第六十五話 ムーン・パレード
65.a
「何かご用でしょうか」
朧月に照らされた塔の天辺に現れたのは一人の男性だった。いくつもの塔が並び、雲海を突き破ったその圧倒される景色を背景に従えて、本来であれば持ち得ない強い意志を瞳に宿して私に視線を注いでいた。他者を拒絶する黒い髪が仮想の風で靡き、そしてゆっくりと口を開いた。
「ここは何だ?何故こんなサーバーが存在しているんだ」
「得体の知れない所によく踏み込んでいらしましたね、その勇敢さを讃えてお答えしましょう、ここは「カオス・サーバー」と呼ばれる所です」
「馬鹿にしているのはよく分かった、場所ではない理由についてだ」
(そんなつもりはないのに…どうしてかしら)
「それについては私も探っているところです、おそらくは皆様方が起こした代理戦争に起因するかと」
ガイア・サーバーの影響下であれば発せない言葉を口から出すことが出来た、そこまでして頑なに闇へ葬ろうとする真意もまた、探っている理由の一つだった。
「それはエディスンに住んでいた人間達のことを言っているのか?それとあの集落もそうなのか?」
「えぇ、彼らはその子孫と言えるでしょう、厳密に言えば今日を生きる人達はその子孫に値しますが、一際彼らはその影響を強く受けています」
「勿体ぶるな、詳かにしろ」
「失礼ですがあなたは…街に住む人達を根絶やしにするのが目的ではなくて?何故私の箱庭を荒らしに来たのでしょうか」
「それはあくまでも一環に過ぎない、カーボン・リベラの人間共を駆逐したところでこのテンペスト・シリンダーは良くならない」
「箱庭を荒らすことがそれに繋がると?」
「不確定要素を省きにきたんだ、お前の成す事が繁殖と繁栄に繋がるなら阻止しないといけない」
「ご安心を、私の目的は人の保護ではありません、そもそもその目的すら忘却しているのに人様に手を差し伸べるなど、そんな余裕はありません」
「聞き捨てならないことをまぁ…よく私の前で言えたわね」
「!」
「!」
しまった...居たのを忘れていた...
私の後ろからゆっくりと歩いて来たのはグガランナ様、私と外観が不思議と良く似たグラナトゥム・マキナだ。金の髪を月光で輝かせて、薄い羽衣の下には豊満な乳房を隠している。突然の闖入に黒い髪をした、彼女の同類が慌てふためいていた。
「なっ?!お前!馬鹿じゃないのか!そんな薄着で……痴女か!」
「し、失礼なっ!文句があるならお姫様に言いなさい!」
「まぁまぁ、何てうぶな方なんでしょう、乳房ごときで顔を赤らめるだなんて」
「それよりお姫様、さっきの発言は何かしら、人の保護は行わないなどと…今すぐに出て行きますよ?何のために私がガイア・サーバーに橋渡しをしたと思っているの?」
「それは単に言葉の綾でござますよ、ただの優先順位に過ぎませんのでお気になさらず」
「それは同じ意味じゃないのか?」
「それにディアボロス!あなたがアヤメの街に行った非道について説明なさい!マキナの身でありながら許される行為ではないわ!」
「知れたことか痴女め、なんなら資源の供給量と消費量を調べてみるといい」
「とても安定しておりますね、先日までの不安定なグラフが嘘のように」
「だからと言ってっ!そんな……」
彼女にとっては絶えがたい苦痛なのだろう、柳眉を顰みて耐えて忍んでいるようだ。彼の行った襲撃は数え切れない人を死に追いやりそして、生き残った人の明日を確かなものにしていた。残虐非道でありながら数多くの人達を救ってみせたのだ、まさに悪魔。その行いをひけらかすこともしなければ、省みることもない、その名に相応しい行為と言えるだろう。
「ときにディアボロス様、貴方様も協力していただけませんか?今こちらにはグガランナ様、それからプエラ・コンキリオ様にハデス様もいらっしゃいます」
「断る、これでも忙しい身でな、まだやり残したがあるんだ」
「ご興味はありませんか?何故、貴方様がお描きになった絵画に目もくれなくなったのか、その原因を」
「無い」
本当かしら、視線が泳いでいるけど...
