あら、あなたもいたの可愛い我が同志よ」
「え……」
「いやちょっと待ってください、同志になった覚えはありません」
顔を見せたのは区長だ、顔を合わせるなりとんでも発言をかましてきた。そのせいでアヤメがドン引きしている。
「そんなつれないこと……いいえそれよりも!メシア!約束の品がまだじゃない!こっちはきちんとピューマ達を丁寧に扱っているのに話しが違うわ!」
「お前さん……この状況が分からんのか……おい、可愛い同志とやら、こいつの相手をしてやってくれ」
「え……本当に?アマンナ、いつの間に……」
「違うから!誤解しないで!」
◇
酔いどれマギールを残してわたし達だけだいせいどうの建物から出た、アヤメと一緒になって戦っていた時は晴れた夜空から、当たるまで気付かない程に小さく細かい雨が降っていた。街灯に照らされた嫌らしい雨が微かに照らされており、傘も差さずにオカマ区長の後にアヤメと並んで歩く。
徐々に濡れてきた額を手で拭っていると、前を歩くオカマ区長がこちらを振り向きねちっこい視線を向けてきた。
「メシアの知り合いには可愛いらしい人が沢山いるのね、何て羨ましい」
「あははは…」
「セクハラですか?」
「まぁ、私の美貌の前では子供も同然だけど」
「………」
「自画自賛は一人でやってください」
「…彼の容体は?アンドルフから撃たれたと聞いていたのだが」
「!」
真面目に話せるなら最初からそうしろ!アヤメがびっくりしているじゃないか!いやわたしも驚いたけど。
「酔いどれなら問題はありません、あれも一応はマキナですので」
「それは君達二人もかね」
「いいえ、マキナはわたしだけです」
「彼を迎えに来たのだろう?時間があるなら私の家に来なさい」
えーやだぁ...けどマギールを待たないといけないし...顔に出ていたのかオカマ区長が言い訳のように誘った理由を教えてくれた。
「見せたいものがあるんだ、私には理解出来ないある一枚の絵画があってね、君なら何か分かるかもしれない」
「はぁ…言っておきますがわたしに絵の審美感はありませんよ」
「君は長命なのだろう?人より長い時を生きているはずだ」
「まぁ…そうですが」
アヤメはオカマ区長が苦手なのかさっきから黙りだ、話しをしているわたしとオカマ区長に視線を行ったり来たりさせていた。
「その絵画はおそらく過去の時代を描いたものでね、手元にある文献や記録にはないものなんだ、もしかしたら君がその光景を見ているかもしれないと思ったんだ」
「はぁ」
赤い屋根をした建物の通りを抜けて角を曲がったあたりでアヤメが棒読みの台詞を喋り始めた。
「あ!私はマギールさんに頼まれていた品を取りに戻りますね!」
「品とは?」
「えーと!壺です!五階層で回収した壺です!取手が取れてしまっているんですが、とても綺麗ですよ!」
「それは楽しみだ」
わたしは遠慮なくアヤメの細い腕を掴んで引き寄せ小声で抗議した。
「…わたしを一人にしないで!」
「…アマンナなら一人でも平気でしょ!」
「…あの人が苦手なのは分かるけど!アヤメも一緒に絵を見てよ!」
「…私が分かるわけないでしょ!それにもしかしたらアマンナのことが何か分かるかもしれないよ」
「何かね?」
「い、いいえ!何でも!」
「………」
そう言われてしまったら...
高い建物の壁を抜けて第十九区の大広場に戻ってきた途端、愛想笑いを浮かべたアヤメが逃げるように人型機へと去って行った。
◇
来たくもなかったオカマ区長の家は通りの中でもとても立派だった。細かい雨から小降りになったせいでびしょびしょだ。フライトスーツの撥水性をもってしても、自然の雨には勝てなかったようだった。案内された家に入るなりオカマ区長が丁寧にもタオルを渡してくれた、どうでもいい話しなのだが生き物が初めて見るモノの匂いを嗅ぐという行為は本能にならったものらしい。
「私の臭いが付いているとでも?」
「あははは…」
嗅ぐだろ、どう考えても。オカマ区長が渡してきたタオルだぞ?
