第五十六話 決議、そして軋轢
56.a
ターコイズブルーとは、緑みの青、ということらしい。緑と青の中間ではなく、眼下に広がる海の色は確かに緑とも言えるし青みがかかっているとも言えた。逆に緑みが強いとターコイズグリーンと呼ばれる、ターコイズとはトルコ石のことだ。
暇を持て余してさっきから脳内検索ばかり掛けている、駄目な時間の過ごし方だ。分かってはいるが座して知識が入ってくる楽さと快楽にはなかなか抗えそうになかった。
「はぁ…いつになったら始まるのかしら…」
ここは決議場、ターコイズブルーの海を下に従え宙に浮く会議場には私一人だけだった。椅子に腰をかけている所だけ透明に作られているので、小波も立たない静かな海面を望むことが出来る。生き物は勿論のこと、走っている船さえありもしない何とも寂しい所だった。
決議にかけられる「判決者」と告訴した「裁決者」だけが取り分け大きな席を設けられており、その背高い椅子の向こうには立派な入道雲が決議場を見下ろしていた。誰かが一人入ってきたようだ、見知った相手ならいいが...割り当てられた椅子の後方に扉が形成され、開くとそこにはプエラが立っていた。
「………」
「………」
互いに何も話さず、渦中のその一人が静かに腰を下ろした。彼女の後ろには天辺が雲に隠れたテンペスト・シリンダーが背景としてそびえ立っている。何か言うべきか、悩んでいると新しく二つの扉が作られた。そこから出てきたのは天候を管理しているラムウと、代替権能としての役割を持つハデスだった。
(どっちも喋ったことないしなぁ……早くティアマト来ないかな……)
知らず昔の言葉使いになっていたが気にする必要もなし、だ。
ラムウははっきりと言っておじぃちゃんといった風体だ。まっさらな長いローブをすっぽりと着込み、頭の髪も髭も同じように白い。まるで細長い雲のようだ。ハデスは全くの逆で、アオラのように赤々とした髪の毛を一本に束ね、涼やかな切れ長の目をしている。前に聞いた限りでは男っぽい口調をしていたが、西洋の騎士を思わせるあの胸当ての下は綺麗な形に盛り上がっている。女の体をしているはずだ。
(まぁ…マキナに男女の区別って意味ないけどさ……)
真一文字に結ばれた口元を綻ばせ、ハデスが私に声をかけてきたので少し驚いてしまった。
「メインシャフトの方は片付いたのか?何やら随分と騒がしいみたいだったが」
「え、えぇ…一応は」
「そうか」
それだけ言葉を発して再び黙り込んでしまった。たった一言交わしただけでも他の二人から注視されてしまったので居心地が悪かった。
今度はラムウが、顎髭を丁寧に撫でながらプエラに声をかけていた。
「司令官よ、ここで内密の話しをしようじゃないか、結局のところ「レガトゥム計画」とは何かね?」
内密もクソもないだろ私とハデスがいるんだからと、ついハデスにも視線を寄越すと向こうも同じ事を思っていたのか、肩を竦ませながら微笑まれてしまった。恥ずかしかったのでつい、目を足元へと逸らした。
「はぁ?そんなものは知らない、私なんかよりハデスの方が詳しいんじゃないの?」
「とんでもないスルーパスをするな司令官、私も名前しか聞いていないよ、内容は知らない」
「どうだか…一番奴に近しいだろうに、何も知らないという事はあるまい」
「知らないものは知らない、そもそもありもしない話しで内密も何もないでしょうが」
口を挟もうかと思ったが躊躇してしまった、私が聞きたいのはこんな事ではないと心の中で引き止める自分に従ってしまった。
「それを聞き出す場でしょう、私は中立ですのでご自由に」
「ふん、能無しは根性まで持ち合わせておらんのか」
ラムウの言葉に、微かにハデスが反応した。剣呑な雰囲気に飲まれようかという時に私のすぐ隣に新しく扉が作られて勢い良く開いた。そしてそこには一番会いたかったティアマトが誰よりも剣呑な雰囲気を漂わせて立っていた。
「グガランナっ!あなた何でこんな所にいるのよっ!いい加減に戻りなさいっ!アヤメ達が心配しているのよっ!」
「ま、待ってっ、ティアマト、声、声!」
恥ずかしいなんてものではなかった。穴があったらそれこそ深海まで潜りたいぐらいだ。こんな人目のあるところでいきなり叱らなくても。私が小声で制してもまるで聞く耳を持たない。
「アヤメの気を引きたいのは分かるけどやり過ぎよっ!白雪姫を気取りないならまたの別の機会にしなさいっ!」
「分かったから!これが終わったら戻るから静かにしてぇっ!!」
ズバリ言い当てられてしまったのでさすがの私も大声を出さざるを得なかった。くすりと誰かに笑われたような気がした。
「随分と仲の良い、まるで姉妹だな」
笑ったのはハデスだった。
「えぇどうも………グガランナ、首尾はどうかしら」
あ。
「もう……終わってる……ごめん言うの忘れてた……」
ハデスがかけた言葉を一言で伏し、小声で私に頼んでいた進捗を聞いてきたのだが...