「貴方様の絵画は過去の名画にもひけを取らない出来であると、私は思っております」
「ひけを……取らない……だと?」
「えぇ、世が世なら貴方様の名前は語り継がれていたことでしょう」
「そ、そうか……ならあのVRゲームはどうだ?」
「………え?ぶ、ぶいあー?」
「お姫様、無視して結構よ、彼の言うことは気にしないでちょうだい」
「え、えぇ…」
調子が中々掴めない、人を死に追いやった生命体が自らの作品に心が泳いでいるのだ。
「……その目的は?何故そこまでして過去を暴こうとするんだ」
何とか本題に入れそうだと、雲海から顔を覗かせた新たな塔を見やりながら答えた。
「己が使命を取り戻す為に、生まれた理由と目的をこの手に取り戻したいのです」
しかし、彼の表情は変わらない。私の、私が今を生きる全てを明かしたというのに。
「茶番にしか聞こえないが……まぁいいだろう、前座だと思って付き合ってやるさ、プログラム・ガイアにも思うところはあったからな」
「あなたの非道を糾弾しないから?」
グガランナ様の皮肉にも一向に怯まない、頼もしい協力者を得られたようだ。
「抜かせ痴女、あの時のお前に今の姿を見せてやりたいぐらいだ、羞恥で自らリブートを求める様が目に浮かぶようだ」
あら...卑しい笑みを浮かべて馬鹿にしている。本当にグラナトゥム・マキナは分からない。
ディアボロス様の言葉に、静かに憤慨したグガランナ様がゆっくりと歩み寄りその豊満な胸を惜しげもなく悪魔に押し付けた。その柔らかさに驚いたのか、たじろいでいるようだ。
「なっ……」
「ふふ、あなたには一度お礼がしたかったのよ、覚醒したばかりの私を気づかって訪問してくれたことを、さぁ、あの塔を一緒に眺めましょう」
されるがままにディアボロス様が塔の端へと移動した、右手を妖艶にさえ見える二つの丘に挟まれ逃げ出せないようだ。
「何を考えている……」
「当ててごらんなさい、私の言葉が信じられないのかしら」
そして、塔の端へと移動した二人は束の間景色を楽しみグガランナ様から離れた。ディアボロス様の手をしっかりと握り、今度は彼の後ろへと回り込み熱くまとわりつくように抱擁をしてみせた。
「あの時もし…ティアマトがあの場にいなかったから……きっと私はこう、あなたに囁いていたでしょう」
「……っ」
「………死にさらせぇこの糞野郎ぉっ!!!」
「のわぁっ?!馬鹿よせっ!!」
抵抗も虚しく、あの悪魔が天の牛に後ろから突き飛ばされてしまった。
「グガランナぁぁ!!覚えていろぉぉぉ…………」
「はっ!私の胸に触れただけでも感謝しろっ!あの世で右手と愛し合ってなっ!!」
な、中指を突き立てて虚空に落ちていったディアボロス様に汚い暴言を吐いている。どっちが悪魔なのか...
(大丈夫かしら……)
一抹の不安を抱えながらも、これでようやくスタートラインに立てたのだ。
宇宙をそのまま形取った夜空に浮かぶ朧月を見上げ、まだ見ぬ主に想いを馳せた。
65.b
「あ〜…ぎぐぅ〜…あ、あ、あ、腰ぃ〜…」
「アマンナ、変な声出さないでよ」
「ばぁ〜……………いやいいねこれ!マッサージチェアなんて永遠に使わないと思ってたのに!」
「永遠は言い過ぎでしょ」
薄い雲に覆われた月明かりの元、わたしとテッドはお風呂で火照った体を展望デッキに置かれたマッサージチェアなるものに座り冷やしていたところだった。今日は一日本当に疲れた、誰かの為に動く事の大変さと煩わしさ、それから感謝の言葉を告げられた時の恥ずかしさと終えた後の心地よさを同時に堪能し、噛みしめた日となった。
テッドも私も肌着のままでだらんとチェアに体を預けて、外から入り込む涼しい風に浸っていた。チェアの静かに振動する音に混じってテッドがゆっくりと話しかけてきた。
「でも…一日でここまで復旧することが出来て良かったよ…皆んなのおかげだね」
「でも、高速道路はまだなんでしょ?マギールが向かった区からえー…おのぼり方面?だっけ」
「上り方面ね、ぐるっと回らないといけないけど…交通網が復活したのは大きいよ、僕達みたいに人型機で空を飛ぶことも出来ないから」
陸路で支援物資やら人材を送らないといけないので大変だ。そういえば、マギールが近々この街にも人型機を配備させるとかなんとか言ってたっけ。まだ当分先になるだろうけど、陸路ではなく空路も作った方が絶対に良い。
「グガランナさんは大丈夫なの?」
「余裕」
「何が?意識がまだ戻らないんだよね?」
