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第五十九話 マギール

59.a



 視察で訪れたカーボン・リベラ第十九区では虫の知らせを受け取ったのか、預けられたピューマ達が中世を思わせる木造建築の建物の中から出てこようとしなかった。この区は他とは趣が異なるようで、聞けばメインシャフト五階層から受け継がれた伝統製法を代々守り続け、各区へ工芸品を供給する役割を持っているらしい。言わば芸術の街、気難しい連中の集まりとなっており先程から一向に話しが進まなかった。

 儂と調整役のアコック、それから第十九区の区長を務めているのは壮年の偉丈夫であった。


「何故、動物を模したアンドロイドが建物の中から出てこようとしないのです?」


「それを聞いているのは儂らの方だ、何があったんだ?」


「ふむ……では、陰謀論は否定すると……」


「陰謀論?何の話しかね」


「彼らは破滅因子を持ち合わせた機械の神、そう、デウス・エクス・マキナの子孫とお見受けしますが?」


「違う、ピューマはティアマトと呼ばれるグラナトゥム・マキナが製造した機械生命体だ、この区にもある汚染されたカリブンを洗浄する力を持っておるんだ」


「やはり……第三の門は既に開かれたと……」


 こめかみに青筋を立てながら偉丈夫の向こうに佇むギルドを思わせる建物を指さして、


「あそこに見える!あの門を開けてほしいんだがな!」


 ちらりと偉丈夫が一瞥してすぐこちらに向き直った。


「ハンザ上層連盟の寵愛を受けねば、いくら私とて開門は不可能です」


「ならさっさとその寵愛とやらを受けてこい!ハンザ同盟だか何だか知らんがこっちは調査の為にわざわざ来てやっているのだ!」


「何と…恐れ多い……自ら神に寵愛を求めるなどと、魂がいくつあっても足りはしない」


「上層連盟の連中は人間だろうがっ!!神なのか人間なのかはっきりしろっ!!」


「ま、マギールさん、落ち着いてください」


 冷や汗をびっしょりとかいたアコックが仲裁に入った。何も話しにならない区長相手にではないだろう、ここへ来ると言った時からこの様子だった。

 時刻は夕暮れ時、茜色に染まる太陽が高速道路の向こうに沈みゆく時間帯だった。前回の襲撃事件を受けその際に各区の協力もあって迅速にピューマ達を移送することが出来た。しかし、移送だけで肝心の再生計画の方は遅々として進んでいない。こちら側の要望を積極的に取り入れ既に成功している区もあるのだが、第十九区のように区長だけでなく他の連盟やら団体やらの立場に(がん)()(がら)めになってしまっていると、移送されたピューマ達を大事そうに囲っているだけであった。

 だが、未知に対しても積極性を持ち合わせた人物がここにもいるはずなのだ。だからこそピューマの受け入れに協力してくれたのだ。


「もう良い!貴様では話しにならん!ピューマ受け入れを後押しした人物がいるはずだ!さっさと儂の前に連れてこんか!」


「それでしたら、」


「マギールさん!今日のところは一旦引き上げましょう!」


 馬鹿な偉丈夫の視線を受けたアコックがさらに慌て出した。


「何だ、この音は……」


 馬鹿な偉丈夫がゆっくりと周囲を見回し始めた、とくにおかしな音はしていないが。


「貴様を冥土に連れて行くラッパの音ではないのか?」


 儂の皮肉にもまるで答えない。


「後ろから……」


 振り向いた先はギルドを思わせる建物、ピューマ達を詰め込んでいる場所だ。



「何て事だ何て事だぁ!オーノォーっ!!」


「それ見たことか、さっさと外に出さんから」


「……これは……」


 馬鹿なのかこの区にいる連中は。

慌てた偉丈夫の後に続き、上層連盟の寵愛を受けてもいないのに簡単に扉を開け放ってみせた。中は惨憺たる光景となっていた。


「あぁ!そんな……あぁ!これもあれもそれもどれも壊されているぅーっ!!我らの魂が……御魂が……」


 年季の入った皿や壺は割れ、額縁に入れられた絵画は引き裂かれ、女神を思わせる像は真っ二つにされていた。ここは工芸品を貯蔵していた場所だったのだ。馬鹿としか言いようがなかった。儂らが入ってきた途端に暴れ回っていたであろうピューマ達は部屋の片隅に身を寄せ合って震えていた。まともに話せそうな犬型のピューマに声をかけて何があったのか聞き出した。


「"と、突然、変な声が聞こえ始めて……その後回りにあった絵も僕達を睨み始めたので……"」


「気にするな」


「気にするYOォ!!何て事をしてくれたんだ!!」


 馬鹿な偉丈夫の雄叫びにピューマ達が次から次へと外へとまろび出て行く、その際もまだ生き残っていた工芸品を壊していったようだ。


「儂らのせいか?ん?ピューマ達をこんな所に閉じ込めたのはお前さんらの責任だろう」


「あたしはただ皆んなを言うことを聞いただけよっ!!何でこんな目に合わなきゃいけないのよっ!何とかしなさいアコック!」


 人格崩壊も甚だしいなこの男。綺麗にセットしていた黒髪も乱れて口調も女のそれに変わっていた。野太い男の声で女のような口調でに非難を受けたアコックが慌てふためている。


「な、何とかするからとにかく落ち着いてくれ!」


 ...この男は全く凝りもしない。



「"おいじじい、閉じ込められるぐらいならあそこに戻してくれ"」


「"おれ達は缶詰にされるためにこんな所に来たんじゃないんだ!"」


「もう暫く辛抱してくれ、他の区では仲間達が頑張っておるのだぞ?」


「"だったら仕事をくれよ!あんな薄気味悪い所に閉じ込められたんじゃ暇してた方がまだマシってもんだ!"」


 「そうだそうだ!」とピューマ達の合唱を受けて辟易してしまう。

逃げ出したピューマ達はギルド前の広間で集まり、周囲からの視線に耐えながら身を寄せ合っていた。儂が到着するなり非難轟々、仕方がないと思うが当たるのはやめてほしい。それにどう数えても()()()()