「………」
ティアマトには、破壊されていたアーカイブデータの件は聞いていた。同期してしまったピューマと襲ってきた敵の分離を私が担当していたのだ。結局、ウロボロスが自分から名乗り上げてしまったのでアヤメが過たず狙撃して終わったのだ。せっかく私が活躍出来ると張り切っていたのに不発に終わってしまい、まぁ、不貞腐れていたのもある。だから早くこっちに来ていた。
「後でお話ししましょうねグガランナ」
「今すぐ向こうに戻っていいかしら」
私の言葉も虚しく、残りの五席の後ろから一斉に扉が現れて逃げ場を失ってしまった。
◇
海がターコイズブルーなら、空はウルトラマリンだ。澄んだように青くそして濃い、立って空を背にした男が台無しにしてしまっているようだ、変わらず眠そうな目を湛えたディアボロスが口火を切った。
「前回の場では説明だけで終わったが、今回からはそうもいかない、心して発言するように、いいな?テンペスト・ガイア」
「えぇ」
涼やかな笑みを臆面もなく晒し、渦中の只中にいるテンペスト・ガイアが決議の場を承認した。これで後戻りは出来ない、ここで下した判断は否応なく自身の身に降りかかる。
「担当直入に聞くがレガトゥム計画について話してもらいたい、テンペスト・シリンダーの外殻部には俺が知らない生物が存在し、タイタニスも建造に携わっていない下層から中層にかけた貫通トンネルも存在している、これらについてはテンペスト・ガイア、お前が関与していると思うが意見を」
淀みなく読み上げた後、座らず立ったままテンペスト・ガイアを睨むように見つめている。
件の人がゆっくりと、余裕を持って口を開いた。
「それらに関しては私も知らない事だったわ、何せ作った本人が忘れているもの」
「………」
ディアボロスが口を挟まず黙って聞いている。
「まぁそうね、外殻部に存在している生物に関してはゼウスが詳しいんじゃないかしら?」
「僕?よしてくれよ、ただの見物客のつもりなんだけど」
「あなたが下層で「ノヴァグ」と呼称していたことは、きちんとログにも残っているわ」
アヤメとは似ても似つかない金色の髪を弄り始めた。
「そりゃまぁ…確かに言いはしたけどね、そもそも君が作ったものだろう?」
「私はノヴァグと呼んだことは一度もないわ、どこで覚えてきたのかしら」
「ゼウス、知っていることは全て話してくれ」
ディアボロスに鋭く糾弾され止む無くといった体で話し始める。
「どうして僕が……君と同じさ、アーカイブデータにそう記載がされていたからね、たまたま見つけただけだよ」
「どこのデータに?」
「稼働歴二千年まで、外観はシロナガスクジラのものだ」
はっと息を飲んだ。そのデータはつい先日に破損されていたものだった。隣からティアマトの呟きが聞こえてくる。
「……偶然かしら……」
変わらず涼やかな笑みを湛えたテンペスト・ガイアに視線を向けたが、全く表情が読めない。
「そのデータには確かにテンペスト・ガイアが製造責任として名前が記されていたけど……覚えてないかな?」
「さぁどうだったかしら……その頃は色々と手を打っていた時期だから、それが仮に確定したとして私に非があるの?」
「非があるかはこれから決める事だ、次に貫通トンネルについてだが、さっきの発言は何だ?」
「タイタニスが作ったという事よ」
すかさずタイタニスが反論した。上層の街で見せたマテリアルではなく灰色一色の、アヤメ達が「全裸マテリアル」と呼んでいる格好をしていた。
「我が作っただと?覚えはない、出鱈目でものを言うのはやめてもらいたい」
「なら誰が作ったの?建造関係に関してはあなた以外誰も権限を持たないわ」
「貴様が何かと我に横槍を入れていただろう、その際に作ったのではないか?何体のマテリアルが駄目になったと思っている」
「それに関しては別件ね、またの機会にしましょう」
「ふざけるな、答えてもらうぞ」
「それは本人に聞いて、何ならプログラム・ガイアに問い合わせてみなさい」
埒が明かないと判断したディアボロスが虚空に向かってプログラム・ガイアに呼び掛けた。
「聞こえているな、貫通トンネルの製造責任を割り出してくれ」
[はい、暫くお待ち下さい]
女性の合成音声が響き、束の間の後、
[製造は稼働歴千年以前、責任者はタイタニスです]
「なっ?!ふざけるなっ!!」
[詳しい年まで調べますか?]
「………いい」
「待て!我はまだ納得していないぞ!プログラム・ガイアよ!建造理由について話せ!」
[建造理由については閲覧権限を有していません、お答えすることが出来ません]
「何を馬鹿な事を……貴様が責任者は我だと言ったのだろう!何故本人に告げられない!」
[権限が剥奪された理由に関しても同様にお答えすることが出来ません]
...何を言っているのさっきから、当の本人が明かせと命じているのにそれを拒否するだなんて...謂れのない理不尽な責任を擦りつけられた怒りからか、拳を大テーブルに叩きつけていた。
「テンペスト・ガイア、お前がプログラム・ガイアから聞き出せ、少しは身の潔白に繋がるだろう」
ディアボロスに促され何のてらいもなく命じてみせたが答えは同じだった。
[建造理由については閲覧権限を有していません、お答えすることが出来ません]
「……この場にいる誰しもが閲覧出来ないデータ?そんなものが存在していいのか?」
わななくように腰をかけたタイタニスの言葉に誰も答えない。最高位に位置するテンペスト・ガイアですら拒否されてしまったのだ。
そこでふと疑問に思ったことを口に出した。出せてしまった、あんなに臆病風に吹かれていたのに。