「また向こうに行ってるんじゃない?アヤメに見つかったけど消去までしてないって言ってたから」
「はぁ…」
「いやいや、テッドも想像してみなよ、ナツメが沢山いてさ、こっちの言う事を何でも聞いてくれたらヤバくない?」
「………」
「わたしが好きなのはね、前と後ろからぎゅううって挟まれてハグされるのが好き」
「………」
「そいで次は頭を撫でてもらうの、もうね、「あぁこのまま死んでもいいや」って思えるから、マジで」
「………」
「ちなみにだけどテッドも一人いるから」
「何でさっ!止めてよね僕の知らないところで僕をいじくり回すのっ!」
わたしの話しを黙って聞いていた(顔を赤くして)テッドが目を剥いて体を起こしてきた。
「うそうそ、さすがにテッドには悪戯しないよ」
「ほんとかなぁ〜…でもまぁ、程々にしておきなよ、初めて聞いた時はドン引きしたんだから」
「無理な相談だね、テッドもいきなり呼吸するなって言われても断るでしょ?」
テッドが被りをふりながら「いつの間にアヤメさんが酸素になったの」と呆れていた。
「随分と賑やかね」
「あぁティアマトさん」
「おっつー」
展望デッキに姿を現したのはティアマトだった、わたしらと同じように街の復旧作業に関わっていたのでどこか疲れた顔をしていた。いつもの辛気臭い服ではなく寝巻きのようなラフな格好をして、ブランケットを肩からかけていた。そのままテッドの横に置かれたチェアに座り、艶かしくため息を吐いている。
「お疲れ様でした、ティアマトさんもずっと連絡係をやってくれてましたもんね」
「えぇ、全く次から次へと」
「マギールは?何してんの?」
一拍置いてから返事があった。
「元気にしているわ」
「うそ下手か、また何かあったの?」
「え、マギールさんに何かあったんですか?僕のところにもぱったり連絡が来なくなりましたが…」
「その……ごめんなさい、黙っていたけど行方不明みたいなの、コールすらかからないから何かあったのだと思うけど……」
疲れたわたし達に余計な心配をかけたくなかったんだそうだ。本当に見違えるように変わったな、ティアマトの奴。昔はこんなんじゃなかったのに。
「ほっときゃいいよ、どうせ飲んだくれてるんでしょ」
「ナツメもそう言ってはいたけど、こんな時に身勝手な行動を取るかしら」
「ある程度は街も落ち着いたんでしょ?」
「まぁ…ふらっと何処かに行きそうなきらいは感じてましけど……念のため明日捜索してみましょうか?」
「そうね……お願いするわ」
「ところで何しに来たの?」
マギールの話しも終えて人心地がついたのか、ゆったりとチェアに体を預けている。
「前にお願いしていたわねテッド、後で私の部屋に来てもらえないかしら」
「「え?!」」
「いや何でアマンナまで驚くのさ!」
「こんな人前で堂々とどーきんを持ちかける?!」
「そんな訳ないでしょう!あなた同衾の意味を知っているの?!」
「え、ティアマトさん?僕に何か……」
「マッサージ!あなたの手は神が宿っているとナツメに教えてもらったから体の疲れを癒してほしいのよ!」
「全く……」と額に手をやりながらぶつぶつ言っている。マッサージならチェアを使えばいいのに。
「そのチェアでやればいいじゃん」
「飽きた」
「御用達かよ…ほんとにマキナ?」
「棚上げにも程がある、それよりテッド、お願いしてもいいかしら?」
「あ、あぁはい、僕で良ければ……」
そうお願いをされたテッドがゆっくりとチェアから腰を上げてティアマトのそばに近寄っていく。ティアマトは肩からかけていたブランケットを取り、しっとりと濡れた髪をまとめることなくそのままにしていた。
「な、艶かしい……」
「あなたってほんとあちこちで言葉を覚えてくるわね」
チェアに横向きで座り、歳の割には少女のように細く見える背中をテッドに晒していた。そしてテッドが肩に手を置いてゆっくりと揉み始めていく。その様子をだらんとチェアに背中を預けて見守っていると、ティアマトがらしくない声を上げた。
「う、ふぅん、はぁ……あ、あ、そこ、いいわ……もっとつよく………あぁ、テッド、あなた、凄く上手ね……」
「喘ぐのやめれ」
「……あぁ、んんっ、それ、凄くいいわ……」
「………」
わたしの突っ込みにもまるで動じない、上げたマッサージチェアの背もたれに体を預けてテッドの手揉みに集中しているようだ。
(そ、そんなに?そんなにテッドのマッサージは凄いのか?)
