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閃光・下

5.高速道路〜第十二区(stardust)



 パーキングエリアで拝借した車は生憎の七人乗り、運転は大柄な男性の警官隊が行い助手席にはマヤサさんが座っている。「君!さっきの仕返しに私の膝に乗せてあげるよ!」と言われたが愛想笑いでお断りして後部座席の通路側を選んで座った。アイエンはすっかり元気を失くしたようで、いつもの下らない冗談も言わずそそくさと、まるでおれ達から逃げるようにトランクルームに折り畳まれていた椅子に座った。その隣に比較的小柄な警官隊(マヤサさんを注意していた人)が座り、おれの隣にもう一人の警官隊を挟んで道路側にルメラが座った。窓のガラスに映っているのは疲れ切った皆んなの顔、それから少し元気を取り戻したのかルリカの顔がすぐ近くにあった、というかおれの太ももあたりに小さなお尻をピタッとくっ付けて座っているのだ。アカネはルメラの上に座っている、時折心配そうにおれを見つめてくるので励ますように見返してあげると、静かに頷くのであった。

 皆んなを乗せた車は、先程の幹線道路は避けてモール方面へと一旦戻り路上に置かれた一般車両や別の警官隊が使っていたであろう、スタンピンを失った兵装車両を避けて最寄りのインターチェンジへビーストに憚らず向かっていた。何度か建物の屋上や路地裏からビーストに見つかってしまい追走されてしまったが、難なく逃げ切ることが出来た。堅固に見えていた第一区は、雨雲ではなく鉄の獣に襲われ破壊されてしまったようだ。何もかも、人も建物も、食い破られた街並みはとても寂しかった。

 到着したインターチェンジは予想されていたような混雑さはなく、所々に乗り捨てられた車はあったにせよ、無事に高速道路に乗ることが出来た。三車線の高速道路は意外と空いており、ここへ来る間もなく殺されてしまったんだと一人で納得してしまった。

 ちらちらと、ルリカが窓越しに視線をおれに向けていたので小声でどうしたのかと尋ねた。


「怪我、平気?」


「あ、そうだ、治療」


「ん?あぁそうだ、襲ってきたからそのままにしちゃってたよ、痛みはある?」


 疲れた皆んなに悪いと思って小声で訪ねたのに、ルリカの一言に思わず普通に声を出してしまっていた。それを聞きつけたマヤサさんもサイドミラー越しにおれの顔を見ながら容体を訪ねてくれた。


「あります、ヒリヒリというかジンジンというか」


「そう、痛みが無いっていったらしないでおこうと思ったんだけど、あるなら早くやった方がいいね」


「薬が無駄になるからですか?」


「そう、痛みがないなら神経が死んでいる証拠だし応急手当てじゃ間に合わないから、他の人に回した方がいいに決まってるからね」


 すると突然、ルリカがマヤサさんのヘッドレストをばしばし叩き始めたので驚いてしまった、慌てて手を押さえて止めたがまだ叩き足りないらしい。叩かれたマヤサさんもルリカの行動に驚いていた。


「うぇ?な、何?どうかしたの?」


「私が治療するから薬箱出して」


「く、くすりばこ?あぁ治療キットのこと?ごめん出してくれる?」


 一番後ろにいた警官隊の人が窓の向こうに視線をやっていたアイエンに断りを入れて、バックパックから十字のマークが描かれた白い箱を出してルリカに渡してくれた。警官隊の人に「使い方分かる?」と聞かれ、「今から勉強する」なんて言うもんだからマヤサさんも警官隊の人も慌ててしまった。


「君、それ無駄使いできないんだよ?使い方も分からないのに弄ったら駄目」


「無駄って言わないで!」


 張り上げたルリカの声に皆んなが驚いた、うつらうつらとしていたアカネやルメラも何事かと目を覚まし、辺りをきょろきょろとしている。


「な、何かあったの?!」


「違う、大丈夫だから、ルリカの奴が急に大声を、」


「大丈夫じゃない!せっかく助かったのにばい菌入ったらどうするの!」


「この子の言う通りね、顔から破傷風だなんて洒落にならない、すぐに止めてくれる?」


 運転席に座った警官隊の人が短く返事をして、通る車もないはずなのに路肩に車を寄せて停車させた。マヤサさんが素早く助手席から降りて後ろに回り、おれとルリカが座っているドアを開けて一瞬固まった。ルリカが膝の上から降りようとしないからだ。


「心配なのは分かるけど降りてくれる?このままだと治療できないよ?」


「いい、見てるから」


「君が良くてもこっちは良くないの、我儘言うなら外に放り出すよ?」


「ルリカ」


 おれに諭されようやく降りる気になったのか、キッ!とおれを睨んでからすごすごと降りていく。


「悪いけど手当てが終わるまでこの辺りぐるっと散歩でもしてくれない?空気の入れ替えは人にも必要だから、ほら、全員降りて」


 マヤサさんの言われるがままにルメラやアイエンも車から降りて、無理やり伸びをするように言われていた。おれとマヤサさんは車内に残り、さっきの悪夢が頭の中に蘇ってきた。あの人の山にルリカ達がいたらと思うと、そう、馬鹿な妄想をしてしまって胸と胃も締め付けられて吐き気がしてしまった。

 車内から皆んなが適当にふらふらと歩いて、その回りを警官隊の人達が護衛するように、一緒に気分転換するようにゆっくりと歩いているのが見えていた。

 運転席側を向かされ、怪我した顔や耳あたりを治療してくれているマヤサさんが申し訳なさそうに話しかけてきた。


「ごめんね気付くのが遅れて、あの子が怒ってくれなかったら私マジでスルーしてたとこだったよ」


 いくらか砕けた話し方になっていたけど、とくに気にならなかった。


「いいですよ、怪我した本人も忘れていたぐらいなんで」


 暫く無言でマヤサさんが治療してくれている、すぐ隣から年上の息づかいが聞こえ場違いにも少しだけドキドキしていると、フロントガラスの向こうで皆んなが空を見上げているのが視界に入った。


「何やっていったぁっ?!!」


 つい、頭を動かしてしまったのでぴっ!と冷たい何かが怪我をしているところを引っ掻き新しく出来た痛みに悲鳴を上げてしまった。マヤサさんもあからさまに呆れている。


「君は馬鹿じゃないの?患部を急に動かす普通?」


「いやだって!皆んなが空を見てたから!つい」


「いいから!ジッとしていなさい!」


 怒られてしまい、何だか少し前まで通っていた学校の先生を思い出していた。入学してから卒業するまでずっとおれ達を見守ってくれていた先生は、マヤサさんのようなはつらつとした元気はなかったけど、いつも子供達を一番に考えて接してくれる優しい先生だった。あの山にいませんようにと、心から願った時に粘着式のガーゼをこめかみから頬にかけてぺちん!と貼られて治療が終わった。


「ーっ!………馬鹿じゃないんですか?そんなに強く貼りますか普通」


「言うことを聞かない君への罰だと思ってくれたまえ、痛みは何よりの罰だよ」


 少し偉ぶって説教をしているマヤサさんを睨め付けていると、高速道路のど真ん中という、滅多に歩けない場所で伸び伸びとしてきた皆んなが少し軽やかになった足取りで車に戻ってきた。


「アカネ!」


「!」


 おれに名前を呼ばれたアカネが、案の定泣きそうになっている顔をこちらに向けて、行こうか行きまいか逡巡しているようで結局おれの所へとよたよた歩いてきた。道路側のドアを開けて車内に入ってきていたルメラはしっかりとルリカの手を握っている。アイエンや小柄な警官隊がトランクルームから車内に入り、アカネもおれの膝の上に座ってドアを閉め、再び車が発進した。

 落ち着かない様子で後頭部をおれに見せているアカネに、いつもよりいくらか優しい声音で声をかけた。


「何か空にあったのか?皆んな見てたけど」


 ちらりとルリカ達を見た後、一生懸命体の向きを変えておれの顔を見ようとした。


「そ、そのままで大丈夫だから」


 ..............................よし決めた、これは永遠に封印しよう。


「空に、赤い人形がいたから、だから見てた」


 邪な気持ちに支配されそうになっていた頭が、アカネの言葉を聞いて簡単に撃退されたようだ。赤い人形?


「何それ」


「分かんない、何か、ぱぁっ!ってして、ふわふわぁっ!てしてたから、さ、先に見つけたのは私だから!」


「違うよ私、アカネは後でしょ」


「違うよ私だから!ルリカは車の方ばっかり見てたじゃん!」


 隣に座っている警官隊の人に視線を送ると、小さく首を振ってから答えてくれた。


「お嬢ちゃん達が見たって言うから、俺も空を見ていたけどね、見つからなかったよ、お前は見たか?」


 一番後ろにいた小柄な警官隊へ話しを振っていた。するとその警官隊の人がおずおずと答えた。


「あー…自分は赤い人形ではなくて、緑色の人形、だったんですが……見間違いだろうと思って…とくに報告しませんでした」


「お前…」


「え?!緑色もいたの?!」


「違うよ!赤色だって!」


 まさかの追加報告。いやでも、見間違いだろう。空に人形がいるなんて話しはネットでも見かけたことがない、けど元気がないアカネが言うからには本当なんだろうけど...助手席から「さっさと寝ろ!索敵の邪魔!」と一喝されて大人しく寝に入った、こんな状況で眠れる訳がないだろうと思っていたけど、アカネの温かい体温や車体の揺れが良い塩梅で眠気を刺激して、あっという間に意識を手放していた。



 車体が何かを乗り上げた弾みで目が覚めてしまった。同じ姿勢で眠っていたために体が痛く芯も重たい、頭はぼうっとしてまるで眠った気がしなかった。

 体が大きく横に振れた、ジャンクションを走っているのかフロントガラスの向こうには大きく弧を描いて道がカーブしているのが、いつの間に降り出していた大雨で白く煙って見えていた。


「起きた?」


 サイドミラー越しにマヤサさんが視線を送ってきた、手には何やら持っている。あれはスナック菓子だ、それを見た途端に腹の虫が寄越せと鳴き出した。


「あの…皆んなの分があるなら、おれにも……」


「案外元気だね、もう第十二区に到着するからその時に渡すよ、その状態じゃ食べにくいでしょ?」


「そう…ですね、マヤサさんは大丈夫なんですか?」


「…………」


 窓ガラスに叩きつけられる水滴を見ながら話していた、返事が返ってこないのでおや、と思いサイドミラー越しに今度はこっちから視線を送るとばっちり目が合った。そして何でもないように冗談を交えながら答えてくれた。


「運転が荒いせいでちょっとお尻が痛いかなぁ、もう少し丁寧にしてくれたらいいんだけどね」


「そうですか?運転には気を付けているつもりなんですが…」


「うそうそ、それより君、さっきの一連はどう思う?」


 一連とは、ビーストに襲撃されたことだろうか?


「ビーストについて、ですか?」


「それもあるけど、高速道路から見た限りでは他所の区も停電を起こしているみたいなの、雨のおかげで薄暗いからどのビルにも建物にも電気が点いていないのが分かったよ」


「それじゃあ……もしかしてカーボン・リベラ全体が……」


「その可能性が高くなってきた、それに合わせてビーストの襲撃、偶然ではないでしょ」


 真っ先に、孤児院に一人で留守番しているであろうファラが頭に思い浮かんだ、胸が締め付けられてどうして朝はあんな事をしまったのかと本気で後悔した。もしかしたらあれが、あの怒った顔が最後になるかもしれないと余計な考えにまで至ってしまって目をぎゅううっと強く閉じて振り払おうとした。


「君もそんな顔をするんだね、せいせいしたよ」


「何ですかそれ、さっきの仕返しですか」


「あれは君と私だけの秘密の時間よ、他の人の前では言わないようにね」


「………はい、言いません、言いたくありません」


「で、話しの続きだけどね、今回のビーストは電気を用いた攻撃と防御に特化した奴らじゃないかと思っているの」


 特化...確かに、ショッピングモールの防護壁の中に避難した人達を攻撃したビーストは鉤爪から直接電気を流していたし、共食いしていたビーストはスタンピンがまるで効いていなかった。カーボン・リベラの大規模停電に合わせてビーストの襲撃、さらに電気を用いた攻撃機の投入...これは明らかに、


「誰かが仕組んだと、いうことですか?」


「……軍事基地の特殊兵装の中にはね、強力な電磁パルスを発生させる武器や、個人携行武器も存在しているのよ」


「いいんですか?彼は民間人ですよ?」


「いいの、何があるか分からないから言える時に言っておかないとあとで後悔するし、そもそも私は昔から情報統制なんて糞食らえだと思ってたから」


「あの、聞いちゃ不味いなら……」


「君は端末ショップにいたんだよね?」


「え?あ、はい、そうですけど…」


「端末はどうなってたの?というか膨張していたんだよね」


「はい、あ、もしかしてそのでんじぱるすというのは、電化製品に影響を与えるんですか?」


 何やら不穏な会話になりそうだと、一人で戦々恐々としているに当のマヤサさん運転中なのにも関わらず、隣に座っている人の肩を叩いていた。


「ほーら、この子は賢いんだから、こういう有用な情報は与えて然るべきなのよ、それだけ対応力が上がれば生存率も上がるでしょ?」

 

「無茶な行動を起こしかねないという危険も生まれますよ、身の丈を超える知識は破滅に繋がりかねないです」


「ま、そうとも言うけどね、この子はビビりだからそんな事にはならないよ」


「あの、ちょっとビビりとか賢いとか…」


 大人の会話に首を突っ込むのは勇気の入ることだったけど、さすがに自分の事をあーだこーだと言われるのは黙って聞いていられなかった。


「あぁごめんごめん、君の言う通り誰かが仕組んだってことだよ、通信機が使えるなら今、」


「隊長、それはさすがに情報漏洩で処罰されますよ」


 何かを言いかけたマヤサさんを警官隊の人が強い言葉で諫めた、さすがに言い過ぎたと罰の悪そうな顔をサイドミラーに映している。


「ま、君は覚えておいて、今回の襲撃事件は組織的なものだって事を」


 そう言ってサイドミラーから視線を外して前を見やった。

組織的って...あのビーストが?今日初めて見た...と言っていいのか、うんと小さい頃にももしかしたら見ているかもしれないけど、初めて記憶されたあいつらが組織を持っているという事が、信じられなかった。けれど、襲撃してきたビースト達は明らかに()()を持っていた。殺した人を投げて撹乱させたり、それこそ殺さず生かさずの状態で救援に駆け付ける人達の餌にしてみたり...考えていて吐き気がするけど、何かしらの知恵を持っていることは一目瞭然だった。


「ん……んん…」


 アカネがおれの足の上で器用に寝返りを打ってみせた、前を向いていた体を横に向けておれの肩を枕代わりにして眠っている。降り頻る雨の向こうには、初めて訪れる第十二区の建物の群れが白く煙って見えていた。その手前、高速道路を降りた辺りには沢山のテントの屋根もあった。



 暫く待っているように、と言われマヤサさんが高速道路のサービスエリアにある建物へ、運転をしていた警官隊を引き連れ離れてから早一時間近く経っていた。おれ達にあてがわれた仮説テントは正方形の形をしていて中は一部屋分ぐらいの広さがある、五人川の字に横になってもまだ余裕があった。やる事もないので、テントに付けられた雨除けの出っ張りの下で、折り畳み式の小さな椅子に腰を下ろしてぼんやりとしていた。おれ達の回りには沢山の人で溢れ返り、皆んな不安な表情を隠そうともせず忙しく行ったり来たりを繰り返している。中には逞しく商売をしている人も何人かいて、ついさっきも倍の値段はする菓子パンを何個か買ってしまっていた。テントの中で休んでいたアカネとルリカに渡してあげるとものの見事に断れてしまった。


「お腹空いてないの?」

 

「空いてない、エフォルが買ったんなら自分で食べて」


 何と冷たい言葉か...しかし、突っぱねた理由があったみたいだ、その言葉を聞いて申し訳なくなってしまった。


「エフォルが一番ひどい怪我をしているんだから、エフォルが一番良く食べないと治らないよ?」


「た、確かに……いやでもほら、こんなに食べられないからさ、二つはあげるよ」


 そこでようやくアカネとルリカがパンを受けとってくれた。そのまま二人、外に出てきたので雨宿りをしながら三人並んで座りパンをもそもそと食べていた。味は...美味しいのか、本来は美味しいのか、あまり感じられない。見やれば二人も真顔で咀嚼していた。まだ緊張して本調子じゃないのかなと思いながらも、自分で買ったんだから食べようと無理して口に運んでいると、ようやくマヤサさんが戻ってきた。仮説テントが並んだ一画の角から憤まんやる方なしといった表情で現れ、張ったテントに隠れていた駐車場の車止めに足を引っ掛けてしまい八つ当たりのようにテントを蹴り上げていた。中から出てきた人と口論になっているし...何があったんだろう。


「何かあったのかな?」


 口の横にクリームを付けたルリカがきょとんとした表情でおれを向いた、先にクリームを取ってあげてから答えた。


「さぁ…あれ怒ってるよね?」


「ん!エフォル、ん!!」


「お前、馬鹿なんじゃないのか?大事に食べてくれよこれ高かったんだぞ」


 何を張り合っているのか、アカネがわざと口回りにチョコを塗りたくっていたので軽くデコピンしてから服の袖口で拭いてやった。口論に買ったのか負けたのか知らないけど、肩で風を切るようにマヤサさんがテント前で歩いてきた。そして開口一番、


「ふざけるなよインポ野郎!何が満員だから暫く待機していなさいよ!しこたまプライベートハウスおっ立ててるくせして!てめぇのいちもつより立派じゃない!」


「隊長!子供の前ですよ?!」


「ハウレス!あなたはムカつかないの?!どんだけ大変な思いをしてここまでやって来たと思ってんのよ!それが何あの塩対応!てめぇのいちもつにも塩をかけてやろうかっ!」


「うぐぅえ!ちょ、たい、隊長!八つ当たりは!テントに!」


 勧めてどうするんだ。もう怒り過ぎていちもつ連呼しているマヤサさんの顔は真っ赤になっていた。八つ当たりをされている警官隊、ハウレスさんと呼ばれた人はマヤサさんに襟元を掴まれ苦しそうにしていた。


