第五十八話 アヤメ
58.a
「…それでは只今より三度目の場を開かせていただく、前回は貫通トンネルで話しが終わってしまったが引き続きテンペスト・ガイアへレガトゥム計画について詳かにさせたいと思う」
どこか疲れた顔をした裁決者が口を開いた。
「…それで、今回の内容は何?いい加減に諦めてほしいのだけど」
同じく疲れた顔をした判決者がそれに答える。
「抜かせ、外殻部に身を潜めノヴァグと呼称されている生命体についてだ、製造理由について答えてくれ、あれは紛れもなくお前が作ったものだ、プログラム・ガイアにも確認は取ってある」
「証拠を、それが確かに私が製造したと言える証拠を提示しなさい」
疲れた顔も吹き飛ばし、判決者が食ってかかった。
「プログラム・ガイア」
[初期製造は稼働歴五百六十四年、第二次製造は稼働歴九百八十三年、第三次製造は稼働歴二千年となっています、製造責任はテンペスト・ガイアならびにティアマトとなっております]
場に騒めきが走る、大地母神を司るマキナまでもが彼女に協力していた事になるからだ。間髪入れずに当のマキナが割って入った。
「待ってちょうだい、私はこんなものに協力した覚えはないわ」
「リブート前に手を貸していたのではないか?」
軍神としてその名を承ったマキナが口を挟んだ。
「…私は一度もリブート処置を受けていないわ、プログラム・ガイア」
[ティアマトは稼働歴百二十年に起動後から現状を維持しております、リブート処置は認められません]
「ふぅむ……なら何故ティアマトが件の生物責任者に認定されておる」
天候を操り老齢を思わせるマキナが最もな事を口にした。
[ティアマトが製造した環境洗浄型生命体、別称「ピューマ」を模範とし、また技術提供が認められるからです、よってティアマトにも製造責任を有すると判断致しました]
当のマキナが目元を押さえて頭を振っている、頭痛などではないだろう。
「それは、確かに有ると言っても差し支えはないな」
「ティアマトよ、今の言葉の真偽は」
このテンペスト・シリンダーで最大体積を誇るマキナが、どこか慮るように視線を向けた。
「……そうだと言える、としか答えようがないわ」
「紛らわしい言い方はやめてもらえないか、協力したか否かだ」
「していないわ、確かに彼女にはデータを求められたけどそれをまさか転用していただなんて知る由もないし、こんなところでオリジナルを主張する気もない」
誰しもが気づかないうちに論点がすり替わっていく、本来の議題から何故ティアマトが協力していたのか、という降って湧いたようなトピックに誰しもが興味を抱いていた。この場でとくに興味を持っていないマキナは、奇しくも代替権能を有する冥界の神と判決者を上官と仰がされている司令官だけだった。
(いや、もう一人いるな……)
天の牛を由来に持つ新参者のマキナもだ、まるでティアマトを見ようとしない。前回の場では隣同士だった席も今は冥界の神の隣に変わっていた。
哀れな司令官がさらに突っ込んだ。
「そうは言うけど実は協力してたんじゃないの?それにシロナガスクジラの第一発見者なんでしょ?偶然とは思えないんだけど」
「ふざけないでちょうだいっ!そもそもあなたが私に初階層の調査を依頼してきたのでしょうっ!」
ティアマトがテーブルを叩きながら腰を上げ、唾を飛ばしながら抗議した。
「は?そんな訳ないでしょ、あなたと話すのはこの場が久しぶりのはずなんだけど」
「なっ……」
思いがけない言葉だったのか、鳩が豆鉄砲を食ったような顔をしている。
「ガイア」
二の句を告げられずにいたティアマトにさらに追い討ちをかけた。プログラム・ガイアに通信履歴を問い合わせたのだ。
[ティアマトとプエラ・コンキリオの最終通話は稼働歴千百二十七年となっています、音声を再生しますか?]
「聞きたい?間違いなくそんな事を依頼した内容ではないと思うよ」
「…………いいわ、すぐに消しなさい」
こうなってしまえばティアマトが虚偽を申告したことになってしまう。項垂れたように腰を下ろし冥界の神が口を開いた。
「どういう事なんだ?何故君はシロナガスクジラを発見するに至ったんだ?」
「それを言うなら何故破損されたデータから製造履歴を調べられたのか、裁決者に聞くのが先ではなくて?」
その言葉を受けて裁決者が何でもないようにすぐに答えた。
「破損されていたのは歴史データ、俺が調べたのは製造履歴だからだ、破損していようが関係ない」
その言葉を受けて再び冥界の神が問い質す。
「…だそうだ、それでティアマト、君が発見するに至った理由は?」
「さっきも言った通りよ、そこに座っていない司令官から初階層に展開している仮想領域の調査を依頼されたのよ、調べていくうちにアーカイブデータとリンクした……」
そこで何故か言葉を区切り、
「ある製造者不明のマキナがばら撒いていたのよ、そうよね?ディアボロス」
「…その件については既に話し終えているはずだ、蒸し返すのはやめてもらおうか」
「何の話し?あなたと会話するのはこの場が久しぶりのはずよ」
哀れな司令官を真似て返すが、ディアボロスが再びプログラム・ガイアを呼び出した。
[ティアマトとディアボロスの最終通話は稼働歴二千八百三十三年となっています、音声を再生しますか?]