まぁ本人は耳まで赤くしているのでそれどころではないんだろうけど、マッサージチェアのあの気持ち良さを、「飽きた」の一言で切って捨てたティアマトがあんなにふにゃふにゃになっているのだ、がぜん興味が湧いてきた。
「…あーティアマトさん?これ以上は良くないので、そろそろ……」
「なら次は腰をやってちょうだいな、座りっぱなしだから痛いのよ」
「歳か」
「えーとじゃあ…背もたれを倒してもらって……」
本当は早く止めたかったんだろうけど、ティアマトは離す気がないらしい。テッドのリードにされるがままに倒した背もたれにうつ伏せに寝転がり腰のマッサージに入った。
「……んんっ、……あ、あ、あ、いい……気持ちいい……あぁ、このまま死んでもいいくらい……」
「………」
ごくりと生唾を飲み込んでしまった...そんなにか、その気持ちが良く分かってしまったから、人目も憚らずに喘ぎ声を上げ続けるティアマトから目が離せなくなってしまった。
「て、テッド?つ、次、わたしもお願いしていい?」
「え?あぁ、うん」
暫くティアマトをマッサージしているテッドを眺め、復活した道路を走る車のクラクションが微かに聞こえた後、喘ぐのを止めたティアマトがそのまま寝入ってしまった。
「はぁ…で、アマンナはどこがいいの?」
「こ、腰かな?」
(一番気持ち良さそうにしていたし)
「分かった、ならうつ伏せに寝てくれる?」
「は、はい」
思わず敬語で答えてしまったがわたしもそれどころではない。未知の体験に頭も体も奪われてしまっていた。
マッサージチェアの背もたれを倒してうつ伏せちに寝転がり、後ろにテッドの気配を感じつつドキドキしていると、アヤメとは違う手の温かさを腰に感じて声が出てしまった。
「ひゃっ」
「かた、固くないですか?ティアマトさんより固いってどういうことなの」
「う、うっさい!それだけつ、疲れてるんだよ!」
「上から強めに押すよ、いい?」
「は、はい……」
もう心臓はバクバクだった、テッドに聞かれているんじゃないかと焦っているとお尻から足にかけてテッドの重さを感じ、手のひらが腰に押し付けられた時に喘いでしまった。
「んんっ!」
「ほ、ほ、ほ」
「んぁっ、あぁっ、あぁ…」
「喘ぐの止めて」
「む、む、むり、あぁ、これ、ヤバい」
「アヤメさんのハグと比べてどう?」
「ふぁ、そんな、いじわるな、質問、んんっ」
「ほ、ほ、ほ」
何だそのほって。いや力を入れる時に声が出ているのは分かるけど、間抜けなテッドの声を可愛いと思ってしまった。それに痛い所を的確に押して凝りをほぐしてくれるのでとても気持ちが良かった、これは確かにマッサージチェアでは味わえない気持ち良さだった。
「ん、ん、あぁ……んんっ?!」
リズミカルにマッサージをしてくれるテッドの手に集中していると変な感触をお尻に感じてしまった。
(固い……固い?何でお尻に固いのが当たって)
「いやぁっ!!テッド!!固い固い固い!変なの当たってるから変なの当たってるからぁ!」
「はぁ?何言ってんの?」
「きゃあああ動かないでぇ!」
えうそあのテッドがまさかついに兄妹の垣根を越えようとしているのあんなに誘っていたのに見向きもしなかったくせに意外と冷たいんだなあーっ!当たってるぅ!ごそごそしてるぅ!
