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第五十四話 マリン・ティアマト・ブルー

54.a



 テンペスト・シリンダーが建造された地名にちなんで作られた言葉、なのかは分からないが、故障したグガランナ・マテリアルから仰ぐ空は日本晴れだった。雲一つない空は、白い絵具を薄めたように水色をしていた、爽やかと言っても良い。けれど私の心の中は、そんな空模様とは裏腹に曇り空だった。というか雲しかない。つまりは心配事ということだ。


「はぁ……」


 もうこれしか出てこないのではないかと言うぐらいに溜息しか出てこない。先日に行われた決議の場でグガランナがディアボロスに詰問していた内容もさることながら、そのディアボロス一味と連絡が一向に付かないのだ。無視されているならまだ理解は出来るがそもそも繋がらない。海の満ち引きに似た波の音だけが聞こえ、一定時間後に強制的に切れてしまうのだ。挙句の果てにはグガランナのマテリアルが大破したと、オリジナルのメイン・コンソールに通知が入る始末。


「はぁ………こんな事なら是が非でも付いて行けば良かった……ただ待っているなんて耐えられないわ」


 マテリアルが大破しただけなら分かる。サーバーを経由してオリジナル・マテリアルを起動させてしまえば済む話しなのだが戻って来ないのだ。グガランナが。大破したマテリアルに未だ換装しているのか、何か事情があってサーバーに戻れないのかも分からない。だから余計に心配し心の雲が増えていくだけだった。

 ゆっくりと腰を上げてブリッジを後にする。直通エレベーターに乗り込んだところで通信が掛かってきたので心臓が飛び出るかと思った。慌てて取った相手はグガランナではなく、ナツメ達を裏切ったあの司令官からだった。

 相手が口を開く前に精一杯の皮肉を込めて挨拶をしてやった。


「ご機嫌よう司令官殿、今さら私に何の用かしら?あなたが見捨てたナツメ達はとても元気にしているわ、あなたことも忘れてね」


 少し息を飲む気配がしたが、立板に水だったようだ。


[そのような事で通信したのではありません、ティアマト、今すぐあなたの権能でメインシャフト初回層を調査してください]


 随分とまた...まぁ他人行儀の方がやり易い。


「初回層とは?初めて聞いたわ」


 開いたエレベーターの扉から歩き出してすぐ、通路の向こうで仲良く手を繋ぎながら歩く二人を見かけた。


[メインシャフト一階層、もしくは十階層と呼ばれている所ですが、()()()()()()()()初回、という意味です、回りくどい言い方は誤解を避けるためです]


「解釈ありがとう、何を調べろと?」


[仮想展開型風景の効果範囲についてです]


「それならタイタニスの方が適任でしょう、彼が建造した所よ」


 私も、皆んなが「奥の細道」と呼んでいる居住スペースへ直接行ける通路を歩いて行く。


[拒否されました]


「なら私も拒否させていただくわ司令官、私まで裏切られたくないもの、いいわよね?」


 さらに息を飲む気配、というか深呼吸している微かな音が聞こえる。


[…でしたらティアマト、あなたに初回層の情報を提供します、グガランナの容態、彼女らの動向を逐次流していきます、情報閲覧権は一時貸与という形で与えますのでお好きにどうぞ]


「………あなた、本気なのね?あのナツメやアヤメの事を他人呼ばわりするなんて、それが最後の防波堤ではないの?あなたはただ、テンペスト・ガイアの言いなりになっているに過ぎないのでしょう?」


 また息を飲むかと思ったが、今度は即座に返事が返ってきた。


[あのお二人には感謝の言葉は既に伝えています、それに私には()()()という役目を全うする義務がありますので、言いなりなどではありません]


「なら、あの二人をまた撃つのかしら?」


[必要であれば]


「そう、心から見損なったわプエラ・コンキリオ、あなたの言う事は聞いてあげるけど私事で通信は金輪際してこないでちょうだい」


 司令官が、とても小さな声で感謝の言葉を告げてから通信を切った。



「どうなっているのよここは……滅茶苦茶じゃない……」


 見たことあるわこの光景。そう、与えられた自室をたった一日で汚したアマンナの部屋のようだった。

 仮想展開されている空間を赤く表示するように設定したのだが、初回層と呼ばれたエリア全域に展開していたのだ。ある所は密集し、ある所は点在し、ある所はうず高く積まれたゴミのように表示されていた。こんな効果範囲はあり得ない。一度も見たことがなかった。


(いや、アマンナの部屋にそっくりだわ…)


 さっきアマンナがテッドと手を繋いで何処へ行っていたかは知らないが、部屋の掃除の邪魔だからと追い出していたのだ。アマンナの部屋はとにかく酷かった、「たった一日でこれぇ?!」と叫んでしまう程。服は脱ぎっぱなしで部屋の片隅に集められ、フードコートから持ち出した食料パッケージの空き袋はあちこちに散らかり、休憩スペースに置かれていた貸出用の本がベッドの横に高く積まれていたのだ。

 どういう訳だかベッドの上だけは清潔にしていたのがまた腹ただしかった。


(表示を変えてみましょう)


 奥の細道を通って展望デッキで椅子に腰をかけて網膜投影を行なっていた。他の人からは見えないが私の視界には、それこそバウムクーヘンを横からみた断面図が宙に浮く形で展開されていた。まぁ酷い虫食いにあってとても美味しそうに見えないが...

 仮想展開型風景の原理は、現実にある物体に好きな画像を貼り付けて周囲に表示するというものだ。物体が動けば画像も動き、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()言わば仮想物体、とでも言えばいいか。下層では大変需要があったらしいが中層ではもっぱら風景に使われることが多くなっていったのだ。


(確か…か、拡張、そう拡張現実、それを雛型にして開発されたはずよ……)


 つまり、初回層にはこれだけ仮想展開できる程の物体があり、かつゴミのように散乱していることになるのだ。


「掃除を終えたばかりだと言うのに……」


 さすがに独りごちてしまったが無理もない。まさかあの司令官も仕返しに初回層へ掃除しに行けとは言うまい。さすがに抗議する。

 赤く表示されている空間を、現実にある物体と貼り付けた画像に分けてくまなく精査することにした。のだが...


(ん?…………んんん?)


