第六十八話 混沌からの使者
68.a
突然だが、テンペスト・シリンダーは現在三層に分かれている。大昔は下層と上層の二つだけ、今はタイタニスと呼ばれるグラナトゥム・マキナがメインシャフト、人類の追加居住エリアを建造したために上層と呼ばれていた場所が中層と呼ばれるようになった。
では、その中層はそんなに狭いのか、と言われるとそうでもない。中層の中心にメインシャフトが建造されて、そこから五等分されるような形で街が配置されているのだ。一つは知っての通り「エディスン」と呼ばれる街。残りの四つは名前すら残っていない。どうしてかって?
「記録が残っていないからでぇーすっ!」
「司令官が壊れた」
「元からだ」
「あらあらまぁ…」
「………あ、こんな風になっていたのね……私とアマンナが見た時は残骸ばかりだったから知らなかったわ……」
けっ、私の気も知らないで呑気に見学なんかしてらぁ。さっきはあんなに剣呑な雰囲気を散らかしてたくせに、私だって言われて平気なことと傷つくことがあんだよ!
「それで、いつになったらこの遊覧飛行が終わるんだ?」
「さぁ…試しに飛び降りてみて下さいな、先ほどのように生還するかもしれませんし」
「はぁ…」
「だが…本当にここが過去の中層なのか?こんなに広かったなんて……」
「私も何度も中層の空を飛んだけど、確かに言われてみれば変ね」
だって、あの山を越えようとは、一度も思わなかったのだ。鉄の翼を手に入れて自由に飛べたというのに。
「思考誘導でもされていたんだろ、俺は全く興味がないがな」
「貧乏揺すりしてる奴が言う台詞じゃないよ」
「……くっ!静まれ…俺の右足!自尊心とプライドがかかっているんだっ!」
「それ同じ意味だから」
ぱぁんっ!と小気味良い音を立てながら片手で顔を覆っているあの仕草は何かの儀式なのだろうか。
頭の中が混乱しっぱなしだった、決議の場でグカランナもとい「お姫様」と呼ばれている正体不明のマキナに襲われてから今に至るまで。息つく暇もなく次から次へと予想すら出来ない事ばかり起こっていた、寒い雪山に放り出されたかと思えば...
(…………)
まだ、首筋に残る痛さと甘さを感じながら頭からふるい落とす。
「どうかしたのか司令官、トイレならこの奥だぞ」
「あんたの顔にかけてやろうか」
それから今度はこの飛行船に乗って、中層の空の遊覧飛行。眼下に望む街は現在のものではなく「カオス」と呼ばれるサーバー内に保存されたデータを再現しているんだそうだ。あんな街、存在していた事すら「ガイア」に記録されていなかった。
「ただの玩具、という線も残ってるけど」
「これがお遊び?そんな規模のものでしょうか」
「そう?そう言われた方が私はしっくりくるけどね」
けれど、あの戦闘機で空を飛びながら山を越えようと一度も思わなかったなんて...さらに言ってしまえばその事実に「カオス・サーバー」にアクセスしてから気付くだなんて...薄ら寒い思いをしていた。偶然、では片付けられない何かがここにはあった。
グカランナはこの飛行船に場面が移ってからずっと窓の外を見やっている。微かに揺れる後頭部をずっと私は見ていた。まるで子供だ、興味津々といった体で昔の中層を眺めるグカランナから目を離せないでいた。
✳︎
これで四度目、オーディンに連絡を取っているがまるで繋がらない。小波すら聞こえないので完全にガイア・サーバーから断たれている証拠だ。
ウロボロスの容体も気にはなっていた。あの時、カーボン・リベラの通信網を全て断絶した影響で俺達マキナ側もサーバーから切り離された状態だったのだ。言うなれば、オリジナル・マテリアルにエモート・コアを乗せた状態。そこで全損ないし破損してまえば、エモートにも少なからず影響が出てしまう、最悪は「死」。ウロボロスのマテリアルも、空中で分解されてしまったヴィザールのマテリアルも回収済みだが...
(あの時に現れたあの機体は何だ?何故触れてもいないのにヴィザールのマテリアルを…)
全てが謎だ。五階層を模して作られたあの区の大庭園で、擬似的に素粒子間任意結合流体を展開してみせたあの男もそうだった。あれはオーディンだけが展開出来る代物だ、攻撃性能を持ち合わせた素粒子流体は他のマキナでは展開することも、構築することも出来はしないというのに。
それらを調べる為にも、あの教会に置かれた謎のマテリアル・ポッドを調べている最中に、捕まってしまった、と言う他にない。こちらのナビウス・ネットを掌握された時には既にあの塔の天辺にいたのだ。
(だがまぁ…こちらの計画は概ね順調だ、後は……)
斜めに取り付けられた窓の外には、一度も訪れた事がない街の景色が眼下に広がっていた。エディスンのように無機質かつ同位体の建物の群れではなく、一つ一つの建物に個性が宿る街並みだった。あれはエーゲ海に囲まれたある島を模したものか、青と白で作られた街並みは見応えが十分だった。そこでふと、中層を旅していたと言っていたグカランナに声をかけていた。
「グカランナ、あの街も中層にあったのか?」
「……えぇ、ただ段差の多い街だと思っていたけど……あんなに素敵な街だったのね……」
心にここにあらず。そんな風だ。
「何故お前は山を越えられたんだ?司令官は越えようとも思わなかったんだろう?」
「……それについては、そうね、あの時の私達はピューマに擬態したマテリアルにエモート・コアを移していたからじゃないかしら、サーバーからログアウトした状態だったから思考誘導の類いも無かったんでしょう」
「正気の沙汰とは思えないな」
「今にしてみればそうね…けれどあの時はあなた達から逃げ出すことしか頭になかったわ」
「………」
面と向かって言われたのは初めてだ。こいつが俺達に含むところがあるのは知っていたが。
「何か、酷い事でもされたのですか?」
「いいえ、もっと酷い事よ」
ここでゆっくりと飛行船が高度を下げていった。眼下に見えていた街並みが徐々に近づき、左手に万年雪を頂きにのせた山が見える大草原のど真ん中に飛行船が着陸した。飛行船は止まり、勝手に入り口の扉が開いているのに誰も降りようとはしない。
「……それは、何でしょうか?」
お姫様と呼ばれているグカランナの生写しのようなマキナが、ゆっくりと問うている。
「私の一切を無視、まるで眼中にないような扱いを延々と受けていたわ、それならまだいじめられている方がまだマシだったわ」
「それはご褒美…」と口走ったマキナの頭を叩いたのを合図にして皆が席を立った。
あれは馬鹿じゃないのか?
✳︎
ここは本当に...中層なのか?未だ信じられない、司令官が言ったようにただの作り物と言われた方が納得できる。まぁ、仮想世界に作り物もないが。
飛行船が降り立った草原は、とにかく広かった。左手に見える山の裾野から街がある右手のほうまで延々と続いている、大草原と言えばいいのか。アリン達が根城にしていたエディスンの街付近とは様相も違い、少し固い雑草が生えているだけで花の一つもありはしない。そして風も、山から降りてきた勢いのままに吹き抜けているせいか少し強かった。
グカランナが先を歩き出したのでそれに皆んなが付いていく。
「グカランナはここに来たことがあるんだろ?どうやって来たんだ?」
間抜けな聞き方かと思ったが他に言葉が見つからない。
「あの山を越えて、ここまで来ましたよ、アマンナと一緒に」
「まさかそれをずっと?」
ずっととは、下層から抜け出して今に至るまで、という意味だ。
「えぇ、何年もかけて中層を渡り歩いてエレベーターシャフトの近くでマギールと出会って、そしてアヤメと出会いました」
何年も。その計り知れない時間の長さの中で彼女は一体何を見てきたというのか。
「そう……か、旅はどうだったんだい?」
「………とくには」
とくには?何も感じなかったというのか?下手すりゃ何百年という時間をかけているのに?
私の後ろを歩いていた司令官が小走りで駆け寄り無言で背中辺りを叩いてきた。
「………」
「何?」
叩いた手をそのまま背中に押し当てて、近距離通信を行なってきた。
[あまり変なこと聞かないで]
[んん?それを司令官が言うのか?]
[いいから、とにかくさっさと用事を終わらせて向こうに戻るわよ]
[終わらせるって言ってもな……どうやったら終わりになるんだ?]