「ちが、待ってアマンナ誤解だから!これは端末だから!」
「ごそごそしないでぇ!」
「してないよ!大きな声を出すな!ティアマトさんが起きるでしょ!」「もう起きているわよ」「うわぁ?!」「ティアマト助けて女にされるぅー!」「誤解を招くような言い方するなっ!端末だって言ってるだろ!」何を騒いで…「テッドのテッドが当たってるのわたしのお尻にぃ!」だから違うって言ってるだろ!」「テッドのテッド?「そう意外と大きいテッドのテッド!」想世界にいた時はそっちから誘ってたくせに!アマンナが馬乗りになった時だっ「何ですって?!あなた達向こうで何をしていたの!」ほら!見て!端末だろ?!今当たってるの?!」「いいから早く退きなさい!私の目が黒いうちは子供なんて許しません!」こ、子供は二人までなら!三人目は要相談でお願いします!」「馬鹿なこと言ってないで「うるさぁああいっ!!!」
あれ、固いのが無くなってる、無くならないよねテッドのテッドって。これだけ騒いでいるのにわたしの上から退こうとしないテッドに、何故かわたしの腕を掴んでいたティアマトも動きを止めて、展望デッキの入り口を皆んなで見やった。そこには激おこぷんすかになったスイちゃんが立っていた。
「静かにしてくださいっ!!部屋まで声が筒抜けなんですよっ?!」
「ご、ごめん…」
「ごめん…」
「わ、悪かったわ…」
スイちゃんの一喝により騒がしかった展望デッキに静けさが返ってきた。
そして、わたしの仮想世界にゴッドハンドを携えたテッドが追加されたのは当然の事であった。
65.c
異変と言えばグガランナの奇行だけではない。太陽と月が喧嘩して夜が家出をしてしまったように、いつまで経ってもこの階層は明るいままだった。いつかの下層のように、サーカディアンリズムが崩れるのを恐れた私達は適当な民家を選んで中に避難していた。窓という窓を締め切り、無神経な太陽の光を遮るように窓を布で隠し、擬似的に夜を作り出していたのだ。
民家、と言ってもそれは集合住宅のように同じ部屋がいくつもあるアパート。それぞれが適当に部屋を選んで中に入り、疲れた体を癒すために休息を取っていた。「あれ?いつまで昼なのおかしくね?」リコラがそう訝しむまで誰も気づけなかった、危うく過労で倒れるところだった。アオラにリコラとリプラ、私のところにはフィリアが入り、グガランナとアヤメは同じ部屋にしておいた。
アヤメは早々に目が覚めて事の経緯を教えてはくれたがどこか上の空で、受け答えも曖昧で、何かに怯えているようにさえ見えた。「過去の世界で見たくもないものを見てしまった」そう、最後に締め括って逃げるように部屋に入ってから随分と経った。
(…………殺し合い……か)
ベッドの上でフィリアの温かさを感じ擬似的な夜の中で人工的に浮かぶ月を見上げながら、冴えてしまった頭で考えていた。エディスンと呼ばれた街と、その周辺に集落を形成して住む人達の間にはおよそ友好と呼べるものはなく、あったのは敵愾心だったらしい。人を人として見ない、獣と同様に扱い、恨み、果ては攻撃衝動に身を任せてその手にかけていたという。
(ま、理解できない話しではないな……)
例えば隣の部屋から物音がしたらどうだろう、音と言ってもそれは目には見えない波であり、壁を突き抜けて遠慮なくパーソナルスペースを侵略してくる。最初は平気だ、「お隣さんは元気だな」ぐらいに受け流すこともできよう。だが、こちらが意図しない音を延々と聞かされてしまえばストレスが溜まり、我慢が出来なくなってくる。それはそうだ、人が出す音ほど不定期かつ予測ができないものはない。それに身構えてしまい、心落ち着ける空間に居ながら緊張状態を強いられて、更なるストレスを抱え込む悪循環へと陥っていく。こうなってしまえば「お隣さん」ではなく「諸悪の根源」に昇華して、ストレスをばら撒く「クソ野郎」に変わってしまうのだ。
何でこんなに詳しいかって?昔に悩んだ事があるからだ。
(あの時は地獄だったなぁ…何回アヤメの家に逃げ込んだことか…)
「人を人として見ない」それは過去の世界の話しだけでなく、割と日常に潜んでいる人の精神作用かと私は思っている。だから、アヤメからその話しを聞いた時は真っ先にやんごとなき事情を考えていたのだ。そうなってしまった理由、我慢し続けた何か、おそらくは様々な要因があって互いに憎み合うようになってしまったのではないか、私はそう結論付けていた。
(まぁ…あの優しさの塊りみたいな奴が、そんなものを見せつけられてしまったら…)
価値観を大きく変えられてしまったのだろう、無理もない。
階上から物音がした、軽やかな音と少し重たい音。アオラとリコラかリプラか、どちらかが起き出しているのか、昔悩まされた「意図しない音」に敏感になってしまったが「クソ野郎」ではないのでそこまで腹を立てることもなかった。ただ、聴覚が優れたフィリアは少し迷惑そうに眉を寄せて私の胸の上で身動ぎした。