 思ってもみない結果が表示されて困惑してしまった。()()()()()()()

さっきも言った通り現実の物体に画像を貼り付ける手順は変わらないが、必ずしも一つにつき一つという結果にはならない。複数体をまとめて表示することもできれば、逆に一つを複数に分けて表示することもできる。この機能のおかげもあって、ありもしない雲を表現出来たり、広大無辺に広がる小波を作り上げることができるのだ。


(けれど、そもそも存在しないなんてあり得ないわ……)


 物体を青、画像を緑とした時にものの見事にばらばらだった。三色に分けてしまえば、複数体表示している青色を判別することができると踏んでいたのに予想が大きく外れてしまった。青も緑も被らない空間にぽつんと赤く表示されている所が多々あったのだ。意味が分からない、初回層は物理が適用されない異界か何かなのかしら?


(アマンナのように()()()()()何かがいるのかもしれない……)


 複数表示している物体を突き止めれば少しはスッキリするかと思ったが、当てが外れてしまったのでもう一度精査条件を変えてみる。アマンナがいると仮定して、仮想展開させた空間をゴミのようにばら撒く存在がいるのだとすれば...時間経過で赤い点の分布が変わっていくはず、いや、元の綺麗なエリアに戻っていくはずだ。

 赤い表示は残したまま、時間を遡らせると次第にエリアから表示が消えていく。ビンゴだ。


「アマンナ…あなたは初回層すら汚してしまうの……」


「んな訳ないじゃん、何言ってんのさ」


「…!……驚かさないでちょうだい」


 視界に投影された断面図に集中していたので、展望デッキに現れたアマンナに気がつかなかった。その後ろにはお出掛け姿のテッドも立っていた。


「初回層って……どこの階層なんですか?」


 ハンチング帽を被ってジャケットも着込み、男らしさを見せたいようだがボーイッシュな女の子にしか見えないテッドが私のそばに近寄ってきた。手には何やら包み紙を持っている。


「中層から数えて一つ目の階層のことよ、今調べているところなの」


「ナツメさん達がいる階層ですよね?」


「何のために?」


「頼まれたからよ、仮想展開された場所がまるであなたの部屋のように散らかっているのよ」


「アマンナ……」


「いやいや何言ってんのさ、私そんな所一度も行ったことなんてないよ」


「本当にぃ?昔はグガランナさんと中層を旅していたんだよね?その時に散らかしたんじゃないの?」


 少し間を置いてから、


「ない」


「今の間は何かしら、もの凄く引っかかるわ」


「ないものはない!はいこれ!ティアマトにお土産!」


 ずずいとアマンナが可愛く梱包された袋を私に突き出してきた。「掃除のお礼!」と怒りながら感謝の言葉を投げつけてきた。うろんげに袋を見やりながらも受け取り断りも入れずに中身を取り出すと、小さなポッドが一つ入っていた。それに花の香りもふんわりとしてくる。はぁ、とプレゼントをしてくれた本人の目の前で溜息を吐いた。


「失礼!凄く失礼なんですけど!」


「アマンナあなたねぇ……仮想世界で花に興味を持ったのはとても良い事だけど、お願いだからゴミ溜めの部屋に生花を置かないでちょうだい、片付ける身にもなりなさいよ」


 とんでもなく臭かった、ゴミのすえた臭いに甘い香りが付いてしまうのだ。花が不憫で仕方がなかった。それにアマンナは決まった花だけを買うようで、とくにテッドにプレゼントされた二種類の花がお気に入りのようだった。その事をあの無責任ゼウスにも教えてやると、人型機のノーズ・アートに反映させていたのだ。何とも粋な計らいだった。


「ふん!あれはあれで私の聖域だから気にしない!」


「はいティアマトさん、僕からも街へお出掛けさせてもらったお返しです」


 誰もそんなところまで許可した覚えはないんだけど、さすがに今それを言うのは気が引けたので黙っておいた。テッドから受け取った包み紙には、小さなドラゴンが入っていた。こっちも可愛らしくデフォルメされた姿をしていた。


「ありがとう、部屋に飾らせてもらうわ」


「おかしくない?態度おかしくない?」


「艦内に缶詰待機しているのは辛いでしょうけど、これからもお願いね」


「はい!」


「はいはい」



✳︎



 臭いがする。これは何だ?何の臭いだ...血?まさかの血?今度はオレが好きな臭いで目を覚ますだなんて...

 しかし目蓋が上がらない、確かに意識は覚醒しているのだが周囲を確認することができない。それにどうやらオレはうつ伏せで固くて冷たい床に倒れているらしい、その感触だけは伝わってくる。


(んん?そうだったか?確かオレは……)


 あの絵画が飾られた家の中で、仰向けに倒れていたはずだ。それがいつの間に...まぁ、死んではいないみたいだからラッキーとしか言いようがないが、体を動かせないなら死んだも同然だ。


(あれ、オレのジュニアを感じ取ることができない、どうなっているんだ?)


 女の姿に化けても確かにあったはずだ使う予定もない立派なウロボロスジュニアが。言ってて情けなくなるが、そう言えばオレはマキナだったことを思い出す。いやちょっと待て、下半身が無い?そんな馬鹿な...


(殴られたのは上半身だったよな?)


 その時だ。オレの体が勝手に動き出したのだ。


(んん?!毎度のことながら意味がさっぱり分からん!)


 腕だけの力で、這いずるように移動しているのが閉じた目蓋越しでも分かる。それに金属同士がぶつかる音も周囲に反響して伝わってくるのでますます訳が分からなくなってしまった。耳だけは聞こえるらしい。


(体が...金属?それか剥き出し?それと、ここは狭い所なのか?)


 マテリアルの素材については詳しくはないが、まぁ骨格を模した金属で作られているのは分かる。そしてその上に生き物としての筋肉やら皮膚やらがくっ付いているのも分かる。だが、床を叩くその音はとても人型のマテリアルが出せるものではない。もっと大きな物だ、人型機ではないにしても...まさか、駆除機体?


(いやもう意味分かりませんけど……何がどうなっているんだ?)