「なっ」
「しろ、そこの物忘れが激しいマキナに教えてやってくれ」
まさに今、直近で通信をしたことになっているが当のマキナは知らないらしい。そしてすぐにその音声が再生された。
『聞こえているかしらお二人さん、/どうして拒否していたのかしら』
『………まぁいいわ、それより決議の場で/発言していた事だけど、あなた達は関係ないのね?最終確認よ』
『………えぇ、確認したわ』
『/初回層に展開している仮想領域を調べて/その一環で発見したの』
『/糞野郎、よくも/危害を加えてくれたわね、/テンペスト・ガイア/が仲裁に入ってくれたから良かったものの、大事になっていたらどうなっていたかしら?』
『/今回の決議の場が終わったら覚悟しておくことね』
録音された会話が終わる前から場は静けさとは無縁な場所となっていた。誰しもが口を開き内容について審議していた。依頼をした裁決者までもが議題を忘れ喚き散らしている。
「ふざけるなプログラム・ガイア!勝手なデータ編集は禁止されているはずだぞ!」
[編集をした履歴は認められません、これはオリジナル、]
「もういい!今すぐに消えろ!」
「裁決者、これはどういう事だ?お前も内密で成り行きを動かしていたようにも聞こえるが……ティアマトと仲違いでもしたのか」
「こんな会話をした記憶はない!デタラメにも程がある!」
「そうは言うがねディアボロスよ、編集していないとプログラム・ガイアが明言しておるのだ、言い逃れは出来まい?」
ティアマトに向いていた矛先が次はディアボロスに向けられそうになった時、一言も発していなかった天の牛が矛先ではなく涼やかな瞳を場に向けながら口を開いた。
「ガイア・サーバーではなくとも記録と編集は可能となっています、ご機嫌ようテンペスト・ガイア」
「…………」
...まるで人が変わったような態度、それに口ぶり、前回のような初々しさも怯えた様子が微塵も感じられない。挨拶をされた判決者も驚いたように瞳を開いている。
「便宜上「カオス・サーバー」と呼ばせていただきますが、そちらでは編集前の録音データがございます」
場にいる全てのマキナが突然口を開いた新参者を注視している。話しに聞き入っている訳ではない、懐疑の目を向けているのだ。
「さらにはガイア・サーバーから切り離されてしまった無辜のデータ群も避難しております」
「待ちなさい、あなたは誰?プログラム・ガイア、侵入者に何故席を与えているの」
さすがにテンペスト・ガイアが割って入りプログラム・ガイアを問い質したが...
[この場に異常は認められません]
問題無しと断言してみせた。しかしこれは明らかな異常だ。
「誰が場だと言ったの、グガランナを騙っているあのマキナを調べろと言っているの」
プログラム・ガイアが返答するより早く、天の牛に似た正体不明のマキナの足元から拷問具が展開され、息を吐く間もなく当のマキナを閉じ込めてみせた。あれはアイゼルネ・ユングフラウ、別名はアイアン・メイデン。扉の内側に付けられた鋭利な棘で罪人を閉じ込め殺すものだ。全ては文献上のものであり、空想の産物とされている。鉄の処女とも呼ばれる拷問具に閉じ込められている間、ティアマトが誰かと通信を行なっているようだ。目元が濡れて小さく微笑みなが何度も頷いている。
そして、拷問具の展開が解かれた後もなおグガランナに似たマキナが佇んでいることにティアマト以外が一様に驚き、そして落胆の声が漏れた。当然とばかりに勝ち誇った顔付きで天の牛を騙ったマキナが口を開いた。
「では話しの続きをさせていただきます、私共が求めるのはただ一つ、生まれた理由と持ち合わせた使命を解明すること、その為にもどうか初階層にあるカオス・サーバーへのアクセス権限を許諾していただきいのです」
もう、誰も彼女の話しを聞こうとはしていない...いや、奇しくもあの三人だけ彼女の話しに驚いたような顔をしていた。
「こんなふざけた場があって良いものか!ディアボロスよ!貴様の失態だぞ!この責任は如何とする!即刻場を閉じよ!」
「プログラム・ガイア、何故追い出さない」
[退出理由がNaない為です]
ノイズを挟んだ返答を受けた裁決者が閉廷を宣言した。瞬く間に皆が席を外していく中、天の牛と奇しくもまたあの三人だけが場に残っていた。
(!!!!)
見られた...ような気がした...テンペスト・ガイアが見えないはずの私を振り仰いだのだ。瞬間目が合い、向こうが何事か口を開こうとする前に急いで私も場から出て行った。
58.b
タイタニスが緊急の呼び出しを受けてしまっのでエリア入り口で待機していると、何かに胸を掴まれてしまい心底驚いた。
「?!」
誰もいないはずの殺風景な街、そのはずなのに何故?...今、何か横を通り過ぎたような...
「!!」
何なんださっきから!今度は尻を触られてしまったそれも何かの拍子に当たったような感覚、まさかこの年でこんな所で痴漢に会うとは夢にも思わなかった。
「隠れていないで出てこいっ!」
そう、大声を出して威嚇をするが何も変化がない。広間の回りには建てられてすぐ放棄されたように真新しい二階建ての民家、それから公園と呼ぶには少し無理がある小さな空き地。ぐるりと見回した後、真新しい民家の扉が一人でに開き軋む音が背後から聞こえた。
「そこかっ!」
声に出す必要もないが威嚇目的で発しながら自動拳銃を撃った、扉のど真ん中に命中しついで民家の中から誰かが倒れる音がした。すぐさま駆け寄り問答無用で扉を蹴り倒しながら中に突入したが誰もいない。
(そんなはずは……確かに倒れた音がしたはずだ)
簡素な家だ、まるでプレハブ小屋。調度品も何も無い、生活に必要な最低限のものしか置かれていない家の中にはとくに変わった様子が見当たらない。誰かが隠れている訳でも罠が仕掛けられている訳でも...いや、変だ。何故こんなに綺麗なんだ?
(街の奥ならいざ知らず、ここはエリアの入り口、戦闘の痕跡が無い……)
ここは何度も来た場所だ。その度にビーストと戦闘し街の至る所を傷付けながら倒してきたのだ、ビーストの骸も人の死体も、弾痕の一つも見当たらないのはさすがにおかしい。
(仮想展開……何故隠すんだ?誰がやったにせよ)
仮想展開された風景の中に誰かが紛れ込んでいるのか、もしくは透明にして見えないように細工でもしているのか。どちらにしてもそれを行う理由が分からない。
「…………………………………」
吹き抜けの階段から二階へ上がろうとした時、ある事実に気付いてはたと足を止めた。そして大急ぎで玄関前に戻り、発砲した直後に倒れた音がした場所をくまなく手で探った。
(不味い不味い!もしかしたら、さっきからあたしの体に触れていたのはっ!)
もし、姿を隠している相手が「敵」ならあたしは既に死んでいるはずだ。それなのにこうして生きている、見えない相手に体を触られた時点で命は取られていたはずだ。
必死になって床を触り続ける、見えなくとも感触までは消せないと踏んで探っていると、
「っ!」
あたしが撃った弾丸で流れた血ではなく誰かの手に当たった、そしてそのまま掴まれてしまった。確かに視界にはわたしの手以外は何も映っていないが手首をわたしより小さな手が掴んでいる感触があった。こんな経験は今までにない、どう対処すれば良いかと思案していると見えないもう片方の手で頭を触られた。ならあたしもお返しにと空いた手を持ち上げると、柔らかい何かに手が当たった。
「ん?」
膝を床に付きしゃがみ左手を誰かに掴まれていたので、おそらくこの辺りだろう右手を持ち上げた時に当たったのだ。あたしの頭より同じか少し高い位置にある柔らかい何かを確かめるように触っていると、タイタニスから通信が入った。
[……………カサンよ、何をしているんだ]
「っ?!びっくりさせるな!ここはどうなっているんだ?!」
[………?その疑問とその行動には結び付きがあるのか?]