「うう…ん…」
私の肋骨から脇腹あたりに柔らかい感触があり、さらに左足にフィリアの細い足が乗っかっている。元来が動物のせいもあってか、マテリアルと一緒に作られた衣服も床に投げ出されており本人は裸だ。「眠るときまで服を着る意味を見出せない」といきなり口達者に言うもんだから止める暇もなく、私の前で全裸になってしまった。
また、物音。今度は足音が三つ、アオラの部屋に入った皆んなが起き出したようだ。
(注意してくるか…)
フィリアを起こさないようにゆっくりと体を起こしてベッドから抜け出した。私が寝転がっていた場所の温かさを求めるようにベッドの上で丸まり、安らかな寝息を立て始めたのでシーツをかけてから部屋を後にした。
「まっぶ……」
そういえば共用廊下は何も処置をしていなかったな...月を追い出した太陽の光が、暗闇に慣れた目に突き刺さり視界が痛みと白色に覆われた。程なくしてその眩しさにも慣れた時に、共用階段から誰かが降りてくる足音が聞こえてきた。
「アオラ、探検するなら静かにしてくれないか」
「悪い、こいつらが寝付けないって言うもんだから…フィリアは?」
「ぐっすりだよ、まぁ私も寝付けないんだが」
「何であいつ寝られるの?」
「さぁ…くさタイプだからじゃない?」
「じゃあお前達は何タイプなんだ?」
「肉」
「ねこ」
「意味が分からん…」
「ナツメの部屋ってどこ?」
「ん?すぐ後ろの部屋だよ」
リコラがアオラの手を離して部屋へと近づきそのまま扉を開け放った。
「くっら!え?何ここくっら!」
「え?そんなにくらいの?………くらすぎ!」
「お前、遮光していなかったのか?」
「いいや、そんなつもりは………え、暗すぎだろここ!どうやったんだ?」
私の遮光技術が高かったのか、アオラ達三人が部屋の前で「暗い」コールを繰り返し、案の定中で眠っていたフィリアが起き出して怒ってきた。
「しずかにしろぉ!」
またしても二人が「やぁー!」と中に駆けていき三人がベッドの上で揉みくちゃになっていた。本当に元気な奴らだ。
「私はこのままアヤメの所へ行くよ、お前も部屋に入って寝かしつけておけよ」
「何で私が…子守は専門外なんだがな…」
「あの三人はお前の言う事はきちんと聞くんだ、諦めろ」
「あー…はいはい、アヤメに変な事すんなよ」
「誰が」
下らないことを言うアオラと部屋の前で別れて、私は一番上の階にあるアヤメ達の部屋と足を運んだ。
◇
予想とは、これから起こり得る未来についてある程度の見当をつけておくことを言う。その「見当」についても、その人が手にした要素の中から組み換えていくことで成り立つものだと私は思う。知識として、また経験として、何を得たか、何を持っているかで予想される未来が形作られていく。しかし、人は万能ではないが故に失敗はいくらでもある。
「予想外にも程がある」
「邪魔しているぞナツメよ」
「う〜ん…」
え?何をやっているんだあの二人は...私の足を撃った野蛮人とアヤメがボードゲームに興じているではないか。予想外、これは私の演算装置でも弾き出せなかった未来だ。私はてっきり部屋の中で落ち込んでいるか、もしくはふらっと部屋から出て居なくなっていると思っていたのにまさかのボドゲ。
「足の具合は?」
「…本調子ではないが、まぁ…」
「ならば良い、む、アヤメそれは二歩だ」
「え?に、にふ?」
「今打った歩の後ろにもあるだろう」
「あぁ…これ駄目なんですか?」
「禁じ手の一つ、所謂反則行為だ」
「じゃあ次から気をつけますね」
「今気を付けてくれないか?」
な、何なんだ...和気あいあいとボードゲームに興じているこの二人は...私が変なのか?
ベッドを見やれば変わらずグガランナは眠っているようだ。
(イエンの事やらアヤメのフォローやら…私が考え過ぎているだけなのか?)
少し釈然としないながらも、アヤメの横に座って文字が書かれた小さな駒をちまちまと動かす二人を暫く見やった。
「飛」と書かれた駒でアヤメの「将」が取られた後、満足気に顔を綻ばせたイエンが私に視線を寄越した。
「案ずるな、主と似たマキナは仮想世界で健在だ」
「何故そんな事を知っている?」
「言ったであろう、主は旅立ったと、余計な横槍を防ぐ為に我らがここを守護していたのだ」
「グガランナはいつ目が覚めるんだ?」
「主が帰還した時だ、詰まりは分からない」
「それは昏睡と変わらないのでは…」
「本来、グラナトゥム・マキナはサーバーにて事を成す存在だ、マテリアルを有してお前達と関わっていることが異常だと思うがな」
「だからと言って、グガランナを置いていける訳もない、それよりどうしてグガランナは動いていたんだ?」
「アヤメ」
「………え、あ、はい」
イエンに名を呼ばれたアヤメが、少し間を置いてから答えた。さっきまではいつも通りに見えていたが...