「…私が誕生する前に、何かあったのですか?生誕暦は千年以降だったと思うのですが……」
皆が私を注視している。しかし誰も口を開こうとしない、ティアマトにも視線を投げたが逸らされてしまった。
(そんなっ……ティアマトまで、どうして……)
「それに関しては僕の方から説明させてもらおうかな、構わないだろう?」
ティアマトの代わりに答えてくれたのはゼウスだった。
「そうね、仲間外れも大概にしておかないと反対派に回ってしまいかねないわ」
「今さら何を………グガランナ、君の言う通り千年前に一度、僕達はリブートされているのさ、ここにいる彼女に」
「くだらん、それこそ与太話の類だ」
「……まぁ信じられない話しだろうね、何せ一度死んだ身だなんて言われてもピンとこないに決まっているさ」
「ゼウス、勿体ぶるな」
「………」
ゼウスが真っ直ぐに私を見つめている。
「この場にいた全員が人間達の代わりに戦争をしていたのさ」
そこで一陣の風が吹き抜けていった。仮想空間にも関わらずに。徐に口を開けてゼウスに質問をした。緊張のあまりに喉が乾く、なんてことは知識として知ってはいたがこの身で体言するとは思わなかった。
「………それは、ティアマトも?この場にいる全員がって、そういう意味、ですよね?」
「あぁ勿論、僕が知る限りでは、だけどね」
...後のことはよく覚えていない。皆が口汚く罵っていたようにも思うし、またしても議題が煙に巻かれたことに不満を唱えている者もいたように思うし、そんな事よりも私は顔を合わせてくれないティアマトの方が気になった仕方がなかった。
56.b
クマさんと一緒になってウロボロスという態度も言葉も下品なマキナと戦った後、カサンさんに怒られて、アオラさんとナツメさんに庇われて...まぁあの人はよく分からないけど、とても嬉しかった。誰も私のことを除け者にしようとしなかったのだ、自分の身に置き換えて考えてみても、私だったら絶対に全力で排除しようとするだろう。だって、大切な人達の近くに得体の知れない奴がいたら、誰だって遠ざけようとするはずだ。けれど、誰もそうしようとはしなかった。カサンさんは本気で怒ってくれて、アオラさんは私の代わりに本気で怒ってくれた。ナツメさんも何度も庇ってくれた、こんなに嬉しいことはない。
ぼんやりと草原から丘の下で繰り広げられている模擬戦を見ながら考えていた、目元がまた湿っぽくなってきたので、そっぽを向いてバレないように拭いたのに目敏く見つけたアヤメさんが声をかけてきた。
「どうかしたの?」
「な、何でもありません…」
あの人というか、すぐ隣にいるんだけど...
仮想展開された屋内展示場(聞いてもないのにアヤメさんが教えてくれた)に、私と同じ湿っぽい風が吹いた。横に分けていた前髪がはらりと目にかかり、見慣れない紫色の髪が視界に入った。前に一度、グガランナお姉様に連れられてディアボロスというマキナのナビウス・ネットに入ったのも私の姿を確認したかったんだそうだ。マテリアルで誤魔化せても、ナビウス・ネットでどう反映されるか分からないから私に付いて来てほしいとお願いされたことがあった。
(もの凄く後悔したけど……)
涙もなりを潜めたようなのでちらりと、すぐ隣に座るアヤメさんの横顔を盗み見た。私より白い肌、私の方が少し大きいけどそれでもぱっちりと開いた瞳は真っ青でとても綺麗。鼻も小高く可愛らしいし薄い唇は何が面白いのか、少しだけ上がって微笑んでいるよう。胸はあるのに体は細い、しなやかな腕と、か......何だっけ...かも、かしか......かかしか?...かもしか、そう!かもしかのように細い足をしている。この容姿で誰にでも優しいっていうんだから何かの冗談だろうと、いつも思ってしまう。ついに天も間違えて二物を与えてしまったのかとさえ思った。
下で行われていた模擬戦がひと段落したようだ。ほうほうの体でクマさんがえっちらおっちらと丘の上、私達が座っている所まで歩いて来た。
["なぁ、そろそろ、交代、してくれへんか?"]
「あきまへんでクマはん」
イラッとしてしまった。
わざとらしい言葉使いをしたアヤメさんを横目で睨んでいると、皆んながさきもりさんと呼んでいる戦士の人も丘の上に歩いて来た。最初に見せた警戒心剥き出しの表情はどこかに消え、今は気の良いおじさんのような顔付きになっている。
「スイよ、お前もクマと一緒に模擬戦をやったらどうだ?戦闘経験はあるに越したことはないからな」
「いやいや、そんなのあってもしょうがないですよ、スイちゃんはもうじき上の街に戻るんですよ?」
「ふぅむ残念だ…お前は見かけとは違ってなかなか鋭い観察眼を持っているからなぁ」
「何が残念なんですか」
...私の代わりにアヤメさんが突っ込んでくれた。
「今日中に準備が終わるそうだ、タイタニスから連絡を受けている、それまではゆるりと過ごすがいい」
それだけ言い残し、草原に這いつくばっていたクマさんを片腕でだけで引き摺り再び丘の下へと降りていった。
「向こうは何て?」
「もう、私のマテリアルはサーバーに繋げているそうです、いつでも行けますが……その…」
「カサン隊長を待っているんだよね?防人さんも言ってたけど、工場区から伸びてる配管を使うのにもう少し整備に時間がかかるみたいだし、一緒に帰りたいんだよね?」
何その私は分かってますよみたいな言い方。合ってるのがまた始末に負えない。なけなしの反骨心で答えた。
「違いますん」
「ふふふっ、スイちゃんもそんな冗談言うんだね」
これだけジト目で睨んでも、花が咲いたように笑うその笑顔を一向にやめようとしない。
["もう無理ぃー!かんにんしてぇー!"]