「誰かいるのは分かるが姿が見えない!仮想展開されているならすぐに解除してくれ!」
[待て、すぐに調べる、それでそんな真似を……]
何やらぶつぶつと言いながら通信が切られ、暫くもしないうちにあたしが何を触っていたのかすぐに分かった。視界にノイズが走り思った通りに展開されていた仮想風景が解除される。あたしの左手を握っていたのはアヤメと似たような格好をしたアマンナ、それから右を見上げれば顔を真っ赤にしたテッドが立っていた。
✳︎
サニア隊長の命令でメインシャフト十階層の探索へ来ていた。いつの間に治療したのか、負傷していつもだらんと下げていた右腕を当たり前のように持ち上げアサルト・ライフルのグリップをしっかりと握っていた。
私達がすっかり居ついてしまった街を出るのはとても抵抗があった、今さら何処へ行くんだという疑問もあったし上層の街に戻りたいという気持ちもとうに失せていたからだ。あの街は潤沢過ぎる程の物資が沢山ある、それこそお金も払わずにいつでも食べたい物を食べ、着たい洋服をお姫様のように取っ替え引っ替え出来て、気が向いたらバギーで皆んなとお出かけをすればいい。そんな素敵な環境から今さら出たいなどと誰も思わない。
(はぁ、それがどうして今さらメインシャフトの探索だなんて……)
サニア隊長からは具体的な目的は聞かされていない、まぁこれはいつもの事だからどうでもいいがいずれ上層に戻るための探索というならとても嫌だ。
前を歩くお姉ちゃんの腕には包帯が巻かれている、前回鉢合わせしてしまったビーストと戦闘になった時に怪我をしたのだ。少し痛そうにしていたので遠慮なく声をかける。
「お姉ちゃん、腕大丈夫?」
「見れば分かるでしょ」
「痛くなったらすぐに言ってね」
「………」
私の言葉に返事も返さず前に向き直った、いつもの事だ。けど...
「……カリン、ねぇカリン」
「もう!何?!」
「…………何でも、ない」
私の袖を引っ張りながら声をかけてきたミトンに八つ当たりしてしまった。いつまでも私に甘えるのはやめてほしい、私はお姉さんでも何でもないんだ。ミトンが眉をへの字にして何か言いたそうにしながらも列の後ろへと下がっていく。
ビーストと戦闘した後、一度非常階段から降りて私達がゲーム世界に飛び込んでしまった広間に戻って小休憩を挟んでから、再び十階層を目指しているところだった。大きく傾いた超大型エレベーターを通り過ぎ、またあの埃だらけの嫌な空間へと足を運ぶ。私の後ろにアシュとミトン、前にはお姉ちゃんとサニア隊長、それから白い髪をした年下の女の子が一番先頭を歩いていた。私とミトンが初めてここへ来た時に一度遠目から見たあの時の女の子だった。隣に立っていたおじぃちゃんはいないようだけど...
非常階段へと差し掛かり誰しもが口を開かない中、行きたくもない階層を目指して階段を上り始めた。
◇
「腕の怪我は大丈夫?」
搬入口に到着するなり白い髪をした女の子がお姉ちゃんに声をかけていた。痛そうに腕を摩っていたのを見かけたのだ、私が声をかけるより早くお姉ちゃんを労っていた。
「え、えぇ、大丈夫…」
「無理はしないでね」
「うん、ありがとう」
サニア隊長がアシュやミトンに指示を出しているところを見ながら二人の会話に聞き耳を立てていた。まさか声をかけられるとは思っていなかったのか女の子に気遣われしどろもどろになりながらも、私には絶対言ってくれないお礼の言葉を口にしていた。それだけ胸の中が騒ついてしまう。
(どうして私には……)
私と同じ色の髪から覗いている耳も少し赤くなっている...駄目だ、これ以上見ても仕方がない。
「カリン、バックアップよろしくねー」
「ぅえ?!あ、な、何?」
「何じゃないよ、アリンのことばっか見てて何も聞いてなかったんでしょ」
「ご、ごめん…」
「怒ってはないんだけど…シスコンも程々にしておきなよー」
手をひらひらと振りながら分隊長になったアシュが先行した、隣を見やれば拗ねたように口を尖らせたミトンが私を睨んでいる。私から声をかけようと口を開きかけた時にサニア隊長がアシュを呼び止めた。
「それとアシュ、目的地を見つけたら突入せず私達の到着を待ちなさい、単独行動は厳禁よ」
「はい」
そう、端的に返して見向きもしない。声をかけられなかった代わりにミトンの手を取り私達もアシュの後に付いて行った。
ミトンが握り返してきた手を、何故だか私は羨んでしまった。私もこんな風に甘えられる相手がいたらと醜くも思ってしまった。不思議とその時、前にグガランナさんに教えてもらった特殊部隊の人が頭に浮かんでいた。
✳︎
「何で悲鳴上げなかったの?おかしくない?」
「…………」
「ねぇ聞いてる?触られてたのに無言だったよね?」
「……いや、……あの、アマンナが怒ってる意味が……」
「……なぁ、手首を切り落としたいんだが何か良い方法はないか?」
「「それはどういう意味・なんですか?!」」
「いやだから!何でアマンナが怒るのさ!」
「人様の兄貴のナニを触っておきながら何でそんな口が利けるんだ!失礼にも程があるだろっ!」
「お前は触られていた事を怒っていたんじゃないのか?」
「そうだよ!さっきから意味の分からないことばっかり!」
「じゃあ何?!テッドはわたしの胸を触ったナツメが手首を落としたいって言ったらどうするのさっ!」