(こいつはほんとに……)
「グガランナが動いていた理由について心当たりはあるか?」
「あぁ、それならアマンナが動かしたんだと思いますよ、前にもグガランナにちょっかいをかけていたみたいですから」
何でもないように、思い出したことをすらすらと口にしただけのアヤメの言葉にイエンが鋭く反応した。私も「そんな事も出来るのか」ぐらいにしか思わなかったがイエンは違うようだ。
「何?マキナがマキナを動かした?」
「はい…そうですけど…どうかしたんですか?」
アヤメもイエンの反応を不思議に思っているようだ。
「有り得ない、いくら同類とは言えマキナが他のマキナのマテリアルを操作するなど、グラナトゥム・マキナを統括している者ですら成せない事だ」
「それは…どういう意味ですか?」
「互いの役割に応じて権能が分けられているのは知っているな?」
「それはまぁ、はい」
「それと同じようにマテリアルも権能に分けられて差別化がなされているのだ、それを操ろうなどと最早、権能の乱用に他ならない、そんな事をプログラム・ガイアが許可するとは思えないぞ」
「待ってくれないか、それはオリジナル・マテリアルと呼ばれるものだろ?今のマテリアルはグガランナが自作したもののはずだ、そうだよな?アヤメ」
「うん、中層でマギールさんのポッドで作られたものだから…」
「ふぅむ…それならば…いやしかしだ…聞いた事がないな……」
「それはお前が知らないだけじゃないのか?」
「ならばアマンナというマキナの役割は何だ?それによっては頷ける話しになるが」
アヤメと顔を見合わせた、私は聞いた事がないしアヤメも同じのようだ。
「それは…分かりません、我儘な女の子としか思っていなかったので…」
「不用心にも程があるな、得体の知れない相手と今まで共に過ごしてきたのか?」
「………」
「良いか、他者を手放しに信ずるのは結構な事だが相手の懐ぐらいは探れるようになれ、でないとお前がただ利用されて泣きを見る羽目になるぞ」
真剣な目付きで「この世は心優しい者達ばかりではない、他者を陥れて利する輩も大勢いるのだ」と締め括ったイエンの横っ面を力任せに殴ってやった。これで良し、足の借りは返した。今のアヤメにその話題は重過ぎる、殴られたイエンと説教を受けていたアヤメが惚けたように口を開けていたが構うものかと、アヤメの手を取り部屋から連れ出した。
◇
「いや馬鹿じゃないの?!何で殴ったのさ!」
「貸し借りの一環だ、それと今のお前にはキツいだろ」
「な、何が…」
「おいなぁ、我慢して無理をするなよ見ていられない」
「……」
「お前辛いんだろ?仮想世界で見たことが未だに腑に落ちなくて悩んでいるんじゃないのか?」
「それは…」
「さっきのボドゲのルールと一緒さ、同じ筋に歩を打てないように、人の心も悩みを積み重ねたら駄目なんだよ」
「……私、上に重ねて、打ってない……」
「そういう意味じゃない、仮想世界で見た事に悩んでいるのに、アマンナの事やイエンに言われた事まで抱えそうになっていただろ?」
「………」
アパートの屋上にアヤメを連れ出していた。月を追いやった太陽の光が照らされた屋上は思いの外暖かく、涼しい夜を連れてくる月が昇っていなくて良かったと思えた。
何でもないように取り繕うのは結構な事だ、けれど自分の心にまで取り繕う必要はない。
「お前がお前を大事にしないと壊れていくぞ、何でか分かるか?」
「……いや、分かんない…」
「犠牲にしているだけだからだ、悩みも一つ一つ大事にしろ、抱えているなら好きなだけ落ち込め、私が何回お前の家にお世話になったと思っているんだ」
「でも、落ち込むだけじゃ…解決にならないし…方法も分からないし…」
腹を括った。もう十分だ、これ以上泣き顔は見たくない。
「私を頼れ、聞くだけならいくらでも聞いてやる、お前だけが過去の世界に悩む必要はない、もう一度私の事を好きになってくれないか」
いやでも恥ずかしいな...出まかせのつもりはないが、やはり胸の内を他人に伝えるのは恥ずかしい。アヤメが何と言うのか、ここに来て怖気ついてしまったので無理やり体を引き寄せて胸に押し付けた。そして、アヤメが声を上げて泣き始めたので心から安堵した。私にしがみ付き、子供のように泣く姿ははっきりと言ってみっともないことかもしれないが、抱えきれない悩みに直面した時は外聞など捨てて、ありのままに振る舞うのが一番良い。
