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第六十三話 ミックス・ジェラシー

63.a



「ええっ?もう六階層に向かっているって……どうして先に行ったんですか?」


 素っ頓狂に上がった声を聞いて、取手が取れてしまった壺から顔を上げてグガランナを見やった。さっきまで降っていた雨のせいで芝生もしっとりと濡れているので腰を下ろすことができない。その代わりに特殊部隊の粗野な人達がよくやっていた「不良座り」をやって壺を眺めていた。私の後ろでナツメと通信を取っていたグガランナをそのまま姿勢で顔を向けたので、はたから見たら私も粗野な人だ、グガランナがつかつかと歩み寄って「行儀が悪い」と頭を叩いてきた。


「それは…そうですが……だからといって先に行かなくても、場所は分かりますか?………はい、はい……そう、坂を登った先にある大きな建物の中です、はい……では、そのように」


「ナツメは何て?」


「先に六階層に下りて部品を回収してきてくれるそうよ、私達は一旦その壺を元の場所に戻してから「壊れにくい」美術品を探してくれって言われたわ」


「これ壊れたまんまだけど、大丈夫なのかな」


「マテリアル調整ポッドに入れたら直ってくれないかしら」


「この階層には無いの?」


「聞いて……みましょうか、ダメ元で」



 あった。まさかのマテリアル調整ポッドがこの階層にもあった、誰に聞いたのか分からないけど本人もびっくりしていた。「え?あるの?」とまた間抜けな声を出した後に居場所を聞き出していた。

 階段庭園を抜けて坂道を戻り、来た時には開いていなかった扉が開いており何やら騒がしい空気がその場に残っていた、それに薬莢も地面に落ちていたのできっとナツメ達だろう。


「ナツメ何か言ってた?ここで戦闘があったみたいなんだけど」


「いいえ、とくに何も……ナツメさんは普段通りだったし……」


「………アオラは?」


「……いいえ、話しはしていないわ、ねぇアヤメ、どうして私は嫌われたのかしら……」


 ...やっと、やっと言ってくれた、その胸の内を吐き出してくれたので場違いにも微笑みが溢れてしまった。


「……どうして笑っているの?」


「ううん、グガランナが私を頼ってくれないと思ってたからさ、そう言ってもらえて嬉しいの」


 何を言われたのか理解していない、そんな顔から一転してみるみる紅潮していく。


「そういう事は………本人の前で言うものなの?いえ、違うの頼りしていないんじゃなくて……」


「まぁまぁ、それでアオラの事だけどあれは気にしなくていいよ、ただの八つ当たりみたいなもんだから」


 まだ納得していないのか、少し私を睨みながらも教えてもらったマテリアル調整ポッドがある場所へ足を向けた、それに私も続き少し近い距離で肩を並べて歩いた。


「あんないきなり、態度が変わるものなの?私はてっきりずっと怒りを我慢していたものとばかり……」


「アオラはあんなもんだよ、気分屋だし怒ったり笑ったり喜怒哀楽が激しいからね」


「そう……あまり考えない方が良いってことかしら」


「無駄」


「無駄ってそんな言い方……」


「私はそれよりも……」


 言葉が出てこない、勢いに任せて私の事をどう思っているのか聞こうと思ったのに、どうしてだか二の足を踏んでしまった。いつもはあれだけ私に好意を、それこそ隠すことなく見せつけているのに肝心な、今みたいに思い悩んでいることや、本当に困っていることは何も言ってくれないのだ。その理由を聞こうかと考えていたけど...


(それを聞き出すのってどうなの?……それこそ無理やり言わせているような気がする……)


「それよりも……何?」


「あぁうん、マテリアル調整ポッドの方が気になるかなって」


 広間を抜けて、居住エリアの出入り口も通り過ぎて、私達が一度も足を踏み入れていない通りにやって来ていた。石壁に挟まれた細い道を抜けると言葉を失った、とても広かったから。


「………え?」


「あぁ…向こうに見える海は仮想風景……」


 赤い瓦ぶきの建物に囲まれて二つ、先が尖った背の高い建物が建っており、さらにその向こうには広大さを主張するように白く霞んで見える海があった。ここは確かにメインシャフトのはず...そう思った矢先にグガランナが答えを口にしてくれていた。それでもやっぱり見応えというか、月並みな言葉がだが五階層の景色はとても素敵だった。


「……ここにあるの?くまなく探すの?」


「いいえ、あそこに見える大聖堂があるでしょう?そこでマテリアル調整ポッドを検知したそうよ」


「置いた人は誰?まさかティアマトさんとか?」


 一つ風が吹いたので私の声もグガランナに届かず流されてしまったのかと思い、もう一度を口を開いた時にグガランナが答えた。


「解答拒否されてしまったわ、設置したマキナが情報開示を拒んだそうよ」


「ふーん?そんな事もあるんだね」


「あっていいのかしら……こんな事が……」


「いいよそんなの、ほら行こう」


 私からグガランナの腕を取ってそのまま組んでみせた、これで少しぐらいは喜んでくれるだろうと思ったのにまたしても予想外な、いや、予想通りに喜こんでくれず顔をしかめたまま歩き出したので面食らってしまった。


(また何か…考え事でもしてるのかな……)


 やっぱり聞いておくべきだったかもしれないと、この階層に来てからよく騒つくようになった胸の内を抱えたまま、組んだ腕にしがみつく思いでいた。



✳︎



「引っ付くなって!鬱陶しい!」


「"しょうがないじゃん、行くばしょが同じなんだから"」


「"ねぇなんでそんなに髪が赤いの?恥ずかしがってるの?"」


「あぁもう!まとわりつくな!」


 少しだけ勾配がついた道に入り、建物が向かい合うように建てられていた。二階の窓から向かい建物に紐が渡されており、ここだけ不思議と生活感がある場所に見えた。変わらずピューマ達はアオラをからかっており、いたく気に入ったようだった。


(解せん)


 その少し後ろを歩いていた私に影がさした、すぐに上向くが何もいない。


「アオラ、何か見えたか?」


「あぁ?!この鬱陶しい奴ら以外に何も見ていないぞっ!お前も離れていないで少しは構ってくれないか!」


 アオラに言い返されている間に、大きな建物が見えてきた。ティアマトに教わった通り、数々の知識が保管された「図書館」という場所らしい。この階層でよく見かける石柱が正面扉横に置かれて、その上にはやはり像が鎮座していた。それらに見下ろされるように歩みを進めていくと、扉前の小さな階段から中へ向けて土で汚れた白い筋と傷が入っていた。