「止めるに決まってるでしょ何言ってんの」
「あれ、まさかあたし誰からも止められていないのか」
「落としたきゃ一人で勝手に落とせっ!」
「何だとう…何でそこまで言われなくちゃならないんだ…」
「自分から言ったんだろっ!まるで汚れ物触ったみたきゃああっ?!!」
「おらぁ!どうだ、ナツメの代わりに胸を揉んでやったぞぉ!これで両手が無くなったまったなぁ!」
「カサンさん…何をやっているんですか…」
何だこの人、昔はナツメさん達の隊長をしていたと聞いてたけど...カサンさんに胸を揉まれたアマンナがまたらしくもない悲鳴を上げて、自分の体を抱くようにして縮こまっている。
「テッドにすら揉まれたことがないのにぃ!」
「やめて、お願いだから」
馬鹿な会話をしている間に中型エレベーターが到着したようだった。
カサンさんに...その、ナニじゃないけど触られて悲鳴を上げなかったのは...そう!変な声を出して正体が分からない相手に気づかれないようにするため!決してやましい理由があったからではないそもそも僕にはナツメさんという大好きな相手がいるんだそれだというのにアマンナもおかしな勘ぐりをするだなんて失礼にも程があるというものだ、うん。
心の中で急いで結論づけた後、少しは落ち着いたアマンナがやおら立ち上がり、一階層で起こった出来事について口にしていた。
「結局さっきのは何だったの?どうしてわたし達の姿が見えないようになってたんだろう」
「タイタニスさんの、遊び心とか?」
まだ落ち着いていない僕は柄にもない事を口にしてしまいアマンナに軽く睨まれた。
「タイタニスは何て言ってるの変態」
「それあたしのことか?」
「当たり前でしょうが」
「なんならお前も今日の夜にでも揉めばいい、大して面白くもなかったぞ」
「何がなんならなんですか、いい加減その話題やめてください」
そうか、みたいな顔をしているアマンナの頭を叩こうすると扉の向こうからスイちゃんが元気良く駆けてきた。
「カサンさん!」
「スイ!無事みたいだな!」
扉の向こうは生憎の曇り空、少し雨も降っていた。頭から雨に濡れたスイちゃんが駆けてきた勢いのままにカサンさんに抱きついていた。
「うっふ!」
ちょうどみぞおち辺りに抱きつかれたカサンさんが小さな呻き声を上げた。その様子を眺めていたアマンナが目を剥いている。
「スイちゃん?!ダメだよそんな変態に抱きついたら!お姉さんは許しませんよ!」
「お前は妹なのか姉なのかはっきりしろ」
「変態?カサンさんは変態なんですか?」
「ナニを触ったぐらいで大袈裟じゃないか」
「なに?なにって何ですか?」
場が凍りついた。
(駄目だ、変な話しばかりでちっとも真面目な話しが出来ない)
何故か二人が僕に視線を寄越していたので無視して艦体へと一人足を向けた。とりあえず一休みしてからでいいかと、まだ落ち着かない僕は半ば逃げ出すようにエレベーターから出て行った。
(初めて……だったんだけどな……)
◇
「透明になって見えなかった?」
「そう、わたしもカサンもだーれも」
「それだけじゃない、過去に行われた戦闘の痕跡も見えないようになっていた」
「あー…言われてみれば確かに…」
場所は変わって艦内の休憩スペース。皆んなタオルで頭を拭きながら思い思いに飲み物を取って椅子に座っている。カサンさんが言ったように確かに一階層の街はとても綺麗に見えていた。
すっぽりと頭からタオルを被ったスイちゃんが徐に口を開いた。
「……どうしてそんな事になっていたんでしょう、消す利点が分かりません」
「カサンさん、タイタニスさんに連絡を取っていただけませんか?」
「あぁ、アマンナよりあたしの方が適任だろう」
テーブルの上に置かれていたインカムをもう一度耳にセットしている。
「変態同士惹かれ合うんだろうね」
「そういう意味ではないんだが…タイタニス?お前に聞きたいことがある」
早速繋がった通信で暫くやり取りを始めた。
「初階層は大丈夫なんでしょうか…」
「そういやその話し聞けてなかったけど、どんな所だったの?」
スイちゃんから聞かされた話しの内容はどれも仰天するものばかりだった。高層ビルしかない摩天楼の街、真っ白に輝く塔、大空の中に作られた宮殿、ドラゴンが飛び交う幻想的な異世界、一人のお姫様を主と仰ぎ同じ顔をした浅黒い戦士達。
聞き終わった後にやってきた興奮と小さな後悔。僕ですらこんなんだから、好奇心旺盛なアマンナは...
「〜〜〜〜〜っ!」
顔を両手で覆い椅子に座りながら足をじたばたさせていた、やっぱり。がばっと両手を払い一言。
「わたしも行きたかったぁーっ!!」
「でも、すっごく大変でしたよ、その……主に私が……何ですか……」
あんなに楽しそうに話していたスイちゃんの表情に陰りが生まれた。
「何かあったの?」
「それについては、」
「私の方から説明するわ、いいわねスイ」
アマンナの問いかけに答えたのは通信が終わったカサンさんと、休憩スペースに顔を出したティアマトさんだった。艦外へ出ていないはずなのに亜麻色の髪がしっとりと濡れていた。
僕の隣にすとんと腰を下ろしたティアマトさんから甘くて爽やかな匂いが漂ってきた、それに肌もほのかに赤みがかかっている。
(お風呂?)