「いや、でも満員なら仕方ないのでは?」


「んな訳あるか少年!ここにいの一番に到着した人らもまだかって怒っていたのよ?!どんだけセーフハウスを出し渋ってんのよ!」


「いやそれは、そう言っておけば最初に案内されると踏んで嘘を吐いているだけでは、なんいんですか?」


 そこできょとんとして、怒りの熱が急激に冷めていくマヤサさん。


「ほら、この子の言う通りですよ、今は待つしかありませんよ」


「君、名前は?」


「は?…え、エフォルですけど…」


 今頃?という疑問に唐突だなと思ってしまった。


「エフォル!良いねぇ君は参謀役に抜擢するよ、次向かう時は君も来るように!」


「え?いやいや、は、ハウレスさんも同じ事を言っていたんですよね?」


「ハウレスはボディアーマー代わりだからいつ死ぬか分からないし、頭脳労働は専門で別で取っときたいの」


「何て冷たい言葉……」


「うそうそ、判断できる人が三人もいれば十分な舵取りが出来るでしょ?私とハウレスだけなら喧嘩にしかならないし」


「あぁ、多数決的な……おれでいいんですか?」


「君が良い」


 ストレートな物言いに心底ドキっとしてしまった。するとアカネにルリカが二人してマヤサさんとおれの間に割って入ってきた。


「え、エフォルは!怪我をしてるから!」


「そう!頼むなら他の人にして!」


「えー何ぃ?お兄ちゃん取れたくないってぇ?取らないよぉ、取るなら取るでちゃんと事前に言うからさ」


 「わぁー!!」とか何とか叫びながらマヤサさんに襲いかかっている。恥ずかしいやら止めてほしいやら嬉しいやら、顔も心ももにょもにょさせていると買い出しに出ていたアイエンとルメラが相合傘で戻ってきた。戦利品の袋はパンパンになっており財布の中身が盛大に散ったことが簡単に予想できた。少しは話しができたのかと傘の中にいる二人の様子を伺うが、出て行く前と何ら変わりがなく視線を落として歩いているだけだった。

 テントに着くなり二人はいそいそと中に入ろうとしたのでさすがに呼び止めた。


「アイエン、どうだった?」


「見れば分かるだろこの袋、ぼったくりにも程がある」


「財布の中身じゃないよ、ルメラとは仲直りしたのか?」


「お前…本人の前で、」


「ルメラ、アイエンはちゃんと謝ってくれたのか?」


「………その、とくには…でも、付き合ってくれたし、それでいいかなって」


 二人して視線を合わせて、気まずそうに目を逸らした。付き合いたてのカップルか。あの高架下で取り乱したことから、いくらか立ち直れたのかアイエンがいつもと変わらない口調で話題を変えた。


「あー…何だ、それにしてもここは臭くないんだな、こんなに雨が降っているのに」


「そうね、確かに、どうしてかな」


「今日の朝もそんなに臭くなかったけどな、おれの枕も」


「意味が分からない、その報告は必要だったのか?」


「そういえばアイエン、お前がやってる仕事でも回収する量が減ったとか言ってなかったか?」


 アイエンは、家庭から破棄されたカリブンを回収する仕事に就いていた。第一区の一部地域と第二区、こいつは毎朝毎朝回収車に乗って第一区に赴いているのだ。


「減ってはいるが、それは元々の配給量が減っているからだって前に言わなかったか?」


「そうだっけ、求めてもいないのに冗談ばかり言うから十割りぐらい聞き流していたよ」


「お前それ何も聞いていないじゃないか」


 後ろでくっくっとルメラが小さく笑っている。


「マヤサさんは何か知っていますか?雨の臭いについて」


 アイエン達が買ってきた袋を漁っていたマヤサさんに声をかけると、ピタっとその手を止めてしまった。何もやましいことはしていないのに。


「………知らないわね」


「嘘下手すぎでしょ、何か知っているんですよね」


「ハウレス!ほら!あんたの分よ!使う相手間違えたらダメよ!」


「何を馬鹿な事を…他の者も呼んできますね」


「そう!その方がいい!エフォル!ハウレスが戻ってきたらもう一度サービスエリアまで向かうわよ!拒否権はあの世にしかありません!」


 一気に捲し立ててテントからそそくさと、自分の分はきちんと持って出て行った。



 助けてくれたお礼にと、ルメラが提案してそれにおれがアイエンを無理やり乗せて、警官隊の分も含めた食料を買ってきてもらっていたのだ。それを黙って漁っていた程度であのキョドりよう、疑うなという方が無理である。しかし、あの話題から一向におれと視線を合わせようとしないので聞きあぐねていると、第十二区のインターチェンジとサービスエリアを兼ねた建物の一画が見えてきた。凄い人だかり、それに慌ただしい雰囲気もあり騒然としていた。


「あれは無理そうですね、さっきよりも人が増えている」


「そうねぇ、近づくだけ無駄っぽいけど……エフォル、君はどう思う?」


「え?えぇ…まぁ、他に関係者の方はいないんですか?」


「政府?あそこの建物にしかいないと思うけど……」


「お店の人に聞いてみるのもいいかもしれませんね、何人ぐらい街に降りたのか、もしかしたら見ていたかもしれませんし」


 頭を撫でられた。ドキドキするから止めてほしい。


「幸いにもお店には誰も近づいていませんね、今の内に聞き込みをしましょう」


 人垣を避けて誰もいないお店へと足を運ぶ。お店の前に植えられた並木の前にも人が並んで座っており、どこか鬱屈とした表情をしていた。傘には「テントを譲ってくれたら」といった言葉が殴り書きされており、おれ達はマヤサさんのおかげで恵まれているんだと実感した。

 中に入ったお店はがらんどう、客は勿論のこと店員らしき人も見当たらない、ここで働いていた人達も騒動が起こってから早々に引き上げたのかもしれない。空振りに終わったと思いきや、マヤサさんが誰かを見つけたようだった。


「君は冴えてるねぇ、ハウレス付いて来て、エフォルは少し離れた所にいなさい」


 フードコートに置かれたテーブルの一画に二人の男性が座っていた、一人は細身で中年に見える人、その前に座っているのはぽてっと太った若い男の人だった。二人に共通して言えることは、この騒動の只中でも綺麗なスーツに身を包んでいることだった。


(もしかして政府の人かな…)


 何やら話し込んでいた二人が、近づいていたマヤサさんとハウレスさんに気付きとても険しい表情を向けていた、とても友好的には見えない態度にはらはらとした心持ちで会話に耳をそば立てた。


「どうも!第一区で隊長しているマヤサという者です!お聞きしたいことがあるのですがお時間よろしいですよね!」


「セーフハウスの手続きは向こうだ」


「いやいやそれが満員だと言われてしまいましてね、その実どうかなと思いましてお声を掛けさせてもらったんですよ!」


「知らない、俺達に聞かれても答えられない」


 やっぱりそうだった、あの二人は政府の人らしい。


「えー?そうですかぁ?私だけじゃなくて皆んなも困ってるんですけどねぇ、街に入れさせてもらえたらお邪魔するつまりもなかったんですけど」


「何が言いたいんだ?話し合いをしているこの場を見て何とも思わないのか?邪魔している自覚があるならさっさと消えてくれないか」


「よせ、今は解放するセーフハウスの選定を行なっているところだ、手続きを取らせている者にもそう説明してある」


「ですから!それがあまりにも遅いからこうして陳情に上がらせてもらってんすよ!早くしないとビーストに襲われる危険性がありますのでぇ!そこんとこ分かってますかねぇ!」


 友好的に対応してくれない二人に対して、段々とヒートアップしていくマヤサさんは危なっかしく見ていられなかったけど、同時に頼もしい人だなと改めて強く感じた。


「待てと言っているのが聞こえないのか?これ以上の暴言を吐けばブラックリストに載せるぞ」


 そこで、細身の男性が後ろから見守っていたおれに視線を寄越して嫌そうに顔をしかめてみせた。そういえば、おれは周りの人達にも恵まれていたんだと再認識させられてしまった。


「かしこまりぃ……」


 わななく手を隠すようにして冗談のような言葉を紡ぎ、マヤサさんとハウレスさんが踵を返した。その時、睨め付けるように見ていた若い男性が下卑た笑顔に変えてねちっこい言葉をマヤサさんにぶつけていた。


「そんなに待てないなら俺の部屋にでも来るか?今すぐ案内してやるぞ」


 ふっとマヤサさんが顔を上げ、怒りに染まった顔を向けるより早くハウレスさんが若い男性の顔を銃のグリップで強かに打ち付けていた。


「この豚野郎っ!」


「お前!何をしている!」


「いい!やれ!ハウレス!この後いくらでも私を抱いていいからその豚野郎をとっちめろっ!」

 

 ハウレスさんが手を上げたことにより、フードコートの一画が一時騒然となった。銃で殴られた男性は椅子から落ちて地面に横たわりハウレスさんが追撃をしようと近づいた時に、席から身を離していた中年の男性が懐に手を入れているのが見えた。


「!」


 気が付いた時には疲れた足を猛然と動かし、一つ前のテーブルから身を投げるようにして中年男性に体当たりをかましていた。宙に浮いた感覚の後、全体重が乗った体当たりをもろに食らった男性が横に吹っ飛んだ。ついで地面に頭からぶつかる感触、おれの頭をの上には銃ではなく変わった形をした端末が転がっていた。そして誰かと繋がっているようで年老いた男性の声が通話口から流れていた。


[アコック?何があった?随分と騒がしいみたいだが…]


「た!助けて下さい!第十二区には沢山の人が駐車場で待たされているんです!このままじゃっ」


 しゃにむにになって助けを求めたが最後まで言えなかった、治療してもらった右頬に瞬間的に鈍い痛みが加えられたからだ。頭ごと吹っ飛ばされてしまい、頭も目もちかちかしてしまった。


「この糞野郎!子供の顔を足で蹴るなんて!ビーストの餌にしてやる!」


「待たんかっ!俺達は救助体勢を整えるために話し合っていたんだ!それをお前達が銃を突き立て邪魔してきたんだろう!」


「はぁ?!何寝ぼけたこと言ってんのよ!さっきはセーフハウスの手続きは向こうだと手と一緒にしょぼいその腰も振ってみせたじゃない!」


「静かにしろっ!これ以上子供にも銃を持たせるならそれなりの対応を取るぞ!」


「はぁ?!!!いい加減に下らないこと言うの止めないとその端末を没収して駐車場で待機している人らに売り捌いてやろうかっ!あんたらの命より高く買ってくれるでしょうね!エフォル!投げなさい!」


 蹴られはしたが、通話が切れずにそのままになっていた端末はおれがしっかりと握っていた。床に寝転がったままテーブルの向こうにいるマヤサさん目掛けて投げようとしたが、今度は手に衝撃にも似た痛みと熱が質量となって当たり端末を落としてしまった。手のひらから血が流れ、黒い穴が出来ていた。


「ーっ!!んぁっ!」


「はぁ、女、端末を拾え、早くっ!!」


 手を押さえて床に頭を擦り付けた、それ程に痛みろくに考えることも出来ない。ひび割れた端末は既に通話が切られ、その向こうにはゆっくりと歩いてくるマヤサさんの足が見えていた。どうやらおれは男性に撃たれたらしい、非殺傷性武器ではなく実弾を撃てる銃によって。


「………」


「口を開くなよ頼むから…黙って拾えばそれでいい、よくもまぁ邪魔をしてくれたな、どれだけここまで事を運ぶのに苦労したと思っているんだ……それをビーストのみならず人間にすら邪魔されるなんて!!」


「………」


「そのまま持っていろ、おい、女の服を脱がせ、好きなようにしろ」


「……何を」


 誰の声かは分からないが怯えているように聞こえる。


「お前が誘ったんだろうが、見せしめにでもこの場で抱いてやれ、そうでもしないと腹の虫が収まらない……さっさとしろぉ!」


「ひぃっ?!そんな、何でっ……」


「何をやってっ……」


「エフォルっ!立ってっ!!」


 マヤサさんの鋭い叫びに体が反応してくれた、銃を突き付けられているのに立てと命じるなんて、それこそ普通じゃない。それ以上の驚異が現れたことは火を見るよりも明らかだった。


「Dxtwjgjxaaァァアアっ!!」


「び、びビーストっ!!」


 若い男性が窓向こうを凝視しながら叫んでいた、立ち上がりよろめくように走り出してマヤサさんやハウレスさんに支えられながら後ろを見やれば、今までにない程の巨体さを誇ったビーストがおれ達人間を品定めするように、窓の外から眼球を備えた赤い瞳を向けていた。人の頭と同じ大きさの眼球をカメラレンズのように拡大させているのを見たのを最後にお店から出て行った。



 お店の外、第十二区の駐車場は地獄と化していた。街に入れない人達がビーストが襲撃してきたことにより暴動を起こし、街へ降りられる唯一の道の前で検問をしていた人達を襲っていたのだ。さらに駐車場に現れたビーストはショッピングモールを襲ったビーストよりさらに一回りも大きく数も多かった。人と人が争い後ろからビーストに食われて、既に死体が駐車場に転がっていた。


「最悪ね、最悪よ、地獄の方がまだマシじゃない?」


「早くテントに戻りましょう!」


 眉尻を下げておれの怪我を労るように見つめながら、何度もマヤサさんが謝ってくれていた。


「ごめん、ごめんね、私らが子供だったばかりに君まで巻き込んでしまって、傷む?痛むよね、我慢できる?」


「は、はい…それよりも、これからは…」


「皆と合流した後は急ぎ車へ、まだ奪われていなければの話しですが」


「そうね、そうしましょう、君はここにいなさい」


「い、嫌です」


 冗談ではない、確かにお店の辺りには窓から覗き込んでいたビースト以外はいないようだが、一人残されるなんて我慢できない。


「走って!」


 おれの返事も待たずにマヤサさんが手を引き、ハウレスさんが銃を構えながらお店の屋上を注視していた。お店前の並木を通り過ぎた途端、目の前に男の人の死体が上から落ちてきた。


「止まらないで!」


 さっき、下卑た笑いをしていた若い男性だった。上半身と下半身がかろうじて繋がっていただけの、壊れた人形のように成り果てていた。後ろから何かが踏み付ける音が聞こえ、頭上を通り越えてお店の外から品定めをしていたあのビーストが目の前に着地した。その衝撃でアスファルトが捲れ上がり、その大質量を誇る巨体さを嫌でも見せつけられてしまった。口から覗く大きな牙は赤く塗れて、てらてらと光る何かも付着していた。


「………」


「Gptwjゥゥウ……wtgpjwゥゥウ………」


 距離にして十数メートル、それなのにビーストの頭は見上げる程に高く強靭かつ頑丈に見える二本の前脚を曲げて飛びかかる構えを取っていた。こんなに大きいビーストもいるのかと、生き延びる事を諦めてしまったように間抜けな感想が頭に浮かんでいた。大きなビーストの後ろには別のビーストが避難してきた人達を、大き過ぎる口で食いちぎっているのが見え、不揃いに並んだ仮説テントの最後列から白い煙の尾を引きながら赤い弾頭が飛翔してきた。


「伏せてっ!」


 遅かった、目の前で赤い弾頭がビーストに着弾し眩い光を直視してしまった。耳をつんざく程の音が鳴り、前脚の一本に被弾したビーストがその巨体を傾がせた。


「Gmwpmgwォオオっ!!」


「隊長!」


「やっと到着したのね!ヒーローは遅れてやってくるなんて古すぎでしょ!」


 地面に伏したビーストの向こうから何台もの軍用車が駐車場を走り回り、何本もの白い煙を靡かせながら弾頭をビースト目掛けて撃ち込んでいた。あれは確か...ビーストの背中から一本の巨大な筒が現れたので思考が停止してしまった。見る間に筒の先端が青白く染まり、最後まで見届けることなく真横から吹っ飛ばされてしまった。ついで落雷の如く引き裂くような音、またしても頭から地面に倒れ込んでしまって左頬に痛みを感じた。まだ激痛に痛むせいで霞む頭を持ち上げてみれば、つい今し方おれが立っていた並木の手前が黒く焦げて地面も木も何もかも消し飛んでいた。


「マヤサ……さん……」


 ビーストの咆哮がこの上なくうるさい、視線なんか送ってやるつもりもない。大きく穿たれた地面のすぐそばでマヤサさんが並木の下敷きになっていた、今度は誰も支えてくれはしないけど、懸命に足を動かしてマヤサさんに近づいていく。ハウレスさんの姿も見当たらない。


「マヤサさん?」


「はぁ……いやぁ、悪いねぇ……私だけ、楽しちゃってさ、秘密とか、言っておきながらさ……」


 頭から血を流し、木の下敷きになって動こうともしない。痛いはずなのに、辛いはずなのに抜け出そうとしないのが不思議でならなかった、そう、自分に言い聞かせて現実から目を逸らしているのは何より自覚していた。力なく木のそばに座り込み、触れてみたけど一人では持ち上げられそうにもない。近くでマヤサさんを見てみれば右目が大きく、


「い、痛みますか、痛むなら今すぐに、」


「やっぱ、駄目、誰かを助けておかないと、気が狂い、そうだったから……」


「何を、痛むと言ってくださいよ、痛いんですよね、どうして意地を張るんですか」


「はぁー…悪いね、私だけ楽しちゃってさ」


 また同じことを言う。


「辛くないんですか、今すぐ木をどかすので、」


 そこでグイッと誰かに持ち上げられた、痛い、痛いのにどうしてそんなこと!