「おい、何だこれ、何か引きずった跡に見えるが……」

 

「注意しろ、さっきの建物を飛び回っていた奴かもしれない」


「何だそれ、そんな奴いたか?」


「お前がピューマと戯れている間にな、私に挨拶してくれたよ」


 固い扉を押し開けて中に入れば、白く磨かれた石の床の上に無数のガラス片が散らばり、さらに片側の角が根本から折られ首も千切れかけて見るも無残なピューマがエントランスのど真ん中に横たわっていた。


「アオラ」


「おい、お前ら静かにしていろ」


「"うーわー、もしかしてあの人も人間にやられたのかな"」

「"こらぁ!わたし達がかわりに恩を返してやるぅ!"」

「"だからそれは仇だよー!"」


 味方であるはずのピューマが目の前で無残に殺されておきながら、未だふざけるピューマ達にアオラが一喝した。


「お前らこれを見て何とも思わないのかっ!味方が殺されているんだぞっ?!味方の死を想わない奴が恩だの仇だの語るなっ!」


「"………"」

「"………"」

「"………"」


「ふざけるしか能がないならすっこんでいろっ!」


 言われるがままに、尻尾や耳が付いた光の玉が瞬く間に消え失せた。一気に静けさが満ちた図書館内にある気配を感じ取った、索敵、何かがこちらを伺っている様子だ。


「何かいるな、お前が見たという奴か」


「知らん、だが間が良すぎる、マテリアル調整ポッドはこの奥だ、私が援護するからお前は回収に向かえ」

 

「ピューマは?」


「後回しだ、安全を確保してからポッドに入れる」


「分かった」


 嫌われているなら仕方ないと割り切り、私達の目的と安全を優先させた。エントランスの奥にある扉から調整ポッドが置かれた部屋に行けると聞いていたので、ピューマの亡骸の横を通り過ぎた。


「?」


 大きさは人と同じか、それに形がグガランナ・マテリアルと似ているような気がした。それに胴体の手前、黒く変色した跡があった。ガラス片を割るように付いた跡は、誰かが膝を付いていたようにも見えるが、天井の割れたステンドグラスの向こうにはっきりと気配を感じ取ったので、観察を止めて緊張を高めた。

 奥の扉を抜けた先には、荒れた花壇に壁際に並べられた椅子が何脚か壊されてしまった中庭になっていた。地面をよく見ればまたしても白い筋と傷が入りさらに奥へと続いていた。


「用心しろ」


 手にしたアサルト・ライフルの安全装置を解除し、白い軌跡を辿るように私達も後に続いた。中庭を抜けてまた建物内に入り、毛の長い豪華な絨毯を踏み締めてさらに奥へと歩いて行くと、お目当ての部屋が見えてきた。付いていたであろう扉は破壊され、マテリアル調整ポッドがここからでも一基見えていた。アオラの代わりに私が先行し、アサルト・ライフルを構えながら部屋に突入したが、間抜けな声が思わず出てしまっていた。


「んぁ?何だこれは……」


「おい、何が…んん?」


 マテリアル調整ポッドが置かれた部屋の中で、既にビーストが破壊された状態で倒れていた。



「そういう大事な話しは先に伝えておいてほしかったんだがな、おかげで要らぬ緊張をしてしまったじゃないか」


[ごめんなさいすっかり忘れていたわ、それでポッドの方は大丈夫かしら?]


「あぁ、アオラが回収作業に入ってるよ」


 図書館のエントランスで頽れていたのはグガランナが使用していたピューマ型マテリアルだそうだ、それにこの場で亡骸に変えられてしまったビーストはアマンナによって撃破されたらしい、図書館内の白い筋はビーストが付けたものだろう。インカムでティアマトとやり取りをしている間にもアオラが回収作業に入っていた。私達が仮想世界にダイブした時にも入っていた医療用ポッドをさらに一回り大きくしたものが、半透明のポッドを斜めにして据え付けられていた。それに、ビーストより後ろにある壁が、ぶち抜いたらああなるのか、ぽっかりと大穴が開き別の部屋へと続いているようだった。

 マテリアル調整ポッドの奥で作業をしているアオラに声をかけながら、大穴の向こうにある部屋を覗き込む。


「アオラ、ピューマ達を呼び戻してポッドに入れてやれ」


「あー?もう大丈夫なのか、お前が見たという影は?」


「ここに倒れているだろ、私の見間違いだ」


「………あー、それならいい……にしてもまた、この機械はどういう設計思想で……」


 すっかりポッドにお熱らしい、私への返事も上の空からだ。大穴が空いた向こうの部屋はどうやら像の置き場になっているらしい、建物内でも明るい日差しが入っているので天窓でも設えてあるのか、一際輝くように様々な姿勢を取った女性の像が等間隔に配置されていた。


「ティアマト、穴が空いた向こうの部屋は何だ?」


 息を飲む気配だけで返事がない。


「ティアマト?」


 とても小さな声で「修復忘れてた」と呟いた後に、ことさら明るい声で返事が返ってきた。


[その部屋には何もないわ、行くだけつまらないと思うけど]


「いやいや、像が沢山置かれているみたいだが…」


 一瞬、誰と通信をしていたのか分からなくなってしまう程に慌てた声が耳から入ってきた。


[あー?!あの部屋?!待って待って待って待って!お願いだから待って!違うの!ね?!もっと良い物を見せてあげるからとにかくその部屋は放置して!放置安定!]


「良い物って?あの像より興味を惹かれるものか?」


[と・に・か・く!その部屋は見なかったことにして離れて!ね?!お願いだからぁ……絶対に入らないでぇ……]


 そんなにか、そう言われたら見たくなるのが人の心理なんだが...


「その代わりにあの像が何か教えてくれないか?」


[入ってないわよね?!入ってないわよねぇ?!嫌いになるわよあなたのこと嫌いになるわよあなたのことぉ!]