丘の下でクマさんが吠えたところで、「落とし前」という名の強制リベンジマッチが幕を下ろした。何でも、一度負けた相手は何が何でも下さないと気が済まないと、さきもりさん一同が決めた落とし前、というやつだった。
もう一度だけちらりと横目で伺った、変わらず微笑んでいるその顔を見ると、申し訳ないような切ないような、自分でも持て余し気味の感情が胸を騒つかせただけだった。
◇
ちなみにさきもりさんは「防人」と読むんだそうだ、書いて字の如く守り人を指すその言葉は何も建前だけではなく、古い時代からこの階層を守り続けていたらしい。その防人さん一向が丘の下で思う存分、鬱憤晴らしをした後は何事もなかったように持ち場へと戻っていった。
丘の上で本体・防人と合流してアヤメさんがお姫様と呼んでいる女性の所へ戻っている最中に、ようやくネタばらしをする気になったようだった。
「素粒子間任意結合流体?……すまん、もう一度言ってくれないか?」
「いやちゃんと聞き取れているじゃないか」
カサンさんの突っ込みにも全く動じないアオラさん。二人を見ているだけで胸がほわほわしてくる。
本体・防人がよく見せるようになったドヤ顔で続きを話し始めた。
「物質の最小単位は何か分かるか?」
「………ミリ、メートル」
「ぷっ」と小さくナツメさんが小馬鹿にしたように笑った。
「ならお前が言ってみろよ」
「ふん、マイクロに決まっているだろう」
「ぶふっ」と今度はアヤメさんが馬鹿にしたように笑った。
「何だ、なら次はお前の番だな」
「ピコに決まってるでしょ、二人共恥ずかしいよ」
勝ち誇ったように下から二番目あたりの単位を口にすると三人まとめてバッサリと切られてしまった。
「我が聞きたいのは単位の名称ではない、形態の話しをしている」
「それなら原子の事を言っているのか?」
当たり前のようにカサンさんが答え、満足そうに本体・防人が頷いている。そして三人は顔を赤くしたまま何も言わない。
「そうだ、さらに原子は電子と原子核に分かれ、原子核もさらに分類される、ここまでは良いか?」
理解に追いついているかと言外に問いかけ、アオラさんが例えながらそれに答えてみせた。
「防人が防と人に分かれて、人がさらに一本ずつに分かれる感じか?」
「違うがそういう事にしておこう、カサン後で説明してやれ」
「諦めるの早くないか?!もうちょっと粘れよ!」
少し顔が赤いままのアオラさんを何だか可愛く思ってしまった。私はこれからこの人達のそばにいられるんだと、さっきよりほわほわした気持ちで皆んなのやり取りを黙って聞いていた。
「その、原子核からさらに分かれたものがさっきの素粒子間なんたらになるのか?話しの筋から思うに」
「そうだ、核はさらに陽子と中性子に分かれ、ここからさらに分かれる」
「訳が分からんな、カサン頼んだぞ」
「「諦めるの早くない・ですか?!」」
舌の根も乾かないうちにアオラさんがすぐに諦めてしまったので、私とアヤメさんが同時に突っ込んでしまった。ちょっと悔しい。
そうこうしているうちに真っ白な塔が目前に迫っていた。
◇
話しはまだ続いている。というかちっとも進んでいない。
「……その、あー、スウィーツ?」
「クォーツ」
アヤメさんが素早く指摘した、そしてそれを私が指摘した。
「クォーク、く!ツ、じゃありません、ク!」
「はい…」
「すみませんでした…」
アオラさんとアヤメさんが素直に頭を下げた。二人に代わってナツメさんが話しを進める。
「クォークとレプトン、この二つが結合し陽子、中性子を形作り、原子核を生み物質へと至っていく」
「なら、そのクォークとレプトンが素粒子ということになるんだな」
「やっと理解が追いついたか、これらの素粒子を任意に操作し結合し、思うがままに操る、それが素粒子間任意結合流体だ」
「何かやってみせてくれ、ロンよりツモだ」
「お前ほんとふざけるのいい加減にしろよ」
「悪かったって、論より証拠だ」
「ふむ…お前達には一度やってみせたが……覚えていないのか?」
ろ、ろん?つも?よく分からない冗談を言ったアオラさんと真面目に怒ったナツメさんが二人して目線を合わせていた。
「槍のやつか、なるほどなぁ…」
そこでカサンさんがしたり顔で頷いている。
「槍ってあの槍掴みゲームのことか?」
「皆んな失敗したやつでしたよね?」
「もう一度試してやろう」
ゆっくりと槍を突き出し、いの一番にアヤメさんがナツメさんを押し除けて前に出てきた。「前回私だけやってないんだよ!」と聞いてもいないのに言い訳のように説明していた。アヤメさんがへっぴり腰の体勢で両腕を前に突き出し構えた。
「いつでもいいですよ!」
「ふん、取れたなら今後はお前の臣下になってやろう」
「それはいらないですねぇ」と言いながらものの見事に掴み損ねていた。
「はぁー手品みたい…掴んだはずなのに…」
まだしたり顔のままになっていたカサンさんが私を指さしこう言った。
「スイなら取れるんじゃないのか?試しにやらせてみろ」
「………」
私を一瞥しただけで何も言わない。
「いいですよ、私が取れたらカサンさんの臣下になってください」
もうネタは上がっているんだ。
「いや待て、その賭けに何の魅力も感じないのだが…」
「ふんす!」と言いながら及び腰になっていた本体・防人から槍を奪ってみせた。
「?!」
「なんと!」
「スイちゃんって意外と強引だよね」
「知っていたのかスイよ、つれない子だ」
「仮想展開させているだけですからね、この槍とほんた、………防人さんは」
本体・防人と言いかけたので慌てて訂正した。
「…そんなはずないだろう、実際にこの槍で攻撃していたじゃないか」
「あぁ、確かに現実と仮想で攻撃手段を持つと…………スイ、私の足下に槍を突き立てくれ」