いくら本能にならった行為とはいえ、それをやられた相手が良い気持ちになるかと言われたら、別の話しになる。現にオカマ区長には顔をしかめられてしまった。しかし気にしない、こっちは得体の知れないタオルで頭を拭かなければならないんだ。
アヤメがやってみせたみたいにわたしも愛想笑いを浮かべ答えることなく逃げた。外見も立派とくれば中もやっぱり立派だった、置かれているタンスやらランプやらも、やたらとテカテカしているしまるでオカマ区長のおでこのようだ。
渡されたタオル(香水の匂い!)で頭を拭きながらオカマ区長の後に付いていく、エントランスから真っ直ぐに伸びる廊下を歩いていくと、二つ目のエントランスに出た。いやエントランスじゃないな、作りが同じだから間違えてしまった。
「ここは何ですか?」
「私のギャラリーだよ、見て分からないかね」
エントランスにあるべき玄関扉がなく、代わりに大きな絵画が一枚飾られていた。そしてよく見てみれば、壁の至るところにも絵画が飾られている。大きさはまちまちだ、けれど何かしらの法則性があるらしいのは分かった。玄関扉の代わりに掛けられた絵画は大きな山を描いたものだ、そしてその足元...いや、すもも?...いその?...ふもと、そう!麓には似たような、何の面白味もない建物がずらりと並んでいるものだった。
「あー…これもしかして…」
「分かるのか?」
「中層にある街ですね、たぶん、特殊部隊が滞留しているはずですよ」
「そうか…ならばその隣にあるのは?」
言われたままに視線を移せば、深い森の中から天に伸びる一本の線、空を飛ぶ鳥より高く雲よりなお高く、構図としては大樹のそばから見上げるようなものだが、これはあれだな。
「中層にあるエレベーターシャフトですね」
「そうか」
「おか……区長はこんな絵を見せたかったのですか?少し考えれば分かりそうな気もするのですが」
「私の名前はエリアナだ、オカ区長ではない」
良かった、バレなかった。
「つまりは、ここにある風景画は全て中層を描いたものかね」
「まぁ…とりむねは……」
「概ね?」
「そう、それ」
「ならばこの一枚はどうかね、君に見せたかった一枚だ」
全て菱型になるように配置された絵画群の中でも、一際高い位置にある一枚の絵画をオカマ区長が指さした。人物画やある家族の日常を描いた絵の天辺には、他の絵画と比べて何というか...雑?適当?色の塗り方も輪郭もぼやけている。その絵には一人の子供に大人の女性が頭を下げているものだった。たぶん。頭を下げられている人の方が身長低いし、頭を下げている女性は髪の毛長いし、絵の場所はよく分からない、雲と草と真ん丸い月か太陽が見える場所だ。
「ちゅーしょー画と呼ばれるものですかあれは、随分と下手っぴに見えますが」
「君は本当に審美感がないのかね、まぁ…あの絵だけは一際特異でね、描かれている場所も人物関係も曖昧でよく掴めないのだ」
「脚立を使えばあの絵をつかめますよ?」
「そういう意味ではない、描いた「意味」を理解できないと言っているんだ、絵には何かしらの思惑がある、欲望なり憤怒なりと、作者の感情が絵に表現されるのだ」
「はぁ…」
「あの礼拝方式は中層ではよくあったものかね」
「れいはい……いやぁ……大人が子供に頭を下げるだなんて、宗教的な意味合いしかないのでは?あいにくですが、中層の街々を見て回りましたけど「人」を見てきたわけではありません」
「うぅむ…」
「そんな子供に何が分かるというのかね、エリアナよ」
...びっくりした。マギールの声をさらに渋くしてかっこよくしたような声が響き渡った。オカマ区長と一緒になって頭を捻っていたのでびくっ!としてしまった。振り返った先にはギャラリーの入り口に男性が立っていた。頭はつるりとして耳の後ろからぐるりと髪の毛がある、浅黒い肌に、え?怒ってんの?と言わんばかりに鋭い目付きをしていた。