「これで全員か?」


「"知るか!こっちはいきなりトラックに詰め込まれてここまでやって来たんだ!いちいち見てらんないよ!"」


 やたらと威嚇的な猫型のピューマの返答を受けて思案していると、話しを付けてきたアコックが広間に姿を現した。その顔は幾ばくか平坦なものになっていたが流れて出た冷や汗の跡だけは残っていた。


「マギールさん、上層連盟からのお願いがありまして……」


「弁償ならせんぞ、そもそも無理な話しだ」


「いえ、もし補填してくれるならピューマ達の取り扱いについて再考すると返答も頂いていますので……」


「再考とは何だ?」


「…後で話しは詰めておきます、だからどうか彼らの願いを聞き届けてはもらえませんか?」


 まだ非難を浴びせているピューマ達を見やり、さらに周囲に集まり始めた見物客も見やりながら致し方なし、と溜息を吐いた。



[もう一度言ってくれないか、マギール]


 ついに呼び捨て。いつかはこの日が来るとは思っていたがこれも仕方がない。


「第十九区に預けたピューマ達が工芸品を壊してしまってな、それの補填を頼まれたのだ、お前さんらは今六階層のマテリアル・ポッドを回収しに出向いておるのだろう?ついでに五階層にも赴いてだな、適当な工芸品を見繕ってはもらえんか」


[お使いをさせるつもりなのか?今私らがどんな状況に立たされているのか知っているだろう]


「分かっておる、だがこれもひいては街の為だ、聞いてはくれんか」


[やっと六階層へ行けると思ったら、次から次へと……]


「次から次?また何か起こったのか?中層の町に滞留していた特殊部隊の連中と戦闘になったのは聞いているが…」


[何だ聞いているのか、それでよくそんなお願いが出来たな]


「ふぅむ、どうしてもいうなら諦めるが……」


[はぁ……なぁ、本当にピューマ達は大丈夫なんだろうな?]


「安心しろ、他の区ではカリブンの洗浄に成功しておる、ナノ・ジュエルとまではいかんが資源としては十分だ」


 ナツメが一拍置いてから捲し立てた。


[そういう大事な話しはもっと早くに報告してくれ!現場の士気も大きく変わるんだよ!]


「失念しておった、そいつはすまん」


[いつ戻れるかは約束出来ないぞ?]


「構わん、五階層に到着したらまた連絡をしてくれ」


 了承した旨を聞いて通信を切った。古めかしい木で作られた椅子に背中を預けて窓の向こうに目をやる。


「立派と言えども街はそうもいかんか……」


 馬鹿な偉丈夫に案内された場所は第十九区のホテルだ、中庭にはスポットライトを浴びた立派な樹が一本立っていた。しかしよく見ればあれも作り物のようだ、ささくれだった樹の表面に何か加工されているのか光沢があった。

 まぁ端的に言えば人質、それとピューマの面倒を見る役目に抜擢されてしまいこの街に逗留する羽目になった。期間は工芸品の補填が完了するまで、何とも馬鹿げた話しだがこれも一重に街のためだと自分に言い聞かせて承諾したのであった。

 扉が小さくノックされた。アコックではないだろう、儂から逃げるように主要都市へ戻って行ったのだ。


(はて、こんな儂に用事とは……)


 扉を開けると彫りが深く髪を乱雑に伸ばした青年がひっそりと立っていた、初めて見る人間だ。


「夜分遅くに失礼致します、急な来訪申し訳ありません」


「良い、何か用事かね」


「はい、あなたの周りにいた生き物をこの目にと思いまして、良ければ会わせていただけませんか?」


「こんな遅くにか?」


「いえ、明日にでも」


 ピューマに興味を持って儂の所にやって来たのか。大方馬鹿な偉丈夫が寄越したのだろうが...良い機会かと思い青年のお願いを聞き入れることにした。


「儂はマギール、お前さんの名を聞こうか」


 そこでようやく僅かに下げていた視線を上げて、儂の目を真っ直ぐに見ながら答えた。


「アンドルフ、と申します」



59.b



 滞在四日目。マギールから吉報がもたらされてメインシャフトに降ったメンバーもにわかに活気づいていた。

 私達が戦闘していたのは新型のビーストではなかった、階層の探索に赴いていたサニア率いる第二部隊の連中だったのだ。どういう絡繰りか互いに姿をビーストに変えられ誤認し合っていた私達は銃を向け合っていたことになる。とんでもない話しだ、酒の肴にすらならない。

 決議の場に参加していたタイタニスが戻ってくるなり攻撃を中止しろと慌ただしく連絡を寄越し、何事かと事情を聞いている間もなくアヤメが悲鳴を上げたのだ。まさかと肝を冷やしながら駆けつけてみれば、瓦礫に挟まった部隊の人間を助け起こそうとしていたのだ。パニックに陥っていたアヤメを取り敢えず引き剥がし、防人分隊を呼んでから救出活動に入った。

 工場区へアオラと点検に向かい、その帰りにマギールから連絡を受け取っていた。隣を怠そうに歩く赤髪の女が私に声をかけてきた。


「あの子は大丈夫なのか?足」


「平気だ、それよりアヤメを何とかしてくれ」


 付きっきりでちっとも前線に立とうとしない。目下の脅威はひとまず去ったが次が起こらないとも限らない、いい加減に立ち直ってほしいもんだが...


「無理だな、自分のせいだと思い込んでいるんだ、完治するまでは離れたりしないだろ」


「あの子…あー、アリンといったか、あの子からも離れてもらうように言ってもらうか」


「やめとけ、何だって怪我人にそんな酷なこと言わせるんだ、何かあったらサニアを連れて行けばいいだろう」


「あいつは中層の街を率いているんだろうが」


「見たかあいつ?ほんと中層は人が変わる場所なんだな」


「そういうお前は髪型しか変わっていないな」


「変わらない人間がいてもいいじゃないか、皆んな変わっちまったらどこだか分からなくなってしまう」


 減らず口ばかり、ああ言えばこう言う。

工場区から搬入口へと向かう通路、乾いた鉄の音が響き足元を照らす常夜灯の光を下から受けて、少し前を歩く女を見やった。私の視線に気づいたアオラが私に振り向き罰の悪そうな表情に変わった。