?と思いながらもあぁと、一人合点して言われた通りナツメさんの足下に槍を突き立てた。場所は初めて来た時のまま、怖いぐらい高い位置にある神殿のような場所まで戻ってきていた。ナツメさんがゆっくりとしゃがみ槍が刺さった辺りを掌で撫でている。
「はぁーそういう事か……」
皆んなもナツメさんに倣って槍が刺さったように見えている地面を撫で始めた。
「ん?……何だこれ」
「なんか…凹んだような跡はあるっぽいけど…刃が無い?」
「これは当たり判定がある時だけ、さっきの素粒子流体とやらを作り出しているのか」
「ご名答、幽霊見たりは枯れ尾花、実際には粗末な作りものにすぎんよ」
「いやこれでも十分凄くないか?」とアオラさんが小声で喋りアヤメさんがしきりに頷いている。
「展開されている物体画像に合わせて適宜作り出していたのだ、お前達が槍を掴めないのは当たり前ということだ、何せありもしない物を掴もうとしていた訳だからな」
「カサンさんはよく分かりましたね」
「この中で一番歳を食っているからな」
ちょっとよく分からないけど頷いておいた。
アオラさんがその場で立ち上がり本体・防人の胸をいきなり殴った。殴られた本人もびっくりしている。
「今のも私に殴られるために作り出したものなのか?」
「貴様……そんな訳がないだろう、我らは確かに実体を持っている身だ」
「え?!」
そうなの?!この中で一番私が、いや私だけが驚いていた。
「私はてっきり防人さんをコピーして皆さんを作っていたとばかり……」
「だから先程は「本体」と口から出かかっていたのか」
バッチリ聞かれていた。
再び歩き出して宮殿を後にした。階段を降りて大通りを渡り、ナツメさんとアヤメさんが何かと視線を向けている壮大な空景色を横目にてくてくと歩いて行く。まだまだ種明かしは続いている。
「だが、スイの言う通り防人は一度やられていただろう?それにドラゴンにも跨って空を飛んでいたよな?」
「いかにも、しかし我らは仮想展開された身ではない、階層入り口で一度お前達と交戦も果たしていただろうに」
「それはあそこも展開された空間だったという事ではないんですか?」
「なら何故ナツメは負傷したのだ?仮想のみなら手出しは出来んだろう」
「それはさっきの素粒子なんたらでやったんだろう?私らが聞いているのはお前達の正体についてだよ」
「マキナだ」
「…………………」
「グラナトゥムである事は否定したが、マキナである事を否定したつもりは一度としてない」
「お前…ここがショーの舞台なら大ブーイングだからな?」
「こんなネタばらしは求めていなかった」と皆んなを代表してアオラさんが言ってくれた。それでもあまりアヤメさんは気にしていなかったのか、とんでもない事を口にした。
「それなら私達も空を飛べたり槍を持てたりするんですか?」
少し上を向いた本体...というのはもうやめよう、防人さんが数瞬考え再び視線を戻した。
「槍に関してはサーバーと繋がっていなければ扱うことは出来んが、ドラゴンに跨ることは出来よう、あれに攻撃能力はないからな」
所謂火器管理が働かない者には所持出来ない、そういう決まりがあるらしい。
「乗れるんですか?!」
「乗りたいのかお前?!」
「いやだってドラゴンだよ?!乗ってこの空を飛んでみたくならない?!」
「私は絶対に嫌だ、自分で操作出来ない空の乗り物は金輪際乗らないと決めているんだ」
「フラグかそれ?自分から立てにいくのか?」
アオラさんに囃し立てられながらナツメさんやアヤメさん達が先を行く。後ろに私とカサンさんが並んで歩いていた、何となく上向くと私を見ていたカサンさんと目が合ってしまったので少し驚いてしまった。
「ここを離れたくない、とかないか?」
どうしてそんな事を言うんだろう。そう、不思議に思いながら率直に答えた。
「私はカサンさんのお家に戻りたいです」
それでも寂しそうにしている表情が変わらない。少しそわそわしてしまう。
「言っちゃ悪いが、ここはお前と似たような連中が沢山いるんだ…だから、何と言えばいいのか……」
あの日、病院で目覚めて話しをした時と同じ表情に変わった。とても...そう、とても言葉を選んでくれているのが如実に伝わってくる、そんな表情だ。嬉しいけど嬉しくない。私を思ってくれているのはとても嬉しいけど、
「それでも私は街に戻りたいです、友達は自分で作ります、けれど帰ってもいい家は自分では作れません」
私の言葉にはっとしたような顔をしている。申し訳なさそうに、けれどようやく嬉しそうにしてくれたので私も同じようにまた、ほわほわしてきた。
「そうか、野暮なことを聞いたな、ならさっさと戻ろうか」
「はい!」
自分から手を繋ごうとすると、カサンさんから私の手を取ってくれた。
...言うなれば、私が生まれた時は一人ぼっちだった。誰もいないし誰も待ってくれていない、プエラさんに言われた時は底無しの寂しさに体も心も切り裂かれそうになったけど、今は違う。私の隣にいてくれるし、待ってくれている。それだけ、たったそれだけの事だけど、今の私にとって、何よりも...こんな綺麗な空よりも、どんな奇跡よりも...ぐす...も、もう...な、泣かないと、き、決めた、のに...ふぅ、ひっく、
「うぇええんっ」
「?!」
突然泣き出した私を、驚きながらもカサンさんは頭を撫でてくれた。その適当さ加減と温かさは私が何よりも欲していたものだった。
56.c
「………」
「………」
二人、目を合わせたまま何も言わない。二人を邪魔する者もいない、特別な空間だ。幻想的な異世界を再現した仮想展開型風景は、一つの大樹を現しその根本で木漏れ日の祝福を受けながら、まるで結婚式のように顔を合わせて佇んでいる。しかし空気はとても重い。
「………」
「………」