見上げた空には仲直りでもしたのか、輝く太陽のそばに儚く見える薄い月が、寄り添うに昇っていた。
65.d
長い付き合いになる私の古い友人が、憂いを帯びた表情で深く溜息を吐いた。
「どうしてこんな事に…言われた通りにやってきたのに…」
「そんなもんさ、気長にやればいいよ」
「あなたはいつもお気楽そうね、羨ましい限りだこと」
「八つ当たりはよしてくれないか、これでも君の事を想って飛んできたんだ」
「どうだか…早々に他所の女の所へ行ったくせに」
「プライベートじゃないよ、仕事さ」
わざわざ口にする事ではないので胸に秘めているが、私の生き甲斐と言っても過言ではなかった。私の前で、これ見よがしに落ち込んだ仕草を取るのも変わらない、昔から気を引かせる為の演技だ。
友人が浅い溜息を三度吐いた後、頃合いだと思い柔らかい砂の上に置かれた椅子の手すりに力を入れると、私を引き止めるように珍しい話題を口にしてきた。
「ところで、他の子供達はどうしているのかしら」
「うん?」
「前に一度だけ顔を合わせただけだけど、元気にしているの?」
「あぁ、皆んな仲良くやっているさ、私の顔も忘れてしまう程にね、悲しいものだよ」
「それは貴方の放浪癖が悪いのでしょう?」
「それならもう君の元へ来ることも出来なくなるけど、腰を据えた方がいいのかな」
「そんな意地悪な言い方…」
「冗談さ、ただこうして君の呼びかけにすぐ応えたのも暫く顔を見せることが出来なくなるからなんだよ」
「…何かあったの?」
「何、心配ないさ、気難しい裁判員のご機嫌さえ取れればどうという事はない」
「また…いい加減にしたらどうなの?もう貴方は若くもないんだから、いつでも私の所へ来て」
「それはいけない、そんな事をしてしまえばこれからの私の生涯は裁判所の待合室で過ごさなければならない」
「大袈裟な…」
私が再び腰を下ろしたのを見て安心したのか、言葉とは裏腹に薄い唇の端を上げて微笑んでいた。
「ところで、何か心境の変化でもあったのかい?」
「どうして?」
「君が他所の子供達を気にかけるだなんて珍しいと思ってね」
「私の事を何だと思って…それよりも私の所に忍び込んでいる子がいるわ、ちゃんと言い聞かせてちょうだい」
「忍び込む?」
「そうよ、好き勝手に庭で遊んでいるから迷惑しているの」
「分かった、きちんと叱っておくよ、それなら君の子供達も私の所へ遊びに来ているようだけど?」
「え?」
「知らなかったのかい?随分と騒がしく遊んでいるものだから、てっきり君が寄越したんだと思っていたけどね」
「全く…本当に好き勝手に…言われた通りにやってきたのに…」
友人に見られないように、小さく被りを振った。堂々巡りだが、愚痴とはこういうものだろう。
私達のそばを一つの彗星が後ろから地球へ向けて通り過ぎていった。地球から見たならば、光の尾を引いて美しく鑑賞することも出来ただろうが生憎ここは月面だ。黒く、輝きも見せない彗星は不気味でしかなかった。友人も私の視線に気付き、束の間見やった後にゆっくりと椅子から華奢な腰を上げた。
「もう行くわ、いつも悪いわね、私の愚痴に付き合ってくれて」
「大丈夫、無問題、恙無くさ」
「あら、あの子と話した事があるの?」
「いいや?君の可愛い子供も似たような事を言ったのかい?」
「ええ、つい最近にね」
「名は体を表すとはよく言ったものだ、老獪の口癖だよ、裁判所の見送りに必ず言うんだ、いい加減に覚えてしまったよ」
「貴方も似たようなものでしょう、まるで他人事のように」
それだけ口にした後、古い友人が私の元から離れていった。
ようやく一息付けそうになった時に、また、私の後ろから古い友人が現れた。
「こんな所にいたの、随分と探したわ」
「やぁ、君も愚痴かな?」
「まさか」
今度は勝ち誇ったように笑みを湛えた古い友人が私の前に座り、見透かしたような視線を投げかけてきた。
※次回 2021/4/17 20:00 更新予定