 何かに近づいているのか、血の臭いがさっきよりもはっきりと鼻につくようになってきた。



✳︎



「ビンゴね、上手くいったようで何よりだわ」


 アロマディフューザーとドラゴンの置物をプレゼントしてくれた二人と別れて、再び視界に仮想投影された断面図と睨めっこをしていた。

 まさかアマンナにヒントを貰えるとは思ってもみなかったが、初回層を汚した犯人が好きな匂いを再現させたディフューザー目掛けて移動を開始したのが白い点として表示されていた。赤い点、仮想展開された空間が一つのエリアに収束していきそこでピタリと止まった。場所はアヤメ達特殊部隊の人間が「搬入口」と呼んでいた所だった。次に、時間を進めていくと、それはそれは初回層を縦横無尽に駆け回りその度に赤いゴミを撒き散らしていたのだ。居住エリアからナノ・ジュエルのリサイクルエリア、次に娯楽目的で作られた観光エリア。迷惑以外の何ものでもなかった。工場エリアには足を踏み入れていないようだが時間の問題だろう、再び搬入口辺りで白い点が停止したので匂いを再現出来る仮想展開可能なディフューザーをタイタニスに大急ぎで作らせたのだ。


「さて、先ずは報告しましょうか」


 口も利きたくなかったので、精査結果だけをメッセージで飛ばした。暇なの?と言わんばかりにすぐに返事が返ってきた。


Puella:白い点は何?


 さっきの他人行儀はどこへいったのか。


Tiamat:初回層を汚した犯人よ


Puella:は?どうしてそうなるの?

                        Tiamat:収束と拡散を繰り返して中心を特定したの


Puella:権能まるで関係ないじゃん


Tiamat:こっちは勤めを果たしたわ報酬を寄越しなさい


Puella:グガランナは無事だから、けど…


Tiamat:けど、何?


 司令官からの返事は無く、代わりに一枚の画像が送られてきた。


「!!!」


Pullea:これとアクセスキー、イルカさんには注意して、ちゃんと受け答えしないと海の果てまで追いかけてくるから


「あぁ、何てことなの……そんな、嘘よ……あぁどうして……何て説明すればいいの……」     


 司令官から続きのメッセージを受け取ったがまるで目に入らない。寄越された画像には、ボロボロになったアヤメがある民家で倒れていたからだった。目を開き、苦悶の表情で横たえた彼女の姿を直視することが出来ない。心に穴が空いたような感覚と、お尻から力が抜けていくような底無しに落ちていく感覚が同時に襲ってきて頭も回らない。


(あぁ…あぁ!そんな!アヤメがまさか!あぁ……そんな……嘘よ……)


 司令官に精査を依頼してきた理由を問い質そうと考えていたことや、おびき寄せた白い点を処理する方法を考えていたことも頭から抜け落ち、アマンナが私の様子を見に来るまで絶望に打ちひしがれていた。



54.b



ごう!と私のすぐ隣を敵の弾丸が通り過ぎていった、パイプオルガンの一本のパイプから吐き出さればかりのビーストが私の代わりに被弾して、電子音声の産声をあげることなく爆発四散した。敵も味方もまるでない、アオラのようにやたらめったら狙いも付けずに撃ちまくるのは勘弁してほしい。動きが読めない。

 後ろから重い装填音が聞こえ、人間と同じサイズの薬莢が吐き出されている。乾いた射撃音が辺りに響いてくるがまるで効き目がない。手詰まりにも程がある状況だった。


[ナツメ!どうすんだよあんな敵!]


[愚痴を言う暇があるなら考えろ!]


[こっちに狙いが変わった!退避しろ!]


 前傾姿勢を取っている敵の人型機が虫を追い払うように腕を振ってみせた、それだけでもう一つのオルガンが壊れて金属がひしゃげていく音が盛大に響き渡った。


[アヤメ!お前は無事か?!]


「なぁにぃ?!ここで私に囮になれとか言わないのっ?!いつものナツメらしくないよ!」


 私から狙いを変えた隙に対物ライフルを一発撃ち込んでやったが弾かれた。装甲板に傷を付けたようだが一切動きが鈍らない。再び私に向いた、獣を模した人型機が動き始めた。狙いは徹底して私らしい。


[ナツメ、帰ったらお前に話しがある、いいな!]


 案外アオラは余裕かもしれない。アオラがパニックになった時が本当の終わりかもしれない。


[下らないこと言ってないでアヤメを援護しろ!]


 私の皮肉にも答えないナツメ、しかし私達の装備では焼石に水だ。圧倒的に決定打に欠けている、三人の援護射撃をもらったところで状況が好転するとは思えない。

 破壊されたパイプオルガンの前を横切り、ケーブルや配管が入り乱れた通路へと差しかかる。パイプから漏れ出る蒸気で視界が悪い、ここに足を踏み入れた時と同じように白く煙っていた。製造しているオルガンによって進捗が異なるのか、この通路はやたらとビーストの鳴き声が聞こえまるで追いかけられている私を囃し立てているようだ。腹立つ。


[アヤメ!その先にある風箱まで走って来てくれ!]


 囃し立てる電子音声のせいで、インカムから聞こえてきた声が誰のものか分からない。


「かぜばこって何?!」


[いいから走れ!]


 指示の出し方で誰だか分かった、相変わらず説明不足の指示だ。

狭い通路をものともせず獣型の人型機が、ワイヤーロープで吊るされた通路を跳ね飛ばし、守るべき製造装置を破壊しながら突き進んでくる。破壊されていく度にビーストが悲鳴上げ、阿鼻叫喚と化していた。


(ここを守っているんじゃないの?!)


 どうしてあの人型機は平気で壊すのか、それにワイヤーロープで吊るされた通路も存在している理由が分からない。ここに誰かが来ることを想定して作られたという事だが、あのマテリアルでディアボロスさんが点検にでも来ているのだろうか。おかげでナツメ達が上から援護出来ているのだが。



✳︎



「誰が壊していいと言ったんだ!今すぐにやめさせろ!あぁあぁ!せっかく手作りで(こしら)えたもんなのに!」


「ヴィザール!手加減をしろ!」


「それ意味伝わってないから!」


[しかしお父上!私の目の前に憎きこんちゅうがいるのです!ここで見逃してしまえばどうなるものか知れたものではございません!]