「何だよ、女を抱くなって言いたいのか」


「誰もそんな事言っていない、この作戦が終わった後はどうする?」


「それは六階層の話しか?それともカリブン?」


「カリブンだ」


「どうしようも……まぁなるようにしかならないんじゃないのか」


 通路の出口が見えてきた、外には防人分隊と頼んでもいないのにサニアが待機していた。


「また資源が枯渇したらどうする?」


「………どうって、それ私に聞くのか?」


「………」


「いや、考えなくちゃならない事なんだろうけど、規模が大き過ぎてな、何から考えていいのかもさっぱりだ」


「お前もそうか、私もなんだ、改めてマキナはこんな難しい問題に面と向かって対処してきたのかと思うと……」


「だからと言って、」


「分かっているさ、だからと言って人間を調整していた話しは容認出来ない」


「お疲れ様でしたナツメ隊長、それからアオラも」


「私はついでか?まぁいいけどさ、別に」


 通路から出る前にサニアから労いの言葉をかけられた。最後に会った時以来だ、少し髪も伸びているようだった。


「無理はするな、すぐに戻ろう」


「はい」


「………」


 肩を竦めてアオラが防人分隊と何やら話しをしているが耳に入れないことにした。どうせろくでもないことに決まっている。

 私の隣にぴったりと引っ付いたサニアを連れて居住エリアに足を向けた。


「何のお話しをされていたのですか?」


「今後についてだ、お前達にもきちんと話しをする」


 何故蕩けた視線を向けてくるんだ。



✳︎



 嫉妬。胸の中を何かに引っ掻き回されてしまい焦りにも似た感情が渦巻く。それをどうする事も出来ず、ただ翻弄される以外にない。取り除く方法は一つ、他所に向いた熱い眼差しをこっちに向かせる以外にない。何が何でも。


(吐きそう……)


 気が狂いそうになった、私が私を殺す覚悟で奴の言いなりになったというのに。本来私が受けるべき優しさが他人に向けられたのが許せなかった。羨ましかった。妬んだ。


(けど………)


 今さらどの面下げて会いに行けるというのか、もう後戻りは出来ない。私は私だけが獲得出来る記憶のために皆んなを捨てたのだ。

 吐きそうだった、見るんじゃなかった。あの二人の様子をカメラ越しに見るんじゃなかった。すぐに出て行けば良かった。こんな糞みたいな事を仕掛けた奴に対する怒りよりも、あの人の優しさを一身に受けているあの女が許せなかった。


(……………っ!!!)


 声にならない叫びを上げた後、もうここに用は無いと一階層に置かれた医務室からログアウトした。

 また、何か警報でも鳴らしてやろうかと思ったけどやめた。どうせ皆んないなくなるんだ、それなら記憶に囲まれていた方が悲しまずに済むと血を吐く思いで自分に言い聞かせた。



✳︎



 恥ずかしいなんてものではなかった、今すぐに起きて頭を下げたい思いだ、こんなに一生懸命看病されてしまうと申し訳なく思ってしまう。

 

「ごめんね、私のせいで」


「い、いえ……あ、アヤメさんは何も、悪くはないと思います」


「でも、私が投げたグレネードにアリンちゃんの足がこんなになっちゃったし…」


「あ、あの、私の名前、カリン、です、アリンはお姉ちゃん……」


 私の指摘にさらに眉尻を下げてしまった。


「本当にごめん!カリンちゃんだよね!ごめんね、わざとじゃないの!」


「い、いえ!良く間違えられますので!だ、大丈夫です!ほんと!」


 気づかわしげに視線を向けて必死になって私の足を摩ってくれる。

 青い瞳は主要都市生まれではない、地方区と呼ばれている小さな街に住んでいる人特有の目をしていた。長いまつ毛に伏せられた瞳を足や私に行ったり来たりさせて、この部屋に訪れてから何時間も経っていた。

 どうしようかと、これではおちおち眠ることも出来ないと頭を悩ませているとブーツが床を踏み鳴らす音が室内にも届いてきた。私とアヤメさんがいる部屋の前まで立ち止まり遠慮なくノックされて間も置かずに扉が開けられた。


「失礼する、足の具合は?」


「へ、平気です!あ、安静にしていれば直に治ると……」


 入ってきたのは第一部隊隊長のナツメさん、物々しい雰囲気を漂わせ手にはアサルト・ライフルを持ったままだ。さらに奥から整備長のアオラさんも顔を覗かせていた。


「アヤメ、程々にしておけよ、あまり病人に気をつかわせるな」


「あ、うん…」


「あ、あの、もう少しだけ…私の方からも、その…」


 気がついた時にはアヤメさんの袖を引っ張っていた。そんな自分が不思議に思えてならない。


「マギールから追加の指令を有難く頂戴してな、寝る前に私のところに顔を出せ、あまり長居はするなよ」


 それだけ言い残してナツメさんとアオラさんが部屋から出て行った。


「どうかした?どこか痛む?あ、もしかして私が摩り過ぎたせいで…」


「ち、違います、あの、お礼を、言おうと思って引き止めて、しまいました」


「お礼ってそんな…」


「あ、アヤメさんも搬入口で起こった事は聞いて、いらっしゃるんですよね」


「うん、わざとビーストに見せかけていたって、ナツメからも報告はもらってるけど…」


「それなら、やっぱりアヤメさんのせいではないと思います、私も同じ立場なら攻撃していましたし、というか私達もビーストだと思っていましたから」


 やっとどもらず話せるようになった。


「でも、グレネードを投げたのは私、怪我をしたのはカリンちゃん、怪我が治るまでは気になって仕方ないよ、分かる?」


「わ、分かります……」


 同意してどうするの私!