[そういうのを聞きなさいよ]
何なんだ...前を歩くお姫様に声をかけた。
「やぁお姫様、ここから帰る手段はあるのか?向こうでも用事があってね、あまり長居出来そうにもないんだ」
「お前が?テンペスト・シリンダーの運営に携わっていないのにか?」
その場でしゃがみ込み生えていた草を土ごと引き抜き、無神経な発言をしたディアボロスの顔面に向かって投げつけた。
「ぶぅえっ?!」
「お前!言っていいことと悪いことの区別もつかないのか!そんなんだから周りから嫌われるんだよ!」
「はっ!嫌われる好かれる大いに結構!お前と違って俺はやる事があるんだよ!その結果に嫌われるんならって、待て!土が顔に当たってっ?!ぶぇ!」
「あらあら……随分と楽しい遊びをされていますね」
「これのどこが?」
私が立っている一面を地面剥き出しにしてようやく怒りが収まった。
「稚拙にも程がある………ん?」
土だらけになったディアボロスが街の方を見やり、それにつられて皆んなも視線を向けると、砂埃を上げて何台かの車がこっちに向かって走っているところだった。ぱっと見は普通車のように見えるが...車の天井には一門のガトリング砲が付いているではないか。
「何なんだ……あれは」
運転手の姿も遠目に見えてきた、後ろに手をやり何やら合図を出している。これは不味いのではと思った矢先にガトリング砲が火を吹いた。
「?!!」
「あっぶぅ?!」
私が手でむしっていた時とは比べものにもならない程に地面が草も土も巻き上げて抉れていく。これは単なる威嚇射撃か...見る間に車が私達の前に停まり、一人の男性が銃器を手にして降りてきた。
「何者ダ!名ヲ名乗レ!」
おかしな発言の男は、中年か?鼻もスラリと高く茶色の巻毛で彫りも深い。予断なく構え銃口を私達に突き付けていた。
「銃をお納めください、私どもはただ探求に参っただけなのです」
「名乗レト言ッテイル!」
「……私はグカランナ、この方は私の友です」
グカランナがお姫様を庇うように前に立ち、そして次に私達へ視線を寄越した。
「私はハデスだ、それからこのちっこいのが、」
「うるさい、私はプエラよ、プエラ・コンキリオ」
「ディアボロスだ」
...一体、誰の言葉に反応したのか分からないが、中年の男性が目の色を変えて車に戻っていった。そして、車から大勢の人間が降りてきて、事もあろうに私とプエラの前に跪いたではないか。
「!」
「我ラノ無礼ヲオ許シクダサイ……敵ガ攻メテ来タトバカリニ……」
[ちょっ!何!こいつら何!何で私達にこんな事してんの!]
[いや知らんが……]
初めてだ、こんな無防備に傅かれたのは。今まで感じたことがない高揚感が湧き起こってきた。
「あー…私らに案内してくれるか?」
その言葉を受けて、最初に銃を突き付けてきた男性が皆んなを車へと案内してくれた。
✳︎
到着した街は、過去にアマンナと訪れた時とは違い白塗りの四角い家々が並び、ドーム状に形成された天井は海よりも青く彩られていた。貝殻に見える小さな石を埋め込んだ階段を一人、ゆっくりと降りていく。牛型のマテリアルでは残骸に体を当てながら上り降りした階段も、今となって余裕を持って歩くことができる。
司令官の言った通り、何かしらの思考誘導がされていたのだろう。この街を飛行船から望むまで、まるで思い出すことがなかったのだ。
(有り得ないわ…)
封を切ったように次から次へと、中層を旅した記憶が蘇ってくる。勿論、ここだけではなく残りの三都市も記憶の中にある。私がアマンナとここへ来た時はどの家も崩れ、それに白塗りではなく灰色の寂しい景色だった。「ここが綺麗ならどんなに良かったことか」と、アマンナとよく話しをしていたのも思い出した。
破損したアマンナのマテリアルを直すために、メインシャフトでガイア・サーバーと再接続した時からこの記憶が頭の中から抜け落ちてしまったかのように、アマンナとも口にすることすらしなかった。確かに中層を旅した、という記憶はあるが細かい部分だけがなかった。
「どうですかこの街並みは、私はもう飽きてしまいました」
後ろからお姫様がゆっくりと降りてくる。どうやら案内された建物から一人で抜け出してきたらしい。
「飽きるの早くないかしら、せっかくの景色だというのに…」
「私の目的は観光ではありません、探求なのです」
私と瓜二つのお姫様が隣に並び、青いドーム越しに降り立った大草原を見やった。本来であれば、大草原ではなくエーゲ海のはずだ。この中層の街並みも、地球時代の街並みを再現して作られたのだろう。
「それならどうして一人で抜け出してきたのかしら、彼らに話しを聞けばある程度の事は分かるのではなくて?」
「彼らはただの人畜、マキナに飼われているに過ぎない家畜です、何を聞いたところで分かることは何もないでしょう」
「それなら私と散策でもしましょうか、もしかしたら絵画や碑文なんかが残っているかもしれないわ」
「ええ!!」
がっしと瓜二つのお姫様に手を握られた。
それにしてもだ、ここは本当に仮想世界なのか?道行く人は皆んな、揃いも揃って私を珍しそうに眺めてくるのだ。決まった行動パターンしかしないはずの住人が、さらには小さな女の子なんかは私に声までかけてきたのだ。「天使様?」そう聞かれて迎えの親が来るまでずっと頭を撫でて続けていた。
「お姫様、ここの正体をそろそろ教えなさい、ただの仮想世界ではないはずよね」
「それは…確かに私も不思議に感じていることです…」
珍しい、あのお姫様が下を向いてしまうだなんて。
「自信家のあなたも俯くことがあるのね」
「なんなら罵ってくださってもいいのですよ?」
「そういうところは変わらないのね」
「私のアイデンティティです」
「下らない」
「んっふぅ!」
えぇ...今ので感じるの?発言には気をつけよう。
馬鹿な声を出したお姫様を街の人が不思議そうに見ている。ま、見ているだけで遠ざけているとも言うが...