「それこそ知れた事か!私怨で暴れるのは他所でやってくれ!」


 まさか、あの敵をマーキングした先がディアボロスが作り上げた駆除機体の製造区に向かうなど。挙句にあの金虫までもが入り込んでいるなどと夢にも思わなかった。俺に割り当てられたナノ・ジュエルで急ぎヴィザール用の人型機を作っておいたのが功を奏した。不幸中の幸いとも言うが...

 強靭な足腰にしなやかに伸びる二本の腕。さらには俺が以前使用していた人馬型同様、四足走行ができるよう可変機構まで組み込んでいる。これをもってすれば金虫共を容易く始末できるだろう。


(違えたのはそちらが先だ、悪く思うな)


 だが、製造区のように狭い所では存分に運用することが出来ない。それだけがネックだが、同期させている視界には追い詰められている虫の姿が見えている。時間の問題だ。


「すぐに片を付けろ、それが終わったら急ぎ修復に入れ」


「駄目だ絶対駄目だ!いいか俺が直すから余計な事はするなよBL野郎!」


「それ俺も入っていないか?」


 「お前知ってたのかよ!」と言われたが耳から通り抜けてしまった、蒸気で煙る向こうで一つの装置の前にライフルを構え陣取っていたからだ。ヴィザールへすかさず注意を促した、何やら策を講じているに違いないからだ。


「その場で停止しろヴィザール!敵の動きが怪しい!」


[何を仰いますかお父上!このマテリアルがあれば百人力!頂いた刀剣をも上回るというものです!]


「お前軽くディスってないか?」


「ディアボロス、あの装置は何だ?」


「あー待て待て……あれは風箱だ、パイプに空気を送る役目がある」


 ディアボロスも視界を同期させているので、顎に手をやりながら俺と同じ景色を目を細めながら見ている。


「空気を送る?製造の過程に必要なのか?」


「いいや、ただの趣味だ、製産機械をパイプオルガンに見立てて作ったのさ」


 ヴィザールの機体が揺れているので、敵から攻撃を受けたと勘違いをした。俺が無意識のうちにかぶりを振っていたらしい。

 対人型機用徹甲弾の装填音が耳に届いた、ヴィザールは金虫を本気で始末するようだ。同じように聞いていたディアボロスがまたしても愚痴を溢す。


「おいおい勘弁してくれよ、作るのにどれだけ時間がかかったと思っているんだ」


「お前は何とも思わないのか?あれだけ警告した人間が製造区に侵入しているんだぞ?」


「あんな人間一匹に何が出来る、それよりお前の子機が破壊して回っているじゃないか、よっぽど脅威だよ」


 ぐぅの音も出ない。

視界に一瞬、ノイズが走ったが異常は見当たらない。いや、金虫が懲りずに頭部カメラを狙撃しているな、何という根性、それに射撃精度。追い込まれた獣がとくに危険だと故事にもあったことを思い出す。


「風箱は諦めてくれ」


「はいはい」


 俺の言葉を合図にしたように、ヴィザールが肩甲骨辺りに装着したリニアレールガンを発射した。装填した徹甲弾が電磁気力に押し出され瞬時に虫へと襲いかかる。金虫ごと風箱を貫通し大穴を穿ってみせた、その大穴から轟くように風が漏れ出てきた。


「周りへの損害は?」


「気にするな、微々たるもんだ」


[お父上!何やら上から異音がしております!]


 ヴィザールが可変型人型機に換装して初めて慌てた声を上げた。


「異音?」


「お前が風箱を撃ったからだろうが!後で修復作業を手伝わせるからな!」


[違います!これは一体……?]


 視界が安定していない、周囲に視線を送ってばかりで仕留めたかどうかの確認を怠っている。だがヴィザールの言う通り確かに異音が...それに音も次第に大きくなっている。大穴を開けた風箱ではなくその周囲からだ。


「……詰まっている?」


 風箱から漏れ出るような音ではなく、細い管から空気が無理やり押し出されているような音だ。


「ディアボロス」


「待て、それより風箱の応急手当てをさせてくれ、送風装置に過負荷がかかって壊れてしまう」

 

 風箱に開いていた穴が裏側から閉じられていく、それでもある程度は漏れているようだが...待て、虫はどうした?何故いないんだ?


[これは?!]

「ディアボロス!」


「今度は何だ、少し……」


「いいからその送風装置とやらを止めろ!ビーストが落ちてきているぞ!」



✳︎



 凄惨な光景だった。一つの終わりを示していると言ってもいい。工場区に入るなり襲ってきた正体不明の人型機に、製産されたばかりの駆除機体、それだけでなく製産途中の機体までもが()()()()のように降り注いでいるのだ。大質量を持った鋼鉄の雨に打たれ、前掲姿勢を取る人型機がついに膝を付いた。鉄の軋み音が悲鳴に聞こえ、駆除機体の同情を誘う産声が破壊音と混ざり合い地獄の様相を呈していた。

 ナツメ達が周囲のパイプの出口を閉じて回っていたのだ。製産された駆除機体を排出するパイプを閉じて、それでも排出しようと空気が送られ続け詰まりを生み、そして一度は空いた穴を修復した時にパイプ内が決壊して全ての駆除機体が外へと弾き出されたのだ。


[これで少しは大人しくなっただろう]


 地獄を目の当たりにして、随分と落ち着いた声で通信をしてくる。まぁなんだ、私もきちんと言うべきかもしれない。


「ナツメ、ありがとう」


[………………いや、いいさ]


 私の立っている所はパイプオルガンが並んだ通りから少し外れているだけなので、直にこちらへも降ってくるかもしれない。緩んだ気を締め直して、かぜばこと呼ばれた四角い装置が並ぶ通路を左手に進んで行く。


[おい、これで本当にスイちゃんが元に戻ったのか?あらかた壊したみたいだが、施設自体はまだ生きているだろ]


[ここいらの制御室はどこにあるんだ、というかあるのか?マキナが運用しているなら下手すりゃないぞ]


[さっきのを繰り返せばいけるんじゃないんですか]


「すぐそうやって手を抜くんだから、制御室を探した方がいいよ」


[はいはい]


[ナツメ、私はお前の事は絶対認めないからな、お礼を言われたぐらいで調子に乗るなよ]


[そう言うんなら先ずはお礼を言われるぐらいに頑張ったらどうなんだ整備長、何のためにここへ連れて来たと思っている]


[違うだろ!私の役目はマテリアル・ポッドを解体して運び出すことだ!どれだけ必死になって図面を頭に叩き込んだと思っているんだ!]