「カリンちゃんは優しいね、怪我してるのに私の事気づかってくれたんでしょ」


 微笑みを私に向けながらもう一度足を撫でてくれたけど、そんなんじゃない。そんな立派なものではない。


「違います、私は私を気づかっているだけなんです、いたたまれない気持ちから早く解放されたくて言っただけなんです」


 私の独白にも嫌な顔をせずに黙って聞いてくれている。詰まるところはそれだった、相手を気づかっているんじゃない。


(どうしてわざわざこんな事を言ったんだろう…)


 自分から嫌われるような事を言うなんて...けれどアヤメさんがしたり顔で、


「分かる」


「………え?」


「昔の私もそんなだったから何となく分かるよ、好かれる努力じゃなくて嫌われない努力、と言えばいいのかな、とにかくそんな感じ」


 アヤメさんの言葉にぴんときた。とてもしっくりと来る言葉だった。少し下げていた視線を戻して、真っ直ぐに私を見つめながらはにかむように言ってくれた。


「……やっぱり君は優しいよ、私をがっかりさせないためにわざわざ言ってくれたんでしょ?私ならそこまで言ったりしないから、自分を悪く言うのは良くないよ」


 言葉が出てこない、それに鼻の奥と目頭も熱くなってしまったようだ。あと少しで涙が決壊しそうになった時、唐突に警報がけたたましく鳴り響いた。


「なっ?!なに?!」


「何で?!ここ病室ですよね?!」


 鼓膜に突き刺さるような音が病室にも関わらず鳴り響く、軽くパニックになってしまった。何かに襲われたのか、もしかしてビースト?!同じように感じたのかアヤメさんが私を庇うようにあたふたしていると扉が勢い良く開かれ二人して悲鳴を上げてしまった。


「きゃああっ?!」

「いやぁっ?!!」

「だぁあっ?!!」


 部屋に入ってきたのは息せき切ったお姉ちゃんだった、器用に二つトレイを持っていた。


「何事?!」


「し、知らないよ!急に警報が!」


「あ、アリンちゃん?!外は大丈夫なのっ?

!」


「だ、大丈夫です!警報の音が聞こえたから慌てて来たんです!」


 外の様子を聞かれたお姉ちゃんがアヤメさんに視線も向けずに口早に答えた。いきなりちゃん付けで呼ばれたのが恥ずかしかったのか、それとも単に嫌だったのか分からない。

 そうこうしているうちに警報が鳴り止んだ、一体何だったのだろう...まぁおかげで泣くところを見られずに済んで助かったけど...

 食事を持って来てくれたお姉ちゃんが手近にあったテーブルにトレイを置いたのを見計らって、アヤメさんがとんでもない事を口にした。


「カリンちゃんってよく食べるんだね」


「ち、違いますからっ!そんなに食べられませんから!」


「これはあなたの分です!ついでに持ってきたんです!」


「あ、ごめんまさか私の分まで…気が利くね、か、……アリンちゃんは」


「ふふふ」


「いや別に!看病してくれていたのでこれぐらいはと思って…当たり前の事をしただけです!」


「ありがとう」


 真っ直ぐにお礼を言われたお姉ちゃんが明後日の方向を向いている、私はまた名前を間違えそうになったアヤメさんがおかしくて小さく笑ってしまった。



✳︎



「さっきの警報は何だったんだ?」


「さぁ知らない、誤報でしょ」


 病室で顔がそっくりな姉妹と別れて、言いつけ通りナツメの部屋にやって来ていた。カリンちゃんが妹、アリンちゃんがお姉さん。何度も心の中で反芻しながら復習していた、次は間違えないようにしないと。


「で、話しって何?マギールさんのこと馬鹿にしてたような気がするけど」


 ナツメは部屋の仮想風景をよく弄っていた。昨日は確か私達の街と似たような、高層ビルが真向かいにあった夜の摩天楼だったけど今日は違う。のどかな田園風景にまん丸いお月さんが昇っていた。

 ベッドの上で胡座をかいて銃の手入れをしていたナツメが当たり前のように口した。


「五階層にも行って工芸品を回収してから帰ることになった」


「はぁ?何でそんな事しなくちゃいけないの?」


 ベッドの近くに置かれていた、()()()()()()()()椅子に腰をかけながらそれに答える。


「第十九区でピューマ達が何やら壊したんだそうだ、その補填だよ、そうすれば向こうもピューマを丁重に扱ってくれるらしい」


「えー…でもまぁ、カリブンは綺麗になっているんだよね?」


「そうだ、ならやるしかないだろ」


「何でそうなったのか気になるけど……じゃあ明日はサニア隊長達にもお願いするの?」


「いいや、依頼するつもりはない、そもそも工芸品とやらがあるかも疑わしいのに手を借りる訳にもいかないだろ」


「でも私らはマテリアル・ポッドも回収しなくちゃいけないんでしょ、手が足りないんじゃない?」


「そうなんだがなぁ……中層の街を仕切っているのは事実上サニアなんだそうだ、本人はそのつもりはないと言っていたが……」


「はぁ…向こうはこれからどうするんだろうね」


「知らん、そんな事まで回せる頭がない」


「薄情な」


「向こうにはセルゲイ総司令もいるから大丈夫だろう」


 ナツメは総司令の話しをする時は限って死んだような目付きになる、昔からだ。


「ねぇ、いい加減忘れなよ、何があったか知らないけどさ」


 脈絡のない私の言葉にもすぐに返してきた。


「体が覚えているんだ、仕方がない」


「そんなだったっけ、ナツメってさ」


「こんなもんさ、私みたいな奴が何故隊長になれたと思う」


「聞きたくない」


「なら最初っから話しを振ってくるな」


「………」


 下らない、心底下らない。私の好きな相手が下らない事で変えられてしまったのかと思うと、やるせない気持ちになってしまった。


「まぁいいけどさ、別に」


「そういう物言いはアオラに似ているんだな」


「何、仕返し?」


「仕返しならもっと酷い事をしてやるさ」


「言っとくけど昔の事は洗いざらいグガランナとアマンナには話してあるから、次やったら許さないと思うよ」


「だからあの二人は最初っから私のことを目の敵にしていたのか……」


「それでも仲良くなったナツメは大したもんだと思うけどね」


「お前のその人の優しさを当てにするのも大したもんだと思うぞ」


「悪い?」


「いいや、昔みたいに誰彼構わず良い顔していた時と比べたらマシだよ」


 椅子にかけてあった下着をナツメに向かって放り投げた、銃の手入れで視線を落としていたくせに難なく避けられてしまった。それにムカついたので下着を触った手をこれ見よがしに振ってみせた。


「うぇ、ばっちぃ」


「お前……嫌がらせが子供レベルだな」


「ナツメもさ、いい加減に変わりなよ」


 今度は面食らったように言葉が返ってこなかった。


「誰かに甘えるぐらい、いいと思うよ」


「……………」


「私は二人に甘えまくってるけどさ、ナツメは一人で我慢し過ぎだって、見てらんない」


 今度はナツメがシーツを私に投げてきた、あまりの大きさにとてもじゃないが避けられない。頭から被ってしまって何が何やら、慌ててシーツを取っている間に後ろに回り込まれナツメの長い腕が私の首に巻かれて...