目の前に立っている私のお嫁さんは腕を組んで仁王立ち、リズミカルに足で地面を叩いているのは怒っているからだろう。いつものような天使をも超える微笑みはない。何か言わなければ、そう思いはするが不機嫌な顔も美人とはどういうことなんだと、自分が置かれている状況も忘れて見惚れていた。
お嫁さんが聞こえよがしに溜息を吐いてみせたのでさすがに黙っている訳にもいかず口を開いた。
「あー…えー…」
「………」
「ところでアヤメは白雪姫の話しは知っているかしら?」
「知ってる」
「悪いおばあさんに騙された白雪姫が毒りんごを食べてしまって深い眠りについてしまうの」
「だから知ってる、最後はカッコいい王子様にほっぺを抓られて起きるんだよね?」
え、そんな話しだったかしら...あぁ違う、アヤメがそうしたいと皮肉を交えて言っているのか。これは不味い、抓られるのだけは勘弁だ。
「いいえ違うわ、優しい口付けで目を覚ますのよ」
「人の心配を何とも思わないお姫様にそこまで優しくする王子様はいないんじゃない?むしろ怒って正してくれるのが本当の優しさだと思うけど」
「ぐぅの音も出ない」
これは駄目だ、口で勝てそうにない。いや勝ってもしょうがないんだけど。
「………」
「………」
再びの沈黙。
...アヤメが怒っているのはいつまで経っても起きてこない私を心配してくれてのことだった。それなのにも関わらず、かの白雪姫のような起こされ方を夢見た私は事もあろうに粘った、粘り倒した。アヤメという王子様が私に口付けしてくれる事を期待して寝たフリを続けていたのだが、そもそもアヤメは私のお嫁さんだからその設定には無理があると寝たフリの途中で真理に気づき起きたのだった。そして、今の状態のアヤメとさっきから互いに目を合わしていた。
は、腹を括るしかないのかしら...アヤメの抓りだけは受けたくなかったけど...仕方ないと思い目をばちこんと閉じて勢いに任せて決意表明をした。
「……アヤメ!私のほっぺで勘弁してちょうだい!罰ならいくらでも受けるわ!」
アヤメが近づいてくる気配が見えない視界でも伝わってくる、私の少し前で立ち止まり冷んやりとした細い指をほっぺに這わせてくる。たったそれだけのことで私のほっぺがあまりの幸せに昇天しそうになった。さらに手のひらも沿わせていよいよ自分のほっぺにすら嫉妬しそうになった時、唇が熱くなった。
「………?!…?!……?!!」
「前に一度、し損ねた時があったよね」
「…………………………………」
「私ね、グガランナが倒れて動かくなった時頭の中が真っ白になったの」
「…」
「自分のことを気づかって優しくしてくれる人がそんな風になったら、グガランナはどう思う?私が倒れてしまって、わざと寝たフリを続けていたらグガランナはどうする?」
「キスするわ」
✳︎
頬を赤く腫らしたグガランナが朝食を取っていた私の所へ謝罪にやって来た。この度はご迷惑をお掛けしましたと、柳眉が釣り上がったアヤメを従えて。
「分かりやすい二人だな」
「ふぁい、あやへがはげひくて…」
「お前、少しは反省したらどうなんだ」
「ナツメ、アオラはどこ?」
全く柳眉が戻らない、まさかこいつ全員の所へ回るつもりなのか?
「私の方からグガランナの事は伝えておくからいい」
「いいえナツメさん、この唇が目に入りませんか?天使の施しを受けた至宝ですよ?見せびらかさないと気が済みません」
「アオラならタイタニスと一緒のはずだ、ついでに頭も診てもらってこい」
噂をすれば何とやら、朝食を取っていた私の自室にタイタニスがぬっと現れた。プライベート空間などあってないようなものだ、朝一番の時間だというのに遠慮なく入ってくる。
「ナツメ、話しが……」
「………」
「………」
部屋に入るなり口を開きかけたタイタニスが、グガランナを見やるとその口を閉じてしまった。ついさっきまで馬鹿なことを口走っていたグガランナまで様子がどこかおかしい、アヤメと目を合わせるが向こうも首を傾げているだけだった。
(アヤメも知らないということは……あぁ、決議で何かあったのか……)
食べかけの正方形の塊(肉味)を皿の上に戻して、歯に絹着せるのも面倒なので単刀直入に言い放った。
「何かあったのは察するが、ここに持ち込むのはやめてくれないか?面倒なんだよ」
「な、ナツメ!言葉を選びなよ!」
慌ててアヤメが止めに入る、釣り上がっていた柳眉も戻っているようだ。さすがにアヤメにまで庇われて思うところがあったのか、タイタニスから先に口を割った。
「……以前、下層から中層にかけて作られたトンネルについて調査をしただろう?製造責任不明のあの代物だ」
「それが?」
「……前回の決議で、製造したマキナの名が分かったのだ…………どうやら二千年近く前に我が建造したようなのだ」
「それで?」
「…………お前は何とも思わんのか?それで、とは、そう、言われてもだな…」
「自分がやってしまった事を気にしているのか、忘れていたのを気にしているのか知らんが、そういう事もあるだろう」
「………」
タイタニスがあんぐりと口を開けている。
「それとも何か、別に理由があるのか?」
「……それについては、私の方から説明を、いいわよね?タイタニス」
そこでようやくグガランナが正気に戻りタイタニスとも言葉を交わした。不思議と、肩の荷が下りたようにほっとしたような表情をタイタニスがしていた。
「……構わん」
「稼働歴千年より前の記録の一切が、私達マキナには閲覧出来なくなっているのです」
「何かやらかしたのか?」
今度はグガランナが口をあんぐりと開けている。そして隣に立っていたアヤメは何故だかかぶりを振っていた。
「…どうして、分かるのですか?」
「見られたらヤバい記録ってことなんだろ、本人達すら見られないのならよっぽどの事をやらかしたんだろうな」
「何をやったの?何か失敗したとか?」