「止めろよ!おれなんか当たってる暇があるならマヤサさんを助けろよ!」


「ここは俺に任せて君は行け」


「はぁ?!」


「いいから行けっ!俺が何とかすると言っているっ!君にも家族がいるのだろうっ!」


「マヤサさんを放って行けるわけがないだろっ!何回助けられたと思ってるんだっ!」


 おれを無造作に引き上げたのは、ボロボロになったハウレスさんだった。ボディアーマーは見る影もなく、怪我をしていないところなんか一つもなかった。それなのに力強い眼差しでおれを見ていた。


「君の家族は誰が守るっ!君以外にいないっ!何のために隊長が体を張ったと思っているっ!」


「あの時助けられなかった罪悪感からでしょうっ?!ふざけるなっ!おれに見るなと何もするなと言っておきながらっ!自分だけっ、自分だけっ!」


「だったらなおのこと家族の元に向かえ、皆んな揃って隊長を殴りに来いっ!!」


 ハウレスさんに突き飛ばされ、そのまま駆け出した。動かないと思っていた足は前に前に、死んだと思っていた心は怒りに燃え、激痛に霞んでいた頭の中はクリアになっていた。ハウレスさんの言う通りにしてやろうと、皆んなで文句を言ってやろうと、ただそれだけを胸に秘めて皆んなの元へ走り出した。



「来た!来た!エフォル!」

「エフォル!エフォル!!」

「早くっ!」

「何だその顔早く!!」

「意味が分からないっ!」

「早くしなさいっ!」

「エフォル君っ!無事で何よりだっ!皆んな乗っているから君も早く乗りなさいっ!」


 暴れ回る巨大ビーストに目もくれず、取っ組み合いをしている人同士も跳ね飛ばして皆んながいる仮説テントへやって来た。遠目からミハエルさんが銃を構えて、何度も険しい顔で周囲を見回していたのが見えていた。今朝、孤児院に乗り付けていた軍用車もあった。ルリカが先におれを見つけ、アカネが大きく手を振り、アイエンに訳の分からないことを言われルメラには怒られた。

 到着するなりミハエルさんには肩を強く叩かれた。


「よく生き残ってくれた!ファラ院長も喜んでくれるよ!」


「知ったふうな口を利くな!それで今朝はファラにも怒られたのにっ!」


「馬鹿かお前は!早く乗れって言ってんだよ!」


 軍用車は運転席と助手席の二席しかなく後は荷台のみだ、皆んな荷台に乗って頭を出しているだけだった。


「警官隊の人達は?!」


「彼らにも実弾を渡して応戦に加わってもらっている!」


「あの女の人は?!」 


「いい!あんなの放っておけばいい!後で皆んなで殴りに行くよ!」


 説明になっていないおれの言葉に何かを感じ取ったのか誰も何も言わない。


「Wtjwtwgmォォッ!Wtjtwmgォォッ!!」


「ミハエルさん!あのビーストは背中から砲弾か何かを撃ってきます!」


「本当か?!」


「背中に砲身を隠していますが確かに見ました!気をつけてください!」


 仮説テントの列の向こうに区隊や警官隊が護衛しつつ特殊部隊の人達がロケットランチャーで攻撃をしているところだった。


「全部隊へ!ビーストは背中に砲身を隠している!真っ先に撃ち落とせっ!」


 耳にはめていたインカムを操作して怒号のようにミハエルさんが指示を出した後、駐車場をぐるりと囲うように通っている高速道路上から数え切れない程の弾頭が狼煙のように打ち上げられ、鋼鉄の流星の如くビーストに降り注いだ。逃げおおせたビーストもいたがその殆どが背中に直撃を受けてしまい、崩れ落ちていく。付近に展開していた特殊部隊の人達から汚い歓声が上がった。


「見たかくそったれぇ!ちんけなもんおっ立ててんじゃねぇぞぉ!」

「悔しかったら俺の穴を犯してみなぁ!」

「いいぜぇ!いいぜぇ今度はてめぇらが食われる番だぁ!」


 態勢を崩してなおも暴れようとするビースト目掛けてロケットを何発も撃ち込み、地に伏したビーストの目玉や口の中にアサルト・ライフルを乱射して次々に倒していく。見るからに粗暴な人達だが今はとても頼もしく思えた。


「構え!構え!駐車場中央のビーストに集中させよ!」


 そこを見やればビーストが背中から砲身を露出させて高速道路に狙いを付けていた、それを見つけたミハエルさんが部隊に急ぐように指示を出していた。さっき見たように砲身の先端から青白い光が発生し、ここにいても聞こえる程のつんざくような発射音と共に撃たれた、赤熱した一発の砲弾が高速道路を支えていた支柱に当たった。目測を誤ったのか?


「まさか…あのビースト支柱を破壊してまとめて?」


「構え構え構え!次弾装填を急げ!まとめてあの世に送られるぞ!全てのチェックを飛ばして構わない!」


 ビーストの方が早かったみたいだ、さらに砲身を青白く発光させて一発目と同じ発射姿勢を維持している。それに遅れるように高速道路上から何本か、おそらく最短距離に位置する場所から砲弾が打ち上げられ、そしてあと少しというところでビーストの砲身が爆発した。


「?!」


 そのビーストの手前を見やれば特殊部隊の人達がアサルト・ライフルを構えて拳を突き上げていた。


「見たかひゃっはぁー!ピンポイントで当ててやったぜぇー!」


 えぇ...そんなのありなの?アサルト・ライフルで砲身の先端を狙撃したのかあの人。特殊部隊の針に糸を通すような狙撃に態勢を崩したビーストに、降り注ぐであろう白い煙を引き連れた砲弾が空中で爆発してしまった。何が起こったのか理解するより早く、空から歪で汚い言葉が砲弾の代わりに降ってきた。


ー残しておいてもらわないと困るねぇ!せっかくの晴れ舞台なんだ!見ろよ人間様!てめぇらを食らって犯す真打ちの登場だぜぇ!!ー


 空中で爆発したことにより助かったビーストに、その巨体さを上回る程の影が覆い被さった。そして、その影の通りに空から一体のビーストが降り立った。仲間であるビーストを踏み潰して現れたそれは、砲身を携えたビーストよりもさらに一回り大きく尻尾を二本も持っていた。何もかもが大きい、ビーストすら子供に見える程。展開していた特殊部隊の人達も動きを止めてただただ見つめているだけだった。

 前屈みに、前脚の二本を畳んで構え、何の予備動作もなくお腹の横から伸びていた砲身が爆熱し、真っ赤に燃えがる火の玉を高速道路に目掛けて発射した。被弾した道路は瞬時に爆発四散し、兵装車両を粉砕していった。さらに向きを変えて連続射出、高速道路に展開していた部隊は逃げる暇もなく全滅してしまった。


ーこれこれっ!やっぱいいねぇ向こうで溜まった糞は吐き出さないと腹が壊れちまう、おいテメぇら!食われたくなかったらその場で自害しな、なんつって!だぁっはっはっは!ー


 尻尾が二本生えたビーストが...喋って...いるのか?...信じられない、いやでも、確かに汚い言葉使いで話している。

 隣に立っているミハエルさんの様子を伺うと、予想に反した表情をしていた。てっきり驚いた顔をしていると思ったのに、険しい顔つきのまま何も変化がなかったからだ。


ーここはこんなもんかなぁ…やっぱ行くしかないっしょっ!ー


 そう、言葉を発したビーストが二本の尻尾を盛大に、それだけで数多の瓦礫を宙に舞わせてしまう威力を叩きつけてから街へ身を投げ出した。一瞬の出来事だった、ほんの少し前まで頼もしく走り回っていた特殊部隊の人達もその威勢を削がれ黙り込み、高速道路上に展開していた部隊も道路ごと粉砕されてしまい、駐車場は不気味にも静けさに満ちていた。



6.第十二区〜高速道路〜第十九区(Fight)



[全ての人へ、これを聞いて、動ける者は第十九区へ来るがいい、ハンザ上層連盟が責任を持って手厚く歓迎しよう、女は厨房へ、男は戦場へ、古の習わしに従い生きる術を与える]


 軍用車のスピーカーから低くしゃがれた男性の呼び掛けが、第十二区を出発した直後から何度も流されていた。


「お尻は平気かい?軍用車は乗り心地無視で作られているからね」


「はぁまぁ…」


 二本の尻尾を持った超巨大ビーストが去った後、おれはくまなく駐車場を探して回った。けれど、結局マヤサさんを見つけることが出来ず他の車両にもう乗ってしまって治療を受けているんだと、強く言い聞かせてからミハエルさん達と再び合流した。生き残った特殊部隊や他の人達は、軍用車に分散して乗り込みもしくは無事な一般車両をフルに使って大移動を開始していた。第十二区より上り方面は壊滅して走行できないので第十九区方面の下り車線をひた走っていた。時刻はお昼過ぎ、雨雲から降ってくる雨は勝手気ままで大粒だったり小雨だったりと降ったり止んだりを繰り返していた。蹴られた顔や撃たれた右手はミハエルさんに治療してもらっていたので痛みは引いていた、マヤサさんのことだけが気になっていた。

 来た道をとんぼ帰りして、スピーカーから流れてくる声を頼りに第十九区へ向かうことになった。一度、第一区まで戻りそこからさらに高速道路で数時間はかかる距離にあるらしく、第十二区から位置的に一番遠い場所にあるらしかった。

 サイドミラーを見やれば、雨の中を何台もの車が数珠繋ぎになって高速道路を走っているのが見えていた。そして前も、特殊部隊の人達が詰めている軍用車が何台も走っていた。


「ミハエルさんは第二区へ行ったんですか?」


「いいや行けていないよ、ファラ院長が無事かどうかは分からない」


「今まで何やってたんですか?」


「解散した特殊部隊を召集するのに時間を取られてしまってね、個人用の携帯端末が使えなくなったし、それに主要都市のベッドタウンでは火事が何軒も発生したりとてんてこ舞いだったんだ」


「それでショッピングモールにも来てくれなかったんですね」


「すまないとは思っているよ、天国でも頭を下げるつもりさ」


「下げてどうにかなるんですかね」


「………」


 聞こえているはずなのに返事が返ってこなかったので、おれも口を閉じて窓向こうに視線をやった。そこには、何とも醜く顔を歪めた冴えない男の顔が映っていた。

 

[くそダサ]


「?!」


 ...そういえば、荷台で休んでいる皆んなと会話ができるようにとミハエルさんからインカムを渡されていたのを忘れていた。左耳から文句を言ってきたのはアカネだった、どうやら会話が筒抜けだったらしい。


[くそダサ、何でエフォルはミハエルと話すとそんなにダサくなるの?]


「うるさいな、寝てろって」


[ダサい言葉に目が覚めた]


「お前…そう何回もダサいダサいって…」


[だってダサいんだもん、助けてくれた人に八つ当たりするなんて最低じゃない?あの女の人にはそんな事しなかったくせに]


「………」


[ミハエルに謝って、そしたら良いこと教えてあげるから]


「何だよ、アカネのスリーサイズでも教えてくれるのか?」


[あの女の人、別の車に乗せられるのをルリカが見たって]


「!」


[教えたから、ダサい言葉は謝っておいてね]


 そのまま会話が終わってしまい、安堵感に体が支配されてしまった。ちらりとおれを伺うミハエルさんの様子には気付いていたけど、それどころじゃなかった。良かった、ひとまず車に乗ってあの駐車場から離れることが出来たんだと、張り詰めていた緊張と不安から一気に解放されてしまい体から力が抜けていく。しゃがれた男性の声が一度聞こえたような気がしたけど、眠気に抗えずに目蓋を閉じてしまった。



 我関せずと、大海にそびえるビル群を目前にして分岐ジャンクションの下で雨宿りがてらに大移動していた人達が休憩を取っていた。車が停められた時に起き出したおれは助手席に座ったまま降りることなく体を休めていた、ミハエルさんや他の皆んなは滅多に来れない、しかも徒歩で散策できる大きな道路下を物珍しそうに歩き回り束の間息抜きを楽しんでいるようだった。そんなおれを見かねたアイエンが皆んなと離れて車に近寄り、偉そうにも運転席に乗り込んできた。


「運転できないだろ」


「何をそんなに拗ねているんだ」


 疲れていた。おれもそうだけど、アイエンの顔にもはっきりと疲れが色濃く出ている。けれど口調はいつもと変わらない、ルメラと仲直り出来たのかこんな異常にも慣れてしまったのかは分からなかった。


「拗ねてないよ」


「お前も降りてみろよ、なかなか面白いぞ」


「嫌だね」


「……今、自分達の区へ戻りたいって人らと揉めているみたいでな、俺達もどうしたいかミハエルさんに聞かれているんだよ」


「……そりゃ、そうか」


「あぁ、もう家もないなら仕方ないが、区で残っている家族と合流してから第十九区へ向かいたいって人もいれば、最後は家族と一緒に過ごしたいって人もいて一向に話し合いが進まないみたいだ」


「戻れるのか?ビーストがいるかもしれないのに?」


「だから揉めているんだよ、特殊部隊も散り散りになったら対応力が無くなってしまうから固まって移動した方がいいと、区へ戻ることに反対している」


「アイエンは?」


「俺は戻りたい、ファラが気になるし合流してから第十九区へ向かうべきだと思う」


「そんなにいいのか、第十九区がどんな所かも分からないのに」


「それも揉めている原因の一つだけど、少なくともこの異常事態で通信機器か施設か、持っているわけなんだから貧相ってことはないだろう」


「まぁ…それは確かに…」


「お前は?エフォルはどうしたいんだ」


 あり得ない解答が頭に浮かんできたので無視してしまった、だってあり得ないから。悩んでいると勘違いしたアイエンは軽く溜息を吐いた後運転席のドアを開けて降りていく。


「さっさと決めておけよ、それとさっきは悪かったすまない」


 自分が喋ってんのにドアを閉めてどうするんだ、逃げるように謝罪の言葉を口にして振り向きもせずに皆んな所へ戻っていくアイエン。助手席の上で身動ぎをした後サイドミラーを見やると一人の女性が近づいているのが映っていた。態勢を落として回りを伺っている、何かあったのかとドアを開けて声をかけた。もしかしたらまたビーストでも見かけたのかと思ったからだ。


「あの、何かありましたか?」


「!」


 そのまま女性は走って来て、あろうことかおれの胸ぐらを掴んで外に引っ張り出そうとした。思いがけない行動と力に気が動転してしまい、体の半分が外に出かかっていた。


「ちょっ、何を!やめ、止めてください!」


「降りろ!自分ばっかり良い思いをして!何もかも独り占めするなんて許されるはずがないわ!」


「何、をっ、」


「こんな!こんな事が許されるはずがない!いいから降りろ!降りて!テントも食料も持っているあんた達なら平気でしょう!私ら何もないの!」


 怪我をしているのにお構いなし、ぐわんぐわんと揺さぶられて痛みがぶり返してきた。掴む手に思いやりなんか感じられずあるのは敵意と拒絶。体はそんなまさかと目の前の現実を拒否していたけど頭では理解していた。この車を奪おうと女性は近づいてきていたのだ。


「何をしているっ!!離れろっ!!」


 ミハエルさんの野太い怒号におれも女性を身を竦ませ、力が緩んだ隙にミハエルさんが女性の襟首を掴み地面に引き倒していた。顔や腕にあざができたことにも気を払わず、悪びれた様子もなくそのまま車から逃げるように駆けていく。一瞬のことに呆然としてしまい、車の外から勢いよくドアを閉められた。フロントガラスには眉を寄せて不快に顔を歪めてミハエルさんが誰かと通信を行なっている、二股に分かれた道路から皆んなが車に向かって走っているのが見えていた。そして、閉められたばかりのドアを開け放ちそのまま皆んな所へ駆けて行く。驚いたミハエルさんを尻目に、屈強な男の集団に囲われてしまった皆んなの元へさらに急いだ。一人の男の人がルメラの手を掴み上げ、アカネやルリカにまで襲いかかろうとしていた。


「アイエンっ!!」


 おれの叫び声に我に帰ったアイエンが体格差も気にせず殴りかかっている、ルメラを締め上げている腕を解こうとするが別の男から後頭部を殴られもんどりうち、地面に倒れてもなおアイエンのみぞを蹴り上げていた。赤い血を吐いているのに攻撃を止めようとしない男を見て、腹を括った。


「?!止めなさいエフォル君!」


 一発の銃声が響き渡った。思っていたより反動があったことに驚いたが、銃口は下ろさず構えたまま連中を威嚇しながら近付いていく。


「さっさと離れろぉ!」


 右手でグリップを握り、左手で底を支えるようにして構える。腕に力を入れない、そう、まるで車のハンドルを握るように腕の関節をフリーにして持つ。撃たれた男は気絶してアイエンの隣に伏せて、他の連中は慌てたようにルメラやアカネ達から手を離して遁走を始めた。


「アイエン!」


「お前……持ってんなら、一声ぐらい…」


「アイエン!あぁ!早く、早く手当てをしないと!ミハエルさん!」


「早く乗りなさい!」


 手にしていた強化ゴム弾仕様の自動拳銃をしまうより早く、右手首をミハエルさんに捻られて激痛が走った。


「こんな物どこからくすねてきたんだ!!君のような子供が手にして良い物ではないっ!!」


「世話になった警官隊の人から譲ってもらったんだよっ!!撃ち方はお前ら軍人に受かりもしない採用試験の時に教わったんだっ!!」


「訓練場以外での発砲は重罪に処すと誓約書にも明記してあっただろ?!平和になってから牢屋に入りたいのか君はっ!!」


「おれらガキを当てにして軍隊作ってんのはお前達だろうっ!!それを今さら発砲したぐらいで何だってんだっ!!皆んなを守れるならいくらでも牢屋に入ってやるよ!!今から案内しやがれぇっ!!」


 あの時、ハウレスさんに引き上げれて怒鳴られていた時、おれの手にはハウレスさんの自動拳銃が握られていたのだ。グリップを持たされ、家族は君以外に守れないと言われて。その通りになった、ハウレスさんはこうなると予測して銃を渡してくれた...と、思いたい。いい、間違っていてもいい、後で必ず返しにいくから今はいい。

 おれもミハエルさんも怒鳴り声の応酬で肩で息をしている。いくらか落ち着いた後、静かで、けれど低く重い声音でミハエルさんが呟いた。


「何のために銃を握って人を撃つんだ」


「皆んなを守るためだよ、それ以外にない」


「それ以外の理由で銃を握ろうものなら俺は遠慮なく撃つぞ、いいな?」


「あぁ」


 これ見よがしに手首を離され、銃弾よりも痛く鋭い目を向けられた。車に引き上げていた皆んなの元へと急ぎ足で戻り、おれも歩みを進めたところで辺り一帯の光景が目に入ってしまった。どこも似たようなものだった、女性が襲われ男性が攻撃を受けて、特殊部隊の人達が乗っていた車に駆け込み、ごった返した道路を人を跳ね飛ばすのも構わずあちこちへと走り去っていく。ビーストではない、自暴自棄になった人達が襲っているのだ、見ていられない。さらに別の集団が近寄り、遠慮なく銃口を向けた。まさかおれみたいな子供が銃を持っているとは思いもしなかったのだろう、何をすることもなく逃げ出す背中を見て暗い喜びが胸の内に湧き上がった。