 締め上げてきた!


「ぐぅえっ!」


「………」


「ちょっ!こういう時って!甘えて!くるもんじゃ!タイムタイム!!」


「………」


 無言、これはマジなやつだ。完全にナツメを怒らせてしまったようだ、何度も手を叩いているのに一向に力を緩めようとしない。


「目がぁ!チカチカぁ!してきたからぁ!やめてぇ!!」


「……はぁ、二度と下らないことを言うなよ!」


 見やればナツメも顔を真っ赤に染めていた。意味が分からない、人の首を締め上げておいて何故照れているのか。


「ドS?そういう性癖なの?私そこまで耐性付けてないんだけどナツメがそうなら……」


 ナツメに睨まれて、まん丸いお月さんも呆れたように見える部屋からそそくさと出て行った。



59.c



「画家の家とは、そういうものなのかね」


「ええ、この区には代々美術関係に携わる家が多いのですよ、私もその端くれに席を置いておりまして」


「ふむ、ならお前さんはピューマを描きたいのか?」

 

「いいえ、我が家に置かれた絵画の源流を辿りたいのです」


 明け方、早速儂の所にアンドルフと名乗った青年が顔を出してきた。寒暖差の激しい街なのか、霧に覆われた街中ではすぐ近くにある建物すら輪郭がぼやけており、霧の向こうに昇った太陽の幻惑を誘う光と相まって日常の中にいながら幻想的な風景を感じさせてくれた。

 向かっているのは儂が無理やり貸し付けた一つの倉庫だ、また工芸品を貯蔵している所にぶち込む訳にもいかんので苦労して探した倉庫だった。泊まっていたホテルを出て石畳の通りを歩き霧に見舞われた倉庫が軒を連ねる場所までやって来た。ふと、その絵画とやらが気になったので青年、アンドルフに声をかけていた。


「それはどんな物かね」


 ただの世間話しのつもりが相手の顔を曇らせてしまったようだ。


「とてもじゃありませんが人様にお見せできる物ではありません、私も何故あのような物を描いたのか理解ができないのです」


 そう言われると見たくなるのが人の心理であるが...

渋い顔をして貸してくれたオーナーに挨拶もせずに倉庫の扉を開け放った、中では未だ眠りこけているピューマ達が思い思いに寝床を作っていた。貸し倉庫としてはどこか埃が目に付くが、元々この街には芸術家が多いのだ、描くなり作りなりした品を預けるのに利用していただけなのだろう。

 眠りについているピューマにアンドルフが近づき、とくに何をするでもなくしげしげと見つめている。そして一つ溜息を吐いてから倉庫の入り口に立ったままだった儂を振り仰いだ。


「素晴らしいですね……完璧に動物を模しているのがよく分かります」


「分かるのか?この街に生きた動物はおらんが」


「はい、我が家には動物に関する資料が埋まる程にありますので、目にも脳裏にも焼きついております」


「そうか……それで、見るだけで満足なのか」


「良ければ生き生きと動き回っているところも見てみたいのですが、可能でしょうか?」


「勿論だとも、また昼頃に儂の所へ来い」


 やおら立ち上がったアンドルフが、目元を嬉しそうに細ませた。



「黒く汚れた場所へピューマを連れて行きたい?それはどこの聖書に書かれているのかね?」


「………」


 訪れていたのは区長が根城にしているとある屋敷だった。倉庫群を抜けて、かの有名な川を思わせるほとりを抜けた先、豪華にあしらわれた通りに見事な樹(作り物)に囲われてこの男が住んでいると、アコックから聞き出していたのだ。

 儂はてっきり女口調で話すのかと身構えていたのだが、この男がいよいよ分からなくなってしまった。まぁいい、と気を取り直して用件を伝えた。


「アンドルフと名乗る青年がピューマに興味を持ってくれてな、どうせならこの区にある廃棄場へ案内しようと思っているのだよ」


「アンドルフ?あのアンドルフのことかね」


「どのアンドルフか知らんが、彫りの深い青年だ」


「彼に関わるのはやめておけ、身のためだ」


「何故かね」


「かの家は代々「殺し」の絵画を描いておるからだよ、ろくなものではない」


 ぴんときた。道理でお見せできるものではないと言っていた訳だ。

案内された客室には見事な絵画が壁に飾られていた、一つの山を背景にして花を描いたもの、ある家族の日常を描いたもの、どれも平和的かつ平凡な絵画であったが見る目に力がこもってしまった。


「この絵画が分かるのかね」


「いいや初めて見るものだが…お前さんは余程良い目をしておるのだな…」


「いかにも、この絵画は作者不明とされているのが実に勿体ないぐらいのものだ、これだけ描けるなら名の一つぐらいは残っても良いものだが…」


「どこでくすねてきた」


「失礼な、公式オークションで落札したものだ、きちんと証明書もある」


「このような絵画がもう一つ手に入るとしたら?お前さんはどうするかね」


「賄賂の話しならお断りだわ、すぐに帰ってちょうだい」


 分かりやすい男だな。思わず鼻で笑ってしまいそうになった。


「賄賂ではないさ、儂の話しを聞いてもらえるのだ、ならお前さんに融通を利かせるのも道理だと思わんかね」


「………………」


 ねっとりとした視線を儂に向けてきた。


「絵画が望みか?もう既に五階層へ赴くように話しも通してある」


「何ですって?!………いえ、何でもありませんわ」


「それと後押しした人物も明かしてもらいたい、アコックと何やらやっているようだがこの際目を瞑ろう、破格の条件と思わんか?これで勘定が出来ないなら今すぐ区長を辞めるべきだ」


「何故そこまでするのかね」


「…約束を果たす為さ、死に損ないを守ってくれた者への罪滅ぼしだ」


 急に立ち直った区長に、決めていた言葉を告げた。誰に聞かれても同じように答える、と。恥ずべき事ではない、寧ろ守ってくれた者を誇れるのだ。

 絵画を見ながら話しをしていたので区長の動きに気付くのが遅れた。こいつが何を思ったのか知らんがしっとりと深く沈み込むソファに腰をかけていた儂の前で跪いてみせたのだ。そして恭しく頭も垂れてみせた。