「見ているだけだから」


 とは言いつつも穴を跨いで部屋の中に足を踏み入れていた。後ろからまた騒がしい声とアオラが怒鳴る声が聞こえてきたので、あのピューマ達が戻ってきたのだろう。

 入った部屋はポッドが置かれた場所よりも広いようだった、やはり天井には天窓がありさんさんと太陽光が室内を降り注いでいた。それにどういう構造になっているのか、天井間際の高い位置から木の枝葉も室内に入り込み、柔らかい木漏れ日が穴から死角になっていた床に移し出されていた。ここの床もエントランス同様に白く磨かれた石で出来ており、太陽の光や木漏れ日、それからきちんと手入れでもされているのか汚れが一つも付いていない像で厳かな雰囲気に包まれていた。


「なぁ、あの木の枝はどうやって部屋に入ってきているんだ?」


[入ってるじゃなぁーい?!!それ入ってるわよねぇー?!!何で入るの!入るなって言ったのに!!]


「しょうがないだろ、こんな興味を惹かれる場所無視できるか、木の枝も興味に惹かれて入ってきたんだろ」


[そんな上手い言い回ししてもダメだから!ナツメは何?私に恥をかかせたいの?その場所は私が一から作ったって言ったわよね?]


「秘密の場所を隠さずに案内したお前が悪い」


[あー!!!]


 羞恥の断末魔を聞き届けてから、像を鑑賞させてもらった。やっぱり...


「感想言ってもいいか?」


[………]


「……もし、まだ何か引きずっているなら相談に乗ってやろうか?これをお前が一人で作ったんだと思うとこっちまで胸が痛んだよ」


[殺してぇ……誰か私を殺してぇ………]


 作られた像は、全てティアマトだった。つまりは自我像。

その後暫くさめざめと泣くティアマトから機嫌を取るのに苦労した。



63.b



「…………………」


「…………………」


(え、何かあったのかな)


 あの二人が何も言わずに黙って並んで歩いているなんて、珍しいこともあるものだ。それによく見やればアヤメから腕を組んでいるではないか、それなのにあの表情。


(さてはあの二人………喧嘩したな)


 あの人の口真似をして自分から落ち込んでしまったが、五階層の街を歩くあの二人はそんな雰囲気に包まれていた。

 観るつもりはなかった、ただどうしても気になったのだ。どうしても...どうしてもっ、どんな様子か気になってしまったので観ざるを得なかった。そもそもハデスが悪いのだ、いつでもどこでも仮想領域を展開させるあの実験機体を持ち出してコンタクトを取っていたのだ。尻拭いの対価としては十分だと、淡い期待を胸に抱いて覗き観ていた。

 メインシャフトの街は、確か五階層を境にして貧相化が進んでいくはずだ。ナノ・ジュエルという今となっては貴重になりつつある資源が底を尽きかけて、地球の古き良き街並みを再現するこもなくなりただ住むだけの街に成り果てていく。「司令官」として役割を全うしていくうちにタイタニスというマキナがいかに勤勉で真面目であったことか、イルカさんと一緒に度肝を抜かれたものだ。

 あの二人は大聖堂に足を向けているようだ、変わらず元気のない表情のまま腕を組んで喋ることもせずに歩みを進めている。私から見れば可愛らしくデザインされた大聖堂がある一画へ足を踏み入れたようだ、赤く傾斜のついた屋根を持つ民家に囲まれた街並みの向こうには、バルト海を再現した海が広がっている。一度、隣を歩くグガランナに視線を送ってからアヤメが口を開いた。


「あの、建物だよね?」


「そう」


(他に言うことあんでしょ)


 たったそれだけの会話をした後、二人は大聖堂へと足を踏み入れた。



 バロック様式で建てられた大聖堂内は白い壁に覆われ、その至る所に火を灯した蝋燭が光源としてその役割を担っていた。机や椅子、家具類は全て木材で作られ古く、そして温かみがある大聖堂だった。

 木の板を小さく鳴らしながら二人が奥へと進んでいく。


「んん?そういえば何でこんな所に来てるんだろう、観光じゃないよね」


「キュゥウ?」


 すっかりお友達になった電子海の守護者、イルカさんも疑問の声を上げている。ならば早速調べ物だと「五階層・タリン旧市街・トームペアの丘・聖母マリア大聖堂」とワードを打ち込んでタップした。横から楽をするなとイルカさんに手を叩かれてしまったが気にしない。検索画面には当時の情報しか載っていないようだけど...あった、最後の項目にしたり顔になってしまった。


「マテリアル調整ポッドか…」


 しかし、製造責任の欄が空白になっていたのでプログラム・ガイアに訂正を申し込むと、


[間違いではありません、責任者より情報開示が禁止されているからです]


 まさかのお断り。()()()


「プログラム・ガイア、仕事をしてください、私の指示が聞けないと?訂正しろではなく明かせと揶揄しているのですよ?」


[私に拒否権はありません、当マキナに開示の許諾を受けてください]


 ついにバグったか?分からないから明かせと言っているのに本人に求めてこいだなんて。


「もう結構です、それとここにあるアクセス出来ない記憶領域について調査は進んでいますか?」


[もう暫くお待ちください]


「キュゥー…」


 本当かよ、イルカさんも疑惑の声を上げているではないか。

再び大聖堂の中を歩く二人に視線を戻した。観ているだけなら構わないと思っていたけど...あんなに仲良くてべったりしていた二人があんなに冷めた様子で過ごしているなんて...何だか...


(くだらなっ)


 体の中から滲み出てくる暗い感情を味わう旨さに、自分で辟易しながらも目を離せなくなってしまっていた。



✳︎



 隣を歩いていた私のお嫁さんが唐突に天井を振り仰いだので何事かと思った。


「どうかしたの?」


「ううん、何か、見られているような気がしたから」


「………あぁ、あそこに監視カメラがあるから」


「え、どこにあんの?」


 一際高い位置に置かれた燭台を指さしてあげるとアヤメが感嘆の息を漏らした。


「あんな所に…もしかしてカメラとかってバレないように置かれているもんなの?」


「そうよ、景観を損ねないようにね、アヤメ達には分からないんじゃないかしら」


「へー、グガランナには分かるんだへー」


 ...