少しドキマギしながらも二人からの説明を待っているとティアマトさんに肩に手を置かれて予想していなかった感触に思わず、らしくもない悲鳴を僕も上げてしまった。
「ひゃっ」
「………」
「…はっは〜ん」
「さてはお前……年上好きだな?」
「くっそぅ!わたしもあれぐらい大きなマテリアルにしておけばっ!」
「体の話しではないと思いますよ」
皆んなから冷やかしを受けてしまった。当のティアマトさんも目をぱっりと開けて何が何やらという顔をしている。
「テッド?私が何かしたかしら、飲み物をお願いしようと思っていただけなんだけど…」
「いや、あの、その前に何か着てもらえませんか」
何故薄着なのか。まざまざと胸の谷間が見えており目のやり場に困ってしまう。
「え?あ、そ、そうね、少し不用心だったわ、あなたもちゃんと男の子なのね」
「意味分かりませんから!早く何か着てください!飲み物は用意しておきますので!」
◇
ティアマトさんが自室に戻っている間、皆んなから冷ややかな目線を向けられながらもようやく初階層で起こった事の顛末について聞くことが出来た。
「ティアマトさんが展開していた透視図で白い点が合体した先が、スイちゃんだったってことなんですね」
「あぁ、その連絡を受けたタイタニスが初階層にいた戦士達に応援を要請したらしくてな、あと少しのところでスイとクマがやられるところだったのさ」
「そのさっきから言う戦士って何?あそこの階層にそんなのいたの?」
「グラナトゥムをやたらと軽蔑しているマキナ、と言えばいいのか、自分達も何故ここにいるのかよく分かっていないらしい」
「ふ〜ん?」
「それで、仮想領域をばら撒いていた敵の正体は分かったんですか?」
「……でぃあちゃん?確かそんな名前を口走っていたな、それに四苦八苦して、とか何とか、一言も言葉を発していなかったのに突然喚き始めてな、グガランナに敵を特定するよう依頼していたらしいが、アヤメが速攻で片を付けていたよ」
「いやもうそれ…絶対ディアボロスのことでしょ!」
「さぁな、それならどうして仮想領域をばら撒いていたんだという話しになるだろ、奴らが人間達を殺して回っているのは聞いて知ってはいるがまるで意味がない」
「なら敵の正体は不明ってことになるんですか、そもそも敵だったんですか?」
「あたしらがメインシャフトに突入した時から襲われていたんだ、あれを味方だという奴は誰もいなかったな」
「突入した時から?なら一階層に潜伏していたんでしょうか」
「あり得るね、わたしらが透明にさせられていたのももしかしてそいつを隠すためじゃない?」
「あぁタイタニスも同じ意見だった、サーバーに展開させた痕跡はあったがいつ、誰がしたものかは分からなかったらしい」
「ならアンポンタンタイタニスの落ち度ではなくて、誰かが意図的に展開させたってことなんだね」
アンポンタンってそいういえばどこの言葉なんだろう。アマンナは暇さえあればネットに上がっている動画を分別なく視聴しているので、もしかしたら変な知識の仕入れ先はネットかもしれない。
僕達の会話に混じらずずっと下を向いていたスイちゃんが気になった。
「どうかしたの?」
「……その」
「ん?スイちゃん?何か嫌な事でもあったの?」
アマンナもスイちゃんの様子に気づいたようだ、カサンさんは目を細めているだけで何も言おうとしない。
そのカサンさんから少し厳しい言葉がスイちゃんに投げかけられた。
「スイ、自分で説明しろ」
「いや知ってんならカサンが言えばいいじゃん」
「い、いえ!……初階層を探索している時に、黒いモヤモヤに覆われて私とクマさんでグガランナお姉様を殴りつけてしまったのです……」
「それでティアマトがあんなに慌てていたのか……グガランナが何かやらかしたの?」
「え?」
「だってグガランナにムカついていたんでしょ?あんなのにいちいち腹立ててもしょうがないよ」
「………」
「そういう話しなの?」
「違うの?どうせアヤメ、アヤメって連呼して皆んなに迷惑かけてたんでしょ、良い薬になったから気にしなくていいんじゃない?」
ぽかんと口を開けて何も言わないスイちゃんが静かに涙を流し始めたので、僕もアマンナも慌ててしまった。
「えぇ?!何で泣くの?!」
「ふぅえ…だってぇ、だってぇ、この話し、嫌われたら、どうしようって、ふぅえぇ」
「はぁまぁいいか……スイの奴がビーストのように暴走してしまったんだ、それでグガランナのマテリアルが大破して戦士達も軒並み叩き潰していたのさ」
「そんなに怒ってたの?ダメだよ、鬱憤は適度に発散させておかないと」
僕の言葉にカサンさんが破顔一笑して大声で笑い、「平和主義者には伝わらないか」とよく分からないことを言っている。
着替えを済ませたティアマトさんが休憩スペースに再度を顔を出して、泣いているスイちゃんと笑っているカサンさんを見て怪訝な顔をしていた。
「何事……」
「あぁいや、何でもない、スイの口からグガランナを大破させた経緯を喋ってもらっていたんだ、それなのにこの二人が良い薬なっただの鬱憤は適度に晴らせなんか言うもんだから」
「そう、良かったわねスイ、優しい二人に囲まれて」
「…ふぁい!」
「なら私の方からはもういいわね、テッドに言われた通りに着替えを済ませている間に終わったもの、なら別件について報告するわ」
「別件?」
「あなた達が一階層で遭遇した異変について、初階層でも似た現象が起こっているとグガランナから報告をもらったわ」
「何?あたしらだけじゃなかったのか」
「ええ、初階層でも透明で敵を視認出来ず、展開されているであろう仮想領域を剥ぐと新型のビーストが現れたそうよ」
「新型のビーストだって?」
「何でもショットガンに似た武器を所持していたそうよ、そのせいでクマ型のピューマが大破したみたい」
「え?!クマさんは無事なんですか?!」
「サーバーに繋げてあったからエモートは無事よ、マテリアルは修復出来そうにないらしいけど」
「そこまでして邪魔をしてくるのか…あたしらはただ六階層に行きたいだけなんだがな」
また、僕の隣に座ったティアマトさんが大きく溜息を吐いた。その表情は物憂げで元気があるように見えない。
「……こちらから交渉してみましょうか、彼らに」
「いいの?」
「仕方がないわ、手を引いてもらうようにお願いしてみましょう、テッド、後で私に付き合いなさい」
「えぇ…まぁ、いいですけど……」
何故?と思いながらもティアマトさんの耳たぶが点滅し始めた。きょとんした皆んなと顔を合わせているとすぐに隣から悲鳴が上がった。
「はぁ?!そんなビーストは製造した記憶がないって、どういう事なのディアボロス!!」
58.c
[カリンー、そっちはどう?何かいたぁ?]
「アシュ、真面目にやらないと駄目だよ」
間の抜けた声で定時連絡を求めてくる、頼りないのかしっかりしているのか分からないアシュだった。ミトンは見晴らしの良い位置で待機させている、とくに報告もないので大丈夫だろう...と、思いつつも一応念のために連絡を取った。
「ミトン、異常はない?」
[……異常はない]
いつものように平坦に思える声音だが少しだけまだ拗ねているようにも聞こえる。瓦礫の山からミトンの水色の頭がちらりと見えていた、私の視線に気付いたのかちらりと一瞥してからすぐに隠れてしまった。
[……怒ってるカリンとはあまり話ししたくない]
「ごめんねさっきは、ちょっとイライラしてただけだからもう大丈夫だよ」
[……ほんとに?怒ったカリンが一番怖いんだよ?一番優しいからなおのこと]
そんな風に思っていたんだ。
「うん、もう八つ当たりしないって約束するよ」
[……うん、たまには甘えてもいいんだよ?]
[あのー、私のこと忘れていませんか?いきなりイチャラブされる身にもなってもらえませんかね]
[……別にいなくてもいいのに]
[うるっせぇ!帰れるんならとっくの昔に帰っとるわ!]
地団駄を踏んでいる音が前に横たわった大きな柱の向こうから聞こえてきた、そしてそれに隠れるようにして複数の足音もだ。体に緊張が走り身を低くして手近にあった鉄筋コンクリートに素早く隠れた。お調子者のアシュも足音に気付いたようだ、一気に真面目な口調になって指示を出してきた。
[十一時方向から複数足音!ミトン確認して!]