「あぁ!それでアオラも付いて来たんだ、どうして撃てもしないのに来たんだろう……って何?どうかしたの?」


 あれだけお喋りしていた三人が急に黙り込んでしまったので少しそわそわしてしまう。


[あー何だすまないアオラ、まさかアヤメから援護射撃がくるとは思わなかった]


 何だ。


[……やめてくれないか、慰めは時として鉛玉より効くんだよ]


 何なんだ?そんなに変なこと言ったか私。


[つくづくこいつが味方で良かったと思うな、ライフルの扱いも凹ませ方も上手いんだから]


「何なんですかさっきから!というかいい加減私もそっちに上がりたいんだけど!」



 本気で凹んでんじゃんアオラ、私の顔を見るなり傷付いた様子で目を背けられてしまった。

 パイプオルガンの合間を行き交う通路でナツメ達と合流した後、アオラの先導で制御室を目指すことになった。何処へ向かえばいいのかさっぱりだが、整備を長年していると配管やケーブルの繋ぎ方で向きが分かるらしい。「凄いねアオラ!」と褒めても見向きもされなかった。

 さっきの騒動でとくに故障などしていないパイプオルガンも稼働を停止しているようだ。時折何かを吐き出す音やビーストが配管を叩いているのか、殴られたような音がする以外はしんと静まり返っている。右手に見えていたパイプオルガンを抜けると、そこはとても開けた場所になっていた。そして床の中から何本もの太い配管が這うように壁へと伸び、さらにそこから幾重にも分かれて天井へと伸びていた。何だこれは。


「何これ」


「さぁな……」


 アオラも初めて見るようだ、辺りをきょろきょろとしている。ナツメが銃を構えながら目の前にあった太い(と言っても私の背丈の倍くらいある)配管へと近づいていく。配管に到着するなり耳を当てて何やら聞いている。


「……この中にも空気が送られているようだな」


「あー何だっけ?チェスト……トーン…」


「トーン・チャンネル・チェストだ」


 ナツメに追いついたカサン隊長が、心底不思議そうな顔をして声をかけている。


「どうしてそんなに詳しいんだ?まるで音楽家だな」


 まだ配管に耳を当てていたナツメの代わりにアオラがさも当然といった様子で答えた。


「こいつ、今でこそこんなだけど、孤児院にいた時はピアノ少女だったんだぜ?」


「うんうん」


「は?」


「ま、っつてもうんと小さな時だがな、スイちゃんよりもさらに小さい時じゃなかったか?」


「はぁ?そんな素振り一度も見せたことがないじゃないか、デタラメは程々にしておけよ」


 信じられないものを見るような目でナツメに視線を向けている、その視線を受けたナツメが配管から耳を離してさも当然のように答えた。


「なんなら今度演奏会でも開きましょうか?」


(フラグにしか聞こえない)


「おいおいマジかよ…スイの正体を聞かされた時以上だぞ?お前らもビーストが花を愛でていたら驚くだろう?」


「結婚逃しが私のことをどう思っていたのかよく分かりましたが、生憎ここは私の実家ではありませんのでとっと先へ急ぎましょう」


 まぁ要するにだ。さっきの一幕はナツメの知識のおかげだったという事だ。


「こいつの正体は分かったのか?」


「分からん、パイプではなく天井に向かっているのがさらに分からん、本当だったら風箱から空気がパイプに送られる仕組みになっているんだが……」


 配管を登る術がないので、床から壁に伸びた隙間を通るしかない、配管沿いに進んでいる間も二人は会話を続けていた。


「こいつが風箱に繋がって空気を送っているんじゃないのか?」


「天井に伸びる意味は?」


「それが分からないからお前に聞いているんだろう、頼むよピアノ少女」


「こんのくそったれが…」


 悪態をつきながらも二人仲良く歩いている。私の隣を歩いていたカサン隊長が私に耳打ちをしてきた。


「なぁ…本当にあいつ、ピアノ好きだったのか?あんな暴言を吐くピアニストがいるもんなのか」


「ピアノだけじゃないですよ、孤児院にあった楽器は一通り使えていましたから」


「あぁなんという……無駄な人生……」


 ビーストがもしいなかったら、ナツメはきっと今頃は有名な音楽家にでもなっていたのだろうか。現実感のない妄想に耽っていると前を歩く二人が声を上げていた。


「おい!これ!」


「これはっ……まさか、」


 何だ何だと私達も追いつくと、上方向へ伸びていく配管の下辺りに、「1」から「10」と数字が書かれているのであった。



54.c



[ま…………しら、は………ないと、……の子……]


[分かっ…………、…………は、人………い]


[………じゃない……、………も………でしょう?]


[………、…….いい、………………、からも……にしてくれ……]


[何故?]


[……、……らだ]


 うぜぇ、人が寝ている時に耳元でぼそぼそと。

蚊の鳴くような話し声で再び目を覚ました...これで何度目だ?いい加減にあの世へ送ってくれないか?もううんざりなんだが。記憶している限りでは血の臭いを()()()が勝手に辿っていたはずだ。狭い通路を抜けて今度はやたらとごつごつする地面を這っている時に突然上から殴られたんだ。殴られた?何に?


[ひっく…ひっく…]


[!!!!]


 ...こんなに驚いた事は今までになかった。ガキの泣き声が聞こえてきたからだ。それもオレの()()()から。


[ひっく……]


 まだ聞こえていやがる、ついにあの世か?随分とまたあの世って所は狭いんだな。


(にしても、また何も見えないってのは……)


[……?!……だ、誰か、いるんですか?]


[?!!]


 思考が...筒抜け?ってことは何か、ピリオドなんたらの時と同じように誰かとマテリアルを共有しているのか?


[テメぇこそ誰なんだ、何者なんだ]


[わ、私は……]


[いやいい、興味がねぇ、早くここから出て行け]


 手出しもできないんだ、隣で泣かれるだけならただの迷惑でしかない。しかし、何かを我慢していたのかオレの言葉に感情を爆発させたようだ。


[で、出ていけるならっ!とっくに出て謝りに行ってますよ!それができないからここにこうしているんじゃないですか!あなたこそ誰なんですかっ!!]