「×××の××××………」
「グガランナ」
「違うんです!ちゃんと私は発音しています!×××!××××!」
「それって前にお姫様も同じようになっていたよね」
「アヤメ、後でお話しをしましょう、あなたのお姫様の前で他人をお姫様と言うのは、」
「タイタニス、頭を診てやってくれないか、さっきからこの調子なんだ」
「う、うむ、仕方あるまい」
「タイタニス!あなたも発音が取り消されるでしょうに!」
「いや、というかタイタニスさんは何か用事があって来たんですよね?」
アヤメの言葉にとみに動きを止めて、
「忘れていた、ナツメよすぐに対処に移ってくれ、この階層が現在攻撃を受けている」
「「…………」」
「聞こえているな」
頭では理解出来ているのだが、体が命令を聞くことを拒否している。言わねば気が済まない。
「…なぁタイタニス、さっきのトンネルの話しよりそっちの方が重要度は高いと思うんだが、お前にとっては作ったことすら忘れていたトンネルの方が大事だって言いたいのか?」
「…う、いや、そうではない、だが、どう受け止めたら良いかと思案はしていたところだったのだ、それでグガランナを見て、」
「ハッキリと言ってやろう……誰も彼もがお前に興味を持っていると思うなっ!昔にやらかした事なんざ一人でとっと片をつけろっ!」
「……!」
「誰かに面倒を見てもらっている内はアマンナと大して変わらないんだよっ!「アマンナの悪口を言うなっ!」職人を気取るなら自分の面倒ぐらい自分で見ろ!」
アヤメに横槍を入れられながらも、朝の時間を邪魔された鬱憤とまた問題が起こったことに対して八つ当たりをさせてもらった。私も人のことは言えない。
◇
お詫び行脚を途中で辞めさせ塔の出口へと、アヤメと二人並んで足早に向かっていた。心の中では溜息ばかりだ、いつまで経っても目的を達成出来ないことに苛立ちばかりが募ってしまう。
私の様子を伺うよう、さっきからアヤメがちらちらと視線を寄越していた。
「何ださっきから」
「いや…また怒ってるみたいだから」
心内を指摘されたようで少し罰が悪い、いくらか歩く速度を落としてから答えた。
「……私らの目的がいつまでも棚上げされているように感じてな」
アヤメが「何だそっちか」と小さく呟いた。
「どっちだと思っていたんだ」
「……グガランナの、こととか?」
はたと、歩みを止めた。ドーム状の宮殿を抜けて、黄金色に輝く空を眼前に望める階段の踊り場だった。一陣の風が通り過ぎるのを待ってから口を開いた。というか幻滅していた。
「お前まさか……グガランナにキスしたのは……」
「いや違う、違うから、勘違いしないで」
「さ」
「違うから!勘違いしないでって言ってるでしょっ!」
「いていだな、お前」
「…………」
涙目で睨まれても。
「お前がグガランナやアマンナを大事にしたいるのは理解している、けどな鞘当てに使うのは違うだろう」
「…………だから違うって、ただ、反応が…」
「もういいさ、好きにしろ」
怒っているのか泣きたいのか、胸を締め付けてくるような顔から逃げるように階段を登り切った。
◇
「あいつぅ…マジでふざけるなよぉ……」
「"姉貴、どないかしはったんですか?"」
アヤメが逃げやがった。まさかの敵前逃亡。
階層入り口は初めて来た時と同じく瓦礫だらけの荒れたエリアに戻っていた。既に戦闘が行われていたようで、地面の至る所に穴が空いていた。幸い犠牲者は出ていないようだ。
私のそばにはクマ型のピューマと防人分隊がいる。肝心の狙撃手であるアヤメは私といるのが気まずくなってしまったのか、気づいた時には姿を消していた。
「クマ、その喋り方はやめてくれないか」
「"機嫌悪いんは分かりますけどいきなりアイデンティティ否定してくるのはやめてもらえませんか"」
「私語は慎め、「仕事」の後なら構わない」
ドヤ顔で冗談を言った防人分隊の代わりにクマの頭をどついた。
「"や、八つ当たりはかんにんしてください!"」
「お前が下らない冗談をこいつらに吹き込んでいたのは知っているんだ」
音がした。クマや防人分隊ではない、もっと遠くから何かが歩いて来る音だ、小さな破片を蹴飛ばし周囲を探っている気配が伝わってくる。
目で警戒を促しクマも素早く持ち場へと移動する、防人分隊は後方へ下がり他の防人分隊へ指示を出していた。合計で十そこら、斥候としては十分過ぎる数だがここで決着をつけるつもりでもいた。狙撃手がいないのは痛手が仕方がないと割り切り私が敵の様子を探ることにした。
未確認の敵性体が現れたのは今日未明、階層入り口をくまなく探索していた敵性対と防人分隊が鉢合わせをしてそのまま戦闘に突入したそうだ。皆が口を揃えて「視認出来なかった」と証言しているので、余程素早いビーストのような敵なのか、はたまたクモガエルのような新型の敵なのか、もしくは防人分隊がポンコツかのどれかだった。
スコープ片手に一人で瓦礫の山をよじ登り「スカートやったら…」と声が聞こえてきたところで天辺に着いた。体勢を低くしてスコープを覗き込んだ先に仰天してしまった、どれにも当て嵌まらなかったからだ。
登ったばかりの瓦礫を降りて、指示を出してもいないのに真下で待機していたクマをとりあえず一発殴り、防人分隊のリーダーを呼んだ。
「敵は確認出来たか?」
リーダー格の防人に聞かれて見たままを伝えた。
「いや、全く見ることが出来なかった」
56.d
小さな男の子に連れられて案内された場所は何とも不思議な場所だった。塔を出て、アヤメ達が「空中庭園」と呼んでいた公園にある湖から木舟に乗り、いつの間にかこんな所まで来てしまっていた。
「主様の許可がないと入れないんです」と男の子が秘密を打ち明けてくれるように教えてくれた場所は、天井に穴が空いた洞窟の中だった。洞窟には二つ入り口があり、そこから砂浜へ波打つコバルトブルーの海も見えていた。天井の内側は黄色く、穴から差し込む光が砂浜にぽつんと佇む岩と一人の女性を照らしていた。