[……まだ見えない]
「アシュ落ち着いて、何も戦闘しなければいけない訳じゃないから」
[いや分かってるけど!あーまさか私がクジを引き当てるだなんて]
その言葉を最後に何も喋らなくなった。皆んなの息づかいの音だけがインカム越しに伝わってくる。
(目的地はこのエリアの工場区、おそらくこの先にあるんだろうけど……)
前回の戦闘では大型のビーストにお姉ちゃんが襲われ、間一髪のところで切り抜けることが出来た。ショットガンの射撃で体勢を崩したビーストをそのまま撃破してみせたのだ。今回もまたあのビーストが襲ってこなければいいけど...
そこでふと、とても強い違和感を覚えた、敵の姿が思い出せない。大型、というのは覚えているが姿形がまるで頭の中に出てこないのだ。慌てた私はミトンに急いで連絡を取った。
「ねぇミトン、前回の敵のこと覚えてる?」
[………覚えてる、クマさんに似てた]
「え?!」
[カリン馬鹿大きな声出すな!]
小声で叱られたがそれどころではない。
「アシュは敵のこと覚えてる?」
[はぁ?そんなの………………あれ、おかしいな、大きかったのは覚えているのに……クマ?クマって何さ]
[………私とカリンが出会ったクマ……私も覚えていないけど、そう感じた]
感じたって何だろう...雰囲気の事?
[……その話ししようと思ったのにカリンに怒られたから出来なかった]
「うぅ…ごめんねミトン」
[……いい、後で撫で撫での刑にさせるから]
「それ私がミトンを撫でるんだよね」
[……当たり前]
でも、ミトンも覚えていないということだ。雰囲気だけでクマだと感じれたのは無類の動物好きが幸いしてのことだろう、こんな事ってあるの?皆んなが敵の姿を覚えていないなんて...
鉄の棒が剥き出しになったコンクリートに身を寄せて、その後方にはミトンが登って待機している瓦礫の山がある。その足元辺りでこつん、と音が鳴った。びっくりして思わず身を出して伺った途端に閃光と爆音、一瞬にして視界も聴覚も麻痺してしまったように使い物にならなくなってしまった。
[………っ!………!]
[……!!………!!]
閃光を直視してしまったのと攻撃力を伴った爆音によって耳も不思議と目も痛み、二人の会話がとても遠くから聞こえるように感じた。パニックになった頭でも「敵に見つからないように!」と、とにかく身を屈め手当たり次第に近くの物を掴もうとした。そして、ぐいと引っ張り寄せられてアシュかミトンかどちらかに体を支えられて、グレネードを投下された地点から遠のいていく。
少し回復した視界には、汗をびっしょりとかいたアシュが私の腕を引っ張ってくれていた。まだ少しだけ遠くに音が聞こえる中でもアシュに叫ぶように聞いていた。
「み、ミトンはっ?!」
「あいつなら平気!いいから逃げるよ!」
私が隠れていた鉄筋コンクリートに二回、こつん、こつんと何かが...いいやまたグレネード!
「そんな!ビーストが!」
私の悲鳴もグレネードの爆音によってかき消されてしまった。
「ミトン!ミトン!」
[………へっ、へっちゃらだぜぇ]
「嘘!絶対へっちゃらじゃないでしょっ!」
[……援護してるから、二人は逃げて]
「ミトンは?!そばで爆発があったよね?!」
[……スタンだから大丈夫、直視したカリンが悪い]
「もう!」
いくらスタングレネードでもこう立て続けに投げられては下手に動けなくなってしまう、おそらく敵は炙り出しのために狙いも付けずに投げているだけだろうけど...
「アシュ!敵は本当にビーストなの?!」
「私に聞くなっ!スタンを投げるビーストもいるんでしょっ!それよりあのバーサーカーと合流するよっ!」
「サニア隊長達はどっち?!」
「搬入口から北!私らが南!ちょうど反対!」
片言で説明を続けるアシュのすぐ隣にスタングレネードが落ちてきた、「耳を!」アシュに言われるがまま耳を塞いだと同時に眩い閃光とくぐもった音、それから進行方向の瓦礫の陰に何かが隠れた。
(包囲された?!)
こんな緻密に連携を取ってくるの?!あっという間に囲まれてしまった。周囲を瓦礫に囲われ開けた場所を走っていた私達に身を隠す場所がない、後方から低く頼もしい発砲音が一つ、二つ。敵が隠れた瓦礫を穿ち束の間逃げる時間が出来た、方向転換して真横に進路を取った私達にその後ろから射撃を受けた。
「っ!!」
「カリン!!」
あと一歩のところで左足のふくらはぎに鋭く熱を持った痛みが走った、被弾してしまったのだ。倒れ込むようにして崩れ落ちたブロック塀に身を寄せる。「カリンが被弾!」とアシュの泣いているような報告を耳にしながら急いで応急手当てに入った。軍用パンツにも血が既に染み込んでいる、静脈が破れてしまったのかおびただしい血が流れていた。
「はっ…はっ…はっ…」
パニックにならないよう意識的に呼吸を繰り返して包帯を取り出し、止血をしている間にもさらに敵の足音がぐるりと周囲を囲っている。
敵も突撃しようとはせず、探っているような気配を漂わせているのにあろう事かアシュが激情して雄叫びを上げながらアサルト・ライフルをブロック塀の向こうに構えてみせた。
「よくもうちの大事なカリンをぉ!!」
「ばっ!」
馬鹿!と言いたかったのに遅かった、上向くと既にマズルフラッシュでアシュの顔が見えない。さらにミトンも狙撃に加わったようだ。
[……カリンは私もの]
位置がバレるのも厭わず対物ライフルを連続して発砲している、アシュとミトンの急な射撃に敵が慄いたのか距離を開け始めた。
「みたかビーストめがっ!」
「もうアシュ!こっちは終わったから急ごう!」
...何がいけなかったのか、被弾した私が悪かったのか、逃げなかったのが悪かったのか。
敵を挟むようにして身を隠していたブロック塀にことん、と何かが当たって落ちた。どうして隠れていると分かっておきながらスタングレネードを投げたのか、その疑問は一瞬で吹き飛び気付いた時にはアシュを突き飛ばしていた。そして爆発。背中から火傷しそうな程の高温と烈風を受けて地面に投げ出された。
「カリン!」
「はっ…はっ…」
今さら何の役に立つのか、パニックにならないよう呼吸したところで意味は無い。泣きそうに、というかもう泣き始めているアシュが私を助け起こそうと感覚が無い腰辺りに手を伸ばした。
「何、して…」
「ミトン!今すぐこっちに来て!ブロックにカリンが挟まれた!」