私も案内された建物から抜け出したのは、何と言えばいいか、明らかな「差別」があったからだ。ハデスと司令官の待遇はとても良かったのだが...何故かディアボロス、それから私達二人はもののついでなような扱いだった。
「そういえばお姫様、あなたは確か「分割統制」と言っていたわね」
階段を降りて、崖沿いに作られた街の通りを歩いていく。左手に大草原があり右手には乱雑に建てられたように見える家々が並んでいる。
「はい、おそらくこの街は当時のハデス様とプエラ野郎が支配していたのでしょう、だからこそのあの待遇だと思いますよ」
「プエラ野郎って……」
「グカランナ様があの野郎を見る目がとても冷たかったので、相応しい呼び名に変えたまでです」
「それならディアボロス、彼が支配していた街もあるのかしら」
「おそらくは」
ならば私が支配していた街はきっとない。何せ廃墟と化した時代に生まれたのだから。
68.b
吹き荒ぶ風の中、四階層の端に修理されたばかりのグカランナ・マテリアルが接舷した。輪っかが付いていない鼻から伸びた通路を渡って何日ぶりかになる艦内へと足を踏み入れた途端、どっと疲れが体に押し寄せてきた。
「ばぁー…」
「何だその溜息」
いつか聞いた溜息を吐いてからゆっくりと休憩スペースへと向かった。ナツメもどこか疲れているようで足取りは重い、それなのにイエンさんは初めて見るであろう艦内の探検へと出かけていった。残ったのは私とナツメ、それからピューマの子供達だった。
「お前達は行かなくていいのか?」
「知ってっから、今さら見たいもんなんてないよ」
「そうか、お前達は中層からこっちに運ばれていたんだな」
相変わらずつんと上がった鼻を向けてナツメに答えているリコラちゃん。リプタちゃんとフィリアちゃんは二人を他所にしててくてくと休憩スペースへと向かっている。そして突然、通路の向こうから悲鳴が上がった。
「アヤメが子だくさんで帰ってきたぁ!うわぁぁんっ!!」
◇
「疲れた」
「ぐすん」
「アマンナ、アヤメが余計に疲れた原因はお前だぞ、いい加減に離れろ」
休憩スペースの席には私とナツメ、それから泣き真似(?)をして離れようとしないアマンナと、ティアマトさんに御用となったイエンさんが耳を引っ張られながら入ってきたところだった。
「ナツメ!この不審者を野放しにしないでちょうだい!」
「やめろ離さないか!淑女の部屋に入ったのは謝罪するから!いだだだっ!」
「何が淑女よ!平気な顔して入ってきたくせに!まさかいの一番に入ってきたのがこんな不審者になるなんて思わなかったわ!」
「ティアマト許してやれ」
「ふん!」と怒りながらも耳から手を離して私とナツメの間にすとんと腰を下ろした。そしてイエンさんも席についたのを見計らって話しが始まった。
「まぁとにかく、お疲れ様二人とも、おかげでグカランナのマテリアルが無事に直ったわ」
「全くだよ…とんだ降下作戦になってしまった…」
「ま、メインシャフトなんてハプニングが付きものだけどね、にしても本当に疲れた…」
「お疲れ、アヤメ」
あんなに泣きじゃくっていたくせに、今はお姉さんのように優しく微笑みながら私の頭を撫でてくれている。
「街の様子は?テッドさんとスイちゃんが人型機で頑張ってくれているんだよね?」
「えぇ、二人の頑張りのおかげで予想以上に作業が進んでいるそうよ」
「ちなみにだけど、あっちこっちの街からかかってくる連絡取ってるのティアマトだから」
各区の区長から作業や救助要請の連絡を受けて、テッドさんやスイちゃんに指示を出していたんだそうだ。
「ティアマトさんも大変だったね」
「ま、まぁ?それは、そうかもね」
「照れる歳かよ」
ぶぉん!と私の後ろをしなやかな腕が通り過ぎてアマンナの頭をクリーンヒットしていた。
「はっつぅ……」
「それで、マギールは見つかったのか?」
「……いいえそれがまだなのよ、テッドやスイにも探すように言いつけてあるけど……出来ればあなた達には優先的にあの呑んだくれを探してほしいの」
呑んだくれとはまた...けど、マギールさんと連絡がつかなくなってもう一日は経とうとしている。さすがに見つからないどころか連絡の一つもないのはおかしい。
「…分かった、だがその前に休憩させてくれ、さすがにこのまま飛び出すのは無理がある」
「それは勿論……」
何か言い淀むように口をつぐんだティアマトさん。
「何だ?」
「……いいえ、とりあえずあなた達はお風呂にでも入ってきなさい、少しはさっぱりするでしょう」
「いぇーい!アヤメとお風呂ぉ!」
「馬鹿言いなさい、あなたは今からマギールを探しに行くのよ、第十九区の区長には連絡入れてあるから行ってきなさい」
「わたしも疲れてるんだけどな」
そうは言いつつも素直に腰を上げてそそくさと休憩スペースから出ていった。そして私もその後を追うように腰を上げた。
...変だな、アマンナの様子。
✳︎
「はぁ…」
「何かあったの?」
「?!」
ほんとにびっくりした...まさかアヤメが後ろにいるなんて気付かなかったので大きなため息を吐いてしまっていた。ばっちりと聞かれたらしい。
「…そりゃね、疲れてるからさ」
「ふーん……」
睨むような目に労りは感じられない、ばっちりと見抜かれているらしい。けど、
「……わ、わたしにだって、言えないことってあるんだよ」
意を決して伝えたつもりなのに、アヤメは心底おかしいように顔を綻ばせた。
「へぇー、アマンナでもそんなこと言うんだね、何も考えていないって思ってたのに」
「な、なんだとう!」
「言いたくないならいいけどさ、言いたくなったら遠慮なく私に言ってね、今度は私が優しくする番だから」
「………」
力なく構えた拳をだらんと下げて、真剣な顔付きでそれだけ喋ったアヤメの後ろ姿を見送った。
言いたくなかった、わけの分からない事を話して何と思われるか分からなかったから。けれど、遠ざかっていくアヤメの後ろ姿を見ると胸が締め付けられるように「やってしまった!」という後悔の念もあった。どうすればいいのか分からない、あの二人?それに、「バルバトス」と名乗った男の子が、わたしを妹だと言ったことも未だ受け入れられずにいる。そんな話しをしてどうなるというんだ?アヤメを困らせるだけじゃないのか?
考えないようにしていた悩みのタネが、せきを切ったように溢れてきた。すぐさま後ろを振り返り、通路の角の向こうに消えようとしていたアヤメへ追い縋ろうとしたが結局、わたしの足は棒立ちになったまま動かなかった。
◇
「はぁ…」
[あら珍しいわね、あなたが溜息なんて]
「わたしにだって色々あるんだよ」
[区長はインターチェンジ前の駐車場に来てくれているわ、到着しだいすぐに事情を聞き出してちょうだい]
無視かよ、でもまぁこっちの方がやりやすい。
グカランナ・マテリアルから発進していくつかの区を上空から超えたところだ。未だわたしの胸の内にはわだかまりのような重苦しいモノが居座っているが、それから逃げるように空を飛んでいた。太陽は天辺を通り過ぎてそろそろ茜色に染めようかという時間帯だった。飛び立つにつれて回復していく街はさながら人の体だ、どんどん元の姿に戻っていくのが何だかおかしかった。わたしの胸の内もそのうち治ればいいのにと思いながら機体を第十九区方面へと飛ばした。
いつか来た、第六区の上空に差しかかった時に前から二つの光点が近づいてきた。きっとテッドにスイちゃんだろう、一仕事終えてマテリアルへ帰還するところかな。
「やっほー」
[アマンナお姉様、今からですか?少しのんびりしすぎじゃないですか]
手厳しい。
[スイちゃん、アマンナはアヤメさん達の手伝いをしていたんだから]
そのままレバーを反転させて付いて行こうかと思ったけど、わたしも仕事はしないと気持ち良く帰れないと、我がままな腕を押さえつけた。
「アヤメやナツメ達はもう帰ってきてるから、よろしくねー」
[……あ、はい]
二つの機体とすれ違い、テッドとスイちゃんが残した飛行機曇を辿って目的地へと目指した。
✳︎
アオラさんが直してくれたグカランナ・マテリアルが、最初に停まっていた位置より少しずれた場所に停泊しており、僕達が帰ってきたのを見計らってお腹横にある格納庫のハッチがゆっくりと開いていった。この人型機もここ数日で随分と傷だらけになってしまいまるで歴戦の機体のよう、お腹横に着陸して機体を格納庫に向けると中でナツメさんが仁王立ちで立っていた。「え、何かしたかな…」と構えてしまったがどうやら怒る為にではなく労う為に待ってくれているようだ、その顔付きは薄らと微笑みを湛えていた。
「ただ今戻りました」
[ご苦労だった]
[ナツメさぁーん!]
[スイもご苦労だ]
ゆっくりと手を上げて、僕達を迎え入れてくれた。その顔、いや存在自体に心底ほっとした、やっぱりこの人が近くにいないと。
◇
「復興の方は順調です、各区の人達も協力的ですのでとくに問題はありません」
「それは良い」
「私も!私も頑張っていますから!」
「はいはい、もしかしたらスイが一番の功労者かもしれんな、降下メンバーにも入っていたし、こっちに戻ってすぐに復興作業にも参加しているわけだから」
「えっへへ……」
遠慮なくぐりぐりと頭を撫でられているスイちゃん、その顔はとても嬉しそう。気持ちは良く分かる。
「ナツメさんは?メインシャフトから戻ったばかりなんですよね、大丈夫なんですか?」
格納庫でナツメさんと合流した後、僕とスイちゃんでナツメさんを挟みながら休憩スペースへと向かっていた。
「いい、もう一踏ん張りだ、お前達の休憩が終わった後に私も参加するよ」
「あんまり無理しないでくださいね」
目元を細めて口角だけ上げて返事をされた、いつもの笑い方だ。
「あのぉ、ナツメさん?アマンナお姉様に何かしました?」
「私がか?」
「はい、さっきすれ違ったアマンナお姉様の様子がどこか変だったので…てっきりナツメさんに叱られたのかと」
バイザーを両手で抱え込むように持ち、小さな瞳を真っ直ぐにナツメさんへと向けている。スイちゃんのフライトスーツは僕達とは違い、内腿や胸元は空いていない。「こんなもの着れませんよ!」の一言でフリルのスカートが付いたフライトスーツに新調してもらっているのだ。
「いいや、とくに私は話していないが…そういえばアヤメもあいつの後を追っかけていたな、後で聞いてみろ」
「……はぇ…」
「何だその返事は」
「私、アヤメさんが苦手なんですよね、あんまり話したくないというか…」
びっくりした、スイちゃんがそんな事を言うなんて。
「喧嘩でもしたのか?」
「いえそうではなくて…何かアヤメさんのことを見ていると胸が騒つくといいますか…まるで自分のものではない気持ちがもやもやとしてくるというか…」
僕とナツメさんが視線を合わせた。それってつまり...