「メシアよ……この穢れた身を……思うがままに……」

 

「誰もそこまで求めておらんわ」


 気色が悪いにも程がある。

何とか話しを付けた後、打って変わった態度から逃げるように屋敷を後にした。



 儂からさらに注文を受けたナツメに散々罵られた後、探索隊からも何とか了承の旨を受け取り区長に教えられた場所までピューマとアンドルフを連れてやって来ていた。場所は黒い水で満たされた湖だ、主要都市とは様子が違い蒸発防止用のカラーボールが投げ込まれていなかった。何でもここは「黒い湖」として街の名物になっているそうな、何とも逞しいものである。

 湖の周りには少ないながらも見物客がちらほらと散策しており、見えている木もどうせ作り物だろうが良い景観を与えていることには違いなかった。街の外れに位置するこの湖は不思議と嫌な臭いが一つもしなかった。

 物は試しだと、早速連れて来たピューマ達に黒い湖へ頭を突っ込ませようとすると周りにいた見物客に止められてしまった。


「あなた!一体何をしているの!そんなか弱い生き物になんて酷いことを!」


「いや、待ってくれんか、何も儂は、」


「待っていただきたい貴婦人、この方はカリブン再計画を進めているマギールという方なのです、虐待をしている訳ではありません」


 はて...


「何を仰って…貴方、貴方!」


 湖のほとりを散歩していたやたらと体付きの良い年老いた男性がマダムの呼び声に何事かと、こちらに歩みを進めてきた。「まだなの?!まだなの?!」と中途半端に頭を湖にやったシカ型のピューマが今か今かと儂を急かしてくるなか、男性がピューマを一瞥した後アンドルフに視線を寄越し盛大に顔を歪ませてみせた。


「何事かと思えば、君は「殺し」の家の者だね、先祖返りでも果たそうというのかい」


「いえ……そのような事では……」


「やめんかみっともない、歳下の青年に毒を吐いて何になる」


「貴方は一体…」


「儂はただ、この黒く汚れた湖を浄化しに来ただけさね」


「その生き物でか?」


「あぁそうとも、見ているが良い」


 後ろ足を踏み鳴らしていたシカに合図を送り「はいきた!」と勢いよく頭を突っ込んでみせた。シカの突進ぶりに目を丸くしている三人と一緒に付いて来た他のピューマ達が興味津々に見守るなか、喉を鳴らしながらシカが汚れた水を飲んでいく。「どう?!」「やっぱり不味いの?!」「げーしちゃダメだよげーしちゃ!」とピューマが騒ぐ。一通り飲み終えたシカが、


「"これただの水だよ"」


「は?」


 儂の素っ頓狂な声を聞いた途端に他のピューマ達が寄ってたかって体に噛み付いてきた。


「"ふざけるなこの老いぼれマギール!"」

「"散々待たせた挙句にこの仕打ちかえろえろマギール!"」

「待て!貴様ら何でその呼び名を知っておるんだ!」

「"アマンナに教えてもらったんだよくそえろマギール!どうしてくれるんだ!"」

「あのクソガキ!!」


 揉みくちゃになりながら、犬歯を当たり前のように突き立ててくるピューマを引き剥がそうとしていると笑い声が上がった。ほとりに尻を付いて取っ組み合いをしていたピューマも儂も上向くとマダムと男性が上品に笑っていたのだ。解せん。


「元気があって良いな、是非うちにも遊びに来てもらいたいぐらいだ」


「えぇそうね、愛嬌があって可愛らしいわ、私達の家も賑やかにしてくれそう」


「行くか?」


「"え、いいよ"」

「"え?!行くしかないでしょ何言ってんの?!"」


 この後ピューマ達が遊びに出かけた者達と儂に付いて来た者達と二手に分かれた。嫌味を真正面から言われたアンドルフはいつの間にか姿を消していた、何も酷いことを言われたからではないだろう。何とも聡い青年だ。



 再び区長の屋敷に来ていた、勿論文句を言うためにだ。本音を言ってしまえば目的の半分は達せられたのだからそこまで怒っている訳ではないが、手を組んだそばから舐められる訳にはいかないと断腸の思いで儂も歳下を詰っていた。


「答えろ!この穢れた大嘘つきめ!貴様のせいでいらぬ恥をかいてしまったではないか!」


「滅相もない!私はただ望まれた通りに湖をお耳に入れさせていただいただけでございます!」


「ならば何故このような事になったのだ!あれは廃棄されたカリブンではないのか!」


「は、廃棄されたカリブンでしたら私共も存在は知らされておりません!確かに黒く汚れたと……」


 儂のせいだと言いたいのか!儂のせいだな、確かに黒く汚れたとしか言ってなかった。


(タイタニスめ!各区に位置を知らせていなかったのか?!)


 役割分担という名の責任転嫁も甚だしい。きちんと役目を決めていなかったのも災いしてこんな目に遭ってしまった。


「良い!それと後押しした人物と会わせてくれるのだろうな?」


「もう間もなくこちらに到着するかと思います、メシア、何故そこまで会われようとなさるのですか?まさか、もうこの私が用済みと……絵画だけは!絵画だけはどうか!」


「ええい離れろ!傅いておるのか欲しているだけなのかはっきりせんか!」


 まぁこっちの方が良心が痛まなくて済むから良いのだが。

馬鹿なやり取りをしている間に件の人物が屋敷に到着したようだ。客室はエントランスのすぐ隣にあるので物々しい雰囲気を漂わせた車が屋敷の入り口に停められ、それなりの人数に守られながら敷居を跨いできたのですぐに分かった。その中心にいる人物がそうだろうが...区長を横目に見ると口元を押さえて震え上がっていた。


「あの車は…あの車WA!ハンザ上層連盟の……MONOぉ!」


「それはわざとか?」


 こんな所で出向く訳にはいかないとメシアを放ったらかしにして一人で部屋を出て行った。



 屋敷のエントランスに陣取った中心人物は一言で言えば、歴戦の兵士。儂と比べるまでもない程に迫り上がった筋肉がスーツの下に隠れていても分かる。眼光も鋭く、どこか禿鷲を思わせる獰猛さもかな備えていた。低く、酒で焼いたような乾いた声をエントランスに響かせた。


「君かね、俺を呼び出したのは」


 あの青年のように彫りが深く、そして髪の毛は黒い。この街特有の色をしている。ここにはいないあの秘密主義者の面影を残していた。いや...