 怪我をしてしまったアイエンと変わって今度はおれが荷台に移った、固い装甲板の上には申し訳程度に毛布が置かれてそこにお尻を乗せて座っていた。第一区に入り、アイエンの願いは早々に断ち切られてしまった。第一区には合計四ヶ所のインターチェンジがあるが、その全てが混乱し無理やり乗り上げた車両によって封鎖されていたのだ。その付近には人の死体も転がりビーストの残骸もあった。ここを出る時は空いていたから、おれ達が一番早くショッピングモールを脱出したことになる。

 第一区を通り過ぎ、今朝方渡ってきた価橋を遠目に見ながら第十九区方面へと車を走らせていた、後ろには複数台の一般車両と軍用車。元から第十九区へ向かうつもりだった人達なのかは分からない、今のところは攻撃も追い剥ぎもされていないので敵ではないが、向こうに着いたら敵に様変わりするかもしれない。

 おれが荷台の入り口側、アカネやルリカ達は奥の運転席に腰を下ろして薄ぼんやりとした表情で静かにしていた。


「ルリカ、だ、」


「ひっ」


「…………」


 ルリカに声をかけようとした途端に、小さな悲鳴を上げられ荷台の壁際にさらに避けられてしまった。視線はおれにではなく手にした銃に吸い寄せられている。


「エフォル、しまって、ルリカが怯えているわ」


 言われるがまま上着の中に銃を隠した、けれどもう遅いようだ、敵意と恐怖を宿したルリカの瞳にいつもの愛らしさが戻ってこない。そんな様子を心配してアカネもその場から離れようとはせず、こんなに狭くて手の届く距離でもおれは一人ぼっちを強く感じていた。

 察した、さすがに察した。ルリカの怯えようを見ればどうして孤児になったのか、その経緯が嫌でも分かってしまった。けど、今さら無かったことにはできない。

 耳にはめたインカムから通信がかかってきた、相手はミハエルさんだ。


[もう直に到着するよ、後ろはどうだい]


「ルリカが銃を見てひどく怯えています……あとは、平気だと」


[そう……だが後悔はないんだろう?ここで泣き言を言うようなら、向こうに着いた瞬間取り上げるぞ]


「別に、言うつもりはありません」


 他の三人には聞こえないよう、なるべく声を落として会話を続けた。


[僕はねぇ、家族もいて友人もいて初恋の相手もいてね、立派な一軒家に住んでいて、将来は学者を目指して何不自由のない生活を送っていたんだ]


 ...何だ唐突に。


「下らない映画のあらすじですか?」


[いいや、それでね、学業も終えて社会に羽ばたいた時に現実を知ったのさ、君達孤児院の存在と、特殊部隊の人達と、人を襲うビーストの存在についてね、僕は本当に恵まれた環境で育っていたんだと思い知らされた]


「言葉使い…変じゃないですか、自慢話しでしょ?」


[それだよ]


 通信を切ろうかと思ったけど、他にすることもなかったので会話を続けることにした。


「何が?」


[僕の環境を「良かったね」と言えるその知識と経験さ、自分では苦労しているつもりでもその実さらに辛い事や苦しい事を経験している人達がいるんだと分かった時は、世界が崩れていく音が聞こえたもんさ]


「確かに遠くから聞こえますもんね」


 よく分からないので皮肉を交えて答えたが、向こうは我が意を得たりとさらに話しを続けてくる。


[あぁそうさ、自分の知らない所ではこんなにも辛くて苦しい事を経験した人達が沢山いるんだと悔しく思ったんだ、僕の苦労が全ておままごとに見えてしまうからね]


「ほんと失礼だなあんた、そんな事を言われるおれ達の身にもなれよ、好きで孤児やってるわけじゃないんだぞ?」


 敬語を使うことも忘れて言い返していた。さすがに言葉が届いてしまったのか、ルメラ達三人が顔を向けてくる気配が伝わった。


[あぁそうとも、その言葉は家族にも友人にも口説き落とした初恋の人にも、皆んなから言われたよ、それでも僕は軍人になることを選んだ、何故だか分かるかい?]


「ほんとクソ、意地張ってなったのか?そんな環境や周りの人達を捨ててまで勝ちたかったのかおれ達に?」


[あぁ、悔しかったからね、絶対に僕が皆んなを支えられる人間になって苦労してやろうと腹から誓ったもんさ]


 一拍置いて、上擦っていた声音を落ち着けてからミハエルさんが問うてきた。


[君にその覚悟があるのかい?銃を嫌う人間は、それこそ孤児院を出た人達の中にもごまんといるんだ、その人達から嫌われて遠ざけられてもなお、銃を握る覚悟があるのか?君はファラ院長に認めてもらうためだけに軍人になろうと試験を受けたのだろう?]


「落としたのは、」


[僕さ、わざと落としてやった、案の定君はたった一度落ちただけで二度目はなかった、一発で合格する人間なんて稀なのに、君には二度目の挑戦がなかったんだ、そんな「おままごと」感覚で試験を受けた君を見なければならなかった僕の身にもなってほしいね]


「…………」


 突然の罵倒にも、そんなふうにおれを見ていたのかという二重の怒りに唇をわななかせているとさらに畳みかけてきた。


[自分の全てを賭けられる意地はただの意地じゃない、人生そのものと言ってもいい、何も賭けられないならすぐに銃を捨てろ、ファラ院長を喜ばせる方法は他にいくらでもあるんだ、よく考えていなさい]


 皆んながいることも忘れて、通信を切られたそばから壁を怒りに任せて殴りつけた。


(ふざけるなよあの野郎っ!!)


 治療してもらった右手が痛みで疼いたが気にならなかった。



7.Special Flash(第十九区)



第十九区の街並みは一目で見ても、おれ達の街や第一区とは大きく違うのが手に取るように分かった。まるで絵本の世界、荷台に取り付けられた小さな覗き窓に背伸びをして見ていたアカネがそう、小声で呟いたのがはっきりと聞こえた。鉄性の素材がどこにも見当たらず全て木材や石材で作られた街並みは、お伽話に出てきそうな魔法の国を思わせてくれた。

 第十九区へ降りる分岐トンネルに潜り街並みが見えなくなったところでアカネがおれの隣にすとん、と腰を下ろしてきた。アカネもぼろぼろで、衣服も髪も汚れているのにその瞳だけは全く汚れず、今朝に見せた勝気な光を湛えていた。


「お風呂入りたい、ベタベタするし」


「ちゃんと髪も洗えよ、台無しじゃんか」


「エフォルも一緒に入る?」


「いいのか?なんならその小さなほくろを洗ってやろうか、今なら汚れと一緒に落ちるんじゃないか?」


「何だとぉー!これは落ちないって何回も言ってるのにぃー!」


 割りかし本気で肩やら頭を叩いてくるので痛かった、それを見かねたルメラが叱責してきた。


「静かにしなさい!」


「何か…ファラっぽい……」

「そうか?ファラの方がもっと優しいと思うけど」


 ルメラが腰を上げ平手打ちの構えで迫ってきたのでおれとアカネが二人して、狭い荷台の中を逃げ回った。


「こら!その口引っ叩いて素直にしてやるから大人しくしなさい!」

「何で!私まで!何も悪いこと言ってないのに!」

「そうだぞ!アカネはませてお風呂に誘っただけだぞ!」

「何その言い方!元気がないエフォルを励まそうとしただけなのに!」

「それならルリカが先だろ!それにルリカも最近のファラは!怖いだけで!ちっとも優しくないって!言ってたぞ!」


「……え?…え、え?」


 角に追い込まれ、ファラの早くもない平手打ちをひょいひょい躱しながら、運転席側の壁に寄り添うように一人で座っていたルリカも巻き込んでやった。言われたルリカは何のことかと目をぱちぱちとさせている。


「本当なのルリカ!」


「え?!言ってないよそんなこと!」


「な!アカネ言ってたよな!」


「言ってた!いっつも悪口言ってるよ!」


「言ってないよそんなことぉ!何でぇー!やめてぇー!」


 ルメラが平手打ちの標的をおれからルリカに変えて駆け寄り、それにビビったルリカが立ち上がって一緒になって逃げ回った。


「はぁ、はぁ、いいの二人とも?そんなにエフォルと一緒になって」


 少し疲れたのか、息せきを切り始めたルメラがとんでもないことを口にして場をさらに混沌とさせてしまった。


「たまにね、エフォルはね、二人の脱いだ服の匂いを嗅いでいるんだよ?そんな変態エフォルのそばにいて、いいのかなぁ?」


 何て悪い笑顔。


「えぇー!」

「やだぁー!変態やだぁー!」


「ばか!そんな事するわけないだろ!騙されるな!あれはルメラの作戦なんだぞ!」


「叩かれた方がマシぃー!」

「ルメラぁー!助けてぇー!」


「待てこら!逃げるな!一人にするなよおれが叩かれるだろ!」


 今度はおれが二人を追いかけ回す番になり、ようやく角に追い込んだという時に車ががつん!と何かに乗り上げた、その弾みで立って遊んでいた皆んなが盛大に尻もちをついてしまった。体が一瞬宙に浮いた時は心底焦った、アカネ達やルメラもびっくりしたような顔をして、そして誰からともなく笑い声を上げていた。



「随分とお楽しみだったみたいだな、こっちまで騒いでいた声が届いていたぞ」


「はぁ…そんなんじゃないよ、命がけで仲直りしてたんだよ」


「?」


 第十二区とは違い、街へ入る手前にサービスエリア等もなく分岐トンネルを抜けた先は大きな駐車場と既に魔法の街並みが広がっていた。おれ達の後からも陸続と車が降りてきて、さらに仮説テントではなく大きめのバンが何台も停まっており街の人達が慌ただしく動き回っていたので騒然とした雰囲気があった。

 一人の女性がこっちに駆けてきた、思わず体を強張らせてしまったが追い剥ぎではないらしい。手には携帯食料やらお菓子やらウェットティシュやらがぱんぱんに入った袋を持っており、一人一人に有無言わさず押し付けてからさらに別の車へと走っていった。


「な、何だったんだ…」


「さぁ…でも、これ一人分、なんだよな?」


「誰にお金を払ったら…」


「そんなものはいらないよ、好きに使ってくれて構わないから」


「?!」

「?!」


 アイエンと二人して、いきなり背後から声をかけられたのでびっくりしてしまった。後ろを見やれば、()()色が抜けたように見える黒い髪を長く伸ばし、濃い顔つきをした若い男の人がひっそりと立っていた。歳はミハエルさんと同じぐらいだろうか...ほんの一瞬、おれに視線を向けたあと和かに笑って歓待の言葉を述べてくれた。


「大変だったみたいだね、状況が落ち着くまでゆっくり休んで、まぁここも安全とは言い難いけどね」

 

 何でそんな不安になるような...けれど第十二区とは比べものにもならない待遇に安心したのは間違いなかった。


「これは、皆んなの分なんですか?」


「とりあえずはだよ、今ホテルや空いている民家を明け渡せるように準備しているところだから、もう少しだけここで待ってもらってほしいんだ」


「はぁ…ホテル…お金……」


 そこでふふっと、上品に口を隠して男の人が笑った。


「だから心配は要らないよ、逃げ出してきた人達からお金は巻き上げたりしないから」


 アイエンと目配せする。そんな事ってあるのか?魔法の街にタダで滞在できるなんて...けどまぁ、そんな美味い話しがある訳もなく、というかスピーカーから呼びかけていた内容にもきちんと入っていたではないか。徐に男の人が口を開き、どこか申し訳なさそうに注釈してくれた。


「けれどその代わり、働ける者には働いてもらう、それが約束事になっちゃうけど…嫌ならその袋を持って別の区へ行くことになる」


「何でしょうか、働くって…」


「聞いていなかった?女は厨房へ、男は戦場へ」


 上着の中に隠していた拳銃が、その重たさを増したようだった。


「君達には武器を持ってもらうのさ、敵が攻めてきた時に自分達の身の周りを守れるようにね」



「反対です!我々の中には年端もいかない子供達もいるのです!それなのに武器を持たせるだなんて!」


「誰が子供に武器を持たせると言ったんだ」


「しかし!現に彼らには武器が渡っているではありませんか!合法だろうと非合法だろうと子供を戦場に出すだなんて!」


「今は有事、道徳や秩序が安全をもたらす世界ではなくなったのだ、己が戦わねば明日はない、家と食料を守る戦士が安全をもたらすあってはならない世界になった、綺麗事は胸に秘めておけ」


「君!君達!今すぐにその武器を手放しなさい!」


「い、嫌です!」


「彼らは自ら志願した、戦う権利を奪うのは命を蔑ろにする事と同義だ」


 おれとアイエンの前では、ミハエルさんとドーナツおじさん(ドーナツを半分にしたように禿げているから)が言い合いをしていた。いや、側から見ればミハエルさんが突っかかっているようにしか見えなかった。

 男の人に案内されたのは駐車場から暫く歩いた先にあった広間前の建物だった。一階正面に構えていた門扉は固く閉ざされており、建物の脇に置かれた木製の階段をぎこぎこ鳴らしながら登っていった。二階に置かれた、これまたお洒落な木彫り細工が施された扉を開けて中に入ると、秘密の隠れ家のように所狭しと本棚が置かれ、あ!あれ非売品の...あー!あれ!え?!うそ何ここ楽園?!と、紙製かつショッピングモールやネットでも売られていない本が並べられていた。天井からは小さくてもしっかりとしたシャンデリアが吊られてその下には頭をぴかぴかにしたドーナツおじさんが椅子に腰かけて、おれ達を待ち構えていたのだ。そして、後からミハエルさんが他の男性を引き連れて、今のような言い合いに発展していた。

 確かにおれとアイエンの手には武器が握られているが、非殺傷性武器、強化ゴム弾仕様の自動拳銃だ。おそらくビーストではなくこの街に後からやってくる人達の中に紛れた追い剥ぎ連中を撃退するためのものだろう。それがどうしてこのミハエルさんは慌てているのか...


「!」


「君、上着の下に隠しているものを出すんだ、二つもいらないはずだ」


 び...びっくりした...ドーナツおじさんが何も言わず、おれが気付くまでじっと睨んでいたから。それにどうして隠していた銃が分かったのだろうか、本棚に向いていた気をドーナツおじさんに向けて思わず質問していた。隣からアイエンが小突いてくるが口から出たものは仕方がない。


「あの、銃を持っているから、なんですが…どうして分かったんですか?」


「歩き方を見れば一目瞭然だ、それに君だけ銃を見ても顔色一つ変えずに受け取った、既に持ち、なおかつ懐に隠しているのは簡単な推理の結果さ」


「あの、」


 また小突かれた。


「もしかしてあの本棚にはミステリー小説が、あったりしますか?」


 それまで無感動に向けていた瞳の色が変わった。


「ほう、君はその歳で本を嗜むのかね、街の人間ですら見向きもしないといのに」


「はい!あ、良かったらあの十人の兵隊さんの本を貸してもらえたら……」


 横から「お前いい加減にしろよ調子に乗るな!」と怒られたがそれどころではない。内容がオリジナル、かつ初版本なんてマニアも気絶してそのままあの世に召されるレベルで貴重なものなんだ。


「それは君の働き次第だ」


「はい!」


 ミハエルさんもアイエンもかぶりを振っている。けど気にならない。というかこの人、スピーカーから流れていたあの人だよな。その事を部屋から出て階段を降りている時に二人に問いかけると、ものの見事に無視をされてしまった。

 ちなみに銃はドーナツおじさんから受け取った方を返した。あの時渡してくれたハウレスさんに悪いような気がしたから。



 女は厨房にって...こういう意味だったのか?


「うぇ何これ、ぬるぬるする……」

「触って大丈夫?痛くない?」

「ルリカ!私をじっけん台にしてくれたな!こうしてやるっ!」

「やぁー!ぬるぬるぅっ、気持ち悪いっ」

「こら!真面目にやりなさい!」


 おれ達に割り当てられたホテルはとても小ぢんまりとした所だった。あの建物前の広間から路地に入り、車なんかは絶対に通れない細い通りを歩き、大きな樹が一本立ったそばに建てられた古いホテルだった。赤い屋根に同じデザインの窓が通りに面した壁に設けられて、玄関はまるで秘密基地のように一つの明かりを灯してひっそりと扉があり、中に入ればすぐに中庭が見える大きな窓もエントランスに設けられていた。そこから見える中庭では、昔の服なのか、白い布を三角にして頭に巻き付けて色合いは地味だけど可愛いらしい服にエプロン姿という出で立ちで、服を一生懸命洗っている三人がいた。木製の大きな器に服を入れて水浸しにして、ルリカの言う通りにぬるぬるする何かを入れて洗っているところだった。


「あれ何してんの?」


「さぁ」


「服を…洗っているんだ、よね」


 ミハエルさんも知らないらしい。何か皮肉でも言ってやろうと反骨心がむくむく出てきた。


「育ちの良いミハエルさんでも知らないことってあるんですね」


「そりゃ勿論さ、可愛げのないファラ院長の子供に手を焼かされてばかりいるからね、勉強する暇もないんだよ」


「なら、ミハエルさんの育ちがさらに良くなるように後であの三人を叱っておきましょうか?」


「そりゃいいね、お願いできるかい?怒った分だけ自分のためにもなるから、きっと素晴らしく成長してくれるだろう」


 まさか皮肉が返ってくるとは思わなかったのでさらに皮肉で返すと簡単に止めを刺されてしまった、何も言い返せない。「お前の負けだ」とアイエンに睨まれてからすごすごと退散した。L字型に作られたエントランス兼リビングルームは端っこに二階へ上がれる階段があり、そこに向かう途中にお風呂場やダイニングスペースがある。それらを通り過ぎて昼間だというのに暗くて狭い階段を登り、壁に掛けられた小さな絵を見るともなしに見ながら二階へ上がる。一階と同じようにL字型になっており、階段を登ってすぐの部屋がおれに割り当てられたところだった。扉横には腰ぐらいの高さしかない低くて丸いローテブルが置かれ、背中に尖った板をくっ付けた変わった木の人形がぽつんと置かれていた。


(気味が悪い……)


 なるべく無視して扉を開けて部屋に入れば、やっぱりここは秘密基地なんだと改めて思った。ホテルのそばに立っていた、樹の枝葉の隙間からは通りに面した向かいの建物が見えて、斜めに作られた天井には星見ができるようにか、まん丸い天窓もあった。生憎今は曇り空だが、晴れた日の夜は星空が見えることだろう。自分の置かれた状況と立場も忘れて束の間わくわくしてしまった。いつか、落ち着いたらファラもここに連れてきたい。