 女の声だな、ほんと女ってのは癇癪ばかり起こす。


[知るかよ!テメぇが悪さをして閉じ込められてんだろ!オレに八つ当たりすんじゃねぇ!]


[し、してませんよ!何も悪いことなんてしてません!クマさんが勝手に殴ったんですよ!]


[クマさんだぁ?ふざけてんのかテメぇ!]


[だったら見ればいいじゃないですか!]


 そこでようやく視界が真っ暗闇から開けた。項垂れるように座り、無くなったはずの下半身が...どこから足なんだ?大きな腹で見えない、というかこれは何だ?


[おい、これは何だ、何でこんなに太っているんだ]


[太ってません!これがクマさんです!]


 あー何?こいつの妄想話しじゃなくて本当にクマだったのか?しかも周りは見たことがあるどころか、オレが司令官に殴り飛ばされた街中じゃないか。少し先には変わらず地面から生えた灰色の人型機の姿もあった。


[意味分からん!もう勘弁してくれ!何回場面が変わったら気が済むんだ!]


[ひゃっ]


[………おい、あの化けもんは何だ]


 オレの怒声に腹が立つ驚き方をしたガキに尋ねた。クマの前には()()()だけが無い奇怪な化け物が横たわっていたからだ。


[そ、そいつは…突然現れて、クマさんが殴ってしまったので……よく、分かりません]


[クマさんクマさんってテメぇがクマなんだろうが]


[ち、違います!私は、ただ、このクマさんに入ってほしいと頼まれて……それで……一緒になっていただけなんです!]


 .................


[つまりテメぇは何か、マキナか何かなのか?それとも子機なのか?]


[……………はい]


[あぁなるほど、後ろに倒れている女がそうか]


[!!!]


[あー何か、換装したクマが暴走してそのマキナをぶっ殺した訳か]


[…………]


 何も答えない。息を飲む気配だけは伝わってくる。


[やっぱりテメぇが悪いんじゃねぇか、クマのせいにしやがって]


[だから!]


[だらかもクソもねぇんだよ!結局テメぇは殴っているところを何もせずに黙って見ていただけだろ!]


[!]


[そいつぁ暴力と何も変わらねぇ!義を見てせざるはなんとかだ!このオレ様が言うんだから間違いねぇ!この街中で嬲られて死んでいく野郎を黙って見ていた屑連中と一緒なのさっ!]


[………………………]


 はぁ。少しはスッキリした。まぁ本音を言えば生身でぶっ叩きたいんだが。


[……………ここから出してください]


[あぁ?!誰に言ってんだ!それはオレのセリフだぞ?!]


 めそめそ泣いていた声音とは違いはっきりとした口調でそう、言葉を発した。


["待って……もらえへんやろか"]


[?!!]


 何だ?!また別の声がしたぞ?!


[……待てません、私は謝りに行きたいんです]


["そうは言うけど、もうあんな事になってしまったんや、どうしようもない"]


[誰だテメぇ!]


["クマです、わしのせいでスイには随分迷惑を掛けてしまいました"]


 クマもいんのかよっ!!



✳︎



「実はティアマトもアンポンタン?さすがグガランナの面倒を見ていただけのことはあるよ」


「……仕返し?」


「えー?何ー?聞こえなーい、さっきみたいに泣きながら大声を上げてもらわないと聞こえなーい」


「……というかあなたね、よくあんな画像だけで偽物だって分かったわね、全く気づかなかったわ」


「偽物もなにも、アヤメの体にノイズが走ってたじゃん、それにあの階層は仮想展開でしっちゃかめっちゃかしてるんでしょ、騙されるのが悪いよ」


「……うぐぅ」


「まぁまぁアマンナ、ティアマトさんも落ち着いたんだし」


「フォローするの遅くないかしら」


 あの司令官め...ますます嫌いになってしまった。意図が分からない、私への仕返しだけでこんな事する?アヤメとあんなに仲良くなって恋人ごっこまでしていたのに。

 絶望という暗雲に覆われ意気消沈してしまった私を救って馬鹿にしてきたのがアマンナだった。「どうかしたの?」と呑気に声をかけられ、心の準備が整っていないまま偽アヤメの画像を見せると、一瞬だけ顔を強張らせたがすぐに普段通りに戻り「良く出来てるね」と一笑に付したのだ。


「ほんと、アンポンタンだねティアマトも」


「その言い方やめて」


「でも可愛らしいですよ」


「………それでもやめて」


「今考えたでしょ」


 アマンナがお出掛け姿のまま展望デッキで仁王立ちになっていた。その前には空間投影されている初回層の断面図がありよく分かってもいないくせに偉そうに睨んでいる。


「何これ」


「自分で解いてみなさい」


 散々こけにしてくれた仕返しだ。だが、驚いた事にアマンナがすぐに解いてしまった。何も説明していないのにスラスラと私が色分けした理由まで答えてみせた。


「あー…なるほど、この赤い点が仮想展開されている場所で、マテリアルとピクチャーが緑と青、で白い点がその発生源か……」


「……………」


 開いた口が塞がらないとはこの事だ。

勝ち誇った訳でもなく、普段通りの好奇心に満ちた目を私に向けてきた。


「何でこいつ移動してんの?」


「それは…」


 答えがない。それもそうか、私は()()()()()()()()()()がいると仮定して調査を進めていただけなのだ、本当にそんな奴が実在するのかは分かっていない。


「……はぁ、それはただの当たり、仮想展開が拡散していく過程で中心地点を割り出しただけだから、あたかも犯人がいるように見えているのよ」


「いや、こいつは間違いなくいるんじゃない?わたしが聞きたいのは、データログなのにどうやって移動してんのかって話し」


「…………はい?」


 でーたろぐ...データログ?どっからその単語が出てきたんだ。理解が遅れて仕方ない。


「これだけ赤い点を作れるってことは、それだけ大量のピクチャーを持っている訳なんでしょ、マキナでも不可能な量だよ」


 言われてみれば確かに...