「そ、それよりもほら、先へ行きましょう、おそらく礼拝堂にあるはずだから」


「なーに?それもグガランナだから分かることなの?」


「そんな事ないわ、ね?ほら行きましょう」


 さっき、アヤメに腕を組まれた時は思考回路から白煙が上がってしまいろくに反応をすることが出来なかった。温かさと柔らかさーいい加減にアヤメは自分の体型を自覚すべきだわーに左腕が幸せに包まれて、「嗚呼、天国…」と夢見心地でふわふわとしてしまっていた。その時の事を怒っているのか、ハデスと仲良く話し...そうよ、あのアヤメがまさか地で嫉妬するなんて思わなかったからたじろいでしまった。そしてその包み隠さない好意の裏返しをどう受け止めるべきかと思案していた、幸せなことに。

 とにかく、アヤメの機嫌が悪いことは早々から気付いていたけど、どうすれば直してくれるのかと考えあぐねていたのだ。今度は私から腕を取って先を促したが、顔色は変わらない。初めて出会った時のように拗ねたまま明後日の方向を向いて、私にされるがままになっている。


「まるであの時みたいね、アヤメ」


「あの時もグガランナは何も答えてくれなかった」


 今の一言で私が言わんとしていることが分かるのか、体も心も繋がっているようで舞い上がりそうになった。


「それはそうよ、だって牛型のマテリアルだったもの」


「でも今は人型なのに言ってくれない、何か悩んでいるんでしょ?」


 ちょうど礼拝堂に入ったところだった、思いがけないアヤメの言葉をぶつけられて二の句を告げられずにいると、本来であれば崇める人ないし神を奉る祭壇に置かれた、一基のマテリアル調整ポッドが起動した。低い金属の唸り声と共に次第に明かりを灯していくポッドは、それ自体が一つの芸術品のように私達の目の前に鎮座していた。


「あれ……あれがマテリアル調整ポッドなの?何というか……」


「今まで見たこともないわ……とても立派……」


 祭壇に鎮座していたマテリアル調整ポッドは、下から三段構造になっており下段には人が輪になって手を繋いでいる像が置かれ、中段には激しい戦闘が行われた様子を再現した城壁があった。その上段には見目麗しい女性の像と、それを囲うように様々な動物が戯れている置物があった。ポッドは城壁の上、思っていたよりも小さく人一人も入れそうにはなかった。スイちゃんぐらい?の子供の大きさなら何とか入れそうな程に小さなポッドがぱかりと扉が開き、礼拝堂が一際明るくなった。

 

「これも…ディアボロスさんが作ったのかな?」

 

「そんなまさか……あの男の芸術は自己満足の極みみたいなものだけど、このポッドにはそれが感じられないわ、何かしらの歴史というか……「表現すべき何か」を感じるもの」


「確か、これを作った人が分からないようにされているんだよね?」


「えぇそうよ…それが何を意味するのか分からないけれど……そうね、試しにあのポッドに壺を入れてみましょうか」


 アヤメがバッグパックから壺を取り出して、おそるおそるマテリアル調整ポッドに近付いていく。祭壇から階段を登り、人の輪の間に置かれた足場からゆっくりと壺をポッドに入れた。その後、待っていたかのようにポッドの天板が勝手に閉じられて今度は高い金属音が礼拝堂にこだました。さらに輝きを増したマテリアル調整ポッドはまるで室内の太陽のよう、その光が止まることを知らないようにさらに輝きを増して...


「アヤメっ!離れてっ!」


「うわうわっ?!ぐ、グガランナっ!」


 光が質量を伴って私達二人に襲いかかり、飛ぶようにポッドから逃げ出したアヤメを受け止めたはずなのに、その衝撃とやっぱり柔らかい感触すらも光に飲み込まれていった。



✳︎



「んはぁっ?!」


「更年期障害ですか、病院に行きなよ」


「こら、失礼だよ」


「ティアマトさん?何かあったんですか?急に変な声を出して…」


 え...グガランナの反応が消失した...え?

慌てた私は再度ログを確認した。確かに五階層からシグナルサインがあった、分割された居住エリアの東端に位置する場所までゆっくりと移動しそして、唐突に消えてしまった。


「ティアマト?」


 疲れ切ったアマンナが、眉を怪訝に寄せて私を覗き込んできた。


「な、な、何でも、ないわよ」


「ウソ下手か」


「何かあったんですよね?」


「ちょっと待っていなさい……」


 さすがにグガランナが消えたとは言えない、アマンナにテッド、それからスイは街の為に身を粉にして飛び回っているのだ。束の間の休憩でも、心配事を増やしたくなかった。

 ガイア・サーバーからでは限界がある、ならばと断腸の思いで二度と話しかけるなと啖呵を切った司令官に通信をかけていた。罵詈雑言も覚悟の上だったのに、私から通信をすぐさま取った司令官の様子が予想外にも変だった。


[あー何、ティアマトよね、どう…………したの?]


[あなたは偽物かしら?それとも本物?]


[えー……………影武者のこと言ってんなら、違う………で、何?何か用?]


[グガランナのシグナルサインが五階層で途絶えたの、あなたの権能で直前まで見ていた視覚情報をこっちに渡してちょうだい]


[大丈夫、無問題、恙無くよティアマト]


[は?]


 意味が分からない、私からの通信にたじろいでいる訳ではなさそうだが...


[何が大丈夫なのかしら、確かに今もシグナルサインをロストしているのよ?早く寄越しなさい]


[え?私からそんな情報貰っていいの?信じられるの?前はあんな下らない工作仕掛けた私に?お人好しにも程があるんじゃないの]


[私怨ではないのでしょう]


[…………]


[早くしなさい!それこそあなたの葛藤の方が下らないわ!]


[えー……ちょっと待ってね用意するから一旦切ってもいい?]