(あれ、この人どっかで…)
「れ、れれ連盟長?!な、何故こちらに…事前に言っていただけたら熱いおもてなしでお出迎えしましたのにぃ!」
「うげぇ…」
忘れてた、この人オカマだった。スイッチのオンオフがさっぱり掴めない。あれかな、テンション高いとオカマになるのかな。
「いらん、胸焼けするだけだ、それより君よ、俺を知っているのかね」
「どこかで見たような…」
「それは大庭園ではないのかね、赤い偽物の神よ」
「!」
「君のその服装は初めて見るものだ、政府から発表があった「人型機」と呼ばれるものを扱う者であろう?」
「よく分かりましたね」
「なぁに、簡単な推理だよ」
「ならあの絵を見て何か分かりますか?」
あれ...場が一瞬にして凍りついたのは何故?オカマ区長も血色を失った顔でわたしを見ているし、入ってきたハゲおじさんも黙りとしている。それにだ、
「わたしが見ても分かるはずがないって言いましたよね?」
「…………」
「人型機のパイロットであることを見抜いたのにあの絵は見ても分からないんですか?」
「NOぉ!のぉのぉのぉのぉ!しゃらっ「ぎゃああっ?!!触るなぁ!!」ぷぅ!お、おおお気になさらず連盟長!この子はあれなんですよあれ!」
わたしの後頭部に!オカマ区長のお腹が!あー!!香水の匂いがまたぁー!!あー!!
「……あっはっはっはっは!!」
「え…」
「もうアヤメの元に帰れない……」
「いや何、こうもはっきりと言われたのは久しぶり…いや、もしかしたら生まれて初めてかもしれなくてな、こうも愉快ではあるとは…君の名前は?」
「イマスグ・タスケロ、です…」
「エリアナよ、離してやれ」
「あらやだごめんなさいね、つい力が入り過ぎてしまったみたいだわ」
「うげぇ……」
ようやく柔らかいお腹と生理的嫌悪を誘発する甘い匂いから解放されて、力なく床に座り込んだ。
「気に入った、次は俺が相手をしてやろう、それよりエリアナよ、さっきも言ったが人型機の打診が政府からなされた、すぐに支度をしろ」
「あっ、はいぃ!!アマンナ!!あなたはここでお迎えが来るまでゆっくりしてていいからね!!」
「はい……」
何だよ、ただ呼びに来ただけかよ。あ、そうだ、この雨だ、外に出てうたれてこよう。そうすれば少しは嫌な匂いも落ちるだろう。
そう思ってギャラリーから出られるベランダに行ったというのに、空から一滴も雨が降ってこなかった。こんなタイミングで晴れやがって。
そして、今さらのようにわたしに通信がかかってきた。
[アマンナお待たせー、区長さんとは仲良くやってる?]
「今頃戻ってきやがって!こっちは大変だったんだぞ!!」
[謎のマジおこ]
アヤメには直接オカマ区長の家まで来てもらうようにお願いした。辺り一帯は一時騒然となり「これも予行演習だぁ!」とわたしが外部スピーカーから言い訳のように叫び、今度はわたしもオカマ区長から逃げるように去って行った。
69.d
先程まで降り続けていた大粒の雨が弱まり、車の天井から近くの木に張られた白い帆に当たって微かな音を立てていた。場所は階段街から離れて数時間先の雑木林の手前、おそらくはもう一つの街へ向かうために山越えをするつもりなのだろう。私の記憶が正しければ、峻厳な山ではなく徒歩でも超えられるのどかな山道だったはずだ。
飛行船を襲ったのは全員で三名、部屋に突入してきた大柄な男に、後方で拘束具を持って控えていた他二名だ、暗視ゴーグルは外さずそのままでいるので顔は知らない。私もお姫様も、そして...あぁ...思い出しただけで鳥肌が立ってしまう...まさか、まさかあんな男に寝床を襲われるだなんて...