「ごめん、話しが分かんない」


「後で教えてあげるね」


 テッドが当たり前のように頭を撫でられている事も大変驚きだが、今はアマンナが話している事の方が重要だ。


「それに単一、これが複数ならディアボロス達の仕業だろうと思ってたけど、違うっぽいし、単一でここまで仮想展開を作り出せるのはアーカイブされた過去の画像を引っ張ってこないと無理だよ」


「確かに!」


「どっちが先生なのか分かんない」


 そうと決まれば話しは早い。ガイア・サーバーに保管されているデータログを漁れば、事の発端ぐらいは掴めるはずだ。司令官に依頼された私事だが、アヤメ達も巻き込まれているのだ。早く事態を終結させないとあの画像のようになってしまう。それだけは...それだけは何が何でも、この身に代えてでも防がなければならない。

 その時、不思議な感覚が胸に去来した。それは一瞬のことだったが確かにこの胸に来たのだ、そして束の間も待たずに去って行った。


「…………」


「ティアマト?何やってんの?」


 動きの途中で固まってしまった私を不審げに見やっている。


「何でもないわ、アーカイブを探りましょう」



「どうして私がこんな格好をしなくちゃいけないの!」


「ぶふっ、くくくっ、ぷふっ」


「はぁもういいわさっさと終わらせましょう!」


「キュー、キュー!」


 ここは電子の海。物質の最小単位として位置付けられる、原子核の周りを回っている負の電荷を持つ電子群の海だ。()()一つ一つにデータが蓄積されて人類が誕生してから今日に至るまでの記憶、記録が足跡として残されている。これがログと呼ばれる由縁だ。

 青く、そして濃い。群青とも呼べる色が四方無限大に広がりを見せ方向感覚を容赦なく削いでいく。しかしそれが気持ち良い、私のような存在が電子に紛れて何もかも忘れさせてくれるような開放感と安心感があった。


(まぁこの服は全く安心感はないんだけど…)


 水着。それは自らの体を他者へ見せつけるために生まれた...どうでもいいわね。早く終わらせましょう。水着!まさか私が水着を着る羽目になるなんて思いもしなかった。着させた本人はイルカになり切っているので話しにならない。

 真っ赤なビキニに隠れた私の胸が、さらにイルカを見にくくさせていた。


「アマンナ!早く見つけなさい!いいわね!」


「キュゥー!!」


 大丈夫なのか...

アマンナ・イルカの背中に乗って電子の蒼海を暫く遊泳する、カテゴライズされたデータは一頭の鯨、もしくは一匹のイルカとして表現されるのですぐに分かる。いや、実際にログインしてみないと何のデータかは分からないのだが、発見するのは簡単という意味だ。


「うぅんっ、アマンナ!ふざけないでちょうだい!」


「キュ、キュ、キュー」


 周囲に視線をやっていたのでアマンナ・イルカの急な動きに...その、まぁ、いいわね別に。言わなくても。

 深い、深い海の底から鳴き声が聞こえてきた。イルカ越しに見やれば無数の泡がちろちろと登ってくる、青色を通り越しウルトラマリンをも通り過ぎて黒い海の底だ。


「アマンナ、底に行きなさい」


「そこってどっち?底辺の底?あっちそっちのそこ?」


「喋れるんじゃない!海の底よ!」


「キュー!」


 ぎゅいんと音が聞こえる程に急降下を行い、体が持っていかれそうな速度で潜っていく。次第に黒からウルトラマリンへと色を変え、ようやく鳴き声の正体を掴むことが出来た。


「ひどいね…何もこんな事しなくても……」


 アマンナがあまりの惨状にイルカの真似も忘れて呟いた。鳴き声を上げていたのは見るも無残な姿に変えられてしまった一頭の鯨だった。巨体さもさることながらその傷口もまた巨大だった。海底に身を横たえ傷口から溢れ出る電子が周辺を赤く染め上げている、カテゴライズされたデータが破損していたのだ。低く、そして抜けるようなの太い声を上げて助けを求めているようだ、素早くアマンナ・イルカが鯨に近寄り鼻先を当てている。


「どう?」


「大丈夫……とは言い難いかも…」


「そう……何のデータか分かるかしら」


「…過去のテンペスト・シリンダーのものだね、稼働してから約二千年分ぐらい」


 ゆっくりと上昇し鯨の体をぐるりと上から回っている。


「誰の仕業なのかしら……」


「きっとろくでもない奴だよ、ん?」


 アマンナが何かに気づいたようだ。イルカの頭を振った先を見やれば...えぇ?あんなのありなの?ナースのキャップを被ったイルカが三匹、とてつもない速さでこっちまで泳いで来ていたのだ。


「キュー!キュキュー!!」


「こっちよ!早く!」


 この鯨が助かるのなら何でもいいと、現実離れしたイルカに私も手を振ったというかここは現実ではなかったわね。

 暫くもせずに到着したナース・イルカが、アマンナと同じように鼻先を当てて触診しているようだ、彼ら(彼女ら?)に任せてアマンナと再び周辺へと泳ぎだす。


「何故、あの鯨を……」


「さぁね、けど初回層で動き回っている奴はは間違いなくあのデータを撒き散らしているのは分かった」


「何のために?」


「さぁ…それならティアマトこそ何でこんな事調べてるの?誰かに頼まれたの?」


 言うべきか黙っておくべきか、迷ったが結局伝えることにした。


「司令官から頼まれたのよ」


「……ひねくれらが?」


「そうよ」


「………………」


 何も言わない。イルカに姿を転じているせいもあって、いよいよ何を考えているのか分からない。


「一旦戻りましょう、破損していたデータも修復できたようだし、これで何か動きがあるはずよ」


「来て良かったじゃん、わたしらが見つけたからあのイルカが助けに来たんだよ」


「そうね、そういう事にしておくわ」


「その水着姿もばっちりログには残るから、またアヤメ達に見せておくよ」


 もう、それはそれは背びれを引っ張りまくった。



54.d



「こいつはぁたまげたなぁ…」


「おい、お前の妹が変な言葉使い始めたぞ」


「丸!」


「アヤメ、お丸さんが好きなのか?」


 まさかの元ネタが分かるとは、後で調べてみよう。いやではなく。

 床から伸びる配管の群を通り過ぎ、私達に全く反応しないビーストが列をなして一所懸命になってふいごを操作しているエリアも抜けてやって来たのがここ、見たことがない程複雑で巨大な鍵盤だった。