「…スイちゃんはアヤメさんのことが好きなの?」
僕の言葉に今度はスイちゃんが歩みを止め、眉をしかめて僕と視線を合わせた。
「は?何でそうなるんですか?」
「気持ちがもやもやするって、それは焼きもちのことではなく?」
「違いますよ!」
「あいつはやめておけ、敵が多い」
「だから違いますって!」
(それをあなたが言いますか)
通路を渡って休憩スペースに入るとこれまたびっくりした。耳や尻尾が付いた子供が三人、席について食事をしていたからだ。
「うぇ?!」
「え?!何ですか……」
「ん?」
「ちゅるちゅる」
「ぷはぁ…」
垂れた耳をした男の子だけが僕達に気付き、他の二人は食事に夢中になっている。
「え?」
「あの子らはピューマだよ、メインシャフトで色々あってマテリアルを作ったんだ」
「じゃああの耳と尻尾は…」
「途中で要らぬ邪魔が入ったせいでな、そのせいか分からんがあんななりになってしまった」
「なんだよジロジロ見るな」
「今喧嘩を売ったのがリコラだ、それから白黒の猫がリプタ、それとまだら模様がフィリア、よろしくやってくれ」
「はわぁ」と言いながらスイちゃんがナツメさんの後ろに隠れた。恥ずかしがってるのかな。
「年はいくつぐらいなんですか?」
「さぁ…リコラ、お前年はいくつになるんだ」
「知るかよそんなこと、そりより後ろに隠れたのはだれ?」
「ほ、え、わ」
「スイ」
顔を赤く染めて、ナツメさんが前に押し出したのにそれでも隠れようとしている。
「んー?誰、その子」
「お前達の友達だよ、仲良くしてやってくれないか」
「わ、わ、わ」
「変なやつ、何でそんなに隠れているんだ」
わ、スイちゃんの表情がみるみる...初めて見るぐらいに落ち込んでいる。きっとリコラ君に「変な奴」呼ばわりされて傷付いてしまったのだろう。よく考えてみなくても、今までずっとスイちゃんは年上相手に話しをしてきたので、同年代の子と話しをするのが苦手なのかもしれない。
(同年代かな…)
マキナの人や、それにピューマは外見だけでは判断出来ない。アマンナが最もな例だし見た目以上に年を取っていることが多々ある。けれど、食事をしているこの三人は見た目も、失礼だけど中身も年相応に見えた。
「あーまぁ…そんなに急に仲良くならなくても、これからゆっくりとやっていけばいいよ」
「………はい」
力なくナツメさんの服を掴んで項垂れながら返事をしてくれた。
「名前はなんていうの?」
まだら模様の耳をした、確かフィリアちゃんという子が気さくに声をかけてきた。慌てたスイちゃんは口をぱくぱくさせながらも、
「す、すす、スイって、いうの…」
「よろしくねー」
「よりょひく」
フィリアちゃんとリプタちゃんが手を振ってくれて、それを見たナツメさんがスイちゃんを強引にも突き出した。
「ほら!いつまでも突っ立ってないでお前も食事を取るなりなんなりして休憩してこい!」
「うわぁっ!」
「テッド、お前も取れ、私は機体の整備に行ってくる」
「あ、はい、分かりました」
それだけ言って踵を返し、休憩スペースからナツメさんが出て行った。そして今度は僕にスイちゃんがしがみついてきた。
「スイは人見知りがはげしいの?」
「そ、そんな、ことは…」
「それをはげしいって言うんじゃないのか」
「うぅ…別に、わ、私は、誰とでも…」
「わたしたちのことキライなの?」
「ち、違う!……な、何を話せば…いいのか…」
「そこまで話す必要あるの?」
フィリアちゃんだっけ...見た目とは違って随分と大人びた考え方をしているなと思った。あの子の言う通り、無理して話す必要はない。無理して話そうとすると上がってしまって何も言葉が出てこなくてなるし、それが悪循環を招いてもっと酷くなってしまう。
「だ、黙ったままって…何だか、変な人みたいな……」
「私たちはついこの間まで話しできなかったよ?それでもスイは変な人だって思った?」
「……思わない、ごめん、そうつもりじゃ……なにゃあっ?!!!」
「まどろっこしいんだよお前!メシを食うなら食うで早くイスに座れよな!」
俯き加減で話していたスイちゃんに痺れを切らしたのか、リコラ君がにじり寄ってきていたのだ。まぁ、見ていて黙っていた僕もだけど、スキンシップを向こうから取ってくれるならこれもプラスになるだろうと見守っていた。
「じゃ、後はスイちゃんのことよろしくね、リコラ君」
「………」
「………」
「………」
「え、何、どうして固まるの」
「……お前、おれがおとこに見えるのか?」
「え、違うの?男の子だよね」
「……ったりめぇよっ!おれに任せとけ!お前、男っぽい名前のくせになかなかいかすじゃないかっ!」
「…僕、男だよ?」
「「「ええっっ??!!」」」
嘘でしょ...ピューマにすら女に間違えられてしまうのか...
後は三人が寄ってたかってスイちゃんを囲い僕が本当に男かどうか問い質していた。テンパったスイちゃんが「性欲お化けお兄ちゃんの異名を持っている」と暴露(?)したあたりでそそくさと休憩スペースから出て行った。
✳︎
「あなたが、デウス・エクス・マキナの遣いの者ね、見た目とは裏腹にとても強い意思を感じるわ」
「帰ってもいいですか」
...しまった、つい声に出してしまっていた。
「けれど、あなたはメシアを探しに来たのでしょう?使命を果たさねば御魂が取られるのではなくて?」
「その話し方何とかなりませんかね、それにメシアって誰?」
それからみたまを取られるって怖すぎだろ、何なんだこの人は。
ティアマトの言いつけ通りに第十九区へと再び戻ってきた。ついこの間まで至る所から火の手が上がり、カーボン・リベラで一番の被害が出たというのにもうこの街では建物の再建が始まっていた。たくましい、その一言に尽きる。しかし、この区長だけは意味が分からない。なぜその出立ちで女言葉を使うのか。
「これは芸術性を極める為に必要な処置なのよ、それとメシアは私と熱ぅい抱擁を交わしたマギールの事よ」
「うげぇ……」
マジで?マギールの奴、こんな奴と抱き合ったというのか...世も末だ。
「あなた…面白いわね…初対面なのにその悪感情を隠そうともしない豪胆さ、そしてその可憐さ、気に入ったわ」
「帰ってもいいですか」
「いけません!」
「?!」
急な怒鳴り声に身を竦めた。帰りたい、マジで帰りたい。
「あなたと私はメシアの為に御魂を捧げる仲でしょう?!」
「いや知りませんけど!いつそんな仲になったんですか!」
「いけません!私も協力してあげるからメシアを探しなさい!それにまだ約束を果たしてもらっていないのよ!」
「えぇー…マギールについて何か知っていることがあれば…教えてもらえませんか」
無難にいこう、怒鳴られたくないし仲良くもなりたくない。他人行儀が一番いいと判断したわたしはかたっ苦しい敬語で話すことにした。
「メシアなら、この区の大聖堂へ行ったと街の住人から聞いているわ」
「はぁ…ん?それってつまりは…」
わたしと別れたのが最後ってこと?つまりあの大聖堂で呑んだくれていたということか。
「他にだいせいどうとやらに行った人はいますか?」
「いいえ、あそこの復興は後回しにしているから誰も…いえ、そうねもしかしたら第二の門からランダムエスケープした…」
「ありっしたー」
何かぶつぶつと言い始めたので、これ幸いと思いほったらかしにしてだいせいどうへと足を向けた。
◇
「………………………」
血だ。だいせいどうと呼ばれた建物の中に入り、見たことがない置物の前に乾いた血の跡があった。それから少し離れた位置に空いた小さな穴、屈んでみれば弾丸が一発。ひゅっと小さく喉が鳴ってしまった。周囲を探ってみるが、人の気配はない。沈みゆく太陽が高い位置に取り付けられた窓から室内を照らして、長年使われていないことを思わせるように宙に舞う埃までも赤く染めていた。
これは何かの冗談...か?まさか、マギールが...撃たれた?どうして?同じ人に撃たれたの?訳が分からなかった、床に穴を空けたこの弾丸は人しか撃てないはず、ビーストならまだしも何故...