「何だよ、何か言いたいならその口で言え」
目は口ほどにものを言う、きっと私は斜向かいに座るディアボロスを睨んでいたのだろう、無理もない。
「……そもそも、何故あなたは私達の部屋に入って隠れようとしたのよ」
「……なら、お前達を見捨てて一人で逃げれば良かったと?」
「質問に質問で返さないでちょうだい」
「まぁ確かに、ベッドに押し入ったのは解せませんね、しかも私とグガランナ様を間違えていましたしあまつさえアウトオブ眼中ですよ?」
「知らんがな」
「静かにしろ」
口論になりかけた私達を見計らって大柄な男が注意してきた、その手には銃が握られたままだ。
「オーディン様から、「命があれば」丁重に扱えと言われているがなければその限りではない、ご厚意に感謝しろ」
「お前は何者なんだ?」
「それはこちらの台詞だ、グラナトゥム・マキナを騙る不届き者めが」
「何だって?不届き者?淑女の部屋を破城槌で押し破った奴が何を言っているんだ」
「…あなたがそれを言うの?」
「…健忘症?」
目だけで「黙れ」と訴えてきた。
「我らを束ねしオーディン様、そして兄弟の杯を交わしたディアボロス様の名を騙るなど、不届き者以外のなにものでもあるまい、命を取られなかっただけでも感謝してもらいたいぐらいだ」
「……その二人はどこにいるんだ?」
「我らの街にいる」
「姿を見たことがあるのか?」
この男は今どんな気分で自分のことを聞いているのか、そしてこの大柄な男は何故この男を目の前にして強気な態度に出られるのか。
「まさか、お二人の姿を見られるのは奇跡の中の奇跡、いつもは海原の中から見守ってくださっているんだ」
「………」
「ひっ!」
[おかしな声を出すな!こうでもしないと会話ができないだろ!]
[この……それで何?]
[こいつの言葉、どう思う?海原って表現は…]
[ただの比喩でしょう、おそらくはサーバーから彼らとコンタクトを取っているのでしょうね、だからあなたを見ても何とも思わないのよ]
あぁ!何ということ!またこの男に体を触れられてしまった!直接通信をしたいのは分かるが何の断りもなく私の手を繋がないでほしい!
ちなみにだが、私達三人は後ろに手を組まれた状態で話しをしていた。逃げられないようにするためだろうが、それなら何故私達を車から出したのか。
「…一つお聞きしてもよろしいですか?」
「何だ」
「あなたの目的は何でございましょうか」
「オーディン様の言伝を守ることだ」
「では、もしこの場で私達に傅けと言われたらそうすると?」
「それが望みならば」
「………」
...お姫様も同じ疑問を持っていたのか、代わりに聞いてはくれたが...これではただの言いなりだ。それ程までにオーディンに心酔している理由が分からない。隣にいるディアボロスもとても渋い顔をして聞いていた。
「俺からも一ついいか?その兄弟とやらは何をしているんだ」
「オーディン様からの言いつけで我らの為に芸術を下賜してくださっている、絵から何から何まで、おかげて我らの街は他所と比べて余裕がある」
「……それは何の?」
「心だ、芸術は心の余裕を育むものだ、そう教わっている」
「………………」
いつの間にか、降っていた雨が上がったようだ。雲間から月が見えている。少し肌寒い風が通り過ぎ、これから向かう街へ抱く不安を掻き立てられたようだった。
✳︎
ひっそりと佇む月に見下ろされて一人、あてがわれた部屋のバルコニーで考え事をしていたら、頭からすっぽりと被り、長い裾をしたフード姿の集団を見かけた。
「こっわ!」
何だあれ、危ない集団かな?雨が上がった途端に私もバルコニーに出ていた。きっとあの集団も雨が上がるのを待っていたに違いない、その足取りはどこか急いでいるようだった。細い街の通りを縫うように歩いている、興味が湧いた私はいそいそと部屋に戻って出かける準備をした。無駄にデカい私のベッドの隣には、呑気に寝息を立てているハデスがいる。こいつには全く興味が無い。
「んごっ……」
とりあえず、起きないように一発叩いてから部屋を出た。ハデスにとってここは楽園のような場所なのだろう、誰しもが頭を下げて丁重に接してくれるのだ。こいつの今まで受けてきた扱いを考えれば居心地が良いはずだ。