[駄目]


[分かった切るね]


「駄目って言ってるでしょうっ!!」


 絶対何か隠している!司令官への叱責が思わず口から出てしまっていた、何事かと食事を取っていた三人が私を見て、次第に眉を曇らせていく。


「ティアマト?疲れているなら本当に病院に行きなって、グガランナと会えなくて寂しいのは分かるけど……」

「あの、車持ってきましょうか?すぐにでも病院に行きますよ?」

「ティアマトさんそんなになるまで抱え込んでいたなんて……」


 本気で心配されてしまった。


「違うの、あなた達は私のことは気にしなくていいからしっかり休んでいなさい」


 休憩スペースで彼女達と別れてから再び司令官に通信を取った。主のいないブリッジへと向かい、よくナツメが黄昏ているブリッジ前通路に私も真似て立ちながら司令官と会話した、もう辺りはすっかり暗くなりさらにビースト襲撃により街の明かりが落とされていた。軍事基地も例外ではなく、グガランナ・マテリアルが唯一光源として基地を照らしていた。


[えー……何、何か用?……ううん分かってるから、ね?もう少しだけ待ってもらえないかなこっちも大変なの]


[知らないわよそんな事、いいから早く寄越しなさい、それにあなた何か知っているのよね?だからそんなに慌てて隠そうとしているのでしょう]


[そんな訳な………………いじゃん、えーと………ほら!出来た!今からそっちに送るからちゃんと見ておきなさい!]


[プエラっ!]


[なっ………何よいきなり、名前なんか呼んでも……]


[あの二人は無事なの?それだけ答えなさい]


[無事、それは無事]


[それは?はって何かしら]


[只今電話に出る事が出来ません、発信音の後にご用件をお伝え下さい、ピー]


「はぁーっ!マキナの分際で人様の電話サービスを頼るなぁ!」


 あんの司令官め...何が電話に出れないよ!いつの間にこんなシステム作っていたのよ!


「まぁいいわ、とりあえず見てみましょう」  


 送られてきた視覚データを閲覧してみれば、どうやら大聖堂の中に足を踏み入れてるようだ。バロック様式で作られた大聖堂内がグガランナの視覚からでも見てとれた。そして礼拝堂に入り、見たことがないモニュメントの前で何やらアヤメと会話している、音声までは録音していないらしい。そして、アヤメがバッグパックから壊れた壺?あれは壺よね、取手が取れた壺をモニュメントまで持って行き、そして唐突に視界が途切れた。



✳︎



[聞こえているわねナツメ!今すぐに五階層へ戻ってあの二人を救助して来てちょうだい!私の痛部屋探索は後でも構わないでしょう!]


「あーっ?!次から次からへと問題ばっかりこっちも忙しいんだよっ!!」


[はぁ?!ただマテリアル調整ポッドを…]


「アオラ!いつまでかかるんだ?!」


「あとちょいだよ!このインジケーターが満タンになれば…」


「早くしろ!」


「無茶言うなよ!おい逃げたぞ!」


 あの像ばかりが置かれた部屋で矯めつ眇めつしていると、アオラから緊急の呼び出しがかかった。五階層でピューマ達が操っていた(?)骸骨お化けが襲ってきたというのだ。そんな馬鹿なと戻ってみれば、確かにあの敵がピューマ達が入ったマテリアルポッドの天板を剥がしにかかっていたのだ。そこから骸骨お化けとの攻防戦、敵のお目当ては私達へ危害を加えることではなくどうやらポッドに用事があるらしい。私達に構わずポッドにしがみ付き、アオラから射撃を受けた途端に身を離して何度も取りつこうとしていたのだ。そして何とか部屋から追い出して威嚇射撃を続けていたのだが、アオラの言う通りに敵が背中を向けて逃走してしまっていた。

 態勢を立て直している間にティアマトへ怒鳴るように返事をした。


「十階層で襲ってきた敵がまた来やがったんだよ!救助に行きたくてもまだ行けない!そっちで何とかならないのか!」


[そんなっ、どうして、あの敵は確かにアヤメが屠ったはずよね?!]


「あぁ!この階層に隠れていたみたいだがな!ピューマ達が操って私らにちょっかいをかけてきたんだ!ここでも倒したはずなのに!」


[あーもう次から次へと!そういう事はきちんと報告しなさい!ピューマ達の進捗具合は?!]


「アオラが言うにはあと少しらしいが、何とかならないのか?!」


[いい!マテリアルが形成されているなら今すぐに終了させて!アマンナと同じ背丈の子供型になるけどこの際仕方がないわ!]


「アオラ!今すぐに完了させてくれ!ティアマトが言うには体型にしか支障が出ないらしい!」


 ティアマトには返事を返さずアオラにそのまま指示を出した、言われたアオラも素早くポッドを操作しゆっくりと天板が開いていく。そして中から三人の子供達が勢いよく出てきたではないか、状況も忘れてしげしげと見つめてしまった。


「んん?あれ?これ子供じゃね?」


「本当だぁ、むねもぺったんこじゃん」


「元からぺったんこじゃん、あれ、何で尻尾ついてんの?」


「耳も付いてるよ、あれ、失敗した?」


「アオラのばーか」

「ばーかばーか」

「下手っぴ」


 これは...何と言えばいいんだ?動物の特徴を残して愛らしい子供達が飛び跳ねてアオラを馬鹿にしていた、言われたアオラも状況に頭が追いつかないのかぽかんと口を開けたままだ。アオラの名前を呼んだのは垂れた耳に丸まった尻尾を付けたおとこ...の子?どっちだ、さっぱりと短く茶色の髪をしている。少し言葉足らずな喋り方をしているのはぴんと張った耳につり目の女の子だ、スイのように黒と白が混じった髪の色をしている。そんな女の子を馬鹿にしたのが、茶色と白色のまだら模様の耳と尻尾を生やし草色の髪の長い女の子だった。よく見てみればつり目の女の子も黒い尻尾を生やしている。


「あー…見たことあるなこの容姿…確かネットの奥底に眠っていた……」


「何言ってんの、ほら言われた通りにやったよ?」


 犬っぽい子がアオラの服をちょんちょんと引っ張っている。


「あ?だから何だよ」


「褒めてよ、褒めてくれないの?」


「は?」


 随分と懐かれているなアオラの奴、他の二人もアオラのそばに駆け寄り順番待ちをしているように尻尾を振っている。


「いいから撫でてやれよ」


「お、いいこと言うね冷たい人!」


「怒ったぁ!たすけてアオラぁ!」


 少し見ただけなのに...怖いとまで言われてしまった。アオラに引っ付きこちらを見ているが、それどころではないことを思い出して早く部屋から出て行くよう促した。


「用が済んだらさっさと出て行こう、あの敵がいつ来るかも分からないんだ」


「あ、そうだ、いいかお前らふざけるなよ!黙って付いてこい!」


 そう言って先行したアオラの後をまるで楽しそうに付いて行く三人の子供達を見て毒気が抜かれてしまった。いくらか肩の力が抜けて私も後に続いた。

 どっちにしてもようやく目的を達っせられたんだ、後は上に戻るだけ、着いた後はふやけるまで風呂に浸かってやろうと意気込んだところで、今度は五階層で問題が発生したことも思い出し危うく転けそうになってしまった。


(どうしてこう次から次へと!)