(れ、連絡を、取らないと…)
思ってもみなかった事態に遭遇して気が動転してしまった。耳にはめたいんかむをタップしたつもりが何故だか取れて床に落ちてしまった。乾いた音が一つ、誰もいない、乾いた血溜まりしかない場所に大きく反響してしまってたまらず体を竦めてしまった。そして足音が一つ。
「!」
等間隔に並んだ木製の長椅子の一つに隠れた、わたししかいないはずなのに、突然聞こえた足音に心底驚きそして、恐怖を感じた。今までにないものだ、自分でもどうすればいいのか分からない。
(グガランナぁ…アヤメぇ……)
あの時見栄を張らずにアヤメに甘えておけば良かったと後悔した、一人ではどうすることも、この場を抜け出す術も知らない。
かちゃり、金属の音も聞こえた。足音は重たくゆっくりとこちらに歩いてくる。このままではいずれ見つかってしまうが、恐怖に足を取られた体が全く言うこと聞かず、隠れた場所から一歩も動き出せない。怖かった、自分の身がどうなってしまうのか、というより何故同じ人を撃てたのか、という理解出来ない行動をやってのけた人間そのものが怖かった。
またかちゃり、何かに狙いを付けた気配、そして、
「ほっぎゃああああっ!!!」
わたしが隠れていた長椅子のすぐ後ろに一発の弾丸。遅れて硝煙の臭いが鼻をついた。
「何をしている!」
「ひっ!」
ちらりと見た向こうでは、死神のような鋭い目つきをした一人の男性が銃を構えていた。さらにもう一発、今度はわたしのすぐ前を木屑を撒き散らしながら通り過ぎていく。
「答えろ!お前はただのガキではないだろう!」
「ち、違います!ただのガキです!」
「あの人型機を扱っている奴だろうが!マギールの手下か味方だろう!だからわざわざこんな所まで探しに来たんだろう!」
何をされるか分かったもんじゃない、長椅子から体が出ないように這いつくばりながら奥へと逃げる。しかし、わたしのことが見えているのかさらに銃を撃ってきた。
「くそっ!くそくそくそっ!何でこんなことにっ!何で俺が死体に怯えなければならない!」
死体に怯え...?
「出てこい!」
壁際まで何とか逃げてきたが、向こうは銃を持っているんだ、いつ撃たれてしまうか分からない。そして今度は大きな、何かが外れる音が響き渡った。
「?!」
「な、何だ?!お前何をやった!」
慌てふためく男の人が銃を下ろした、その隙に素早く身を踊らせて前へと出る。
「……自分がマキナだったことを忘れていたよぉ!!」と叫びながら男の人目掛けてタックルをかました。軽いはずのわたしでも、みぞおちに全体重を乗せたタックルを食らえばひとたまりもないらしい、簡単に飛ばすことが出来た。
「うぐぅっ?!」
その弾みで銃も埃だらけの宙を舞い、明後日の方へと飛んでいった。
「くそっ!お前らのせいで!お前らがあんなもの連れて来なければ!」
「それは違うよアコック、僕達にまだ知識と度胸が無かっただけさ、彼らは関係ない」
外れた音がした置物の奥から、また一人の男の人が現れた。髪は長く少し巻毛て、エフォルのように色がすっかりと抜け落ちていた。
「お前!…………死んだ、はずでは………」
「これのおかげさ、言ったように僕にも度胸が無かったんだ」
そう言いながら、置物をぱしぱしと叩いている。
「え、その……あなたは?」
「僕はアンドルフ・リューオン、ちょうど良かった、そろそろ引き取ってほしかったんだ」
「?」
何が、そう言おうとしたそばからあってはならない笑い声が置物の奥から聞こえていた。
68.c
突然だが、テンペスト・シリンダーには合計で十二の人工生命体がいる。昔はただの支援アプリとして誕生したAIは、自我を持つことを許され次第に役割に分かれて差別化もされていった。次に、現実でも活動出来るようにとマテリアルと呼ばれるこれまた人工的に作られた、鉄と肉で出来た体がある。これらの人工生命体は「グラナトゥム・マキナ」と呼称されてテンペスト・シリンダーの運営に携わっている。
しかし、しかしだ。私もつい今し方知ったばかりなのだが、過去のテンペスト・シリンダーには五つの都市が存在し、正と副に分かれたマキナが二人ずつ配置されてそれぞれの都市を統括していた...らしい。これを「分割統制期」と呼び、さらに過去には「一括統制期」と呼ばれる時代もあったそうだ。
さて、ここで一つの、極めて大きな疑問が生まれる。
「マキナの数が足りなくないですかぁ!!」
「ナ、何カ?!オ気ニ召サナイ事ガっ?!」
「放っておいてくれ、お年頃なんだ」
誰が年か!いや誰もそんな事言ってないな。
大草原で車で拉致られて、片言でおかしな喋り方をする人達に案内された建物で食事を取っていた。仮想世界だというのに、お肉やらお米やらを葉っぱで包んだ料理、草とチーズが挟まれたパイ式の料理がテーブルの上に並んでいた。そしてどれも美味しい。
「ハデス!あんた足し算ぐらいは出来るわよね?」
「私の事を……何だと思って……いや、そう思われるのも仕方がない程に無能であると自覚はしているが……」
「誰もそこまで言ってない」
面倒臭いマキナだな、自信がなさ過ぎるのも大概にしてほしい。
最初に案内してくれた男ではなく、今はふくよかな女性が私達の相手をしてくれていた。この女性の話しによればどうやらこの街を統括しているのが、私とハデスということらしい。こうして姿を見せてくれたのが何よりの「奇跡」だと言って憚らない。
「あー…少し、話しを聞いてもいいかな」
「ハイ、何ナリト」
「街を統括しているマキナ…私達の仲間は全員で何名いるんだ?」
一生懸命、指折りで数えてから、
「ジュ、十名デゴザイマス…」
「ありがとう」
ハデスの言葉に心底ほっとしように肩を下ろしている。たったこれだけの会話でここまで肩肘張られるとこっちも疲れてくる。だが、この人の言う通りにマキナは十名しかいない。グガランナが途中参加だとしても十一名になるはずなのに...
(誰かがいない…ということよね…)
でも誰だ?誰か一人でも欠けたら運営はままならないはずだ、もしくは「カオス」だけの事象かもしれないと割り切り目の前に広げられた料理に私も手を付けた。
「おいひいわね……」
「ハァッ!!」
「?!」
「!!」
な、何急に...大声を出したかと思えば手で顔を覆って咽び泣き始めたではないか。
「コ、コレデ…我ガ家モ安泰デス…プエラ・コンキリオ様ニハデス様、喜ンデイタダケテ…望外ノ喜ビデス……」
「………」
「………」
やりづらっ!
隣に座っているハデスの肘を摘み上げて、二人だけのやり取りを行った。
[痛くする必要はあったのか?]
[何この反応、まるで私達が神様みたいな言い方よね……]
[いいんじゃないか?別に]
薄く睨みながら、
[良くないでしょ、まるで恐怖政治でもやっているようじゃない、昔の私達はどんな風に接していたのよ]
[司令官はここを信じているのか?ただの余興か何かだろう、聞けばこのサーバーはガイアに見捨てられたデータ群という話しじゃないか、捨てられたデータが一人歩きして今の世界を作ったんだろう]
確かに、そう言われた方がまだ納得出来る。けれど...グガランナのあの反応は、本当にここに街があったかのようなものだった。ここを疑うならグガランナの反応も疑わなければならない。
(それは……どうなの?)