ゆっくりと扉を閉めてから、雨を追いやってくれた月に照らされた廊下に出ると、身が竦むような驚きがあった。
「今カラ、ドチラニ行カレルノデスカ…」
ふくよかな人がそこに立っていた。私とハデスが使っている部屋の扉のすぐ前に。
「あ、えぇと……寝付けないから……散歩にでも………」
光の加減のせいか、目もどこか虚ろだ。怖いなんてものではない、怖い。どうしてそんな所に立っていたのか、目的も理由も分からない行動はとてつもなく怖かった。
「良ケレバ、私ガ案内致シマショウカ?」
「え、いや………あ!私用事があるの!ごめんね!また明日ね!」
付き合っていられない、この人に特別恨みも何もないが、行動そのものが怖かったのでありもしない用事を口にして逃げるように廊下を歩いていった。
◇
月と同じように、崖沿いに作られた街もまたひっそりとしていた。急ぎ足で去って行った集団にまるで関心をむけていないかのようであった。降ってきた雨のせいで街はどこか冷んやりとしていて、並ぶ民家のあちこちの壁に黒い染みができていた。おそらくあの集団が跳ね上げた水溜りが付いてしまったのだろう、気温と黒い染みを作った家々はとても相性が良かった。うすら寒いという意味で。
(こんな時間に出かけていくだなんて…)
間に合わせで羽織った厚手のコートの襟をよせて私も街へと繰り出した。この街で一番高い位置に建てられた迎賓館(勝手にそう呼んでいる)からは、月明かりでは照らしきれない大草原がその姿を暗黒に変えて見せていた。本物の海は一度しか見たことがないが、確かに、夜中であれば草原も海原もあまり変わりはないのかもしれない。
幅の狭い階段を月や街と同じようにひっそりと降りていく、お気に入りの赤いブーツが立てる音で皆んなが起きやしないかと心配になったからだ。階段を降りて付いた染みを頼りに角を曲がり、後はひたすら真っ直ぐに進んだ。
(分割統制…五つの都市を支配するマキナ…ティアマトとテンペスト・ガイアを除くマキナがリブート処置…そして過去には一括統制と呼ばれた時代…)
ここへ来て教わったことを頭の中で整理していた、バルコニーで頭を捻っていた内容の続きだ。過去の上層では五つの都市に分かれた人類がマキナの庇護下にあった、前後関係までは分からない。初めから五つの都市に分かれていたのか、それともマキナが五つに分けたのか。そしてリブート処置を受けていないマキナが二人存在している事実、ティアマトが覚醒した年は確か百二十年、そして私が初めて覚醒した年はその二年後だ。
「………さっぶ……」
強い一陣の風が街を撫でていった。身震いしてからさらにコートの襟を寄せて、逃げるように考え事に没頭した。
テンペスト・シリンダーに存在しているマキナで一番早くに覚醒したのはティアマト、さらに過去に一度もリブートされていない。それは電子海でも証明されていること、唯一ティアマトだけ「死に泡」が存在しないことになっている。あれ、そういえば...
「見たことないな…」
テンペスト・ガイアはいつ誕生したんだ?いや、彼女が私達を束ねている上官なのでティアマトよりも早く覚醒したのは分かるが、電子海で泡を見かけたことがない。単に自分が視界から締め出していただけかもしれないが...
うねうねと民家の庭の形に沿って作られた、もはや道なのか敷地内なのか分からない道を歩き続けていると、遠くにでっかいおわん型の天井が見えたきた。「いや絶対あそこじゃん!」と歩みを進めていく。
最後に二つの呼び名があった時代。「分割」と「一括」、これは分かりやすい、今のように五つに分かれて支配していた時代と一つにまとめて支配していた時代があったということだ。都市も今と同じように五つに分ていたのか、それともマキナが一人代表で支配していたのか。一括から分割へ変わった経緯に関しては容易に考察できる。
(一人でまとめるのが無理になった、からよね、どう考えても)
それ以外にないだろ、他に何かある?
その「一人」とやらの素性が割れてしまえばこんな回りくどい事をしなくても、あのお姫様とやらの願いが叶うような気もするのだが...
もう、いかにもな建物はすぐそこだ、角を曲がった向こうから早速人の気配も漂ってきた。さらに靴音が鳴らないようゆっくりと歩き、赤い色の馬のおもちゃが転がった庭の壁に手をつき覗き込むと、
(はっぴゃああっ?!!)