 中庭を抜けてエントランスに戻ったあたりで敵の気配がしたが、知ったことかと無視して図書館から出て行った。



63.c



「ん?あれ…ここは、どこなんだろ…」


 眩しい光に目がくらみ、グガランナに名前を呼ばれ身の危険を感じたので足場から飛ぶように逃げ出したところまでは覚えている。結構な高さがあったので衝撃に身構えていたが、想像していたような激突も痛みもなく気が付いた時には草原のど真ん中に立っていた。足元を見やれば色取り取りの花が咲き、爽やかな風が吹いて私の髪を靡かせていった。遠くを見やれば天辺が白くなった山もある、臭そうだと思った時にここがどこか分かってしまった。


「ここって中層の……マギールさんの家がある所……だよね?」


 どうしてここに?いや、ここも仮想空間の中...なのかな、でも私はポッドに入っていないし、そもそもあの壺はどうなったんだと疑問に思った時、後ろから誰かが楽しそうに駆けてきた。


『hwy!wait,plaezwait!!』


『no!came hera!!』


 男の子が女の子を追いかけていて、その後ろから見たことがある女の人がとても慌てた様子で二人の後ろを走っていた。


「テンペスト・ガイアさん……?」


 間違いない、よね?少し巻き毛になった黒い髪、べっこうの眼鏡はしていないけど確かにあの時仮想世界であったテンペスト・ガイアさんがそこにいた。息がとても荒く、何とか宥めようと肩で息を吐いていた、追いかけっこをしていた二人は草原を転げ回り変わらずはしゃいでる。男の子が女の子の上から覆い被さり、お互いに見つめ合って...


「あー!こら駄目だよそんなことしたらまだ子供なんだからっ!」


 私の見ている前でキスをしようとしていたので、思わず男の子の肩に手をかけていた。しかし、当たったはずの手は肩をすり抜けてしまい間近で男女がキスしているところをばっちりと見てしまった。まだ、子供なのに、なんておませな...


「はぁー最近の子はおませですねぇ!」


 恥ずかしいやら、悔しいやらいや別に悔しくはない。それに手で触れられないとすればやはりここは仮想世界なのかな、それとも摩天楼の街にあった屋内展示場のような場所かもしれないと思い、横で優しく見守っていたテンペスト・ガイアさんに視線を向けると何故だか下を向いていた。


「テンペスト・ガイアさん?どうかしたんですか?あれ…ちょっと待って、もしかして映像かな……」


 直に触って確かめようとテンペスト・ガイアさんに手を伸ばしてみると、すんでのところで立ち上がり、キスをしたおませな二人の後を再び追いかけていってしまった。


「んー?何か今笑っていたような気がするけど……気のせいかな、というかグガランナはどこ?グガランナぁー」


 丘の中腹あたりにある草原で暫く、グガランナを呼ぶ私の声が響き渡っていた。



✳︎



「嘘だろ?冗談だと言ってくれよバーニィ……」


「下らないネタ言ってないで早く何とかしなさいよ」


「見切り発車にも程があるだろ、何なんだあのポッドは?」


「知らないわよ、んなことよりあんたが壊したあれを直さないと不味いでしょうが!」


 頭を抱えたまま視線を上げれば、スカンディナビア半島と北ヨーロッパ大陸に囲まれたバルト海に面したエストニアが遠くに見えていた。長年、多国から植民地としての扱いを受けていた当国が独立してなお、ヨーロッパやロシアからの強い影響を受けて独自の文化と歴史を築き上げてきた、勿論行ったことはない。当時のロシアから禁止されていた民謡を歌ったり、「人間の鎖」という抗議デモを行うなどなかなか活発な動きを見せていたエストニアには今、アヤメとグガランナが迷い込み挙句の果てに仮想世界へと飛ばされてしまっている。勿論エストニアを模した街なので厳密に言えば五階層なのだが、どうしてこうなった。私と別れてから一体あの二人に何があったというのか。

 勝手に占拠して私物化している決議場がバルト海の上に浮かび、さっきからコンソール相手に睨みっこを続けていた。隣には随分と砕けた雰囲気になった司令官が、軍帽に肩肘張ったスーツ、それから生地の重そうな黒いスカートにブーツ姿で座っていた。不躾に見ていた私の視線に気付き司令官がきりっと睨みつけてきた。


「ハデス、あんたのせい、分かる?私に見惚れている場合じゃないの」


「別に見惚れている訳ではないけども、何だその格好は、似合っているからいいが」


「あー…ほんと、あんたって神経が無いわよね」


「そうか?」


「んなことより!早く直す手立てを考えなさい!このままだと失敗するわよ!「手籠作戦」が!」


「アヤメをこっちに引き込むって……そんなにご執心になるもんか?相手は人間だぞ?」


「テンペスト・ガイアが立てた計画よ、本人に聞きなさい」


「司令官、私はてっきりこの計画を止めるものとばかり思っていたけど、アヤメやナツメの事がどうでも良くなったのか?」


 仮想世界のみならず、司令官は元々ナツメと行動を共にしていたはずだ、それぐらいの事は知っている。何があったかは知らないがティアマトが創造したあの仮想世界で訓練を受けた後にいきなりテンペスト・ガイアの元に就いたのだ、本来の職務を全うするだのなんだのと言って。