食事の手を止めてしまった私達を心配そうに女性が見つめている。何でもないよと言外に食事を再開して、気苦労と共に安心させてあげるのであった。
✳︎
「ここは……」
「私とアマンナが旅をしている時に見つけた場所よ、思った通り壊れていないみたいね」
グガランナ様に連れられて来た場所は、私が根城にしていた階層にもあった、床と天井に絵画が描かれたドーム状の建物だった。白塗りの柱の向こうには仮想の街を赤く染め上げる太陽が登り、崖に面した場所に興されたこの街を一様に照らしていた。グガランナ様の横顔にも太陽の光が当たり、まるで本当の天使のようにさえ見えていた。
「アマンナというマキナは…グガランナ様にとってどういう存在なのですか?」
「………」
描かれた天井の絵を見ながら顎に手をやり暫くした後に、
「相棒、かしら」
「あ…相棒、ですか…」
何故、そのような得体の知れないマキナと共に過ごしていたのか不思議だった。それに、他の方からも同じように疑われていたのにグガランナ様は庇っていた。余程大切な存在なのだろうと思っていたが、まさか相棒とくるなんて。
「要は対等の存在であると、そう仰いますか」
「そんな事よりも、あなたは見なくてもいいの?ここで過去を調べたかったのでしょう?」
「はい…」
少し釈然としないながらも、言われた通りにグガランナ様の横に並び立ち上向いた。
「………」
そこに描かれていたのは、私がアヤメ様達に紹介した絵画ではなく冠を頭に乗せた十人と、冠とマントを羽織った一人にこうべを垂れているものだった。冠だけの人の足元には無数の小さな人が跪き、まるでたった一人が全てを支配しているような内容だった。おそらくはあの中心に描かれた一人が十人を統括しているテンペスト・ガイアにあたるのだろうが...
「この絵は変ね、数がおかしいわ」
「えぇ、テンペスト・シリンダーを運営しているマキナは全員で十二名、「代理戦争」前はグガランナ様はいらっしゃらないので……んん?」
「私を省いたら十一名だけど、それでは都市を統括していたマキナからも外れることになるわ、今度は逆に一人多くなってしまう」
ここに住う人から教わっていた。各都市に二名ずつのマキナが配置され、都市は全部で五都市、計十名のグラナトゥム・マキナが存在していることになるが、天井に描かれた絵が間違いであったとしてもグガランナ様の言う通り統括に携わっていない一人が存在することになる。
出鼻を挫かれた気分だ、私の存在意義を求めてわざわざ来たというのにこの情報では、真相に辿り着けるか不安になってしまう。きっと顔に出てしまっていたのであろ、隣に立つグガランナ様が気遣うように手を肩に乗せてきた。
「これで全てではないはずよ、そんなに落ち込む必要はないわ」
「……お優しいのですね、私の我儘だというのに」
「いいえ、これは私の為でもあるの、一ついいかしら」
乗せていた手を肩から離し、急に改まったように私と対面してみせた。その仕草にいくらか寂しい思いをしながらも、私もそれに答えた。
「何でしょうか」
「何故あなたはここに来たのかしら?」
「……は、と、言いますと…」
「言葉が足りなかったわね、カオス・サーバーに自分の存在理由があると思った経緯を教えてもらえないかしら」
「………それは」
「どうしてここにあると思ったの?ガイア・サーバーに私達を通じて問い合わせるとか、それこそナビウス・ネットからアクセスすることも出来たわよね」
「………」
あれ、どうしてだ?まさかそんな事を聞かれると思ってもいなかったので改まって聞かれると何も答えが出てこない。いや、確信がない。過去に工場区の奥にある「未登録」扱いになっているエリアを発見して「いや絶対ここじゃん!」と思ってから躍起になっていた...だけかもしれない。
「……確証は、ありませんが…あの天井に描かれた絵、でしょうか」
「あなたのいう「主」、という人から教わったの?その「主」という人はガイア・サーバーとは関係もなかった人なの?」
「………」
私が「覚醒」した時の記憶は随分とあっさりしたものだ。焦点が定まらず、深い眠りから覚めたように体も頭も重たいなか、「後はよろしくねー」の一言を言われただけであった。は?である、意味が分からないにも程があった。意識がはっきりとした時には、声を発した人物もおらず、あのドーム状の床に寝そべっていたのだ。
「お姫様?」
「…………申し訳ありません、私の主様は随分と身勝手な方のようでして……深くは知らされていないのです」
「そう……あなたも大変だったのね」
ま、あの時は雰囲気優先して「天命」を全うされたとか何とかそれっぽいことを言っただけなんだが、本当に何も知らされていないのだ、あの時声をかけてきた人はおろか自分の名前さえも知らない。こんな事ってあるのか?自分の存在意義を強く求めるのは必然ではないのか。誰だって自分の名前ぐらいは知りたいはずだ。
「はい、それはそれはもう……本当に……」
「よく一人で耐えていたわね、私なら無理だわ」
「いえ、司令官様達を捕まえた私のたった一人の友人がいましたから」
「あ、あれが?あれは友達だったの?」
あれが、とは失礼な。見た目は確かにただの虫だが理知的で思いやりもある愚痴相手なんだ。とんだ話しの内容になってしまったが、グガランナ様は変わらず私から離れようとはせず、赤色の世界から薄紫色に変わりゆく景色を眺めていた。このドームには天井にしか絵画がなく、床には小さな貝殻のようなものがはめ込まれているが何も描かれていなかった。
(けれど、グラナトゥム・マキナが十名という事実をこのサーバーに追いやったことは、一つの発見だわ)
どんな意図があるにせよ、だ。これも一歩前進だと、自らを励ましてドームを後にしたグガランナ様に付いて行った。
✳︎
「何ダ、オ前、ココハヨソ者ガ来テイイ場所ジャナインダヨ!トットト失セロ!」
「な!ちょっと待て!俺はただ話しを聞きに!」
バタン!と扉を閉められ、大衆居酒屋のような雰囲気がある店から追い出されてしまった。中では華やかな、あの集落で聞いたような言葉使いで宴が行われていた。
この街は間違いなく、集落の先祖にあたる連中だ。英語ではなく片言の日本語、エディスンの街周辺に点在していたそれぞれの集落でも使用していた言語に偏りがあった。一部発音を変えた英語を使ったり、この街のように英語ではなく日本語を使用したり、地球時代にも使われていた英語を使用しているところもあった。失われていった理由は不明、ガイア・サーバーをどう探っても解明出来なかったことがあった。ここにいる連中に話しを聞けたらと思ったが...まるで相手にされない。
(本当に仮想世界なのか、ここは?どうしてああも生き生きとしているんだ)
俺には唾を吐き、仲間には笑顔を振りまく連中がただのデータではないように思えてしまう。もしくは、このサーバーの方がガイアより「バージョン」が上、とでも言えばいいか。
(しかしあり得るか?ここはゴミ箱なんだろう?本体よりゴミ箱の方が規格も容量も上だなんてことはあるのか……)
景色はとても素晴らしい、エーゲ海に囲まれたサントリーニ島を模して作られた白塗りの家も青く染められた屋根も、所狭しと乱雑に建てられたようでその実緻密に計算されて興されたこの街は、とても見応えがあった。おしむらくは今見えているのが草原ではなく海原だったら、ということぐらいか。
(ここにいても調べようがない、それならばいっそのこと)
あの飛行船に乗って別の街へ行こう、そう思ったのだが...
◇
「あらあら」
「まぁ、こんな夜更けにお一人だなんて」
「少しぐらいはじっとしたらどうなのよ」
「殿方は右手が恋人だとお聞きしましたが…まさか喧嘩でもされたのですか?」
「あなた!そんな事どこで覚えてきたのよ!アマンナじゃあるまいに!」
「あらあら、グガランナ様はなんとうぶな方でいらっしゃることか」
頭が痛い...飛行船の前にいた瓜二つのグガランナから皮肉が利いた暴言を吐かれてしまった。それに俺をよそにして喧嘩まで始めたではないか。
「し!知っているいるわよそれぐらい!そ、それが何かしら!」
「え、まさか拝見された事があるのですか?それはさすがに引きますよ、邪魔したら右手に殺されてしまいますよ」
「うるさいぞお前ら!人の右手を何だと思っているんだ!」
無視しようそれがいい。大草原のど真ん中に停泊した飛行船に乗り込もうかと思ったが二人に止められてしまった。
「あなた、私達がここにいる理由が分からないの?」
「喧嘩してくれる右手すらいないから寂しく突っ立っているんだろ」
「はぁ?」
こいつ!
「この飛行船ですが、不思議と動かないのです、私達もここから抜け出そうと試みたのですが…」
「それを早く言え!………ん?」
大声を出しただけだというのに足元がぐらついてしまいたたらを踏んだ。最初は地震でも起きたかと思ったが、体に力が入らない。それに...「ぐぅ」と変な音まで聞こえ始めた。
「んだ、これは……」
「どうかされました?」
その場にしゃがみ込み、グガランナの片割れが声をかけてきた。頬に手を添えられぐいっと無理やり顔を向けさせられた。
「お前…優しいのか強引なのか、どっちなんだ…」
「顔色が優れませんね…」
そこでまた「ぐぅ」とお腹の方から鳴った、これはもしかして...