「ここか?制御室とやらは…」 


「ま、()ではないんだが…配管の流れからしてここが中枢のはずだぞ」


「やったねアオラ!」


「…後できちんと話し合おうなアヤメ」


 いや何でさ。いつになったら機嫌を直してくれるんだ。


「で、どうするよ新兵、またグレネードでも投げてみるか?」


「まだ根に持ってるんですか?いい加減心を広くしていきましょうよ」


 巨大な鍵盤は、それこそ現実ではあり得ない程の立派な二本の大樹に挟まれ荘厳さを兼ね備えてただそこにあった。天窓などは付いていないはずなのに明るい陽の光に照らされ、人間サイズの黒鍵と白鍵を一つずつ丁寧に輝かせている。何だか壊してしまうのは忍びないがこれもスイちゃんを助ける為だと言い聞かせる。

 遠くに未だふいごを操作しているビースト達の音を聞きながら、私達四人が巨大鍵盤へと近づいていく。



✳︎



 眠そうにしている男が唐突に叫んだ。


「何て事だ何て事だ!制御鍵盤にまで辿り着きやがった!何て事だぁ……」


 玉座に座り貧乏揺すりをしながら頭を抱えている。奴の頭を頭上に吊るしたシャンデリアが照らし、窓の外からは淡い海中が群青色に室内を染め上げていた。


(海中宮殿とはまた……)


 こともの作りに関しては並々ならぬ情熱を注ぎ込むのは知っていたがここまでとは、海中に宮殿を建てるなど前代未聞だ。

 宮殿を支えているであろう、サンゴ礁の大テーブルを窓の外に望みながら慌てふためく男に声をかけた。


「心配せずとも、そう簡単に破壊はできないだろう」


「あんな所に人間が入ってくるなんて想定していなかったんだ!守る術が何もない!」


「案ずるな、ヴィザールがいる」


「安心できるか!お前の子機が一番壊してんだよ!………………ん?」


「どうした?」


 怒鳴った姿勢のままに固まり宙を睨んでいる。


「……ウロボロスの反応が、復活した?」


「復活?」


「………一階層の入り口辺り……どうなっているんだこれ、そこには俺らを襲った敵がいたはずなんだが……」


「敵の反応は?確か動きを停止していたのだろう?」


()()()()()()()復活したんだよ」


「……?ウロボロスとの通信は?」


 古典的に手を鳴らして思い出した素振りを見せた。


「あぁ!奴もマキナであることを忘れていた!オーディン!制御鍵盤に侵入した人間は任せるぞ!」


「無論だ」


「いいか!三割までは認めてやる、それ以上は許さない!いいな!」


「それは手柄の話しか?」


「損傷の話しだ馬鹿たれ!」



✳︎



「んー…ナツメの見立て通り…さっきの配管は別の階層に繋がっているみたいだな……」


「分かるの?」


「あぁ、やってみないと分からんけど、ビーストをここから送る運搬装置としての役割があるんじゃないか?」


「何でも分かるんだね」


 ちょっと得意げになっている。

巨大鍵盤を矯めつ眇めつしていたアオラがゆっくりと私の所へ戻ってきた、ナツメが予想した通りあの配管群は各階層へ繋がっていたようだ。黒鍵をしたから眺め、周囲をぐるりと囲んだ鍵盤は圧巻だった。それにここにも仮想展開されているようでやっぱりあの大樹は偽物だった。巨大鍵盤の前で頭上を仰ぐと小さな穴が天井に空いていた、そこから光が漏れ出ているようだ。


「アオラ、あれ何?」


「んぁ?………何だありゃ、穴が空いているのか?」


「天窓?」


「いや、あれはただ空いているだけだろう、天窓ならもっと形に拘るだろ」


「ん?」


 光が遮られ影ができた。私とアオラ、それから巨大鍵盤に影が差している。視界の隅にナツメが大手を振っているのが見えたので私も返してあげようとすると、


「逃げろぉ!!!」


「?!」 


 後ろからアオラに抱き抱えられ巨大鍵盤の前から階段下を目掛けて飛び込んだ、ついで衝撃音と破砕音、空気が抜けていくような音と何度も仮想世界で聞いた関節制御の調整音だった。

 階段を転げ、私もアオラも滅茶苦茶だ。階段の途中でようやく止まり、全身に痛みを感じながらさっきまで立っていた場所を見やれば、屈んだ姿勢を取っている人型機がそこにいた。人型機が持つ質量で床は捲れ上がり鍵盤も陥没したように壊されていた。


「あいつ!倒したんじゃなかったのか?!」


「いいから!アオラ早く!」


 痛む体を無理やり起こしてナツメ達がいるさらに階下へとひた走る。私達を追いかけてくるように後ろから、どこか金属が軋む音を立てながら人型機が身を起こしている気配を感じた。銃を構えて半身になっていたナツメが素早く声をかけてくる。


「無事か!」


「見れば分かるだろ!」


「減らず口はいい!さっさと走れ!」


「ナツメ!あの人型機はどこから?!」


「跳躍してきたんだよ!ジャンプだジャンプ!あの配管辺りからここまで一足飛びにだ!」


 信じられない。人型機にそんなポテンシャルがあったのか?


「どうすんだよあれ!止めが刺せていないじゃないか!」


 巨大な鍵盤は長い階段を登った先にあり、階段の下にはお姫様と話したあの広間のように床画が描かれていた、その広間にはカサン隊長も大手を振って待機している。


「呑気な奴め!」


 アオラの悪態は、後ろから駆けてくる人型機の音でかき消された。後ろを見やれば手も使って走っているではないか!


「何あれ?!」


「肩の砲身を構えた!」


 ナツメの言葉と同時に発射音が聞こえる、頭上を飛び越え大手を振っていたカサン隊長目掛けて飛来していく。弾丸が爆発することなく床画に大きな穴を穿ってみせた、飛んだ破片や土煙の向こうに素早く体を起こしたカサン隊長が見えてたので安心した。


「徹甲弾?!何でそんなもの使ってんだよ!」


 さらに撃ち終えた弾を排出している音がする、たてて続けに撃つつもりだ。砲身を調整して狙いを付けられ万事休すという時に、よく通る声が辺りに響き渡った。


ーここは我が作りし処女地なり!如何なる者も破壊する事許さず!違法建造などもっての他なり!その身を持って建造素材に変えてやろう!心しろ!ー

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