大勢...え幻覚?いや幻覚じゃない、建物へと続く階段からすでに人で埋め尽くされていた。皆んなが一様にフードを被り誰が誰だか分からない、階段を上った先にはおわん型の建物...あれは広間か何かか、白い支柱に支えられただけだった。そしてそこで何やら行われているようだが、広間に向かって頭を下げている人垣のせいで見ることができない。
(どうすれば?けどあそこに突っ込む勇気もないし…)
帰ろうか、悪い夢でも見たとなかったことにして私も寝床に戻ろうとすると、壁についていた手が滑ってしまい体を隠していた通りから出てしまった。その拍子にかつん!と甲高い靴音を鳴らしてしまった。
「ひっ」
その音によく気付いたなと感心して...いる場合じゃなかった、広間に頭を下げていた人達が一斉に振り返った。てっきりそのまま捕まえにくるかと思ったが、振り返った人が皆んな驚いたように口を開けて固まっている。
「………こ、今夜も月が綺麗ですね!」
何でここで?!有名な比喩表現が出てきたんだ?!そらみろ言われた人達もさらにぽかんだ!
慌ててパニックになった私が変な挨拶をしても、まるで動こうともしない。これはいい!と逃げ出そうとすると広間を中心として人垣が割れ始めた。
「海割れですかぁ?!…………ん?」
まだパニクっていた私は海割れから現れた、瓜二つの私を見てようやく落ち着いた。ここに来てまで影武者を見ないといけないなんて...
そして向こうが鋭く声を発した。
「捕らえなさい!」
「えぇ?!何でよぉ!!」
向こうの私の声に周りにいた人達が一斉に動き出した、まるで言いなりだ。ひっそりと隠れるように歩いてきた道を今度は脇目もふらずにひたすら走った。後ろは地鳴りのようにして大勢の人達が追いかけてきている、これだけ騒がしいのに民家から顔を覗かせる人が一人もいないことを不審に思いながらもとにかく走った。
(つまり!あの人達は!私に頭を下げていたっていうことなの?!)
冷たい風が耳に当たりごうごうと鳴るなかでも、さっきの光景について考えていた。私は案外余裕があるらしい。
一度歩いたおかげで覚えた道を、間違えることなく走って行く。もう一度角を曲がって細い階段を手をつきながら猫のように上っていく。すぐ後ろまで迫っていた人達が場違いな悲鳴を上げてたたらを踏んでいる。何故?
「アァ!プ、プエラ様ノっ!」
「馬鹿ヲ言ウナ!アレハ偽物ダ!シカシ、何ト可愛イラシイオ尻カ……」
「?!!」
げ!しまったスカートが捲れて!気付いた時には階段の終わりがすぐ目の前にあったので構うものかと猫になりきって上りきった。息もだいぶ荒い、迎賓館に逃げ込んだところで立て籠る以外にないが他に場所もないんだ。門を潜って扉を開け放つと目の前が突然真っ暗になった。
「うぶわぁっ?!」
それに固い生地が顔をちくちくさせているので痛い、そしてそのまま誰かに倒されてしまった。
「ちょっと!何よこれぇ!」
「大人しくしろ、司令官」
「!!……この声まさか」
「懇願されてしまってね、司令官の正体を教えてほしいと、今の私には断る術がなかったんだ」
「ヤハリ…コノ方ハ…」
そしてあのふくよかな女性も頭上から聞こえてきた。
「偽物だよ」
「アァ…私ハ何テ事ヲ…」
「気にするな、本物の司令官には私の方から伝えておく、偽物を捕らえるのに尽力してくれたって」
「ふざけるなぁ!あんたも偽物でしょうがぁ!」
「デモ、コノ方ガ本物ダッタラ…」
「それはないと断言しよう、君達が崇めているプエラ・コンキリオはこの娘ではない」
「裏切り者ぉ!向こうに帰ったら覚えていろぉ!!」
何とか抜け出そうともがいているうちに私を追いかけていた人達が迎賓館に入ってきた。そして、まるで物のように私が担ぎ上げられて不思議と花の匂いがする人間に運び出されてしまった。