...いいの私が悪いの、だから気にしないでアシュ。
「行って、アシュ」
「そんな台詞はなぁ!映画だから映えるんだよ!」
「お願い」
「………っ!」
私の言葉に耳を貸さずひたすらブロック塀を起こそうとしていた。だけどもう遅い、これだけ重い物に挟まれてしまったんだ。アシュやミトンでも動かせる訳がない。
「私、死ぬつもりなんかないから、ね?」
不思議と心が穏やかだった。
「カリン!」
ミトンまで来てくれた、あとはこの二人が逃げてさえくれれば後はどうでも良い。察しの良いミトンが、手が血だらけになっていたアシュを止めに入った。
「無理」
「ミトンまで!見捨てろっていうの?!」
「助けを呼んだ方が早い、インカムは使えないの?」
「通信範囲超えてるよっ!だからこうして!」
「なら走るよ」
「そんな話し聞けるわけっ?!」
あのミトンが平手打ちをしてアシュを黙らせた。
「早くしないと足が壊死しちゃうんだよ?!何時間やったって無理なものは無理!」
惚けた顔をしたアシュを引っ張り、一度だけ私を力強く見てから二人揃って搬入口へと走って行く。
「はぁ…………」
もう、自分の事はどうでも良かった。二人さえ無事なら...いいや、私のせいで二人に何かあったらどうしようとその心配と不安だけが敵だった。遠ざかる二人を見ながら長く溜息を吐くと今頃になって腰から足先にかけてじわりじわりと痛み始めてきた。
「!」
今度は後ろから何かが歩いて来る足音が聞こえ始めた。ゆっくり、ゆっくりと何かを探るよう。その足音が二つ、交互に繰り返してるのがとても気になった。ビーストが二足歩行?そんな形態をした敵がいたのかと疑問に思った時、すぐに答えが出た。
58.d
ターコイズブルーの海に大きな影が落ちていた。上向くと棒状に伸びた大きな雲が、太陽が昇った方角から私達が座っている決議の場を越えてテンペスト・シリンダーへと伸びていた。
隣に座っていたハデスが、不思議そうに見ていた私に声をかけて教えてくれた。
「あれはモーニング・グローリーといって変わった雲さ、この地域では絶対お目にかかれない」
「そう…なんですね、変わっていますよね、何だか大きいというか、不安になってしまいそうな…」
「そう?私は好きだけどね」
大きい分圧倒されて見応えはあるんだろうけど、その分影になっている部分も大きく目立って見えてしまう。
唐突な呼び出しだった、前回の決議の場から一日として経っていない。隣に座り背もたれに身を預けたまま雲を見やっているハデスに声をかけた。
「どうして今回はこんなに急な呼び出しなのでしょう」
「どう考えても君に対して詰問する気じゃないかな、前回の偽物騒ぎの件さ」
「…………」
え、偽物騒ぎ?ちょっと待って。
「?」
不思議そうに私を見つめてくるハデスに断りを入れてから急いでお姫様に連絡を取った。
[はい、何でございましょう]
[お姫様、偽物騒ぎとは一体何の事でしょうか、まだ前回の報告を受けていませんが、今すぐに教えてください]
[申し訳ありません、勢い余ってカオス・サーバーの許諾を皆様方に求めてしまいました]
お姫様の返事を聞いてテーブルに肘を付いて頭を抱えてしまった。私の行動にハデスが不思議そうに、でも面白そうに眺めている。
[何をやってるんですか!一言も喋らないのを条件にこの場に参加させたんですよ?!喋ったらバレるのは当たり前じゃないですか!]
[申し訳ありません、あまりにも話しが進展しないものでしたからつい、一石を投じればどんな反応をするのかと……]
[だから私から逃げていたんですねお姫様っ!]
[代わりと言っては何ですが、アヤメ様の可愛らしい寝言を録音したデータを差し上げます]
[それで手を打ちましょう]
[それでは早速転送させていただきますね、今後ともご贔屓に]
その挨拶おかしくないかしら。
通信が終わったのを見計らったようにハデスが声をかけてきた。
「それで?君の替え玉は大丈夫なのか?」
「え!えぇ、な、何の事でしょう、か……」
「まぁ、君が許可を与えていたなら問題は無いだろうけど、周りが何と言うかだな」
お姫様に懇願されてしまい、挙句にアヤメの湯上りを撮った動画はいらんかと持ち掛けれてしまった私は秒で承諾していたのだ...まぁふざけた話しでもなく、私も過去の記録には興味があった。どうしてリブート処置という最も重い罰を皆が受ける事になったのか調べたかったのだ。
冷や汗をかいていると判決者と裁決者が同時に現れた。テンペスト・ガイアはどこか颯爽と、ディアボロスはとても疲れた顔をしていた。他の参加者も皆揃っていたのですぐに決議の場が開かれた。
「さて、今回は私の方から場の開催を要請させてもらったわ」
「…お前に聞きたい事もあったからちょうど良かったと言えばちょうど良いがその前に、グガランナ」
「はい」
ハデスの言う通りだ、しかしテンペスト・ガイアから要請したとはどういう事だろうか。
「前回の参加者について説明しろ、あれは何だ」
「メインシャフトの階層にいる、とあるマキナです、名を明かすことは出来ません」
そもそも知らないし本人も知らないと言っているんだ、嘘ではない。
「……この場の虚偽申告は重罪だ、発言には気を付けろ」
「彼女の願いを聞き届けただけです、それに信用に値すると判断していましたので参加の許可を与えておりました」
「願いとは?」
タイタニスが割って入ってきた。
「テンペスト・シリンダーを統括しているグラナトゥム・マキナの皆様方をこの目で見てみたいと、それが願いです」
「タイタニス、お前が作ったメインシャフトだ、とあるマキナについて話せ」
「知らん、建造した後に住み着いた者達だろう、それに我からも巧みに隠れていたようだ」
「虚偽申告は、」
「それを言うならこの場で罰せよ、グガランナ諸共な」
「もういいかしら」
元から前回の騒ぎには興味が無かったのか、とくに私へ質問することなく本題を切り出そうしていた。ディアボロスがうろんげに見やりながら先を促した。
「…何だ」
前回見た時とは随分と様子が違う、億劫そうにもせずまるで舞台に上がった役者のように抑揚を持たせた声で話し始めた。
「レガトゥム計画について、この場にいる皆が聞きたがっているのはよく理解しているつもりだわ、けれどそれを一方的に非難するのはどうかしら?間違った判断は誤った統治に繋がると思うの」