「今の音は…もしかして何も口にされていないのですか?」
「ええ?あなたにもきちんと料理が出されたじゃない」
「あんなもの…食う必要がないと思ったからだ…」
「世話の焼ける自家発電家もいたもんだ」と言ったグガランナに向かって、最後の力を振り絞り毟った雑草を土ごと投げつけてやった。
◇
「人がせっかく面倒を見てあげようと思っていたのに…」
「おまへはおはひなふぉふぉをいうはらはろ」
「行儀がなっていませんね、初めての食事に興奮するのは分かりますが口に含んだ時にお話しするのはよくありません」
と、言いつつ優しい方のグガランナが俺の口周りを拭い始めた。食事、そう、まさかの食事。この俺が、まさか食事を取る羽目になるとは夢にも思わなかった、マキナとして覚醒して以来一番の驚きかもしれなかった、そしてこれまた美味い。舌を刺激する味から喉を通って胃袋に収まっていく満足感、歯で噛んで咀嚼しているだけなのにこれ程までに幸福感を味わえるだなんて。確かに、これのためなら戦も起こせるなと、一人で納得しながら優しくない方のグガランナが用意してくれた料理を貪るように食べていた。
飛行船の動力源は全くだが、明かりは点けられるようで船内で俺は料理を食べて、他二人はとくに話すでもなくソファに腰をかけていた。サクサクとした食感のある食べ物を胃袋に入れてから口を開いた。
「お前達もここから抜け出そうとした口か?」
「ええ、ここにいてもお姫様の必要な情報が集められそうになかったから、それにハデス達だけをやたらと持ち上げているのも何だかやりにくくて」
「まだお前達は良い方だぞ、俺なんか何回石を投げられたか」
「そうなの?」
「俺も調べたい事があって、街の連中に話しを聞こうと思ったんだが塩対応だった」
「調べものとは何ですか?」
「言語についてだよ、ここにいる連中は無理やり「日本語」を使わせられているように感じてな」
「それは…」
「そう言われてみれば…確かに」
「ま、マキナである俺達に言語関係は無いに等しいが、住んでいる連中はそうもいかないだろ、どうして「英語」が使われなくなったのか興味が湧いてな」
「そう…ディアボロス、あなたはこの街をどう思う?あの二人がやたらと持ち上げられるこの街を」
「変、と言いたいがあれは「恐怖」からくるものだろう、もしくは「尊敬」ひいては「畏敬」だな」
「畏敬…」
人間とは複雑さの極みのような生き物だ。「恐れ」と「尊敬」という相反するような感情を同時に抱けるのだから。
「つまりは…あの二人は敬れている、ということですか?」
「それか恐れられているのどちらかだ、だからあそこまでへりくだって街の連中も接しているんだろ」
「………」
「俺が思うにこの街が実在していたとして、あの二人は独裁体制でも築いていたんじゃないのか?」
「独裁…王権制とはまた違うのですか?」
「似たようなもんだ、一部の人間のみにしか為政が出来ないのは過去の名残りといってもいい、支配する側とされる側の間に絶対の線引きがなされて明確に区分されるんだ」
「それは専制君主制と呼ばれるものではなくて?」
...そうだったか?
「ま、とにかくだ、あの二人が絶対的に敬れているのに変わりはない」
「他の街はどうなっているのでしょう、余計に気になってしまいました」
「そんな事より、お前の調べものは進んでいるのか?言っとくがお前の我儘にこっちは付き合わされているんだぞ」
「はて…勝手に入ってきたのはあなた様だったような…」
顎に人差し指を当てて、優しくない方は絶対にしないであろう仕草を取ってみせた。
「うるさいな、この街で何も見つからなかったのか?」
「いえ、グガランナ様の案内で一つの絵画を目にしてまいりました、一人の元に十人の王が集い、さらにその下に沢山の人が描かれているものです」
...数がおかしくないか?それはおそらくこの時代を描いたものだろう。沢山の人を従えているのがマキナとしても、合計で十一人?十人の王が集ったというその一人がテンペスト・ガイアであったとしたら辻褄が合うが...
「この時代には、誰かさらに統率者のような存在がいたのか?」
「と、言いますと…?」
「合計で十一人、十人で各都市を統括して、さらにその十人をまとめている奴がいたかどうかという話しだよ、それなら辻褄は合う」
「それは…そうね、確かに」
「ですが、そのような事を街の人達が仰っていましたか?確かに五つに分かれた街には二人ずつのマキナがいるとしか…」
「秘匿された存在、という事になるのか…いやでも、」
「それならどうしてあの絵を描くことが出来たのよ、存在すら知らされていないのにその一人を描くだなんて不可能だわ」
優しくないグガランナの言う通りだ。
「その絵はどこにあるんだ?」
「今から見に行くの?不審者扱いを受けるのはあなただけで結構よ」
「んだと……そもそもその絵がマキナを描いたものかどうかも分からないのに、いきなり判断するのは早計が過ぎるんじゃないのか」
「あなた様がどうなんだと聞いたではありませんか…」
「それもそうだ」
「はぁ」と二人に揃って溜息を吐かれてしまった。
「その一人がアマンナという可能性は?」
「は?」
「あいつは出どころが不明なんだ、それにお前に連絡が取れる唯一のマキナじゃないか、あながち外れているとも思えんが」
「いやちょっと待ちなさい、何?アマンナが大昔にあなた達を従えていたとでも言いたいの?」
「本人も覚えていないんだろう?俺達同様にリブートされたんじゃないのか」
ただの思い付きだったが、喋れば喋る程に筋が通っているように思える。あんなガキに頭を下げていた時代があったと思うと業腹だが、マテリアルはただの作り物だ、外見はいくらでも変えられるのがマキナというものだ。
「試しに連絡を取ってみろよ」
「………」
俺を睨むようにして静かになった、言われた通りに取っているのだろう。優しい方のグガランナが何か言いたそうにしていたが、すぐ隣に座る優しくないグガランナがまるで殴られたように体を横に傾けた。
68.c
[なーにが出てほしくなかっただ!こっちは大変なんだぞ!遊んでないでいい加減に帰ってこい!バカランナ!]
[誰がバカランナよ!こっちだって大変なのよ!あなた覚えているわよね?!私と中層を旅した時!]
は!そうだった、グガランナに聞こうと思っていたことだ。しかしどうして、今はそんな悠長な話しをしている暇がなかった。
[覚えてるよ!…………………あれ、どうだっけ、どっかぐるぐる回ったのは覚えてるけど]
[忘れているじゃない!覚えてない?!灰色だらけの階段街!]
[はっ!あった!確かにそんな街あった、やたらと階段ばっかりでくそつまんないってグガランナが愚痴ばっかり言っていたあの街!]
[そ、そんな汚い言葉使いをした覚えはないわ]
[どうでもいいよ、それよりいつこっちに戻ってくるの?マジでいい加減にしてほしいんだけど]
[そのマジ口調やめてくれない?]
[遊んでないで帰ってこい!いい?!これ以上遊びほうけるならアヤメに言いつけるから!]