「いかにも、儂はマギールという名だ」


「すまないが名乗れるものは譲ってしまっていてな」


「気にするな、アンドルフであろう?」


 周りにいたガードマンがにわかに殺気立った。中心にいる男は変わらず、口角だけを上げた表情に変化はない。

 年齢が読めん、儂より歳下にも見えるが年老いたようにも見える。腹の底は決して見せない、やりにくい相手には違いなかった。


「話しが早くて助かる、愚息が世話になったようだ」


「アコックは見かけんが……ここにはおらんのか、まとめて話しを付けようかと思ったんだがな」


「それについては後ろにいる男の方が詳しいだろう、エリアナ」


「………は、はぁ」


 この男...エリアナという名だったのか。


「ここでする話しではないだろう、俺を案内するなら早くしてくれ、嫌ならこの男を外に連れ出すだけだ」


 有無言わせぬ圧倒感、静かに喋っているつもりだろうが乾いた声はよく通り嫌でも耳に届く。この儂さえも無視出来ない存在感があった。

 冷や汗をかき、おそらく初対面であろうエリアナは体も声も震わせ叫ぶように返事をした。


「お、お、お好きにどうぞぉ!!」



 見放されたメシアが連れてこられた場所は何でもない、ただの喫茶店のような所だった。開けた場所に建てられた喫茶店の目の前には積乱雲を背景に高速道路が走り、日向と日陰で明確な温度差を作り上げていた。歴戦の兵士は日陰に、そして儂が日向に腰をかけて味のしないコーヒーを二人して無言で啜りあっていた。

 高速道路でカーチェイスでもしているのか、反響して伝わってきたクラクションが鳴り止んだ後男が徐に口を開いた。


「君は人間ではないだろう、何者だ」


「………そんな挨拶は初めてされたな」


「惚けるな、歩き方を見ればよく分かる」


 天辺はつるりと禿げ、耳から後ろにかけて髪の毛を残した頭を儂に見せつけながら不釣り合いな程に小さく見えるカップをテーブルに置いた。


「参考までに聞かせてもらいたい」


「まず、覇気がない、だが目的を持った者の歩き方をしている、しかしながら後ろに引きずられている、若者と老人を掛け合わせたような足取りだ、そうだな……体は若者、精神は老いぼれ、と言ったところか」


「………」


「詰まりはあり得ない、君のような存在は初めてだ、だからこうして俺がわざわざ出向いてやったのだ」


「……いかにも、儂は稼働歴元年より前に生まれた者だ、マキナに身をやつしたのさ」


 鼻で笑われるかと思ったが然もありなんと言葉を返してきた。


「何のために?」


「死ぬのが怖かったのさ、それと自我を持ったAIに一目惚れしてしまったのが運の尽きさ、死ぬ際を見誤ってしまった、気が付いた時には作り出されたAIに頭を垂れていたのだ」


「それは理由だな、俺が聞きたいのは目的だ、死の恐怖と永遠の恐怖は同義だ、何故そこまで生にしがみつく、参考までに聞かせてもらいたい」


 馬鹿にしている訳ではないだろう、相変わらず禿鷲の眼光を向けてはいるが蔑みは感じられなかった。


「…元々儂は研究者を志していてな、このテンペスト・シリンダーに関わりたかったのだ、だがそれが出来なかった」


「………」


「ある日転機が訪れた、稼働を始めたテンペスト・シリンダーで転居してきた人間同士で内紛が起こったのだ、外国から移住してきた者達と地元民との間でな」


「混乱に乗じて研究者の座を奪ったのか」


「いいや奪うまでもなかった、その時既に自我を獲得していたプログラム・ガイアによって処理されたのだよ、内紛を起こし先導した者達を、それが開発、設計、修理、ありとあらゆる事に精通する研究者連中だったのさ」


「それで君はプログラム・ガイアに頭を垂れたのか、夢見た座に着いていた人間達を見捨てて」


「そうさ」


 不思議な男であった。有無言わせぬ圧迫感を与えておきながら、人の胸の内をすらすらと言わせる独特な雰囲気も持ち合わせていた。この男の相槌は全く嫌味がない。


「ならば後は天命を全うするのみだ、安心しろ、君にも等しく死はやってくる、だがそれは安らぎになるだろう」


「まるで一度死んだことがあるような言い方だな」


「メメント・モリ、死を記憶せよ」


 ラテン語の言葉であったか...確か意味が二つ程あったはずだ。


「何、難しい話しではない、死を忘れるなという意味もある、今日は気ままに飲んで騒いでおけば良いという意味もある」


「何が言いたい?」


「メメント・モリ、死を記憶するのさ、言葉通りに」


「………」


「死は時として安らぎをもたらし、時として苦痛を際限なく与えてくる」


「お前さん…まさか……」


「メメント・モリ」


 大きく息を吐き出してから、


「君がマテリアルなら俺はエモートだ、この頭の中には元年から(こん)(にち)に至るまでの全てが記憶されている、槍で貫かれた祭壇広場も、代理戦争の果てにマキナが皆殺しにされた事も、そして」


 こう、締め括った。


「この俺も神に頭を垂れたあの日をな」



59.d



 いつか見た曇天の空の下、街が建設されたさらに下、円盤を支える極太の支柱の根本には人間共に牙を剥く連中が屯していた。ディアボロスにウロボロス、俺の子機であるヴィザール、そして突貫で作り上げた各種機体。空間保護システムに守られていないこの辺りは死の領域だった、見るからに支柱が変色し降り注ぐ雨すらも留まることを許さず地に降り立った瞬間から淀んだ煙を上げて急ぎ足で天へと帰っていった。

 これから成される行為はこちらにも危険が及ぶ、それを分かっているのかいつもの調子ではなく眠そうにしている男が厳かに口を開いた。


[何が何でも目的を達成しろ、そして軽はずみな行為は一切するな]


 マキナも人間にも等しく降り頻る雨が鋼鉄の大地を叩いている。汚染された地球の空気がテンペスト・シリンダーの上層にも這い寄り淀んだ地獄を連想させるこの場を形成していた。


[うけたまー]


[……一つ、宜しいでしょうか、ディアボロス様]


 冥界の番犬と永遠を象徴する蛇の尾を持ち合わせたマテリアルがいつものように返事を返し、ようやく完成した人型機に換装した我が子機が戦いの前に疑問を投げかけていた。


[何だ]


 それに端的に返す。


[後ろに控えているのは……ビーストと呼ばれるものでしょうか]


[それが何か]


[長年、人間達を苦しませていたのはディアボロス様だったのですか?一階層に築かれた製産区とは、ビーストを製造する為のものだったのですか?]