「その間違った判断をしているのがお前だということが理解出来ていないようだな」
「そうかしら?私を目の敵にしてもテンペスト・シリンダーは良くなったりしないわ」
「前置きは良い、本題を話せ」
ラムウがやじを飛ばした。テンペスト・ガイアの言い分が気になっているのだろう、彼女からこうして積極的に発言するのは珍しい事だった。
「良いでしょう、本題は一つ、保護対象である人間について」
テンペスト・ガイアの言葉に一同が息を飲んだ。
「彼らを今後も保護していくか否か、それを皆んなに問いたかったのよ、だからこうして集まってもらったの」
「その言い分だとまるで放棄したいと言わんばかりだな」
「そうよ、彼らが反省をしないのなら私達が統括して運営していく意味が無いもの、無駄な労力は削ぐべきでしょう」
「それは自己否定に繋がるのでは?我らの存在理由は人を生かす事にあるはずだぞ」
「そうね、けれどいつまで?どこまで彼らの生存圏を保証すれば良いの?永遠に?」
「それは貴様のレガトゥム計画とやらに繋がる疑問なのかね、論点のすり替えならすぐさま投票を始めさせるぞ」
「勿論よ、それにすり替えではない、今後私達の有り様も考え直す良い疑問だと思うわ」
「虫如きに支配をさせる事か」
「あれは失敗」
テンペスト・ガイアの返答にオーディンだけでなく、ディアボロスも驚いていた。
「…認めるんだな?外殻部に生息している生物について」
「ええ、だって彼らには意志が無いもの、ただ浪費を繰り返す浅ましい人間と何一つ変わらないわ」
「ならば何故作ったのだ」
「ただの実験よ、それ以外に意味は無いわ」
「………」
「それよりも上層の街に住んでいる人間達は後何年もつのかしら、ディアボロス、計算結果ぐらい持ち合わせているわよね?」
「……十年そこらだ、ナノ・ジュエルを全て明け渡しても百年そこら」
「それすらももたないでしょうね、何度彼らが争いを繰り返してきたことか、ティアマト、あなたなら私の言っている言葉の意味が分かるでしょう?」
「………そうね」
「ディアボロス、あなたの計画は後何人殺せば達成出来るのかしら?それで一体この先何年もたせることが出来るの?」
「……上層の街に住う半数だ、そうすればグガランナ達が進めている計画でもやっていけることは可能だ」
「ええそうね、けれど数を一定に保つことは可能かしら?」
「………」
「無理、それは分かっているわ、結局のところ誰しもが明確な答えを持ち合わせていない、その場限りの応急処置に過ぎない」
「ならばレガトゥム計画の本願を話せ」
「管理する事よ、全ての生物をサーバーに繋げること、そして争いも起こさせず、発展もさせず、未来永劫変わることなく生を謳歌していく、素晴らしいとは思わない?」
「それは不可能、」
「そう?ならあなたは人間に託せるの?」
割って入ったオーディンの言葉を遮り問い返した...誰も、何も言わない。しんと鎮まり返った場には風の吹く音しか聞こえない。けれど私の胸の内は怒りで燃え上がっていた。ここで言うべきことを言わねば彼女に顔向け出来ない、どれだけ優しさに救われてきたのか。恩を仇で返すようなものだと自分を叱咤して発言した。
「……良いでしょうか、テンペスト・ガイア」
待ってましたと言わんばかりの顔を向けられたのが、何だか癪に触ったが気にせず続きを話した。
「人にも託す事は可能だと思います、皆が皆、争いをしている訳ではありません」
「えぇそうね」
「その、彼ら人にも…いいえ、人だからこそ他者を思いやる心があるのだと思います、利害ではなく純粋に、私はその思いやりに救われてきました」
「それはあなたの妄想ではなく?」
何人かに鼻で笑われてしまったようだ。俯きそうになりながらも懸命に堪えた。
「違います、妄想なんかじゃありません、ピューマに擬態していた私を気づかってくれた人がいるのです」
さらに笑い声まで上がった。
「それこそ妄想の類いじゃない、あなたに現実を教えてあげるわ、プログラム・ガイア、メインシャフト一階層の映像を」
[はい、仮想投影致します]
「現在一階層では住う人間と探索を行なっている人間とで争いが行われているわ、過去にもあった資源を巡っての戦争と酷似しているよう、ちゃんと現実をその目で確かめなさい」
彼女が言い終わったと同時に映像が仮想投影された。
『……君は優しいんだね、他の仲間を逃してあげるだなんて……本当にビーストなの?』
その映像に息を飲んでしまった。金の髪をした女の子が、ブロック塀に挟まれて動けなくなってしまった茶色の髪をした女の子に優しく声をかけていたからだ。
(あぁ…!あぁ…!アヤメ…アヤメ!)
テンペスト・ガイアが映像を見せると言った時点で全ての出来事が一本の線として繋がった。ナツメさん達が初階層で探索を行なっていた時に透明な敵と遭遇した事も、仮想展開を解除した後に新型のビーストが現れた事も。この瞬間に、人間同士が争っているように見せるためにテンペスト・ガイアが仕組んでいた事だったのだ。今のアヤメは茶色の髪をした女の子ではなく、ビーストに見えているはずだ、それなのに...それなのに!彼女はあの時私達にしてくれたようにビーストにすら声をかけていたのだ。信じられなかった、だが現実だった。彼女の姿が嬉しくて嬉しくて涙が止まらない、無様に鼻を啜って溢れて出る涙を人目も憚らずに拭っていた。
どんな華やかな景色より、どんな神々しい宝石より、どんな奇跡的な風景よりも彼女の差し伸べた手が何よりも輝いて見えていた。
「……………………」
予想もしていなかった光景にテンペスト・ガイアが大きく口を開けて固まっている。不思議とそんな彼女を哀れに思ってしまった、そしてアヤメを思って勇気を振り絞った私自身を誇りに感じることが出来た。
「……これは、何と戦っているんだテンペスト・ガイア、お前には聞きたい事があると最初に言ったな?一階層と十階層に展開させていた仮想領域について答えてもらうぞ」
ディアボロスの言葉にまるで耳を傾けていない、映像を指さし喚き始めた。
「……何よあれ、何なのよあの女!!どうしてビースト相手にあんな事が出来るのよっ!!」
「……もういい、プログラム・ガイア、映像を消してくれ」
静かに、そして取り乱したテンペスト・ガイアを珍しく労るように閉廷を宣言した。