 ベッドだけが唯一の不満だが、小さいだけマシかもしれないとネイビー色のこれまた洒落たシーツにぽすんと腰を下ろした途端に横になってしまい、もう立ち上がれる気がしなかった。



『………………………………』


『………………………………』


『………………………………』


「あぁ、待って…………」


 まさか自分の寝言を聞いて目が覚めるだなんて...生まれて初めてだ。

 時間はそれ程経っていないみたいだ、寝転がったまま見上げた天窓はまだ太陽が昇っているらしく、それに雲の切れ目から黄色に染まった空が見えていた。一時間かな、それぐらいしか寝ていないのに体はとてもすっきりとして頭もシャキッとクリアになっていた。やはり固い座席ではなく小さくても柔らかいベッドの方が良いらしい。

 態勢を起こしてベッドに腰かけた時に扉が上品にノックされた。軽やかに二回、こんな叩き方するのはどうせ育ちの良い皮肉屋のあの人しかいないと思って乱暴に扉を開け放つと、


「いった!」


 ごつん!と誰かにぶつかった、それも声は下の方から。


「え?ルリカ?あ!ごめんよ、つい、大丈夫?!」


「…………」


 白い布を三角して巻き付けたまま、中庭で見た装いのルリカが涙目でおれを見上げていた、おでこは赤く腫れており扉が当たってしまったのが一目で分かった。それに強い既視感。さっきまで見ていた夢にでもルリカと似た格好をした女の子が出てきたのだろう。


「痛む?痛むよね、ごめんね、乱暴に開けちゃって」


「……ううん、平気」


「えっと、何かもらってこようか?痛みが引くようなもの」


「ううん、それより部屋に入ってもいい?」 


 え昼這いですかと言いかけて慌てて口をつぐんだ。ルリカはそのまま部屋に入って、くるりと見回した後、おれがさっきまで寝ていたベッドに当たり前のように腰をかけた。


「何か、あったのか?」


 そんな様子だった、少しフリルの付いたスカートを両手で握り締めて、とても遊びに来たようには見えない。何か言いたそうに口を開いたり閉じたり、そして意を決したのか今まで聞いたことがなかったルリカの昔話しをしてくれた。


「……私、ファラのところに来るまでは家族とかいたの、当たり前、なんだけど…」


「うん、皆んなそうだよ」


「それでね、うんと前にビーストが襲ってきた時に、黒い鉄砲を持った人達に襲われたの、それだけははっきりと覚えていたから、だから、さっきは……」


 荷台でおれのことを怯えて遠ざけたことを気にして...いたんだよな。だからこうしてわざわざ謝りに来てくれたんだ。


「いいよ、おれじゃなくて銃に怯えていたんだろ、はっきりと銃を見ていたからすぐに分かったよ」


「で、でも!私!」


「いいよ、すっごくショックだったけど、怪我した時より心が痛かったけど」


 「それを怒ってるっていうのぉ!」と泣きながら抱きついてきた。


「だからさ、な?今度はお互いあんなことしないようにもっと仲良くなろうよ」


「うぇん!ふぅうええん!!わがっだぁ!!」


 もう、あの時の恐怖も拒絶もすっかり消えて、涙で潤んだ愛らしい瞳を真っ正面からおれに向けてくれた。そのおかげで、胸の内に残っていた夢の残滓も洗い流され、寂しさに包まれていた心に優しい黄色の光が差し込んだ。



「失礼する、ここには第十二区から避難してきた者がいると聞き及んで参ったのだが、間違いはないか?」


「は、はぁ…その失礼ですが、あなたは?」


 ミハエルさんの言葉を聞いた突然の来訪者がその場で膝を付いた、何なんだ?


「あぁ…ここにも礼儀正しき若者が…きっとお前さんもいつかは呼び捨てに変わるのであろうな……」


 リビングで皆んなが思い思いにソファに座り、さぁ今からご飯だと携帯食料のパッケージを開けた時にいきなり入ってきたのは、つるりと見事に禿げた年老いた男性だった。確かに顔にはしわがあるのに体付きはミハエルさんよりしっかりとしており、腰にはよく分からない大きな布を巻いていた。


「あの、もし配給品を希望でしたら……」


「いや、何でもない忘れてくれ、失礼なのはこちらなのにお前さんの礼儀正しさに胸を打たれただけさ、気にしないでくれ」


 気にするわ、何なんだこっちは今からご飯を食べるところなのに。


「ここに、エフォルという少年はおるか?警官隊のマヤサから紹介されて参ったのだが」


「は、はい!おれです、マヤサさんを知っているんですか?!」


 ご飯を待たされているイライラも忘れて、思わず立ち上がっていた。


「あぁよく知っているとも、君か、エフォルという少年は」


「そ、そうですけど…いや!それよりマヤサさんは?!無事なんですか?!」


 おれの慌てようにアイエンとルメラが面食らい、アカネとルリカが何故かご機嫌ななめになっていた。


「命に別状はない、お前さんも最後までいたなら言わずとも分かるであろう、ここで言うべきことではない、後でこの街の医療機関に顔を出せ」


「………」


 安堵と激しい胸騒ぎが起こった。おれが最後に見た時は目が大きく...でも、良かった、殴れる機会があるんだ。


「それで、彼に一体どんな御用が?申し訳ないのですが、僕達は今から食事を取るところでして……」


「すまない、外で待っていよう、食事が済んだなら声をかけてくれ、この場にいる全員に言わねばならない話しがある」



「ぴゅーま……ピューマ?」


「ああそうとも、ピューマには廃棄されたカリブンを浄化する力がある、それを使ってこの街の再資源化計画を進めているところなのさ」


 禿げ頭のおじいちゃんはマギールという名前の人だった。マヤサさんとは知り合いで、第十二区で起こった騒動について調べているらしく、病院で手当てを受けているマヤサさんに嫌味を言われながらも教わりおれの所までやって来たらしい。そして、伝えたい話しというのが、その、ぴゅ、ピューマ?初めて聞く、勿論ネットにも上がっていない名前だった。


「それでお前さんは電話口から儂に助けを求めたであろう、確かにお前さんのような声を聞いた気がするぞ」


「あの時は…ただ、政府の人と話しをしていると思っていたので…それに無我夢中で…あの!言っておきますけど先に喧嘩を売ってきたのは!」


「マヤサからも聞いておる、案ずるな、儂が邪魔してまで聞きたいことは一つだ、アコックという男は分かるか?細身の中年だ、あの場にいたはずだぞ」


 アコック...っておれの手を撃ったあの人だよな。


「はい、見ました」


「いたんだな?それで奴は何を言っていたんだ」


「お待ちをマギールさん、民間人をこれ以上ごたごたに巻き込むのはさすがに見ていられません、何か事情がおありなのはお察ししますが、然るべき手続きを踏んでからにしていただけませんか」


 礼儀正しいのかぞんざいなのか、変な言葉使いでミハエルさんが割って入ってきた。


「安心せよ、ただの事後確認だ、マヤサから事の顛末は聞いておるんだ、それに儂は生憎だが政府関係者ではない、立つべき法廷もありはせんさ」


「……その、ここまで事を運ぶのにどれだけ苦労したと、とか、ビーストのみならず人間に邪魔されるなんて、だったような気がします」


「そしてお前さんは右手を撃たれたんだな?」


「エフォル?!」


 叫んだのはルメラだ、アイエンも他の二人も豆鉄砲を食らったような顔をしていた。


「どうして嘘を吐いたのよ!飛んできた瓦礫が当たったって言ってたじゃない!!」


「ご、ごめん、あんまり不安にさせたくなかったから、政府の人に撃たれたなんて聞かされたら……」


「ふむ、お前さんはどうしたい?あの男に処罰を求めるか?」


 ここではっきりと口にしてしまった。


「す、好きにしてください、それよりビーストを処罰してほしいです」


 何を言われたのか分からない、そんな顔をマギールさんがした。それを見て何だか恥ずかしくなってしまったので一気に捲し立てた。


「だって!皆んながおかしくなったのはビーストのせいですよね?その人だけじゃなくてアイエンもルメラも、アカネやルリカだって普段はやらないようなことを言ったりやったり喧嘩し合ったので!人が悪いとは思えません!だから、そのビーストを処罰してくれたら元通りになるかなって!」


「………それは無理な相談だ」


「ですよね…すみません…」


「いいやビーストではない、人の話さ少年よ、お前さんは仮にビーストが殲滅されたとして、お前さんが見てきた事をなかったことにできるか?」


「………………無理です、ね」


「ならばどうするね」


「…………分かりません」


「簡単な話さ、ただ互いに向き合えば良い」


 ふと、視線を上げてマギールを見るととても優しい目付きになっていた。


「悪い所だけ見て見ぬふりはできん、ならばそこも見据えて付き合っていくのが本物だと思わんか?難しい話しだが、互いに言葉を交わせるなら簡単な話しだよ」


「……は、はい」


「儂の知り合いにも、不器用な男女が二人いてな、互いに思いやるが故に踏み込めず遠目から眺めているだけの者がいる、だが不思議と呼吸も合って大変仲が良い、言わんとしている事が分かるか?」


「分かりません!」


 アイエンが下を向いて、それに釣られてルメラも他所を向いているのが横目に入ってきた。


「千差万別という事さ、お前さんはお前さんなりの形を、その思いを土台にして築いていくがいい、失敗すればする程に仲が深まっていくはずだ、ただし人から逃げるな、それこそが真の失敗だと思え」


「はい!」


 よく分からないけど元気良く返事しておいた、途中から何を言ってるのかちんぷんかんぷんだったけど励ましてくれているのは何となく分かった。


「ならば良い、ついでにお前さん方に頼みがある、引き受けてくれるか?こいつを渡しておくから大事に持っておれ」


「はい!あ!」



 もう、色んな人から文句を言われた。「安請け合いをするな!」「真面目な話しをしている時に笑わせてくるな!」「どうして分からなかったの!私に言ってくれたことそのまんまだったよ?!」「あ!って何!あ!って!」「自分から言い出しておいて途中で飽きるのはエフォルの悪い癖だよ!」つまり皆んなから言われた。

 マギールさんのお願いは、この街の名物になっている「黒い湖」のそばに建っている、ある家に赴いてほしいとのことだった。出かけるのはおれと何故かミハエルさん。あれだけ怒っていたくせに当たり前のように面倒を見ようとするのがムカつく。


「エフォル、分かっているよね?次も嘘吐いたらどうなるか分かっているわよね?」


 信用を失ってしまったようだ。さっきから同じ事を何度も聞いてくる。


「分かってるよ、次は吐かないから」


「ミハエルさん」


「ああ任せてくれ、彼のことは事細かく後で報告するから」


「ちゃんと!言うから!」


 おれの叫びも虚しくミハエルさんと二人肩を並べて、指定された「黒い湖」へと足を向けた。

 細い通りを抜けてすぐ同じ作りをした建物の通りに出た。これは...倉庫?だろうか、気難しそうなおじさんが建物の前を掃き掃除している。睨むように見られた後何事もなかったように掃除に戻り、それを横目に入れながら前を向くと隣からミハエルさんが気さくに話しかけてきた。


「あの人もピューマについて知っているのかな」


「信じるんですか?あんな与太話し」


「……あのマギールという男性には、つくづく思い知らされたよ、この危機的な状況を僕達軍人も間接的に作っていたことをね」


 どうしてあんな話しを皆んなの前でしたのか。それは知っている者と知らざる者の壁を取り払い、対応力を均衡に保つため、らしい。

 倉庫の通りも抜けて、少し開けた場所に出た。変わらず石畳だが至る所に花の模様が形作られ華やかな通りになっていた。


「自覚があるってことは、何か黙っていることがあるんですよね?」


「あぁ、第十二区で現れた言葉を使うビーストも軍の中では噂として存在が知られていたんだ、それにピューマと呼ばれる生き物も各区へ移送されているという話しも聞いていたんだよ」


「は?」


「それに大規模停電についても予測ができた事なんだ、高高度で核燃料を爆発させれば強力な電磁パルスが発生して、処置が施されていない電子機器はその餌食になってしまう」


「………」


「けれどね、この情報を平和な時に流して何が予想されると思う?」


「……それを悪用して、犯罪が起きる…ですか?」


「そうさ、ピューマに関しても、カリブンを再利用できると知ったら、何が何でも確保しようと皆んなが躍起になるのは予想するまでもないことだろう?何せお金が要らなくなるんだから」


 そりゃそうだ、何せカリブンが一番の金食い虫なんだから。申し訳なさそうにして話すミハエルさんの言わんとしている事は何となくだけど分かったような気がする。けれど、だからといって、


「でも、黙っておかないとピューマを狙う人が増える一方なのでは?」


「そうだね、どの情報を教えて、どの情報を秘匿するかは、もしかしたら誰にも分からない事なのかもしれない、けれど事が起こったからには詳かにしないといつまで経っても混乱が収まらない」


「はぁ……」


 まだ何か言いかけたミハエルさんを他所にして、通りに建っていた色鮮やかなガラスが貼られた建物よりさらに向こう、避雷針の先に、部屋の前に置かれた気味の悪い人形を見た気がしたので一瞬、我が目を疑った。


「どうかしたのかい?」


「あ、いえ、何でも……」


 ミハエルさんに、アカネが見たという赤い人形について聞こうかと思いはしたけど、目的の建物が見え始めていたので口をつぐんだ。



 とても立派なホテル...ではなかった、家、なのか?こんなに広いくて大きい家が世の中にはあるのか...マギールさんに言われてやって来た目的の家は、とにかく広くて大きい。建物の玄関前には庭があり、さらにそこから離れた場所におれ達が立っている門扉があった。


「ここの…ようだけどね、どうしたものか…」


「とりあえず鳴らしましょうよ」


 ミハエルさんの静止も振り切り、これはおれ達の孤児院と変わらないんだなと思いながらインターホンをプッシュした。程なくして、無音だったスピーカーから応答する音が聞こえ、とても怯えたようなあばあさんの声が流れてきた。


[は、はい……何で、ございましょうか…]


「突然の訪問失礼致します、私共はマギールという方からの使いの者なんですが…」


[…………]


 聞こえている、よな?それなのに返事が返ってこない。一度ミハエルさんと目配せした後そのまま訪問した内容を告げた。


「こちらに預けられているピューマについて、様子を見てくるように仰せつかって参ったのですが、」


 その言葉を聞いた途端、黙り込んでいたおばあさんから劇的な反応が返ってきた。


[何も知りません!おかしな事は言わないで下さいまし!今すぐに帰ってくださいなっ!]


「な!お待ちください!我々は!」


 そのままインターホンを切られてしまった。


「何なんですか?何かあるのは火を見なくても分かりますよね」

 

「何かあったのだろうね、しかし、門を開けてもらわないことには……」


 このままではお使いを果たせないと途方に暮れかけた時、建物の中から断続的な発砲音が聞こえてきた。


「!」


「まさかビースト?!」


 さらに二発。さらにもう一発、建物の中が異常事態に見舞われているのが分かったので、やむなしとミハエルさんが門扉を飛び越えて中に侵入した。軍人が入ったら大丈夫だろうとおれも門扉を飛び越えてミハエルさんの後に続いた。それに遠い、こんなに遠い玄関前の庭は初めてた。息せきを切りかけた時にようやく建物の扉に到着し、問答無用でミハエルさんが扉を力一杯に叩き始めた。


「ここを開けてください!ビーストなら無理せず逃げてください!聞こえていますか!聞こえていますかぁ!!」


 返事はない。


「エフォル君!一緒に扉に当たってくれ!」


「は、はい!」


 いつもとは違う雰囲気のミハエルさんに押されて素直に頷いた、何度か二人で体当たりをした後扉の鍵が壊れて中に勢いよく開いた。建物の中はさらに凄かった、赤く刺繍された絨毯が前にも横の通路にも伸びて、ドーナツおじさんと話した部屋に吊るされたシャンデリアなんか目じゃない程、大きく煌びやかなシャンデリアがエントランスに吊るされていた。発砲音は右の通路の先、ミハエルさんと立ち位置を変えておれが後ろに付いて真っ直ぐに駆けて行く。角の向こうでまた発砲音、それにしてもやけに静かな、その疑問はすぐに解決した。


「ご無事ですかっ!」


「来るなぁっ!!」


「!」


「いいかぁ、来るなよ、近づいたらぁ、これで蜂の巣にしてやるぅ……」 


 角を曲がった先には、姿勢が良いおじいちゃんがショットガンを構え、その銃口をおれ達に向けていた。玄関から続いていた赤い絨毯はこちらまで続いており、廊下に面した窓から差し込む光を受けて三体の銀色の何かが絨毯に倒れていた。短い前足はまだ微かに動いているようだが...まさか、あれがビースト?


「その足元に転がっているのは?あなたが倒したビーストですか?」


「ビーストぉ?あ、あぁ!そうともビーストだ!私が倒したビーストだ!だから君達には関係のない話だっ、ははっ、」


 興奮状態なのか、目の焦点が合っていない。それに口元は、ルリカが触っていた液体のようにぬらぬらと光っている、涎か?何故?それに何より...おじいちゃんの股間が大きく膨らんでいる。


「ならば、銃口を向けるを止めていただきたい、そちらのビーストは我々が処理しますので」


「ならん!それだけはならん!まだまだ殺し足りないのだ!こんな素晴らしい娯楽を貴様らにっ」


 そこでようやく正気に戻ったのか、力なくショットガンを下ろして、わななく口を隠そうともせず震え始めた。


「ミハエルさん」


「いい、君は見なくていいから下がりなさい」


 小声でやり取りをして、下がろうとした時にどこからともなく複数の声が聞こえ始めてきた。


「"何がビーストだ!おれ達をそんなものと一緒にするな!何回も何回も銃で撃ちやがって!このイカレぽんち!"」

「"今すぐここから出しやがれ!こんな所で何回も撃たれるぐらいなら暗い倉庫に閉じ込められた方がマシだ!"」

「"そうだ!今すぐに帰せ!くそえろマギールに言いつけてやる"!」


 な!何?!どこから?!いやおれのポケットから?!