私の顔を見るなり声を掛けてきたのは「余計なものが付いていない」お姫様だった。
「ご機嫌ようグガランナ様、突然のお呼び出し誠に失礼致します」
「いえ……」
ナツメさんが指摘するまで彼女の態度に疑問を抱かなかったのが不思議だ。謝罪しているわりには腰をかけている岩から降りてこようとしない、言動が一致していないのだ。
気を取り直してこちから用件を伺うことにした。
「何かご用でしょうか」
「はい、あなた様以外のグラナトゥム・マキナについて少々お話ししたいことがございます」
様々な疑問が頭に浮かんでは消え、ついて出た言葉が、
「ティアマトについても何かご存知でしょうか」
「………」
...あの決議の場から一度も言葉を交わしていなかった。私から目を背けたのが今でも信じられない、あれだけ私の面倒を見てウザいくらいに保護者面をしていたくせに。心に...それこそこの洞窟のように穴が空き、落ち着かない不安に苛まれていた。アヤメにキスをされた時ですらほんの一時に過ぎない、早くこの不安から解放されたいがために会って間もないお姫様にすら縋ってしまう始末だった。
そこでようやく人と同じぐらい高い岩から降りて砂浜に音もなく着地してみせた。やおら歩き出して私の前に立った。この人と私は似ているだろうか?束の間現実逃避をしているとお姫様が口を開いた。
「私が知る限りでは、ですが、大地母神を司るティアマトについてもある程度は知っています、いかに傲慢で排他的であったかについても」
「……私が聞きたいのは彼女の悪口ではありません」
「二千年前に行われていた、代理戦争について、ですよね」
「!」
何故...言葉にすることが出来るのか。いくら発してもフィルターがかかってしまうその言葉。
「先ずはこの場所について説明から致しましょう、演繹的な話しになりますが暫くご辛抱くださいまし」
◇
過去、まだ地球が存命であった頃、南ヨーロッパのイベリア半島に位置する場所にはポルトガル共和国と呼ばれる国があった。大西洋に面したこの国は長年に渡って塩の干満の影響を受けて、私が今立っているこの海食洞が形成されたと、どこか懐かしむようにお姫様が説明してくれた。
「岩石が幾たびも波浪に見舞われこのような素晴らしい洞窟が作られたと、言われています」
「はぁ…」
だから何なんだと言いかけた言葉を引っ込めた。
「私はとても残念に思います、素晴らしい自然を蔑ろにしてあまつさえ、母なる大地をマグマで汚したことを」
「はぁ…」
「ふふ、興味はありませんか?」
「は、い、いえ……」
「では続きを……このような素晴らしい景色を風景画として当時の人々は次から次からへと保存していきました」
「……ガイア・サーバーに、でしょうか」
「いいえ」
「はい?」
「しかしながら、これらの記録は今を生きる人類にとって不要と判断され排除されてしまいました」
接続詞の使い方間違っていないかしら...
「誰に、と聞けば良いのでしょうか…」
「ガイア・サーバーに、ですよ」
「………」
「そして、地球時代の記録が排除されてしまい、次は代理戦争が行われていた記録を排除しようとしています、記録のみならず記憶すらも、これは由々しき事態です」
「………」
「結論を申し上げますとここはガイア・サーバーに繋がれていない場所、という事になります、お分かりですか?」
「分かりません」と言えたらどれだけ気が楽なことか。
「……詰まりあなたはサーバーに繋がれていない、そう仰るのですか?」
「いいえ」
あーもう殴りたい!私はあなたのなぞなぞに付き合うためにここまで来たのではない!さすがに顔に出てしまっていたのかお姫様が本音を伝えてくれた。
「…私は知りたいのです、この歪な世界を根元から余すことなく全てを、何故生まれてきたのか、私の使命は何なのか、ですからあなた方に代理戦争が行われていた仮想世界へ侵入してほしいと依頼したのでございます」
あの時伝えようとしていたのはこの事だったのか。
「…その話しがティアマトに繋がるのでしょうか、あなたの話しが本当なら、何故あなたは過去のティアマトについて知っているのですか?記録は消されてしまっているのですよね?」
「電子情報としては既に消えかかっておりますが、過去の記録媒体はまだ手元に残っております、誰が残したものなのかは分かりませんが」
「それはどのような形で?………いえ、絵画として残されているのですね」
「はい、そして文献、あるマキナの働きで失われてしまった世界共通語で記されています」
英語のことね。発音としては残っているが字、存在としては既に消失してしまっている。これでは読み解こうにも無理な話しだ。
薄ら寒い何かに身を包まれそうになった時、お姫様がぱんっ!と手を鳴らした。
「固いお話しはここまでにして、世間話しでもしましょう、私もあなた様も同じマキナの身でございます、時間は余りある程にございますし」
「はぁ」
「ふふふ、私も防人とは違う方とお話し出来て気分が舞い上がっております」
付いていけない。何なんだこの人は。
「アヤメ様について何かご存知であれば、」
「嫌です」
「教えて頂けたら幸いです、とても興味があります」
「嫌です」
「あの方には是非一度、豚と罵って頂きたいと僭越ながら思いを馳せているのです」
「聞いてます?人の話し」
「はぁ…あのような無垢な方に罵られると思うだけで……」
「私入ります?何ならすぐにでも出て行きますよ?」
馬鹿なんじゃないだろうかこの人。
暫く一方通行の会話をさせられた後、満足したお姫様に連れられて海食洞を後にした。そして私の中では「全力排除!」の文字がありありと浮かんでいた。