「君はまさか、引き込んだアヤメとまた一緒になりたいのか?」


「何でそうなるの?」


「いや…」


「いいからさっさと他にポッドを探しなさい!製造責任不明のポッドが一つあるなら他にも隠しているでしょう!どこのドイツだか知らないけど!」


「つまらない地口を言うもんだな、ドイツはバルト海の外れにあるんだぞ?」


「あんたをその外れまで飛ばしてやりましょうか?それに地口って言うなダジャレって言え!紛らわしいのよ!」


 試験初号機を用いた「手籠作戦」とやらに些かも興味はないが、すぐに癇癪を起こす二人からの叱責は、それこそ「地口」にもならないので黙って言うことを聞くことにした。

 ...にしても、そこまでなのかアヤメは。彼女の一体何がここまでさせるのか、それよりも私は一階層で怪我をしてしまったカリンの方が気になって仕方がない、そういえばカリンもアヤメと話しをしている時は目に熱が込められていたなと思い出し、逃した魚は大きいとバレないように溜息を吐いた。



✳︎


「はっくしゅんっ」


『先祖分かれの奴はどうしている、この街に滞在しておるのだろう』


 突然始まった過去の記録映像を追体験しながら鑑賞していると、寒くもないのにくしゃみが出てしまった。厳しい顔付きをした男性が二人、小さな部屋で額を合わせて何事か相談しているようだ。それらに挟まれた位置にテンペスト・ガイアさんが肩身を狭しくして座り、二人の顔色を伺うようにしていた。


『はい、ある住人のところに住まわせていますが時間の問題かと……何故、獣を屋根の下に居させるのかと苦情がきています』


 何の話しをしているのだろう...獣を屋根の下にって、ピューマのこと?それにこの人達が使っている言葉は聞き取れたけど、さっきの子供達が話していた言葉は分からなかった。それにここ最近、「人」ではなく「何か」から...私達を脅かしていた敵から聞いたような...

 水色のシンプルな服の上からコート姿という、洗練され過ぎて最早お洒落の意味を消失したような装いのおじさん達の話しを黙って聞いていたテンペスト・ガイアさんがおもむろに口を開いた。


「もう暫く様子を見て頂けませんか?彼が馴染むのに時間を要します」


「え?彼って…ピューマではないんですか?」


 映像だというに思わず聞き返してしまっていた。やはりこちらを向かずに...ん?今ちらっと視線を寄越したような...


『それも時間の問題だと言っている、この街に獣は必要ない』


 一人のおじさんがテンペスト・ガイアさんの言葉に反応して言い返している、彼とか獣とか、あまり友好的ではない会話であることは分かった。おじさん達は獣と揶揄し、それをテンペスト・ガイアさんが庇っているのだろう。でも何のために?


『あの者を守る法律がこの街にはありませんので、早急に引き上げてもらえると有り難いのですが……』


 それで話しは終わりと言わんばかりに二人のおじさんが椅子から腰を上げた、それに追いすがるようにテンペスト・ガイアさんが目元を潤ませながら席を立った。


「お待ちください!集落には子供を寄越しているのです!このままでは……」


 豪華な細工が施された扉が無慈悲にも閉まり、衣服がはだけるのも構わず扉の前で座り込んでしまった。子供って...何のことだろうか、もしかしてあの草原にいた子供達のこと?男の子はここにいたおじさんのように黒い髪をしていたし、女の子は私と同じ薄く柔らかい金の髪をしていた。それに「彼」を「獣」と呼ぶおじさん達に説得しているテンペスト・ガイアさんは...

 まだ状況に頭が追いつかない、考え事をしながら素足が見えてしまっているテンペスト・ガイアのスカートに手を伸ばし掴んだところでまた場面が変わってしまった。



✳︎



「テンペスト・シリンダーが竣工して、稼働を初めた年に早速内輪の揉め事が起こったということか?」


「内輪...まぁそうなるわね、元々ここに住んでいた人達と外国から移住してきた技術者関係の人らで争いが起こって、そこで袂を分けたのよ、それがエディスンと集落に分かれていた原因というわけ」


「はぁ…生きるか死ぬかという瀬戸際でよくそんな事が出来たな、夢見た新天地ですら喧嘩するのか」


「だからじゃない?その新天地で溜まっていた鬱憤が爆発したんでしょう、テンペスト・シリンダーに移住するまでが瀬戸際だったんだから」


「まぁそうなるのか……気が抜けた途端にってやつか……分からなくもないが……」


「人間はマキナと違って中身が複雑なのよ、好き嫌いで二分出来ない関係性がある、「好き」な相手を手にかけることもあれば、「嫌い」な相手に傅くこともある」


「今の君のように?その解説は面白いな、実体験も混えて説得力がある」


「言わなかったかしら?あれはただの遊びよ、それに私は人を手にかけたことはない」


「どうだか、私も君も過去に「何か」やらかしているみたいじゃないか、そのせいでリブートを受けて今に至っているんだろう?」


「そんな与太話信じるの?そんな記憶領域は……」


 ...あった。確かに閲覧出来ない過去の「死に泡」があの電子の海にはあった。まさかあれが?


「……何か心当たりがあるみたいだな」


「……いいえ、ただの思い出し違いよ」


「そんな言葉初めて聞いたんだが」


「いいから作業の手を止めてないで続きをやりなさい!作戦は進行中なのよ!」


 決議場は意思でも持っているのか、過去の地球の海を好んで徘徊しているように見える。北ヨーロッパのバルト海がお気に召したのか、フィンランドからデンマーク、そして再びエストニア近海をうろうろとしていた。まぁ、電子の海に引きこもっているぐらいなら例え偽物でも海の上を渡る風に吹かれていた方がいくらかマシだった。景色を好んで見ていたあの人をここに連れてきたらどんな反応をするんだろうと、一瞬でも考えてしまった自分を呪いたい、胸が寂しさで抉られそうになったから。「上官」に呼び出されて時に再会した、と勘違いしてしまったアイツが本物だったらどれだけ良かったことか。この抉られた胸と一緒に私自身を罰して欲しかった。



63.d



「なぁ、これ何?」


 その一言から街の探索が再び始まった。犬っぽい子が図書館から伸びる白い線に気付いたのだ、私はてっきりマテリアル調整ポッドで倒れていたビーストが付けたものと勘違いしていたが、白い線はどうやら図書館の外から続いているらしい。好奇心旺盛なピューマ達がその後を追いかけるのは言わずもがな、アオラが言っても私が睨んでも言うことを聞かないので仕方なく付き合うことにしたのだ。


[それが終わったら早く向かってちょうだい、今のところ外傷も見当たらないし無事なんでしょうけど…]