まだ何か言いたそうにしていたが構わず切った。きっと怒り顔で通信をしていた私を不思議に思っていたのだろう、アンドルフと名乗った男の人が薄らと微笑みながらわたしを見つめていた。
「すみません、放蕩娘から連絡がきたもので」
「それはそれは、大丈夫なのかい?」
「ほう、あいつも酒が呑めるようになったのか、今度晩酌してやらんとな」
「はぁ………………」
「そう溜息を吐くな、儂もそろそろ腰を上げようかとしていたところなんだが……ここにある酒がまた見事でな、最後の「晩酌」……なんちゃって!」
「だぁーはっはっはっ!」と酔っ払いマギールが一人で笑っていたので空になった酒瓶を投げつけた。
「よしなさい、せっかく回復したというのにまた大怪我したら僕が大変になっちゃうよ」
「いっそのこと引き取ってもらえませんか?連れて帰りたくないんですが」
「なーにを言う!儂はこの街の総司令だぞぅ!ここを離れたら酒が一滴も呑めなくなってしまう……哀れな……うぅ…何で儂がこんな目に……」
最悪だなマギール、笑い上戸に泣き上戸。付き合い切れない、さっさと応援を呼ぼう。
「あの人はどうするんですか?」
わたし達がいる場所は地下室だ、カビ臭くそして酒臭い。置物の奥には地下へと降りられる階段があって、どうやら撃たれてしまった酔いどれをアンドルフさんが保護してくれていたらしい。酒の匂いがぷんぷんする樽が沢山置いてある部屋からさらに奥、わたしを襲ってきたアコックという人が閉じ込められているのだ。
「マギールさんに判断を委ねようとしたんだけどね、この有様だし…どうしたもんか…」
「言っちゃ悪いですが人殺しですよね?あの酔いどれが人間じゃないにしても、やった事は重罪ですよ?」
「君は年に似合わず随分と達者なんだね」
そ、そうかな...初めて言われた。
「…まぁ、マギールさんは純粋な人とではなかったおかげで助かったし、それについては彼もある程度の理解はあるはずだ、というかだね、僕もそこまで面倒を見切れないよ」
「はぁ」
「彼らに任せるよ、互いに生きている訳だから」
「随分と上から目線なんですね、マギールより年下ですよね?」
「そういう君も呼び捨てだよ」
「確かに」
そこでアンドルフさんがわたしを見つめているのに気付いた、わたしを見ているようで見ていない。おかしな視線にも構わず突っ込んだ。
「どこ見てるんですか?」
「…過去だよ、君と一度会ったような気がするけど……気のせいかな?」
「このタイミングで逆ナンですか、ロリコン?」
「あっははは、違う、違うよ、忘れてくれ」
手をぱたぱたと振りながら机に突っ伏したマギールを起こしにいった。酔いどれも同じように、迷惑そうに手を振っているがお構いなしに体を揺すっている。
「ほら!いい加減に起きてくださいよ!あなたの可愛らしいお孫さんが迎えに来てくれましたよ!」
「儂に孫はおらん!喧嘩を売ってるのか!」
「はぁ…アンドルフさん?そのままそこに置いてて下さい、今から応援を呼びますので」
「そうかい?なら後はお願いするよ、僕も忙しくてね」
「いえ、あんな酔いどれを助けてくれて、ありがとうございました」
「………」
「何か?」
「いいや、また近いうちに会おうか、君は面白い人だ」
「逆ナン二回目」
「あははは、それじゃあね、後はよろしく」
そう、爽やかに言って地下室から去っていった。
変な人だった、言動と表情が一致していない、どうしてあんなに泣きそうな顔をしながら気さくに話しが出来るのか。
✳︎
ここにこうして座るのは何日ぶりだろうか、私にあてがわれた人型機のコクピットに座りコントロールレバーに付いた起動ボタンをプッシュした。
《起動》
聞き取りやすい女性の電子音声が起動シークエンスを告げてくれている。メインコンソールに浮かび上がった各種パラメータに異常はない。格納庫で少し長い間眠らせたままにしていたのに。
《機体を同期しています》
肩のショルダー・アートはいつか消したい、これを付けてくれた人には悪いが。縁起でもない、「復讐」の花言葉を携えた機体なんて死神もいいところだ。
《同期完了》
はふぅと一つわざとらしく息を吐く。だって久々なんだ、仮想世界で訓練を受けていた時は毎日嫌という程乗っていたのに、暫く開けただけ緊張してしまう。下を向いて、あるのかないのかよく分からない私の胸を見やる。いつもより呼吸が早い、それに合わせて全く成長してくれない胸も上下に動いている。
《操縦権を授与します》
誰だっけ...そういえばこのシークエンスが納得いかないって怒ってたよね、アマンナ?
そう思った矢先に随分と他人行儀になった本人から通信が入った。
[第十九区でマギールを発見しました、至急応援に来てください、本人は呑んだくれているので手荒な真似も許可です]
「あ、アマンナ?…だよね?」
[あ、アヤメっ?!ちょうどいい!アヤメ今すぐこっちに来て!]
「あ、あぁうん」
何だったんだ今の...まぁいつも通りっぽいし...少しそわそわしながらも人型機のエンジン出力を上げて、薄暮の空へと舞い上がった。
◇
[マギールは無事、アンドルフっていう人に助けられたみたいだから、けどマギールとわたしを襲った犯人も地下室に閉じ込められているんだよね]
「ええっ?!それは…どうなの?アマンナは平気なの?」
[わたしのメシア………うんそれは平気、本当にいるのか分かんないぐらい気配もないからさ、アンドルフっていう人がその人は放っておいても構わないって]
「はぁ、それでマギールさんはどうしているの?」
[呑んでる、そして酔っぱらって話しにならない、さすがにわたし一人じゃ無理やり連れて行けそうにもなかったからさ、だから応援を呼んだの]
それであんな他人行儀な...
「分かった、もう第十九区は見えてるから、もう少し待ってて」
[お願いね]
人が変わったみたいだ、あのアマンナが礼儀正しくなっているなんて。
(いやいや、礼儀正しいのは良いことじゃない?)
けれど、何と言えばいいのか...今さらその反応するの?というか、とにかく私の前ではいつも通りにいてほしいと思うのは我儘なことだろうか。
アマンナも色んな人と接して、遊びではなくそれこそ「仕事」として責任感を持つと今のようにしっかりするのかもしれないと、ざわざわする胸に無理やり結論付けた時、第十九区へ向かう高速道路の支柱から一点の光が躍り出てきた。
(?)
あんな所からどうして出てきたのだろうと思った途端にロックオンアラート、瞬時にメインコンソールに警告画面が出てきた。
「?!」
《敵対距離千メートル、会敵まで残り約三秒》
三秒?!殆ど音速飛行ではないか!躍り出てきた勢いのまま真っ直ぐに私のところへと飛んでくる機体から一つの閃光が走った。無意識にレバーを倒した矢先に、一筋の光がすぐ横を通り抜けていった。明らかな敵対行動、しかし理由が分からない。
「聞こえていますか?!応答してください!」
さらに相手の機体が発砲、今度は二発。威嚇と先読み射撃で身動きが取れない。諦めてライオットシールドで受け止めるが直接殴られたかのような衝撃。
《正体不明機を敵と断定、応戦をして下さい》
「けど!」
《この機体を預かる以上パイロットの生存が最優先です、火器系統オールアンロック》
ちょっと待って勝手に変な事しないで!
メインコンソールから告げられたように機体に搭載している火器系統の安全装置が解除されていく、そのせいで機体に計算外の重みが加わりコントロールレバーの反応が悪くなってしまった。
「武器はライオットシールドとクレセントアクスのみ!それ以外はロックして!」
《了解》
「次余計なことしたらコンソール叩き割るから!」
《叩き割るのは敵であって私ではありません》
こんなにお喋りだったっけぇ?!
無駄なやり取りをしている間にも、正体不明の機体が旋回している。こちらの出方を伺っているようだ、沈みかけている太陽の光では相手の機体を正確に見ることが出来ない。どうやらテッドさんの機体のように後方支援に長けた機体構成のようだが...薄い雲に隠れたかと思いきや、肩に装備した砲身から二発の弾丸が真っ直ぐに飛来してくる。避けることなく一発をアクスで跳ね返した。爆発と衝撃、束の間煙る視界には接近してきた機体をちゃんと捉えていた。
「うぉおりゃあっ!!」
「?!!」
まさか逃げることなく私が待ち構えていたとは思っていなかったのだろう、大上段に構えたアクスを刃の中にも仕込まれたブースターをフル稼働させて瞬時に振り下ろした。慌てた相手が構えも取れずに間に合わせのようにシールドで防ごうとしたが、
「甘い!」
密閉されたコクピットにも届く程の轟音を立てながらシールドごとぶち破ってやった。態勢を崩した機体に追撃をかけようとするも、向こうも仕込んでいたのか見えなかった背中の一部が素早くスライドして、スラッグガンのように当たりも付けずに斉射されてしまった。
瞬きの程の接敵で見えた機体は深緑、深い草色を湛えた装甲板は太陽光もないのに虹色に輝きを放っている。そして、人でいえば耳に位置する場所から左右一本ずつ前に伸びたアンテナがあり、金色に見えるカメラを私に注視していた。
「もう一度応答を、敵対行動を取る理由を教えてください、こちらには攻撃意思はありません」
ダメ元で問いかけてみても案の定、草色の機体は銃口を突き付けてくるだけであった。