[それが何だ]


 適当に返事をしている訳ではなかろう、これから起こす事に頭の中を取られているのだ。


[……何故このような事を、人を守る為との大義名分と起こす行動に矛盾がございます]


[ならばお前は正々堂々と歩める道を知っているのか]


[………]


[どれだけの間俺達が苦慮し続けてきたと思う、新参者のお前に口出しされる謂れはない]


[…しかし]


[ならばお前が道を作る事だヴィザール、すまないが太陽にも負けないお前のその正義心を俺達に貸せ、その後は好きなようにしろ]


[ヴィザール、ディアボロスの言った通りだ、矛盾を腹に抑え込むのも一重に明日を生きる者達の為だ]


[…斬り捨てられる者達は一体どうすれば]


[天命だ、そう割り切れ]


[………]


[ここで引くことも出来るが、俺達という脅威が無くなった後は人間同士で争いを始めるだけだ]


[………]


[時間だ、今となっては錯乱してしまったテンペスト・ガイアではもうまともな統括は望むべくもない、俺達が事を成すだけだ]


 その言葉を最後に、地獄から召喚された大型のマテリアルが街へと飛翔していく。それに続きウロボロス、支柱を台地の代わりにして駆け上がるビースト、そして未だ飛び立とうとしないヴィザールと葛藤の渦に彷徨わせた俺が地獄に残っていた。


[…恨むなら俺を恨め、お前のその正義心は後の為に必要だ、決して曇らせるな]


[…はい]


 ようやく頭部を上げ、銀色に輝く人型機が地獄を抜け出した。



✳︎



 大粒の雨に打たれて一人佇んでいた。手にはまだ感触が残っている、出来ることなら本物が良かったが贅沢は言えない。

 小さな庭園からは第十九区の街並みが見えていた。民家の壁に挟まれた小さな通りを歩き、何度も坂を登って人目の付かないこの庭園まで歩いて来た。


「……うぅ、うぅえっ」


 大粒の雨に打たれているのは僕だけではなかった。見晴らしの良い庭園の縁には鉄柵が設けられ植え込みに隠れていた。

 どうしても理解したかった、何故あんな絵画を描き続けていたのか。頭を弄られる前にどうしても答えを出したかった、そうすれば運命から裸足で逃げ出せると信じて。けれど失敗に終わった、何も理解出来なかった。いくら()()が本物ではないにしても、生き生きと僕の回りを駆けて好奇心旺盛にあちらこちらを観察していたのだ。

 ()()()()()()()、あまりの興奮によく覚えてはいない。僕の愚行をまるで暴くように一筋の雷が落ちて、そして動かなくなった。後悔と興奮、およそ日常生活では同時に発生し得ない感情に翻弄されストレスに敏感な胃袋が先に悲鳴を上げてしまった。


「探したぞ、アンドルフ」


「っ!」


 慌ててナイフを植え込みに投げて隠してから、徐に立ち上がった。庭園の入り口には政府に勤めるアコックが傘をさして立っていた。濡れ鼠になっている僕を見ても驚きもしない、冷淡な目を向けているだけだった。


「……何と答えればいい?」


「マギールが連盟長と会っていたな、何故引き合わせた」


 僕にはまるで興味が無いらしい、()()()()()の息子としか見ていなかった。


「僕じゃないよ、エリアナ区長が掛け合ったんだ」


 軽く舌打ちをしてからアコックも庭園に入ってきた、丁寧に刈られた芝生を無遠慮に踏み付けまるで関心を示さない。この庭園を作った過去の()()()()()を讃える石碑を避けて、僕が隠れている植え込みの近くまでやって来た。


「こんな所で何をっ……」


 ようやく僕に興味を持ったようだ。鉄柵と植え込みの間に横たわったピューマを見て絶句していた。非道な行いに衝撃を受けた訳ではない。


「約束していた分だよ、これ以外はきちんと隔離してあるから安心して」


「……これが一体いくらになるのか、お前は理解していないのか?」


「利益より真理だよ」


「下らない」


「下らなくないさ、いずれ僕にも記憶が与えられてしまうんだ、こんな糞みたいな行為は僕で終わりにしたい、君のおかげでようやく踏ん切りがついたんだ」


「勝手にしろ、上層連盟のしきたりには些かも興味がない」


 しきたりではないんだけどね。

これは偽物だ、作られた命なんだ。意識があろうと自我があろうとそれは僕達とはまるで違う、そう、電子世界に誕生したAIとさほど変わらない。

 自分に言い聞かせ、この場を離れるためにも横たわったピューマに手を伸ばした時、再び落雷に見舞われた、それも距離が近い。鼓膜を直接震わせてくる音に顔をしかめてしまった。そして次は体ごと巻き上げられそうな突風が庭園を突き抜けていく、身動きが取れないなかアコックが悲鳴を上げているがそれどころではない。横たわったピューマが飛ばされそうになっていたので慌てて押さえつけていたのだ。

 突風が止んだ後は、何か、金属が回転する甲高い音が聞こえ始め鉄柵の向こうに視線をやると、血よりも赤く、太陽よりも残酷に爛々と輝く瞳が二つ。人の形を模した機械が瞳と同じ色をした翼を大雨にも負けずに広げ、街を一望出来る庭園の下からゆるりと飛翔してきた。


「まさか……」


「な、んだ…あれは……」


 手元に抱いたピューマの冷たさも忘れ、肩に位置する場所に描かれた霞草と風鈴草に目を奪われてしまった。

 こんなにも早く天罰が下ったのかと、神すら跪かせる程の威圧さを持った曇天の只中にある紅一点を()()()ように見つめていた。

※次回 2021/3/31 20:00 更新予定

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