 ティアマトに再度連絡を取り状況報告がてらに、アヤメ達の身に何が起こったのか聞いていた。


[原因は不明、礼拝堂に置かれたポッドらしき物に触れた途端意識を失ったみたいなの]


「ポッド?五階層にもあったのか?初耳なんだが」


 少し勾配がついた坂道を下りて来た道を戻っている、犬っぽい子がしゃがんで臭いを嗅ぎ、猫の女の子が下着丸出しにして線を見ていたのでアオラが叱りつけていた。


[誰が設置したものかは不明よ、何を思ったのかアヤメが壺?みたいな物をセットしようとしていたのよ]


 それ私が壊した...いや壊したくて壊したわけではないが、間接的にも私が関わっていることではないか。


「あー…そうか分かった、グガランナのシグナルサインとやらが消失したのは?」


 私の言葉にアオラが素早く反応して振り返った、周りにピューマの子供達にまとわりつかれているが、眉を曇らせているのがここからでも見てとれた。


[おそらくだけど、ガイア・サーバーから切り離されたのではないかと考えているわ、決議の場に現れた「お姫様」とやらが言うには「カオス」と名付けられたサーバーも存在しているみたいだし]


「ここから手出しができないということか?お手上げだな」


[まだそうだと決まったわけでは…とにかくグガランナのマテリアルだけでも保護してちょうだい]


 了承の旨を返事して通信を切ったそばからアオラが声をかけてきた。


「グガランナが何だって?消失したとか何とか聞こえたが何かあったのか?」


「あった、だがお前に関係あるのか、相手はあの「マキナ」だぞ」


「うんわぁ〜冷たいだけじゃなくてイジワるまでするなんて……」


 猫の女の子に嫌味を言われてしまったが仕方ない、また一時の感情で八つ当たりされては仲直りしても堂々巡りになってしまう。


「…………」


「ほらさっさとこの線を追いかけよう、その間に十分頭を冷やしてから謝罪の言葉でも考えておくんだな」


 三人の子供達から冷たい視線を浴びて、今度は私が先行した。後ろから細々と声が聞こえてくるが耳に入れないようにして先を急いだ。



 白い線は街の広場を通り過ぎ、石材で作られた建物を抜けて草原の道へと変わった。中層で見た草原とは比べる程ではないが、人の足で平されただけの道が丘の上へと続いており、白い線も土を抉りながら汚い線に変わっていた。どうらやあの丘から何かを引きずっていたようだ、後ろから元気な声がこちらにも届いてきた。


「何だろこれ、こんなに重いものを誰が運んだんだろ」


「さっきのびーすととか?」


「何でそんなことするの?誰かがあのポッドに入れたかったのかな」


 坂道を登り切って到着した場所は、小さな湖になっていた。第六区にあるような広大なものではなくぐるりと囲うのが見てとれる程だ。近づいてみれば、水深も全く深くなく、私のくるぶしぐらいだろうか、実用的とは思えないこの湖はおそらく観光用か何かだろう。それを言うなら私達の街も大して変わりはしないが。

 まだら模様の女の子が湖のほとりに近づき何やら嗅いでいるようだ。


「水っぽい」


「そりゃそうでしょ何いってんの」


「ん?その辺り誰か寝てたのかな、あとになってるけど」

 

 犬っ子の言う通り、まだら模様の女の子がしゃがんでいる場所がちょうど人の形に草が倒れていた、それに近くにあった樹を見やれば枝が大きく裂けている。


「おい、あの穴……」


 アオラが見つけた上を向いてみれば、穴がぽっかりと空いている。


(あぁ……ここはまさか……あいつが落下した場所なのか……)


 穴が空いた位置と樹の位置はほぼ同じ、そして樹から湖まで...あぁやっぱり、誰かが、いやアヤメが滑った時についた跡も草に残っていた。


「ここってそう言えば、六階層、あいつが落ちた場所なのか……」


「そのようだな……」


「うぇ、何やってんの?服濡れちゃうよ」


 犬っ子の静止も無視して湖に足を踏み入れた、ブーツの隙間から水が染み込みくるぶしまで冷たくなったが気にしていられない。ここがあいつの落下地点というなら何かあるはずだ、そう思って探せば湖のやや中央辺りにきらりと光る何かがあった。手で()い上げてみやれば、壊れたインカムだった。


(……はぁ……あの樹に感謝しなければ……)


 あそこに樹が立っていなかったら、穴の位置が少しでもズレていたら。そう思うと足から力が抜けて心に穴が空いた感覚に見舞われた、あいつが当たり前のように存在しているのは単なる偶然が重なった上に成り立ったものだと、手にしたインカムを見て思い知らされてしまった。

 私がここに追い込んだんだ、誰もいない、こんな薄ら寒い所で奴を一人にさせてしまったのは間違いなく私だ。


「何か見つけたのか?」


「アオラ、お前と約束した事があったな、軍学校から上がったあいつを私が責任持って面倒を見ると、だから前線部隊へ配置させろと」


「あぁ?あぁ…言ったが、それが何だ?」


「私は約束を果たせていると思うか?」


「聞くなよ、自分で考えろ、アヤメが落下した地点を見て怖気ついたのか?そらならさっさと止めろ」


「………」


「あいつは昔っから要領と手先だけは良いんだ、何をやらせても一番にはなれないが食うに困らない程度には仕事ができる、言ったよな?わざわざ前線に立たせる意味はないって」


「あぁ」


「なら話しは決まりだな、あいつが街に戻ったら金輪際お前の元には行かせない、それでいいな?だからお前からその話しを振ったんだろう」


「………あぁ」


「今さら怖気つきやがって、下手な根性しか持っていないくせに面倒見るとか二度と言うなよ」


「私はただ……」


「何だよ」


 言葉が出てこなかった、私はただ、あいつが笑顔で暮らせる世の中にしてやりたいと願って前線に誘ったんだ。いの一番に見せてやりたくて、それがこの体たらく。どの口があっても他人に言えやしない。

 何も喋らなくなった私に見切りをつけてアオラや子供達が湖から去っていった。


(本当に私は何をしていたんだ……周りに流されてされるがまま、自分の足で立ってすらいなかった……挙句にあいつに甘えるなんて、そりゃ……)


 人間よりもマキナの方が居心地が良い、そう言われるのは当たり前のことだった。

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