「この声は何だ!!どこからだ!!どこの誰がそんな出鱈目を言っているんだ!!」


「"ここだよイカレぽんち!お前の足元に転がるおれらが見えないのかっ!"」


 足元...ってまさかあの銀色の?マギールさんが様子を見に行けという意味がようやく分かった気がした。マギールさんからもののついでのように渡されていた端末は電話をするためのものではなかった。手にした端末に向かって話しかけてみるとすぐに返事が返ってきた。


「き、君達は、もしかして、ピューマ?」


「"見れば分かるだろ!ぼさっとしてないで助けてくれ!"」


 おじいちゃんが大きく足を上げて、横たわる自称ピューマを踏み付けた。


「このくそっ!くそ!くそ!獲物は黙って殺されたらいいんだ!余計なことを余計なことをぉ!!」


「止めなさい!」


「"そんな汚い足で殺せると思ってんのかイカレぽんち野郎!きったない股間見せつけやがって!"」


 端末から「そうだ!そうだ!」と合唱が始まったので慌てて端末の電源を切ってしまった。これ以上おじいちゃんを刺激しても良くないのにこのピューマは!


(何がどうなって?!ピューマって言葉が使えるのか?!)


 ピューマについては未だ頭が追いつかないが、状況は理解できた。このおじいちゃんは手にしたショットガンでピューマ達を撃っていたのだ。


「止めろと言っているのが聞こえないのか!!」


「止められると思うかね?!こんな!こんな楽しい何より気持ちいい娯楽を知ってしまったんだ!アンドルフが描いていたあの絵画もようやくその真意を理解できた!」


 また錯乱状態に入ってしまったおじいちゃんは支離滅裂な言葉を矢継ぎ早に発して、足元に横たわるピューマを次から次へと踏み付けていく。ピューマの胴体から足がちぎれ、尻尾もちぎれてしまい、明らかな死体へと変わっていく。

 おじいちゃんよりさらに奥、ふくよかなおばあさんが駆けてくるのが見えた、その顔は悲壮感に彩られて目には涙を湛えていた。


「あなた!あなた!お止めください!この街にもビーストが現れたとっ!」


「邪魔をするなと言っているのが分からんのかぁっ!!」


 はっとした時には遅かった。おじいちゃんが振り向き様にショットガンのトリガーを引いていたから。発射された散弾が壁となっておばあさんを襲い、まるで紙人形のように吹っ飛ばされてしまった。そして、建物の中にいても聞こえる程のサイレンが鳴り響き、この通路で身動ぎ出来る人は誰もいなかった。



「はぁ…はぁ…ははっ、はははっ、最高の気分だ、命の上に立つという興奮は、どんな娯楽よりも、はははっ!はははっ!!」


 その言葉だけを聞き届けて豪華に飾り付けされた寝室の扉を閉めた。

襲撃を知らせるサイレンから半時間程、未だおれ達は建物の中から身動きが取れずに進退窮まり、出るに出られない状況が続いていた。ビーストの襲撃は、ここまで人を狂わせるのかと怒りにも似た感情が湧き上がってくるがなす術もなく持て余しいた。

 寝室を後にして一階のエントランスへと足を向けた。おじいちゃんが手にしていたショットガンは実弾ではなく強化ゴム弾を使用したものだった、不幸中の幸いでおばあさんに命の別状はないが、ひどい怪我をしてしまい寝たきりになってしまった。

 エントランスに到着すると、ぼろぼろになったピューマ達を連れて赤い絨毯の上に寝かせ、その前で床に胡座をかいていたミハエルさんがいた。


「様子は?」


 首だけ振って答えた、口にしたくもなかった。身内を撃っておきながらあの言葉。


「さて……どうしたものか、ここにいても状況は変えられない、かといってあのおばあさんを置いて出て行ける訳もない」


「でも、おれ達の武器では到底かないっこないですよ?助けに外へ出た方が……」


「あの男の話しを忘れたのかい?第十九区に警官隊も部隊も存在しない理由がよく分かったよ」


「まさか自衛?」


「だから一般人がショットガンなんて代物を手にしていたんだろう、全てが最悪だ…こんなに裏目に出ることがあっていいのか……」


 あのミハエルさんが頭を抱えて苦悶の声を漏らしていた。

どうしものかと、皮肉でも言って景気づけてやろうかと考えた時にエントランスの奥の扉が開いた。杖をつきながらショットガンに飛ばされ重症を負ったおばあさんがゆっくりと歩いてきていた。


「何を!安静にしてないと駄目ですよ!」


「いえ…いいのです…それよりも、あの子達は……」


 見せられないと素早く横たわるピューマの前に立ったが遅かった。


「あぁ、何て事……あぁ…そんな、何て、あぁ……あぁ……」


 横たわる、無残な姿を見てしまったおばあさんがその場に座り込んでしまった。目から大粒の涙を流して拭おうともしない。


「……あなたは、あの男性を匿うために、我々を追い返そうとしたのですね」


「……同じ事です…止められなかった私も……ずっと絵画に興味を持っていたのです……殺しの精神が分からないと非難しておきながららずっと……それでも……こんな……」


 ミハエルさんがおれに視線を寄越した、言わずとも意味が分かったので、ピューマ達の声が流れてくる端末に電源を入れておばあさんに渡してあげた。ほんの少し、また文句ばかり言う声が流れてくるかと期待したけど、何もなかった。


「…あの、よく分かりませんが、この端末はピューマと会話ができるみたい、なんです、さっきまで元気な声がずっと流れていました」

 

 馬鹿にした訳でもなくただ端末を見つめ、恭しく受け取った。


「……この奥に、実弾が撃てる銃が、何個かあったはずです……主人が丹念に手入れをしていたので使えるかと、そのまま勝手口から外へ出てくださいまし……」


「あなたは?」


「……構いません、構わないでください、最後に楽しい一時を与えてくれたこの子達と過ごします……」


「失礼ながら、あなたのご主人は寝室にて縛らせています」


「……構いません、あの世で顔を合わせても挨拶する気はありませんから……早く、行ってくださいな……」 


 ミハエルさんが立ち上がり、奥の扉へと歩みを進めた。エントランスから出る間際にもう一度だけおばあさんを見やると、身を屈め嗚咽混じりに何やら端末に向かって話しかけていた。



 エントランスを出てすぐに銃が置かれている場所が分かった。三方向に伸びる一つの通路の先、扉ではなく壁が開いていたからだ。迷わず進んで中を伺うと、黒く光る銃がずらりと並べられていた。

 アサルト・ライフルやショットガン、それから狙撃用ライフルも、それらの扱い方を知らないので自動拳銃をその手に取った。とても、とても重たかった。ハウレスさんに渡された銃よりもさらに重たく、とくに弾倉がセットされたグリップが重たかった。ここには人の命を奪える弾丸が込められているんだと思うと、否応なく手が震えた。脳裏には銃を見て逃げ出した男の背中と、その喜びに狂ってしまったおじいちゃんの顔がまざまざと蘇りそして混ざり合い、体も心も支配されてしまった。


「行こうか」


「……止めないんですか?これ、本物ですよ」


「持てたのならいい、持てずに辞めていく生徒を何人も見てきた」


 見た事がない顔をしていた。優しさも何もない、人として見ていない冷たい目、いや、違う。これが本来のミハエルさんの目付きだ。おれを子供として見ていない。


「言わなくとも分かるね」


「はい」


「ならいい、皆んなの所に戻ろうか」


 いつまで続くんだこの世界は、そう思った。早く終わりにしてほしい、見たくもないものは見たくないんだ。



 おばあさん達の建物から出てすぐに、街の中から火の手が上がっているのが見えていた。この街は、本当に木材ばかり使っているせいか、上がった火の手にまだ襲われていない民家にも飛び火して、不安や恐怖を伝え歩くようにその火の手も次々と拡がっていく。遠くでビーストの雄叫びが聞こえた、襲われる人の悲鳴も聞こえた、燃えて崩れていく家々の悲鳴も聞こえた。花の模様が描かれた通りに出ると、燃え始めた建物からビーストが踊り出てきた。焼かれまいとするためか、おれ達を獲物と捉えてか、人の死体の上に降り立ったビーストはショッピングモールでみたビーストより一回り小さい。迷うことなく銃口を上げて狙いを定めた。撃鉄が弾丸の底に仕込まれた火薬を叩き点火させ、発生した燃焼ガスが圧縮されて弾丸を解き放った。その衝撃は非殺傷性銃の比ではない、手も腕も殴られたような衝撃に見舞われ瞬間的に痺れてしまった。


「Jwpmgwっ!!」


「隙を与えるな!」


 ビーストの前脚、根本に被弾したじろいだが絶命には至っていない。ミハエルさんがアサルト・ライフルのトリガーを引き続けているが、弾道が安定していない。業を煮やしたビーストが素早く前に踏み出した、痺れる両腕を無視してさらに発砲、ビーストの眉間に被弾し、さらに態勢を崩した。そして事もあろうにミハエルさんがビーストに近づき、


「何やってっ」


 半開きになっていた、赤く濡れていたビーストの口の中にアサルト・ライフルの銃口を突っ込みトリガーを引き続けた。口の中からアサルト・ライフルの射撃を食らったビーストは、暴れるように体を跳ねさせて何の予兆もなく事切れ体を地面に投げ出した。


「はぁ、はぁ、はぁ」


 肩で息をしているミハエルさんの顔を見て、考えもなしに駆け出し、ハウレスさんがやってみせたように銃のグリップで顔面を殴り付けてやった。


「さっき!あんたは!何も見ていなかったのかっ!そんなに殺しが楽しいなら一人でやっていろぉっ!!」


 笑っていた、何がそんなに面白いのか。ミハエルさんは崩れ落ちるビーストを見下し笑っていたのだ。おれの言葉にすぐに正気に戻ってくれた。

 狂ってる!この世界は誰でも狂わせる!さっき銃の重さを説いた人間がすぐさまその銃に狂わされるんだ!


「…効いた、効いたよ、その言葉、感謝するよ、ありがとう」


「次はないからな!このイカレぽんち野郎!」


「あぁ、そう呼ばれないようにするよ」


 殴られた反動で石畳に付けていたお尻を上げて歩き出した、その横には絶命したビーストが横たわっていたので足蹴にしてやった。

 穴が空いた倉庫の通りを抜けてようやくおれ達にあてがわれたホテルが見えてきた、隣に立っていた樹は根本から折られ、隣家から火の手が上がっているのに不思議と燃えていなかった。そのおかげでホテルの入り口付近は火の手から逃れて簡単に入ることが出来た。扉を開け放ち中を覗けば、震えるようにして銃を構えていたアイエンがそこにいた。


「び!びっくりさせるなぁ!」


「知るかよ!勝手に驚いたんだろ!」


「マギールさんは?!」


「い、いません!俺達だけです!サイレンが鳴る前に出て行きました!」


「ならいい!早く外へ!」


「まっ、待ってくださいミハエルさん!さっきまで街の上にある大庭園まで避難して来いって!スピーカーから呼びかけていました!」


 ルメラの言葉に覆いかぶさるように、階上からビーストの雄叫びが聞こえた、どうやら上から侵入してきたらしい。


「場所はっ?!」


「花畳の通りを真っ直ぐにって!」


「行きましょう!さっきの通りですよ!」


 上からビーストが足を踏み鳴らす音がよく聞こえてくる、木造で助かったと思うと同時にファラの顔が頭をよぎった。

 ミハエルさんが先行してホテルの外へと出て行く、その後をルメラやアカネ達、その後ろをおれとアイエンが続いた。燃えない不思議な樹を乗り越えた時に二階から窓ガラスを突き破りビーストが、またしてもおれ達の前に立ち塞がった。一階に降りるより飛んだ方が早いと判断したらしい、さっきと同じように見えるがいちいち種類なんか判別していられない。おれが先に弾丸を撃ち込み、よろめいたビーストにミハエルさんが今度はしっかひとした弾道でアサルト・ライフルを撃つ。頭も胴体も撃ち抜かれたビーストがその場で崩れ落ち、確認する間もなく走り出した。


「何!その銃は何だ!」


「見れば分かるだろ!本物だよ!」


「はぁ?!」


「ミハエルさんにはお墨付きもらってるから!」


「いやそこまであげたつもりはないよ?!」


「何?!さっき笑っていた話しをしてほしいって?!」


「いいから早く進みなさい!」


 今度は勝ったと思ったそばからまたビーストが現れた。小型ばかりで攻めてくるからやっていられない、おれが一歩前に出て銃を構えようと、


「エフォルっ!!」


 つんのめるように転けてしまった、後ろから突き飛ばされたのだ。


「ミハエルさん!ミハエルさん!」


「……早く」


 苦悶に喘ぐその声に、ミハエルさんを見ることなく握り締めていた銃の撃鉄を上げてビーストに近づいた。背中には小さく煙を上げている砲身が露出しており、それに構うことなくさっきミハエルさんがやってみせたように口をこじ開けて銃口を口の中に入れてやった。何度も、何度も何度もトリガーを引いてようやくビーストが事切れた。


「ミハエルさん!」


 あぁそんな…どうして、おれのなんかのためにそこまで…


「あぁ!そんなミハエルさん!しっかりしてください!ミハエルさん!」


「いいから、早く行きなさい……」


 撃たれていた。胸のど真ん中を。見える程に大きな穴が空いて、血を流して、血溜まりを作っていた。あのビーストにも射撃性能があったんだ、それを知らずにいいや、良い気になって飛び出したおれをミハエルさんが庇ってくれたんだ。


「どうして…大丈夫ですよね?!」


「見れば、分かるだろ……頼むから行ってくれ」


「行けるわけないだろっ!ファラに何て説明すればいいんだよ!」


「そんなもん、あなたが振った男は、俺を守って死んでくれましたって、言えよ……」


「……あんたの初恋って」


「当たり前だ、お前も惚れているファラだよ……どうだ、格好良いだろう、面倒見ているガキより、何倍も、格好良いだろう…」


 力強く笑って、そして、勝ち誇ったような笑顔を湛えてミハエルさんが動かなくなってしまった。

 隣で誰かが立った、真っ直ぐに、信じられない。この人を見捨てて行くのか?


「行くよ、皆んな行こう、お願いだから行こう!立ってエフォル!立って!おねがいだからだって!!」


 ルメラの叫びで立った、立ってやった。言うもんか、絶対に言うもんかっ!誰が言うか、こんな!こんな!こんなぁ!ふざけるなよ!何であの人は最後の最後まで!

 ミハエルさんが使っていたアサルト・ライフルを手に持ち走り出した、皆んな付いてきている。初めて手にしたアサルト・ライフルは不思議と重たくなかった。



 花の模様が描かれた通りも抜けて、さらに細い通りに入って幾重にも分かれた坂道まで、その間は一度もビーストに襲われることがなかった。なんて間の悪い人なんだ!あの世であったら絶対指さして笑ってやろう!そう思わなければやっていられない!

 流れ出る涙でろくに前も見えない、手にしたアサルト・ライフルの冷たさと、走りながらでも聞こえる皆んなの喘ぎ声だけははっきりと伝わってくる。後ろからビーストの雄叫びが上がった、ようやく接敵した。


「このくそったれがぁっ!!」


 細い路地にいた皆んなを掻き分け後方に回り、アサルト・ライフルのトリガーを引いた。重たい、くそ重たかったが我慢した、ようやく怒りの捌け口を見つけたからだ。建ち並ぶ民家の壁を穿ちながらアサルト・ライフルの弾道が次第にビーストへ吸い寄せられていく、そしてその一歩手前で弾道が途切れてしまった。


「は?!」


 まさかあの男!


「エフォル!何やってんだ!どうして撃つのを止める!」


「弾がないんだよ!あの野郎!だからおれを突き飛ばしたのかっ!!」


 ホテル前のビーストに全弾撃ち尽くしていたのかっ?!言えよ!!そんな大事なことぐらいっ!!何が情報の取り扱いが難しいだ馬鹿たれぇ!!自分の事すら言えない奴が高説垂れるなっ!!


「走って!とにかく走って!」


「前!前!ビーストがいるよ!どうするの!」


 今度は前から新たにビーストが現れた、前も後ろも挟まれてしまった。


「いよぅ!少年!また会ったね!元気そうで何よりよっ!ってぇー!!!殺せ殺せ殺せぇー!!!」


 民家の屋上から女性の、いや!マヤサさんの声がしたかと思えばアサルト・ライフルの弾丸が雨あられのように、前後のビーストに降り注ぎ息つく暇もなく亡骸へと変えていった。

 細い坂道の通せんぼするように倒れたビーストをもう一度足蹴にしてからまろび出た。


「なっ」


 もう、地獄は見ることないと高を括っていた。まろび出た先から見えている街は真っ赤に染められた新たな地獄がそこにあった、殆ど全ての建物から黒煙と火柱が上がり無事な所を探すのが一苦労、そう言わんばかりの光景に言葉を失った。到着した皆んなも街の様子に息を飲んでいるようだった。


「無事かっ!」


 この声はっ!


「皆んな無事そうだはっ?!!」


「このカッコ付け野郎!一人で間に合ってんだよっ!!」


「止めろ馬鹿!お前何でそう助けてくれた人に失礼なことができるんだ!」


 声の主は案の定、サービスエリアでおれに銃を渡してくれたハウレスさんだった。確認することなく裏拳のように殴ってやったので、これで人違いだったらどうしようと一瞬冷やりとした。そして、民家の二階から飛び降りて合流してきたのは、右目に眼帯をしてにかっ!と笑ったマヤサさんだった。


「元気そうねぇ!ま!君達がちゃんと車に乗っていたのは遠目からでも見ていたんだけどね!」


「………」


 殴ってやろうと思った、心底殴って罵倒してやろうと思った、一人で逃げるなって、おれだって辛いんだって言ってやりたかったのに、代わりに出てきたのは嗚咽だった。みっともない。


「まや、まやさ、さん」


「はいはい、悪かったわね、あの世から追い出されちゃってさ、仕方がないからもう一度面倒見にきてあげたのよ、だから泣かないの、ね?男の子でしょう?」


 優しく抱きしめられて、薄らと薬品の匂いが鼻についた。けれど、すぐに顔を離してさすがに文句を言った。


「だがらぁ!カッコつけは一人で間に合ってるんですよぉ!」


「えー何ぃ?そんな鼻垂れが言ってもちっとも怖くないわよ!」


 マヤサさんと他の警官隊の人達と合流して、小さな庭園を横切ってさらに奥を目指した。涙をこれ以上見られたくなかったので、庭園の方を向いて目元を拭っていると、鉄柵と植え込みの間にキラリと光る何かを見つけた。一瞬、ナイフのようにも見えたけど気のせいだろうと気を取りなして先を急いだ。



 小さな庭園を抜けるとそこは、街の方へ何段にも分けて作られた大きな庭園となっていた。街が地獄ではなかったからきっと、見晴らしの良い素晴らしい庭園だったろうに、今となっては地獄を鑑賞する最悪のホールとなっていた。庭園は全部で十個ほど、一段一段丁寧に作り込まれた庭には緑が生茂り、ちょっとした川も流れているようだ、けれどどの庭園にも第十二区で見たように正方形の仮説テントが張られ、景観などまるでない難民地となっている。

 庭園の最上段には沢山の人が集まり、額を突き合わせて何やら相談をし、物々しい雰囲気に包まれていた。ここが最後の砦。何故だかふと、そう強く感じた。


「無事だったみたいだね!」


 おれ達を見かけて声をかけてきたのは、街で初めて声をかけてきたあの人だった。少し色が抜けた髪は汚れており、頬にも血や煤の跡が付いていた。


「はい、何とか…ミハエルさんは……」


「そうか……いや、君達だけでも十分さ、死者への追悼にはまだ早い」


 その言葉を聞きつけたマヤサさんが歩み寄り、胸ぐらを掴み上げて罵っていた。


「あんた…この子らも死者の仲間入りするって言いたいのかしらぁ!アンドルフっ!!あんたのことはマギールさんから聞いてんのよっ!!」


 マヤサさんの怒声が回りにいた人達の視線を集めた、それに、あんどるふと呼ばれた男の人がひどく慌て始めた。


「ま、待ってくれ!その名で呼ぶのはっ、僕はただ!膝を折るにはまだ早いと言いたかっただけで!僕なりの励ましのつもりなんだっ!」


「口ではどうとでも言えるわねぇ!あんたの所にもいずれマギールさんが死神となって姿を現すはずよ!その時にまで懺悔の言葉でも考えておくことねっ!!」


 乱暴に、掴んでいた胸ぐらを離して解放していた、あんどるふと呼ばれた男の人はおれ達を見ることもなく走り去っていった。


「い、今のは…それにマギールさんがって…」


「あの男、移送されてきた各区のピューマをくすねていたのよ、マギールさんから話しは聞いているわよね?」


「くすねたって、盗んでいたってことですか?」


「そう!それとエフォルが体当たりをかましたあの男とグルになってね、ほんと下らない!」


「あ、あこっく?確か、そうマギールさんが言っていましたけど…」


「ほーん…ありがとね貴重な情報、後でベッドの上で落ち合いましょう」


「いや、おれは怪我してませんが…」


 目をぱちぱちとしたマヤサさんを見て言い回しの意味が分かった。てっきり病院で会いましょうって意味かと...


「いやぁ!君、やっぱりいいねぇ!やり難いのがこれまたいい!さすがに今のはないわぁ!はっはっはっ!」


「いや!ちょっと!どこに行くんですか!」


「ボスに呼ばれてっから!また後でね!」


 そう、ひらひらと手を振りながら警官隊の人を引き連れて、物々しい雰囲気を放っている集団へと去っていく。去り際にハウレスさんが、おれが裏拳をかました左頬を指差し中指を立てながら歩いて行くではないか。もう会いたくないな。


「はぁ……」


「お前、少し自重しろよな」


「あぁ、そうするよ」


 アイエンに釘を刺された。

ここまで逃げ延びてきて緊張が切れてしまい、亡くしてしまったミハエルさんの悲しみがじわりじわりと蘇ってきた。手足が震え、まるで自分の物ではないように感じる。それなのに不安と緊張と悲しみ、およそ暗い感情だけはいくら疲れていても心は感じてしまうようだった。


「よく!ここまで耐えてみせた!後はこの俺に任せてもらおうか!」


 低く、しゃがれた声が辺りに響き渡った。うな垂れていたルメラ達や、他の人達も何事かと頭を上げて、疲れ切ったその瞳を最上段の庭園の中央に向けている。


「アンドルフ!我が名はアンドルフ!古よりここに仕えし神の下僕なり!今一度!ここに戦士を喚び出しかの獣に必滅の杭を打ってみせよう!」


 中央から最前列に歩み出てきたのは、まさかのあのドーナツおじさんだった。いや、あんどるふって...さっきの男の人も確か...

 大庭園は街の最も高い位置に作られているみたいで、半円形状かつ階段的な構造をしている。その最上段を後ろから眺める形でおれ達はあんどるふ二号さんを見つめていた。高らかに腕を上げて、何事かと見守っていると、空中から一つの光点が発生した。見る間に大きくなり、そして数多の小さな光の粒となって分かれたれていく。縦横無尽に大庭園を駆け巡り、一つの光がおれ達の横を通り過ぎ、おれの髪の毛をふわりと漂わせていった。そして、分かたれた一つの光が輝きを増して徐々に人間の姿を形取っていく。強く、ほんの瞬き程発光した後、浅黒く、半端な鎧を着た濃い顔付きをした戦士が光の中から現れてきたではないか。


「ほんとに…魔法の国……」


 アカネか、ルリカの言葉が耳にそっと入ってきた、けれど言う通りだった。

光の中から現れた戦士が恭しく頭を垂れた。そして、つと顔を上げて喚び出した主を仰ぎ見た。


「息災か、イエン」


「……………………………この通りに、我が主よ、お会い、できて光栄でございます」


 浅黒い戦士が自分の名前を呼ばれ、まるでその名を思い出したかのように瞳を大きく広げた、そして再び、今度は深くより恭しく再度頭を垂れた。


「良い、もう一度お前達の力を…………いや、これが初陣にあたるのか、何とも数奇な……貸してくれ、この街を蹂躙している鉄の獣に裁きを与えよ」


「はっ!」


 素早く応えた後、周囲を未だ漂っていた光の粒が最前列に集結した。


「構えよっ!」


 庭園のさらに最前列、戦士が槍を高らかに掲げ、そして裁きを下すように振り下ろした。


「神の名の下にっ!」


 扇を描くように待機していた光の粒が、流星の如く街へ降り注いだ。事の成り行きを見守ろうとおれも皆んなも、ここに集まっていた他の人達全員が庭園の手すりまで駆け寄り街を見下ろした。降り注いだ流星は生き物ように意思を持ち街中に潜んでいたビーストを丁寧に一体ずつ屠っていく。貫かれ、絶命し、打ち上げられ、粉砕し、束となった流星が砲身を携えたビースト達を星クズへと変えていく。その力を目覚めさせた流星が互いに繋がり一つの力となって、その行く先々で遭遇した鉄の獣と戦い、そして必滅の杭を言われた通りに打ち込み勝利していく。圧巻だった、意味が全く分からないけれど。どうしてこんな兵器がこんな所にあるのかと我が目を疑ったけど紛れもない現実だった。


「止めっ!」


 戦士の鋭い指令に、流星たちがまた、元の位置に戻っていく。


ーやっぱそうこなくっちゃなぁ!!そうでないと楽しくないわなぁ!!あんなちんけな奴らで満足されちゃ倒し甲斐がないってもんよぉ!ー


「この声は、」


 第十二区で一瞬のうちに展開していた部隊を壊滅させた、あの超巨大ビーストの声だった。今を思えばミハエルさんはあの時から既に知っていたのだ、言葉を話すビーストが存在することを。だから驚きもせずにただ睨んで険しい顔をしていただけだったのだ。

 大庭園の一番下から現れた超巨大ビーストは、その大きすぎる前脚の爪を壁に食い込ませてよじ登ってきていた。一つ一つ、庭園を壊しながら登ってくる様は地獄の使者。おれは逃げ出すことも叫ぶこともなくただじっと成り行きを見守っているだけだった。


「構えっ!」


 顔色一つ変えずに戦士が再度号令を出した。扇型に展開した流星が超巨大ビーストに進路を定めた。


ーんな、子供騙しにオレ様が倒されると思ってんのかなぁ?!いいぜ!先手を譲ってやるよぉ!ー


「神の名の下にっ!」


 槍を素早く振り下ろし、流星が必滅の杭となって超巨大ビーストに殺到した。穿つと思われたその刹那、流星が分かたれ一つ一つに人の姿が宿り軍隊へと様変わりした。輝く戦士一人一人に槍が握られ次から次へとビーストに突き刺していく。分かたれず残った流星も援護しビーストを穿ちかかるが弾かれてしまった。


「そんなぁ!」


 熱く見守っていたルリカの言葉を受けたのかは分からないが、ビーストに張り付いていた輝く戦士達が力を失くしたようにうな垂れ消えていく、その様子に満足したのか超巨大ビーストが二本の尾を繋ぎ合わせて巨大な輪っかを作ってみせた。


ーさぁ!次はオレ様の番だなぁ!一度こいつで人間を丸焼きにしてみたかったんだよなぁ!ま、影も形も残らないと思うけどぉ、だぁはっはっはっ!ー


 ビーストが巨大な輪を高らかに掲げ、ミハエルさんを撃ったあのビーストの砲身のように青白く、その光だけで目が焼かれてしまいそうな程強く発光した時に、曇天の空に閃光が走った。


ーんぁ?ー


 間の抜けた声と頭を上げた超巨大ビーストの真上には、赤く、街に燃え盛る炎よりなお赤く、青白く発光するよりもなお輝くように赤色の人の形をした何かが現れた。


「あれぇー!あれだよ!私が見たのは!」


 ゆるりと降下を始め、その手にはおれが持っているアサルト・ライフルに似た武器を握り、真っ直ぐに照準をビーストに合わせている。そして発砲。星の輝きの如く眩いマズルフラッシュを発生させ、高高度からの狙撃になす術もなくビーストが撃たれていく。頭から背中、前脚に輪を形成した尻尾まで。


ーふざっ、ふざけんなよぉ!こっちは何度も寸止め食らってんだよぉ!!ー


 あの時高速道路を破壊してみせたように、お腹の横に備え付けられた砲身が真上を向いて爆熱し、赤い砲弾を撃ち上げた。それを一度躱してから上空で撃ち抜き、曇天の下に太陽を再現してみせた、辺りが明るくなりはっきりと赤い何かも照らしていた。

 人の形をしていた、頭もあり胴体もあり、手に足と、背中には二枚の尖った羽を持ち綺麗に輝く星屑を粒子のようにばら撒いていた。瞳は赤くビーストを連想させたが不思議と恐怖を感じなかった。

 もう一度、手にした武器を構えた。曇天の下の太陽も失せて、再び星の輝き。今度こそ過たず超巨大ビーストを正確に撃ち抜いていった。頭が落とされ、胴体には大穴が空き、前も後ろの脚も折られてついに、その体を地に伏せた。


「神よっ!嗚呼、我が神よ!俺は今一度!貴方様にお会いしとうございましたっ!ここに!貴方様の下僕はここにおりまする!もう一度あの奇跡を!」


 突然、あんどるふ二号さんが雄叫びを上げたのでびっくりした。ビーストが沈黙したのを見計らったように、あの圧倒する力に見惚れていたのか、感情が決壊したように叫び始めた。周囲に漂っていた光の粒子も無くなり、赤い人の形をした輝きだけが辺りを照らしていた。


「もう良いっ!さっさと去らんかっ!」


 あんどるふ二号さんの叫びにも負けない程の声を上げて、あろう事か神と仰ぎ見る赤い何かに、まるで迷惑だと言わんばかりにマギールさんが手を振っていた。


「マギール!君は!何と愚かな者か!」


「黙れアンドルフっ!貴様との会話は無かったことにしてもらおうっ!下らない野心のために儂らの計画を狂わせおってからにっ!」


 怒り心頭と言わんばかりに顔を赤く染めて(頭も)指をさしながら詰っている。


「好きなだけカリブンを再生すれば良いだろう!何も邪魔などしていない!」


「抜かせっ!ここへ呼び込んだのもさっきの仮想領域を展開させる為のエネルギー源としたのであろうっ!」


「馬鹿を言え!あれは歴とした神の御技だ!ピューマ如きに賄えるはずがないだろうっ!」


「ならば何故貴様の名で受け取ったピューマの数が足りん!答えろっ!」


「アンドルフ!アンドルフ!」


 いや、自分のことでは...そこでマヤサさんやハウレスさんに羽交い締めにされてアンドルフさんが顔を真っ青にして連れて来られている。ん?


「おいなぁ、一体何が…」


 アイエンに聞かれたがおれにもさっぱり分からない。


「ま、待ってください!僕はただ言われた通りにしていただけで!」


「アンドルフ!吐け!貴様が裏で動いていたのは知っている!まさかとは思うが怖気ついた訳ではあるまいなっ!」


 アンドルフさんにアンドルフと呼ばれた男の人が愕然とした表情をしている。この二人は何故お互い同じ名前なのか...


「そ、その通りです父さん!僕には耐えられない!あんな事をされる勇気もないし謂れもないっ!僕にはあなたに名付けられたリューオンという名前があるのです!」


「この場にいても!この重要さが分からないと言うのかっ!」


「分かるはずがないっ!真理さえ分かれば過去の記憶は要らないはずだっ!だから僕は手にかけたんだっ!それなのに、それなのにどうして!」


「アンドルフの名と記憶を代々受け継ぐことが真理そのものだ!」


「嫌だっ!お願いだから話しを聞いてくれ父さんっ!!」


 アンドルフさんの悲鳴が、ひどく胸に刺さった。内容は分からない。けれど、肉親に懇願しそれを拒絶されてしまったあの人の悲しみが、何となくだけど分かるような気がするのだ。

 この一連のやり取りを見届けたかのように、赤く羽を生やした何かが空に飛んでいこうとした。しかし、銀の煌めきを湛えた流星にその行く手を遮られてしまった。


「あれは?!」


 街を覆う曇り空を突き破り現れた銀の流星から眩い光が何度も発生した。黄色の軌跡を残した小さな線が連続的に赤い何かに殺到し、それを懸命になって防いでいる。左腕に盾のような物が装着され器用に弾いているようだが...角度の関係か、銀の流星から放たれた線が盾に当たり真下、他の人達が密集している大庭園に飛来した。大庭園の石畳を盛大に穿ち、そして瓦礫が宙を舞い見物に徹していた人達に降り注いだ。


「ぼさっとしている場合じゃない!逃げるぞ!」


 ビーストを倒してくれた赤い何かが、攻撃を受けていた。でも、どうして?あの銀色は一体...おれの疑問は飛来した瓦礫によって中断された。


「エフォル!」


 名を呼ばれた時にはもう既に目の前にあった。盾に弾かれ逸れた弾丸が石畳をえぐり、人よりも大きな瓦礫となって曇り空も遮り赤い何かも、周囲の人達も見えなくなる程の大きさだ、飛来する不吉な音も耳に入ってきた。あぁ...あの瓦礫に当たるのはさすがに不味いかな...いやでも、ミハエルさんに文句が言えるな、勝ち逃げするなって。


『…………………………』


 走馬灯かと思った。夢に見た()()()の声が聞こえたから。けれど違った、これはまだ現実だ。おれを殺そうと飛来した瓦礫よりさらに大きな人の手が目の前に唐突に現れて守ってくれた。手の甲は、澄んだように綺麗な空色、第一区の堅固な城に侵入した時にも見たあの時の空のよう。ゆっくりと視線を左に向けていけば、不思議な光沢に街で今なお燃え盛る炎の反射を受けて光った、逞しい腕。さらに視線を移動させると慈悲に満ち溢れた、爽やかな草原を思わせる緑色の瞳と目が合った。大庭園の下から蒼く深い色を湛えた人の形がさらに現れていた。


「……………」


「エフォル………無事………か?」


 アイエンの、どこか遠慮がちに問われた言葉がとても遠くに聞こえる。距離の話しではない、心の話しだった。

 蒼い胸の辺りがぱっかりと開き中から小さな男の子が出てきた。とても愛らしい顔、服はまるで今から遊びに出掛けるような装いだ、とてもあの巨大な人の中から出てきたとは思えない。そして、あの子も()()()()()()()()をしていた。


『駄目だよ、あんまり無理をしたら、せっかくここまで無事でいられたのに』


 ふわりと、男の子の髪の毛が舞った。色がすっかり抜け落ちたように白い、その毛先は薄らと金にも見えた。夢の中にいるような声音で男の子が話しかけてきた。まるでおれのことを知っているような口ぶりだった。


「君……は?」


『ま、今は重要ではないよ、ほら、乗りなよ』


 手を差し伸べられた。あぁ、やっと、追いつくことが出来た。もう寂しい思いはしなくていいんだ、歩けば歩く程に満たされていく満足感と安心感。大庭園の手すりの向こうから、男の子が...いいや、()()


「これ、大丈夫なの?」


『大丈夫とは?』


「俺が乗っても平気なの?」


『平気だよ、何せ君そのものなんだから』


 手をぐいっと引っ張られたかと思えば、俺の半身は瞬く間に消えてしまった。

 コクピットに座って仮想投影された周囲を確認する。授かり者同士は未だ戦闘を行なっているようだ、手にしたアサルト・ライフルで周囲への危険もまるで無視して撃ち合いを続けていた。


《起動》


 メインコンソールから機体を立ち上げる合図がなされた。


《コネクタ・リンク》


 コンソールから流れてくる合成音声を耳に入れながらなるべく見ないようにしていた、色が抜けて嫌いな髪の毛を弄った。昔から、奇異な視線を向けられていたのだ、どうしようもない。髪の毛の根本から毛先にかけて色が落ちていく変わった色をしていたから。モノレールの駅で出会った女の子にも見られて、アコックと呼ばれた人には、当然と言える反応を返された。あのアンドルフという男の人にも視線を寄越された。


《接続完了》


 ...俺は本当に恵まれていたんだ。優しいファラに、俺なんかを慕ってくれる可愛い妹達。それから手を差し伸べて支えてくれる仲良しの兄と姉。勿体ない、勿体ない、心からそう思った。


《コネクタ・リンク接続解除、不安定領域に突入します、速やかに再起動してください》


「何?こんなの今まで…」


『あちゃー、まいっか、ただの実験だったから、君にも大事な家族がいるんでしょ?』


 メインコンソールから不安を駆り立てるエラー音が鳴り、消えたはずの男の子が再び姿を現した。それに家族...そう家族。大事な家族だ、俺なんかよりも守りたいと思える程の大切な、生きる理由そのものと言ってもいい。


『なら、この機体とリンクさせるのは無理だね』


「心を読むのはやめてくれない?」


『しょうがないよ、僕だって聞きたくないのに』


「失礼な奴だな」


『それよりも僕の妹を助けてくれる?君と同じように大切な妹なんだ、紛い品に倒されるのは腹が立つ』


「分かる」


『分かるならさっさとやって!』


 なんてせっかちな。


「それより名前、教えてくれない?」


『どうしてさ、もう要らないはずだよ』


「いや、さすがに自分の本名ぐらい知っておきたいでしょ」


『やめときなって、君、これを降りたら記憶が抹消されるのは分かってるでしょ?』


「だから聞いてんだよ、いいから答えて!」


『なんてせっかちな』


「お前に言われたくない!」


『バルバトス』


 その名を発した途端機体が内側から、コクピットを星の輝きが満たしていく。男の子と体が溶け合い、機体名バルバトスに体も心も何もかもが接続されていく。

 あぁそうか、俺の体に筋肉が付かない理由がよく分かった。やっぱりあの医者はやぶだった、この機体でせっかく稼いだお金を取り戻しに行こうか。


『ばか!そんなことの為に同期したんじゃないやい!真面目にやって!』


『だから心を読むのはやめてくれない?』


『真面目にやらないなら君の大好きな人の枕元に立ってあげようか?きっと腰を抜かすと思うよ』


『やめろ、家が壊れる』


 俺の視線は機体のカメラと同期して、曇天の下で今なお戦っている銀の紛い品に注視されている。武器は持っていない。そもそも必要ない。


『照準合わせ、事象に介入、はい解決っ!』


『適当かっ!真面目にやれっ!』


 蒼く逞しい腕を銀の紛い品に真っ直ぐ向けて介入対象を固定した。本来はもっと複雑な行程があるのに、男の子が適当にやったもんだから思わず突っ込んでしまった。

 俺達の介入を受けた銀の紛い品が、瞬時に分解されていく、機体を保護する装甲板から剥がれ、形を成す駆体が露わになり、それらを繋ぎ合わせる部品の一つ一つに解体されていく。突然の異変に赤い人型機が慌てたようだ、無理もない。


『声をかけなくていいのか?』


『いや、い、いいよ』


『何照れてんの?』


『照れてないよ、照れてない』


『なら俺が話しかけてもいいよな?』


『ダメ!それはダメだから!』


『おい、聞こえるか?』


『やめろばか!』


 俺の呼びかけに赤い人型機がこちらを向いた、鈴の音が鳴るような可愛らしい...いやアカネ達の方が可愛いな。


『何んだとお?!』


『シスコンかっ!読むなっつってんだよ!』


[な、何?!え?ナツメじゃないの?!だ、誰?!]


 なつめ?誰だそいつ。


『違うよ、お前のことが大好きな、ば』


『わぁー!わぁー!わぁー!』


 喚く男の子のせいで名前を告げることが出来なかった。何なんだ、人がせっかく協力してやったというのに。


『もう切る!さよなら!君は僕では無くなったから定命になっちゃうけどいいよね?!』


『下らないことすんな!一つで十分なんだよ!じゃあな!シスコン野郎!お前が手を出さないなら俺が出してやる!』


『やれるもんならやってみろ!アマンナがお前みたいなたらしになびくもんか!』


『たらしじゃねぇよ!』


『どの口が言う!』


 これが最後の別れとなった。何とも騒がしく馬鹿らしい会話であることか。

星の輝きが徐々に薄れて、心の内から力が抜けていく。まるで眠りにつくようだ、安らかな気持ちと共に目蓋を閉じて、さっきまで文句を言い合っていた男の子も遠ざかっていくのが分かる。けれど、初めての別れの時より寂しくはなかった。もう、会えはしないだろうけど、不思議と怖くもなかった。


『もしかして君はツンデレなの?』



エピローグ.第十九区〜第二区(present)



「だから読むなっつってんだよっ!」


「うわぁ?!」


 また、おれの寝言を聞いて目が覚めてしまった。本日二度目、こんな事ってあるの?

それにさっきまで見ていた夢はどうやら腹を立てていたらしい。言い合いをしたような気もするし、いつもとは違うとても賑やかな夢だった。

 おれの叫び寝言(?)を間近で聞いてしまったアイエンが驚き飛び退いていた、無理もない。おれならビビって二度と近づかない。

 

「エフォル!無事なの、か?」


「無事、だと、思う、よ?」


「何で疑問形なんだよ」


「いや…ん?あれ、そういえば瓦礫は?!大丈夫なのか?!確か、」


「はいはい、慌てない、皆んな無事だから、街はひどい有り様だけどね」


 おれの真上からマヤサさんの声がしてびっくりした、それに何やら柔らかい。


「あれ、瓦礫ってこんなに柔らかいのか?」  


「…人の初膝枕を何だと思っているんだこの野郎ぉっ」


「痛い痛い痛い痛いっ」


「マヤサさん、ラブコメは他所でやってもらえませんか?傷に障ります」


「クールかっ!さっきまで君もあの子にデレッデレだったくせにっ!」

 

「アイエン?!聞いてないぞ!」


「いいからお前は黙って治療を受けていろっ!」


 気を失っていたおれをマヤサさんが膝枕して、介抱してくれていたのだ。それを瓦礫だなんて言われたら、そら誰だって怒る。

 ちらりと大庭園に視線を向けると、崩れ落ちたビーストの隣に赤い何かが膝を付いた状態で降り立っていた。胸の辺りがぱかっと開いているのを見て驚いた、誰か乗っている...という事だよな?赤い何かの足元にルメラやアカネ達が興味津々といった体で眺めていたので、心から安心した。皆んな無事なのだ。


「あの、マヤサさん、ビーストは?」


「もういないよ、あの機体とここの人が駆逐してくれたから」


 もう、いない。何て清々しい言葉なのか。怯える必要も戦う必要もなくなったんだ。


「そう……ですか」


「はい!元気になったらさっさとどく!私の膝は高いんだから!」


「良ければローンを組みますよ」


「下らないこと言ってないで皆んなの所に行ってあげて!心配してたんだから!」


 本当か?今もあの赤いのに夢中になっているじゃいか。

柔らかく特別さを感じる膝から追い出されたので止む無く立ち上がり、アイエンと一緒に赤い何かへ歩いていく。アンドルフさん達、親子の二人はここにはいないようだった。最後の聞いたあの悲痛の叫びがまだ耳に残っている。


「あ!エフォル!エフォル!」


 先にアカネがおれ達に気付き手を振りながら走ってくる、後からルリカやルメラも気付いて赤い何かからゆっくりとこちらに向かって歩いてきていた。


「いいよ、おれなんか無視して、あの赤いお人形さんに首ったけになればいいよ」


「は?何拗ねてんの、マヤサが二人っきりにしてほしいって言ってたから気をつかってただけなんだけど」


「ん?」


「?」


「エフォル、もう平気?体は大丈夫?」


「大丈夫…だけど」


 マヤサさんが二人っきりって何?え、普通にアイエンもいたよな。すっと視線を寄越すとすっと逸らされた。


「アイエン」


「マギールさんに呼ばれていたな、今から向かうか」


「アイエン!」


「あんまり大声出すな、傷に障るぞ?」


「お前!心配して見てたんじゃなくて、邪魔してたのかよ!」


「違う、それは大きな誤解だ、ちゃんと契約もしてある」


「ふざけんなよこのたらしが!アカネが言ってたアイエン一味発言は忘れてないんだからな!」


「え、エフォル!も、もういいから、その話しは、ね?」


 何故かルメラが顔を赤くしている。え?


「え?何でルメラが止めるんだ?気にならないのか、それに何で顔が赤いんだよ」


「いいから!ね?いいから!」


「いや全然良くないんだけど!」


 大庭園にはもう、緊張した空気や悲壮感はなく、ここに避難してきた人達も肩の荷を下ろしたようにリラックスとした表情をしていた。襲撃してきたビーストも駆逐され、ようやく目前の脅威が去ってくれたのだ。これから復興作業で忙しくなるのは目に見えているが、ある種の逃避のように、いや、生き延びたことに対する褒美のように和気あいあいとしていた。

 赤い何かの向こうから、マギールさんとアカネ達より少し上?に見える金の髪をした女の子がこっちに向かって歩いてくるのが見えた。それに変わった服装だ、ピッタリと肌に引っ付くようなスーツ?服なのか、あれ?初めて見る装いだった。


「エフォルは起きたか?」


「見れば分かるでしょ」


「ふん、元気があって何よりだ、さぁあの機体に乗ってさっさと自分達の家へ帰るんだ、ここは大人達に任せてもらおうか」


 きょとんとしたのはおれだけだった。


「え?何、もう寝ている間にあれこれ起こりすぎじゃない?」


「もう!早く!いいから早く乗ろうよ!」


 ちなみにこのはしゃぎっぷりはアカネではなくルリカだ。こんなにぴょんぴょん飛んでテンション高いのは初めてだった。

 そこで、じっと黙って眺めていた金の髪をした女の子が、にこっと笑っておれ達皆んなを誘ってくれた。


「じゃあ行こっか!」


「よろしくね!名前は何て言うの?」


「ふっふっふっ、それは秘密なのだよ」


「この馬鹿の名前はアマンナだ、よく覚えておけ」


「このくそえろマギール!人がかっこつける時に邪魔すんな!」


 何て元気の良い...アカネと良い勝負だ。ん?くそえろってどこかで聞いたような。


「そうだ!マギールさん!あの家にいたぴゅーまは?!それに変な端末はおばあさんに渡してしまいましたけど」


「良くやってくれたよ、おかげでピューマ達を保護することができた」


「あの、おばあさんは…」


「聞かない方が身のためだ、ほら、さっさと行けっ!邪魔だ邪魔!」


 な、何んだ、助かったのかどうか聞いたつもりなのに。

ルリカに手を取られて、あまんなと呼ばれた女の子の後に付いて行く。赤い何かの胸の辺りから一本のロープが下がっておりそれに掴まりアマンナが先に登っていく。


「次!次、私だからね!」


「そこで待ってて!」


 アカネとルリカが我先に取っ組み合いをしていると、大きな人の形をした何かがゆっくりと動き始めた。


「わぁー!動いたぁ!」


 地面に付いていた手を持ち上げて、おれ達の前にゆっくりと差し出してきた。


「乗れって……っておい!アカネ!ルリカ!」


「はぁ、あの二人は凄いなぁ、怖くないのか?」


 アカネ達は差し出された手のひらにぴょんぴょんと飛び乗り、はしゃぎ回っている。おれ達年長組もおっかなびっくりの体で乗り、全員乗った途端にゆっくりと手が上がっていく。 


「うわうわうわっ」

「はー!凄い凄い!高ーい!」

「こら!はしゃがないの!」

「あわあわあわ」


 おれとアイエンは手のひらに這いつくばり、大きな指の隙間から見える街の景色を見るのに精一杯、アカネとルリカはまだ走り回っている、それをルメラが当たり前のように叱っているので案外ルメラが一番肝っ玉が大きいのかもしれない。


「ほら、中に入って」


 アマンナに声をかけられたので、今度はおれが我先にと胸の中に突っ込んでいった。だって怖かったから。だが勢いが強すぎたのか、アマンナの胸にも頭から突っ込んでしまっていた。思いの外柔らかい感触に恐怖も頭から吹っ飛んでしまった。


「ご!ご、ごめん!」


「いいからいいから」


 あれ、全然動じてないな。おれより年下に見えるのに。

後から皆んなも中に入って、胸が閉じられた。そしてまた驚いた。


「え?!えぇー!!何で見えるのぉ?!」


 ルリカの悲鳴の通り、中に入っているはずなのに周囲の景色が見えていた。最初は灰色の球体を裏側から見たような光景だったのに、アマンナが何やら操作した途端に未だ燻り黒い煙を上げている街が見えているのだ。


「ふっふっふっ、それは秘密なのだよ」


「それって、怪盗マグロのやつだよね!」


「え?!知ってるの?!」


「知ってるよ!ルリカと一緒によく見てたもん!」


「はぁー同志よ!わたしの周りはだーれも動画見ないから寂しい思いをしていたんだよ!アカネだっけ?また家に遊びに行ってもいい?」


「もっちろん!」


 か、解凍まぐろ?何だそれ。というか打ち解けている間にもアマンナは何をやったのか、ゆっくりと空へ上がっているような感覚がしている。


「お、おいなぁ、大丈夫なんだよな?」 


 もうバッチリ下を向いて震えているアイエンのためにもアマンナに安全性を確認すると、思いがけない言葉が返ってきた。


「ねぇ、どこかで会ったことある?わたしとさ」


「は?」


「なーんか聞いたことある声なんだよねぇ…それに誰かと喧嘩っぽいのもしてたし」


「いや、初めてのはずなんだけど……」


「……まぁ、そりゃそうだよね、あの青い機体から聞こえたし、何でもない、忘れて」


 青いきたい?


「じゃあこれは何?赤いきたい?」


「うん!そう、人型機っていう名前なの」


「ひとがたき?何それ」


「ふっふっふっ、それはまた来世のお楽しみなのさ」


 引っ張りすぎじゃないかそれ。


「あ、そうそう、さっきの質問なんだけどさ、この機体も万全じゃないからたまに墜落することもあるから、そこんとこよろしくね」


「「は?!」」


「行っくよー!!」


 アマンナの言葉におれ達皆んなが声を出し、そして目にも止まらぬ速さで空を駆け抜けたので阿鼻叫喚の地獄と化した。



「じょーだんだってぇ、ビビりすぎ」


「もう!アマンナひどいよ!怒るよ!」


 アマンナに脅され、目を閉じている間に第二区の近くまで来ていたようだった。街を覆っていた曇り空はようやく通り過ぎてくれたようで、地平線の彼方には真っ赤に燃える太陽が沈もうとしていた。手前から奥にかけて、濃い群青色から赤くそして輝くように白く境目なく変化していく空の景色はとても綺麗だった。

 第二区の小さな街並みが見え始めた、第十九区とは異なり煙も上がっていないし、街も激しく壊れているようには見えない。それから第一区へ伸びる価橋を見やればその途中で折られたように途切れていた。


「もしかしてあの橋は…」


「ビーストに侵入させないために…」


 ゆっくりとゆっくりと、眼下におれ達の孤児院が見えてきた。どこも壊れている様子はない。屋上に置かれた小さなテーブルには、出しっぱなしになっていた食器類が雨に打たれて変色し、庭に並べられた見向きもされない遊具も今朝見た時から何ら変わりがないように見える。

 そして、


「ファラ!ファラだ!ファーラー!」


 あぁ…良かった、ファラが、口を大きく開けておれ達が乗っている機体を凝視している。良かった、けれどミハエルさんは...

 孤児院の前に静かに降り立ち、胸の辺りがまたぱかっと開いた。雨とアスファルトと濃い臭いが中に入り込み思わず泣きそうになってしまった。


「ほら降りて、家族の人が待ってくれてるよ」


「ありがとう!アマンナ!」


「絶対遊びに来てね!もう私達のおうちは分かるよね?!」


「本当にありがとう」


 ルメラやアカネ達が口々にお礼を言って先に出て行く。


「あ、あ、ありがとう、わ、悪いんだけど、後ろ、気を付けてくれ」


「だぁー?!何吐いてんの!黙ってないで言ってよっ!」


「あー、掃除道具持ってこようか?」


「もう!いいよ!遊びに来た時にうんと仕返ししてやるから!」


「分かった、おれも手伝うよ」


 アマンナに別れを告げてから、外に身を乗り出した時に後ろから声をかけられた。生まれて初めて言われた言葉だった。


「エフォル!その髪の毛いいね、オリジナリティの固まりみたいでわたしは好きだよ!」


「ありがとう、アマンナもシスコンには気を付けなよ」


「?」


 可愛い笑顔で手を振りながら、小首を傾げている。おれが手のひらに乗ったのを見届けてからゆっくりと孤児院の門まで下ろしてくれた。一人ずつ手のひらから降りて、おれが降りた後はまた機体がやおら立ち上がり、再び空へと上昇していく。

 赤い夕日を受けてなお赤く輝く機体は、おれ達を真上から暫く眺めた後、切り払われた空へと飛んでいった。


「皆んな!皆んな!あぁ良かった!」


 ファラが涙声を上げながら駆け寄ってくる、ほんとボリューミーな人。その泣き顔を見ているだけでこっちも泣きそうになってしまう。門を開いて皆んなの所までやって来た、けれど誰も何も言わない。


「エフォル」

「エフォル」

「エフォル」

「言うことあるでしょ」


 皆んな一歩下がっている、涙目になってるくせに!


「?」


「あーあー、その、あー…その」


 ファラも察したのか、おれが何か言うのをきょとんとしながらも待ってくれている。言うべきことを言わないと。


「ミハエルさんは…おれを庇って……その、格好良いだろうって言ってた!あんたが振った男はおれを守ってくれたんだ!」


 結局、伝えてしまっていた。それに言葉もめちゃくちゃだった、また、目頭が熱くなって鼻の奥もつんとして。超えたかった人がおれを守った死んだのだ。


「………いいの、いいのよ、あんな意地っ張りは」


「でも!でもぉ!おれは、ファラを色んな所に連れて行きたくてぇ!それで無理して働いてぇ!身入りがいい軍人も選んでぇ!結局失敗して、それで、それなのに!あの人はっ!」


「馬鹿ねぇ、ほんとエフォルは、そんなことのために…」


 おれが遅くまで働いて、軍学校の採用試験を受けたのも、前にファラが「色んな所へ行ってみたい」とぽろっと溢した願いを叶えるためだった。一人で稼いでファラを驚かせてやろうと躍起になって働いていたのだ。

 今さら、隠したところでどうにもならないのに、涙を見せたくなかったので下げていた視線を上げると、ファラが真っ直ぐにおれを見ていた。とても真剣な目付きをしていたのでドキリとしてしまった。


「エフォル、もう、私や他の皆んなと喧嘩しないって約束してちょうだい、あなたを叩いたこと本当に後悔していたわ、私ももうあなたのことを子供扱いをしないと約束するから、ね」


「………」


 何度も頷いた。何度も頷いた。おれももう、ファラに叩かれたくなかった。


「さぁ!家に入りましょう」


 ファラの合図に皆んなが家の中に入っていく。おれは少し離れたところを歩いていたので、遊具の前にぽつんと立っていた男の子に気がついてしまった。

 

『泣き虫』


 そう、言われたような気がしたけど、気のせいだろうと思い直しておれも家に入った。でも、どうせなら最後にお前に泣くほど大事な家族がいるのかと、言い返したかったけど振り返った先にはもう、男の子は立っていなかった。

※次回更新 2021/4/9 20:00 予定

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